国家がリスクを取らないと東京オリンピックは危ない
2020 FEB 24 23:23:43 pm by 東 賢太郎
みんな総力をあげて必死に戦っている。どこかで聞き覚えた声明だ。
1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦。霞が関の海軍省・軍令部では祝杯の準備をして戦勝報告を待っていたが、飛び込んできたのは空母4隻を失う予想外の知らせだった。開戦以来初めてとなる大敗に直面し、これをどう発表するかをめぐる調整は難航を極めたという。報道部は「空母2隻沈没、1隻大破、1隻小破」とする発表文を起案したが、作戦部が猛反対した。3日後に発表された味方の損害は「空母1隻喪失、1隻大破、巡洋艦1隻大破」に減らされた。一方で、敵の損害は「空母1隻の大破」が「2隻撃沈」に水増しされ、「沈めた空母の数で日本の勝ち」と発表された。
新型コロナウィルスに関する大本営発表が出ないことを願うが、そもそも英国籍で米国がオペレートし、イタリア人船長の指揮下にある大勢の船員は多数国籍という制御が困難な条件下で、船員の管轄権がどこまで日本にあり、ことばと文化の差を御してどこまで乗務員の指導と船内隔離ができていたのか?報道は乗客の検査情報ばかりで、船長や乗務員は石ころであるかのごとく顔も肉声も健康状態もほとんど知らせない。それは制御できないファクターの存在を、いずれ巻き起こる議論の俎上にあげたくなかったためではないか。僕は2度クルーズ船に乗ったが、乗客同士の感染よりも「かくれ陽性」の乗務員が懸命に職務を履行するあまりに「善意で」多数の乗客と濃厚接触してしまったことを大いに疑う。
乗務員の接触を防ごうとすれば乗客への食糧や薬の配布などライフラインが脅かされる。とすればである、防ぐのは病死か餓死かの究極の選択であり、国民の誰が見ても接触はやむなしの判断になったであろう。であれば、そう国民に情報開示すればよかったのだ。国民は「清潔、不潔ルート」写真でごまかせると思われたのかどうか、橋本副大臣閣下のご真意は不明だが、たぶん彼に限らず政治家はネット民を甘く見ているだろう。違う。稚拙な書き込みであろうと不特定多数の閲覧で精度が徐々に増し、炎上すればするほど「集合知」になってどんどん真相に接近していく。
政治家や御用マスコミが何を隠そうと集合知のフリーマーケットである株式市場は欺けないのはグローバルにわたって証券市場の歴史が証明済みだが、今やネットが情報のグローバルフリーマーケットになっていることが新たに証明されつつある。その認識に最も鈍感なのが政治家だというなら日本国は危機的だ。テレビはというと、「騒ぎすぎるのもどうか」などと根拠も責任もなく発言する意味不明の脳科学者や、間違いなく新型コロナウィルスについてまだ何もわかっていない「専門家」に御用発言させている。情報が汚染されてる。ネット社会では、大本営発表こそが最も人心を不安に陥れるのだ。国民は、このウィルスを体内で殺す薬はないし今後も現れないという事実を冷静に理解し、「とにかく罹患しない」以外に身を守る手立てはない自覚のもとにここから生活すべきである。
気の毒なことに命令で乗船した職員や配下の検疫官がすでに感染してしまっている厚労省は、この事実によって船上に水も漏らさぬ隔離も防御策も存在していなかったことを我が身をもって証明してしまった。現場が限界まで頑張っていることを国民は知って同情もしているし、では幹部は何をしているんだという気持ちがこのままだとどこかで破裂しかねない。そこでギブアップしてやおら水際対策は放棄し、パンデミック防御策に移行するのだろう。しかし、今ごろ宣言せずとも水際対策は僕が1月31日のブログに下記太字のように書いた時点で、1か月も前に、明らかに論理的に、もう終わっていたのであって、コネクティング不倫疑惑の女性幹部を船に乗せて仕事させてますとお茶を濁しているが、国民は「罰を与えてます」と聞き、「そうか不倫旅行は本当だったのか」と聞き、「そうか乗船させるのは罰なのか」、「幹部はそんなに乗船するのは嫌だ、危険だと認識してるのか」と理解するだけだ。
武漢からの最初の帰国便で2名の無発症キャリア(不顕性感染者)が見つかってしまった時点で、国境での検疫防御がワークしていなかったことが発覚したわけである。封鎖前の武漢市から脱出した中国人は500万人で脱出先のうち成田は3番目に多い9000人だそうだ。不顕性感染者はその2名の発覚以前に中国人旅行者としてたくさん入国してしまっていた高い可能性がある。実はもう騒いでも遅いのだ。
百歩譲って中国人の9000人は忘れても、「無発症キャリア(不顕性感染者=かくれ陽性)がいるウィルスなのだ」という事実は発覚していた。この時点では人・人感染の有無はわかっていなかったが、これほど潜伏期間も感染経路も未だに誰もわからない異例のウイルスがばら撒かれている、すなわち医療専門家すら敵が何者かわかっていない非常時の水際対策というのは最悪の事態を前提にしないと意味ない。ということは「人を見たらウィルスと思え」という事態が来ることは確実とすべきだったのだ。武漢帰国者の14日隔離のデータから疫学的エビデンスが得られたそうだが、ホテル三日月の日本人従業員とクルーズ船の日本国管轄下にない多国籍船員の接触条件が等価でなければエビデンスは無意味だ。その意味で、等価でないことを世界に証明した「不潔ルート」写真はお見事なオウンゴールであった。
中国は全人代を延期する。これはこのウィルスの正体を察知したかの如き決然たる厳戒態勢、非常事態宣言だ。呼応するように韓国も最高度のレベル4になった。潜伏期が24日、エアロゾル感染がある、ウィルスが尿と便にも出るという説も聞こえ始め、「人を見なくてもウィルスがいると思え」となる収拾不能な事態すらあり得る。日本の対応はあの程度で大丈夫かと武漢に閉鎖されている一般住民に心配されている。この期に及んで下に責任を振っておいて「不要不急の・・・」はないだろう。「何々と報告を受けている」「法に則って適切に対応できていると認識している」ではもう逃げられない。唯一立法権限を持つ国会議員がワイドショーのコメンテーターに見えてくる。
官邸に人事権を握られている厚労省は財務省や文科省の二の舞になりたくないだろう。国家のオーナーは誰か、誰が全責任をかけて国民を守るのか、即ち、日本国の真のガバナンスの存否を有権者は心して見守るべきだ。自民党、首相官邸は地公体、個人まかせでなく国家として毅然とした、リスクを取った、国民も外国も納得するような手を打たないと、仮にピークアウトが何処に来ようと東京オリンピックはおろか自身の政治生命すら危ないと思料する。全国民への喫緊の課題は検査試薬の導入、増量だろう。陽性と知った所で薬はなく自分で治すしかないのだが、特定して隔離することで拡散は抑えられ収拾不能な事態は回避できる。ぜひお願いしたい。
ps
イタリアはセリアA試合中止、スカラ座公演中止
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感染リスクがあることは万事「致しません」
2020 FEB 22 1:01:30 am by 東 賢太郎
去年、僕はインフルエンザにかかり1月某日に発症した。いつどこで誰に移されたんだろう?日記を調べると、心当たりがあった。その顛末でこういう目にあったのはまず間違いない(ウィルスは本当に恐ろしい)。
思えばあのころ疲れが極限に達していた。ビジネスチャンスがあったからで、そういうハイな時はインフルなど頭になくガードが甘くなる。好事多しとはこのことだ。
そこでウィルスのことを素人ながら徹底的に調べ、「体内に侵入されたら終わり」「治す薬はない」「国も医者も誰も助けてくれない」ことを学んだ。そこで1月30日に不顕性感染者2人の存在が発覚した時点で、
僕は終息宣言が出るまでは誰とも濃厚接触を避け、手すりつり革は触らず、エレベーターのボタンを押した指までもすぐアルコール消毒し、満員電車には一切乗らない
と決めた。それに限らず、ちょっとでも危ないと思ったらソンタクも非礼も何もない、問答無用で「致しません」だ。
同時に、官邸も厚労省も「致しません」だろうと予感した。1月31日に投稿したこれの後半である(不顕性感染者ありは非常に重要な情報)。書いているうちにだんだんそっちがメインになって、なんだかわかりにくいブログになってしまったが、わかる人はわかってくださっているようで安心した。
3週間たってまさにそこで心配した事態が発生しているが、自民党や厚労省を責めても仕方ないのだ、政治に関係ない現場は必死にやっておられると信じるが、もはや日本国の政治力学がそうなっているのだ。オーナーでない組織の通過体にはそんなリスクを取る気がないか、保身でできないか、したくても専門的理解がないか、それ以前に頭がないか、しない方がいい理由があるか、そのどれかだ。
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東大は「受験不可」
2020 FEB 20 0:00:00 am by 東 賢太郎
令和 2 年 2 月13日
本学の入学試験を受験する皆さんへ
東 京 大 学
令和 2 年度東京大学入学試験における新型コロナウイルス等への 対応について,以下のとおりお知らせします。
・ 試験当日まで,新型コロナウイルス等への感染予防(手洗いやうがいの励行,外出 時のマスク着用等)に気を配り,体調管理に努めてください。
・ 試験日近くに発熱・咳等の症状のある受験生は,必ず医療機関で受診し,適切な治 療を受けてください。
・ 試験当日は,感染予防のためにできるだけマスクの持参・着用をお願いします。 また,試験会場では, 「手指消毒用アルコール液」を準備するので必要に応じて使用 してください。
・ 令和 2 年 2 月 1 日,新型コロナウイルス感染症は,政令により指定感染症及び検疫 感染症に指定され,学校保健安全法施行規則が規定する第一種の感染症と見なされる こととなりました。そのため,罹患者は本学の入学試験を受験できませんので,ご注 意ください。 なお,追試験等の特別措置は予定しておりません。
「罹患者の試験は致しません」「追試験も致しません」。この判断には複雑な思いがある。いろいろなファクターを検討した結果としての苦渋の決断だろうからその是非を問うことはしない。しかし、この「お触書」を見た表面的な解釈は、年1度しかない入学機会の提供よりも、全受験生をウィルスから守ることを東大は選択したということになろう。それが嫌なら罹患しないよう注意すればいいだろう、自己責任だと言っていることになる。その能力も本学生の資質の内とされるならやや疑問はある。
受験はオプションである。受かるかどうかはともかく、受験料というオプション代金を払えば誰でも権利は得られるという建前がある。それを剥奪する合理的な理由はなかなか思いつきにくい。そこで、追試験をすればそれでも構わないではないかという議論が起こるだろう。しかし、それもしないというのが結論なのだ。
追試験に本試験と同じ問題を出すわけにはいかない。とすると、本試験と追試験は別々なスクリーニング・カテゴリーで合格者を選別することになり、被選別者のクオリティーに誤差が発生することは避けられない。東大はそのリスクを回避して、歴史の連続性を担保すべきと結論したという結論になろう。大学院からの入学も本試験入学とは質的にまったく別であることも含め、妥当と思う。
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野村克也さんに感謝
2020 FEB 11 16:16:07 pm by 東 賢太郎
野村克也さんのプレー姿は実はあまり記憶にない。20も年上であり、当時は巨人戦しか放送がなかったからだろう、テレビの白黒録画のホームランシーンしか浮かんでこない。プロ野球史上初の捕手による三冠王でデータ野球の開祖でもあるから知将の印象があるが、現役時代は捕手として三味線(打席に入った打者にごちゃごちゃ話しかけて混乱させること)が有名であった。
ヤクルトの監督時代にオリックスとの日本シリーズで「首位打者のイチローを押さえることがカギだ。徹底マークして内角を攻める」と事前にマスコミで放言して意識させ、内角はボールばかり投げて外角勝負を仕掛け、2割ぐらいしか打たせずに勝った。それも「壮大な三味線」だったわけである。データ野球といってもチマチマした小技などでなく、武田信玄の啄木鳥戦法のごとき大技ができる大物監督であられた。
探すと野村さんの本は家に2冊あった。激務の中の乱読だったのでいつ読んだか覚えがなく、出版年を見てみると「負けに不思議の負けなし」は1987年だからロンドン時代、「野村の眼」(弱者の戦い)は2008年でみずほ時代だったらしい。
日本プロ野球で通算本塁打数歴代2位、通算安打数歴代2位、通算打点数歴代2位、通算打席数1位の人がテスト生で南海に入団したブルペン捕手だったのも信じられないが、しかも1年で解雇通知を受けた。そこで球団マネージャーに言い放った言葉が「もしクビなら帰りに南海電鉄に飛び込みます」だ。もちろんはったりとはいえ、そんな言葉はそうそう吐けるものではない。母子家庭でなんとか病身の母を助けたい、絶対金持ちになってやるとプロ野球に飛び込み、「野球への凄まじい執念を今日まで持ち続けたという自負」を「私が唯一誇れるもの」と書かれている。命を懸ける(懸命)とはこういうことだろう。
僕も長年懸命にビジネスマンをしてきた自負はあるし、何度かここぞという大勝負の場面はあった。たとえばロンドン時代にお客さんに「間違ったら首をやる」(I will eat my hat if I am wrong.)と何度か体を張った緊迫の場面があった。今流なら「わたし失敗しないので」であるが、英語では「だめなら帽子食います」というのだ。それが見事に失敗し、ついにお客さんに How many hats do you have? (君、帽子いくつあるの?)と失笑を買ってしまった。野村さんの身体を張ったプロフェッショナリズムに比べたらこんな懸命は甘ちゃんなものだが、英国のプロ相手に株を売る商売は日々がそれなりに勝負の場ではあって、野村さんの箴言がビシビシと体感できる6年を送れたのは有難かった。
だからだろう、いま2冊の目次を見返してみて驚いた。「エースと4番の条件は」「不真面目な優等生が大成する」「指揮官とは説得業である」「一流が一流を育てる」「天才は妥協しない」「主力に休日はない」「人の良さはプロではくせもの」「大投手の条件は打者を見下ろして投げること」「鈍感人間は最悪」「滅多に褒めない人に褒められたら嬉しい」など、何のことはない俺のポリシーだと職場で偉そうに言明していたのと同じ趣旨のことが書いてあるではないか。日々の業務の中で自然に血肉になってしまったようで、いま見返すと何やら師匠の言葉という感じがする。
引退後に住友金属で講演して1時間の予定が半分で終わってしまい冷や汗をかいたくだりがある。評論家の草柳大蔵氏に「君の経営の話なんか誰が聞きたい?なんで野球の話をしないんだ」と諭されて目がさめたそうだ。僕には野村さんの野球の話が即、人間学、心理学、経営学の話にきこえる。たいした実戦経験もない人の吹けば飛ぶような教訓話としてではなく、ドラッカーの経営学の本よりも身にこたえる。僕の野球歴は力不足と失敗のオンパレードだが、肌で感じることのできる道の頂点の方の言葉はどんな天才や偉人の言葉より重い。
「野村の眼」の最後にこうある。
自己コントロールとは、欲から入っていかに欲から離れるかにある。沈まないとジャンプできない―それが謙虚さであり、素直さである。それがなければ進歩がない。「感謝」というのは、人間形成の基本中の基本である。これが無形の力―すなわち考える力、感じる力、備える力に発展していく基である。傲慢な人間には、現状維持も伸び率もない。ただ下降線を辿っていくのみである。そしてどん底に落ちきって、気付くのである。人間の悲しい性である。
いま、僕はやっとこの言葉が理解できる年になっているようだ。
お会いしたことのない方が亡くなってこんなに涙したことはない。若い頃ぜんぜんぱっとしない人間だった僕にとって2冊のご著書は羅針盤であり、テスト生からあそこまで昇られた野村さんの言葉にそれほど頼っていたことにいま初めて気がついた。苦しい時に勇気づけていただき、心よりの感謝の気持ちしかございません。
天国で奥様とご一緒に、どうぞ安らかにお休みください。
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梓みちよさん逝去
2020 FEB 3 22:22:43 pm by 東 賢太郎
昭和のスターの訃報がつぎつぎあって、それも最後は一人暮らしの孤独死というがさびしい。梓みちよさん、おふくろがすきだった。
この歌は昭和38年だったのか。。。オリンピックの前の年か、小学校3年の家の中がぱっとよみがえる。
これもあった、大人の歌だった。。。出たてのカラオケでうたってたっけ。
歌がうまい。曲もすばらしい。
昭和って、上等な時代だった。
ご冥福をお祈りします。
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満員電車のっちまえ族
2020 FEB 1 20:20:54 pm by 東 賢太郎
僕はそのひとりであった。中学から12年ほどお世話になったから、そこそこ筋金がはいっている。往復3時間、トータルするとほぼ丸1年間を満員電車で過ごした計算になるからだ。
小田急線も中央線も朝夕は殺人的だった。座るなど論外であり、吊革(つりかわ)につかまれただけでラッキーと思うも束の間、線路のカーブで物凄い圧で後ろからのしかかられ、慌てて手をついた窓ガラスがしなって割れそうになり、仕方なく座っている人の上に倒れこんで御免なさいなんて都会ではあるまじき光景が展開する。押しくらまんじゅうという遊びがあったが、あの状態のまま右に左にジェットコースターみたいに振り回され、足を踏まれ、見知らぬ人の汗と体臭と息にまみれる。人間事と思えぬ地獄の3時間であった。
あれに乗ると何かいいことがあったろうか?ない。というより、それを考えたことも疑問を持ったこともない。東京都下の鶴川に住んでいた僕にとって満員電車は家具のように生活の一部であり、敷かれたレールの上を当たり前のような顔をしてやってきた。レールの先の霞みの遠くのほうには大学、就職という名の駅があるらしかったが、さらにその先はというと終着駅は名前も見えておらず、やがて時がたってそのあたりまで来たつもりがいつの間にかレールは途切れていたから何を保証してくれたわけでもない。満員電車は「嫌だろう?のりたくないだろう?でも多勢に無勢というぞ。長いものには巻かれるんだ。のっちまえば楽だぞ楽だぞ・・・」と何者かの声が潜在意識下で聞こえている気もするが、それ以前に家具である。「満員電車のっちまえ族」の第一の特徴である。
海外勤務になったのがどれほど福音だったか。あれに乗らなくていいというのは、僕にとって英語ができるようになるよりもボーナスが倍になるよりも価値があった。ロンドンでも1年ほど地下鉄通勤をして、時間帯によってはそれなりに混んではいたが、ぎゅー詰めでドアが閉まらぬ事態のために乗客の背中や尻を押す達人を配備した駅というものはなかった。世界で初めて地下に鉄道を走らせた彼らはそれをトンネルの形状からチューブと呼ぶ。僕は丸っこい穴からにゅっと出てくるモグラを連想していたが、東京に初めて来た英国人は満員電車を目撃して convoy(護送車)と形容した。
こういう電車は東南アジアにもある(写真はタイ)。日本もかつては貧しかった。しかし、G7にまで昇りつめ世界3位のGDPを誇る国になっても、50年前と変わらぬ姿で存在している満員電車なる空間はいったい何なのだろう?何を意味してるのだろう?お考えになったことはあろうか?それがNOであることが「満員電車のっちまえ族」の第二の特徴である。
インドやタイの一人当たりGDPが今の日本なみになれば、こんな電車に好んで乗りたい輩は素直に消えているだろう。素直に存続している日本は世界でも稀なる国であり、満員電車はそれを象徴する特異な空間というべきなのである。それは、日本語という世界でも特有の粘着質の言語と文化が強固なグルーとなって人々が結合した、日本国なるスペクトラムの内にしか存在しない、ある種の宗教的スペースである。毎朝6時すぎにあれに乗り、死ぬほどの苦行を共にすると、何という安心感が得られたものだろう!俺は私はがんばっている、レールに乗っている。そういう見知らぬ人々が、私もあなたも日本人だね、それわかってるよ、だからここにいるんだよね、お互いにいやだけどね、ああ疲れた、やっと到着だ、でもこれが人生だ、まあ辛いけど今日も頑張ろうと、貴重な時間と忍耐を人質に差し出して日々の生活の安堵をいただく。
それはお正月、神社へ出かけて願をかける初詣という安らぎの儀式のデイリー版のようなものなのだ。我々は西欧の原理、呪縛、科学や法律や数式や合理主義の衣をまとって日々生きている。ああ面倒くさい、鬱陶(うっとう)しい。世の中そんなもんで動いてね~よ。その衣を、お賽銭を投じてえいっと脱ぎ捨てるのだ。その瞬間、やさしい和の心をもった神様が現れて願いをきいてくださる。理性ではそんなはずはないだろうと思いつつも、真剣にお願い事を心に唱えると安らぎの気持ちがいただける。お札や破魔矢や熊手を買っておみくじを引いて、ああ、日本人でよかった、やるべきことをやった、これで今年も安心だ!日枝神社がどんなに凄まじい雑踏になろうが、立ちんぼで1時間待たされようが構わない、むしろありがたい。行った神社がガラガラでは御利益がない気がする。「満員電車のっちまえ族」の第三の特徴である。
ドイツに赴任して何年目かの一時帰国休暇で東京の地下鉄に乗った。たしか水天宮のあたりだから半蔵門線だったのだろう、真っ昼間なので車両はガラガラである。すると隣りに座っていた幼い娘がきょろきょろしながら「ねえパパ、あの白くて丸いものなあに?」と上の方を指さした。
言われて吊革をまじまじと眺める。初めて見た娘の疑問はもっともと思った。無数の輪っかが空中に延々と、まるで陸軍の隊列みたいに寸分の狂いなく一直線に並んだ光景は美しい。しかも、たしかに白い。七五三の飴みたいに、ぴかっと真っ白なのだ。ニューヨークの薄汚れたサブウェイを見慣れた眼からすると、こういう場にあるのは甚だそぐわしくもない穢れを知らぬ純白ぶりだ。この宗教的空間の欠かすことならぬ神具である。
ああ日本だと思った。こういう眼になっている。吊革の印象は僕の変遷してしまったビジョンと感覚の象徴であり、日本国のあらゆる物事についてすべからく、自覚はないけれど、僕は知らず知らずそんな眼で眺めるようになっている。だからもはや満員電車のっちまえ族ではない。日本人と思って同意を期待され、想定外のリアクションに驚かれてきたに違いない。16年海外で毎日英語で仕事したのは重い事だった。それをバイリンガルとか、そんな目線で語ることは無理で、僕の思考回路をDNAとするなら塩基配列の一部に英語回路が組み込まれてしまっている。正確に説明するには英語の方が楽だし、英語の方がぴったりの形容詞があったりするし、こうして書いている日本語もたぶん英語回路から出ていたりするのだろう。
といって、僕はそのことを正確に理解できる人は塩基配列の一部に英語回路が組み込まれている人だけだという悲しい事実も知っている。それは遺伝や育ちや学歴や職歴でどうなるものではない、英語人になって10年もしないと脳の神経回路は変わるものではなく、そうでない回路がいくら性能が良くとも概念的な理解や想像では把握できない。だからそうでない人に理解を求めようということもない。平成、令和と日本はどんどん昭和離れし、近頃は女子が昭和のオジサンをカワイイ!と愛でる時代だ。いずれその世代は「満員電車のりません族」になってテレワーク(在宅勤務)が常態化し、満員電車の人口密度は緩和されるのだろうが、決して「のっちまえ族」が滅亡するわけではない。塩基配列に何ら変わりはない「新型のっちまえ族」が日本の大多数派として出現するだろう。
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ウィルスは本当に恐ろしい
2020 JAN 30 0:00:37 am by 東 賢太郎
すでに記事にしたが、成人してから2度、ウィルス性の伝染病にかかった。11年前の水疱瘡と去年のインフルエンザだ。年齢からして死んでもおかしくなかったと今でもぞっとする恐ろしい経験だった。11年前は発症してから電話した病院に「法定伝染病です、来ないでください」と診察すら断られ、昨年は病院で待つあいだ座っていることもできず横臥させてもらっていたが診断は「2日たってますね、もうタミフルも効きません、家で寝て治してください」であった。要するに、発見が遅れると、「自分で頑張ってね」となる。そういわれても咳と38,9度の発熱があり目まいもあってまっすぐに歩くこともままならないのだから怖かった。
今回のコロナウィルス感染者数は英国の学者によると25万人規模が予測され、今日現在すでに中国で約6千人と2003年のサーズを超えている。当時と比較するとピークが4、5月ごろ、収束は8月ごろではないかと報道されている。武漢からの最初の帰国便が羽田に着いたが、僕も海外赴任経験者でありほっとした気持ちがよく分かる。1人8万円取ったらしいが税金で良かったのでは。ただ救助することと防災は違う。600人の検査は精緻にすべきだし、仮に発症者があった場合は手遅れにならないような対応が必要だ(手段があるかないかは知らないが)。サーズでも致命的な拡散は防いだし、僕のように5か国の医療水準を知った者からすれば日本の医療技術は国際的に優秀だ。大丈夫とは思うが、かような危機管理においていつも思うのだが、政府の災害想定がやや常套的ではないだろうか。ウィルスは本当に恐ろしい、ひとたび体内に侵入されてしまうと薬すらなく、いくら優秀な医療でも成すすべのない怪物だ。災害想定値は、そんな馬鹿な!と批判が出るぐらい高めにしておいて、それに添った冷徹な対応を毅然として、結果がハズレでも全く問題ない。なにせ収束が8月とすると、オリンピックとかぶるのだから。
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プロ野球コミッショナー斉藤さんと会食
2020 JAN 18 22:22:04 pm by 東 賢太郎
日本プロフェッショナル野球組織コミッショナーの斉藤淳さんはもと野村証券副社長だ。野村を辞められてからは住友ライフ・インベストメント社長、東京証券取引所社長、米系PEファンドKKRジャパンの会長を歴任されており、グローバルの証券業務に深い経験と知見をお持ちである。海外部門の大先輩と昨夜は会食して相談に乗っていただいた。プロ野球のコミッショナーはNPBのトップだから2月に12球団のキャンプ地を回ってスピーチをする。いろいろ舞台裏の面白い話を聞いたが、僕の関心事は野球ではない。
斉藤さんは同じ海外派でも米国派であり欧州派の僕とは現業の上下はなかったが、海外の修羅場をくぐってきた点でいっしょだ。オープンで即決即断であり、昔から何でもぶっちゃけて話してきた。そこでこれからビジネスをああやりたいこうやりたいということを全部ぶつけ、ご意見と情報をいただいた。ニュースでしか知らないことが、実はそうだったのかというのばかりだ。ソースの広さと深さが凄い。
やりたいことを話すとできそうな気にさせてくれる達人である。それも僕の考えていなかったプロ・コンを述べられ、海外ビジネスを熟知されてるからその信頼度が高い。野村の人で一概に無理だやめとけと言う人はまずいないが、その中で群を抜いておられる。僕自身がポジティブ人間だからあまりないことだが、ときどき気持ちを元気にしてくれる人に聞いてもらいたいというのはある。できそうな気になる。これなしで不可能が可能になることは絶対にないからだ。
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米国人医師に救われた我が家の命脈
2020 JAN 18 0:00:22 am by 東 賢太郎
オーストラリアのポート・ダグラスで船に乗った。甲板に出てぼんやり海を眺めていたら、そこそこ大きい亀が泳いでいるのを見つけた。しかもよく見ると親亀・子亀である。シャッターチャンスと思って撮影したつもりが、画面を見るとよく写ってない。不器用というか、こういうことが本当に下手くそであり、うまくいったためしがない。
甲板で隣にいた白人女性のほうは何度もワ~オとシャッターをきりながら話しかけてきた。年齢は50前後という所だろうか。「どちらから?」「東京です、あなたは?」「フィラデルフィアです」。それは奇遇である。亀は忘れて職業を尋ねると、ペンシルバニア大学病院の医師ですと答えた。それはそれは。ちょっと話が漫画みたいに出来すぎかなとは思ったが、何となく予感がしたので「何科ですか?」ときいてみた。「ガイネコロジー(婦人科)です」。耳を疑った。
あれは28才になる直前の1983年1月24日の出来事だった。フィラデルフィアの冬は零下10度を超える。僕は翌日に会計学の中間試験をひかえアパートの自室で勉強に没頭していた。すると午後になって家内が腹痛を訴え、救急車で大学病院に搬送となるほど苦しみだした。パニックになった。すぐに婦人科で検査が行われ、主治医が所見を説明してくれたが医学用語はさっぱりだ。どうやら普段から症状のあった子宮筋腫が悪化したようで緊急オペになる。「ウォートンの学生だね、OK、では学生保険で明日までに支払い手続きをするように」と言われ、手術費用が3万ドル(当時は700万円)と知る。「いえ、保険は、その、申請手続きが終わってなくて・・・」と言い訳したが、要は入ってなかったわけだ。目の前が真っ暗になった。ビッグマックも買えなかった我々夫婦に、もちろんそんな大金はない。
「ちょっと待ってろ」。困り果てた僕を見て、主治医らしき医師はそう言い残して別室に消えた。所見はよくわからなかったが金額から察した。そんなに難しい手術なのか・・・入金日は明日だ、すぐ東京の親父に電話しなくちゃ、公衆電話はどこにあるんだ、でもいま夜中じゃないか。頭は錯綜してごちゃごちゃであった。途方に暮れたまま待つ時間というのは長いものだ。先生が「ノー・プロブレム!」とドアを勢いよく開けて戻ってきた時には僕はすでにどっぷりと疲れていた。数枚の書類が机に並んであれこれ手続き的な説明がある。「これに全部サインしろ」と軍隊みたいに有無を言わさぬ指令が飛んだ。署名欄を見ると、東賢太郎は1月24日付で正規の保険加入者になっていた。
一難去ってまた一難だった。別の書類1枚が、今度は静かにおごそかにテーブルに置かれた。事の重大さがわかった。「コブシ大の筋腫が子宮内壁にある」「放置してもすぐに致命的ではないが15%の確率で癌化する」「筋腫摘出のために子宮全摘の可能性がある」「以上を理解して手術に同意にする」と書かれていた。我々に子供はなかった。「ちょっと待ってよ、これって、妻の命を取るか子供を取るか決めろってことだよね?」心の準備がなかった。動転してくらくらしており、ふと気がつくといつの間にか医師が3,4人僕をぐるりと囲んでいた。彼らにいくつか意味のない質問を投げたように思うが、ここでぷっつりと記憶はとぎれている。朧げに覚えてるのは小声で「摘出してください」とお願いし、ふるえる手で署名をしたことだけだ。
手術はたっぷり6時間はかかった。情報は何もない。ナースに聞いても何が起きているのかまったく要領を得ない。仮に子宮を摘出しても命の危険はないはずじゃないか、それとも、なにか不測のとんでもない事が起こってしまったんだろうか・・??翌日の中間試験は準備不足でまったく自信がなく、病室でまんじりともせず必死に教科書を読んでいたつもりだが、その実は勉強どころか意識が朦朧としてしまっていたように思う。そこに、先生の「Hey! Mr. Azuma! She can have a baby!」という声が聞こえた気がした。廊下の遠くの方からだ。コカ・コーラのストローをくわえ、思いっきり手を振って陽気に歩いてくる勇姿が見えた時、家内の生命が助かったこと、子宮も助かったことを知って涙が出た。この瞬間ほど医師が神々しく見え、その仕事が崇高なものだと思ったことはない。日本ではどこの病院も「子宮ごと全摘やむなし」という診断であり、とりあえずは命に関わらないのでとそのままにしていた。ぺン大のチームはきっと、憔悴して落ち込んでしまった僕を見て「子宮を残すぞ」と6時間もかけてチャレンジしてくれたのだ。この発作が日本でおきていたら、もしここに留学してなかったら・・・
「ぺン大の婦人科は全米1位の評価だったんですね、その時は知らなかったんです」。船上の女医さんは偉大だったそのチームの後輩であり、黙って37年前の一部始終をききとめ、「それで彼女がいるのね(That’s why she is here.)」とそこにいた娘に目をやってウインクした。「ええ、もう二人いましてね(Well, I have two more.)」と笑うと「すごいじゃない(Wow、that’s great!)」とさらなる破顔一笑をくださった。とっさに、「女神に見えますんで、失敬」と本当に両手を合わせて観音様みたいに彼女を拝んでしまった。
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「ドクターX~外科医・大門未知子」を見る
2020 JAN 14 21:21:12 pm by 東 賢太郎
正月にかけて「ドクターX~外科医・大門未知子」をシリーズ1~6全部見てしまった。このドラマ、世代によって楽しみ方は色々だろうけれど、僕の場合、サラリーマンの「あるある」劇として抜群に面白かった。
あくまで自分の育った東京の周囲の話だが、僕ら昭和30年代生まれから見るとお兄ちゃん世代の20年代生まれはちょっと雰囲気が違っていた。団塊世代をピークに人口が多いものだから恋愛も受験も出世も競争が熾烈である。戦後の息吹が残っていて良くも悪くも過激で闘争的で喧嘩早く、政治に怒り社会に怒り学生運動に命までかける。あるいは反対に無責任のスーダラ節で、他人のふんどしで楽すりゃいい派もわんさかいる。
かたや我々は非闘争的でアメリカンに憧れ、ずっと享楽的で目がぎらついていない。泥臭い兄貴世代みたいになりたくないが、ノンポリで信念もないから上の世代を見ながらうまく生きていきゃいいやであった。しかしサラリーマンになるとそう甘くはなかった。ばりばりの20年代組であり数が多い昭和49年入社あたりを中心に多士済々の個性派ぞろいである。誰に愛い奴と思われるか、誰の派閥につくかで出世が決まる壮絶な御意!御意!レースがそこかしこで展開されており、不肖ワタクシもそのゲームの役者を演じていたわけだ。
その景色はきっといまも変わらない。しかし、戦争というファクターが間近にあった昭和20年、30年の断層ともいえるギャップはちょっと特別だった。お気楽な僕ら30年組は、まじめ至極で何やら異様にツッパってギラついてるお兄ちゃん方のすべったころんだのサラリーマン喜劇を、なかば火星人を見るような目で眺めるところがあった。ドクターXの主役は大門未知子だが、彼女は東帝大学病院医局を舞台に盛大に展開されるそのサラリーマン喜劇によって殺されかねない患者を危機一髪で救うスーパーマン、月光仮面の役なのだ。それが非正規雇用の女性だというのが今様バージョンだが、パターンは古典的な勧善懲悪ものだ。無論、医療の本旨から外れた喜劇が「悪」であり真実なら由々しきことだが、それを正面から重く暗く扱った「白い巨塔」が昭和20年代型のドラマなら、ドクターXはそれをパロディ化した30年代型の進化したドラマだ。
何といってもいちばん好きなのは蛭間院長(西田敏行)である。あの昭和20年代組サラリーマンの御意!派を象徴する権威・権力大好き人間のにおいがプンプンするではないか。仕事はできず日和見のいい加減派なのに出世欲は満点で、権力者への心にもない絶妙の口だけヨイショと、人とも思わぬ部下へのおどしすかしの間が妙に良くて出世してしまうが上からも下からも軽くて滑稽な存在である。セリフを読む感じは一切なく全部アドリブかと思うほどその味が自然体で出ていて、あるある、いたいた、で腹を抱えて爆笑してしまう。あの演技は人生経験からにじみ出たものだろうが他の役者が薄っぺらく見える。実に凄いと思う。
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