Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______世相に思う

親ガチャの功罪(その2)

2022 AUG 18 0:00:32 am by 東 賢太郎

人生は祭りだってイタリアの映画監督フェデリコ・フェリーニは言ったんだ、俺もそう思うね。望んでどうなるもんでもない、祭りと思ってれば無理に頑張んなくなるしいつ死んでもケリつくし

あれっ、そういえば、安倍さん同い年でしたっけ

はい、あっちは29年。ショックだよ、同期だったってだけなんだけどね

わかります、自分もありますよ同期には意識が

30年生まれは郷ひろみもそうだ、彼には負けてるな

どうしてですか

だってカッコいいだろ、それって俺の世代の男の絶対的ベンチマークなの。それで負け、収入も負けだよ。完敗だ

そうか、カッコいいとイケメンは違うんでした

もちろんよ。冴えない奴は最低、俺なんかいつでも気持ちはカッコよくいたいね。ゴッド・ファーザー、ドン・コルレオーネ路線でね

ヤクザもの好きですもんね(笑)

うん。ならここは筋通してもらいますよぐらいは平気で言ってるし

けっこうビビります

基本、静かに言葉でいくんでね。弁護士の鼻先で「これ何でしたっけね」ってビリビリって契約書破いたし

う~ん、ナニワ金融道だ

本気で怒ってたんだろうねよく覚えてないけど。でも鬼軍曹みたいなのは嫌いなんだ、机ぶっ叩いて怒鳴ったり、カッコ悪いよね。俺、成城学園だからさ、やっぱ品格ってのはね(笑)

でも証券会社の支店はどうだったんですか、当時は特に激しかったんじゃ

そりゃあもう。営業場で灰皿砕け散ったし鉄拳も飛んだ。だからあとで「ナニワ金融道」読んだらあるあるの嵐でさ(笑)。でも俺はなぜかそういう風にはならないの。2年半支店にいたけど楽しかったね。送別会、居酒屋で大勢でワイワイやってくれて、最後にスピーチしたら全員泣いて俺も泣いて、そんなんだった

どうして入社されました?

そういうとこだって知らなかったの(笑)。生きのびれたのはお客さんのおかげだよ。世の中にこんな凄い人がいるのかってね、他じゃ絶対にわからなかった。あの2年半のお釣りでその後の人生あるようなもんだよ

ブログで読みました、あの鉄砲屋事件のことですか?

そう、例えばあの任侠の親分ね、俺、お宅に夜中の2時までいて真剣に殺されると思ったからね、すげえなこの人ってなっちゃったよ。目の前であれ見たらヤクザ映画なんて可愛いくってさ

とても成城と思えません(笑)

でもね、そういう空気の中で毎日を送るってのは若い時は大事なんだ。先輩だろうが同じ釜の飯ですっぱだかでつき合ってるんで、みんなお互いの酸いも甘いも実力も知っててね、そういう集団じゃないとできない質の仕事ってあるよ

例えば?

チームプレーだから一人へこむと誰かが埋めなきゃいけない。よし俺がってやるでしょ。俺がへこんだ月は心配すんなって先輩がね、絶対に言っちゃいけないんだよ、目だけでさ。そこがいいだろ。こういうチームはスポーツでも強いんだ

ちょっと軍隊っぽい感じですかね

戦争は行ってないから知らない。仕事なんて命取られないからね、戦争をそんな軽々に語っちゃいけないよ。でも、俺、仕事で何十回も韓国行ったよね、で、あっちはみんな30前に軍隊2,3年行ってるの。だから鍛えられてわきまえてるんだね、俺みたいな男の前に出るといい奴なんだよこっち日本人なのに。なんだこのクソガキみたいなの見たことないね

やばい!耳が痛いです(笑)

そういうのってね、上司だけじゃないんだよ、お客さんも見てるの。わきまえなさい(笑)

ところで、これからの案件はどうですか?

あるよ。不思議なもんでね、12年潰れないでやってるとね、そういうのがいくらか信用になるんだろうね

ソナーは投資会社じゃないコンサルっておっしゃってましたが

最初はそうしようと思ってたよ。ファミリーオフィスで始めてね。でもお客さんは皆さんが立派な方で人間として奥が深いし、資産家だからいい投資機会はききたいの。こっちは自分が投資するためにいつもソーシングしてるでしょ。だから見つけたら紹介してねって、それってコンサルだよね

間口は広げないんですか、客数を増やすとか

だって社員9人しかいないんだよ、無理でしょ。ひとりふたり雇ってもサービスの質は大きくは上がらない、みんなレベル高いから。だからお客さんも増やさない。各人のサービス落ちるからね

でももったいなくないですか、案件があるんだったら

大きくして売上あんまり変わらないと全員給料が減るでしょ。優秀な人はやめるよ。図体デカいと変わり身も遅くなってね、コロナみたいな環境変化についてけないから益々売上増えない。大企業ほどヤバいね、白亜紀の恐竜みたいに

たしかに規模の利益ってコトバ、聞かなくなりました

そうねでもね、実は日本は前からそんなのなかったの、経済学的な意味ではね、規模じゃなくって競争のない利益だったんだよ、あったのは

カルテルみたいな?

そう、資本関係なしの親方日の丸クラブね、そこにいれば利益があってよそ者は入れない。長い物にまかれてりゃ楽。「ごりやく」っていうよね、神仏のお恵みのこと、漢字は利益でしょ、親方っていう神仏にたかってりゃ「りえき」が出るの、税金が降ってくるからね

そうか昭和では土建屋国家っていわれましたもんね。もうないですが

そんなことないよ、去年のオリンピックなんて堂々たるそれだったろ

そうか、今日逮捕者が出ましたね

まあしょうがないとこもあるわけよ、ああいうエンタメ、イロモノ界ってのはね、東大出の役人に絶対できないからさ、足元見てばっさり抜かれる。だからどうせ抜かれるんならどこにさせれば国民が納得するかって、ならばあそこは親方日の丸クラブのメンバーだから安心だろうってなるわけ。うまいね。で、ワルの政治家はその構図においしい利権が透けて見えてくるわけよ。まあその位のタマじゃないと政治なんてできないけどさ

IOCのお歴々なんて貴族づらこいて、儲けさせてもらってあたり前みたいなのばっかりですもんね、納得さすのってカネいったでしょうね

あいつらはクーベルタンとかオリンピアンの誇りも商材だって割り切った連中なの。タレントの出演料いらない興行だからな、原価ゼロな商品をスポンサー、テレビに競争させて値を吊り上げて丸儲けさ、こんなのは誘致どころかボイコットしてアテネに永遠にお返しすりゃいいんだよ。で、魚心に水心ってやつでさ、どうしてもやりたかった安倍さんと菅さんと森さんがね、本社ビル売るほどピーピーだったあの会社しかないでしょ、ほかに誰ができるのってやっちゃって、それでこの時勢に最高益なのよ。クラブの仲良しメンバーだってだけで株も上がって3%も配当できるんだ、凄いよねこのビジネスって。事業だから儲けるのはいいよ、大したもんだと思う。でも本当の問題はそこじゃないんだ。

そうか、税金にたかれれば権力もカネも無競争で手に入って勝ちってことですね。平等な競争環境なんて潰した方がいいんですね

ご名答だ。つまりね、国のてっぺんから「親ガチャ」になってるの。そこに生まれて資産があってちょっとイケメンだったりすりゃあね、どんな馬鹿息子でもはじめっから競争ないわけ。わかる?東大なんか行かなくていいの。そういうのは家臣団っていうか働き蜂っていうかね、御用学者もそうね、とにかく長い物に巻かれて安心安全に生きたい人達にやらせときゃあ行政サービスは見た目だけは質がいい。国民はそれで文句いわないし、あとはマスコミ手なずけとけば身分は安泰。アホでもオッケーさ

そうか、我々世代が親ガチャに見えてるのって、その投影なんですかね

国ごとそうなんだから自然に空気がそうなるんだよ。隠せないねこういうのは。で、お母ちゃんが幼稚園児の息子の尻たたいてあんた東大はいりなさいってね。なぜ?日本で一番長い物だからさ。できればそれに巻かれたい、謹んでお巻きいただきたいってね。いい、あんた、それが得な人生なんだよ、安心安全なんだよって。そうでもないんだよね現実は。その長い物が傾いてきたらそういう子は優秀でも若くして人生終わるよ、だって他のオプション何も持ってないからね

冷や汗です。はい私も想定してませんでした

この世の中の勝者はね、親ガチャ大当たり組に生まれた奴、何も苦労してません、何も考えてませんのボンだよ。寝てても勝ちの貴族階級ができちゃった。若者がガチャって自嘲して人生諦めるなんてとんでもない。だって政治家の資産は地元の地盤、票田だよ、貯金ありませんって関係ねえのそんなの。地盤、票田ってバランスシート載らないし、親父が死んでも相続税1円もかかんないから。だからIOCのバッハとかあいつらエセ貴族と臭いが近いんだよ、ぜったい仲良しになってはくれないけどね、欧州のローマクラブからみりゃただの田舎もんだから。でもこいつらカネもってくるなってね、金儲けだけならパートナーシップ組めるわけ。世界の常識だよそんなの

どうなるんでしょうかニッポン

知らない。Who knows? 妙齢の皆さんはもう人生お祭りで楽しくやればいいんじゃないですか。俺はそれしか考えてないよ。でも30代の君らは国と共に沈没するわけにはいかないよね。貴族階級なんてわけわからん中抜きの中二階はいらんよ、皇室があるんだからそれを立派な形で守ってさ。そう思う人は命かけて政治家になってください。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

「親ガチャ」の功罪

2022 AUG 14 20:20:29 pm by 東 賢太郎

「親ガチャ」って親は選べないってことらしいね。新語大賞だって?

そうです、それで人生決まる時代に生まれちゃったっていう感じですね

こういう会話が30代の人とあった。

そうか、俺の親はいたって普通だよ。サラリーマンの団地族だった。だから親ガチャは当たりでもはずれでもないよ

いや、当たりです、銀行員でしょ、それだけで大当たりなんですよ

そうね、子供の頃はね、でも社会人でこうなるのに親の助けは借りてないよ

高校ぐらいですか、そうなったの

ぜんぜん。俺にとって高校は暗黒時代なの。できればなかったことにしてほしい

どうしてですか?

野球だめで駿台の公開模試うけたら偏差値42だ(笑)。わかる?

へ~、頑張ったんですね

うん必死にね。でもこのことに親は出てこないよ

東さん、それ当たり組だから言えるんです、ずるいんですよ我々には

なんで?みんな1回ガチャやって平等だろ

はい、でも競馬でハズレだと悔しくて馬券破るでしょ(笑)

う~ん、馬ならねえ、でも人生レースの馬は自分だろ

そうです。だからこそ、足が遅いのは親のせいだって理屈になるんです

なるほど、たしかに俺もそう思ったよ、けど走ってみるとなんとかなった

東さんがそう思ったのは単なる当たり馬券の見落としです

なかなか手厳しいね(笑)。人生、馬券で決まるの?ならば努力はいらないの?

みんなしてます。でもそれだけで成功できない時代なんです、当たり馬券ないと

じゃあ逆に成功した人はみんな馬券のおかげかい?努力も苦労もしてないの?

いえ、して報われる人と報われない人がいるんです。それも親で決まりです。親の地盤なしで議員なれますか?それも親だし足が速い遅いも親です

そうか、でもその理屈だと美女、イケメンこそ人生の勝ち組ってならないか?寝てても勝ちだからね

それはそうです、親が当たり組ってそういうことですから

おかしいね、顔に努力はないだろ?

はい、生まれてくるのに努力はないんです、だからガチャに喩えてるんです

なるほど、とするとね、「ウチの子が泣くので運動会の順位やめて」と同じ?

それ、モンスターペアレントの話ですね

そうだよ。だったら走らせて足鍛えろよって。皆と一緒に努力してさ

いえいえ、東さん、それ体育会ですよ昭和の。いまどきパワハラ言われますよ。

だっておかしいだろ。かけっこ努力した子は評価しないでイケメンは寝てても評価するのかい?キミが怒ってるのって、まさにそれじゃなかったの?

怒ってはいないんです、それ世の矛盾ですよね、それに対する半ば自嘲です

演歌の「どうせ私は・・・」みたいだね、長い物に巻かれて居場所は確保してる

開き直りって強いんです、ガチャは親より上ってニュアンス出そうとしてますね

まあいいけどさ、そんなの強がってるくらいなら勉強した方が早くねえか?

しないんです。既存の競争から開放してくれる理屈が親ガチャなんで

そうか、いくら負けても仲間うちじゃ親のせい社会のせいだもんな、楽は楽だ

東さんの高校ドツボの時にあればよかったですね

そうだねえ。だったら俺、高校中退してたな。野球やりに学校行ってたからね

どうなってましたかね?

う~ん、板前かな、料理はね本気でやったらすごいよ。映画監督もよかったな

うわっ、そっち見たかったですね

おい、なんか悔しくなってきたよ

僕は若い人とメシ食べてざっくばらんにこういうしょうもない話するのが大好きだ。それで最後は「さすが若いですね、67なんて見えませんね」と持ち上がって気持ちよく帰る。おかげでストレスがあんまりたまらない。そう、これって、往時はクラブでお姉さんに囲まれてしてたんだ。そういえば親父も施設に入って最期まで若い看護師さんたちにかまってもらってた。それで97まで生きたのかな。だったらこれは親ガチャ当たりだ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

百科事典とベートーベン交響曲全集の運命(改定済)

2022 AUG 3 23:23:21 pm by 東 賢太郎

むかしむかしあるところに百科事典というものがあった。大学の頃、ブリタニカのセールスの売り込みがあったのはたしか真夏であり、会うのは喫茶店、アイス珈琲がただで飲めるというので話をいちどだけ聞いてみた。たしかに知識の集大成は素晴らしいとは思ったが、セールスのポイントはそれではなく「一家におひとつ」だった。僕はまだ一家の主でないんでと断った。彼はセールスがうまくなかったようだ。

百科事典は皆さん世界史で習ったフランスの百科全書派と関係がある。ボルテール、モンテスキュ、ルソーなど新思想の大御所が著者となったよろず知識大全がエンサイクロペディーだったからそう呼ばれる。新興のブルジョワ階級に売れたのは国王、僧侶を批判した彼らの啓蒙思想が世の中を変えると信じられたからだ。フランスでそれはあの革命の火種となり、我が国では2百年たって応接間の装飾品となった。

「一家におひとつ」は戦後復興期のラジオ、扇風機、テレビ、冷蔵庫、洗濯機などにはじまる。核家族化で「家」が増えたこともあって売れに売れた。高度成長期で豊かになると対象は高額品のクルマと家に及び、「マイカー」「マイホーム」なる新語を生んだ(マイでないのが普通だったのだ)。「一家に一台」で買われたアップライト・ピアノはいま中古業者によって中国に年間5万台も輸出されているが、百科事典は街の古書店やリサイクルショップでは買い取りはおろか、引き取り処分も断られてしまうらしい。ちなみに、調べるとジャポニカの美品全18巻がメルカリで3,500円で売られている。本棚をまじまじと眺めたりしない客人の前で主人の教養をそこはかとなく漂わせるにはお安いのではないか。

同じころ、そのノリの世の中で百万枚も売れたクラシックのレコードがある。カラヤンの「運命」だ(ヴィヴァルディの「四季」もあるがここでは前者にフォーカスしよう)。百万となると書籍でも堂々のベストセラーであり、まして地味なクラシックでとなるともう金輪際ない数字だろう。まさか想像もしない極東でとカラヤンもDG(ドイツグラモフォン社)幹部も驚いたことは想像に難くない。ドイツ人は思ってないが日本人はドイツを友軍と思っている。敗戦でともに悲哀をかこった心の友が神棚に祭るベートーベン様。うまい商法だった。インテリはそのコマーシャリズムを鋭敏に嗅ぎつけ、「カラヤンは底が浅い、やっぱりフルトヴェングラーだ」とそれをだしに自己の審美眼を誇ることが同等に底の浅いファッションとなる。おかげでドイツでは同年代のファンがだんだん世を去ってお蔵入りになる運命にあったフルトヴェングラーのレコードが、むしろ故人になった方が仏様として祭られて有難味が出る日本市場では大量に売れるという驚きの発展を遂げるのである。カラヤンもベームも日本が好きだったが、最晩年には生きてるうちから神棚に祭られて気分が悪かったはずはなかろう。

そこでおきた現象がクラシックの百科事典化である。レコード産業の資本主義的成長の必然であった。その象徴が泣く子も黙る「楽聖ベートーベンの交響曲全集」であり、「一家におひとつ」のセールストークには格好のアイテムとなる。百科事典は開いたことはなくても、値の高いレコードを買って聞かないことはなかろうと誰もが思う。運命も第九も聞いたことのない主人が教養人に見える強みがあった。全集というと、ひとりの指揮者によるものは1930年代のワインガルトナーが最初ということになっているが、オケは複数であり、百科事典に不可欠である飾りになる威厳と統一感はまだない。フルトヴェングラーにこの仕事は来なかったからカラヤン出現の10年前まではそれを作る思想はドイツのレコード業界になかったと推察される。カラヤンは1951年から1955年にかけてフィルハーモニア管弦楽団と全集を英国資本のEMIに録音したが、これがその端緒だろう(百科事典のブリタニカも英国企業。もっと顕著には、米国の出版業者がクラシックレコードも出した例としてリーダーズ・ダイジェスト社が著名)。ベルリン・フィル一本で初めてそれを企画したのもEMIだが指揮者はフランス人のクリュイタンスだ(録音は1957~1960年)。契約でカラヤンは使えなかったようだがDGは旧敵国にそれをされたら屈辱というのもあったのではないか。

EMIのマーケティング戦略に刺激され、契約問題をクリアしたDGが満を持し、指揮者・オケ・プロデューサー・技師をお国の本丸で固め、前年のEMIの企画を上書きして潰すが如く同じベルリン・フィルを用い、プロテスタント精神の故郷ベルリン・イエス・キリスト教会で録音したコテコテのドイッチェ式こそがカラヤンの1回目の全集(1961~62年、左の写真)だったのだ。英国資本主義とドイツのナショナリズムはナチ問題で相反した。この全集には終戦後まだ16年しかたっていなかったドイツの文化人、知識人の複雑な精神構造、すなわち戦争責任とナチを分離し国家の存続と威厳を保持するという難題を文化のアイデンティティーという国民の心のよりどころでどう処理するかという思いがこもっていたと考えて間違いないだろう。そして、この全集から切り出した第5番「運命」が「一家におひとつ」の百科事典セールス興隆時代にあった極東の被爆敗戦国で空前絶後のセールスを記録し、当時としては高額の2千円のお値段で百万戸もの家庭に “収蔵” されたという今となっては驚くべき事実は、我が国の西欧文化受容史上、安保闘争、反米の左翼的気運が何がしか投影もしたであろう政治、文化風景の象徴的な一里塚と評して良いのではないだろうか。

ベートーベン全集よりも百科事典の性格をおびたと感じるのは同じカラヤンのブルックナー全集(1975-)だ。カラヤンは初期作品を演奏会にほとんどかけておらず、演奏現場からの必然はなく、つまり全集作成のためだけにそれらをあえて演奏したわけだ。2番などそれでこの出来かというレベルで、これがブルックナーかと眉をひそめる向きもあろうが、僕は初物を真摯に読み解いてBPOの最強の合奏力でリアライズしたこれが好みではある。ザルツブルグのカソリック文化で生まれ育ったギリシャ移民カラヤンにとってブルックナーは「ドイツ性」を身に纏うための大事なツールであったと思われる。彼のデビュー録音は当時は知名度の低くかつ長大な第8交響曲であり、楽団はベルリン・フィルだが製作はEMIだ。プロテスタントとのドイツ性の狭間にいたオーストリア人ブルックナーのアイデンティティーの葛藤を巧妙に自身の隠れ蓑として、由緒正しき保守本流のドイツ代表フルトヴェングラーの後継候補筆頭に躍り出んとするカラヤンの対抗馬がルーマニア人チェリビダッケであったことは僥倖だった。連合国の会社EMIがクラシック界の王道中の王道レパートリーである敵国ドイツ物をアルヒーフの中央に鎮座させるためのエースで4番として、玉虫色にマーケティングできるカラヤンをナショナリズムとナチ排斥の自己嫌悪の分裂に乗じて契約で縛ってしまい、プロテスタント楽団のエースで4番であるベルリン・フィルごとかっさらおうという戦略の仕上げに名刺代わりの第1作をブルックナー8番の2枚組LPとする。これで連合国、ドイツ両陣営の市場を抑えられ、時がたてば米国市場にも切り込める。カラヤンの名誉のためにも美学上の理由もあったに違いないと僕は信じているが、事業家としての観点からも実に秀逸な戦略だ。6年にわたり英国の上流知識階級とがっぷり四つで商売させてもらった僕が英国インテリジェンスに心酔するのはこういうところだ。

Herbert von Karajan
(1908-89)

ベートーベン全集から10余年置いて企画されたDGによるカラヤンのブルックナー全集の重みはそうした背景を知って初めてわかる。出来栄えからして百科事典であって何一つ文句はないが、一方で、これが苦も無く超ド級の演奏水準でスタジオで達成できる彼らが、やる気になれば何の問題もなくやれたであろうし売れたでもあろうマーラー全集はつくらなかったのはとても興味深い。こういうところに欧州文化の深層が見て取れるからだ。ユダヤのマーラーとカソリックのブルックナーは1960年辺りまでは多分に忘れられた演目だった。大オーケストラによる長大な後期ロマン派作品という以外は音楽の性格においてなんら相関のない両者が1970年ごろからそろって人気演目となる背景は、オーディオテクノロジーの進化で長時間の高音質録音が可能になり、LP2枚組で新たな市場が開ける可能性が出たことにある。マーラーは1,2,4,5番、大地の歌など単品としての人気曲目はあったが、人件費のかかる8番、知名度の低い7番、演奏が至難な9番までそろえた「百科全書」はユダヤ系米国人のバーンスタインの起用を待つことになる。マーラーの一番弟子で泣く子も黙る百科事典録音適格者だったブルーノ・ワルターは、米国帰化後にユダヤ系資本CBSからコロンビア交響楽団を提供されて好きな曲を好きなだけ録音できる特権をもらいながら、私見では賢明と思う純粋に芸術解釈の美学上と思われる理由(発言がある)から、3,6,7,8番は選ばなかったからだ。

Leonard Bernstein(1918-90)

カラヤンが10才年長で両人はほぼ同じ年まで生きたライバルだったが、バーンスタインが生涯を通じてブルックナーは9番しか録音をしなかったという重い事実を、宗教、戦争、政治が芸術と無縁と思っている、あるいはそこまで無知ではないがそうあって欲しいとは願っている日本人音楽関係者やファンは考えてみたことがあるのだろうか。彼が晩年はマーラーを契機にウィーン・フィルと蜜月になったことは意味深い。筆者は1997年にウィーンで同楽団のヴィオラ奏者たちと会食した折に「我々にマーラーを教えたのはバーンスタインである」という直々の言葉を聞いているが、正妻ベルリンフィルとの諍いがあり、むしろウィーン・フィルを恋人にしていたつもりのカラヤンには心胆寒からしむる思いがあったもしれないからだ(フルトヴェングラーが正妻ベルリン・フィル楽員に人気だったイケメン男カラヤンに懐いた嫉妬心のような)。しかし、カソリックのウィーン・フィルを手中にしても、あれほど何でも振る能力があったバーンスタインはブルックナーは9番しかやらなかったのである。そのようなことを知ってはじめて、4,5,6,9番,大地の歌,亡き児を偲ぶ歌,リュッケルトの詩による5つの歌曲だけで終わったカラヤンの「マーラー進出」は簡単でなかったことが分かる。軽々に芸術解釈の美学上の理由だけと割りきって推察することも本人が語っていない以上はリスクがあり、私見ではナチ問題をひきずって踏み込めなかったバーンスタインの牙城米国という根深い問題が透けてみえているように思う。

Daniel Barenboim(1942-)

戦争が勃発しているいまこう書くのは些か気が引けるが、それでも両人の戦いから半世紀がたったいま、ずいぶん世界はひとつになった。仏教徒がマーラーをやろうがブルックナーをやろうが元から何の関係もないが、ユダヤ人のダニエル・バレンボイムはイスラエル・フィルでワーグナーをやるには細心の気を配ったにもかかわらずブルックナーは気兼ねなくシカゴ響、ベルリン・フィル、ベルリン・シュターツカペレと3度も全集録音を果たす傾倒ぶりであり、かたやマーラーは大地、5、7、9番、歌曲集だけという塩梅であってナチ問題、宗教、美学を分離しているように観える。芸術解釈をザッハリヒに行なう主義を僕は否定はしないが、ことマーラーのような主情的な音楽をそれと切り離して解釈するのは演歌を譜面通り歌うのと同じほどナンセンスだろう。バレンボイムがそれと相いれないパーソナリティの持ち主ならば演奏しないことが解釈なのだという態度をとるしかない。それが許されるほど世界はひとつになったのだ。

東洋人をなめ切っていた米国が最も恐れるのは中国という時代だ。辺境から搾取するのが資本主義なら、巨大な辺境だった中国がそうでなくなろうとしている今、資本主義は行き詰まるだろうという主張はけっして誤りではない。リッチになった中国では、実は日本でもまったくもってそうだろうが、マーラー、ブルックナーは単なる商品であって、ユダヤだろうがカソリックであろうが、そんなことは99.99%の人にはどうでもいいのである。そのノリで新興ブルジョア家庭が子女教育に血眼になり、品質のいい日本の中古ピアノが資生堂の化粧品やピジョンの哺乳ビンの如く飛ぶように売れる(年間5万台、一台20万円上乗せなら100億円の営業利益だ)。むかしむかし、いまの中国人のようにハイカラを気取りたかった我が国の中流家庭によって、娘の誕生における新しいライフスタイルの心弾む新常識として争うように買われたピアノというものは、やがて百科事典と同じ運命になって置き場所に困った大量の長物と化している。だからその商売が栄えているのだとしか考えようがなく、あの気障りなテレビCMを見るたびにいつも機嫌が悪くなる。中古レコード屋に大量に出回るLPもそんなものではないか。楽ではない家計を切り詰めてピアノを買ってくれたおじいちゃん、おとうさんが亡くなったら、なんでこんな重くてかさ張るものが何百枚もあるのよ、早く処分しといてねってことになるんだろう。ウチばかりはそんなことはなかろうとも思うが、カラヤン、バーンスタイン死して30余年、クラシックリスナーなのに彼らの名前も知らない人が出てきてそのCDが1200円という時代がくるなんて当時考えた人はいないのだ。

それを恐れざるを得ない僕は息子に、地下室はぜんぶお前にやるからそのかわり絶対にメルカリに出すなと厳命している。

 

 

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

日本は「飛ばないカラス」(若者への警鐘)

2022 JUL 28 20:20:56 pm by 東 賢太郎

いま写真の本を読みかけている。若い方、昭和史はあまり学校が教えないだろうから詳しくないかも知れないが、昭和11年2月26日未明に帝国陸軍青年将校による武装クーデターが発生し、首相、蔵相、内大臣らを襲撃、高橋是清、斎藤実、渡辺錠太郎ら現職の政府要人を殺害し、永田町、霞が関一帯を占拠したが鎮圧された事件だ。単発の騒動ではなく、昭和7年には海軍将校による犬養毅首相射殺事件(五・一五事件)がおきていた。かくなる軍部の内部抗争の力学が影響した国家最悪の事態として、300万人が亡くなる太平洋戦争突入が決まってしまうのである。この事件を教訓として学んで欲しい。

青年将校たちが「君側の奸」と呼んで襲撃した要人たちと比べると、いまの権力者は信念も国家観もない日和見だらけで、終始一貫している唯一のことは親米親中を問わず自分の既得権益ファーストの売国奴ということだ。彼らが話す言葉は我々の業界でいう「ポジショントーク」で、ある株をたんまり持っていて売りたいので「いい株だから買いですよ」と専門家面してもっともらしい理屈をこねるのである。バレたって「いい株だから私持ってるんです。それが何か?」で逃げられる。コロナや戦争でテレビに出てるコメンテーターの言葉もそれだ。真理を話すのが目的ではない、そんなの誰もわかってないし俺だってわかんないよ、でも自分は「専門家」って紹介されてるしこんなのでギャラくれるし、また呼んでもらえるようにテレビ局に都合の良い話をもっともらしくしておこう。ギャラはもっともらしさに支払われるという点において、薄っぺらな政治家の選挙演説と同工異曲である。真理はどうでもいいのである。僕とは真逆の精神の人達だ。

こういう連中がいくら演技しようが、職業上、もっと高度なプロ対プロのポジショントークを駆使しながら日々戦っている我々はすぐわかる。そいつのココロを読んだ瞬間にもう聞かない。プロの麻雀大会でツミコミがあってもやられる方が悪いで済むが、それを素人に仕掛けてはいけない。これは法律でなく職業倫理なのだ。それを素人にすることを職業としている方々とは悪いが人種が違うとしか申し上げようがない。昨今における、ただでさえ軽かった政治家の、羽毛どころかホコリの千分の一もない軽い言葉。「巧言令色、鮮し仁」なんてあまりにもったいなく、言われても理解できない者も多かろうし揶揄する気もおきない。国語の崩壊。それは国家の危機のバロメーターだと見抜いた三島由紀夫のような鋭利で腹のある男はもういない。世が世なら二・二六の現代版があったろう。昨年の東京五輪の意味不明の強行あたりから僕はそんなことを漠然と考え始めていた。しかし、もうおきないのだ。それが美しい日本の姿であり、成熟した日本国民の誇りなのだという声があちこちから聞こえる。そうだろうか。美しいのは富士山をはじめとする国土だけで、日本人は江戸時代からの伝統芸で外国人には到底まねのできない「長い物には巻かれろ」で生きる人が多数派から大多数に躍進しただけだ。長い物の能力は凄まじく劣化し、巻かれるほうはぬるま湯でもいい湯だねと思える国民的耐久力が進化した。その裏で、かつては隆々としていた覇気も上昇意欲も退化。飛ばないカラスみたいにみじめに凋落した二流国になろうとしているのではないだろうか。

認知症で記憶がなくなる直前に母に祖母のmaiden name(旧姓)を聞いてよかった。気丈な祖母は駆け落ち婚だから多くを語らなかったが、それが「まさき」と知ってすべてが始まる。ミトコンドリアゲノムは母系遺伝だから僕はそれでいうなら佐賀の真崎くんである。二・二六事件の不名誉な批判が我が事と思えてきたのはそれからだ。父からは台湾軍司令官だよと聞きどこかで騎乗の軍服写真を見た記憶があるが、それは本来が関東軍司令官であるところ政争の故あって飛ばされていたのだった。同書は極東国際軍事裁判における「真崎は二・二六事件の被害者であり、或はスケープゴートされたるものにして、該事件の関係者には非ざりしなり」(ロビンソン検事、不起訴にした)という立場であり、嬉しい書に初めて出会った。

クーデターをおこした皇道派は昭和天皇が正統性を否定して統制派に敗れたと教科書ではなっている。皇道派は天皇親政の下での国家改造を目指す荒木貞夫陸軍大臣と真崎甚三郎陸軍大将の派閥だが、陸軍には人事全権を握る皇道派しかなく、統制派などというものはなかった。様々なアンチが結集し永田鉄山(後に真崎を更迭したかどで暗殺される)を派閥の長として対抗した閥がそう呼ばれるようになっただけだ。真崎は若手将校たちに格別の人望があり、君側の奸を排した後の総理大臣に推挙されたが、なっていれば東条英機の運命をたどってA級戦犯となり巣鴨で処刑されていたから東条のご遺族には申し訳ないが幸運ともいえる。こういう諸々のことから彼の人となりを想像するに権力者の割には人間的でどこか憎からずというものを感じる。

さて二・二六事件あたりの世相に目を向けよう。大不況により企業倒産が相次ぎ、失業者は増加し、農村は貧困に喘ぎ疲弊していた。かたや大財閥などの富裕層は富を蓄積して格差が広がり社会不安が増大したというものだった。近未来を髣髴させる。青年将校たちは地方出身者が多く、娘を売る農村の惨状に悲憤慷慨し、権力中枢に巣食う勝ち組の売国奴どもを誅し、天皇親政の下での国家改造(昭和維新)をめざそうとしたのだった。真崎が主犯であるとする統制派は彼を政治的に抹殺すべく二・二六を利用したのであり、政治を犯罪要件として吟味したロビンソン検事が看破したとおりと信じる。将校たちの天皇親政への畏敬、国富偏在への危機感、国家観は当時のパラダイム下では不当なものではないが、真崎に頼り天皇に直訴してもらうしか実行手段はなかった。そうではなくクーデターへの道を進んだことの是非はここではおくが、命を賭して信念を貫く若者たちの愛国心には僕は日本人として感動を禁じ得ない。彼らに真崎が言ったと伝わる「お前たちの心はヨオックわかっとる、ヨォッークわかっとる」は僕もよくわかる。

僕がブログ読者として意識しているのは6割ほどを占める44才以下だ。そこには子供の世代である25~34才が20%、孫でもおかしくない18~24才も20%おられる。かたやこちらは67才で、白髪でメタボ腹の前期高齢者で、なんだかんだで書くことは昔を懐かしむだけ、己の成功を自慢吹聴しまくり、失敗の方は都合よく忘れてしまっているという不愉快なジジイである。65才以上の同世代読者が10%ぐらいというのは、パソコンができないか視力の問題か、さもなくば近親憎悪だろうと考えている。僕が世代のギャップを超えて孫、子の代と通じ合うものがあるとすれば、それはもう奇跡と呼ぶしかない。拙文はアニメ感覚で読めるものでなく、日本語が不如意な人は読まないだろうし、読める人はおそらく記憶力は良く、文章は画像より脳に定着しにくいが一旦すると消えにくいのだ。自分も若き年代に読んだ物はいまも心に残っており、一部は僕の美学にまでなって性格にとりこまれている。

ブログに影響されたという人が出てきたら人生で成功して欲しい。いや、首根っこをつかまえてでも成功させてあげたい。僕がものを学んだ時代、アメリカで教育を受けた時代、そして海外で仕事した時代の西欧の社会思想は、新自由主義、ネオリベラリズムへまっしぐら派(シカゴ学派、サッチャリズムetc)とソーシャリズム派(中道左派、欧州の社会自由主義政党の台頭)がクリアに分岐しつつあった。僕はリベラリストであるから個人の自由や市場原理を重視し政府の介入を最小限にする前者に共鳴し、サッチャリズムがリアルタイムで展開される英国で6年過ごした体感も寄与した。ネオリベラリズムは拡大してグローバリズムともされ、いま世界に所得の不平等をもたらした弱肉強食的な思想として蛇蝎の如く嫌われるが、ではケインジアンの大きな政府が介入したとして、所得格差は多少縮まるかもしれないが、経済全体がうまくいかなければ分配原資が減って国民全員が貧しくなる、これはどうするんだというと有効な答えはどこからも出てこない。コロナ禍救済策でやむなく出現した「大きな政府」の一環である中央銀行のバラマキが少なくとも株式市場を救ってはくれた。それは僕の事業にはプラスだったが、それで大きな政府が恒常化するドクトリンを信奉しようなどという軽さは僕には微塵もない。「ボクも貧乏キミも貧乏、それでいいじゃないか、みんなで辛さを分かち合おう」というのが猫の餌食になる飛ばないカラスだ。政治家や役人が経済政策、予知能力に長けた全能の賢人である可能性は限りなくゼロであることを歴史的賢人たちが世界史から学び取ったからこそ、万能ではないが人間よりはましな市場にまかせようとするのである。彼らより賢くない政府に任せるとどうして幸せになれるのか誰か論理的にご教示願いたい。

弱肉強食はいけないというのは「うちの息子が泣いて帰ってきたから運動会で順位をつけるのはやめてください」「これは虐待です。息子の人権を認めなさい」というモンスターな母親の理屈だ。それで社会を動かそうというのはひとつの考え方ではあるが、息子さんは幸福にはなるが国民は不幸になるなら採用すべきではない。弱肉強食は競争という社会に自然にあるものの誇張表現にすぎない。全員が平等なはずの共産主義国ですら政権で良いポストを得る激烈な競争がある。いかなる国家、経済体制でもヒトが2人いれば必ずある。だからそれに勝ちぬく力をつけることは、人類普遍の一般論として、良い人生を送るための必修科目なのである。学んで得と思うか否かは自由だが学んで何の損があろう。で、ここはジジイの自慢を思いっきりさせてもらうが、僕は誰にも習っていない自分であみだした方法で受験、仕事、出世、運用、蓄財、野球、ゴルフの競争をそれなりに勝ち抜いてきた。つもりや自負ではない、誰にも文句を言われない程度には事実である。だから我が方法の価値は客観性をもった証明ができ、それはカネをとって教えられる。何故しないかというと、そういうことはカネがない人の仕事だからだ。ない人は成功してないからない。どうしてその人の本や講義で成功できるのかわかる人がいたらご教示願いたい。僕はカネがあるからそんなことをする必要はない。だから全部ブログに書いているのである。

ブログの会、ソナー・メンバーズ・クラブは今年の10月で満10歳になる。総閲覧数はすでに1050万を超えた。物・量、存在感ともそれなりのものに育ったのは読者の皆様のおかげである。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ドーピングは問答無用で退場のイカサマ

2022 FEB 18 9:09:03 am by 東 賢太郎

ロシア国家の組織的なドーピングの制裁で、同国の選手たちは「ロシア」でなく「ROC」所属として出場している。そのROCでまたドーピングがあったとすると、次の五輪は何という団体名になるんだろう?そこでまた出たら次はなに?五輪の醍醐味がひとつ増えそうだ。開けても開けても同じ顔が出てくるあれ。いわゆるひとつの文化というべきなのか、お家芸であるか、はたまた病気か、いったいどれなんだろう。

今回のスケートのあの子は15才ぐらいだろうか、動揺があったのだろうフリーの演技は気の毒で、いかにも後味の悪い結果になってしまった(坂本さんがメダルを取れたのは良かったが)。16歳未満が「要保護者」なのは賛成だが、保護が必要な子供が自分でクスリを飲むだろうか?お爺ちゃんのコップを使ったぐらいでサンプル汚染と判明した他の選手の200倍も汚染されるだろうか?周囲の大人が下駄をはかせて勝とうと、ズル工作しなければこれはないだろう。その大人が人間のクズですねで済む話ではない。以下に書くが、そのことを裁く側の対応がこれまた問題で、世の中がそんなことで動くなら未来は誠に暗い。この事件には何ともやりきれない気持ちでいっぱいだ。

厳正な競争はフェアなルールがあってのみ成立する。したがって、特例を認めてそれを曲げるのは競争の管理者としてあるまじき自損行為であって、管理者の地位から放逐すべきだ。そして、ドーピングの実行者は試験のカンニングと同様、ひっかかった時点で問答無用で退場である。CAS(スポーツ仲裁裁判所)の「要保護者」の子供が傷つくから演技させましょうなどという甘ったれたお為ごかしはルールにはなり得ない。故意があろうとなかろうと即座に退場がルールで、子供であれば少年法の考えでそれ以上の罰は与えず、そんな事態に追い込んでしまった指導者や周囲の大人を所定の手続きで断罪すべきなのだ。さもなくばフィギュアは競技ではなく単なる娯楽のスケート・ショーになり下がる。すると血のにじむ努力を重ねた他の選手たち全員をも傷つけてしまう。つまりあるひとりのお行儀が良い悪いの問題ではなく、競技そのものを堕落させ、信用を失墜させる社会的重罪なのである。

東京大会の時点で書いたがIOCという組織はいったい何なのだろう?2036年の夏季五輪開催に手を挙げてくれるロシアは上客のようだ。フィギュアのあの子は素人目にもレベルが高く世界的な人気者であり、それを演技させないとテレビの視聴率が下がって大事なスポンサー様は逃げるし、ROCに格下げされたプーチンの機嫌をさらに損ねるという事情はあったのだろう。しかしながら、そこで「特例」をもうけて演技はさせる。厳正を装うための逃げ口上で「順位は暫定とします」ってのは完全なミスジャッジだ。ロシア様の「大きな力」の前では「イカサマ」オッケー。その犠牲になって、正々堂々と戦って勝った他の国の子が表彰台に登れなかったらなんてことは無視している。IOCは田舎紳士にすぎない移動サーカスの座長のレベルであり、世界の超一流である選手たちのほうは単なる客寄せパンダって、誰がどう考えても変じゃないのという怒りを覚える。

こうしたバッハ主義は、しかし、バッハ氏の責任だけとは言いづらい。世界にまん延している風潮である「なんでもカネでオッケー主義」を映す一個の鏡にすぎないという見方もできるからだ。カネで買えないものを換金することを「マネタイズ」という。いまや大統領選挙の票でも受賞論文でも奨学金でも愛でも買える世の中になってしまったのだから、IOCが五輪をマネタイズする団体であって何の罪があろう。「その精神でがっぽり儲けさせてもらいますよ、でもそのおかげで皆さんも4年に1度の五輪を楽しめるでしょ?」「だよね」「だよね」になってしまうと何が起きるだろう?フェアネス(公平性)というものは本来はマネタイズという腐敗から競技を守ってくれる防壁なのだが、「それをいじるといい商品になるよ💛」という悪魔のささやきが聞こえてくるのだ。ゲーテのファウストのようにその誘惑に乗って禁断の木の実を食べた瞬間、あらゆる競争はショーに堕落する。それを決められるトップは自分の在任中ぐらいはまだバレないだろう、やらなければ後任者がやるだけだ、やらねば損となる。これは投資銀行の収益部門ヘッドの椅子に座った大概の人が陥る餓鬼道と似たところがある(リーマンショックはそれで起きた人災だ)。バッハ氏をいくら批判しても仕方ない所にIOCは居場所を作っているように僕には思える。

僕は東大がAO入試を始めた時点で同じことを感じた。東大教授でも東大卒でない人もいる。いつか悪魔のささやきに乗らない保証はない。ポリシーが堕落すればAO=アホでもオッケーの風穴があき、蟻の一穴から全部の公平性が瓦解すると危惧するのは僕だけではないだろう。子供のほうも、それで合格しても学内外でそういう冷ややかな目で見られるだけだ。すると、それでは気の毒だ、人生の大切な時期に人格形成でひずみが出るのでむしろ現行の入試は廃止すべきだろう、そして全員をAOで選別すればフェアではないかという一応は理にかなったあらぬ結論が見えてくるのだ。ケン玉が天才的だったり物まねの達人だったりという生徒も一芸に秀でてその道では日本一なのだから東大生でいいじゃないか。何も勉強だけが人生ではないだろう。学問の府も多様化の時代だ。時代に即して変わるべきなのだ。他校もそうすれば、大学のレベルは全国的に平準化して、学問の自由、学ぶ機会の公平という国民の基本的人権の観点から平等な素晴らしい社会が実現するだろう。岸田政権の標榜する新社会主義にもフィットした教育政策ではないだろうか。そうやって日本は国ごとゆっくりと偏差値50に収れんし、気がつくとアメリカに捨てられ、中国の最東端に位置する省になっているだろう。いいじゃないかタダで守ってもらえるなら。だよね。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

科挙のカンニングは死刑

2022 JAN 29 14:14:21 pm by 東 賢太郎

科挙は隋の文帝が598年に創設し、清朝末の1904年まで続いた。中国の皇帝は地上世界を治めるべく天命を受けた者であるが、地上は広く一人では統治できない。そこで官僚が必要となるが、文帝までそのポストは貴族の子弟が世襲してあまりに馬鹿が多く、統治が不安なため作ったのが科挙である。

代々皇帝は変われど約1300年も科挙が維持されたのは民間から頭の強い人材を登用することが国を強くするからである。だから19世紀から欧米もこのシステムを取り入れた。そのためには「公平」で「ズルがない」ことを国が厳格に管理することが大前提で、裏口があればシステムの有効性は崩壊してしまうのである。

日本は平安時代に模倣したがすぐに貴族の世襲に戻ったところがとても日本らしい。辺境の島であり外敵から隔離されていたからそれで征服されなかった。黒船が来てその特殊環境は消えて現在に至る。一般環境において統治者が世襲などしていたら滅びるというのが西洋および中国の歴史が証明する一般原理である。

科挙に合格すると権力と富が得られたため熾烈な競争となった。そこであの手この手のカンニング術も進化した。

これだけの凄技があればずいぶん稼げそうだが、役人になった方がもっとおいしかったということを示している。

カンニングが見つかると家族まで死刑になった。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

えっ「書き換え」?それって「改竄」でしょ

2021 DEC 16 18:18:47 pm by 東 賢太郎

三菱自工、三菱電機、日立金属、神戸製鋼所、日産自動車、SUBARU・・・

「データ改竄(かいざん)」で思い出す企業名だ。まだあった気がするが、どれも立派な企業ゆえにかえって記憶に残るのは皮肉だ。ググるとこのリストが出てきた。汚名は永遠に消えない。

http://www.directforce.org/DF2013/02_DF_katsudo/governance/pdf/DFKG-14-B-01.pdf

何が驚くって、ご覧の通り、ほとんどが「内部告発」でウソがばれていることだ。告発が意外なのではない、経営陣が「ばれないだろう」と思っていた事が驚きなのだ。いまどき社員だれでもスマホや家のパソコンで発信できる。「命令だから従うだろう、長くやってきたことだし、社員なんだから・・・」。いくら昭和世代のお爺ちゃんでもズレすぎだろう。そんな旧石器時代の経営してて大丈夫なんだろうかと心から心配するが、その程度で済むのは僕が株主でないからだ。何百億円も広告宣伝費を払ってきてこれ一発でパア?冗談よし子さんだぜ、役員全員クビ、代表訴訟で損害賠償でもやったるかって軽いタッチでなっていくよ。総会屋より怖いが誰も止められません。他人同士が自然に横で繋がるネット時代の株主はね。

僕は人種的に数字、理屈のピューリタンだ。それに反することは一切やらないし、反する人にも行為にも厳しい。お読みいただいているブログもすべてその精神が書いている。ちなみに数学は満点でないとおかしいと思ってる( 解ける ”はず” だから)。「世の中理屈じゃない」はウソだ。「そういう部分もある」が正しく「それ以外は理屈」なのである。やるかやらないか判断する材料に「人」と「数字」とがあって「どっちかが間違いです」といわれれば数字を選ぶ。人はウソをつくが、数字はいったん数字になってしまえばウソはつかないからだ。その数字を「データ」と呼ぶのである。

従って、データを改竄して論文や調査レポートを書いたり、製品を売ったりするのは僕にとって「数字」の冒涜であり、数字で判断する人間の人生を危うくする犯罪である。だから2014年にSTAP細胞事件を糾弾するブログを冷徹に書いた。何万人があっという間に読んだ。今年5月ごろデルタ株感染者数の “忖度予測” を五輪を強行したい政府に売ったいい加減極まりないリサーチ会社も実名で冷徹に批判した。世のためでも売名でも商売でもない(そのどれも僕の人生の重大命題に入ってない)。自分や家族の人生や健康に害が及ぶリスクがあるから「自助」したまでだ。

「数字で判断する人間」だって?そんなのほとんどいないぞと思われるだろう。それは「世の中理屈じゃない」が憲法第1条みたいな日本だからだ。僕は海外で数字、理屈だけで仕事した。うまくいった。金も儲かった。なぜか?数字、理屈が通るからだ。99%がそう思ってない日本はもっと楽ちんに稼げる。ということはやがて、理屈の帰結として間違いなく、日本は外国の食い物になる(もうなってるが)。その流れの中で、親米やら嫌中やらエモーションだけで動く「数字で判断しない99%」はかわいそうだが間違いなく奴隷の道になる。それを救う力は僕にはない。だから家族だけはそうならないようにする。

知る人はみな僕を「理系アタマだ」という。コチコチという意味だろう。そうじゃない。「数字、理屈のピューリタン」アタマなのだ。固い、頑固だという人達には「マルティン・ルターは立派な人ですね、ところで彼は理系ですか?」ときこう。2014年にこういうブログを書いたのが懐かしい。

小保方氏に見るリケジョとAO入試

ここから2つ引用する。

我が国は数学ができないがそれに疑問も抱いていない男性に満ちあふれている

理系・文系のくだらん区分けでこの事態を放置してきた文科省に重大な責任がある。保証するが、世界はそんな男で満ちあふれてはいない。日本を外国の食い物にし国民を奴隷にする国賊ものの教育政策である。

小保方さんの行為は倫理観以前に「数学千本ノック」をしっかりと受けた人の思考回路が許容するものとはどうしても考えられないのである

STAP細胞のニュースが出た当初、ノックを千本でなく三本も受けてない総理、文科大臣が軽いタッチで「女性の時代だ」「ノーベル賞ものだ」と恥ずかしく騒いでいたのが記憶に新しい。初めから「何かおかしい」と気づいたのは数字、理屈のピューリタンだけだった。同じ言葉を「建設工事受注動態統計」を改竄した国交省の役人に贈りたい。読者にはお耳ぐるしいとは思うが事実だから書く。東大は文系でも「数学千本ノック」をしないと入れない。だから役人の思考回路が「数字の冒涜」を許容したとは俄かには信じ難い。とすると「倫理観以前に」ではなく「倫理観の問題そのものでしたね」になるが、そうなら大臣がクビどころか役所ごと潰さなくてはいけない。「何百億円も広告宣伝費を払って一発でパア」は企業でも許されない。二千六百年も積み重ねてきた国家の信用が「故意にウソをつく役所」のせいでパアなんていう事態を許す国民はいない。

こういうことは首相や大臣が「遺憾」に思っても、それに「大変」がついても片づかない。税金にたかってばれた議員が「返金します」「寄付します」では済まないのである(万引きした商品を返せば無罪になるか?)。「二度とこのようなことが・・」って、一度でもあったらアウトだ。なぜって、議員や役人に変な人はいないと信用して国民は税金を払っている。「昨日は変でしたが今日はまともです」なんてのが通用すると思ってるだけで変な人だ。信用に払ってるのだからそれが消えれば税金は払えないねとなっていく。

落語のパロディーで「お爺さんとお婆さんが助けた白い鳥が恩返しに来たと思ったら、機を織るのではなく、家財道具を持って逃げてしまいました。鶴だと思ったらサギだったんですね」ってのがあったが、経産省キャリア官僚が給付金詐欺で逮捕なんて事件が本当にあった。善人のお爺さんお婆さん、がっかりしただろうね、でももう白い鳥は助けないだろうね。

(こちらもどうぞ)

「小保方氏に見るリケジョとAO入試」再論

(こちらが「何万人があっという間に読んだブログ」だ)(原文ママ)

小保方発表で暴騰したセルシード株(7月25日、追記あり)

「ワタシ、失敗しないので」と思ってる「大きな力」が「学歴・業績でっちあげ作戦」に失敗したケーススタディである。こういうのを野放しにしておくと国が腐る。マスコミもご覧の通り国交省の「改竄」を「書き換え」なんて改竄しちゃう腰抜けであり、野放しに加担するのみである。ネットが駆逐するべきだろう。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

「今年の流行語大賞」と「大きな力」の関係

2021 DEC 2 19:19:33 pm by 東 賢太郎

2021年の流行語大賞は「リアル二刀流/ショータイム」だった。いちスポーツ選手の活躍が、「全スポーツ」の世界的祭典であり、史上2度目の東京大会であり、しかも我が国が史上最多の40個も金メダルを取ったオリンピック・パラリンピックより流行度が上というのはどうか。大谷翔平の偉業が破格とはいえ、野球のルールすら知らない人も日本にはたくさんいるし、まして地上波でやらないメジャーリーグの中継を全国民が見たはずもないし、大谷がどこのチームに所属しているのか知らない人だって多いだろう。不思議だ。

前回の東京五輪の1964年なら、流行語大賞はこういう五輪がらみのものになったのではないか。

『俺についてこい』『東洋の魔女』『回転レシーブ』『ウルトラ C』・・・

ちなみに野球では、王貞治が55本の本塁打記録を達成した国民的英雄であることは周知だろうが、その偉業も1964年だったことを僕は忘れていた。

不思議の原因は、それほど2021年オリ・パラが国民的には盛り上がらなかったということだ。選手はよくやった。しかし、社会現象として観るなら、事前の世論では五輪反対が6割もあった。元から五輪が嫌いな人がそんなにいるはずもない。ひとえに、コロナ禍のさなかに菅政権、IOCの「大きな力」が働いて強行開催というイメージが醸成されてしまい、「民意が置き去りにされた」という記憶が国民的に残ったことが理由だろう。一方、大谷MVPの盛り上がりは絵に描いたようにその対極だ。一選手、一個人の「小さな力」で「大きな事」を成し遂げた。それがより「すがすがしく」感じられる風景の年であったこともあろう。

僕は本ブログで大反対の論陣を張ったわけだが五輪が嫌いなわけではない。菅さんがコロナ無視の意味不明なごり押しに入ったからだ。当初から彼に批判的だったわけではない。政治主導の「俺についてこい」は結構だし、「自助」は小さな政府を示唆するから、大きな政府による税金バラマキで845億円の事務経費をかけて国民の皆さんに一時の小さな幸せをなんて極限まで馬鹿な政治家よりずっとましだった。しかし、あまりの科学無視(無知)、目に余る意味不明の言葉(呪文)、俺は総理だ国民は黙っとけ的態度(大きな力)に辟易してついていけなくなった。そしてデルタ株の空港検疫ダダ洩れで我が身の危険を察知し、何の罪もない五輪で怒りに達したのである。

本稿は流行語の話を書こうと始めたが、「大きな力」が蜘蛛より嫌いなことが通奏低音であることが書きながら自分でだんだん明らかになってきた。僕は猫科の動物なので支配されるのが耐えられない。先生も上司も権力者も権威者も苦手で、彼らが行使するパワーがそれなのだ。支配されてるように感じないが強制的に徴収された税金がしょうもないものに浪費されている景色も同じ理由で耐え難い。五輪強行はごり押しへの怒りに加えてそれもあった。都民は疫病リスクに晒され、IOCに場所を貸してやり、お前らはテレビで見てろだ。それで余分な税金をむしり取るのはどう好意的に考えようと筋が通らないぼったくりである。国民の多くもそう思ったのだろう、折悪しく五輪後に軌を一にしてデルタ株が東京で5千人という事態に至ったことが政権の命取りになった。それが今や5人だ。台風一過というかウィルスにもて遊ばれてる感すらある。岸田政権のクレジットでも何でもないが、政治にも運はあると思う。

税金というものは100%が「公」(おおやけ)の利益に供されるべきお金である。喩えるならマンション住人から取る「共益費」のようなものだ。それがビルの修繕や廊下の掃除やごみ処理やエレベーターの電気代ではなく、オーナーや一部の特権住人が私的に使い込んでましたなどとなれば厳罰に処されて当然だろう。国民の多数がコロナ医療との見合いで危機感を表明していた五輪は、主催側が「公」と思っているだけでその実はIOCとスポンサーという国民にとっては「私」でしかない者のために「使いこまれた」と感じた人が多くいたということが、アスリートの素晴らしい健闘にも関わらず不相応に盛り上がりを欠いた真の原因だろう。

使い込みでないにせよ国民が「公」と思わないものへの税金投入は、突き詰めれば私有財産を認める日本国では私権の侵害であって、「大きな力」で政府が勝手解釈で説明もなく本当に「公」かどうか不明な使途に投入できる状態は認容すべきでない。なぜなら選挙資金に回しましたという万死に値する犯罪が現実に広島で起きており、あんな巨額のバラマキなのに当初はバレてなかったのだから少額ならやり放題だろうというイメージを国民に持つなという方が無理である。このまま司法が処断せず放置するとますます政治不信となり、投票率が下がり、政治家の質がさらに落ちる。つまり「公の利益」のために取った税金が使途次第で「公の損失」になるという笑えない結末になるのである。

政治家は疑われないためにも「公の利益」を証明する明細書ぐらいは国会で開示した方が今時は身のためだ。疑念だけでも一度ネットに書き込まれてしまうとずっと残るので選挙のたびに蒸し返され、いわば人気商売である政治家にとって一生の足かせになる可能性がある。落選運動なんてものがネットを使えば簡単にできる。知性のない罵詈雑言、毀誉褒貶、誹謗中傷が何百万あろうと国民は無視するし、そうでなければ名誉棄損で訴訟すればいいが、知性の高いインフルエンサーが周到な準備と論旨で巧妙に狙い撃ちすればネット上に電光石火で駆け巡り落選運動は威力を持ち得る。新聞、雑誌の記者はそれはしない。取材できなくなるからだ。しかしネットという記者クラブ外のニュー・メディアが「視聴率」を伸ばしている。youtubeは「大きな力」で制御できるが、書き込みはインターネットを遮断しないと止められない。有能な政治家がそんなことで失脚するのも「公の損失」だ。

「公」「私」といえば、秋篠宮文仁親王が誕生日会見で皇室のそれについて触れられていた。皇族の「私」については難しい。望んでそこに生まれたわけではない。公務をする私人は公務員だが、皇族は公務をするが私人でも国民でも公務員でもない。そのために憲法上の権利がすべては適用されない。税金を払っている国民の思いに寄り添ってというのは皇族の「私」の制限の根拠になるのだろうか。皇室典範のようなものが我が家にだけあったら僕は即座に憲法違反で訴えるが、皇室の方はなぜそう主張されないのだろう。大学の憲法の授業ではわからず、以来しばしば考えてきたが僕にはいまだにわからない。

内親王ご結婚の件での皇嗣であり父親でもあるお立場の相克こそ「公」と「私」のそれだろうと拝察した。時代と共に皇族の「私」も変わるとされたが、それもそう思う。ただ、「私」はそうであっても皇室は日本国の「公」の中の「公」の存在であり、そちらは不変だから象徴としての意味がある。「公」まで世につれ人につれ変わってしまっては何を象徴しているか不明になり、人間宣言された天皇の恣意で国の正義、善悪が決まり政治利用もされかねない。皇嗣殿下は納采の儀等が軽いものという印象を与えてしまったかもしれないと言われたが、儀式は規則上は任意であるとしても、国民の多くはそれを知らず「公」と思っていよう。ということは、それをしなかったということは「公の部分は不変」という皇室のコンセプトも軽いものというメッセージになってしまった可能性がある。それを言われたのだろう。

儀式が税金で行われることを批判する国民はいない。それが伝統への畏敬であり、ひいては皇室へのそれになるのだが、その逆もまた真になり得る方向に国民も変わっていることは、皇室の「私」が変わるのを止められないのと表裏一体かもしれない。誹謗中傷は戦前なら不敬罪だがその法律は消えた。しかし、法の有無以前にそれをして意に介さない発信者、受信者が出現しつつある。ネット書き込み制限を検討するともあったが、事実でないなら宮内庁が名誉棄損で訴えるのが世につれ変わる皇室の「私」の姿でいいと僕は思う。書き込み制限は表現の自由を奪う憲法違反であり「大きな力」にはそれが許されるというなら憲法全部の否定になる。憲法は「大きな力」を縛るための法だからなんのこっちゃになり、では「両性の合意のみに基いて成立」(24条)するから婚姻を認めるとしたのは何だったのかとなるだろう。21条がいらないなら96条の改正手続きになるが、国民の過半数が賛成する可能性はゼロだろう。

ご会見にいちゃもんをつける気はさらさらない。それどころか僕は好きな者同士が結婚するのは一般人だろうが内親王だろうが24条があろうがなかろうが支持するリベラルな人間だ。すでに書いた通り、小室氏が自力で余裕で生計を立てるほど稼ぐ夫になれば雑音は消える。それこそが、皇室の品位と国民の常識にかなった正統な「雑音の消し方」であり、「大きな力」を持ち出して憲法を曲げるような方法を採れば、それを「象徴」と戴く国民の考え方や順法精神もやがて曲がり、昭和、平成の天皇が築き上げられた象徴天皇とは何ぞやという憲法問題に回帰するというトートロジーに陥るだろう。しかし、このことはなにも皇室だけの話でも内親王のご結婚が契機になったのでもなく、権力者が「大きな力」を大手を振って働かせにくくなった世情にすでに萌芽があったと見るのが私見だ。

市民革命を経ていない日本人は「長い物に巻かれやすい」とされてきたが、その傾向を減じている。我が世代には信じ難いほど「個」の欲求、主張が通る社会になりつつあり、確かに欧米人より律義にマスクはしていて従順に見えるがそれは「個」(私、利己)が大事という印であり、自分を守るためには社会と断絶して構わないという印でもある。だからマスクが安倍首相肝いりという「大きな力」で無料配布されても、見れば布製でサイズもみみっちく、ウィルスからの個の防御に役立ちそうもないという恐らく実証的な理由からだろう、見事に誰も使わなかった。総理に忖度の感謝をする気配すら微塵もなく、配布した側は世間一般においてすらの「大きな力」の減衰に対して唖然とするほど鈍感であって、良かれと思った施策が税金の無駄であると怒りや失笑を買って総理の権威を損なうことにすらあいなった。その話題の伝播はネット上でそれこそ電光石火の勢いであったのは記憶に新しい。

この「ネットなるもの」を政治家やメディアは何とかの一つ覚えで「SNS」と呼び、その語彙が包含する「コミュニティ型の会員制サービス」を想起させるものと誤認している様子を覗わせる。現にこうして書いている僕は読み手として何のコミュニティも想定せずネットの大海に向け発信し、分類しようもない読者がどこからどうして来たのかまったく知らないが、とにかく毎日2,3千件のアクセスがある。読み手はアノニマス(anonymous、名無し)で不特定多数だ。僕以上のインフルエンサーはネット上にごまんといる。乗数効果を伴ったネット記事の拡散が制御不能なことは、昨年の大統領選で民主党はトランプの発信元を丸々消し去るという無法者の荒業に頼らなければならなかったことでわかる。「大きな力」はリアル、バーチャルを問わずネットによって支配力を削がれつつあり、コロナによる生活のオンライン依存度増大が更にそれを加速している

政治学的視点で言えば「個」のオートノミー(autonomy、自治権)の増幅は民主国家をよりリベラルな方向に導き、国家権力とのバランスは修正社会主義的な処に均衡点がくる力学が働くだろう。そこに「社会主義市場経済」を標榜する中国との見かけの親和性が発現し、反トランプと中共が大統領選で「どんなイカサマをしても勝とう」と共闘する思想的接点となったと思われる。この共闘はある意味で、国境なき最強の「とても大きな力」であったといえる。しかしその一方で、自国内での「大きな力」による支配力が内部から減衰している民主主義国家としては、共闘して政権を奪取した民主党といえど、万事を「大きな力」だけで動かせてしまう中国という相手に対して同時に底知れぬ恐怖を覚え、必然として敵対するに至っている現状はちっとも矛盾しない。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

「航海派」の男が減れば国は衰退する

2021 NOV 23 11:11:10 am by 東 賢太郎

いま仕事の不安は何もないのに、森嶌医師の診断によると疲れている。それも体でなく頭(脳)がである。脳は疲れないと教わっていたが先生によるといま直接の害はないが過労状態を放っておくと老化が進むらしい。ということは認知症になるということで、それは恐ろしい。先生が免許を持つドイツ製の診断装置バイオレゾナンスはそこまで数値で出てしまう。ちなみに3年前は「自律神経、免疫のバランスが悪化」と出たら、ちゃんと人生初のインフルエンザにかかった。彼の指示で今回はハーバード大学の作った薬を2週間ごとに3回点滴することにあいなった。

どうして疲れてるかという問いには思いあたることがある。自分の会社を持てば社会的にはフリーランスである。法律を順守して儲かってさえいれば何も怖いものがないし、誰にも何にも気を使うことがないからサラリーマン時代のようなストレスもない。僕が儲かるということは同じものに投資していただいているお客さんもであり、宣伝や営業トークやおべっかも無用である。しかし、世の中はうまくできている。その自由の代償は疲労なのだ。何をしてもいいよという究極の自由は、会社や社員の一刻一刻の命運が自分に100%かかっているということであり、知らぬまに「重いものを背負った男」になってしまっている。週末でも休日でも風呂でぼ~っとしている時でもその重荷は頭のどこかにのしかかって、結果、疲れているのだろう。

それは頭の中で不断に起こっている現象だから死ぬまで逃れることができない。逃れるにはただ休んだり寝たりと受動的なことをいくらしても足りず、なにか自発的に行動して、たとえば無理して走るとか部屋を意味もなく歩き回るとかして意識を拡散させるしか手はない。そうこうしているうち、ある事に気がついた。「利害関係のない人」と「どうでもいい話」をするのがいいと気づいたのだ。しかし、それには高いハードルがあることも知った。利害関係のない人と話す機会というのは意外にないものなのだ。探せばできるというものでもないのである。こういうときは普通ならつべこべいわず居酒屋のカウンターで大将と隣と飲んでだべってとなろう。しかし僕は酒が弱いし盛り上がるような話題もないし、ガンモの注文の順番にうるさいおカミさんも苦手なのだ。

そこで思いおこすものがある。ロンドンは独りになりたい男の居場所がちゃんとあった。シガーバーである。顔なじみだが絶対に話しかけてこないバーテンの前に座ると、目くばせだけでいつものラフロイグのダブルとタンブラーが出てくる。干渉ゼロ。ひとりでぼ~っとできる。パイプも買った(写真)。シガーのいいものは高くて何度もというには懐が寂しかったからだが、といってバーテンがどうこう口出しすることもない。酒さえ2,3杯注文してくれれば「今日もお疲れだね」という無言の優しさみたいな空気が流れるのである。英国の個人主義の象徴だ。何も話さず、頭を空っぽにできる場。社会にここまで個人のスペース、空間を尊重する文化があるから巡り巡って名誉革命が起きたのだと僕は真剣に思っている。

タバコは吸わないが今でも時々これはやる

かたや我が国はというと、男が独り飲む古来からのパブリック・スペースがない。「国家」がなかった以前に「個人」(individual =divideできないもの)という概念すらなかったからそのような場所は需要もなかった。ということは個人の集合である「市民」もなく、従って、百姓一揆はあったが市民革命は起きなかったのだ。大石内蔵助みたいに重たいものを背負ってしまった男が居酒屋で八つぁん熊さんと飲み明かすなんて図はない。といって宿の一人酒は暗くて気が滅入る。そこで出入りしたのが祇園だ。お茶屋は遊郭ではない。大石には討ち入りのカムフラージュ説があるが、昔から気晴らしは花街と相場が決まっているから隠せた。そういう場合、相手が男であれ女であれ胸襟を開いてくつろげない。男は信用できないし女も年をとれば世情も理解して口に戸は立てられない。だから年端もない舞妓が安全で、お好みなら「とらとら」で馬鹿になっても決してみっともなくはないよという京都的大人ルールのもとに時間を過ごして「重たいもの」からひとときの逃避ができる。この文化はそれはそれで奥が深い。

つまり「シガーバーとお茶屋は共通点がある」のだ。ちなみにそういう場所を英語ではセーフ・ヘイヴン(safe haven、安全な逃避地)という。ヘイヴンは港だ。男は時に航海を休んで停泊する必要があり、そこは嵐からも海賊からも絶対に安全でなくてはならない。なにも気取って格好をつけているわけではない、疲れた脳はそうやってクールダウンして休めるに如くはないということを言いたいのである。そんな面倒なことをするなら家でいい、それが家庭というものだろうという人も多そうだ。そうかもしれないが、そうであるならシガーバーはなかった。嫌煙で家を閉め出されたお父さんのためにできたのではない。古来から家族とも離れて独りで、あるいは気のおけない男仲間だけと時を過ごすソーシャルスペースを英国の男は大事にしたのだ。ゴルフ場という空間がまさにそれであり、「クラブ」という法律には書けないが反すると社会的地位を損ないかねないコンセプトができ、「あいつは仲間に入れてやる」という意味あいの重たい言葉である clubbable (club+able)まで生まれたのである。

273年目に初めて女性会員を認めた世界最古のゴルフクラブ、ミュアフィールド

ゴルフ場の女人禁制はここにルーツがある。家庭を避けるのでなく女性を差別するのでもない。男が家でくつろいでいても一銭にもならない。だから稼ぎ場としての社会ができる。するとドメスティックなものを持ちこむことを禁じるべき種々の “社会的” な理由が発生し、古来より男だけの集会場ができたということだ。投資した船が東洋から持ち帰った希少品の丁々発止の取引を行ったコーヒーハウスは起源からしてそうであり、教会、オーケストラもそうだという文化的、宗教的、商慣習的な素地があった。フリーメーソンに英国王室のメンバーはいるがエリザベス女王は入会していない。メーソンは元来が男だけの石工組合だからだが、船乗りにも女性はいない。農作に適さない国土ゆえ航海術を発達させ、ついに命懸けの海戦でスペインを追い払って七つの海を制覇した誇り高き船乗りの国民が「男だけのソーシャルスペース」を容認したのは誠にごもっともなことだと僕は思う。人間には「農耕派」と「航海派」がいる。私見では日本人の99%は農耕派だが、僕自身は完璧なる航海派であり、農耕派的なるものには資質も関心もないからあんまり交じりあえる感じがしない。だから居酒屋は落ち着けず、ドイツ人より英国人とウマが合ったと思うし、英国の政治思想、哲学には抵抗なく馴染めて大きな影響を受けている。

信長は明らかに「航海派」で商業を振興させ非農本主義的であるゆえに多大なシンパシーを覚える。宣教師に地球儀で世界の物理的成り立ちを教わって航海の重要性を理解し、貿易が巨利を生むことを見抜いて明国に接近を図った。先生格だった宣教師を配下として手なずけてもいた政治力においても秀逸な男というしかない。秀吉はそれをまねて失敗してバテレン弾圧に転じ、家康はスペイン、ポルトガルの布教侵略に怯えて禁教に完全に舵を切り、鎖国した。江戸は百万都市になり文化はオーガニックな成熟を遂げたが、科学は進展しなかったため武器、武力は中世のままだった。徳川政権は国内のガバナンス掌握と運営を確固たるものとして戦乱の世を収めた点では見事だったが、能動的な外交の断絶によって科学技術の停滞が約束され、啓蒙思想と産業革命で武器、武力を飛躍的に進化させた西洋の出現の前では “予定調和的に長期衰退する道” に嵌っていたのである。

徳川家は権力永続と子孫繁栄の視点からすれば大成功したのだが、ファミリーのネポティズム(縁故主義)を支配原理とした長期独裁政権が確定したということであり、「航海しなくなった国」としての視点からはグローバルスタンダードから大きく後退してゆくことが政権樹立の時点で約束されたのである。そのツケが19世紀に黒船の砲撃と共に一気に降りかかってくる。英国の最新兵器で武装したゲリラ集団である薩長軍によって徳川家はなすすべなく権力の座から引きずり降ろされた。世界の常識として最高権力者がそうなればまぎれもなく「国が戦争に敗けた」のであるが、格別に “啓蒙” されていた慶喜は降参してゲリラに殺されず生き延び(インテリの彼は英国の名誉革命を知っていたろう)、「藩はあっても日本国という概念はなかった」、「君主は滅びた徳川ではなく万世一系の天皇だったのだ」と議論をすり替え(大政奉還)、無血開城で御一新(維新)による建国だったのだと正統化してできたのが明治政府である。

この政府は非常に頑健な一夜城だった。それを作り得たことが日本人固有の能力だと司馬遼太郎が美化した気持ちは多くの日本人が共有している。しかしそれができた要因としては、青年であった元勲の多くが懐いた高い志と愛国心もあるにはあるが、それはどの国の革命家にも表向きはあるものだ。中核となった薩長藩が自力で欧州まで行く能力を蓄えた「航海派」であったという “即物的事実” こそがその真因だと僕はストレートに考える。開国までの日本は江戸や堺に商業の発展はあったものの全体としては農本主義、重農主義の支配する中世的国家であり、そこに啓蒙思想、産業革命による先進科学で武装した英国、オランダ、米国、フランスが入りこみ、国内の「航海派」であった薩長に武器と民主主義国家の理念を供与して「教唆犯」として徳川幕府をひっくり返した。中国がタリバンを支援してアフガニスタンのガニー政権をひっくり返し駐留米軍を追い出したという説が真相であるなら、彼らは明治維新での英国の役を演じたことになる。

富国強兵の過程での我が国の叡智、活力は世界史上でも特筆されると思う。北アフリカの肥沃な農業地帯に海洋民族フェニキア人がカルタゴを建国し海洋商業国家として出現したそれを思わせるほどだ。しかし時は産業革命期だ、鎖国で3世紀も航海をサボったことで生じていた近代科学への「知見」の遅れは一夜漬けでは回復できず、第二次大戦でついにそのギャップに決定的に屈した。これがおおまかな僕の歴史観だ。「知見」とは即物的な知識・技術だけではなく思想を含むことが極めて重要である。卓越した技術によって大和や零戦は作れたが、ベースとなる「科学的な思想」に欠けた。だから核爆弾ではなく情報インテリジェンスで負けたのである。この欠落は今も続く。算数もできない大半の大学生が社会を動かし有権者の多数を占める。その事実も震撼すべきだが、「それでいいのだ」、「世の中理屈だけじゃない」と信じこんでいる空気は徳川時代さながらだ。敗戦を認めないどころか何も学んでいない。だから、他山の石から学んで対極を行く科学重視国家の中国に予定調和的に追い越され、その原因は「人口が多いから」と非科学的に信じているのである。

政治家の無学、超小物ぶりを目にするまでもなく、この病につける薬はないというのが我が結論だ。徳川が260年も支配して手塩にかけて作り上げた99%の国民のメンタリティーは変えようにも変わるはずがないし、1%は外国に移住するか99%に同化してつまらない人生を送るしかない。信長が生きていたらという仮定はとても魅力がある。自由な航海により情報収集に長けて交易で栄え、戦争はあったろうがそれゆえにも科学は西洋に遅れなかったろうし、一向宗を弾圧し叡山を焼き討ちしたのだからキリスト教にアレルギーもなく、明国との交渉への橋頭保として利用した可能性すらある。自分がこの世にいたかどうか危ういほど日本は別な国だったろうが、そんなスケールの空想を許す男は日本史上他に一人もいない。

「航海派」の男が減れば国は衰退するのである。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

小室さんの不合格と甘利幹事長の落選

2021 NOV 2 8:08:31 am by 東 賢太郎

2つびっくりした。小室さんの不合格と甘利幹事長の落選だ。まず前者。別に落ちてもまた受ければいいし、それしかないということだろう。米国はディール社会である。政治は効くがカネになる場合のみだ。義理人情、忖度という日本的な動機は日本人用の営業上のお飾りとしてはあるように見せかけはするが実はなく、原理は厳然としたディールだから換金性があるか否かでしかない。何が色々あろうとも、とどのつまりは年収は小室さんの知能と実力に収束する。

次。本人は前回はダブルスコアで勝ったのに今回は落選キャンペーンをされたという。その是非は全く興味ないが、幹事長が落ちたら自民党は誠にみっともないわけで、そんなことは屁でもないアンチがたくさんいたという点は注視している。全国では自民は単独過半数で圧勝だから矛盾している。つまりこの落選は、浮動票が動き、アンチ自民よりアンチ政治とカネだった可能性が高い。

それは非常に良い傾向である。投票率は下から史上3番目で残念だが、心ある有権者がアンチ政治とカネ、アンチ税金無駄使いに振れつつあるのは地域にはよるがある程度は全国的傾向だろう。その足かせが幹事長の首まで取られるほど大きかったにもかかわらず自民が議席の少しの減少ですみ、大きな追い風をもらった野党共闘が立民、共産とも党としてみると増えるどころか減少したのは、共闘が失敗だったという意味にしか解釈のしようがないように思う。

つまり、政策がわけのわからん共闘に政権を任すなどあり得ないが、自民の目に余るやり放題、説明不足、政治とカネ、税金無駄使いにはお灸を据えておきたい。傘を持って投票所に行った多くの無党派層(僕もだが)はそんなところだったのではないだろうか。とすると自公で何とか過半数という苦戦を予想していたがそうでなかった。「共闘がわけがわからん」という負のイメージが思った以上に足を引っ張ったのだろう。

野党票が多めに流れたのが維新だったが、理解不能である。橋下は首長を取って実績上げて国政にというが大阪は東京人には死んでもあり得ない横山ノックを選ぶ特殊な地盤だ。北海道や九州の人まで阪神ファンになれというようなもので、悪いが無理だろう。つまり、そこに野党に向かうべきアンチ自民の浮動票が流れてしまったというのは小沢、辻本まで落選させるほど立民に人気がなかったということになる。

枝野代表は頭がいいのか悪いのか知らないが、明らかにドグマティックに見える。世界のヘゲモニーの行方が米か中か、やってる当人たちすらわからない時代に彼のこだわりのドグマが正しいと信じなくてはいけない理由がどこにあるのか不明だ。前回の民主党政権の失敗は経験が足りなかった、今はそれがあるというが、何回経験しても失敗する人はたくさんいるのだ。

岸田総理については、会ったことのある人は異口同音に「いい人」「しゃべらずにきく人」という。全員野球は大変結構だが新経済対策は未知数だ。政府が新たな成長戦略って、何度も書いたがそんなのは役人の小理屈でのっけから無理。その証拠に30年間もそれが出来てないのは株価推移を見れば厳然たる事実であって、その間の役人が特段に不出来だったわけでもない。それを政権がかわったぐらいで出来るなら、総理の首を毎年すげかえれば日本は高度成長できるだろう。

私見では「いい人」「しゃべらずにきく人」はドグマティックの正反対で、時代にはあっている。今の世界の潮流は不確実性が支配しており、べき論よりベター論の人の方が失敗する確率は低く、生存率は高そうだ。菅前総理は完全にべき論の人で、生存率の低いメソドロジーの政治家だったわけだ。

そもそも何が成長するかなんて、人生をかけてやってる起業家本人も知らないし、国ならわかるという話でも何でもない。GAFAのどれが国営企業か考えれば自明だ。国にできるのは起業家の自由度を高め、必要なカネをつけてやるぐらいだが、後者は市場で調達すればいいし(それが健全)、前者は、逆に国が余計な口出しをしないことこそベストな成長戦略ということなのである。

我々がそれこそ人生をかけてやっている仕事がそれであるが、テクノロジーや企業や業界の成長が予見できるのなら株式に投資すれば百戦百勝になる。そんな人は世界に一人もいないのが現実の世の中で、我々が努力と知力の限りを尽くしても絶対大丈夫なんてことはない。それを「私はできます」って軽いタッチで選挙演説で言われても、こいつアホじゃないかとしか見えないのである。

しかし、もうひとつ厳然たる事実があることを書いておく。それが実現するかどうかはともかく、一国の為政者で何十兆円の予算を動かせる岸田総理の経済政策に「なるほど」と思えば世界の投資家は日本株を買うということだ。それを僕は業として40年やって知っている、もしそうなら日経平均が上がる。業績は変わってないのだからPERだけ上がる。15倍ぐらいだが、これが上がれば評価されたと堂々と表明して文句はない。

まだ未知数だが、その状態においてプラス評価のない政策などそもそもやらない方がいい。その評価として自由市場で決まる株価というものは、総理の仕事のクオリティを計る指標としてある程度の客観性がある。良いと思えば1万円単位で買える株を買えばいいし、何も考えない、リスクも取らないでトリクルダウンを口をあけて待っていても、国家財政は何党が政権を取ろうと同じ財布なのだからそこまで面倒など見られるはずもないのである。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

藤川英樹
加地卓
金巻芳俊