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僕が聴いた名演奏家たち(アーリン・オジェ)

2019 FEB 18 23:23:40 pm by 東 賢太郎

「風邪はどお?」心配して電話をくださった神山先生に、「あの薬を飲んでから少しいいですがまだ咳がね・・・」と伝える。「でも声は昨日よりいいよ、もう大丈夫だよ」と笑いながら「やられたね」ときた。「やられましたね(笑)」。腑に落ちることしかこの人は言わない。

子供のころ体が弱く毎週熱を出していた。その度に見たこわい夢は忘れない。暗い宇宙空間のようなところにぷかぷか浮かんでおり、何か、目には見えないが「重たいもの」を持たされている。とっても重い。そして僕は「それ」をどこか別なところへ運ばなくてはならないのだ。そんなの無理だよ、僕にはできないよ!うなされてはっと気がつくと耳元で「大丈夫よ」と母の声がするのだった。

あれは何だったんだろう、どこから来たんだろうあの服従を強いる脅迫感は?ビートルズに「Carry That Weight」という曲がある。「あの重たいものを運べ」だ。色々もっともらしく言われるが、もしや「あれ」のことではとふと思ったりしていた。忘れていたが、この1月にソウルで高熱が出てうなされた時に(インフルエンザだった)この夢が何十年ぶりに出てきた。怖かった。大人でも。

僕はこういう時、女性の高い声が脳髄から深層心理にしみこんでcomfortになることを知っている。母の声だったのかそれはわからないが、生理作用だから好き嫌いを越えて抗いがたい。もし歌なら、ソプラノの澄んだ天使のような声でないといけない。ルチア・ポップが好きなのはそれだろうし、もうひとりアーリン・オジェ(Arleen Auger)がそれだ。言葉にならない、無条件に好きなのだ。

オジェは1993年に53才でこの世を去ったアメリカ人歌手であり、僕の基準でいわせてもらえば、史上最高のリリック・ソプラノである。カール・ベームが見出したと言われる。モンテヴェルディ、ヘンデル、ハイドン、モーツァルトなどバロック、古典派に定評があるがR・シュトラウス、ラヴェル、ベルクまで幅広い。録音はたくさんあって、ベームの「後宮からの誘拐」、ショルティのマーラー8番、同ばらの騎士、同モーツァルト「レクイエム」、ドラティの「天地創造」、ラトルのマーラー2番、マゼールのカルメン、プレヴィンの「子供と魔法」、ムーティのヴェルディ「聖歌四篇」、アバドの「ドン・カルロ」、シャイーの「ウエルテル」、ピノックの「メサイア」、クーベリックの「ドン・ジョヴァンニ」、マリナーの「真夏の夜の夢」、ホグウッドの「第九」そしてリリングのバッハ・カンタータ集などだ。おおむね主役を張るのは古典派まででロマン派以降は端役が多い。それは彼女の「格」のせいではない、声の性格ゆえであり、しかも彼女の美質、特質は discreet(慎ましく思慮深い)なところにあるからだ。僕は全部集めたいと思っている。

まずはこれから。モンテヴェルディ「ポッペアの戴冠」から「Pur ti miro, pur ti godo(ただあなたを見つめ、ただあなたを楽しむ)」を。

我を忘れる。くらくらして気絶しそうだ。完璧な音程はそれ自体が人を陶酔に引きずり込む。

次は誰もがご存知のシューベルトの「鱒」。

この流れるような軽やかさ!この歌はこう歌わないとと思うが、このレベルのはなかなかない。単純なメロディはごまかしがきかない。

ヴィヴラートを効かせて張りを作ってドラマティックにうまく聞かせるソプラノではない。そんな無用な芸をせずともこの人は本当に歌がうまいのだ。コロラトゥーラでピッチが悪くては話にもならないがまずその技術が筋金入りであることはこの夜の女王で問答無用に証明されている。彼女はこの役で1967年にウィーン国立歌劇場でヨゼフ・クリップスの指揮でデビューしている。このビデオは不明だがまだ若い時だ。僕の知る限り、ピッチの完成度でクレンペラー盤のルチア・ポップに唯一対抗できるのはこれしかない。つまり、ほかのすべてを凌いでいる。

歌の技術について語る資格はないが、何事も、スポーツでも勉強でも、基礎が盤石でなければ大成しないのは同じだろう。音楽において、歌であろうと楽器であろうと、音程がだめであればそれは技術か耳のいずれかが未熟ということであり、野球でいえばキャッチボールが正確にできないということである。それでプロは100%ない。オジェはトスバッティングでどこへ球が来ても百発百中でバットの真芯でミートできる、まさにイチローの神技のレヴェルにある技術のファンダメンタルズを土台に持っているのだろう、さもなければこのパフォーマンスは出ようがないと思う。

彼女の高音は頭のてっぺんから自然にポンと出ている。普通はどっこいしょと持ち上げる感がごく微小なりともあるのだが、唖然とするほどまったくなくてコントロールも良い。さらに特筆すべきは、喉でなくボディで歌っており、中音域がとろけるように豊潤で、ホールのアコースティックと(楽器である)ボディの周波数があたかも共鳴している(融けこんでいる)感じがすることだ。だから聴き手である僕も包み込まれる感じがする。正確無比なのだが包容力があって暖かいのだ。こんな歌手は一人も知らない。歴代のリリック・ソプラノでトップを争うと確信する。

病気で怖くなってきてcomfortが欲しいとき、僕はポップかオジェを聴くことになる。何か逃げ込みたいという感じだ。基本を欠いた音楽家になんらかの affection でもって好意をいだくということは僕の場合はない。こと音楽については matter-of-fact-man (感情、感傷なく事実=音のみで決める人)であるということだ。ブルックナーをだいぶ聴いていたのでロマン派圏外に逃避したい。そこで久しぶりに故郷であるモーツァルトへ帰ってみる。ジャンルでいうとオペラと宗教曲に惹かれる。ことに最近は宗教曲こそ彼のベストかもしれないと思うようになってきた。「ミサ曲ハ短調 K.427」はレクイエム、戴冠ミサとならぶ傑作である。

レナード・バーンスタインは1990年10月に亡くなるが、その半年前の4月にヴァルトザッセン、シュティフト修道院附属教会で演奏したK.427のビデオがこれで、僕の宝だ。ソプラノがアーリン・オジェだが彼女もこの3年後に亡くなっている。この4か月前に僕はロンドンでキャンディードを振ったバーンスタインと会って話をしたが、その時の姿そのものだ。すごく inspiring なおじいちゃんだった。あんな人はほかにいない、electrifying と言った方がいいか、会うだけで電気が流れてきて元気にしてくれた。この演奏はそれが出ている。

隣のメッツォは名高いフレデリカ・フォン・シュターデだが気の毒だがモノが違う。というか、これが普通のうまいプロの歌なのだ。K.427がこれだけ重量感ある音響で、教会の素晴らしいアコースティックのなかで、しかも抜群の安定感と清楚さのあるのソプラノで歌われる。至福でなくてなんだろう。

同じくバーンスタインとのモーツァルト。Exsultate, Jubilate K. 165の「ハレルヤ」を。

この安定感と威厳。ロールスロイスというか、沢村賞の巨人・菅野のマウンドさばきというか・・・。

次はモーツァルト歌曲集をぜひ。素晴らしいの一言に尽きる。僕はこれらの歌を多くのソプラノで聴いた。もちろん皆プロで見事なのだが心の底から満足しない。プロにもピンキリがあるのだ。ピアノ協奏曲第27番のK.596(28分43秒)。オジェの神の如き音程はそれだけですでに高貴な音楽になり、ふくよかで暖色系で rich な中音域、p と同じブレスで楽々と出る f はただの美声とは別世界だ。馬鹿なカワイ子ちゃんが少し大人になりましたというのとは別世界の、大人の知性あるプレゼンテーションになっている。慎ましやかおしとやかだが音楽力において絶大にパワフルなのだ。

僕はこのラヴェルにぞっこん惚れている。エーゲ海、アドリア海のオーシャンブルーが眼前に蘇ってくる。

エルネスト・ブールとのこの奇跡的な演奏についてはこちらに書いた。

ラヴェル 歌曲集「シェへラザード」

このyoutubeビデオに海外の方からこうコメントをいただいた。なんと図星な!

This performance is utterly beguiling, and a revelation; Ernest Bour is one of the greatest, most underrated conductors of all, and the soprano is absolutely magnificent in her purity of intonation and musicality.

芸人並みの色モノ演奏家がもてはやされてこういうホンモノの演奏家がunderrated(過小評価)という事実・・・。それは作品の評価まで曲げてしまう。クラシック音楽に populism など不要であって、芸人のポップクラシックなど害悪でしかない。残念ながらわかる人しかわからないものはある。

最後に、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」からIn trutinaを。

同じく、Dulcissimeを。

すごい、悶絶しそうだ。これぞ female voice の蠱惑でなくて何であろう。

当日のプログラム

これで本当に最後しよう。告白、懺悔である。実のところ、僕はアーリン・オジェを今ごろになって「再発見」しているのだ。しまった、こんな歴史的なアーティストだったんだサインもらっとけばよかった。時は36年前、1983年の12月2日、所はフィラデルフィアのAcademy of Music。上掲録音と同じリッカルド・ムーティがカルミナ・ブラーナを定期演奏会にかけた。そのソプラノがオジェだった。最前列に陣取っていたのですぐ目の前で彼女の神技が展開された。目に浮かぶ。とにかく彼女に圧倒されてしまい、頭がくらくらして大好きなカルミナは、あっという間に終わってしまった。そのころ、僕には歌のよしあしをappreciateする能力なんてかけらもなかった。

当日のプログラムより

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

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