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ベートーベン 「ピアノ、ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲ハ長調」作品56

2015 APR 21 7:07:36 am by 東 賢太郎

 

  1.  ワルトシュタイン・ソナタ
  2.   ピアノ・ソナタ第22番
  3.   交響曲第3番「英雄」
  4.  三重協奏曲
  5.  熱情ソナタ
  6.  ピアノ協奏曲第4番
  7.  ラズモフスキー・カルテット1~3番
  8.  交響曲第4番
  9.  ヴァイオリン協奏曲

 

ベートーベンの作品番号53から61までを順番に並べるとこうなります。これを野球の打線に見立てましょう。1番ワルトシュタイン、長打力もそなえた俊足です。2番のPS・22番、これいいですね。小柄で小技のきくチャンスメーカーです。3番と5番の「英雄」と「熱情」、こりゃ文句なしの重量級ホームランバッターでぴったりですね。6番は小兵ながら技のあるPC4番。7番は調子次第でクリーンアップありの強打者ラズモフスキー。8,9番は捕手とDHだけどここもホームラン30本級です。

いやあ、監督いらずの最強チームですね。さてところで肝心の4番打者は?これがなぜか、どうして君なんだっけと不思議な三重協奏曲(ピアノ、ヴァイオリン、チェロと管弦楽のための協奏曲)であります。4番はおろかベンチ入りも難しいだろうというのが一般のこの曲の評価でしょう。

野球で遊べるぐらいここは連番で名曲が目白押しなんで、三重協奏曲は昔から甚だしく見劣りして悲哀をかこっています。これまたピアノソナタ第27番と交響曲第7番にはさまれて不遇の身である「戦争交響曲」とともに「楽聖にも駄作はある」という例に引かれてしまうことでむしろ有名になった観すらありましょう。

判官びいきの僕としてここはなんとか美点凝視でほめてあげたいと思うのですが、このラインナップで並べられるとこりゃどう逆立ちしても無理であります。第1楽章の展開部の最後のあたりピアノ協奏曲第3番を思わせるフレーズがあり、作曲年代も番号より少し若いのかなと思わないでもありません。

あんまり音楽的に特筆することはなく、第1楽章再現部のオケなどいやになるほど空疎であります。書きたいと思うのは第2楽章(変イ長調)が主調(ハ長調)の長3度下で弦の合奏で始まると、同じ関係にある第5ピアノ協奏曲(変ホ長調-ロ長調)の同じ部分を耳が連想するということぐらいです。これはとってもベートーベンらしい響きであります。

主題自体の魅力はエロイカより劣るとは決して思いませんが、ベートーベンをベートーベンたらしめるマニアックなまでの主題の削り込み、変奏、展開という点においてほとんど何もしていないという感は否めません。労を惜しんだというより、作曲がそういう目的ではなかったのかもしれません。

ピアノ・トリオにオケ伴がついたイメージで、ピアノ奏者に想定したパトロンのルドルフ大公の腕前のレベルに合わせるとトリオでは弱い。だから全体をオケでラッピングして協奏曲仕立てとし、名技的部分は2人の下僕(弦楽器奏者)がお勤めを果たし、大公はひたすらやさしいパートを弾きながら気持ちが良いという作りにしたと僕は見ます。駄作なのではなくサラリーマンとして合目的的に巧みに創られた曲であろうと想像します。

素材だって第3楽章の第1主題なんか悪くないですね。まずチェロで出てヴァイオリンが入ってすぐ転調するる部分などこりゃいいぞ!と期待させる上質感のある音楽なんですが、ズンタタタッタのポロネーズ、どうしてなんだ?と怒りとともに悲しくなります。アラ・ポラッカとはポーランド風にという意味ですが、ルドルフ大公さんそっちに彼女でもいたんかいとくだらん想像までしてしまいます。

ですからピアノはどうしても添え物という風情になる事は避けられず、この曲はヴァイオリンとチェロの名技のみが救いなのであります。もしどうしても美点を挙げろとなれば、独奏チェロとオケが合わせるベートーベン唯一の曲であり、この書法がブラームスの「ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲」の下敷きになったかもしれないということがあげられるでしょう。

ということで、これは特にチェロがうまくないと引立たない曲と思います。ムーティがフィラデルフィアで同オケの首席二人を起用してやりましたが、そのクラスの名手でも曲の深みのなさを救うには至らなかった印象です。

866オイストラフ(Vn)・ロストロポーヴィチ(Vc)・リヒテル(Pf)という名手3人揃い踏みという右の録音がこの曲の代表盤とされています。まあ掛布・バース・岡田のバックスクリーン3連発トリオに匹敵する重量級だからそれもむべなるかなですが。しかもほぼお飾りの伴奏楽隊がカラヤン/ベルリン・フィル。そこまでやっちゃいますかっていう歴史的壮挙であります。 クラシック音楽産業の利潤率が1969年当時は高かったことの決定的証左であり、なにしろこんなつまらないピアノ・パートを天下のリヒテル様に弾かせてしまうEMIのイヴェント企画力には電通も驚きでしょう。なるほど資本家は特権で高利回りでもなんでも達成できちゃうのかなとピケティ教授を評価したくなってしまうほど。もちろん皆さんとても上手いですが、「牛刀をもって鶏を割く」の好事例として推挙はできても、これでこの曲が名曲に聞こえるということは期待できないように思います。そういう見地から一度は耳にしたいCDであります。

こういう訳アリの曲なんですが、申しましたようにチェリストが救ってしまうというめったにない例がひとつあります。僕はこの曲というよりピエール・フルニエという貴公子といわれた名チェリストを聴くためにこのCDを時々取り出しております。フィラデルフィアで彼を聴くチャンスを逃したのですが(遅刻!)、クラウディオ・アラウのリサイタルを聴かなかったのと僕のクラシック歴の2大悲劇であります。

ウォルフガング・シュナイダーハン(Vn)、ピエール・フルニエ(Vc)、ゲザ・アンダ(Pf)、フェレンツ・フリッチャイ/  ベルリン放送交響楽団

954このチェロの上手さはこの楽器を触った者として初心者でもわかるウルトラ級で、a線の音程の見事さ、羽毛のように柔らかい音色の美しさはそれだけでもずっと聞いていたくなります。多くの部分でヴァイオリンの旋律の内声部に回るのですが、その刹那に音楽がふわっとふくらむ絹のような感触は絶品としか評しようもありません。ヴァイオリンのシュナイダーハンもウィーン・フィルのコンマスをつとめた名手ですがフルニエに一緒に弾かれると格の違いを感じてしまうというのは恐るべきことです。技術うんぬんをいうならロストロポーヴィチが上ですが音楽はそれだけではないという見本のようなもの。フルニエのチェロの気品というのは別格で他の誰からも聴いたことはありません。それに加えてフリッチャイのオケがとにかくいいのです。重心の低い深みとコクのある弦、くすんだ管、ドイツの暗い森を思わせるずっしりしたトゥッティ、最高に素晴らしい。あまりにオケが良いのでブラームスも非常に聴きものであり(チェロはシュタルケル)、全部聴き終るとそれに押されてやっぱりベートーベンが割り負けているという困ったCDであります。

(こちらもどうぞ)

クラシック徒然草-フィラデルフィア管弦楽団の思い出-

 

 

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Categories:______ベートーベン, クラシック音楽

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