意識フィールド宇宙論
2026 JUN 19 16:16:02 pm by 東 賢太郎
目まぐるしく動いた5月。仕事の経緯を整理しようと日記を読み返していると5月8日の欄にこんな殴り書きがありました。
「コリント人のようにやかましいだけで・・・」という言葉が心に浮かんで目が覚める。
コリント人?ねぼけてたのか急いでたのか、どんな夢を見ていたのか、なぜこんなのを書いたか不明です。試しにそのまんまChatGPTに打ち込むと、新約聖書の「コリント人への手紙第一13章」の一節が出てきました。
たとえ私が人の異言や御使いの異言で話しても、愛がなければ、騒がしいどらや、やかましいシンバルと同じです
パウロがコリント人に書いた手紙。不思議ですね。なぜなら僕は読んだことがなく、知見もなく、今もってコリント人が何者かよく知りません。
じゃあいったい何だったんだろう?? ミステリーです。
大学時代にヘッドホンで音楽をループで流しながら布団に入って朝までぐっすりだったことが数えきれないほどありました。ベートーベンの交響曲や春の祭典などが耳元でガンガン鳴ってる。目覚めてみてそれに気づき、はじめのうちはあまりのことに耳を心配して少々焦りました。しかし大丈夫どころか熟睡感があって頭がカーンと冴えているのです。そんなものだから今でもyoutubeをつけっぱなしでよく寝ており、家族に心配されてます。延々と言葉が流れてますがお構いなしで熟睡し、頭には何も残ってませんがやっぱり良く寝た感があります。特技かもしれません。
検索すると「睡眠中ずっと音楽を流していると様々なリスクや悪影響が生じる可能性があります」とあり、夜間に脳内で「イヤーワーム(頭の中で音楽が繰り返し流れる現象)」が発生しやすく、入眠に時間がかかったり夜中に何度も覚醒する傾向がある、なんてのが出てきます。しかし僕においては入眠の苦労も睡眠中の覚醒も無縁で、音楽は昼間でも常に頭の中で鳴ってるのでイヤーワームは自然体です(ブログを書いたからでしょう、現在は間断なくカーペンターズのメドレーが流れてます)。
モーツァルトもこうだったと想像するし、鼓膜で聞こえる必要ないのでベートーベンは音楽が書けたのでしょう。彼らとの決定的な違いは、僕のは誰かの音楽のリフレーンにすぎませんが彼らのはオリジナルだということです。散歩しながらベートーベンがそれを「拾う」ために手帳を常備していたことは有名です。僕にそんな天啓はありませんが、「コリント人」だけは読んだり聞いたりした誰かのリフレーンの可能性はゼロなので天から降ってきたとしか考えられません。
夢は意識の産物とする理論はカール・グスタフ・ユングとジークムント・フロイトが提唱しました(無意識の反映とも)。しかし意識というものが脳のどこにあるかはいまだ解明されておらず、 それは脳内にあるのでなく宇宙空間に広がっていて、脳は「受信機」としてそれと交信しているという説も紹介されてきました。そこに昨年、物理学専門誌『AIP Advances』に「意識フィールド宇宙論」という革新的な論文が掲載され話題になったそうです。これで知ったのでお借りします。
https://www.yuki-clinic.jp/diary/diary-2237/
意識とは、「人間は考える葦である」(パスカル)、「我思う故に我あり」(デカルト)を挙げるまでもなく人間の存在そのものであります。「ある」「あり」という命題そのものも紀元前500年の「パルメ二デスの有」にさかのぼります。その起源がビッグバン以前に “存在” した意識フィールドだったと仮定すると(意識が先、宇宙は後という驚天動地の逆転)、物質世界を探求する物理学に先立つ意識場という未解明の世界でフィールドは海、意識は波の関係である。これは場の量子論において、電子や光子など粒子が宇宙に満ちる場の「励起状態」として記述されるのと全く同じ考え方で数理モデル化できる。この展開は実にスリリングで魅力的です。
波は海そのものだから、ベートーベンは田園交響曲のテーマを海から受け取って何ら不思議ではありません。天から降ってきたのではなく、波である彼の脳にある量子の励起状態が海のそれと同期した時にそれが起きたことが数学で証明できれば、同じことが他の作曲家で起きなかった証明は不可能でしょう。海との同期の比率が高ければ聴衆(ほかの波)への同期性も高いわけですから世間で名曲と称えられると思われます。モーツァルトの魔笛、シューベルトの即興曲集、ベルリオーズの幻想、シューマンの詩人の恋、ワーグナーのトリスタンとイゾルデ、ブルックナーの8番、シベリウスの4番、ビゼーのカルメン、ドビッシーの牧神、プッチーニのラ・ボエーム、ブリテンのピーター・グライムズ、メシアンのキリストの昇天のような曲の “ある部分” に僕が感じる「霊感」とでも呼ぶしかないものの正体はそれではないかと思うのです。その部分の楽譜をお示しすることはできますが、音符のどこにそれがあるのかわからないことは、意識が脳のどの部位にあるのかわからないことと相似形です。
去年の7月に「アガスティアの葉」を体験し、これは「アカシックレコード」にちがいないと信じるようになったことは書きました。ブラックホールに星が吸い込まれると、星という物の3次元情報は球面の膜に2次元情報として記録されることがスティーブン・ホーキング博士の研究によって数学的に証明されています。
その2つは等価、つまりある空間領域の情報量は領域の体積ではなく表面積によって決まっています。これが「ホログラフィック原理」です。敷衍して、宇宙の出来事はすべて「アカシックレコード」に2次元情報として書かれており、それをインドの僧侶がアカシアの葉っぱに書き取っており、我々は脳が同じものを受信して3次元に変換して認識したものを「人生」と思って生きているという思考実験は不可能ではないでしょう。僧侶のお告げが当たっているのにびっくりしたのですが、元が同じなら必然です。
球面を内側から見ると直線は曲がっています。 2次元である正方形の辺がブラックホールの重力で同じ率で同方向に曲がっていれば3次元の球になることをイメージするのは容易です。我々が見たり触ったりして立体と思っているものはすべてオリジナルの平面に書いてある情報をもとに脳が作った3次元イルージョン(幻影)であるとイメージすることは容易でありませんが、ここまで数学の証明でつながってきているので否定するすべはありません。さらに、 アインシュタインが踏み込めなかった量子力学は、我々が「観測」しなければ何物も存在が確定しないことを「シュレディンガーの猫」の思考実験と、観測が現実に結果を左右した「二重スリット実験」で示しています。
そういえば子供のとき、天城山の夜空にくっきりと浮かんだオリオン座を見て、あの綺麗な形はなんとなく作り物っぽいな、あれって本当にあるんだろうか?と疑ったことがありました。ひょっとして夜空の星全部が、太陽も月も、実は地球人に見せるためのプラネタリウムなんじゃないか?そう思ったのです。今になって、最新の学説を聞きかじることでますますそう思っています。オリオン座はあります。でもそれは我々が見て観測した場合だけで、すべての人において観測すればどの人にもあのように見える「何物か」としてアカシックレコードに情報として記載されている。我々は地球上で2次元情報を3次元と解釈してきてますから天空に輝く星も3次元だと思っています。望遠鏡で観測し距離を測定するとバラバラである。だから3次元だ。しかし観測されればそういうデータを与えるよう情報が書き込まれているだけで、全部が同じ球面に張り付いている可能性はゼロでしょうか。我々のお隣の恒星、ケンタウルス座プロキシマまでスペースXの最新高速ロケット「スターシップ」で飛ぶと4万年かかります。現在の科学の進化度合いにとどまる限り人類は太陽系を脱出できません。金魚鉢で生まれ育った金魚のようにそれに気づいてもいません。どんなインチキの仕掛けでも、人類がそこに近づいてばれる心配はありません。星空は別室で誰かが操作しているプラネタリウムかもしれないのです。
頭に入ってない「コリント人」が夢に出てくる。海から波に励起が伝わったというわけですが、もしかするとこれが前世の記憶なるものではないでしょうか。僕の魂(波)が前世ではそれを良く知っており、意識フィールド(海)と5月8日に量子の励起状態が同期し、夢に現れたのではないか。なぜそう思うかというと、僕は2才のときに「自分ではない意識」が作動したとしか思えない記憶を持っているからです。このエピソードは以前のブログに書きましたが、それは我が最古の記憶になります。2才まで住んでいた家の縁側で、父親のSPレコードを縁石の上に落として割ってしまったことです。ずっしりと重たいレコードがパリンと割れる経過をスローモーションみたいにくっきりと覚えているのです。小さい破片を拾って表面の真っ黒なコーティングをはがすと、驚いたことに中央部から紙が出てきました。それを見て「新聞紙だ」と即座に思ったのです。以上です。母が近くにいましたが何を言ったのか、当時32歳だった父が帰ってきて叱られたのかどうか、全く覚えてません。しかしよく考えるとおかしいんですね、2才の赤子は新聞を読みません。なぜ新聞紙と思ったと記憶されているんだろう?どうにも説明がつきません。
「前世の記憶」は調査事例はありますが、転生を前提とするため数学の出番はなく、根拠は見つかっていません。しかし、繰り返しになりますが、「意識が脳のどの部位にあるのか」という問いにも数学の出番はなかったのです。説明がつかないことに、説明しようと努力もせずスピリチュアルだオカルトだとレッテルを貼るのは愚かなことです。数学で説明がつかないという事実に次の地平への扉が開かれていると思考することこそ科学的な態度だと僕は考えています。アインシュタインは「量子もつれ」を「不気味な遠隔作用」と呼び、いわばオカルト扱いしましたが、その存在を実験的に検証することに成功したアスペ、クラウザー、ツァイリンガーの3人に2022年のノーベル物理学賞が授与されています。
最古の記憶の次に覚えているのは次の家での3才の七五三で1年後です。「新聞紙」と確認できる意識がありながら、それから1年間なにひとつ覚えていないなんてことがありえるのでしょうか。どうしてもここからは不本意ながらスピリチュアル、オカルトな話にしかなりえませんが、僕には「前の人物」がいて、レコードに関心があり、だから乳児の体を使って破片を微細に観察したと考えると納得がいくのです。その関心は物心ついた僕に残って、何年か経つと、音楽よりもレコードに対する物としての執着のほうが強く、どうして細い溝から音が出てくるんだろう?きっと溝の中に小さな演奏者が入ってるに違いないとまじめに信じていた時期がありました。溝を顕微鏡で観察してそれはないことが発覚してからは、溝のぐにゃぐにゃに理由があるに違いない。ではレコードに自分で溝をつけてみようと内周部の真っさらで光っているところに針でそれらしいのを掘り、実験で針を走らせたらバリバリとすごい音がして観念しました。愚かです。
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