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私的ポスト・コロナ序論(飛行機の終焉)

2020 JUN 11 17:17:16 pm by 東 賢太郎

これまで我々の業務はリアル(自社で会議、顧客訪問、電話)とバーチャル(メール等、ビデオ会議)に分かれてました。比率は8:2ぐらいでしたが、それがテレワークにしたこの2か月は逆転していて2:8ほどです。リアルの会議、顧客訪問がゼロになり、電話とメールはそのままで、バーチャル会議(ZOOM)が増えているという内訳です。ZOOMの利点は音質ですね。バーチャルの弱点はリアル感の欠如でしたから、飲み会ができるほどそれを補ったというのは非常に大きいメリットです。「すぐそこに相手がいる」感じは画質の良さのせいもありますが、僕的には音質がすごく評価できます。

トータルのイメージはというと、仕事の質は落ちておらず、量はむしろ増えてます。それで感染リスクゼロですから、僕の仕事かぎりで言えば、満足です。

例えば昨日はZOOMのビデオ会議が4本、ひとつ1~2時間ぐらいです。電話も数えたら23本あって増え、朝9時から午後6時まで食事もそこそこでぶっ続けでした。海外とも違和感なくでき、オフィスまで往復で2時間近く仕事できない、東京だけでも4件を一日で訪問するのは時間もコストも体力も無駄、ということを考えると業務効率もテレワークのほうが上でした。

欠点があるとすると、ZOOMは会議の両側がそれでOKという了解がないとできないことでしょう。しかしOKの輪はどんどん広がると予想します。思い出すのは「クールビズ」です。小泉首相が言いだして、即座にみんないいなと思いました。くそ暑い夏に誰もネクタイなんかしたくないのが本音です。でも「してないと無礼だ」と社会が刷り込まれていたので勇気が出ない。結局、クールビズは官庁が先陣を切ってやったのが効きました。お役所もしてないんだから俺達もしなくていいよねとなって民間にコンセンサスができ、一気に広がったのです。

昭和生まれの人しか知りませんが、1989年の昭和天皇の崩御で「歌舞音曲は控えましょう」のお触れが出たのです。このときも同じことが起きてます。当時野村証券は利益が5千億もあって儲けすぎの批判があり、カラオケで殴られた奴が出たらしいと社内で噂になりました。それでバッジは(はずすと違反なので)裏返しにつけて行くようになったのです。

ところがだんだん「接待だからってそこまでして行くか?」の空気が社内に流れ始めました。すると接待される側のお客さんもそうだよねとなってきて、「実は私、あんまり好きじゃないんです」みたいになってカラオケ接待は自然に消えました。奥様達にはわからないでしょうが、ああいうのは旦那が好きでやってるんじゃなくて、ネクタイと一緒ですね、みんなやってるから仕方ないお仕事なんで、この時も会社からやめろとなったのではなく、双方がやる意味を感じなくなって自動消滅したのです。

そんな感じで世の中はじわじわっと変わっていきます。

いま、同じことがいろんなところでコロナでおきてます。まだはっきりとは誰にも見えませんが、2,3年のうちに社会現象として出てきます。ひとことでいえば「バーチャル慣れ現象」です。長いこと家にいて誰もがネットにつながる時間が増えてます。するとだんだん、ネットで見るものをリアルだと感じられるようになってきます。無意識にそういう「置きかえ」が脳内で回路化されるからです。リモート飲み会がいい例ですが、そんなのいらんと言ってたのがやってみたらハマったという人がたくさんいます。そうやって人は環境に適応していきます。バーチャルでもおんなじだねとなってくると、リアルに高い金を払うのがアホらしくなってくる。それが人間というものです。ネクタイ、カラオケ接待は日本だけの話でしたがコロナ禍は世界共通の現象です。「バーチャル慣れ現象」はクロスボーダーで、いまは誰も予想もしてない莫大な規模で起こります。

コンコルド

その昔、エールフランスとブリティッシュ・エアが事業化したコンコルドという飛行機がありました。超音速でニューヨークからロンドンに3時間で着く。通常5時間です。2時間短縮するのに1stクラスの2倍の料金がかかります。それを払ってペイする時給の人がそんなにたくさんいますか?ということですね。いないから2003年に。コンコルド事業は潰れました。とてもわかりやすいですね。

いちど乗りましたが内部はエコノミーというか、新幹線の自由席をさらに狭くした感じです。爆音+キーンという音で2万メートルまで昇ってスピードメーターはマッハ2を超えました。ジャンボの倍です。空は成層圏で青黒く、二重ガラスの窓は空気摩擦で触るとあっちっちとなるほど熱い。高い料金払うなら1stクラスのサービス受ける方がいい、それで5時間かかってもいいと思いましたが、そんな思いを補って余りあるほど「速い」ということに価値があったのですね、当時は。搭乗記念品をいろいろくれましたが興味ないんでどっかへ行ってしまいました。思えばあれは強烈な「三密」でしたんでね、仮に復活しても誰も乗らないでしょうし、経費申請して通してくれる会社はもうないでしょう。

さように、高速で移動すると得して儲かる時代はもう完全に終わりました。ロスチャイルド家の資産はナポレオンの戦争敗北のニュースを誰より早めに仕入れたからできましたがそれは200年前の話です。今やニュースはネットで瞬時に流れますから速さの価値は確実にゼロです。まして人が短時間に行き来することに経済的優位性など既にまったくなく、もはや個人の趣味の世界でしかありません。つまり飛行機の出張などカネをどぶに捨てるようなものであり、安価で目的は100%達することのできるZOOM会議に置き換えないと株主総会で経営者が糾弾される時代に確実になっていきます

ウォーレン・バフェットはそう結論して、保有していたエアライン株を一株残らず売りました(大損にもかかわらず)。利益率の高いビジネス需要は激減して、もう元には戻らないと、つまり民間航空機はネクタイ、カラオケと同じ運命になるという読みです。僕も同感です。むかし社内で「不要不急の海外出張の禁止」とお触れが真面目に出て笑いを誘いましたが、そもそも日本の大企業のお偉いさんの海外出張は今も昔も物見遊山だったのです。だから外国行きたい人は自費で行ってねってことになります。でも三密のエコノミーなんか誰も乗りたくないからなくなって、LCCでもビジネスクラス仕様の座席になって海外旅行はこれから高くつくでしょう。僕は若者は海外へ出ないと遅れると主張してきましたが、コロナで人のモビリティが世界的に減るので条件はいっしょ、そうも言えなくなりますね。

いま個人的には温泉に行きたいです。あと日本各地のうまいものが食べたい。海外旅行は猫も杓子も行くものでなく昔のように富裕層の贅沢品に戻って、代わりに精度のいいVRが出てくるでしょうね。高性能360度ヴィジョンで完全に外国に行った気になれ、墜落の心配はないしめんどうくさい外国語をしゃべる必要もないし、実際に足を動かして歩けば名所めぐりのめちゃリアルなVR散歩ができ、恋人と手をつないでヴェルサイユ宮殿やナイアガラ瀑布で食事(マックかコンビニ弁当だけど)ができ、音もリアルにシミュレートされてウィーン国立歌劇場でオペラが高音質ヘッドホンでVRで臨場感たっぷりに観られる。ソフトは世界中を網羅してタンザニアのライオンの群れの中から南極のペンギンのコロニーから月面、火星までなんでもあり。安心だしチョイスはユニクロみたいに趣味に合わせて豊富だし、なにより激安だし、グーグルあたりが本気でやればすぐできちゃう。そうかなと思われるでしょうが、「バーチャル慣れ」に進化した人の感覚はもう今の我々と違うので、それで十分楽しめてしまうでしょう。

4,5年後にコロナのワクチンができようと致死性のウイルスは永遠に絶滅はしないから三密だけは死ぬまで避けるつもりです。となるとリアルの旅行は自分の車で行ける箱根ぐらいまで、セーブした飛行機代は宿泊と遊びに投入するという新たな重要が出てきます。ホテル、旅館もコテッジ型でクルマで到着して一切ほかの客に会わずにワールドクラスのサービスを受けられるスタイルが出るはずです。僕はオーストラリアの某ホテルのコテッジが気に入ってますが、あれが箱根か葉山あたりにできれば1か月入りびたってもいい。10なん時間も狭い機内で外国人と同じ空気を吸うのはエアロゾル感染で実に危ない。清潔で倫理観が世界一の日本にいるのが安心です。高い金払ってそんなリスクを犯さなくても東京の近場でいいところはいくらでもあるし、それに金をかけるのがカッコいいという感覚に進化して真の贅沢は近場旅行とVRという人たちが主流になるでしょう。

 

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ジョージ・フロイド事件

2020 JUN 2 13:13:36 pm by 東 賢太郎

ドイツにいたころ、チャイコフスキーの音楽というとどうもあんまり上等と思われてない気がした。部下の通にきいてみるとやっぱりそのようだ。もっと言えば、ショパンやグリーグもだめなのだ。彼はバイエルン人で年上だ。「そうかなあ、R・シュトラウスよりいいと思うよ」などというと真っ向から否定されてしまう。彼とはミュンヘンに出張してバイエルン放送響でベートーベンのコンチェルトをきいた(チョン・キョン・ファだ)。素晴らしい演奏だった。「韓国人はいいのか?」と聞いたら、「なに、彼女、日本人じゃないの?」ときた。演奏家はいいよと取ってつけたが、そのころ、博士号を持って日本企業に勤めるインテリでも東洋人の認識はそんなものだった。

ドイツ人が音楽で覇権主義なのは仕方ないと思う。自分もそうだし。イタリア、フランスは別種であり存在ぐらいは認めるがスペイン、ポルトガルは未開地、東欧は格下の親類と思ってる。ロシアや北欧は辺境であって英米などは最果ての地で無きに等しい。クラシックに浸かっていたからこういう差別的世界観は元からあったが、ドイツで彼と意気投合してさらに鉄壁となってしまったから後でずいぶん困った。というのは米国でMBAを取ったインベストメント・バンカーにとって、世界はその真逆であって英米以外は辺境の未開国だ。ユニバーサル・バンク方式という銀行支配型のドイツの田舎くさい金融など前世紀の遺物であった。野村のなかでドイツ人の言うことなど通る風土はかけらもない。文化と言えばきこえはいいし、根はたしかに文化にあることはあるのだが、人種差別とはこうやって知らず知らず心に巣食ってくるものなのだ。

アメリカにいたときは、通りにたむろしてる黒人の下衆で薄汚い奴らがあからさまに東洋人を差別してきた。体格は立派で運動能力もありそうでそれを誇るのは一理あるのだが、字も読めないどうしようもない、目があえば恐喝の危険を感じるようなグレた連中だ。イギリスもロンドンのソーホーやピカデリーあたりに怪しげな黒人はいたが、ニューヨークやフィラデルフィアで見慣れてるものだから顔が温和に見えた。僕は白人の大学に行き、ウォール街やシティの仕事をしたから目だけでなく頭も白人に感化されているに違いない。だから香港に着任した時にえも言えぬ都落ち感があった。そのフィーリングは誰にも説明できないし言葉にもならない。ドイツやスイスの何倍も大きい現法のトップで一応は出世なのに心に巣食ってしまったものが剥がれるには2年ほどかかった。

アフリカ系米国人のジョージ・フロイド氏がミネアポリスの路上で警官に殺害された動画は、僕の中にある様々なものをえぐり出した。まだ「あれ」があるのか・・・オバマの8年は何だったのか?「あれ」とは40年ほど前にマンハッタンで目撃した黒人青年の射殺死体だ。まだ息があったが救急車が来たときはもう遅く、あとに血の海が残った。映画で見るマフィアの銃撃戦がアメリカでそうそうあるわけではないが、気持ち的には日本人に理解できないほど身近で、シリコンバレーで会った男など「俺はガードが固い、金庫に銃が40丁ある」が自慢だった。その彼が丸腰で夜の街に出てロスでホールドアップを食らった話が仲間のジョークのネタになっていた。刑事コロンボで犯人の女が計略を練っていとも簡単に浮気者の亭主を撃ち殺したりするが、それがお茶の間のドラマだという点にアメリカを感じるようにならないとあの国のヤバさはわからない。

ジョージ・フロイド事件への抗議デモは各地の都市に凄まじいマグニチュードで飛び火して、5月30日のCNNを見ていたら、アトランタの、まさにそのCNN本社が襲撃されているシーンが実況中継され、夜間外出禁止令が放送中に施行時刻となったが誰も帰宅せず無視して警官隊とにらみ合っている。ニューヨークで暴徒が発生し6月1日にはついにホワイトハウス前で火の手が上がった。すでに大事件であるのに感度が悪い田舎者の日本のテレビはあんまりニュースにしない。与党も野党も東部も西部もない。トランプは連邦軍を出すと言いだしたが、選挙がまずいと思っていることだけは確実だ。香港の国家安全法批判をプロパガンダの目玉にする予定がお膝元でおんなじことになってしまったからだ。中国はざまあみろ、してやったりの声明を出しているが敵のオウンゴールで香港弾圧が正当化されるわけでもない。

1997年、米国の資本原理主義にどっぷりつかった頭で香港に赴任して、その主義に「超」がつくことを発見した驚きは忘れない。要はどちらも拝金主義なのだが、金鐘(アドミラルティ)にそびえる48階建ての遠東金融中心ビルのてかてかの金色にニューヨークでおなじみのトランプタワーを思い出し、あまりのあけすけな成金趣味に憎めないものさえあった。僕の赴任は1997年12月でパッテン総督が香港を返還して船で去ってから5か月後だ。最初の半年、あれほどに、すがすがしいほどピュアな自由主義、資本主義の息吹を僕はアメリカですら感じたことはない。低福祉、低課税。自己責任で生きろ、能力あるものは好きなだけ稼げという国である。持てる者に過剰な嫉妬もしない。お札が象徴的だ。米ドルのリザーブで発券される「HSBC」「スタンダード・チャータード銀行」「中国銀行」の3種類の同額紙幣の存在は有名だが、日本人の感覚で言うなら日銀券の威厳にほど遠く、偽造できそうだなあと思う程やっぱり軽い。英独スイスで感じたことのない軽さ。これに唯一匹敵するのは北朝鮮がせっせと偽造している米ドルだけだ。

香港人はエスニックには中国人だが、そういうことに鑑みるに、東洋人ではあっても日本人よりは遥かにアメリカ人に近い。巷の人の英語はヘタで語彙も少ないがそこそこ通じるし、立派と思うのは誰も何の抵抗もなく臆面もなくしゃべることだ。そうしないと食えないからだ。会社では社員はフレッドだシンシアだと好き勝手な英語のファーストネームを名乗り、こっちも経理部のスーザン、人事部長のフランクだなどときっちり認識している。社長が実は社員の中国名(漢字)を知らない、なんともこのポップな軽さもアメリカンっぽい。会食で使う店はみな一流だがサービス精神は誠に乏しく、給与が安いのもあるのだろうが、なにより料理が美味であればそれでいいではないかという割り切りだろう、華僑の大御所である顧客たちがサービスに文句を言ったのを見たことがない。「江蘇省・浙江省同郷會」の50がらみの給仕長だけは例外でいつも愛想がよかったが、それはチップのせいというより僕がそこの剥き海老と上海蟹が好物で真剣に世界一であると褒めた美学的な理由からだろう。

かように、香港では老若男女、職業、貧富を問わず差別というものを明白には感じたことがない。入国管理の法務局と監督官庁であるFSA(金融庁)の役人だけは偉そうだったがそれは差別ではなく役所というものの世界的特性だ。白人というと歴史の成り行きから英国人が多いが、本国でのように高飛車でない。というより当時は香港に来る階層というのはまずアッパーでもピカピカのエリートでもなく、こう書いては悪いが流れ者っぽいアジア好きか出稼ぎ感覚の連中だった。前者は結婚して土着する者も多く、もとより差別感情はない。香港は阿片戦争で英国人が暴力と麻薬で強奪した租借地だが、借款で期限切れになると延長はなく、金の卵を手中に収めようと画策する中国にすげなく追い出されたわけだ。一国二制度はその時のおためごかしの言葉だが、当時から、きわめて嘘っぽく響いており、いずれ牙をむくぞと華僑たちは警戒していた。

香港のエリート層は誇り高い。自由主義で能力を発揮して富豪に昇りつめた自負、自信にあふれた人ばかりで僕自身もああなりたいという気持をかきたてられたほどの熱量だった。もともと中国から逃避した者たちであり中共のヘゲモニーに服する気などかけらもないだろうし、台湾の商人と同じく中国を利用して儲けられるなら服したふりぐらいはするだろう。ただ、一国一制度になった瞬間に香港は香港でなくなるから中国全体の利益にはならない。香港は全体の一部分にならないゆえの「軽さ」(フレキシビリティ)が発展の原動力で、それは米国の資本主義に近いがより軽やかで独特なものである。それが能力はあるが母国では上の階級に抑えられて開花できない層を魅了してきた。その点も、欧州からメイフラワー号で流れてきた移民の国アメリカと気質が共通する要因だろうと思う。

中共がかぶせる国家安全法なる網は権力による差別である。若者が反対するのは必然だ。中国に足場のない彼らの未来がなくなってしまうからだ。ジョージ・フロイド事件とは発端は異なるものの、国家権力による弱者の蹂躙、差別への反駁デモという結果は同じである。両国の暴動をひとくくりにしてコロナに結びつけるのは短絡的かもしれないが、それでも、世界中で社会に個人に鬱積したコロナ・ストレスが何かの形で爆発するのではないかという社会学者の予測は各国にある。デモ隊が三密を気にする様子はなく、正義を求めてそれに参加することはコロナの呪縛を解きはらってくれる精神的大義になっているかもしれない。貧困と飢えとストレス。コロナでたまったマグマがナショナリズム、ひいては人心に根深く燻っていた差別感情に火をつけ暴動、戦争につながるリスクは常に覚悟しなければいけない。

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男にはそれをやっちゃあお終いの一線がある

2020 MAY 12 9:09:33 am by 東 賢太郎

どういうわけかイスラム圏らしき異国に赴任していて、家族と部下のために懸命にサバイバル・グッズを買い求めている夢を見ました。寝ても覚めてもビジネスを考えてるせいでしょうか、夢も突拍子もないことになっています。

こういうのをコロナ・ドリームと呼んでるそうですね。海外の店に社長として着任して社員に迎えられる夢は本当によく見るので、それのコロナ・バージョンでしょう。どれも現実でないのばかりなんですが、例外なくよしやるぞとなる。その高ぶりがあまりにリアルで、目覚めた瞬間に「あれはどこの店だったっけ?」と真剣に思い出そうとしてたこともあります。

平課長に降格でデスクヘッドで雇われてるシーンもけっこうあります。決まって成績悪くて追い込まれてます。ああ今日も商売できんな、そろそろクビかなと悩んで朝になります。さらに降格で梅田支店のいち営業マンというケースもあって冷や汗もの。ひとりリーフ(顧客取引簿)をめくって、やばい、今日も何もできない、これだ、この人に電話してみなくちゃとリアルに焦ってます。

僕の愛読書に「なにわ金融道」(青木雄二)があります。出た当時から何度も読んでるこの漫画、人生勉強になるなどとしたり顔で言ってる甘ちゃんインテリは多いですが、僕にとっては梅田支店の日々、飛び込み外交に出歩いて遭遇する大坂の商売人の人間模様。別に金貸ししてたわけじゃないが、株を売るのはもっとこわいですよ、朝の船場あたりの殺伐としたどやどやした商売人の街の空気がですね、「儲かってまっか?」というウソも虚飾もないストレート勝負のわかりやすい世界がですね、あるある(あったあった)の連続なんです。今も社会人として育てて頂いた大阪のお客様への感謝と愛情に涙が出ます。

似た路線では日本映画専門チャンネルでやってる「難波金融伝(ミナミの帝王)」ですね。竹内力のギンギン、コテコテの極道もん風情が最後は善玉というのが最高だ。カネの恐ろしさがわかるハードボイルドの極致でレイモンド・チャンドラーなんかより日本人にはずっとわかりやすい。情でなく理で悪を倒すエンディングは刑事コロンボに通じるグローバルな勧善懲悪ドラマですね。

もうひとつは「静かなるドン」(新田たつおの漫画が原作)。カタギとヤクザの間で揺れる後継ぎ組長の話。派手な撃ち合いは一見壮絶ですが時代劇のチャンバラみたいにリアル感は実はなく、人物名が新選組や歴史上の人物のパロディで「作り物」感を認めちゃって、主人公のキャラと奮闘を今風の遊び目線で楽しむスタンスですね。

かように、紳士淑女の皆さんには申しあげにくいのですが昔から任侠映画の大ファンです。高倉健、松方弘樹、北大路欣也、マーロン・ブランドが恰好いいと思って育ちましたんでどうにもなりません。だからやってるとついつい見てしまい、どんどんドラマに没入、俺、どうしてこんなにヤクザもんが好きなんだ大丈夫かと心配になったりするのです。

このルーツが少年サンデーの伊賀の影丸にあります。忍者集団の殺し合いドラマだから現代版がまさにそれ。戦争物はアノニマス(匿名)で個人技が見えずいまひとつ面白くない。ヤクザは忍者ほど個性はないですが顔が見えるんでOK。戦国武将も三国志も相撲の星取表もアニマルプラネットもそのノリで観てますんで、三つ子の魂でしょう。投手対打者も熱中して、それで自分でやりました。

いいわけですが、男子が強い者にあこがれる、これ自然と思います。でもやっちゃあいけないことがある。法律でなく世の中の掟を破ることです。破ったら自分に負けという掟でもある。これで生きてる男は格好いいです、信用できます。逆に、法律に書いてないからいいだろう?最低ですね。そういう奴は信用しちゃあいけません。そういう輩に忖度して精神的売春して生きてるのは男のクズです。

男の器量というものがある。本物は知りませんが、映画が暴対法問題にならないのはそれを描いているから、日本人の奥底にそれがあるからです。腕力でも学歴でもない素っ裸の男前ですね、それがないとボスにはなれない。部下が馬鹿にするんでね。ところが今はどうだ。器量のかけらもないチンケな男が権力をもって偉そうにしている。僕はそういう奴は恨みなくても本能的にぶん殴りたくなる。

そういうのはだいたい運動もだめで「男の勝負」という人間の修練の場を経てないから汚いことを平気でします。勝つためにはウソも裏切りもありというのが三国志であり孫氏ですが、それで生きるのは中国、朝鮮までの話であって、日本の男にはそれをやっちゃあお終いよという一線があります。それをわかってない奴というのは日本の男じゃない、僕など1秒で馬鹿にしておわりです。

そういえばビジネスの戦場で何人か同期、部下にいい男がいましたね。ゴルフしたり飲んだりのお友達関係が先に来るなんてのは、誤解を恐れず言えば女の世界です。女子会、ママ友です。奴らはあくまで仕事で男ぶりが良かった。それだけなんで会社辞めたらつき合いはありませんがね、プロ野球選手が選ぶオールスターなんてもので今でもずっと敬意をもってます。

政治家にそういう光を放つ男が少なくなりました。見事に劇貧ですね。私利私欲の前に掟なしのふぬけばっかり。男はそれをやっちゃあおしまいなんて微塵もなく、邪魔者は情け容赦なく消す曹操の凄みもなし。本性を見たからもう何を言っても無駄。何人かの特定の政治家に贈っときます。女性はよくわかりません僕の本能の範疇に入らないんで、でもあねさん組長ってのもありでしょうね今時。

 

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パンデミックは必至

2020 FEB 27 23:23:41 pm by 東 賢太郎

昨日は一日、朝のタクシー運転士さんから社員からパートナーから全員にウィルス対策を教えて終わってしまった。それだけ皆の健康が気になるからで、パートナー若手諸氏がせっかく話をききに来てくれたが本題そっちのけになってしまい申し訳なかった。

父の入っている高齢者施設から「契約書にサインしに来てほしい」と電話があり驚いて「そんなの郵送でいい。社長に言って外部者の入館はすぐ禁止してくれ」と言ったら施設はびっくりして騒ぎになった。その時点で役所からは何の指示も来ていなかった。2月17日のことだ。遅い。遅すぎる。

火曜は舎弟Sと夕食のはずだったが、朝方に電話で「今日やめときましょう」といってきた。どうしたのときくと「ウチ担当のやつが出ちゃったんです、陽性反応」「えっ?会ったの?」「いえ今年はまだ」。だったらいいようなもんだが、ご時世がら、そうきいただけで気勢をそがれちまう。その担当者氏のD社が全員テレワークというニュースが世間を驚かせたのは午後だった。

経済ってどうですか、株はどこまで下がりますかとよく聞かれる。きみね、ウイルスの得体もしれないのに株価なんてわかるわけないだろ。そうなのだ。陽性なのに健康に見えてバラまいてしまう。かかっても初めは風邪ぐらいのふりをしてバラまかせて、急に両肺にくる。いったん陰性になった罹患者がまた陽転する。このウィルスの「なりすまし戦略」は凄い。正体を見せず、じわっと確実に広がっておいて、しかも宿主に居座る。生物兵器かどうかはともかく人工物ならまぎれもなく最高傑作だ。

ワクチンは1年はかかるらしい。全大陸に既に広がり、ひとりでも出たらどこの国だろうと止めようがない。よってパンデミックは必至。「イメージまだ世界は三合目、半年はいくよ。オリンピックはアウト」。クラスターをつぶす戦略は正しいというより唯一の対抗策である。イベントの中止、一斉休校は当然。今日の読響はブルックナー2番があるので悩ましかったが昨日やっと中止が出た。廣津留すみれさんの来日公演も中止の連絡あり。プロ野球はオープン戦無観客で済まないだろう、テレビの斉藤コミッショナーちょっとお疲れ気味で心配です、ご自愛ください。

弊社は2年先を売っているので社員の健康はともかく業務的には警戒する意味がない。パンデミックを想定して、全人類が死滅してない限りそれがどう織り込まれているか、「未来完了形の文法」で思考するだけのことである。3月までに仕上げるべき案件があって、去年までなら僕が自分でやっていたがこの1年で実力者がそろった。どこまで皆さんにお任せできるかお手並み拝見だ。このビジネスはマニュアルで教えられない。言葉は悪いが、虎の穴にぶちこんで苦労させるしかない。目の黒いうちに何人鍛えられるか。

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国家がリスクを取らないと東京オリンピックは危ない

2020 FEB 24 23:23:43 pm by 東 賢太郎

みんな総力をあげて必死に戦っている。どこかで聞き覚えた声明だ。

 

1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦。霞が関の海軍省・軍令部では祝杯の準備をして戦勝報告を待っていたが、飛び込んできたのは空母4隻を失う予想外の知らせだった。開戦以来初めてとなる大敗に直面し、これをどう発表するかをめぐる調整は難航を極めたという。報道部は「空母2隻沈没、1隻大破、1隻小破」とする発表文を起案したが、作戦部が猛反対した。3日後に発表された味方の損害は「空母1隻喪失、1隻大破、巡洋艦1隻大破」に減らされた。一方で、敵の損害は「空母1隻の大破」が「2隻撃沈」に水増しされ、「沈めた空母の数で日本の勝ち」と発表された。

 

 

新型コロナウィルスに関する大本営発表が出ないことを願うが、そもそも英国籍で米国がオペレートし、イタリア人船長の指揮下にある大勢の船員は多数国籍という制御が困難な条件下で、船員の管轄権がどこまで日本にあり、ことばと文化の差を御してどこまで乗務員の指導と船内隔離ができていたのか?報道は乗客の検査情報ばかりで、船長や乗務員は石ころであるかのごとく顔も肉声も健康状態もほとんど知らせない。それは制御できないファクターの存在を、いずれ巻き起こる議論の俎上にあげたくなかったためではないか。僕は2度クルーズ船に乗ったが、乗客同士の感染よりも「かくれ陽性」の乗務員が懸命に職務を履行するあまりに「善意で」多数の乗客と濃厚接触してしまったことを大いに疑う。

乗務員の接触を防ごうとすれば乗客への食糧や薬の配布などライフラインが脅かされる。とすればである、防ぐのは病死か餓死かの究極の選択であり、国民の誰が見ても接触はやむなしの判断になったであろう。であれば、そう国民に情報開示すればよかったのだ。国民は「清潔、不潔ルート」写真でごまかせると思われたのかどうか、橋本副大臣閣下のご真意は不明だが、たぶん彼に限らず政治家はネット民を甘く見ているだろう。違う。稚拙な書き込みであろうと不特定多数の閲覧で精度が徐々に増し、炎上すればするほど「集合知」になってどんどん真相に接近していく。

政治家や御用マスコミが何を隠そうと集合知のフリーマーケットである株式市場は欺けないのはグローバルにわたって証券市場の歴史が証明済みだが、今やネットが情報のグローバルフリーマーケットになっていることが新たに証明されつつある。その認識に最も鈍感なのが政治家だというなら日本国は危機的だ。テレビはというと、「騒ぎすぎるのもどうか」などと根拠も責任もなく発言する意味不明の脳科学者や、間違いなく新型コロナウィルスについてまだ何もわかっていない「専門家」に御用発言させている。情報が汚染されてる。ネット社会では、大本営発表こそが最も人心を不安に陥れるのだ。国民は、このウィルスを体内で殺す薬はないし今後も現れないという事実を冷静に理解し、「とにかく罹患しない」以外に身を守る手立てはない自覚のもとにここから生活すべきである。

気の毒なことに命令で乗船した職員や配下の検疫官がすでに感染してしまっている厚労省は、この事実によって船上に水も漏らさぬ隔離も防御策も存在していなかったことを我が身をもって証明してしまった。現場が限界まで頑張っていることを国民は知って同情もしているし、では幹部は何をしているんだという気持ちがこのままだとどこかで破裂しかねない。そこでギブアップしてやおら水際対策は放棄し、パンデミック防御策に移行するのだろう。しかし、今ごろ宣言せずとも水際対策は僕が1月31日のブログに下記太字のように書いた時点で、1か月も前に、明らかに論理的に、もう終わっていたのであって、コネクティング不倫疑惑の女性幹部を船に乗せて仕事させてますとお茶を濁しているが、国民は「罰を与えてます」と聞き、「そうか不倫旅行は本当だったのか」と聞き、「そうか乗船させるのは罰なのか」、「幹部はそんなに乗船するのは嫌だ、危険だと認識してるのか」と理解するだけだ。

武漢からの最初の帰国便で2名の無発症キャリア(不顕性感染者)が見つかってしまった時点で、国境での検疫防御がワークしていなかったことが発覚したわけである。封鎖前の武漢市から脱出した中国人は500万人で脱出先のうち成田は3番目に多い9000人だそうだ。不顕性感染者はその2名の発覚以前に中国人旅行者としてたくさん入国してしまっていた高い可能性がある。実はもう騒いでも遅いのだ。

百歩譲って中国人の9000人は忘れても、「無発症キャリア(不顕性感染者=かくれ陽性)がいるウィルスなのだ」という事実は発覚していた。この時点では人・人感染の有無はわかっていなかったが、これほど潜伏期間も感染経路も未だに誰もわからない異例のウイルスがばら撒かれている、すなわち医療専門家すら敵が何者かわかっていない非常時の水際対策というのは最悪の事態を前提にしないと意味ない。ということは「人を見たらウィルスと思え」という事態が来ることは確実とすべきだったのだ。武漢帰国者の14日隔離のデータから疫学的エビデンスが得られたそうだが、ホテル三日月の日本人従業員とクルーズ船の日本国管轄下にない多国籍船員の接触条件が等価でなければエビデンスは無意味だ。その意味で、等価でないことを世界に証明した「不潔ルート」写真はお見事なオウンゴールであった。

中国は全人代を延期する。これはこのウィルスの正体を察知したかの如き決然たる厳戒態勢、非常事態宣言だ。呼応するように韓国も最高度のレベル4になった。潜伏期が24日、エアロゾル感染がある、ウィルスが尿と便にも出るという説も聞こえ始め、「人を見なくてもウィルスがいると思え」となる収拾不能な事態すらあり得る。日本の対応はあの程度で大丈夫かと武漢に閉鎖されている一般住民に心配されている。この期に及んで下に責任を振っておいて「不要不急の・・・」はないだろう。「何々と報告を受けている」「法に則って適切に対応できていると認識している」ではもう逃げられない。唯一立法権限を持つ国会議員がワイドショーのコメンテーターに見えてくる。

官邸に人事権を握られている厚労省は財務省や文科省の二の舞になりたくないだろう。国家のオーナーは誰か、誰が全責任をかけて国民を守るのか、即ち、日本国の真のガバナンスの存否を有権者は心して見守るべきだ。自民党、首相官邸は地公体、個人まかせでなく国家として毅然とした、リスクを取った、国民も外国も納得するような手を打たないと、仮にピークアウトが何処に来ようと東京オリンピックはおろか自身の政治生命すら危ないと思料する。全国民への喫緊の課題は検査試薬の導入、増量だろう。陽性と知った所で薬はなく自分で治すしかないのだが、特定して隔離することで拡散は抑えられ収拾不能な事態は回避できる。ぜひお願いしたい。

 

ps

イタリアはセリアA試合中止、スカラ座公演中止

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感染リスクがあることは万事「致しません」

2020 FEB 22 1:01:30 am by 東 賢太郎

去年、僕はインフルエンザにかかり1月某日に発症した。いつどこで誰に移されたんだろう?日記を調べると、心当たりがあった。その顛末でこういう目にあったのはまず間違いない(ウィルスは本当に恐ろしい)。

思えばあのころ疲れが極限に達していた。ビジネスチャンスがあったからで、そういうハイな時はインフルなど頭になくガードが甘くなる。好事多しとはこのことだ。

そこでウィルスのことを素人ながら徹底的に調べ、「体内に侵入されたら終わり」「治す薬はない」「国も医者も誰も助けてくれない」ことを学んだ。そこで1月30日に不顕性感染者2人の存在が発覚した時点で、

僕は終息宣言が出るまでは誰とも濃厚接触を避け、手すりつり革は触らず、エレベーターのボタンを押した指までもすぐアルコール消毒し、満員電車には一切乗らない

と決めた。それに限らず、ちょっとでも危ないと思ったらソンタクも非礼も何もない、問答無用で「致しません」だ。

同時に、官邸も厚労省も「致しません」だろうと予感した。1月31日に投稿したこれの後半である(不顕性感染者ありは非常に重要な情報)。書いているうちにだんだんそっちがメインになって、なんだかわかりにくいブログになってしまったが、わかる人はわかってくださっているようで安心した。

3週間たってまさにそこで心配した事態が発生しているが、自民党や厚労省を責めても仕方ないのだ、政治に関係ない現場は必死にやっておられると信じるが、もはや日本国の政治力学がそうなっているのだ。オーナーでない組織の通過体にはそんなリスクを取る気がないか、保身でできないか、したくても専門的理解がないか、それ以前に頭がないか、しない方がいい理由があるか、そのどれかだ。

 

 

 

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東大は「受験不可」

2020 FEB 20 0:00:00 am by 東 賢太郎

令和 2 年 2 月13日
                       
 
 
本学の入学試験を受験する皆さんへ
 
東  京  大  学
 
 
令和 2 年度東京大学入学試験における新型コロナウイルス等への 対応について,以下のとおりお知らせします。
 
 
・ 試験当日まで,新型コロナウイルス等への感染予防(手洗いやうがいの励行,外出 時のマスク着用等)に気を配り,体調管理に努めてください。
 
・ 試験日近くに発熱・咳等の症状のある受験生は,必ず医療機関で受診し,適切な治 療を受けてください。
 
・ 試験当日は,感染予防のためにできるだけマスクの持参・着用をお願いします。   また,試験会場では, 「手指消毒用アルコール液」を準備するので必要に応じて使用  してください。
 
・ 令和 2 年 2 月 1 日,新型コロナウイルス感染症は,政令により指定感染症及び検疫 感染症に指定され,学校保健安全法施行規則が規定する第一種の感染症と見なされる こととなりました。そのため,罹患者は本学の入学試験を受験できませんので,ご注 意ください。 なお,追試験等の特別措置は予定しておりません。

 

「罹患者の試験は致しません」「追試験も致しません」。この判断には複雑な思いがある。いろいろなファクターを検討した結果としての苦渋の決断だろうからその是非を問うことはしない。しかし、この「お触書」を見た表面的な解釈は、年1度しかない入学機会の提供よりも、全受験生をウィルスから守ることを東大は選択したということになろう。それが嫌なら罹患しないよう注意すればいいだろう、自己責任だと言っていることになる。その能力も本学生の資質の内とされるならやや疑問はある。

受験はオプションである。受かるかどうかはともかく、受験料というオプション代金を払えば誰でも権利は得られるという建前がある。それを剥奪する合理的な理由はなかなか思いつきにくい。そこで、追試験をすればそれでも構わないではないかという議論が起こるだろう。しかし、それもしないというのが結論なのだ。

追試験に本試験と同じ問題を出すわけにはいかない。とすると、本試験と追試験は別々なスクリーニング・カテゴリーで合格者を選別することになり、被選別者のクオリティーに誤差が発生することは避けられない。東大はそのリスクを回避して、歴史の連続性を担保すべきと結論したという結論になろう。大学院からの入学も本試験入学とは質的にまったく別であることも含め、妥当と思う。

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満員電車のっちまえ族

2020 FEB 1 20:20:54 pm by 東 賢太郎

僕はそのひとりであった。中学から12年ほどお世話になったから、そこそこ筋金がはいっている。往復3時間、トータルするとほぼ丸1年間を満員電車で過ごした計算になるからだ。

小田急線も中央線も朝夕は殺人的だった。座るなど論外であり、吊革(つりかわ)につかまれただけでラッキーと思うも束の間、線路のカーブで物凄い圧で後ろからのしかかられ、慌てて手をついた窓ガラスがしなって割れそうになり、仕方なく座っている人の上に倒れこんで御免なさいなんて都会ではあるまじき光景が展開する。押しくらまんじゅうという遊びがあったが、あの状態のまま右に左にジェットコースターみたいに振り回され、足を踏まれ、見知らぬ人の汗と体臭と息にまみれる。人間事と思えぬ地獄の3時間であった。

あれに乗ると何かいいことがあったろうか?ない。というより、それを考えたことも疑問を持ったこともない。東京都下の鶴川に住んでいた僕にとって満員電車は家具のように生活の一部であり、敷かれたレールの上を当たり前のような顔をしてやってきた。レールの先の霞みの遠くのほうには大学、就職という名の駅があるらしかったが、さらにその先はというと終着駅は名前も見えておらず、やがて時がたってそのあたりまで来たつもりがいつの間にかレールは途切れていたから何を保証してくれたわけでもない。満員電車は「嫌だろう?のりたくないだろう?でも多勢に無勢というぞ。長いものには巻かれるんだ。のっちまえば楽だぞ楽だぞ・・・」と何者かの声が潜在意識下で聞こえている気もするが、それ以前に家具である。「満員電車のっちまえ族」の第一の特徴である。

海外勤務になったのがどれほど福音だったか。あれに乗らなくていいというのは、僕にとって英語ができるようになるよりもボーナスが倍になるよりも価値があった。ロンドンでも1年ほど地下鉄通勤をして、時間帯によってはそれなりに混んではいたが、ぎゅー詰めでドアが閉まらぬ事態のために乗客の背中や尻を押す達人を配備した駅というものはなかった。世界で初めて地下に鉄道を走らせた彼らはそれをトンネルの形状からチューブと呼ぶ。僕は丸っこい穴からにゅっと出てくるモグラを連想していたが、東京に初めて来た英国人は満員電車を目撃して convoy(護送車)と形容した。

こういう電車は東南アジアにもある(写真はタイ)。日本もかつては貧しかった。しかし、G7にまで昇りつめ世界3位のGDPを誇る国になっても、50年前と変わらぬ姿で存在している満員電車なる空間はいったい何なのだろう?何を意味してるのだろう?お考えになったことはあろうか?それがNOであることが「満員電車のっちまえ族」の第二の特徴である。

インドやタイの一人当たりGDPが今の日本なみになれば、こんな電車に好んで乗りたい輩は素直に消えているだろう。素直に存続している日本は世界でも稀なる国であり、満員電車はそれを象徴する特異な空間というべきなのである。それは、日本語という世界でも特有の粘着質の言語と文化が強固なグルーとなって人々が結合した、日本国なるスペクトラムの内にしか存在しない、ある種の宗教的スペースである。毎朝6時すぎにあれに乗り、死ぬほどの苦行を共にすると、何という安心感が得られたものだろう!俺は私はがんばっている、レールに乗っている。そういう見知らぬ人々が、私もあなたも日本人だね、それわかってるよ、だからここにいるんだよね、お互いにいやだけどね、ああ疲れた、やっと到着だ、でもこれが人生だ、まあ辛いけど今日も頑張ろうと、貴重な時間と忍耐を人質に差し出して日々の生活の安堵をいただく。

それはお正月、神社へ出かけて願をかける初詣という安らぎの儀式のデイリー版のようなものなのだ。我々は西欧の原理、呪縛、科学や法律や数式や合理主義の衣をまとって日々生きている。ああ面倒くさい、鬱陶(うっとう)しい。世の中そんなもんで動いてね~よ。その衣を、お賽銭を投じてえいっと脱ぎ捨てるのだ。その瞬間、やさしい和の心をもった神様が現れて願いをきいてくださる。理性ではそんなはずはないだろうと思いつつも、真剣にお願い事を心に唱えると安らぎの気持ちがいただける。お札や破魔矢や熊手を買っておみくじを引いて、ああ、日本人でよかった、やるべきことをやった、これで今年も安心だ!日枝神社がどんなに凄まじい雑踏になろうが、立ちんぼで1時間待たされようが構わない、むしろありがたい。行った神社がガラガラでは御利益がない気がする。「満員電車のっちまえ族」の第三の特徴である。

ドイツに赴任して何年目かの一時帰国休暇で東京の地下鉄に乗った。たしか水天宮のあたりだから半蔵門線だったのだろう、真っ昼間なので車両はガラガラである。すると隣りに座っていた幼い娘がきょろきょろしながら「ねえパパ、あの白くて丸いものなあに?」と上の方を指さした。

言われて吊革をまじまじと眺める。初めて見た娘の疑問はもっともと思った。無数の輪っかが空中に延々と、まるで陸軍の隊列みたいに寸分の狂いなく一直線に並んだ光景は美しい。しかも、たしかに白い。七五三の飴みたいに、ぴかっと真っ白なのだ。ニューヨークの薄汚れたサブウェイを見慣れた眼からすると、こういう場にあるのは甚だそぐわしくもない穢れを知らぬ純白ぶりだ。この宗教的空間の欠かすことならぬ神具である。

ああ日本だと思った。こういう眼になっている。吊革の印象は僕の変遷してしまったビジョンと感覚の象徴であり、日本国のあらゆる物事についてすべからく、自覚はないけれど、僕は知らず知らずそんな眼で眺めるようになっている。だからもはや満員電車のっちまえ族ではない。日本人と思って同意を期待され、想定外のリアクションに驚かれてきたに違いない。16年海外で毎日英語で仕事したのは重い事だった。それをバイリンガルとか、そんな目線で語ることは無理で、僕の思考回路をDNAとするなら塩基配列の一部に英語回路が組み込まれてしまっている。正確に説明するには英語の方が楽だし、英語の方がぴったりの形容詞があったりするし、こうして書いている日本語もたぶん英語回路から出ていたりするのだろう。

といって、僕はそのことを正確に理解できる人は塩基配列の一部に英語回路が組み込まれている人だけだという悲しい事実も知っている。それは遺伝や育ちや学歴や職歴でどうなるものではない、英語人になって10年もしないと脳の神経回路は変わるものではなく、そうでない回路がいくら性能が良くとも概念的な理解や想像では把握できない。だからそうでない人に理解を求めようということもない。平成、令和と日本はどんどん昭和離れし、近頃は女子が昭和のオジサンをカワイイ!と愛でる時代だ。いずれその世代は「満員電車のりません族」になってテレワーク(在宅勤務)が常態化し、満員電車の人口密度は緩和されるのだろうが、決して「のっちまえ族」が滅亡するわけではない。塩基配列に何ら変わりはない「新型のっちまえ族」が日本の大多数派として出現するだろう。

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国語、数学の論述式について

2019 NOV 16 2:02:13 am by 東 賢太郎

国語、数学の論述式の採点をアルバイトがやるのどうので是非を議論されている。アルバイトだからいかんという理由はないが、論述となると採点者の採点力の有無を試験して採用しないと問題である。1次試験は〇✖で足切りして、論述力は各校がレベルに合わせて2次でしっかり見ればいいのでは。

僕は国語がはっきり言って大嫌いであったからあれこれ述べる資格もないが、そうなったのは理由が2つあるので書いておく。

①駿台の模擬試験で採点に疑問があり、それ用の質問表のようなのに文句をつけて出したら点数が増えたが、今度は増えた理由がもっとわからず、採点した人の頭の構造に疑問を持った。

②いつも現国の点が低かったが、梶井基次郎の「檸檬」が出た時だけは異様に点が良くてびっくりした。これは好きな小説だった。なんだ、読んでるかどうかの試験なのか、文学同好会の入会試験なんだと思った。

これをもって、僕は国語の勉強は時間の無駄であると結論し、数学で満点取れば零点でいいやと捨てることに決めた。文系だがそれで結果オーライであった。

先日TVのワイドショーで実験をやっていて、実際の現国の論述問題を受験生、採点者(教師)の集団に解かせ、学生の自己採点、教師の採点を比べると点数に有意な差が出ていた。

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いかがなものか野郎

2019 JUL 6 15:15:23 pm by 東 賢太郎

チューリヒでは会社でソフトボールのチームをつくった。野球場はないからソフトということだが、アメリカと違って現地の人がやらないし選手もいないだろう。気乗りしない。しかも僕はゴルフに忙しいのだ。ところがどういうわけか社員の方が日本企業のリーグ戦やりましょうと盛り上がってしまっていて、僕のニューヨークでの話は聞いていたろうしいま思えば社長へのソンタクの一環だったのかもしれない。知らないうちに立派なユニフォームができて、しかたなく監督をひきうけた。

野村スイスは当時日本の証券会社の海外ビジネスとしてそこそこ収益源だったスイスフラン建て債の引受拠点だから組織は大きく、年間起債額は1兆円もあって野村は総勢約150名と日本の銀行・証券の最大勢力を誇った。チューリヒが本店で、ジュネーヴ、ルガノと販売のための支店が2つあって支店長も置いていた。「ソフトをやるぞ、チューリヒに出てこい!」と週末に日本人は全員集合の号令がかかるわけだが、思えば大変なパワハラ監督であった。日本人だけで30人以上だからチームは2つ、3つできてしまう。練習になって皆の実力を見ないとレギュラーが決められない。ここでノックをかましてみる。ひとり5本で1軍が決まり、もう10本でポジションが決まり、打撃練習でひとり10発打って走って打順が決まる。そんな感じで即決で代表オーダーが決まった。

素人のソフトはタマが遅い。右が思いっきり引っ張るのでショート、サード、レフトが華でみんなやりたい。思い出したが大学の体育でソフトがあり僕は不動の4番ショートであった。この時も血が騒いでしまい、40才でショートはちょっとキツイから「俺がレフトな」となって誰もだめなんて言えるはずなく、3番を打った。野村というのは体育会出身が多く金融界において運動の偏差値はかなり高かった。スイス・トーナメントは銀行、証券、保険チーム相手に連戦怒涛の圧勝でV9の巨人なみだった。ただニューヨークのあの時とおなじで体育の先生が中軸でおられる日本人学校は強豪であり練習も積んでいる。そちらも勝ち進んでついに決勝戦で当たってしまった。

僕はチューリヒ日本人学校運営委員長という公職の身でもあり「委員チョ~、生徒も見てるのよぉ~負けないとあとでお仕置きよぉ~」なんて校長先生からおそろしいヤジもいただいたが、選手たちどこ吹く風で元気溌剌。結局この大会唯一の僅差であったが優勝してしまった。胴上げされたのは人生で一度だけこの時で、上下左右の感覚が飛んでしまい天が雲がぐぐっと近づいてきて不思議な景色だった。その後、ソフトボール運営委員会で野村さんは強すぎる、チームAとBにするべきだと分割案も出たらしい。

この年、東京の部店長会議でスピーチをしろといわれ、壇上で仕事のほうはそこそこにこのソフトボールの話をアドリブでしたら、熱が入ってたのだろう大喝采となってしまった。1996年のことだったが平成という時代も野村證券もまだいい時代だったのだ。常務が「東、今日の原稿俺にくれないか」と来たが、「事前にスピーチ原稿を提出しなかったのは開闢以来お前だけだ」と企画室に怒られていたぐらいでそんなのはなかった。そうやって丸裸で勝負するスタイルを受け入れてくれる先輩がたくさんいたから僕は野村を選んだし、生きてもこれた。そうでなくなってきたのは世紀が変わったあたりからだろうか。

しかしそれは野村一社の話でなく世の中すべての流れだったのだ。その悠久の移り変わりのなれの果てなんだろうか、いまや野球の応援歌に「お前」はいかんらしい。部下はぜんぶお前だった僕は女性の部下を初めて持った時についに勇気をもって**さんを導入したわけだが、++くんは絶対になかった。女性の上司は経験ないが東くんより呼び捨てかお前がいい。僕にそれという感覚は女性には持ちにくいはずだ。「くん」は年齢が上とか、人事発令上の権限者であるとか、仕方なく上にいる者の権威をまとった上から目線を感じてしまう。そういうものが大嫌いで、逆になんでこんな奴に命令されるんだ、倒してやろうと思ってしまう性格なんで、僕の上に立つとしたら女性を捨てた実力者しかありえない。幸いいなかったが。

男であっても僕が「東、お前」でついていった少数の人とそうでない大多数の人がいる。お前がクンになる人もいるがその方の品格の問題だから構わない。人事権で上に乗ってるだけのについていったことは開闢以来一度もない。長にある人が「東、お前」でくる、つまり自分も裸でぶつかってきて、それを見て、元から裸であるこっちが何らかの敬意を持つかどうかなのだ。それを僕はソフトボールで監督というものを初めてやって、なるほどと思った。野球というものを、その勝ち方を僕は知ってるわけで、それはやればみんなわかるわけで、だからついてきてくれて集団の士気が上がってひとつにまとまる。忖度でもヨイショでもなく男の子の勝利の雄たけびで自然に胴上げしてくれる。スイス3拠点が団結したという手ごたえを僕は職場よりグラウンドで感じたからそれを部店長会議で話したし、それを「神聖な場で遊びの話などいかがなものか!」なんて輩はまだいなかった。

いまなら「休日出勤ですよ、組合員の時間外勤務手当はどう処理するんですか、出張費、交際費は無理ですよ」なんてアナザーいかがなものかが出てくるだろう。うるせえ、みんなこの勢いであした100倍稼ぐんだ、お前はだまってろ、で当時の僕は終わってただろう。喝采してくれた部店長もそうだったろう。それが昨今の会社の内情を聴くとそういうものはもうかけらもないし、ある意味ふつうの上下関係のいい会社である。僕が新卒で入社試験を受けても絶対に落ちただろう。いかがなものか野郎がウンカのようにはびこったのはその後だ。僕は完全な体育会系武闘派であり、秀吉の号令一下で文禄・慶長の役で奮戦し、朝鮮へ行きもせず秀吉に「いかがなものか」の讒言を吹きこんだ石田三成を関ケ原以前にぶち殺そうと企てた七本槍みたいなものだった。僕は彼らよりも執念深い。実際こいつは絶対に許さないというのがいて、ずっと後々にある機を得てきれいに成敗した。

「いかがなものか野郎」は太平の世になった徳川時代から跋扈を始める大嫌いな人種だ。秀吉の世まではそんなのはいても武士でないのだから表舞台に出ようもなく、我が藩の存続のためにお考え下されなんて老中に諭されて考えてる殿なんてあっという間に滅ぼされてたのだ。それは殿が戦さ経験がないからであって、訳が分からないからいつも側にはべって比較的に利発なそいつの言う事をつい聞いてしまう。戦地で日々体を張って戦ってる武将はそんなことをする暇もチャンスもないから讒言にいいようにやられてしまう。徳川家康の偉かったのは、自身が誰の側近でもなかったからそういうダニに等しい讒言野郎がいることを良く知っており、戦場に「伍」の幟(のぼり)を立てた騎馬隊をそこかしこに走らせレフェリー(審判)にしたことだ。女に化粧させて虚偽もありえる首実検だけではなく、「伍部隊」の目撃情報も参照してフェアな論功行賞(人事評価)を行った。関ケ原の戦いで、「伍」の幟は撃ってはならぬという敵味方なしの戦場ルールもあった。それが政治をうまく運ぶにいかに大事かは封建時代の武将たるもの皆が了解していたのであり、それを知って合戦の見方が大きく変わった。

「いかがなものか野郎」は戦争なき江戸時代になって戦場ルールの衰退とともに出現したソンタク、ヨイショだけの宦官野郎の元祖である。主君の汚名をそそぎ、仇敵の首を取って仇討ちを果たし、自ら割腹してお家に忠義を尽くした四十七士の忠臣蔵は江戸の太平の世になってから1世紀を経て起きた事件だが、それがなぜ歌舞伎にまでなってこれほど江戸人の心を揺さぶったか?戦争がないのだから武士は公務員化しており抜刀して切りあうようなことはもうなくなっていたからである。武士はこうあるべきだよね、いまじゃもういないけどさ。つまり忠臣蔵は江戸時代の「走れメロス」なのだ。そんな人はいまやいないから道徳の教科書に載るのであり、君らは違うんだけどできればこういう人になろうね!という教えが学校教育としてレゾンデトールを認められるのである。事実、忠臣蔵を崇め尊ぶ江戸のサラリーマン侍を武闘派のままの薩摩侍は笑って馬鹿にしていたらしい。文化部系のもやしみたいな秀才が運動会で頑張ってるね程度に見ていたのだろう。

僕はふりかえればサラリーマン街道においては石田三成になっていればよかったし楽だった。でも秀吉にあたる方がいなくなってしまったし、逆にその時から逆風になってしまった。それでもいいヨットのスキッパーならジグザグにうまくレースを生き延びただろうがそういうのは下手だし良しともしなかった。物産の上海支店長だった祖父が何かは知らないがケンカして辞めて王子製紙の役員になった。その血は間違いなく引いてそっくりなことになってるし、長崎の祖母は陸軍大将を出した家だし武闘派も仕方ない。やっぱりサラリーマン上司を長いこと我慢するのは無理だった。「いかがなものか野郎」は木を枯らす害虫であって世の中にいらない。政治家も野党の演説は見事にそれだらけだ。でも、僕は誰からであれ、自分にネガティブな意見は聴く。実力のある人は、かつて僕の命を狙った敵であっても評価するし三顧の礼で引き抜くかもしれない。それは性格云々ではない、なぜなら、戦国武将はそうしないと生き延びられないからだ。

 

野村證券・外村副社長からの電話

 

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