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胃カメラと色弱

2013 MAY 15 14:14:38 pm by 東 賢太郎

僕は頭痛と胃痛を知りません。いや、知らずにここまできました。周囲からは、うそでしょ、うらやましいねといわれます。うそなはずありません。かたや、図太いんですねと皮肉を込めていわれることもあります。自分を図太いと思ったことはありません。胃も頭もけっして丈夫なのではなく、単に鈍感なのだと思っています。

というのは理由があって僕は小2のときに何とか式の色覚検査表で最初のページしか読めず、たしかそういう子はクラスに2人しかいなくて、自分は頭が悪いんだと思い込んでいました。なぜ読めないかという理由がわかってからも、それ以来頭のどこかに、自分は他人とちがう、ちがっていて普通なんだという意識がしっかりと住みついてしまったような気がします。

これが原因でいじめられたり劣等感が焼きついてしまったりしなかったのはどうしてだかわかりませんが、とにかく幸運なことでした。もちろん58歳の今になっても検査表は最初のページしか読めないはずですが、だからといって人生なにか困ったかというと大きなことは思い当たりません。運転はできるし、絵や景色も少なくとも僕なりには充分きれいなのですから。

初めての道を覚えるのが苦手なのは色というマーカーの種類が少ないからかもしれません。でも2度目に迷わないのはたぶん他のマーカーを余計に気にしているからで、万事こうやって脳みそがうまく補正回路を作ってくれてきたのかなと思います。人間の体は良くできていますね。それから、いちど服やネクタイを選ぶとき「実は色がわからないんです」と堂々と言ってみてください。たぶん売り場の人は親身になって似合うものを探してくれます。自分で決めないというのは、気楽なこともあるんです。

結局、頭痛も胃痛も、僕にはわからない色みたいな感じに思ってきていて、そういう他人とちがうものを許容するようになっているのが「鈍感」の意味です。

ところがこのところ過労がたたったせいか、とうとう僕も胃が痛い?という異次元空間に迷い込むことになりました。?がつくのは、べつに痛くはないわけで、でも普通ではないわけでもあって、きっとこれを世の中では胃痛と呼んでいるんだろうと解釈した次第なのです。内科の医師にも正確にそう伝えたところ、不思議な顔をされました。う~ん、ちょっと調べた方がいいですね、という言葉があり、あろうことかそれだけはカンベンと思っていた胃カメラを飲みましょうということになってしまったのです。

痛くなったことがないのですから、そんなものを飲んだことも飲みたいと思ったこともありません。そう決まって血圧を測ったら普段上が100飛び台なのが160もあり、またまたびっくりです。いかに図太くないかということです。そして、きのうついにその日が来てしまいました。囚人の気分でした。鼻からだったのと看護婦さんがやさしかったおかげでなんとかカメラが胃に届いた感じがしました。「スクリーンをご覧ください」。医師の声にこわごわ目を開けると、そこには自分の胃の画像がドカンとありました。異(い)なるものとはこのことです。

「う~ん、痛々しいですねえ。普通白いんですけど赤いでしょう?」

「赤い?」

赤緑色弱の僕はだめな色なんです。人の顔色もわかりません。ところが、なんと確かに赤い。僕に赤く見えるということは、きっとすごく赤い。そう思ったので顔の方はいっきに青くなっていたでしょう。

「先生、これはやばいんでしょうか?」

「いえ、癌も潰瘍もありません。でも胃炎ですね。かなり荒れてます。薬を飲んで当分お酒はやめましょう。」

ということで騒動は一段落いたしました。いい経験でした。自分とは一番縁がないと信じていた病名を告げられたこと。そして、自分の胃を見たことがです。

自分の体内を見るというのは、自分も焼肉みたいな肉のかたまりというか、単なる物体なんだという厳粛な気分にしてくれます。自分のものなのにそうではない。意思によって胃袋は動きませんから。どこか神様か親のものみたいな気がしてきて、借り物なのだから大事にしなくてはという決意のようなものがうっすらと湧き起ってきたのです。

僕の場合、これまでの人生、マラソンというよりも短距離走のようなペースで走ってきました。頂上を目指せとか少しでも速く、先へ、遠くへという声が背後で聞こえていました。医師に「そういうトシということです。いつまでも20代のつもりじゃだめですよ」と諭され、そんな気は毛頭ないつもりだったのですが、そのあまりの鈍感にあきれかえった胃袋がウォーニングを出してくれたのかなということです。

友人にそれを話すと、

「欲を捨てる、体に無理をかけない、がんばらない、上を目ざさない、ストレスをためない、というのが鉄則だよ」

とのこと。しかしパブロフの犬とはこのことで、僕は「鉄則」などという言葉が耳に入るとそれだけで「がんばるモード」にギアが入ってしまいます。ストレスをためちゃいかん、そう考えただけでストレスがたまるのです。A型、完全主義の僕にこれは無理です。

そこで、大昔に、野球でたまたま完封したりゴルフで75を出したりしたときだけに感じたあの不思議と力の抜けた感じ、つまり「ポーッとして勝敗もスコアも何も考えてない」、これからの人生はあれがいいんじゃないかと思い至った次第です。勝とうとか、がんばろうとか、打たせないぞとか、このパットを入れたら云々、とか一切なし。「邪念を払う」と言ってしまえば簡単なのですが、野球もゴルフもそもそも勝とうと思ってやっているわけですから、その目的ごと「邪念」と切り捨ててしまうのは、実はとても難しいと思います。

仏教のいう色即是空というのはどういうことなんでしょうか。修行も積んでいない僕が知るのは言葉だけにすぎないのですが、「この世にあるすべてのものは因と縁によって存在しているだけで、その本質は空(実体がないもの)である」。これはとても深いことを言っているんじゃないか?これが「あの感じ」のことなんじゃないか?以前からどうもそんな気がしてなりません。打者の姿もグリーンのピンの位置も、ぜんぜん「空」になってしまっていたあの時に僕の人生ベストパフォーマンスが現れたというのは事実なので、どうも偶然の一致とは思えないのです。

色即是空の「色」というのは色彩ではなく「目に見えているもの」という意味だそうです。しかしその色彩すら不十分に見ている僕に見えているもの。それが本当は何であれ、結局のところ本質は一つしかない。空(くう)である。日本人男子の95%、白人男子の92%とは「ちがうもの」を見ている赤緑色弱とされる人たちにとって、そんなことでいじめられたり自信を無くしている多くの子供たちにとって、またその親御さんたちにとって、この言葉は深くかみしめるべきものかもしれません。本質を見ていればそのほうが仏様に近いのであって、本質はなにもないとわかっていれば恐れることはなにもないのです。僕が見た自分の胃、あれがなぜかちゃんと赤く見えたのはなにか因と縁がある。だから養生しようと、いま僕は思っています。

 

 

 

Categories:健康

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