Sonar Members Club No.1

since September 2012

僕はスナイパーしか使わない

2013 JUN 5 18:18:59 pm by 東 賢太郎

昨日のオーストラリア戦、本田圭佑は英雄になった。あのど真ん中を割ったPKが技術的にどうだとかは全然わからない。しかしあれが、窮地に落ちた日本を救った。

ああいう場面で決める人は本当にすごい。男の中の男だ。サッカーがうまいかどうかという次元の話ではない。うまくても決まらない人はいくらでもいるだろう。ゴルフでも、ここぞという時にロングパットを沈める人。敵に回すと実に手ごわい。僕はそういう人たちをスナイパーと呼んでいる。一発必中の狙撃手という意味だが、やれと命じれば地の果てまで追って確実に相手を倒す、まあちょっと古いが007やゴルゴ13のイメージだ。ジェームズ・ボンドが「すいません、ダメでした」と頭を掻いてるシーンはないのだ。

そして僕のイメージする野球の4番打者とは、まさにそのスナイパーだ。1回の攻撃で1~3番が1人でも出塁すれば4番に回る。そこで相手投手を確実に仕留めて先取点を取る。これが4番だ。投手から見ると、そこで4番を三振にでも取ればものすごく気分が楽になる。今日は行ける!と思って調子にのってしまう。だから4番は絶対にスナイパーでなくてはいけない、と僕は思う。3,5番だとそれができても4番に座ると重圧を感じてダメという人がプロにもたくさんいる。そういう人は何本ホームランを打っても強打者でも、生まれつきスナイパーではない。

僕は人生で4番を打たせてもらったことがない。これが悔しい。4番というよりスナイパーが憧れだから。高校時代は1年の秋からどういうわけかずっと6番だった。投手は野手と別メニューの練習になる。だから野手の連中が毎日何をやっていたか知らないが、投手は打撃練習はしても時間はずっと少ない。それでも打率はチームで1、2位だった。これスナイパーじゃないの?3安打完封を食らった試合でも1本は俺の3塁打だ、ちくしょーなどと思っていた。4番だったN君は左ででっかい。日大三高からホームランも打った。あれは非力な僕には無理だ。でも4番はホームランだけなんだろうか?

でっかい人が4番というのは、僕なりに理屈がある。ホームランが打てるからではない。スイングスピードだ。これが速いと速球に振り負けない。これが高校野球レベルの分かりやすい理由。プロはたぶん違う。ボールになる変化球を引きつけられるのが理由じゃないか。フォークをストンと落とされてもバットが止まる。たとえば広島の打者は実にボールになるスライダーの選球眼が悪い。非力な打者は引きつける余裕がないから早めに振り出す必要があり、腕の振りに騙される度合が大きい。メジャーは全員がでかい。だから速球に振り負けしないので投手はきれいな速球(4シーム)はあまり投げない。手元で曲げて芯をはずすのが主流だ。それを打つには引きつけるしかない。だからスイングスピードが必要であり、チャンスで打たなくてはいけない4番はでかい奴になるのだ。

しかし最近日本のプロではつなぎの4番というのが出てきた。ロッテは以前のサブロー、彼は冷徹なスナイパーだ。阪神だと鳥谷。彼もスナイパー能力がある(WBC台湾戦の起死回生の2盗がそれだ)。カープの広瀬、これは人材がいないからだが14打席連続出塁はスナイパー能力を垣間見せる。もちろん松井や阿部やおかわりクンの4番に文句はないが、投手目線ではスナイパーの4番もいやだと思う。今のプロで最もスナイパー能力があると僕が思うのは巨人の坂本だ。いいとこで打たれる。しかも大きいのを。坂本4番、阿部5番の方が荷の重いキャッチャーをやる阿部が楽なのにと思う。

最後に、ビジネスにおいてもスナイパーは存在する。やれ、はいと言ったら必ずやる。言った以上、雨が降ろうが槍が降ろうが四の五の言わない。出来ないことは出来ないと言う。必ずやることにこそ、その人間の価値観がある。こういう人。若い人は是非これを目指すといい。必ず組織で頼られる人材になり、たぶん、いや余程ほかがひどくなければ出世する。なぜなら上司は成果が欲しい。だから成果を出す部下がのどから手が出るほど欲しい。やれば必ず信頼される。だからいい仕事を任される。すると部下ができる。部下は上からの信頼が厚くていい仕事を自分にくれる上司が好きなのだ。すべて好循環になるから出世しないはずがない。

しかしこういう人はあまりいない、いやほとんどいない。なぜ「走れメロス」が教科書に載っているか考えればいい。あんな人はいないからだ。ダメな人。簡単だ。やりますと言っておいて中途半端に済ます人、それでやったと思っている人、できない人。できなかった理由を四の五の言うのがうまい人。問い詰められると逃げる人。若い人たち、偉くなりたくなかったら是非そうしたらいい。ビジネスでは絶対に上司からも部下からも顧客からも信用されない。やり遂げることに価値観のない人は、要は何をやってもダメだ。忠誠心や協調性も大事とされるが、それは安定成長のバランス型組織においての日本的、20世紀的価値観だ。21世紀の日本経済にそんな和やかな予定調和はないと覚悟した方がいい。ビジネスにおいても、本田圭佑と4番打者は永遠にスターなのだ。

 

(こちらへどうぞ)

競争に負けない秘策3か条

結果責任とストックオプション

評価をダウンできる5つの法則

 

 

カジノ必勝法教えます

2013 JUN 5 0:00:48 am by 東 賢太郎

 

品川と田町の間に山手線の新駅を作ってカジノを誘致する、という話があるそうです。今ある駅でいうと泉岳寺の辺りです。 新駅の話はJR東の社内報には出ていますし、住友不動産三田タワーは10年前に「新駅近く」と売り出したそうです。他に①羽田空港と大田区②大井競馬場(社長が元副知事、東京都競馬所有)③お台場、という説もあります。まあすべて下馬評なんでタラレバです。シンガポールを見てわかるようにカジノの経済効果は大きく、東京都はオリンピックとどっちをとるのという選択なのでしょうか。

個人的には、留学中とロンドン時代にカジノでよく遊びました。留学中はフィラデルフィアから車でアトランティックシティまで週末に家内とよく出かけました。100-200ドルが精いっぱいでしたが、当時は1ドル240円でしたからビッグマックも買えなかったのに随分なものです。あまり負けるので確率計算してみると、ルーレットは絶対負けるとわかりました。ブラックジャックは勝つ可能性はありますがカードカウンティングという10の札の残り枚数を知る必要があって、一人では無理です。

ところがアメリカ人の友人で達人がいて、ルーレット必勝法があると教わりました。ディーラーは学校で訓練されていて、ネイバーと呼ぶ回転盤上の連続した5個の数字に80%の確率で入れられるそうです。まず、ワンベット1万ドル以上の金持ちが賭けている台を探します。ディーラーは彼の賭けた数字をはずしにかかるため、その数字の対頂角に位置する数字のネイバーを狙う事が多いのです。そこでやること。まず0-36の37個の数字(米国は00があるので38個です)に1枚ずつチップを置きます。ここからが勝負です。球が投げられno more betsが宣言されるまでの数秒間に彼が狙った数字(だいたい金持ちが置いた数字の対頂角周辺)の対頂角のネイバー(要は金持ち周辺です、ややこしいですね)の5枚をすばやくピックアップするのです。なぜならその5つは80%の確率で出ないからです。だから80%の確率で毎回チップ5枚だけ勝ちます。すごいでしょう。確かにすごいんです。友人はこれで要注意顧客のブラックリスト入りしてカジノに入れなくなりました。これは時間的に一人ではできないので集団でやるためカジノ側にすぐばれてしまうのです。だからおすすめはいたしません。

これをやったわけではありませんがけっこう研究はしました。しかし僕の戦績はけっこう負けでしょう。やはり確率(大数の法則)には勝てないと悟りましたから、日本に帰ってからは出張してもお客様のお付き合い以外はやりません。でも、お台場であれどこであれ、東京にできてしまうとちょっと自信ないかなあ・・・・。

 

 

クラシック徒然草-3枚のLP音盤-

2013 JUN 3 20:20:33 pm by 東 賢太郎

中古レコードを買いました。1枚目はチェコのスプラフォン盤でモーツァルト(ピアノ協奏曲第9番とハ短調ソナタ)、オケはカレル・アンチェル指揮チェコフィルハーモニー、1960年ごろの最初期のLPレコードです。

チェコ人にとってモーツァルトは特別のようです。交響曲第38番は「プラハ」だし、オペラもドン・ジョバンニや皇帝ティトの慈悲もプラハ初演。フィガロの結婚が最も愛されたのもプラハです。このジャケット、モルダウ川の冬ですが、実にいいですね。これを買ったのはピアニスト、ヒューゴ・シュトイレルとパヴェル・シュテパンが聴きたかったからです。最高でした。この頃のチェコの演奏、チェコフィルもスメタナ弦楽四重奏団もそうですが、音に暖かみがあり、きりりとひき締まったもぎたてのレモンのような切れ味があるのですが、この二人のピアノもまさにその路線です。こんなモーツァルトを今どき誰が弾いてくれるだろう。スプラフォンという当時国営のレーベルの録音もそれを活かす独特の色合いがあります。LPの時代はソ連のメロディア、ハンガリーのフンガロトンなど共産圏レーベルごとにお国ものの味があり面白かったのです。

2枚目です。これはにぎやかですね。ドイツ・グラモフォンのフランス盤で、これも1960年前後のものでしょう。「ロシアのこだま」とでもいったアルバム名でしょうか。A面はドレスデン・シュターツカペッレをクルト・ザンデルリンクが指揮したボロディン交響曲第2番。B面はルイ・フレモー指揮モンテカルロ国立歌劇場管弦楽団によるグリンカの「カマリンスカヤ」、イーゴル・マルケヴィッチ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団のボロディン「中央アジアの草原にて」、グリンカ「ルスランとルドミュラ序曲」、リヤードフ「交響詩ヨハネの黙示録より」です。フランス人のジャポニズム(日本好き)は昔から有名で、浮世絵にはじまって今はパリの日本アニメ博覧会に200万人も押しかけるというから半端ではありません。また彼らは大のロシア好きでもあって、だからこそバレエ・ルッス(ロシアバレエ団)がパリで人気があり、あのストラヴィンスキーの3大バレエが生まれたのです(この原色的なジャケットを見ているとペトルーシュカを書く彼の心象風景のようなものが浮かんできます)。フランス人はエキゾチックなもの好きなんですね。しかしエキゾチック過ぎたのでしょうか、よく見るとスペルが間違っていて「カマリンスカヤ」が「カラミンスカヤ」になっています。細かいことは気にしないラテン気質、微笑ましいです。

そして3枚目。ノルウエーの作曲家、ヨハン・スヴェンセンの交響曲第1番ニ長調です。オランダのフィリップス盤で、1960年代のLPと思われます。2枚目のジャケットと比べると何と地味なことか。フランスと北欧の違い、ラテンとゲルマンの気質の違いがわかりますね。オド・グリューナー・ヘッゲ指揮オスロ・フィルハーモニー管弦楽団のお国もの演奏です。グリーグが初演を聴いて激賞したというこのシンフォニーは25歳の若書きとは思えない立派な作品で、オスロ・フィルがまるでブラームスをやるウィーン・フィルのような思い入れで全身全霊をこめて演奏しているのがわかります。音響の面でも、この頃のフリップス録音のオケの音が僕は大好きで、ことにLPで聴く弦の温かみとぬくもりは滋味あふれるものがあります。これぞヨーロッパの手作りの名品の味わいであり、たぶんあまり売れなかったろうと思いますが極めて素晴らしいレコードです。中古レコード屋はこういう掘り出し物との出会いがあるのでたまりません。以上、心から堪能しましたが、お値段は3枚で1,500円でした。

 

パリーグを見よう

2013 JUN 2 1:01:32 am by 東 賢太郎

プロ野球交流戦ですが、今日ついにパリーグが1-6位を占める事態となりました。パの最下位よりセの首位は弱いという、一時のこととはいえ異例なことです。セの首位はなんと広島でこれも異例なことですが、その広島も昨日今日と福岡ドームでソフトバンクに2試合連続10点取られて大敗。今年は中日がおかしいし巨人も交流戦に入ってパタッと快音が止まりました。

先日、神宮でヤクルト・オリックス戦を見ましたが、試合前の守備練習でオリックスの外野手の前進バックホームなど送球がけっこうブレていてあれっと思いました。セのチームでああいうのはまずありません。ところが試合では送球は正確、逆にヤクルトは名手宮本のお手玉エラーという珍しいものまで出ました。結局バルディリスとイ・デホのホームランでオリックスの勝ち。特に体重130kgのイ・デホはド迫力。クローザー平野は高めのボール球を振らせて2三振。豪快でした。なにか野球のポリシーの差を感じた試合で、僕の好みでいえばオリックスの試合は全部見たくなりました。

セの球団は巨人戦のTV放映料が1試合1億円でドル箱だったのですが、地上波放送が激減したのと交流戦で巨人戦が減ったことで経営がひっ迫しています。ただでさえカネのない広島と横浜は選手層が薄くなり巨人の格好の「お客さん」と化すという、読売にとっては都合の良い結果になっています。だから、お客さんと対戦できない交流戦では巨人も沈むのです。広島など高い選手を取って勝っても入場料や放映料はたいして増えないので、安くとった選手を育ててFAで高く売ることに専念しています。それで黒字なのですからオーナー家はハッピーでしょうがファンは馬鹿にされたもんです。高額のスター軍団に平民チームが勝つ、めざしの土光さんではないがこれは日本人の心情をくすぐるところがあるのでカープファンは広島以外でも増えているそうです。うまい経営です。それにだまされている僕自身、あほらしいのでカープファンは辞めようかという気にもなります。

お門違いの人材派遣業を営む球団があるセリーグが弱くなるのは道理でしょう。

 

 

 

 

 

ザック・ジャパンのブルガリア戦

2013 MAY 31 17:17:24 pm by 東 賢太郎

サッカーです。昨日のブルガリア戦に負けていろいろ物議をかもしている様子ですね。ちょっと元気がないのか作戦の問題なのか。ザック監督が珍しくゲーム中に激高したとも聞いています。僕はプレー経験がないので3-4-3と4-2-3-1と何がそんなに違うのかぜんぜんわかりませんが、サッカーにおける監督の作戦の重みだけは何となくわかりました。

野球というのは監督の作戦自体の勝敗への影響度はもっと小さいように思います。投手交代の時期などは勝敗を決することもある重い判断ですが、投手の役割が重いからそれも重いのではないでしょうか。これは自分の経験として今日は朝からどうも体が重いなんていう日はもうほぼ確実に負けるのです。監督が打順をどうしようがヒットエンドランのサインをいつ出そうが、そういう投手を先発させた瞬間に負けです。投手の方は、そうはいっても競争がありますから、チームの勝利のために今日はライバルを先発させた方が得策ですよなどとは絶対に言いません。

野球はそもそも投手が相手27人を三振させれば監督はおろか野手ですらボールに触ることもなくゲームは終わってしまいます。サッカーでこんなワンマンショーの場面はPKしかないでしょう。野球は投手がPKを蹴り続けて、野手がこぼれ球をひろうゲームみたいなイメージです。逆に、投手が不調でホームランを4,5発も打たれれば、監督も野手もなすすべなくあっさりと敗戦を認めるしかありません。

きのうは試合後に長友がチームのふがいないプレーに怒っていたそうですね。負けた後、三塁手がチームメートに激怒なんていうシーンはあまり想像できません。負けの原因がはっきりしているからです。フォーメーションがワークしなかったなどという複雑なことはおこりません。投手と打者の対決。ここに大きな比重があるので投手が勝敗の8割を握ると言われます。監督も2割以下ということです。だから160kmを150球投げられる投手がいたらほぼ勝てるでしょう。ある意味とても単純でアメリカらしいゲームです。サッカーは面で趨勢を支配しながらゲームを動かすという点、囲碁にも似た深みのあるゲームと思いました。

 

 

 

ブラピのカミングアウト

2013 MAY 31 2:02:55 am by 東 賢太郎

ブラッド・ピットが雑誌のインタビューで「人の顔が覚えられない」と発言して話題になっています。それを相貌失認ということを初めて知りました。

僕も50歳をこえてから覚えが悪くなったし、映画の登場人物が覚えづらくてストーリーがわかりにくい、これも洋ものの場合けっこうありますね。外国人の顔はちょっとわかりにくいことがあります。顔写真の65%以上の名前を言えないと相貌失認と判定するそうです。

そもそも僕が一部の色の見分けがつかないのと何が違うのかなという気もします。「分からない」というのは「見えない」のでなく「判らない」、つまり区別がつかないということです。相貌失認も顔だということはわかっても区別がつかないという点は似ています。俳優にとってそれは相当ハンディでしょうからゴッホの色弱説と同じようなインパクトがあったのかもしれませんね。

こういうことをカミングアウトするのは勇気がいります。ピット氏は周囲との関係が悪化するデメリットを考慮しての決断だったようですね。僕の場合、そう相手に伝えないとグラフやチャートが正確に読めないので仕方なかったのですが。ただ、そうして会社人生30年、僕は色が判りませんとお伝えして実は私もですと言われたのは2回しかありません。男子の5%はそのはずなので、そんなはずはありません。やはりなかなか言いづらいのかなと思います。

しかし、今けっこうはまっている哲学の認識論というものを知ると、所詮我々の知覚や認識というものは絶対的なものではなく相対的な現象に過ぎないとされているのです。難しい話は省きますが、要は脳内現象なので人それぞれといったところです。赤い色といってもそれがどう赤いかはその人しか知りません。隣の人が同じように赤いと見ているかどうかは誰にも判りません。

物の本によると、鳥類やは虫類はより色の識別ができたのが、ほ乳類になり猿に進化して夜行性の生活になると必要のない能力は捨てられました。当初の猿は赤緑色盲だったそうです。そこに突然変異で赤と緑を識別できる種が現れると、樹上生活で緑の葉の中から赤い木の実を探すのが速い彼らが繁殖において優勢になりました。その結果、彼らが人間に進化するまでの長い間に原種である赤緑色盲種は人口の5%まで淘汰されてしまったわけです。

ただなぜ全滅しなかったかというと、二足歩行、火の利用で樹上から地上に生活の本拠を変えたからです。地上では赤い木の実を速くさがすことだけでは生殖機会において優位には立てなくなったということでしょう。足が速かったり狩猟能力があったり、別な領域でより地上生活に適応していれば生存が可能になったと思われます。

こういう事実を知れば、僕のような5%の人は原種の子孫、95%の人は突然変異種の子孫に過ぎないことがわかります。5%は異常でも珍種でもない。肌の色が違うのと同じく、単に人種が違うだけです。人間界は95%種がインフラ構築しましたから,赤い実探しのような5%種に不利な部分ができてしまっているということです。その逆風をはねのけて生きてきた能力にむしろ自信を持ちなさい。僕は色弱の子たちにそう言ってあげたいと思います。ブラピが世界的俳優になれたのもそれかもしれないよと。

 

 

 

大谷はピッチャー一本でいくべきである

2013 MAY 28 23:23:14 pm by 東 賢太郎

日本ハムの大物ルーキー大谷の二刀流についてです。TVでしか見たことがありませんが、投打とも図抜けているように思います。特に打の方は、あの清原が「高卒ルーキーで自分が抜かれるかもしれないと思ったのは彼だけだ」と言っているぐらい。素人目にもスイングが速い上に柔軟性があり、ホームランだけでなく打率も稼げそうなイメージです。オリックスの糸井も大学時代はピッチャーで150kmを出していたのを、プロ入りしてきっぱりと打者転向して成功しています(彼は体形がピッチャーではないですね)。

しかし、シロウトの独断と偏見で申しますが、大谷はピッチャー一本でやるべきです。理由は簡単。球が速いからです。先日の阪神戦でも何球かですが物凄いストレートがありました。今157km出せる人は1億2千万人いる日本人のうち、たぶん彼だけではないでしょうか。稀有の天賦の才なのです。だったらピッチャーやるしかないでしょう。いつやるの?今でしょ、です。ピッチャーの命はコントロールです。速いだけではダメ。打者の練習もしながらプロレベルのコントロールを習得するのは無理でしょう。だったら二刀流はありえません。

糸井に限らず投手から打者に転向というのはいくらも例がありますが、「バッターでダメだったからピッチャーでもやってみろや」というケースは草野球ですら皆無でしょう。ピッチャーは誰でも練習すればできるというポジションではないのです。日本一の球速をもっているのにあきらめさせたら宝物を潰すようなもんです。唯一の心配は性格です。ピッチャー向きかどうか。インタビューを聞くと、どうもやさしいいい子みたいです。あんまり唯我独尊の感じはしない。監督の栗山もいい人だし、ああいう人はピッチャーはできません。オレが投げなきゃ試合が始まんないだろ?ぐらいの人。中田あたりがインストラクターになったらいいかもしれませんね。

 

 

 

アメリカに勝った国

2013 MAY 27 21:21:35 pm by 東 賢太郎

 

ベトナムはアメリカと戦争して勝った唯一の国です。

 

oM11aYz7_P5RmqhUl6iRleuTHSXb5kf65AUg7X8qtmLHARLEi70Zyn7-lQTKA_0GeKxqLfTMrrsKRZN0lEkIl6FoVnrMue3pou6IpT4m0LHQc59BXauPYnKHhA71fuXiJP-3iCA73uWoDbMQDXjs9k0oZ0行くたびに不思議なのは、どうしてこんなに大人しくでやさしげな人たちがそんなことができたのかということです。女性はしっかり者でよく働きそうですが、男性はというと、駐車上のバイクを見張るだけの人、デパートのドアの開け閉めだけで一日を送る人もいる。しかしです。そうして働く彼らの表情があまりに自然で板についているので、別に彼らがなまけものというのではなく、こっちの世界観がおかしいのかなと一瞬思ってしまうほどです。これで食えるんだからいいじゃないか、キミはなんでそんなにあくせく働くの、人生もったいなくないの?ドアボーイの笑顔には、そう書いてある感じすらします。

僕の知っているアメリカ軍のイメージは、子供の頃に熱中して見ていた「コンバット」というTV映画のイメージです。同世代の多くの方はこのテーマ曲とナレーションをご記憶ではないでしょうか。

TBSが1962年から水曜日午後8時に放映していたようです。とすると僕は7歳から見ていたわけです。 強烈な刷り込みでした。ヴィック・モロー扮するサンダース軍曹が勇気があって男くさくて人情派で、僕ら男の子の憧れの的でしたね。戦場シーンもドキドキして大好きでした。ただ一つだけ不満があって、サンダースの部隊は下っ端まで名前がわかるのに、とても強い敵方のドイツ兵は将校でもわからない。同じ頃にやはり熱中していた伊賀の影丸は敵方忍者も全員わかるのにこれは不公平だ、片手落ちだと思っていました。

パックス・アメリカーナの米国映画では敵はみんなエイリアンです。無国籍で無個性。いや、そうでなくてはならない。インディアンはインド人でないとわかっても、ずっとインディアンなのです。正義とはなにかとハーバードのサンデルが問いかけようが何しようが、米国人の正義とは米国が強くて正しくて勝つこと。それだけです。ドイツのカール・シュミット伍長が実はめちゃくちゃいい奴で、瀕死の米兵のペンダントを彼の母親に送ってやったなんていう美談は絶対にあってはいけないのです。そうとは知らなかった僕は、ドイツ人というのはみんな仮面のように無表情で人殺ししか頭にない極悪人だと長いこと思いこんでいました。

そうではないと知る年齢になって、その反動でしょう、今度はこのアメリカ人の単細胞さ、強くてでっかいものが好きという能天気を心からバカにするようになっていました。のめりこんだクラシック音楽の世界でも、プロ・ドイツ、中欧の東大美学系大御所である大木正興氏らの影響を強く受け、米国の指揮者やオーケストラは軽薄浮標で奴らのやるベートーベンなど笑止であると長年思い込んでいました。その振れ過ぎた振り子が適度な位置に戻ったのはその米国に留学してからです。あの単純さは、ある意味希少な美徳でもあり、いざシンクロするととてつもない威力を発揮することを知ったのです。

その威力が武力、破壊力によって発揮され我が国は降伏を強いられましたが、シンクロを妨げる巧妙な戦略によって発揮されないままベトナムは米軍撤退という勝利を得ました。自然界では必ずしも「強くてでっかいもの」ばかりが生き残ってきたわけではありません。巨大な恐竜に食われ、その姿に脅えて生きていた哺乳類がいま地球を席巻しています。そう考えていると、ふと、ドアボーイの笑顔がちらつきました。

 

ベトナム戦争という歴史について思う

 

ねこと哲学

2013 MAY 26 19:19:37 pm by 東 賢太郎

今日は高島屋で寿司をつまみ、腹ごなしに自宅まで多摩川べりを散歩。久しぶりに例の場所へ行くと、冬場は行方不明だったねこ達が・・・。     写真 (10) このトラは少し若い。ベンチに腰かけ、さっき買った本(カントの「純粋理性批判」)を取り出しました。ねこと哲学書はなかなか似合う気がします。     写真 (5)30分ほどたって、一度草むらに消えたトラが再度現れました。似ているがどうもさっきのと違う感じもする。でも、こいつは何も考えていない(たぶん)。だんだんカントの哲学も、頭の中でのんびりしてきます。     写真 (4)ついにこの白黒が膝に乗ってきて、純粋理性批判は雲散霧消となりました。本当の癒し(いやし)というものの定義は、たぶんこういうものと言えば、カントもうなづいてくれるかもしれません。

 

(こちらへどうぞ)

  ネコと鏡とミステリー

 

 

 

若者の欲望が日本を救う

2013 MAY 26 14:14:12 pm by 東 賢太郎

フランスのTV番組でタコの知能研究をするナポリの研究所の実験を見た。透明なボックスにカニを入れる。それを取るにはノウハウがいる。それを知っている先輩タコがボックス内のカニをうまく食べる。それをガラスで仕切った隣の水槽から新米タコに見せる。さて新米がそのノウハウを学ぶかどうか?答えはイエスだ。タコの知能は高い。こういう結論になる。確かにそうだが、そこには重要な仮定が見落とされている。新米もカニを食べたいという欲望があることだ。あれはまずそうだ、オレは食いたくない。だから学ばない。それも立派な知能だ。

若者は欲望がある。少なくとも年寄よりは。今の大学生の車の保有率は我々世代の3分の1だ。おカネの問題だろうか。いや我々もなかった。これは単なる嗜好の変化なのだろうか・・・。人生観、結婚観や金銭感覚など、どうも欲望が減っている気がしてならない。こうやってシニアが「今の若者は・・・」と揶揄する図式は古代からある人類の困った性癖だが、そこに時代の変化を見る鍵があると思う。同じカニをうまそうだと思わないタコが出現しているとしたら大きな、ある意味で決定的な時代の断絶を感じる。

安倍政権の批判勢力は第3の矢に焦点を移している。成長戦略がないじゃないか!これはおかしい。それは民間のやることだ。役人が考えた事業でうまくいったものを僕は知らない。そもそもそういう才のある人は役所に就職しない。政府の仕事は民間を邪魔しないことだ。しかしそう思って規制を緩和しても、いくら金融緩和しても、民間に「欲望」がなくなると何も起きないのだ。

領土にしてもお金にしても、欲望のかたまりのような連中は世界にうようよいる。日本に入れたら鶏小屋にキツネだ。だから守らなくてはいけない。しかしTPPは米国との取引材料だ。仕方ない。えい!攻めの農業だ。世界に通用する人材の育成だ。これは役人でなくては到達することの及びもつかない独創的短絡思考である。海外を攻めたい農家や若者に必要なのは欲望だ。それがないから引きこもりになっているのだ。やる気のない子供に参考書をたくさん買い与えればハーバードでMBAをとるはずだと言っているようなものだ。欲望と国家政策というのは最も遠い存在である。

非常に皮肉なことに、我が国では奨学金を学生が卒業後に返済できない債務問題が発生している。大学を出れば出世払い、奨学金制度はそういう思想を背景に存立している。出世どころか東大を出ても就職すらできないこともあるのを認める日本で最後の人たちが文科省の役人だ。冷たいかもしれないが、学生はそう思わなくてはいけない。就職を世話してくれない大学や役所が悪いのではない。自分で必要とされる人にならなくてはいけないのだ。欲を出さなければ生きていけないということだ。

これを福祉・年金問題と混同してはいけない。お年寄りや被災者、病人、障がい者ら社会的弱者の生活を守る。これは国家として当然である。しかし学生が中学、高校、大学と来てその先には就職先が予定調和的に用意されていると考えていて、それがないと親や左翼が出てきて悪いのは社会だ、政治だとなるとことは同質的になる。株が上がっても一般人に恩恵はない、と言う政党がある。金持ちだってリスクを取って株を買わなければ恩恵はない。一般人とは誰のことか。弱者だろうか。一般というのは一般に大多数を意味するので、だとすると日本中が弱者だらけだ。だから税収が減って国家財政が赤字なのではないか。

子ども手当が良い政策かどうかはともかく、日本国が長年にわたって何らかの形で身を切ってその弱者を養ってきたことがマクロ的に間違いないことはGDPの2倍もの大赤字を見ればわかる。需要創出という名目であったとしてもだ。弱者党の言うとおりにすると弱者が多数派になり、金持ちに「私を養いなさい」と命令する国家が出来上がる。元気だが何もしない私をだ。そして役人もその私の一部になる。そんな国に住みたい金持ちはいないから海外に逃げる。財政は破綻して全員がもっと貧しくなり、国際的に二等国扱いの屈辱を受ける。これがギリシャの姿だ。

円安でも日本国債が売られないのは国内保有率が高いからばかりではない。日本人には日本人なりの欲望がある。それがドライバーとなって必ず復活して成長する。世界がそう思っているからだ。アベノミクスの第3の矢に期待しているお人よしの外人投資家を探すのは株でもうけた共産党員を探すより難しいだろう。若者の経済的欲望が減ったのは長年のデフレのせいだという意見がある。あの野村証券の営業マンですら、下げ相場しか知らない平成入社はお客さんに株を薦められないというぐらいだからそうかもしれない。だとするとデフレを退治するアベノミクスは大変正しいということになる。健全な欲望を持った若者を国は必要としている。日本を救うのは安倍さんでも自民党でもないのだ。

 

 

 

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊