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カラヤン最後のブラームス1番を聴く

2014 APR 22 13:13:53 pm by 東 賢太郎

1988年の10月6日、愛車ボルボでテムズ川の真ん中あたりにかかるウォータールー・ブリッジをいつも通りに渡る。ヴィヴィアン・リー、ロバート・テイラー主演の名画「哀愁」の舞台となったあの橋だ。橋げたの少し先を右折してパーキングに車を駐めると、辺りはもう真っ暗である。湿気を含んだ空気はもう冷んやりしている。ロンドンの冬は早くて長いのだ。

ロイヤル・フェスティバル・ホールの1階ロビーは夕刻8時の開演を待つ人の熱気と煙草のにおいでむんむんしていました。まだ1時間半もある。妻とK夫妻で地下のビュッフェの軽食をとることになりました。いつもの3ポンドぐらいのパスタ、ハンバーガーは、これが毎度毎度おそろしくまずいのですが、空腹だと音楽に入れないから仕方ない。30分も並びサーブを待たされ、あわてて食事をかきこんでコーヒーは熱くて飲めないので残し、息せきこんでホールへの階段を駆け上がる。「開演は1時間遅れます」のアナウンスでずっこけたのはそのあたりでした。カラヤンと団員は到着したが、別送していた楽器がパリでストライキにあって着いていない?そこから情報の進展はなく、延々と待たされるうちに疑心暗鬼になってきて、まさかキャンセルはないよねと真顔で心配するほど周囲はざわざわし始めました。

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大拍手に迎えられてオケが正装で入場し開演はアナウンス通り9時でした。しーんと静まり返った緊張のなか、腰を少し曲げてゆっくりゆっくりと帝王カラヤンが登場。拍手は最高潮になります。彼も疲れているだろうに大丈夫だろうか、心配の方が先にたってしまうほどカラヤンは老い、そして僕らは待ちくたびれていたのです。

しかし指揮台に立って堂々と喝采に答礼する姿はそれは杞憂だということを物語っていました。最初のシェーンベルグ「浄夜」。僕らの席は1階正面やや向かって右手で、コントラバスが正面にずらっと並んでいます。その音たるや楽器が普通より大きんじゃないかと錯覚するほどごうごうと強くて太く、その低音ががっちり支える弦楽器群のピラミッド状の音響たるや、もうロンドンのオケとも日本のオケとも別個の存在とでもいうべきものでした。

この日のプログラム

休憩をはさんでいよいよメインのブラームス交響曲第1番です。リハーサルなしだったせいか、出だしの強烈なティンパニの2発目が棒より一瞬速すぎて心臓が凍りましたがすぐ修正。しかし、これだけ気合いの入った怒涛の出だしというのも記憶になく、ハ音の重低音が物凄い音圧で腹に響きます。カルロス・クライバーのブラームスでもそう感じましたが、本気になったベルリン・フィルの音はとにかく音波の振幅がとてつもなく大きいのが特徴です。

ブラームス1番は僕の音楽人生にとって特別に重い意味のある曲ですが、カラヤンが指揮した生涯最後の1番がこれということになったという意味でも格別の思い出を残してくれることになりました。カラヤンの指揮姿は老人のものではなく、一切の振り違いや危なげすらもなく、翌年7月16日の彼の訃報をきいても実感がわかなかったほどです。

この日のブラームスはごつごつせず流麗に音楽の内包する摂理にのって流れる、磨き抜かれた美音とffの強烈な威力で形どられた生々流転のドラマでした。彼の音楽は日本では形だけの空虚な美のように評価されていましたが決してそうではなく重い実質を伴った音楽です。同じオケを振った先輩フルトヴェングラーの1番とは似ず、しかし先輩はカラヤンを強く嫉妬したのはその実質を生む実力を音楽家の嗅覚で見抜いたからと思います。

どこがどうということはなく、一流の演奏だけが持つ輝きとオーラを放って見事に全体の均整がとれた1番だったのです。ウィーン・フィルを振ってDeccaに録音した1番とコンセプトが違うということがなく、指揮台の彼は最後まで老いるということが許されなかった、ヘルベルト・フォン・カラヤンでなくてはいけなかったのだと思います。老成、大家然を拒むところに彼の芸術は存立していました。だから1番こそが彼にふさわしいものだったし、それがロンドンでの最後の姿を飾ったのは天の配剤だったのでしょう。鳴りやまないブラヴォーと拍手にはお疲れさまという気持ちがこもっていた気がします。

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この演奏がCDになって出ましたが、まさかと思ってジャケットを見てみると、やはりそのまさかが起きていました。このジャケット写真をよーくご覧ください。カラヤンの左手の高さ、彼の背中側後方の客席に日本人風の女性が映っています。左がK夫人、右が家内、そしてその右が僕であります。記念写真まで残ってしまいました。BBCに深謝です。

 

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(6)

 

 

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