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記憶法と性格の関係

2014 FEB 11 0:00:20 am by 東 賢太郎

記憶の仕方というのはいろいろあるということを先日知った。お借りした本に下線(アンダーライン)がたくさん引いてあったからだ。こういうタイプの記憶法を「下線型」と呼びたい。マーカーが売れるのは下線型が多いからなのだろう。

僕は本に線を引くことはない。汚すのが好きでないしマーカーは色がわからない。だいいち、もう一度読むことはあまりないから引く意味がない。本は内容を理解すればいいと思っているので文言は忘れても気にしない。

暗記モノはページごと「情景」で覚えるので線はむしろ邪魔だ。「信長の写真があるページ」と絵で覚えていて、年号はそのメモリー画像から読み取るというイメージだ。こういうのをピクチャー型と呼ぶ。

今も同じで、僕の部屋は家内が見ればメチャクチャだろうが、教科書と同じであの小説は右側の「本の山」の3合目ぐらいなどと情景で覚えているから、整頓して見た目をきれいにしても得るところはあまりない。逆に、外出中に片づけられるとわからなくなってしまう。

子供のころ、父は僕のだらしない部屋を見るたびに「これがお前の頭の中だ!これで勉強なんかできるか!」だった。たしかにそうだが、頭の中に「野球の器」と「音楽の器」が別々にあって、共存してなんともないといういい点もあった。

「野村證券みたいな会社でよく音楽を覚えましたね」とある人にご意見を承ったが高校時代の延長だ。今でも本はカントから「のせ猫」までジャンルを問わず、5~10冊は同時に読んでいる。頭の中で「哲学」と「猫」の仕分けがない。同じページにカントと猫の写真があるにすぎない。

本は本棚に服はタンスに!と下線を引いて覚えると、洋服が本棚にある場合は見つけられないのではないか。ピクチャー型にとっては「見たものが真実」だ。タンスに本があれば脳のスマホがそれを撮影してしまう。あとで本が見つかればいいので、何をどこにというルールは不要となる。

どっちがいいということもない。ただ、お互いにそういう生き方が長年積み重なってくると、整理整頓型の人は「ボルドーの赤は肉料理」というような「下線つきのすり込み」「ウンチク」がワンサとたまるだろう。

一方、あるがまま見たままのピクチャー型はあまりすり込みをしない人生を歩んでいるからボルドーにギョーザでもおいしければいいとなる。記憶法ひとつで人間は性格がずいぶん変わるという可能性があるのではないだろうか。

 

朝きこえてる音楽の謎

クラシック徒然草-音の記憶という不思議-

Categories:______自分とは, 自分について

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