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東大で人気の経済学講義

2015 FEB 23 12:12:54 pm by 東 賢太郎

(1)リスク分散ではゲームに勝てない

講義そのものをきいたわけではないが、東大の伊藤先生の経済学が学生に人気だそうで、まあそれだけではないだろうが、インフレで資産を減らさない方法は資産分散だと教えているらしい。それに関していえば当たり前の話で、どの米国の投資初心者本にも書いてあるので大学で教えるほどのものとも思わないが、正しいことは正しい。

しかしちょっと気になることがある。「減らさない」とは「増やす」ことではない。増やすにはリスクテークが必須であり、先生はそうしろと教えているのだろうか。資産分散は野球なら「守備を固めろ」ということだが、1点も取れなければ勝てないのは自明のことだ。

「いやそんなことは言ってない、銀行で利子がつくだろう。それが得点1だ。」ということか。しかしその利子は現在ほぼゼロであり、仮にインフレになってもそんなには上がらない。ちなみにピケティも同じことを言っていて、資本家だけが銀行利子よりもっといい利回りを得ていると主張している(それがr>gの意味だ)。

「いやそんなことは言ってない、分散すれば株や金だって資産に入るのだ」ということか。ではどの株を買うんだろう?トヨタなのかアップルなのかロシア株なのか?

学生の皆さん、そんなことは学者に聞いても誰もわからない。「そこから先はバクチだ」という答えが返ってくるのが落ちだ。上がるか下がるか?それは神のみぞ知るだ。だからこそ分散が大事なんだといっているんじゃないだろうか。

(2)ウォートン・スクールではそれをどう教えるか?

そうならば米国の教授法と決定的に違う。ウォートンのMBAコースには「Security analysis」という、学問とは言わないがれっきとした学科がある。証券分析論とでもいうもので僕も履修してみた。要するに「トヨタなのかアップルなのかロシア株なのか?」を業界動向や財務諸表等から分析・予測する授業だ。自分で株価予想モデルを作ってコンピューター上に実際の株価で仮想ポートフォリオを運用し、学期中に学生同士でパフォーマンス競争するというものだった。

ここで伊藤先生の「分散理論」が登場する。ポートフォリオ(複数の株が入った資産)は自分の収益モデルから選ばれた銘柄が30-50入っている。それは自分が「儲かる」と思っている資産なのだが、個別の銘柄は個々に上がり下がりするからそのブレが固まって不測の方向に行って不測の結果をまねく(要は大損する)リスクを緩和したい。だから銘柄数を多くして「分散」するのだ。

つまり、分散はまず「儲けたい」が先に厳然とあるのであって、それの安全弁(セーフティネット)として存在する。この理屈を頭に叩き込まれている僕には、「儲ける方法」(Security analysis)を教えないでディフェンスだけ教える東京大学経済学部や、キミらはどうせ儲けられないから格差社会は税金で解消しようと教えるパリ経済大学はとても不思議な、なんか世捨て人のような存在である。

(3)Security analysisを勉強すると株で儲けられるようになるか?

当時ウォートンでこれを教えていたメンデルスゾーン教授はたしかソロモンかモルガンスタンレーの役員だったが、実業でそれを実践しているプロフェッショナルでもあった。絵に描いた餅の学問だけやる人ではない。しかし本当にそれで確実に儲かるなら彼は大学教授も証券会社も辞めて自分でヘッジファンドを作って自分のために運用し、その儲け方は絶対に他人には教えないだろう(皆がやると利益率が落ちる)。

彼が学校で教えていること自体が、そんなうまい方法は世の中にないという証拠でもある。それは株式運用する人間の基礎学問であり、プロで知らない人はいないというだけであって、メジャーリーガーが子供にキャッチボールを教えてくれたみたいなものだ。プロ野球をやりたいならそれが正確にできないといけないよ、そんなものだ。それができたからといって名選手になるとは限らない。

(4)じゃあSecurity analysisなんて学んでも意味ないんじゃない?

そうではない。キャッチボールできない人が野球のグラウンドに立つのは生命の危険がある。Security analysisも知らずに株式投資をするというのは、それこそ単なるバクチになってしまってやはり危険なのだ。だから必要最低限の心得として教育しておこうという授業である。

キャッチボールは平等に教える。そこから先は自分でチャレンジし練習しなさい、そこでついた差は仕方ないよ、キミの自己責任だからね、恨みっこなしだよ、ということだ。これが「機会均等」の考え方である。

お金持ちになる機会は均等、平等にする。誰もが成功するわけでないことは最初から皆が分かっている。そこで同時に、「失敗しても被害甚大にならない方法」=「セーフティネット」の作り方も教える。それがポートフォリオの「分散理論」なのだ。

この考えの背景には、人は誰でもそれなりの資産を持って楽しい人生を送りたいよね?という保守的で自由主義的な思想がある。ハートは左翼のフランスのインテリも「財布は右翼だけどね」というジョークがある。つまり、さっきの喩えでいえば「誰だってグラウンドで野球したいよね?」っていうことだ。

(5)セーフティネットだけこだわる日本

「リスク分散だけしなさい」というのはおかしい。別に金持ちになりたくはないが一応ある程度の資産を持ってしまった人向けのメッセージに聞こえる。野球選手などなりたくないが、仕方なく野球場に来てしまった人だ(なぜなら株も持たないと「資産分散」にはならない)。

そこで東大はキャッチボールは教えずに、客席に飛んできたファウルボールのよけ方だけ教える。最初から野球選手ではなく観客になりなさいと誘導するようなものだ。ピケティは野球なんて体のでかい奴しかできないから不公平だ、奴らの年棒を下げて入場料も安くしようじゃないかという。

なんか変じゃないだろうか?

この「攻め」は教えずに「守り」を教えるメンタリティというのはリスクテーカーを軽視する思考回路が支配している感じだ。日本ではこの回路の持ち主なのに仕事で運用しなくてはいけない「野球選手」になってしまった不幸な人たちが競って国債を買っている。郵貯、銀行、保険、年金でその例外を探すのは気が遠くなるほど無理だろう。国債では2%ですら回すのはまったく困難だ。でも彼らは野球なんてできないしやる気もないのだから、怪我しないこと、それだけが目的みたいになってしまう。

ところが良く考えてほしい。JGB(日本の国債)ばかり資産の7割も8割も持つというのは、投資理論では最もリスクの高い投資方法のお手本のようなもので、まさしく伊藤先生が「やめなさい」といっていることであることはここまで読んだ皆さまはもうお気づきであろう。怪我したくないからいちばん安全な国債で運用してますといいながら、実はいちばん怪我しやすいことを気がつかずにやっている。申し訳ないが、おりているのに役満に振り込むへぼ麻雀みたいだ。

前回のブログに書いた元部下のT君は灘高で学年2番で数学オリンピックへ出て東大は理科1類だったが、卒業してすぐゴールドマンサックス証券に入社した。税金で学ばせておいて外資にトップの人材を取られてしまう。優秀な子ほど、いま僕がここに書いていることを見抜いているのである。

なんか変じゃないだろうか?

 

(6)日本の野球場のバックネットはでっかい

ちなみに本当に日本の野球場のバックネットはでかいのをご存じだろうか。メジャーの球場、ヤンキースタジアムやリグリーフィールドへ行ってまずびっくりするのがバックネットが小さくて、ほんの申しわけ程度みたいなのしかないことだ。ファウル・チップだけは危ないからそれだけ防ぐようになっている。それ以外は自分でよく見てね、当たったら君が悪いんだよということだ。

このバックネットなるものが字義通りセーフティネットそのものだ。日本はこれがでっかい。その上、「ファウルボールには十分ご注意ください」とアナウンスがあり係員が飛んできて誰も球に当たってないのに「お怪我はありませんか?」ときいてくれる。ご注意も何も、野球観戦というのはボールのゆくえを見るものなんでそれを怠って弁当を食ったり後ろ向きで踊っている人の心配までしなくていいだろう。

しかし、この姿勢こそが、バックネットの経費や係員の雇用を正当化してくれるのだ。学者はインフレになったら資産は20-30%も減りますよ「十分にご注意ください」とおどかしてバックネットを大きくする。インフレになれば株は上がるんだからどうやったら安全に儲かるか研究しようとは絶対に言わないだろう。株なんかと馬鹿にしている人にその話をするのは東大地震研究所にナマズの研究でもしませんかともちかけるようなものだし、自分の居場所でない所に国民の目が行っても何の取り分もないからだ。

そうこうしているうち、観衆はネットがでかいのが当たり前と思うようになる。これが今の日本を象徴する。危ないファウルボールは飛んでこない。国が何とかしてくれる。口を開けて待っていればお金が降ってくる。優秀な官僚とえらいセンセイが考えてくれる。国民はスポイルされ、寄らば大樹のたかり体質になり、ついに、「頑張らない人」が大量生産される。しかしそういう有権者を政治家は無視できなくなるから、バックネットをでっかくする側ににとっては安全、安泰なリスク分散になるのである。

(7)「頑張らない人も報われる社会」は国をつぶす

僕は「みんな野球をやりましょう、楽しいよ、そうすればカンも良くなるから大丈夫、観戦に邪魔なネットは小さくしようね」と言いたい人間だ。機会均等にして皆が株式投資を勉強すればいい。まず自分で「頑張る」こと。セーフティネットも自分で学んで作る(可能だ)。そうすると、「頑張らない人」とは長期戦で資産に差ができるはずだ。

現に今がまさにそうだ。株なんか自分は関係ないと言っている人は、申し訳ないがこの2年で7千円から1万8千円と2倍半になったのに自分にはちっともいいことがなかったと文句を言っても仕方ない。政府は「株を上げますよ」と異例の株高警報まで発したのだから、それに乗れなかったといってアベノミクスを批判するのもおかしい。

買いたかったがその余裕資産1万円すらなかったという人はセーフティネットが必要な人かもしれない。一概にはいえないがその人はきっと税金で保護が必要な人でもあるのではないか。意志はあっても機会がない、それこそが格差であるからだ。機会があるのに自分の意志で無視した人にセーフティネットは不要だし、提供すべきでもない。

「頑張らない人も報われる社会」をつくりますというのは、税金を使って頑張る人のやる気を削ぎましょうという行為そのものであり、百害あって一利ない。ギリシャ人は税金を払う人は馬鹿だと思っているらしい、とんでもない国だといわれている。違う。そんなことを言う方がとんでもないのである。

それは公務員の職が何かのお礼にもらえたり、世襲であったり、また、お金で買えたりすることを国民が知っているからであって、その公務員が国に何人いるのか4年前に数えたのが建国以来初めてだったという政府にお金を払うのはどぶに捨てるようなもんだと知っているからだ。きわめて合理的な判断なのである。

「社会的弱者」と「自分の意志で頑張らない人」とは全く異なる人たちであり、頑張らなくてもいいですよ、どうして2番じゃダメなんですか、ゆとり教育で行きましょう、などといって頑張らない人が増えると自分の居場所もできるという政治家や政策にだまされると、結局はだれも居場所がなくなるのである。

(8)教育の機会均等こそが金科玉条である

ピケティを読んで、ひとつだけなるほどと思うのは、資本家の代々の資産継承が教育の機会均等を損なうのは問題としていることだ。これはその通りである。ウォートン・スクールでMBAを取るにはたぶん1500~2000万円は必要だろう。機会均等を謳いつつも米国ではSecurity analysisを誰でも学べるわけではない。

それを知っていても必ず儲かるわけでないと書いたが、知らないと損するリスクが高いのは事実だ。分散を知らないと危ないことと通じる。長いこと投資をすれば差は歴然とついてしまうのだ。株のキャピタルゲインはロスした人からの利益移転だから、知らない人つまり比較的貧しい人からリッチな人がお金を吸い上げる構図になる。これは格差を広げるだろう。

それゆえ、投資リテラシーを向上させる教育は大切なのだ。証券詐欺にひっかかる人もそれで減るだろう。東大でだけ教えるなど言語道断で、それこそピケティの指摘する格差を助長する行為である。僕は大学ではなく、誰でも無差別に閲覧できるネット教育が良いと思っている。もちろん限りなくコストは低くしないといけないだろう。それは民間だけではなく国のリーダーシップがあった方が効果が高いと思う。

 

 

頑張った人が報われる社会

 

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