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モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466

2014 JAN 16 11:11:41 am by 東 賢太郎

この曲はピアノ協奏曲のみならずモーツァルトの全作品中でも屈指の名作といって誰も異論はないでしょう。

第1楽章アレグロは冒頭から彼になにか尋常でないものが訪れていたことを感じます。平静な気分で聴けません。これは魔笛の「夜の女王のアリア」を思わせます。リズムは1幕、ニ短調の激情は2幕のほうです。ニ短調といえばドン・ジョバンニ、レクイエムの調で、何かを強く訴えかける音楽に使っている調です。それでいて長調で静かになる部分、冬の冷たい空気に輝く雪の結晶のように清明な音楽は胸につきささるほど美しく悲しい。

そしてピアノが入る前の6小節の弦のつぶやき!対位法で書かれた無駄のない音符にため息をつくばかりです。バッハのそれと違って半音階でふらふら動く中声部つまり第2ヴァイオリンとヴィオラがあちこちでぶつかって、古典派の範疇を突き抜けた、もうロマン派の世界を手探りせんとする音があちこちにこだましています。モーツァルトの耳が既成の音にあきたらず、それをぶち壊しにかかってる瞬間なのです。

第2楽章は変ロ長調で「ロマンツェ」とあります。他の26曲の中間楽章はアンダンテ、ラルゲットなどの速度表示のみでこの表題は特異です。ピアノのモノローグで始まる天国的に美しいメロディー。それは夢であり束の間の安楽です。複合3部形式ですが、中間部は突然短調のフォルテでとなり、第1,3楽章と同じ暗い激情が訪れてロマンスとは程遠い情景になるからです。

この強烈なコントラストは他に思いつく曲もなく、僕は何度聴いても大変異様に思います。愛を語り合っていた恋人が突然ビンタを食らわせて烈火のように怒りだしたという風情であって、バスの半音階低下は地獄へ引き込まれるようなドン・ジョバンニの世界を予見します。冷静に書けば協奏曲にかつてないドラマが持ち込まれた注目すべき楽章ということになりましょうが、僕はこれを子供のころ聞かなくて良かった、聞いたらうなされたとほっとします。

第3楽章ロンド(アレグロ・アッサイ)は交響曲第40番の終楽章を用意しています。この楽章はさらに異様で恐ろしい。ここもピアノから入りますがオケに引き継がれてすぐ変奏が始まります。そこからして驚く。そして再度ピアノが出るすぐ前、弦のオクターヴのユニゾンから旋律が半音階的に「ずり上がっていく」。それが次はバスが「ずり下がっていく」。この有様は何ともいえず、怖い。クラシックびより<モーツァルトは怖い>をご参照ください。

僕はこの20番を40年も聴いていますが、怖いと思いだしたのは齢50の峠を超えてからです。それまでは解説書に書いてある通りの、単に悲痛な曲として聴いていました。それは、いかにも残念なことに、この楽章が長調になって終わるので感情が中和されてしまっていたからかもしれません。モーツァルトはロマン派の領域に片足を踏みいれながら、まだ既成概念に躊躇していたかのように思われます。それを完全に吹き飛ばした曲こそ、ピアノ協奏曲第24番なのです。これについては改めてその稿で書きます。

カデンツァについてひとこと。

20番はベートーベン、ブラームス、クララ・シューマン、フンメル、ブゾーニらが愛奏し、カデンツァを残しています。作曲者本人のカデンツァは残っておらず、もちろん即興されたのです。中でもベートーベンの第1楽章のそれは曲の鬼神がのり移ったようで、それに彼がどう感応したかがわかって興味深い。モーツァルトを突き動かして20番を書かせた何ものかは、ベートーベンの中に入るともっと普遍性を得て聴こえますが、最後の方に2度繰り返される、バスが「悪魔の音程」増4度の降下をするE♭、A、Dmの和声連結などは原曲の怖さの根源をベートーベンも見ていたことを僕の精神にストレートに訴えかけてきます。

(補遺、2月27日) 20番の和声の斬新さについて

第1楽章の第62小節、オーケストラをピアノ譜にしたのが譜例aです。青枠の部分、ここに至る8分音符の動きとバスがg から半音ずつ下がる終止はベートーベンの第九交響曲終楽章の入り(譜例b)の着想につながったかもしれません。

(譜例a)モーツァルト ピアノ協奏曲第20番第1楽章

pc20

(譜例b) ベートーベン交響曲第9番第4楽章冒頭

daiku注目すべきは赤枠部分で、ソプラノのgが半音上がるのにつれてテナーのdがeに上ってb♭、e、d、g#という和音(B♭7のアルト f を半音下げたもの)になるわけですが、これが鳴る瞬間に、僕はストラヴィンスキーの「火の鳥」が聞こえるのです。

(譜例3) ストラヴィンスキーバレエ音楽「火の鳥」より「火の鳥の嘆願」冒頭

firebird

譜例3の最後の小節の最初の和音、e、g#、d、(f#)、b♭はモーツァルトが書いた和音と同じです。赤枠部分、dをeに上げずf で代用してB7のコードにしてもここは収まるし、凡庸な作曲家であればそうなったでしょう。そこにB♭7(-5)という斬新な響きを書いたモーツァルトの耳!彼の和声感覚も斬新でした。

 

マルタ・アルゲリッチの素晴らしいライブ映像があったので全曲お聴きください。この曲はモーツァルトの中では比較的彼女に向いているように思われます。

 

以下、僕の好きな演奏を挙げます。この曲をただのきれいごとで演奏するピアニスト、指揮者が多く、僕には信じられません。音楽を作るというのはまずその音楽に心から感応するということであって、あのカデンツァを書いたベートーベンのようでなくてはいけません。そうであればただ上手に音符をなぞったようなものになるはずもなく、表面的に美音でかためて隙がないだけの現代風モーツァルトというのは下記のような演奏の前では僕は聴く意味も時間も見出すことは困難です。

 

イヴォンヌ・ルフェビュール / ウイルヘルム・フルトヴェングラー / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

51WV1LxLtmL._SL500_AA300_ルフェビュールは「クープランの墓」の稿をご参考下さい。インスピレーションに富むピアノ演奏ですが、何といっても聞き物はフルトヴェングラーの指揮です。この半年後に彼は世を去りました。地獄の底から湧きあがるような暗くて深みのある音。彼のドン・ジョバンニに通じるものがあってこの曲の「怖い」ところを見通しています。そうやって音楽を高みから感知した時の彼は本当に素晴らしい。

 

内田光子 / ジェフリー・テイト / イギリス室内管弦楽団

内田20番86年にロンドンで買って以来愛聴している演奏です。オケもピアノも暗めの音で快楽主義のモーツァルトとは一線画した禁欲的なもの。そのころ出たソナタ集が大変すばらしく内田は欧州を席巻したのを覚えています。最も難しいモーツァルトで満場をうならせたのだから誰も文句をつけようがなかった。日本人でフィリップスというメジャーレーベルのモーツァルト録音枠を独占したというのは、サッカーならセリエA・ACミランで背番号10を取った本田 圭佑なみの快挙。彼女は大英帝国勲章第2ランクを授与されていて、これはポール・マッカートニーと同じランクである。これが中国や韓国なら国民的スターだが日本ではそうはならないのは成熟した国の余裕なんでしょうか。

 

クララ・ハスキル / イーゴル・マルケヴィッチ / コンセール・ラムルー管弦楽団

ハスキル僕はハスキルの20番は世評ほど買っていません。彼女のモーツァルトで最高にいいもののひとつはやはり20番をフリッチャイと録音したDG盤にあるピアノ・ソナタ2番K.280ですが、こういう感性で20番を弾いても感銘はいまひとつなのです。このフィリップス盤は一にも二にもマルケヴィッチの指揮の凄味で挙げています。暗くて底知れぬ闇のような弦の音色、ティンパニの強打。彼が20番に見たものに強く共感します。24番と組み合わせているのもむべなるかなです。

 

ルドルフ・ゼルキン / ジョージ・セル / コロンビア交響楽団

413CNWNq4BL._SL500_AA300_この曲には暗く燃える情念をクリスタルのように透明に浮き彫りにするというアプローチがあって、それを端的に表した名演です。といっても、ひたすら磨き上げた美音で弾く現代のスタンダードとゼルキンは次元がまったく違い、セルの見事なオーケストラ(実体はクリ―ブランドO)と精妙にからみあって交響曲のような有機性のある立体的な音楽になっています。2人は芸風こそ違いますが育った音楽的土壌は共通していて、セルはカサドシュとモーツァルトP協を録音しましたが20番はモノだけでステレオ録音はゼルキンとやりました。第3楽章のタッチは特に印象的。晩年のアバド盤はオケともども普通の演奏に落ちています。

 

アルテュール・スホーンデルヴィルト / クリストフォリ・アンサンブル

026(1)大変衝撃的な演奏です。スホーンデルヴィルトは1782年製アントン・ヴァルターのレプリカによるフォルテピアノを弾いており、音色はチェンバロに近い。オケは各パート1奏者という耳慣れぬバランスで実に面白い。クラシックびより<モーツァルトは怖い>に譜例を挙げた部分における下降部分の不気味な木管、ホルンの短2度の衝突などの「おどろおどろしさ」は尋常でなく、スコアの本質をえぐり出しています。これを聴けば僕が何をいいたいかすぐお分かりいただけると思います。

 

エリック・ハイドシェック / アンドレ・ヴァンデルノート / パリ音楽院管弦楽団

ハイドシェック最高のポエジー。機械的に弾き飛ばすことのなくライブのように変幻自在のニュアンス。楽譜をかなり自由に読んでいて、あまり恣意的なものは僕は好みませんが、この演奏はそれが曲想にマッチしていてちっともいやでないのです。楽譜を頭で理解していくら高度な技術で再現したところで、音楽に深く共感して感じ切っていないとこういうピアノは絶対に弾けません。抜群に素晴らしい。これは77年にLPで買って以来長く愛聴してきたものです。オケの音のフランス風の明るさ、軽さもハイドシェックのピアノとよく合っています。

 

(補遺、2月27日)

アルトゥール・ルービンシュタイン / アルフレッド・ウォーレンスタイン / RCAビクター交響楽団

ルービンシュタインをモーツァルト弾きと思っている人はいないだろう。しかしこのピアノは、”もの凄く” うまい。正確とかなめらかとか粒がそろっているとか、そんな端下なレベルではない。すべての音が自在に、神の手にかかったように自在に軽々と、練習しましたという苦労の跡形など微塵もなく、しかも想像し得る最も美しい姿を纏って紡ぎ出される様は、人間のしていることとしてそのプロセスを眺めるだけでも感嘆を禁じ得ないという性質のものである。ピアノだけでオーケストラのように音楽が鳴るというのは驚くしかない。artは技術という意味だが、これは真正のartだ。ウォーレンスタインの第1楽章のテンポがまた誠に良いのであって、これぞベストだ。僕は20番の奇跡のような譜面を見るといつも科学者みたいな眼で眺めてしまう癖を免れないが、この演奏はオケもピアノも不思議な温かみがあって、どっちもうまいのだがメカニックな技術臭が皆無であり右脳優位で聴くことができるという稀有のものだ。

 

アニー・フィッシャー / エルヴィン・ルカーチ / ブダペスト交響楽団

599181410112865年録音だが音は生々しい。そして、オケはへただがピアノは圧倒的に素晴らしい。この人の独墺ものはがっちりしたフレームがあるわりに音価の取り方など一様でなく、けっしてマニアックに細部を磨く流儀ではない。ライブ録音ではミスタッチも散見されそういうことにこだわりもなさそうだ。しかし深めのタッチの「発音の良さ」「言い切った口調」が独特で、あいまいに弾き飛ばすフレーズがないのは小気味良く、この20番も(ベートーベンのようでもあるが)それが活きているのだ。まあ江戸っ子のモーツァルトという感じだ。あのクレンペラーともやりあうストレートな物言いだったそうで、そのまんまのピアノだ。お写真の眼を見る限り猫科とお見受けできる(猫好きだったかどうかはともかく)。ピアノに座った時以外はタバコをくわえていたそうでもあり、やはり猫科の僕はそういう女性には(悪い意味ではなく)太刀打ちできない。クレンペラーがどうだったか興味深いところだが、僕はひとたまりもない。

 

クリフォード・カーゾン / ベンジャミン・ブリテン / イギリス室内管弦楽団

412EF70CJEL作曲家ブリテンの指揮。やや遅めのテンポでセンチメンタルにならない節度を保ちながらも弦の表情にささやかな憂いがあり、カーゾンのピアノも非常にデリケートだ。アニー・フィッシャー盤と名を伏せて比べたら男女を逆という答えも出るだろうか。第2楽章、単音の旋律に左手はバスしか書いていないモノローグが管弦楽と対話する部分の柔らかなフレージングはアドリブも交えた名人芸だ。ピアニストの芸術性は技術的に難しくないこういう所にこそ出てしまう。

 

スティーヴン・ルービン / ロンドン・モーツァルト・プレーヤーズ

85年ぐらいにロンドンのピカデリーサーカスにあったタワーレコードで買って以来ずっと愛聴しているCD。1785年ウィーンのA.ワルター製のフォルテピアノの複製と古楽器オーケストラによる演奏だ。いまだに、どの古楽器による録音より優れたものと確信する。モーツァルト自身が弾いたらこんなものだったろうかと想像がふくらむのは上記の第2楽章モノローグで、フォルテピアノだとここは即興が入って当然という趣になる。ト短調の f は現代のコンサートグランドだとピアノが勝って唐突感が出てしまうが、本来はそうではなく木管の響きが意味を持つことがわかる。ロンドの怖いところ、オケの表情がいい。これは干物のようなかさかさの音を聞かせる博物館の土産物みたいなCDではなく、アートとして高い価値のある演奏だ。一聴をお薦めしたい(廃盤だがi-tunesで買える)。

 

ユーリ・エゴロフ /  ウォルフガング・サヴァリッシュ /  フィルハーモニア管弦楽団

5099920653125エゴロフはドビッシー前奏曲の稿に書いた通りのタッチで20番を奏でている。あのデリカシーの極致のようなppはモーツァルトにも生きるということをここで我々は学ぶ。ベートーベンのカデンツァの美音も格別で、ソナタが聴きたかったなあと思う。エイズの病魔にかかり34歳で夭折して録音が少ないのが痛恨で、右の7枚組は宝物のような価値がある。この瑞々しい若さが熟成したらどんな音楽が生まれただろうと思わざるを得ない。サヴァリッシュもやや荒っぽくなりがちなPOをうまく鳴らしてベートーベンに比肩する立派な伴奏をつけている。17番も名演。i-tunesにある。

 

ロベール・カサドシュ / ジョージ・セル / コロンビア管弦楽団

これが上記ゼルキン盤に記したカサドシュとのモノラル盤。こちらはオーケストラがより筋肉質で終楽章は何かにとりつかれたように快速でソロは即興的だ。非ロマン主義的であるが、シンプルに古典的と評するには特異でカサドシュの個性が光る。第2楽章中間部は急速で嵐のようだがそれが止んで静やかな冒頭主題に戻る安堵は格別。僕はこれを買うが評価は分かれるだろう。新盤がセルの代表盤となったのはカデンツァは自作である(と思われる)ことと終楽章に1か所ミスタッチがあるからと推察する。

 

 

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Categories:______モーツァルト, クラシック音楽

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