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英霊の眠る地

2013 JUN 20 22:22:37 pm by 東 賢太郎

大臣との朝食は元駐日大使のカシオ・E・ミダさんも同席されました。天皇陛下に4回も謁見されたことを誇りにしておられ、帰国されて今はミクロネシア・レジストレーション・アドバイザーズ(MRA)社のシニア・エグゼクティブをされています。日本語は話されませんが風貌は完全にわが同胞で、ミダという名前は三田だそうです。11万人の人口の約40%が日系人なので政府要職にも多く、大統領のモリさんも森さんです。こういう国は大事にしたいものです。

午後は社会保険局へ行き、労働保険、健康保険につき説明を受けました。外国に会社を作ると現地の制度を学ばなくてはならず大変です。銀行(Bank of Guam)にも寄って口座開設の準備をしました。法務省登記官のサマリ・スタさんにもお世話になりました。スタは須田ではないですかと聞きましたがもうわからないとのこと。この国の人同志は現地語(ポンペイ語)で会話しますが、米国信託統治が長く、教育費援助は米国がしているためほとんどの人が英語をしゃべります。

言葉といえば、ミクロネシア連邦は600余の島からなる広大な海洋国家で、海域は米国とほぼ同じ、日本の約半分です。チューク、ヤップ、ポンペイ(ポナペ)、コスラエの4つの大きな島に人口のほとんどが住んでいます。ここは日本と似ていますが、各島でまったく違う言語を話しているのは意外です(北海道と九州で言葉が通じないなんて信じられますか)。日本からの飛行時間はこの地図をご覧ください。首都はポンペイ(ポナペ)です。ヤップ島は巨大な石のお金で有名ですね。

MicronesiaMapチューク島というのは聞きなれませんが、第2次大戦では「トラック諸島」と呼ばれていた島といえばお分かりになる方も多いでしょう。日米の激戦地でした。山本五十六連合艦隊司令長官はラバウルを飛び立ってブーゲンビル島上空で米軍機の銃撃により戦死されましたが、遺骨はこのトラック諸島に一旦運ばれて、その後内地に帰還する戦艦「武蔵」によって日本本土に運ばれたのです。ちなみにラバウルは現在英領パプアニューギニアにあるニューブリテン島の都市で大日本帝国海軍基地のあったところ。トラック諸島の南方約1500kmに位置しています。

big_mapいまベストセラーの「永遠のゼロ」をお読みになった方は多いと思います。僕はこれを読んで涙が止まらず、もっと当時を知りたくなってゼロ戦の勇士、撃墜王坂井三郎さんの「大空のサムライ」を読みました。日本人でこれを読んで胸が熱くならない方はいないのではないでしょうか。戦争が良い悪いという問題ではなく、日本人であることの魂のもつ崇高さには感動するしかありません。この本は我が国では軍記物として扱われ広く知られているとは思えませんが、彼が死闘を繰り広げ、彼に64機も撃墜されたアメリカでは著名でサカイの勇気は賞賛されているのです。

いま僕のいるこの海域がまさにその舞台だったわけです。この熱帯のジャングルを行軍した陸軍兵士の気持ちもわかるようになりました。トラック諸島の日本軍はほぼ全滅でしたが一部生き残った兵士の一人が森元首相のお父様で、島民に助けられたご恩ということで首相は何度もミクロネシアを訪問しておられます。靖国神社への政治家の参拝に文句がつけられますが、米国大統領がアーリントン墓地へ行くのと何が違うのか理解できません。国が自国を守った英霊を祭るのは古今東西当たり前のことであります。僕は鹿児島の知覧に息子を連れて行きました。こういうことがけしからんなら、それは国をやめろ、国家を捨てろと言われるに等しいでしょう。主権国家がそんなことを他国に言われる筋合いなど世界のどこにも存在しないのです。

 

(こちらへどうぞ)

ベトナム戦争という歴史について思う

 

 

 

 

 

 

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