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米国放浪記(8)

2014 SEP 2 7:07:20 am by 東 賢太郎

 

思い出のサンフランシスコ

大変な目にあった翌日、8月20日。シスコは今日で最後になるので南北飯店でチャーハンを食べて元気をつけ、ユニオンスクエアを歩き、ケーブルカーに乗り、そしてあまりに景色がいいのでついに金門橋を徒歩で渡ってしまった。本当に若い。3人とも時間を忘れている。髪はぼさぼさ、薄汚れたジーパン、派手なTシャツ、畳のサンダル、カウボーイハットに濃いサングラスのいでたちである。僕らがどこの誰か構う者はいない。この旅はそういう日常のいっさいがっさいをぶち壊してくれるものだった。殻を脱ぎ捨てると別なことができる。

ロサンゼルスに南下する道を僕らは海岸線に沿った1号線と決めた。かなり大回りにはなるが、景色のほうを選んだのだ。運転の僕はあまり見る間がなかったが、たしかに海沿いは抜群にきれいだった。H の歓声が上がる。豪邸が静かに並んでいる。映画のシーンみたいだ。金持ちというのは万国共通で高台か水の見える場所を選ぶ。ここはその両方がある。昼時に港町モンタレーについた。有名なゴルフ場のペブルビーチが近い。別荘地と見え不動産屋が多いのは東京でいえば川奈みたいなロケーションだからだろう。当時ゴルフに興味がない僕らはここのフィッシャーマンズワーフを見物してカキを食べた。生ものなんて久しぶりだ。これは美味だった。

撃墜王になる

景色はいくら良くてもだんだん飽きてくる。運転は荒っぽくなり、海岸線沿いのくねくね道にもかかわらず結局また例の抜きっこに興じることになった。フォードは自分の戦闘機みたいに自在に操れるようになっていて「7機撃墜」とある。曲線で30-40kmは軽く速度オーバーの抜きっこだから大変に危ない。思えばこの旅行でハイウェイパトロールは2,3回しか見ていない。つかまらなかったのは運が良かっただけだろう。時効なのでこうして白状するが、若い人は絶対にまねしないでいただきたい。暗くなってきてさすがに運転に危険を感じた。昨日の疲れが出た。H にハンドルをまかせてしばらく熟睡した。ポテトチップス、ポップコーン、オレンジジュースが散らばって後部座席はゴミの山だった。

ロスに戻る

前回やっかいになったいつでも空室がありそうな3番街のジェリーズ モーテルが満杯だった。空室アリはネオンサインで vacancy と出ている。それが No vacancy とあったのだ。仕方なく別のを探した。最初に書き忘れたが、日本からロスに着いた翌日にアナハイムのディズニーランドへ行っている。珍しくて面白くて2日も遊びほけている。この5年後の留学中に家内とフロリダのディズニーワールドも行ってやはり数日遊んでいる。東京のは行ってないがだから勝手はわかる。大人も楽しめる遊園地。すばらしい。でもやはりあの感動は子供の特権みたいなものがある。子供として本場で遊べたのは幸いだった。アメリカ体験の原型となったのはマックとディズニーランドだ。それなりに王道だった。

翌21日はハリウッドへ行きプールで泳いだりした。映画などそっちのけでゼゼという日本メシ屋に行った。久々の納豆に感激したのは日本食原理主義の I だ。もちろん僕も H もうれしかったが、値段の割にあんまりうまいという味ではなかった。うまいと懐かしいとはぜんぜん違う。これならA1のステーキの方がいいなと僕はすっかりアメリカンになっていた。東海岸に留学したり海外に16年も住むことになろうとはその時点では夢にも思わなかったが、アメリカに住んでも平気だなと思ったのは覚えている。食いものだけの話だが。

ロスはたった一度来ただけなのに家に帰ってきたという感覚になるのは妙なものだ。急に安心してしまったが、ここでもコンサートと野球に懲りずにこだわった。チケットを買いたいがどこで買うかわからない。結局、翌22日にハリウッドボウルとドジャースタジアムへそれぞれ行って買えた。まだそれまで日にちがある。それなら最後にサンディエゴへ行ってこようということになる。ロスからはさらに南下だ。どうしてということもないが米国海軍第7艦隊基地、パロマ山天文台を見てサファリパークへ行ってみようということになった。その2日をまたディズニーランドでとならなかったのはちょっとオトナだ。

南国サンディエゴ

サンディエゴはロスの南方200km弱にあり、30kmも行けばメキシコとの国境である。ここは文化的にはほぼメキシコだ。素晴らしいビーチがあり青い海がまぶしい。しかし、僕が書けるのは23日にミッションベイパークで泳いだことと、白い砂浜でビーチボールでサッカーをして I が名技を見せたことぐらいだ。艦隊を見た記憶はうっすらとしかない。というのは疲れていて日記の記述がぐっと減っているからだ。こうなると37年の歳月の壁が立ちはだかる。22日には「モーテルもレストランもない」とあり「正装して49ドルのディナーをした」とある。3人まとめて20ドルの宿泊をしていた僕らには痛かった。食べたかったわけではない。それしか選択肢がなかったということのようだ。水色のスーツが最後の役目を果たした。「飲んだワインはピノット・ノイア」とある。ピノ・ノワールのことだろう。ワイン名を書いたつもりだがこれが品種名だということなどもちろん知らない。ワイン名は書いたがホテル名はない。

24日はメキシコ風の朝食を食べエスコンディドからパロマ山へ登り標高1700mの有名なパロマ山天文台まで行った。 当時は世界最大である口径5m反射望遠鏡 を有していた。天文少年には大感激だったはずだが、どうしたことかそれほど記憶がない。疲れていたのだろうか。記述がないと何も書けない。悲しいことだ。山からの復路で ライオン サファリ パークへ寄った。ここはライオン好きゆえにそこそこ覚えている。車でそのまま入る。シマウマ模様のジープがたくさんいる。馬が交尾を始めてしまい I が自慢のビデオカメラで撮った。帰国後の上映会でフィルムの半分はそれだったことが判明した。ロング ビーチのインペリアル400モーテルに宿をとり、パンナムにフライト・リコンファームの電話を入れた。

いよいよこの時が来た。長いようであっという間だった旅がそろそろ終わりに近づいていた。

 

(続きはこちら)

米国放浪記(9)

 

 

 

 

 

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