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プレゼンの極意はベートーベンにある

2015 JAN 12 2:02:41 am by 東 賢太郎

先週は海外へのプレゼンテーションで会社の説明資料を作っていて、僕は英語を読むのは好きでもないが書くのはいいなと思った。別にうまいわけではなくネイティヴには変なものを書いているに違いないが、それでもこうして日本語を書くよりも心地がいい。

何かを「正確に」伝えようとすると日本語は長くなる。くどい。法律を読んでみればわかるが、挿入文があると実にわかりにくい。そういうのを複文というが英語だと文中の単語を別途説明する文を入れるルールがあって、例えば関係代名詞がそれだが、慣れればすいすいと頭に入ってくる(青字部分がまさにそれだ)。

現代国語という科目があって下線の「それ」は何をさすかなんていう設問ができるのは、元来日本語が複文のような入れ子構造に向いていなくてわかりにくいせいだと思う。誰でもわかるなら入試問題の用をなさない。法律のような説明的文章を正確に読み書きするには必要な能力だから役人、法律家を作る官立大学用のものだったろう。

僕は外国語は英語しかわからないが、西洋語は文の構造が説明に向いていて複雑な物事を文中で明確に定義しながら隅々まで誤解なく浮き彫りにできると思う。だからややこしいコンテンツを先週書きながら、ちょっと切れる包丁を手にいれた板前の気分を想像した。

こういう所で爽快感を味わうというのはなかなか説明がしづらい。言語、特に文法は思考回路そのものだから使う人間の思考に影響する。そういう言葉を長く使っていれば、そういう人になってしまうという感じがする。長い間英語でビジネスしてきた僕の脳みそがそういう切れ味を「おいしい」と感じるようになってしまっている可能性は大いにある。

英語といっても僕には仕事に使う道具にすぎない。だから映画に出てくる軽い会話とか奥さんの井戸端会議みたいなのはよくわからない。英語はペラペラでしょうと時におだてられても、僕はそのペラペラの語感に近いやつが一番苦手だから困惑するばかりだ。英語が代表選手の西洋語とは僕にとって何かと問われれば、「ロジック言語」だ。

英語で株をオックス・ブリッジ卒の人たちに電話ですすめる。これは即興プレゼンだ。これをロンドンで6年間毎日やった影響は大きい。英語で何か説明文を作るのは楽しい域にある。「知っている語彙を、適確な語感で、正しいロジック(文法)で並べてプラモデルを作っている感じ」が最も近い。composeという語感そのものだ。できた文章が良い英語かどうかは知らない。でもほぼ正確に意図が通じることだけは自信がある。ロジック言語はそれでお役御免だ。

意図が通じる正確さ、これは段階がある。ドイツ時代の部下で「わかりました」というときに必ず「ゲナウ(Genau)」のKさん(女性)と必ず「シュティムト!(stimmt!)」のB君がいた。僕は彼を「ヘル・シュティムト」と呼んでいた。stimmen(これが原形だ)はいろんな意味に分化しているが根っこの意味は聞こえてきた何かと何かが「ぴったり合う」である。「あんたの言ったこと、俺の頭にぴたっとハマったぜ」ということだ。

ゲナウもドンピシャという意味で、「あんたの投げた球、ド真ん中!」と言ってもらっている。気持ちはいいがだいぶストライクゾーンが広めであるのが僕としては気に食わない。stimmt!にはかなわない。こっちはど真ん中じゃなくキャッチャーが構えた外角低めぎりぎりに速球がパーンと決まってハイタッチする感じだ。僕はシュティムト君が気に入った。

ある時、週末に行きたいところがあって彼に地図を描いてもらったことがある。そのとおり行ってみると実に正確である。思わずこっちもstimmt!が口から出た。それ以来僕は新人の面接試験で駅までの行き方を地図に描かせることにした。株式みたいな形の見えないものを高学歴のインテリ投資家に売るのはそういうことにアバウトな頭の構造の人は無理だ。だから適性がよくわかった。

地図作成は空間認識力がいるが、抽象的な言語を適宜配置してロジック回路で構文化して説明文を書くのも似ている。頭に浮かんでいる空間(景色や道順)を口(言語)で言えなければ地図という記号化された図面は書けない。そしてそれは、頭に浮かんでいる音を口(音階)で歌えなければ譜面という記号化された図面を書けない作曲とも似ているだろう。思えば作文も作曲もどちらも英語はcompositionだ。

ドイツ人の入社面接に限った話だが、女性の描いた地図はわかりにくいのがあった。さすがに丸文字や♡マークは出てこないがよくわからない。トヨタの5年後の利益成長性の要因分析をコンサイスに言語化するのは困難だろうという判断をせざるを得なかった。ちなみに彼女は同学年の7%しかいない大卒だったから超高学歴だ。このことはバッハやベートーベンの国でも大作曲家に女性がいないことと関係があるのだろうか。

説明文というのは散文や詩ではない。意味不明のぼわっとした言葉や必要ないことは書かない。だから必要十分なコンテンツを極限まで切り詰めるべきである。つまり短い方が絶対にいい。B to Bのプレゼンはそれだ。聞く方はプロで忙しい。早く終えたい。冗長なプレゼンはコンサイスな文章を書く能力のない事をプレゼンするようなものである。少なくとも金融では、そういう人から物は買わない傾向が強い。

銀行の人というのは真面目なのか何なのか知らないが100頁もあるプレゼンを作ったりする。資料が厚くないと負けると思ってるらしい。プレゼンは相手にstimmt!を言わせないとテーブルにも乗らない。買うかどうかの吟味はそこからだ。ある時、ワン・オン・ワン(訪問対面式)のプレゼンなのに途中で目の前のお客さんが舟をこぎ始めた。坊主のお経に居眠りする檀家の図だ。しゃべる方は100頁を国会答弁みたいに読むのに一生懸命で顔もあげないことを知った練達の技だった。

stimmt!はやっぱりいい。これの名詞形がStimmeで「声」という意味になる。魔笛でタミーノが Was höre ich, Paminens Stimme? (いま聞こえたのはパミーナの声か?)というあれ、バッハの『目覚めよと、われらに呼ばわる物見らの声』は Wachet auf, ruft uns die Stimme だ。つまり、stimmenの本来の意味は「音が聞こえて来て自分の内部で意味を形成して共鳴する」ということで、楽器の調律が「合う」という意味もあるし、市民の声という転意からvote(投票)になったりもする。

ところで、いまパソコンで書きながらベートーベンのピアノソナタを流しているが、この音楽はその模範答案、理想形だとつくづく思う。コンサイスで、無駄が皆無で、言いたいことが高密度でギュッと詰まっている。小さいけど固く質量があって運動エネルギーは巨大になるゴルフボールみたいだ。これに比べるとマーラーは運動会の「たまころがし」のボヨボヨの球に見える。100頁のプレゼン資料みたいに物量だけで中身はスカスカなものは僕の理性は万事拒否してしまう。

ベートーベンの曲はプレゼンの王様だ。第5交響曲をきいてホールからぞろぞろ出てくる人たちはみんな元気な顔になってる。「みなさん、辛い日は誰だってある。でも信じることです。明るい未来だって誰にも来るのです!」というベートーベンのプレゼンに全員がstimmt!している。驚くべきことだ。こんな凄いものを書いたから、だからベートーベンは人類史に格別の地位で聳え立っている。

stimmen 、Stimme、composition、こういう言葉の本来の根っこの語感がピタッとくるようになるとベートーベンはすっとわかる。彼の音楽のemotion(情緒)に訴求する側面にかたよった解釈は完全な間違いだ。それは巧みな政治演説がメッセージは希薄にもかかわらず大衆を扇動できるのに似る。感情に直結する仕掛けや盛り上げで聴き手を鼓舞するのはプレゼンではない、単なる娯楽である。ベートーベンをそういう演奏で知っている人は最晩年の作品の意味を聴きとれないだろう。

僕は時々彼のピアノソナタ32曲を通して全部きく。たかがCD10枚だ。そうすると知の巨人のメッセージが心にずっしり堆積して何かマグマのように内面を突き動かしてくれる。こんな精神的衝動を生んでくれるものは他に一切ない。他人に行動を促すのがプレゼンとするなら、それは百万分の一でいいからこういうものを秘めていなくてはならない。音楽演奏もプレゼンである。こういう状態で内面から溢れ出たものに忠実にやってこそ、ベートーベンの音楽になると思う。

分量膨大、内容スカスカ、メッセージ希薄の娯楽は聴衆のstimmt!を誘発しない。快楽追求型の「ベートーベン・ヒット・パレード」みたいな7番、9番演奏を何万回聞いてもベートーベンは何もわからない。彼の音楽の本質的部分を占める「西洋言語的特性」は快楽とは何の関係もない。僕が言っている「プレゼンの極意」も快楽とは何の関係もない。もしそれを体感したければドイツ語のstimmenという動詞を研究して深く知ることを一つの方法としておすすめする。

愛すべき部下だったシュティムト君に感謝したい。

(こちらへどうぞ)

ポミエのベートーベン ピアノ・ソナタ全集

 

 

 

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