丹沢大山で父に仕込まれた向上心と闘争本能
2026 APR 13 9:09:43 am by 東 賢太郎
小学生のころ、父に連れられて丹沢の大山に登りました。ピクニックではありません、生まれて初めての山登りです。それも子供連れがいるような安全な道ではなく、頂上まで至る斜面は今思えば岩がゴロゴロする本格的な登山道でした。大山は標高1252メートルあって、ケーブルカーで着く神社は725m地点にあるのでさらに527mも登ることになります。かすかな記憶ですが、父に「てっぺんまで登ってみるかい?」と尋ねられ、高い所は苦手だし怖気づいていたのですが、強がって「うん」と答えたような気がします。
失敗でした。どなたかの写真ですが、こんな感じだった。

なんとかてっぺんまで登りつくと視界が開けて下界を一望します。ひと仕事終えたご褒美のような美しい景色は何となく覚えてはいますが、とにかく険しい道中は恐ろしく、体力の限界で足が震えていたのではないか。そして、めったに褒められたことのない父がよくがんばったねと言ってくれた。これが嬉しかったんです。この初登山はそれだけの思い出として心にひっそりとしまってありました。いや、というよりも、怖い記憶は脳が消去していた可能性もあります。
はてそれはいつのことだったのかなと思い立って調べると、大山ケーブルカーは1944年に軍が戦時物資に窮して線路撤去のため休止され、復活開業は1965年(昭和40年)7月11日とあります。父はこの手のことを詳しく調べている人で納得です。従軍した父にとって思いのあるニュースだったろうし、夏休みでもある。ひ弱だった息子を鍛えようと連れ出した。しかし、電車マニアだった僕は駅名をぜんぶ空んじていた小田急線の、それも小田原寄りの佳境に入る伊勢原、鶴巻温泉、大秦野、渋沢、新松田あたりにえも言えぬ「秘境感」を抱いており、初めてそのあたりに降り立てるということでわくわくしていた、それだけでした。おそらく伊勢原で下車し、ケーブルに乗ったと思われますが、僕の基準では線路がしょぼく興味の対象外だからでしょう、そのあたりのことはまったく覚えてません。その終点の阿夫利神社から山頂はChatGPTによると約 90〜120分(本格的な登山道)とあり、ここを踏破して頂上に登ったと思われます。
wikipediaにこうあります。
阿夫利神社は江戸時代に当社に参詣する「大山講」が関東各地に組織され、多くの庶民が参詣した。大山詣は6月27日から7月17日に行われる女人禁制の参詣で、特に鳶や職人の間で人気があった。(中略)。大山祇大神は、富士山に鎮まるとされる木花咲耶姫の父であるため、大山と富士山の「両詣り」も盛んとなり、「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」といわれた。なお、一部の地域には、大山に登ると一人前として認められるという伝承があり、大山の神霊が立身出世の神とされていたことがうかがえる。
これで合点がいきます。信心深い父は息子を連れて立身出世の祈願に行ったのです。とすれば、父の性格からして「大山詣は6月27日から7月17日に行われる女人禁制の参詣」という情報は重要だったに違いない。復活開業は1965年(昭和40年)7月11日です。サラリーマンだから土日でなくてはならない。以上の条件を満たすのは7月11日(日)か7月17日(土)しかありません。開業セレモニーの記憶はなく、10歳の息子を連れて片道2時間の本格的な登山道の踏破を慎重な父が日曜日に試みるとは思えません。よって、あれは、1965年7月17日土曜日のことだったという結論に至ります。小学校4年生の10歳。日本人として男児の育て方に古風であった父は元服まで意識していたし、年齢が2桁になったし、ひ弱で体が小さく何事も自信の無い息子がこのままではいけないと思いたったとして不思議はありません。
阿夫利神社のことは、それが目的なのだったらお参りをしてないはずがなく覚えていそうなものですがまったく記憶がありません。あるのはこんな感じの景色だけです。てっぺんまで登ったという達成感が残っているので山頂まで来たことはたしかでそれ以外のことはつい先ほどまでほとんど忘れていたのです。
お参りで終わらなかったことを父に感謝します。阿夫利神社までも長い階段を昇りますし、普通はそれで願掛けしてお昼でも食べて帰るところです。でも普通の親ではなかった。もう1つ目的があったんです。息子に人生初めてのきつい山登りをさせ、大山の頂上に立たせることです。父がどんどん先に登り、必死について行く。虚弱の身には過酷で神社の記憶など吹っ飛んでしまった、さもなくば、さっきネットで調べて神社があったことを知った説明がつきません。
何事も自信がありませんでした。万事に渡って適当に父の目をごまかし、その場その場をやり過ごして生きてました。生活態度や勉強に情け容赦ない父の風圧にさらせばもっと自信をなくしてしまう。そう懸念した母が風よけになり、僕は守られてぬくぬくと育ちました。それを父は見抜いていた。男はそれじゃダメなんだよ。どうしてお前はそんな所で満足するんだ。目を見開いて前を見ろ。まだまだ山には高い所があるだろう。そこを目指せ。途中で弱音をはくな。頂上に行けばいい景色が見えるぞと父の声が聞こえます。山で息子の向上心と闘争本能に火をつけたかったに相違ない。 10歳の子供です。叱っても、口酸っぱく諭しても逆効果ですから何か一生忘れないぐらいのイベントでもって「体感」させなくてはいけない。それが1965年7月17日土曜日だったと思います。余談ですが、サウンド・オブ・ミュージックのクライム・エヴリ・マウンテン、僕はあの歌の歌詞も音楽も大好きです。
徐々に息子は父の思い描いた通りに成長し、戦争で思うようにならなかった人生の仇討ちをしてやろうというもう1つのモチベーションまで加わった。向上心と闘争本能。大事なものだと問答無用で思っています。平和平和と呪文を唱える方々はお好きでないかもしれないが、向上心が無い人生というのは日々餌が出ればいいという動物と変わらず、万民がそうなればその国はいずれ征服され奴隷にされる。それが人類という動物の歴史です。平和にはコストがかかるのであり、国家財政だけではなく、国民が向上心を持ち元気であることもそのうちです。しかし向上心だけあっても人生はあまりうまく行かないということにもご同意いただかなくてはならないでしょう。
向上は自己満足ではありません。「わたしはわたし、自分なりに毎日向上してるから他人はどうでもいいの」というわけにはいきません。近頃そういう人が出てきてますね。大学を除名処分になっていても自分が卒業したと信じていれば卒業証書が出てきてしまう。ありえません、厳罰に処すべきです。向上してゆく場所は社会です。社会で認めてもらうことでグレードアップした自分が客観的に確認でき、自信を得ることでさらにステップアップできる。そのプロセスの繰り返しこそが「向上」です。山登りと同じです。頑張ったつもりになっても標高という客観的な数字が増えなければ登山にはなりません。社会で認めてもらうにはそれを示す何らかのポジションを得る必要があり、そのためには闘争をくぐり抜けなくてはなりません。仲良しサークルで傷をなめ合ってもだめなのであって、そのツケを政府に回して政治を批判しても何も起きません。
闘争本能とは決してフィジカルに戦うことではなく、負けたくないという本能を心の中で磨くことです。好戦的になることでも危険な企みをすることでもありません、犬でも猫でもどんな動物でも、この本能を持っていない生き物はないのです。登山なら訓練に耐えて足腰を鍛えるということで、進歩の成果は他人と比べないと分かりませんからあえて闘争と呼びます。ルール、社会性のある競争ではありません。動物は競争しません。もっと本質的に生存に根ざした原始的な本能で、生きるために本来、誰でも持っていなくてはいけないものです。受験や出世は競争であり人間の闘争の一部です。生きていける山はたくさんあります。何もエベレストに登る必要はない、幸福は人によって違うのです。自分が幸福な人生を送れると感じる山に他人よりも高く登れば楽しく生きていける、それだけのシンプルなことです。
日本が高福祉社会か否かは議論もありますが、平均年収が減ってくれば相対的にそういうことになっていきます。それでも、もっとひどい国はいくらもあり国際水準からすれば日本は天国ですから移民が押しかけ日本人が失業する。おかしな話ですが嫌なら生活水準を移民並みに下げなさいということになってしまう。そしてもっと過酷な現実は、24時間文句を言わずに低コスト高パフォーマンスで働くAIと競争して勝ち抜かないと失業することです。現にアメリカではAIの導入を理由とした解雇が加速し、アマゾンは全世界で1万6000人の削減を発表しました。日本でもみずほ銀行がAIによる代替で今後10年で全国に約1万5000人いる事務職の業務を最大5000人分減らすと発表してます。みずほFGでそれが起きるということは学歴エリートの価値が崩壊しつつある証拠で、これまで相応の年収を保証してきた士業などの「定型的な知的作業」は確実にAIに奪われていきます。
怖かった父の祈願と指南の甲斐あって僕は移民にもAIにも奪われない仕事の腕を磨くことができました。これからは僕が次世代、次々世代にそれを伝授していく役目になるでしょう。だから思い出す必要があるのです。守ってくれてた母への感謝があると同時に、やがて長じて男としての自覚が出てくると、殻は破らないかんという厳しい現実に気がついてきた。高校生あたりのことです。そこからの僕を導いたのは親ではなく、学業でも学歴でもなく、「向上心と闘争本能」。それだけです。でもそれを作ってくれたのは親だったのです。




