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北別府投手、たくさんの勝利をありがとう!

2023 JUN 17 22:22:40 pm by 東 賢太郎

きのう家内から訃報を聞いて愕然とした。3学年下の65才だ。病気とは聞いていたがなんぼなんでも早すぎるだろ。まだ北別府ロスから立ち直れておらず、きのうの西武戦は床田に何が何でも完封して弔ってくれと念じていた。そして床田はそれをやった。よくやった。今日は危なかったが、背番号20を継いだ栗林が、そしてクローザーの矢崎が気迫の投球で押さえ込んで勝った。よくやった。

北別府の雄姿をTVで見られたのは入団2年目の1977年から20勝して沢村賞を取った1982年の夏までと、1990年から1992年夏までだ。あとは海外にいたから映像は見ていない。それでも毎朝、新聞で真っ先に見るのはカープの試合結果である。スマホもヤフーニュースもないからそれが最新情報で、株式欄なんてどうでもいい、どのページより先にスポーツ欄を開くワクワク感たるや半端でなかった。北別府は213勝141敗と72も勝ちこしているのだから、異国の地で朝っぱらから何度も勝利の美酒に酔わせてくれ、気持ちよく仕事をスタートさせてくれた。つまり僕が仕事で勝ち抜けた恩人である。

そういうわけだから彼をグラウンドで観たのはたった一度しかない。よってどうしてもその時の話になってしまうがこういうことだ。

あれは1990年から1992年のどこか、神宮球場の3塁側ベンチ上の席からだった。どういうわけかゲームについてはさっぱり記憶がなく、ゲーム前の北別府のキャッチボールが目に焼きついたのだ。捕手とは10mぐらいの立ち投げで、単なる肩慣らしだ。ところがである。腰を入れてフルに体重移動して、ということは1.5mぐらい体を前に持っていくわけだが、足が長く股関節が柔らかいのだろうそれが2m近いかと思われるぐらい前に行くわけである。ただ、足を開くだけなら他にもいくらもいる。びっくりしたのは、それに加えて球離れの位置がとても遅く、イメージ、顔の1m先までキープしてから軽く放っていたことである。そういう大きな動きは流れの中でないとうまくできないが、彼はスローモーションで投球システム全体のバランスを微細にチェックするシミュレーションとして行っていたのだ。何という完全主義!

投手をやった人はわかると思うが、それだと外角低めに伸びのいい速球がびしっと決まるイメージしか持てないと思う。それが投げられて初めてピッチャーをやらせてもらえるわけで、勝手にそれが投げられてしまうそういうフォームが彼の基本形になっているのだ。ワインドアップするがテークバックは浅くてあまり力感がなくセットポジションのように軽く脱力して見え、しかし、左足に体重が乗ってからトップでの力のタメが真骨頂で、それが指先に伝わったリリースの一瞬で爆発する。この印象がものすごくて、彼のビデオを百回見ればああいう感じで投げられるかもしれない、そうしておれば肩を壊さずに済んだかもといつも思ってしまうのである。もう遅かった。それが悔しくて、だからあのキャッチボールが今もビデオのように心の中でリアルに再生できてしまうのである。

上の写真。これは体重移動しきって胸を張った瞬間(トップ)だが、身長181cmで手足が長いのに開脚が広いので低く沈みこんで見える。この瞬間を横から見たのが下の写真で、体だけ前に来てボールは置いてきているので顔の後ろにあり、ヒジとボールが水平に近い。僕は経験的に、トップでそうなると速球が伸びることを知った。しかし、北別府のこの肩と肩甲骨の柔らかさは異例で、僕は頑張ってもまだ垂直に近くこんな平らにはとてもならない。この角度のまま我慢して体を追い越して1mぐらい先までもって行って限界で指さきでスピンをかけて押し出すようにリリースする。ご覧のように腕、肩、胸、右足の描く弧が美しく、頭は動かず、無駄な力がどこにもない。だからコントロールに狂いが出ない。これは神業なのだ。先の計算だと、ちょっと大袈裟かもしれないが、リリースポイントはプレートより3mほど手前になり、18.44mではなく15.44mからボールが出てくる感じになるからソフトボールの距離(14.02m)に近く、打者は140kmでも差し込まれただろうし変化球も曲がりが遅くなって対応に手を焼いただろう。「球が速い」というのは打者の体感であり、体感はそういう要素で決まる。差し込まれるとは目測より球が早く手元に来てしまうことであり、それが起こるとスピードガン表示が何キロだろうが打者は速いと感じるはずだ。これは打席にいる者しかわからないから150kmが速いか速くないか130kmが遅いか遅くないか数字だけをあげつらって議論しても意味がない(だから伊良部の150kmより星野伸之の130kmの方が速かったという選手が現れる)。北別府は制球力ばかりが語られるが、140km半ばは出ていたと思われるから振り遅れるほど伸びる速球のキレ、球威がまず一級品だったのであって、あまりに神懸かった制球の良さの陰に快速球投手のクレジットが隠れてしまったように思う。僕を神宮でびっくりさせたのは、下の写真の足腰の「形」をきっちり作って 10mの距離で軽く投げていたキャッチボールだったが、それが彼の一級品のボールの秘密であり、213勝へのルーティーンだったのだろう。

彼は集中力で勝負する人だったようで1球へのこだわりがすごくて近寄りがたい雰囲気があり、達川はいい音を出して捕らないのでキャンプでは受けさせてもらえなかったそうだ(達川が1才年上)。「ゴルフは75~80ぐらいで常にコースマネジメントを考えながらプレーをする。まるでプロだ。だから、北別府さんと回ると昼食時以外で会話がない」と後輩の川端投手が言っているが、僕もゴルフ仲間からまったく同じことを言われており(本当にラウンド中に一言も口をきかなかったらしい)スコアも同じぐらいで、たかがゴルフとはいえ遊びではなくなってしまうところはああ同じタイプの性格だったんだなと感無量で誇らしくさえ思う。以上、僕のようなへっぽこ投手が彼の野球についてああだこうだ言う筋合いなどまったくないが、見てしまった理想の技術への感動というものは消し難く、不遜にもそういう話になってしまったことをお許しいただきたい。

北別府と衣笠(1986年6月、広島市民球場)

いち野球ファンとして北別府のフォームほど美しいアスリート姿と思うものはなく、キャッチボールひとつで魅了された野球選手は他に誰もいない。デカいだけとかマッチョマンとか、ぐしゃぐしゃの汚いフォームでエイや!とか叫んで160km出すだけが能なんて投手は興味ない。優劣ではなく美学が合わない。無駄のない完成されたギリシャ彫刻のような美しさ。手元で伸びるストレート。内外に揺さぶって手を出させぬ制球力。タイミングをずらして腰砕けにする緩急。この三つを駆使して打者を攻めまくれる者こそ本物の投手と思うのであって、北別府こそまさにそれだったからこそあの江川卓がライバル視した数少ない投手だったのだろう(江川氏ご本人が自身のyoutubeチャンネル「たかされ」で対戦相手の投手として最も嫌だったNo.1に挙げている)。1982年に両者は沢村賞をめぐって熾烈な戦いを演じ、勝ち星(江川19勝、北別府20勝)、勝率(江川.613、北別府.714)、登板数(江川31、北別府36)、投球回数(江川263回1/3、北別府267回1/3)は北別府が上だったが、防御率(江川2.36、北別府2.43)、奪三振(江川196、北別府184)、完投数(江川24、北別府19)は江川が上だった。結果は北別府が選ばれ、江川は沢村賞を獲得できないまま現役生活を終えることになる。元巨人の角 盈男氏が歴代最高の投手は江川と言っておられたが、その江川に勝った北別府がいかに凄いピッチャーだったかは永遠に語り継がれるだろう。

北別府さん、長く苦しい闘病生活と聞きとても心苦しく思っておりました、ほんとうにお疲れ様でした。今は解放されて自由になられたことでしょう、ゆっくりお休みください。たくさんの素晴らしい勝利と歓喜をほんとうにありがとうございます、雄姿は決して忘れません。ご冥福をお祈りいたします。

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Categories:______広島カープ

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