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アインシュタインの水槽

2022 JAN 7 0:00:57 am by 東 賢太郎

この写真の小さな点は約60億キロの彼方にある天体だ。冥王星あたりの距離から撮影した我らが地球の姿である。

撮影者はボイジャー1号、日にちは1990年2月14日(水)だ。もう生まれていた皆さん、このちっぽけな点の中で、その日はどこで何をしておられただろうか?

ボイジャーに僕の友人の丸山が乗っているとしよう。巨大な望遠鏡で拡大し、地球の僕を探している。「あっ、いたぞ、東の野郎ランチ食ってるぞ、え~と奴の腕時計は・・・正午だな」。しかし、その言葉が吐かれた同じ時刻に、僕はもう夕方の5時半で、ローリング・ストーンズの初来日公演を見るため東京ドームの席でビールを飲んでいるのだ。60億キロは光速で5時間半ほどかかるから、丸山には5時間半前の僕が見えている。

もっともっと遠くしてみよう。白鳥座のデネブまでは1400光年だ。デネブ星人が日本を見ると、ランチを食べてるのは聖徳太子だ。

もっともっと近くしてみよう。ウチのシロだ。

このシロは少し前のシロだ。撮影時点の僕から手が届くほど近くにいるけど、光速であっても僕の目に入るまでに時間はかかるからこの姿は少し前のものだ。

ということは、僕らに見えてるもの(ビジョン)はすべてが過去であり、録画したビデオの画像みたいなものだということになる。僕らはそれが現実(「同じ時刻」に起きていること)と思いこんで生きているがそうではない。ビジョンは画像であって、現実ではない。

きのう近所のロイホでひとり、黒黒ハンバーグランチを食べながらこれを考えていた。僕が正午発のロケットでボイジャー1号へ向かう。速さは光速の9割だ。その「画像」は午後5時半に丸山に届き僕の時計は零時をさしている。僕自身は6時7分に着いて丸山に会う。ところが、丸山の時計を見ると翌日の零時36分だ。これは「光速に近い速度で動いたので時計が遅れた」(time dilation)と説明される。浦島太郎になって僕は彼より年をとっていない。

(参考1)以上の数値はこのサイトで計算 ➡ http://相対性理論(時間の遅れ) – 高精度計算サイトhttps://keisan.casio.jp/exec/system/1161228694

(参考2)8世紀に成立した『丹後国風土記逸文』にある話が浦島太郎の物語の原型と解されている。「蓬山」で3年を過ごし、郷里に戻ると300年たっていた。蓬山とは昴七星(プレアデス星団)と畢星(ヒアデス星団)のことであった ➡ 浦島太郎 – Wikipediaより

これが特殊相対性理論であり(特殊相対性理論 – Wikipedia)、テンソル、ミンコフスキー空間、ローレンツ変換で解かれる。この叙述は数学と哲学が親類であることを思わせる。しかし、変換式は僕が「光速」で進むと時計の遅れは無限大であることを示しているのは気になる。

{\displaystyle \gamma :={\frac {1}{\sqrt {1-(v/c)^{2}}}}}

光速で進む物体はないという意味だ(分母ゼロはなし)。どうしてかって、誰も理由など知り様がないだろう。誰がそんなことを決めたんだろう?何のために?

おかしい。相対的なのだから丸山だって僕より年をとらないし、往復したらどうなるのか、どの書物を読んでも明解でない。アインシュタインの発想力と数学技法の高さはフランツ・リスト級の超絶技巧のピアニストが書いた曲を見るが如しで凡人の及ぶ域ではないぐらいはわかるが、真の名曲なのかどうかまでは僕の理解の範疇外だ。彼なくしてこの理論はなかったという意味で世紀の天才であることは疑うべくもなし。しかし、それはそれとして、どうして宇宙の真理が数学という論理言語だけで解けるのかという点がどうしても腑に落ちない。

光速度不変の原理、光速を超えるものはない、数学万能。この3つの大前提で式がきれいに解け、そこから

E=MC²

という究極の美しい式が現れる。名人の手品のように、それが導かれる姿自体が美しいが、数学万能は量子力学で崩れてきていると理解している。そっちの理屈では、僕と丸山では時刻(持ってる時計)が違う、デネブ星人ともシロとも違う。時刻は観察者の数だけ存在していて、象とネズミとセミの時間が違うように、人間同士も誰とも違う。それは光を当てて観測して初めてわかるんだよということだろうか。

もし地球が暗闇の星で、音だけで生きてるとしよう。音は光の88万倍も遅い。花火がぴかっと見えて、しばらくしてドン!と鳴る。同じ花火を目で認識してる人と耳で認識してる人でズレが出る。ということは、花火というモノは、観測者の認識の中だけにあるということだ。88万倍速く危険を察知した方が生き残れるので、原生生物は電磁波(光)をキャッチする器官(目)を持つようになり、長い進化を経て、やがて人間が日々のサイクルから時刻を意識しだし、時計(=時刻という概念)ができたのではないか。であれば人工物だ。

つまり、僕らが見ているすべてのビジョン(電磁波)は「うたかたの画像」であり、「相対的」(人と違う)であり、「脳内現象」である可能性がある。それを宇宙普遍の法則と見做して電磁波の一部である光の観測だけから真理を導けるものなのだろうか?創造者がそう設計、製作していて、その図面は数学で書かれていて(ニュートン、アインシュタインが解明した部分)、光速はリミットをつけないとイロイロ面倒なのでCDの非可聴域周波数カットみたいに適当に秒速30万キロに設定してそれ以上はカットし、そう設定すると宇宙は直径が930億光年の球体かもしれないがもっと大きいかもしれず、これが我々が入れられて熱帯魚のように泳いでいる「水槽」であって、その大きさは、熱帯魚の目からすればそこまでは電磁波で観測可能だということで決まっているに過ぎないのではないだろうか?

僕らのうたかたの世では「認識」できないものは「なかったことに」になる。デネブはひょっとしてもう爆発して存在しないかもしれないが少なくとも1400年前まではあった、それで充分だ。ボイジャー1号はすでに太陽圏を脱出して星間飛行に入り、交信できなくなる。観測できないものは認識できないし、あってもなくても明日の晩ご飯やGDPの増加率には何の関係もないから誰も気にかけない。そういう僕らを、水槽の外から絶えず創造者が観察している。

P.S.

本稿を20才で世を去った親友・丸山鉄男に贈る

 

(ご参考)

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Categories:世の中の謎シリーズ, 若者に教えたいこと

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