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失われた20年とは何だったか(奪った者編・2)

2013 SEP 11 2:02:50 am by 東 賢太郎

西室兄はデフレに言及している。重要な論点である。

日本株の代表的株価指数であるTOPIXはデフレ期の2003年に770で底値を打っている。昨年の話だが、株がどこまで下がるかをこう判断した。2003年はそこから10年デフレが続くことになる年だった。10年後の今からまた10年連続デフレが続く確率は低いとみて「2003年を暗闇のピーク」と見る。そこから10年のデフレによる通貨価値の増大は約10%だった。だから現時点では770÷1.1=700が「暗闇ピーク相当」の株価だ。それを下回ったら強気で思い切り買おう。しかし、昨年、一番下がった時でも ぎりぎりの710ぐらいで止まってしまい、結局、年末からアベノミクスで急騰してとらぬ狸になってしまったのだが・・・。

この理屈には、「10年前の770=今の700」という前提がある。変に思わないだろうか?10年前に借りた770万円を今返すと700万円でいいということだ。カネを貸したあなたはこれを認めるだろうか?10年のデフレによる通貨価値の増大は約10%だったというのがポイントだ。これはGDPデフレーターでわかる。お金はモノの価値を計るモノサシだ。あるモノの長さをセルロイドのモノサシで計ったら7.7cmあったとする。猛暑でセルロイドが伸びてしまい、モノサシの長さが1.1倍になった。その伸びたモノサシで計ると、7.7cmのモノ(こっちは伸びてない)は何cmになっているだろうか? もちろん7cmだ。「通貨価値の増大は約10%だった」=「モノサシが10%伸びた」なのだ。

デフレはモノの値段が下がる「物価現象」だと理解している人が多い。それでも間違いではないが、その理解は人生において何か有益な判断を下す役にはあまり立たないだろう。デフレをモノサシの伸びと理解することは「金融現象」として理解することに他ならない。伸びの反対は縮みであり、それがインフレである。そう考えることで「負の金利」ということが理解できるようになる。それは銀行のパンフレットにはない。アリスの国では知らぬが現実世界では仮想のものだ。しかし算数的には厳然とあるのであり、それをあるとして思考すると便利なのは、昔に習った複素数(虚数、2乗するとマイナスになる数)をあると仮定するとある種の問題が解けて便利なのとよく似ている。

借金というのは契約書上の金額だ。インフレでもデフレでも増えも減りもしない。770は10年前の847に相当する。だから770返せば、当初に77も余計に借りていたことになる。こういうことを調節するために金利というものがある。上記の例が10%のインフレだったら、10年後に契約書上の金額は1.1倍に相当する。だから埋め合わせで77金利をあげる。逆にデフレだと70も返しすぎになる。だから同じ理屈で70金利を差っ引く。これが「負の金利」である。ところが現実社会はどうだ。 金利は正の値だと万人が思っている。あなたがどんなに善人でも「デフレだったから700返せばいいよ、70は負の金利ということでね」とは言わないだろう。銀行は絶対に言わない。770返せと言う。ゼロ金利だ。ゼロより小さい数字はないんだから感謝しろと恩まできせられる。

これは数学的に間違っている経済行為だ。やればやるほど、つまりデフレが長引けば長引くほど、経済合理性のない、したがって国民経済的にまったく生産性のない富の再分配を引き起こしてしまう。そしてその間違いが全国津々浦々で20年も半ば強制的に繰り返されると、人は感覚的にどうもおかしい、収奪されていると気がついて誰も借金をしなくなる。会社は資本に借入というテコをかけなくなる。借入しない(できない)国が20年も資本主義をやってこられただけで不思議である。それで国家ごと借金ずくめの米国と戦うなど笑止であったのだ。

ところがもっと悲惨なことに、借金を控えることはバブル時代に盛大に借金してしまっていた人にとってはもはや許される選択肢ではなかった。宴が終わってから気がついてももう遅かった。その時点で給料もボーナスも減っていただろう。彼らの中にはバブル紳士も不動産王もいかがわしい連中も大勢いただろう。あなたや官僚諸氏がそういう輩の出現を好ましいと思うかどうか、そういう主観的なことは経済政策や金融政策のかじ取りには関係ない。大事な事実は、マクロ経済学的にこの人々はリスクテーカーで消費性向の高い、つまり経済行動が米国人や中国人に近い、いわば経済のドライバーになる人たちであることだ。それを20年もの長きにわたって借金地獄に封じ込め、半ば抹殺してしまった。逆にデフレでも給料が減らない人は、国民が理屈で理解していない「負の金利」の恩恵をフルに享受し、収入に比してモノの値段がどんどん下がるデフレのうまみを満喫できた。公務員がその代表であるのは論を待たない。

企業セクターでは何がおきたか。会社はデフレだと売上げが増えにくくなる。100億の予算で99億売上げでも、モノサシ効果を勘案すればほぼ達成なのだが、インフレしか知らない経営者は数字をそう読むのに目が慣れていない。営業、企画系は総じて出世競争上不利である。かたや仕事の辞書に失敗という文字がない内務官僚系が、ガバナンスやコンプライアンスの強化など米国が押し付けてきたに等しい新潮流に乗って権力を握ったケースが多いという声を各社でよく聞く。彼らはブレーキを踏むのが得意な人たちである。1000ccの軽自動車にベンツの新型ブレーキを装備したような会社がたくさん誕生した。そんな会社の株を買う人は誰もいないのである。

つまり、全国津々浦々にわたって、公務員と内務官僚系社員という、リスク回避的で消費性向を低めるばかりを得意技とする人たちに富と権力を再配分したのが、20年もデフレを放置した者たちが犯した国賊と呼ぶのもやぶさかではない大罪だったと僕は考えている。資本主義は停止していた。その間に米国にボロボロにやられ、収奪されたのは何も証券業界だけではない。国ごとだった。社会党政権になるなど政治の迷走があったことは看過できないが、何よりその責を負うべきは、デフレ対策の要である金融政策を専管事項と自ら謳う日銀であるのは当然である。デフレは「金融現象」だと書いたことを思い出していただきたい。それを退治できるのは金融の総元締めである中央銀行をおいてない。

「ゼロ金利政策」などというものは聞こえだけはいいが、要は「770返せ」ということにすぎない。そんなものが何の意味もないことは読者にはもはや自明であろう。実質的に返済700でいい、つまりモノサシを戻すための「マイナス金利対応政策」=「国債、債券、株式などの資産買入れによる通貨供給」というタイムリーな、マーケットインパクトのある政策が必須だったのである。それをいやいや小出しに行って効果を見事に減殺したあげく、必要な手は全部打ったなどと逃げ口上を吐く。国富を無駄に使いましたと言っているに過ぎないことが弁解になっていると思っている日銀総裁などというのは国益の観点から史上最低の存在であり、すべての結果責任を負わせるべきであった。いずれ、山川の日本史の教科書には史上最低の総理大臣とお似合いのペアであったという記述がなされ、そのような歴史の評価が形成されることは間違いないだろう。

プラザ合意による円高とBISで日本のバブルを潰したアメリカは、90年代にリスクテーカーで消費性向の高い人たちが経済を引っ張り、2000年までの10年でニューヨークダウは4倍になった。同じ10年に日経ダウは半分になった。投資も消費も控えめな草食系が牛耳っている国の株価など上がるはずはないのである。株価は企業価値の集大成であり、経済力、国力、資金調達力のバロメーターであることは既述の通りだ。株式交換で世界中のエネルギーでも軍事物資でも企業ごと買収してガバナンスを握ることができる。株は戦略物資なのである。我が国のように憲法上の正規軍すら有しない国家において、その国力のよりどころである経済成長に翳りをきたしめ、国家予算の何%を防衛費に充てるかはともかくその原資すらを心もとなくせしめるような金融政策を日銀が独立性などを盾に一人相撲で採用するようなことは、国防上の観点ひとつからもきわめて疑問であったのである。

安倍首相が真っ先に日銀総裁の首をすげ替え、デフレを止めることを政策のプライオリティとしたことは、国策としてきわめて正しい。アベノミクスの経済面での成果は今後の展開を待たねばならないが、20年もはびこってしまった国民のデフレマインドを根底から反転せしめるには少々時間を要するようには思う。マインドというのは理屈でも実体でもなくあくまで群衆の心理であり、政府が一元的に左右できるものではない。しかしそこで東京オリンピック招致に成功したというのは彼に運がある。リーダーに強運は必須である。この経済効果の予想数値はまだ知らないが小さくはないだろう。少なくともそれが2020年まで続くという心理効果は非常にポジティブなものと考える。

最後に、金融現象ではなく物価現象の側面からデフレ傾向に拍車をかけたものに言及しておく。2001年の中国のWTO加盟による安価な労働コストの輸出である。これに関するブログは以下のものを書いた。

中国ビッグバン仮説                                             ラーメン・パリティ                                                                                                                  銀座が赤坂になる日

中国が日本から「奪った者」であることは間違いない。しかし奪われた国は日本ばかりではない。全世界である。世界の富の争奪戦を自由に行うことは資本主義の大前提であり、それに勝ったということはWTO加盟という中国の国策が正しかったということに過ぎない。既述のように、勝てない方の国策がおかしかったのである。こういう無能無策な政権と日銀総裁が権力を握っている最中に中国が出現してしまったことは我が国にとって不幸ではあった。しかし、英国は米国に、米国は日本に同様に奪われてきたのが歴史であるが、英米とも経済的にも文化的にもそのことが原因で国家が衰退などしてはいない。中国の貿易国としての出現は新たな交易条件のパラダイム形成と捉えるべきであって、被害者意識などの感情を持ち込むべきではない。

 

失われた20年とは何だったか(前途万里編・1)

 

Categories:______世相に思う, 徒然に, 若者に教えたいこと

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