はんなり、まったり、京都 (その3)
2013 APR 11 13:13:47 pm by 東 賢太郎
金曜日、「しげ森」さんのお茶屋遊びの後、仕事で遅れて参加された中村氏も加わり夜桜見物とあいなりました。あまりに綺麗なので3~4キロは歩いたでしょうか。写真は甘田さんのブログをご覧ください。翌日土曜日に合流された女性軍には大変申し訳なかったのですが、金曜日の桜は満開でしたがその夜中の風でかなり散ってしまいました。それでもしだれ桜はまだまだ大丈夫で、日曜日の朝食をいただいた妙心寺退蔵院では女性の皆様も全員が「そうだ京都、行こう」のテレビCMで有名なあのしだれ桜(上)、これが散りかけの直前の見事なすがたであり、一部の散ったばかりの花びらがじゅうたんのように敷き詰められているのを踏みしめながら庭を拝見するという一年でこの日だけのぜいたくを味わえました。やはり京の桜というのは古来日本の公家、寺社に愛でられてきた、それ自身が文化ともいうべき美と風格を持っています。一見の価値ありです。
さて一夜明けて土曜日です。台風並みの暴風雨という予報だった割には朝は小雨程度。男ばかりでしたので史跡を見ようということになり、まず坂本龍馬が暗殺された地、近江屋(右)をたずねました。この下手人が誰かは日本史最大のミステリーの一つです。生きていたら歴史を変えたかもしれない男の死に場所が今はコンビニというのもいかにも当世風というということでしょうか。
しかし、そんなものはかわいいものだというのがすぐわかりました。池田屋事件のあった池田屋跡(右)です。商魂たくましいというか、まあ地主様の勝手ですから仕方ないのですが・・・・。新撰組が尊攘派志士を襲い何十人もが命を落とした場所でもあるわけで、ここで襲われた(死にませんでしたが)者の末端の一族として申し上げさせていただくと、何とかならなかったのかなと思います。昭和初めまでは家屋が残っていたそうで、日本史の教科書に載っているほどの事件ですから外国であれば文化財として政府が保存し、説明書きを記した金属プレートなどを壁に貼っていたでしょう(ロンドンなどいくらでもあります)。歴史好きの外国人(結構います)には見ないでいただきたいと願うしかありません。司馬遼太郎は、「池田屋事件がなかったら薩長土肥主力の明治維新は永遠にこなかったであろう」と言っているくらいですからここは新政府にもう少し大事にされてもよかったのかなとも思いますし、昭和初期にはすでに明治は遠くなりにけりということだったのかとも思います。ともあれ、日本という国のなりわいはとても複雑なものだというのが僕の印象です。
阿曾 靖子
4/11/2013 | 4:05 PM Permalink
この度の京都お花見会では、プランをアレンジして密着同行していただいた梶浦さんを筆頭に、メンバーの皆様に本当にお世話になりました。 この場を借りて心から感謝申し上げます。 出生地、母、祖父母の故郷であり、家業、お稽古と自身の原点ともいうべき場所ですが 「灯台下暗し」のたとえのように、旅として訪れるとまた一層趣深いものがありますね。 命名していただいた「晴明神社」にもやっと行けて、感激でした。 又、写真のアップを試みますので、しばしお待ちください。
東 賢太郎
4/11/2013 | 4:18 PM Permalink
阿曽さんにもいろいろな知識を授けていただき感謝しております。