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卒業 そして   『あいつのこと』 

2014 MAR 14 2:02:03 am by 東 賢太郎

卒業といっても遠い昔の話だし、どうもあまり目ぼしい記憶がない。入学の方はというと、さあここであれをやるぞという期待感があって比較的覚えているが。終わったことには一向に頓着がない性格のせいかもしれない。

そもそも自習独学タイプなので、学校に学業面でお世話になったという実感があまりない。要は勉強しなかっただけでこっちのせいだが。だから、別に左翼ではないが、仰げば尊しを歌ってもそれでという感じだ。特に目立つ子でもなかったしクラブはもう終わっていたし特に好きな女の子がいたわけでもなし。大学だけは一夜漬けタイプの僕には最後の数単位が体力的にけっこう地獄となり、2日連続徹夜などで冷や汗をかいて切り抜けた。だからやれやれという感銘はあったが。

しいていえば千代田区立一ツ橋中学校の卒業式はなんとなく友達と別れるのが寂しかった。だから帽子のバッジを交換したりしたような気がするが、よく覚えていない。入学時はまだ身長155cmぐらいのガキだったのがそのころは今と同じ171cmでひげも生えてたからクラスメートは一緒に育った兄弟みたいなもんだった。クラブは野球がなかったからやってなかったし、クラスの子とよく遊んでいたせいもある。

その中で面白い奴がひとりいた。何をやっても結構うまくて、一人コントの天才で、いろんな意味でライバルでなんでもかんでも競争相手で、それでいて一番気が合ってお互い認めていて、授業中は2人で冗談を言いまくって笑いをかみ殺して一緒に苦しんでた奴だ。丸山鉄男といって、こいつは早稲田の高等学院に行った。こっちは野球に走ってしまって浪人もして会う時間もなくて、やっと大学生になっておいまた遊ぼうぜなんて誰かを通じていってたら、伊豆の下田でサーフィンやってて死んでしまった。

これのショックは文字でどうしても書けない。とにかく人前で何もはばからずに思いっきり泣いた。こいつがいたから、中学は楽しかった。ひょっとして証券界なんかに来ていたら、ディールの奪い合いして負けて、東ざま~みろ、なんてやってたのが目に浮かぶ。何になっていようが、東賢太郎の一生ずっとの、人生最大のライバルだったことは疑う余地もない。こんな男にあの齢で会えて、なんて幸運だったんだろう。

丸山のお父さんが結婚式に来てくださって、スピーチに立たれて「鉄男が美術の時間に造った東君の像です」といって高々と掲げられた。お前そんなの造ってたのかよ。よく見ると細長い顔の粘土の立像だ、うん、たしかにおれにちがいない。「これは息子のお気に入りで、『希望』という題だといつも自慢していたんです」と大きな声で締めくくられ、新郎席まで来て渡して下さった。ざわざわしていた会場がひとときシーンと静まって、それから大拍手にかわった。あとで先輩があんなジーンときた結婚式は初めてだといった。

中学を卒業したあの日が最後の日になったけれど、あの時そんなことどこの誰が考えたもんか。だからなんにも覚えていないし、最後とも思っていない。そんな才はないからあいつの立像は作らなかったけれど、顔も姿も声もすぐそこにいるみたいにありありと覚えている。でも、いつも詰襟の学生服を着て、ふさふさの黒髪にぴかぴかの15歳の顔つきで出てくるのがちょっとにくたらしい。

 

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