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ベルリオーズ 「幻想交響曲」 作品14

2014 JUL 28 14:14:41 pm by 東 賢太郎

220px-Henrietta_Smithsonほれた女にふられるならまだいいが、無視されるのは堪え難いというのは男性諸氏は共感できるのではないか。まだ無名だった24歳のベルリオーズは、パリのオデオン座でイギリスから来たシェイクスピア劇団の舞台に接し、ハムレットのオフィーリアを演じたアイルランド人の女優、ハリエット・スミッソン(左)に夢中になってしまった。熱烈なラブレターを出すがしかし彼女は意に介さず、面会すらもできない。激しい嫉妬にさいなまれた彼はやがて彼女に憎しみを抱いてゆくことになる。

間もなく劇団はパリを去ってしまい、ハリエットをあきらめた彼はマリー・モークというピアニストと婚約した。ところが、踏んだりけったりとはこのことで、ローマ賞の栄冠に輝いてイタリア留学に行くとすぐに、モークの母から娘を別な男に嫁がせることにしたという手紙が届く。怒ったベルリオーズはパリに引き返し女中に変装してモーク母子を殺害して自殺しようと企んだ。婦人服一式、ピストル、自殺用の毒薬を買い馬車にまで乗ったのだから本気だった。幸いにして途中(ニース)で思いとどまったが彼は危ないところだった。

しかし、この事件の前に、彼はすでに殺人を犯し、自殺していた。

それは1830年にできたこの曲の中でのことである(幻想交響曲)。恋に深く絶望し阿片を吸った芸術家の物語だが、その芸術家は彼自身である。彼はおそらくハリエットを殺しており死刑になる。ギロチンで切られた彼の首がころがる。化け物になったハリエットが彼の葬儀に現れ奇っ怪な踊りをくりひろげる。これと同じことがモークの件で現実になる所だったわけだ。ベルリオーズが本当に阿片を吸ったかどうかはわからない。阿片は17世紀は医薬品とされ、19世紀にはイギリス、フランスなどで医薬用外で大流行し、詩人キーツのように常用した文化人がいた。ピストルと毒薬を買って殺人を企図したベルリオーズが服用したとしてもおかしくない。

そう思ってしまうほど幻想交響曲はぶっ飛んだ曲であり、「幻想」(fantastique、空想、夢幻)とはよく名づけたものだ。これが交響曲という古典的な入れ物に収まっていることが、かろうじてベートーベンの死後2年目にできた曲なのだと信じさせてくれる唯一の手掛かりだ。逆にその2年間にベルリオーズは入れ物以外をすべて粉々にぶち壊し、それでいてただ新奇なだけでなくスタンダードとして長く聴かれる曲に仕立て上げた。そういう音楽を探せと言われて、僕は幻想と春の祭典以外に思い浮かぶものはない。高校時代、この2つの音楽は寝ても覚めても頭の中で鳴りまくっていて受験会場で困った。

この曲のスコアを眺めることは喜びの宝庫である。これと春の祭典の相似は多い。第5楽章の冒頭の怪しげなムードは第2部の冒頭であり、お化けになったハリエットのEsクラリネットは第1部序奏で叫び声をあげる。練習番号68の後打ちの大太鼓のドスンドスンなどそのものだ。、第4楽章のティンパニ・アンサンブル(最高音のファは祭典ではシに上がる)なくして祭典が書かれようか。第4楽章のファゴットソロ(同50)の最高音はラであり、これが祭典の冒頭ソロではレに上がる。第3楽章のコールアングレがそれに続くソロを思わせる。「賢者の行進」は「怒りの日と魔女のロンド」(同81)だ。第5楽章のスコアは一見して春の祭典と見まがうほどで僕にはわくわくの連続だ。

この交響曲の第1楽章と第3楽章は、まことにサイケデリックな音楽である。第1楽章「夢、情熱」の序奏部ハ短調の第1ヴァイオリンのパートをご覧いただきたい。弱音器をつけpからffへの大きな振幅のある、しかし4回もフェルマータで分断される主題は悩める若者の不安な声である。交響曲の開始としては異例であり、さらにベートーベンの第九のような自問自答が行われる。gensou1

感情が赤の部分へ向けてふくらんでfに登りつめると、チェロが5度で心臓の高鳴りのような音を入れる。そこで若者は同じ問いかけを2回する。青の部分、コントラバスがピッチカートでそれに答える。1度目はppでやさしく、2度目はfで決然と。まるでオペラであり、ワーグナーにこだまするものの萌芽を見る思いだ。

若者は納得し(弱音器を外す)、音楽は変イの音ただひとつになる。それがト音に自信こめたようにfで半音下がると、ハ長調でPiu mosso.となり若者は束の間の元気を取り戻す。この、まるで夢から覚めていきなり雑踏ではしゃいでいるような唐突で非現実的な場面転換、そこに至る2小節の混沌とした感じは、まったく筆者の主観であるが、レノン・マッカートニーがドラッグをやって書いた後期アルバムみたいだ。両者にそういう共通の遠因があったかどうかはともかく、常人の思いつく範疇をはるかに超え去ったぶっ飛んだ楽想である。

この後、弦による冒頭の不安な楽想と木管によるPiu mossoの楽想が混ざり、心臓高鳴りの動機で中断すると、再び第1ヴァイオリンと低弦の問答になる。ここでの木管の後打ちリズムはこの曲全体にわたって出現し、ざわざわした不安定な感情をあおる。やがて弦5部がそのリズムに引っぱられてシンコペートする。これが第2のサイケデリックな混沌だ。ここから長い長い低弦の変イ音にのっかって変ニ長調(4度上、明るい未来)になり、しばし夢の中に遊ぶ。フルート、クラリネットの和音にpppの第1ヴァイオリンとpのホルン・ソロがからむデリケートなこの部分の管弦楽法の斬新さはものすごい!これはリムスキー・コルサコフを経てストラヴィンスキーに遺伝し、火の鳥の、そして春の祭典のいくつかのページを強く連想させるものである。

この変イ音のバスが半音上がり、a、f、g、cというモーツァルトが偏愛した古典的進行を経てハ長調が用意される。ここからハリエットのイデー・フィックス(固定楽想)である第1主題がやっと出てきて提示部となる。つまりそこまでの色々は序奏部なのだ。この第1主題、フルートと第1ヴァイオリンが奏でるソードソーミミファーミミレードドーシである。山型をしている。ファが頂上だが、ミミファーと半音ずり上がる情熱と狂気の盛り上げは随所に出てくる。第2主題はフルートとクラリネットで出るがどこか影が薄い。しかしこの気分が第3楽章で支配的になる大事な主題だ。これはすぐに激した弦の上昇で断ち切られffのトゥッティを経て今度は深い谷型のパッセージが現れる。すべてが目まぐるしく、落ち着くという瞬間もない。ここからの数ページは、やはり感情が激して落ち着く間もないチャイコフスキーの悲愴の第1楽章展開部を想起させる。

展開部ではさらに凄いことが起こる。練習番号16からオーボエが主導する数ページの面妖な和声はまったく驚嘆すべきものだ。第381小節から記してみると、A、B♭m、B♭、Bm、B、Cm、C、C#m、C#、Csus4、C、Bsus4、B、B♭sus4、B♭、Bm、B、Cm、C、C#m、C#、Dm、D、D#m・・・・なんだこれは?何かが狂っている。和声の三半規管がふらふらになり、熱病みたいにうなされる。古典派ではまったくもってありえないコードプログレッションである。ベルリオーズは正式にピアノを習っておらず、彼の楽器はギターとフルートだった。この和声連結はピアノよりギター的だ。それが不自然でなく熱病になってしまう。チャイコフスキーは同じようなものを4番の第1楽章で「ピアノ的」に書いた。それをバーンスタインがyoung peoples’でピアノを弾いてやっている。

ところで、音楽の教科書ではハリエットは第4楽章で夢の中で殺されて終楽章でお化けになることになっているが、僕は異説を唱えたい。最初から殺されていて、全部がお化けだ。この熱病部分に続くffのハリエット主題はG7が呼び覚ますが、そこでイヒヒヒヒと魔女の笑いが聞こえ終楽章の空飛ぶ妖怪の姿になっている。そこからもう一度ややしおらしくなって出てくるが、それに興奮して騒いだ彼の首がギロチンで落ちるピッチカートの予告だってもうここに聞こえているではないか。しかしそれはコーダの、この曲で初めてでかつ唯一の讃美歌のような宗教的安らぎでいったん浄化される。だからとても印象に残るのだ。本当に天才的な曲だ!このC→Fm(Fではなく)→Cはワーグナーが長大な楽劇を閉じて聴衆の心に平安をもたらす常套手段となるが、ここにお手本があった。この第1楽章に勝るとも劣らないぶっ飛んだ第3楽章について書き出すとさすがに長くなる。別稿にしよう。

第2楽章「舞踏会」。ここの和声Am、F、D7、F#7、F#、Bm、G・・・も聞き手に胸騒ぎを引き起こす。スコアはハープ4台を要求しているが、この楽器が交響曲に登場してくるのがベートーベンをぶっ壊している。第3楽章のコールアングレ、終楽章の鐘、コルネット、オフィクレイドもそうだ。ティンパニ奏者は2人で4つを叩きコーダで2人のソロで合奏!になる。ラ♭、シ♭、ド、ファという不思議な和音を叩くがこのピッチがちゃんと聴こえた経験はない。同様に第4楽章の冒頭でコントラバスのピッチカートが4パートの分奏(!)でト短調の主和音を弾くが、これもピッチはわからない。これは春の祭典の最後のコントラバス(選ばれた乙女の死を示す暗号?)のレ・ミ・ラ・レ(dead!)の和音を思い出す。

この交響曲の初演指揮を委ねられたのはベルリオーズの友人であったフランソワ・アブネックであった。彼についてはこのブログに書いた。

ベートーベン第9初演の謎を解く

幻想交響曲はハリエットという女性への狂おしい思いが誘因となり、シュークスピアに触発されたものだが、音楽的には彼がパリで聴いたアブネック指揮のベートーベンの交響曲演奏に触発されたものである。ベートーベンの音楽が絶対音楽としてドイツロマン派の始祖となったことは言うまでもないが、もう一方で、ベルリオーズ、リスト、ワーグナーを経て標題音楽にも子孫を脈々と残し、20世紀に至って春の祭典やトゥーランガリラ交響曲を産んだことは特筆したい。そのビッグバンの起点が交響曲第3番エロイカであり、そこから生まれたアダムとイヴ、5番と6番である。このことは僕の西洋音楽史観の基本であり、ご関心があれば3,5,6番それぞれのブログをお読み下さい(カテゴリー⇒クラシック音楽⇒ベートーベンと入れば出てきます)。

最後に一言。男にこういう奇跡をおこさせてしまう女性の力というものはすごい。我がことを考えても男は女に支配されているとつくづく思う。そういえばモーツァルトもアロイジア・ウェーバーにふられた。彼が本当にブレークするのはそれを乗り越えてからだ。彼はアロイジアの妹コンスタンツェを選んだ。姉の名はマニアしか知らないだろうが天才の妻になった妹は歴史の表舞台に名を残した。しかしベルリオーズの方は後日談がある。幻想の作曲から2年して再度パリを訪れたハリエットはローマ留学から帰ったベルリオーズ主催の演奏会に行く。そこで幻想交響曲を聞き、そのヒロインが自分であることに気づく。感動した彼女は結局ベルリオーズと結ばれた。彼女の方は大作曲家の妻という名声ばかりか、天下の名曲の主題として永遠に残った。

 

シャルル・ミュンシュ / パリ管弦楽団

406僕はEMIのスタジオ録音でこの曲を知ったしそれは嫌いではない。ただし彼の演奏はかなりデフォルメがあり細部はアバウト、良くいえば一筆書きの勢いを魅力とする。それが好きない人にはたまらないだろうということで、どうせならその最たるものでこれを挙げる。鐘の音がスタジオ盤と同じでどこか安心する。幻想のスコアを眺めていると、書かれた記号にどこまで真実があるのかどうもわからない。そのまま音化して非常につまらなくなったブーレーズ盤がそれを物語る。これがベストとは思わないが、面白く鳴らすしかないならこれもありということ。フルトヴェングラーの運命の幻想版という感じだ。EMI盤と両方そろえて悔いはないだろう。

 

ジェームズ・コンロン/  フランス国立管弦楽団

gensouこの曲はフランスのオケで聴きたいという気持ちがいつもある。マルティノンもいいが、これがなかなか美しい。LP(右、フランスErato盤)の音のみずみずしさは絶品で愛聴している。演奏もややソフトフォーカスでどぎつさがないのは好みである(音楽が充分にどぎついのだから)。パリのコンサートで普通にやっている演奏という日常感がたまらなくいい。料亭メシに飽きたらこのお茶漬けさらさらが恋しい。終楽章のハリエットですら妖怪ではなく人間の女性という感じだからこんなの幻想ではないという声もありそうだが。

 

オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団

4118SYQZ5PL__SL500_AA300_ロンドン時代にLPで聴き、まず第一に音が良いと思った。音質ではない。音の鳴らし具合である。この曲のハーモニーが尖ることなく「ちゃんと」鳴っている。だからモーツァルトやベートーベンみたいに音楽的に聞こえる。簡単なようだがこんな演奏はざらにはない。第2楽章にコルネットが入る改訂版をなぜ選んだかは不明だが、彼なりに彼の眼力でスコアを見据えていておざなりにスコアをなぞった演奏ではない。ご自身かなりぶっ飛んだ方であられたクレンペラーの波長が音楽と共振している。第4楽章の細部から入念に組み立ててリズムが浮わつかない凄味。終楽章もスコアのからくりを全部見通したうえで音自体に最大の効果をあげさせるアプローチである。こういうプロフェッショナルな指揮は心から敬意を覚える。

 

(補遺、2月29日)

ダニエル・バレンボイム / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

51iMEuehZVLベルリン・イエス・キリスト教会の広大な空間を感じる音場で、オーケストラが残響と音のブレンドを自ら楽しむように気持ちよく弾き、良く鳴っていることに関して屈指の録音である。音を聞くだけでも最高の快感が得られる。第1楽章は提示部をくり返し、コーダは加速する。第2楽章はワルツらしくない。第3楽章の雷鳴は超弩級で、どうせ聴こえない音程より音量を採ったのか。第4楽章のティンパニの高いf がきれいに聞こえるのが心地よい。終楽章コーダは最も凄まじい演奏のひとつである。たしかBPOのCBSデビュー録音で、僕は89年にロンドンで中古で安いので買っただけだが、バレンボイムの振幅の大きい表現にBPOが自発性をもって乗っていて感銘を受けたのを昨日のように覚えている。ライブだったら打ちのめされたろう。彼はつまらない演奏も多いが、時にこういうことをやるから面白い。

 

クラシック徒然草―ミュンシュのシューマン1番―

 

 

 

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コダーイ 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」作品15

2014 JUN 22 18:18:27 pm by 東 賢太郎

map01ハンガリーに友人Kが駐在していて、スイス時代に仲間と4,5回は行っただろう。それが毎度ゴルフであり、彼の運転でペーチュという南部の街のあたりまで4時間ほどブダペストからぶっ飛ばして行く。もうクロアチアに近いところだがそこにけっこう難しい36ホールのある立派なゴルフホテルがある。ジャパニーズなんて珍しいからだろうか奴の性格の良さだろうか、Kはそこのオヤジにえらく気に入られていて番犬までなついていた。ホールインワンをやったホールのティーグラウンドわきに石碑を立ててもらっているほどだからこんな奴はそうはいない。気安くゴルフができるわけだ。それに味をしめて何回も行ったのだが金曜にチェックインして土、日で4,5ラウンドやるからまるでプロのトーナメントだ。もう20年も前のことだが、まだホール全部の景色とレイアウトや使用クラブ(番手)をはっきり覚えているところをみるといかに真剣勝負していたことか。

一度夜に4人で街へ出ようと車で向かったとき、ベンツがエンストしてしまった。えらい田舎道で人っ気どころか街灯もなく途方に暮れた。当時まだ携帯電話なんてなかったのだ。1時間ぐらいしてやっと通った車に2人が乗せてもらいガソリンスタンドまで行って何とかしてもらおうとなった。釣り帰りの気のいい若者たちであり、車内は釣果のナマズで臭かったそうだ。ホールドアップのない国で良かった。僕は残留組だった。またひたすら車内で待った。暗闇と静寂の中で凍えるほど寒かった。「こんなとこで死ぬのはかなわんね」と笑っても冗談にきこえない。1-2時間だったろうか永遠みたいに長いこと待った。後方からごうごうと地響きがしてきた。煌々とライトを放った大型トレーラーだった。遠征組の大手柄だ。スタンドで絵を描いてやっと緊急事態が通じたみたいだが、夜中によく出してくれたもんだ。ハンガリーの人はいい人なのだ。車ごと高々とした荷台に乗せられて我々は大いに快適だった。ホテルに凱旋帰還したのは朝の4時だ。Kになついている番犬が突如出現した巨大トレーラーに仰天して気弱に吠えた。

一度は上司とウイーンからブダペストまで車で行ったこともある。90年のことだ。バラトン湖で食事してなんだったか忘れたが屋台で果物を袋いっぱい買って食べながら行ったが食べきれなかった。仕事後にバルトークとコダーイのお墓詣りをさせてもらった。ハンガリーというとグーラッシュだ。パプリカのきいたビーフシチューみたいな料理でご飯があればもっといいのにといつも思う。フォアグラは地元の名産で、それとトカイワインがあれば言うことない。ハンガリーにはモンゴル由来のアジアの血が入っているそうだがどの程度だろうか。ハンガリーのHunはフン族のフンというがそうではないという説もある。ただ姓名の順番は東洋式だからアジアが残っているのかもしれない。ヤマダ・タロウと同じくリスト・フランツでありバルトーク・べラである。

コダーイ・ゾルタンの名作「ハーリ・ヤーノシュ」は同名のほら吹きオヤジが、”七つの頭の竜を退治した”、”ナポレオンに勝って捕虜とした”、”オーストリア皇帝の娘から求婚されたなどの冒険譚をたれる物語だ。ほらでも捏造でもここまで豪快だと憎めない。原曲はプロローグとエピローグを持つ4幕の劇音楽「五つの冒険」であり、そこからコダーイが6曲を選んで以下の演奏会用組曲とした。

1. 前奏曲 おとぎ話は始まる                                 2. ウィーンの音楽時計                                     3. 歌                                                4. 戦いとナポレオンの敗北                                  5. インテルメッツォ                                       6. 皇帝と廷臣たちの入場

第3曲、第5曲で活躍する「ツィンバロン」という打弦楽器にご注目いただきたい。グランドピアノの弦をバチでたたく原理で、そういう音がする。スイスはジュネーヴのレストランでこの楽器の名手のソロを聴いたことがあるが音も大きく感銘を受けた。

第1曲はいきなり「くしゃみ」の音まねで始まる。「聞いている者がくしゃみをすればその話は本当」というハンガリーの言い伝えだそうだ。ほら話がくしゃみで始まるのは逆説のジョークだ。第6曲の最後はバスドラムの一発で閉じる。そんな曲はこれしか知らない。ティンパニ・ソロの一発で閉じるのにドビッシー「海」があるがそれはリズムの拍節どおりに鳴る。ここでは微妙に記譜された拍節からずれて、遅らせて鳴らしている指揮者がいる。例えばセル・ジョルジ(米国名ジョージ・セル)だ。この絶妙の間、文字通りの「間ぬけ」がぜ~んぶホラでしたと聞こえるから不思議だ。これでこそ「くしゃみ」の入りと対称形になって全曲の意味がくっきりと浮き出る。

僕はこの曲がエスニック料理みたいに大好きだ。ハンガリー風味が満載。ときどき無性に食いたくなる。クラシックファンには当たり前の曲だが入門者は知らない人も多いだろう。とにかく病みつきになるほどのおいしい曲なのでぜひ6曲とも聴き込んで覚えていただきたい。ハンガリー民謡のメロディーが不思議と我々日本人の「口に合う」音楽なのだ。

僕の場合、病が嵩じて第3曲「歌」と第5曲「インテルメッツォ」をシンセで弾いてMIDI録音した。前者はヴィオラソロで始まり、練習番号1で Dの和音の上にクラリネットが第3音(f)と第7音(c)が半音下がったジャズでいうドリアンスケールの旋律を奏でる。この長調短調のぶつかりはビートルズの後期の音を連想させる。和音だけがB♭7→Gと東洋情緒あふれる変化をするがこの部分はジプシー(ロマ)音楽風であり、ブラームスのクラリネット五重奏曲を思い出す。 ロマと黒人、ジプシー音楽とジャズ。西洋音楽の周辺、エスニックなところのエッセンスがビートルズにあるというのが彼らの音楽のパワーの源泉だろう。

練習番号2。Poco piu mossoからD、C、F、G、Asus4と続く和音は、特にFが出てくるところが非常にビートルズのStg.Peppers的である。この次にホルンにフルートのトリルが絡まる部分の素晴らしい和音(Dmaj7/b→ E6・7・9→Em7)!なんていいんだろう。作りながら興奮した。この6曲にはこういう興奮箇所が満載だ。いちいち書いていたらブログ10回分になってしまう。そういうマニアがおられればいつかじっくりと喜びを分かち合いたいと思う。ともあれ、ハーリ・ヤーノシュ、旋律は平易に聞こえるが和声進行の個性は絶妙であり他の誰とも似ていない。コダーイオリジナルの天才的作品なのである。

 

フェレンツ・フリッチャイ / ベルリン放送交響楽団

haryi-tuneの自作自演盤は(僕のメモリーにないものだが本物とすると)かなり味付けが濃い。劇音楽そのものだ。コダーイの愛弟子であったフリッチャイの演奏がこれに近い。例えば第4曲のトロンボーンのグリッサンドからの表情づけ、サックスのトリル。曲尾のバスドラムも見事に「間抜け」で鳴る。僕はこれをLPで大学時代に聴き込み、CD(写真)をドイツで買った。僕にとって特別な思いのある演奏であるが、これがスタンダード名曲化する前の原型の香りをたたえた名演として皆さまにも広くお薦めできる。

ユージン・オーマンディ / フィラデルフィア管弦楽団(1961年12月28日録音、CBS)

unnamed (22)こちらは17歳の時にバルトークを買ったらいわゆる「B面」も良かったというもの。指揮者のハンガリ―名はオルマーンディ・イェネーである。現代オケのスマートな快演として評価されているがとんでもない。欧州的な音がしており随所に懐かしい香りがある名盤である。前述「歌」の練習番号2Poco piu mossoのフルートをこんなに見事に「わかって」入念に入れている指揮者は皆無である。この曲の要である管楽器のうまさはいうに及ばずだが「インテルメッツォ」のシンフォニックな弦も格別に颯爽としている(実にかっこいいのだ)。万人のスタンダードとしてお薦めしたい。

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バルトーク 「管弦楽のための協奏曲」 Sz116

Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

 

 

 

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Abbey Road (アビイ・ロードB面の解題)

2013 NOV 16 14:14:31 pm by 東 賢太郎

先日東京ライブで中島さんにお会いした時に、ビートルズの「アビイ・ロード」について何か書きましょうと持ちかけたのは僕の方でした。しばらくたってしまい失礼いたしました。

アビイ・ロード

 

このビートルズ最後となったアルバムを、僕はいかなる音楽の下に置くものでもありません。このB面は人類の造った、あるいはこれから造るであろう、あらゆる音楽の最高峰の一角を永遠に占めるものと確信いたします。何度聴いたか想像もつきません。「飽きることなし」という一点においてすでに、これは完璧な classic(serious music)だと思います。

 

<序>

ビートルズがクラシックだと持ち上げる人は無数にいます。だけど、「どうして?」ときかれて答えられる人がどれだけいるでしょう。

クラシック(classic)というのは階級(class)という含みのある言葉です。ゲージュツであり高級でありセレブだけのものという感じでしょう。僕はそもそもこのクラシックという物言いが嫌いです。英語ではシリアスな音楽(serious music)という呼び方があって、それの方がしっくりきます。シリアスに(じっくりと耳を傾けて)聴く音楽。「聞く」のではなく「聴く」音楽。アビイ・ロードはそういうアルバムであり、だから巷でいうクラシックなのです。

僕はこのB面を「とてもシリアス」に、それも数えきれないぐらい何回も聴いています。そして聴くたびに感動し、また聴こうと思います。それが、やはりLP片面で終わるドビッシーの交響詩「海」を聴くのといったい何が違うのだろう?この問いにうまく答えられないという事実を説明する唯一の解答として僕は 「アビイ・ロードはクラシックですね」 と苦しまぎれに申し上げるしかないのです。

この稿はビートルズがクラシックだと主張するものではありません。ビートルズは徹頭徹尾、ロックバンドです。She loves Youは名曲ですがロックであって、2~3分で終わる曲がシリアス・ミュージックとはいいにくい。しかし Abbey Road と Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band はシリアスな鑑賞を許容する、アルバムという単位の一個の作品であり、その作曲家がロッカーかシンフォニストかは本質的な議論ではありません。

本稿は、ロックというジャンルの音楽の99%にはあまり反応を示さない僕の耳という器官にAbbey Road がどう聞こえるかを記すものであります。ひとつだけ補足がいると思います。なんでB面なの?とご批判もあろうと思いますが、A面の後半には耳が反応も興味も示さないからです。Maxwell’s Silver Hammer、Oh! Darling という系統の曲は苦手です。すみません。また、文中の音名、コード名については楽譜まで調べたわけではありません。聴き違いがあったら何卒ご容赦ください。

<解題1>

このLPレコードを初めて聴いた時、Come Togetherのシュッ!(Shoot meと言っているらしい)と打楽器のパタパ・パタパ・・・という不可思議な音響に度肝を抜かれたのを今も鮮明に覚えています。子供のころレコードでラヴェルの「ボレロ」を聴き、ピッコロとホルンとチェレスタで複調になる部分に「何だこれは!?」と仰天。その瞬間に「そういう楽器が存在するのだ」と思い込んでしまい、異様なホラ貝の化け物じみた姿まで想像していました。実演では恐る恐る「それ」を舞台のオケの中に探したものです(ラヴェルが知ったら喜んだろうなあ)。今だにここを聴くと「それ」が目に浮かぶという困ったことになっていて、ああ説明が回りくどいのですが、ここのシュッ!パタパは僕の中ではまさにそれに近いのです(やれやれ、これが言いたかった)。

和声は単純なニ短調に聴こえるのですが、ピアノで弾くと左手d・a・d、右手c・fのDm7なのにcの隣のbが鳴っているように聴こえます。次のAでもマイナーキー(Am)のcが。鳴ってないのですが声がcとc#をフラフラしてAかAmかわからない。この短2度のかくし味とコーラスの平行完全4度のハモリ(ボレロの複調を想起)が実に効いているのです。リズムは一貫して  ンパンパンパ・・・の後打ち(パにアクセントがある)で原始的な2拍子に聴こえますが、パタパタが1拍(ンパ)に6回だからこれはミクロ的には非常に西洋音楽的な3拍子系の音楽です。

そう叩いているリンゴは天才であります(1拍8回だとどんなにつまらない曲になるかお試しください!)。その「6回」は鳴り続けるわけではなく、歌が始まると2拍子になりますが耳に律動感として焼きついていて(イントロの強烈な印象のためです)、歯切れいいジョンの2拍子と記憶の中の6拍子がポリリズムになっている。この透かし絵のような効果はシリアスな聴き手を直撃します。「6回」がいかに全曲の通奏低音のように聴き手の意識に刷りこまれているかは2曲目のSomethingのイントロのドラムソロを6回で入ってCome Togetherのテンポ感をひっぱっていることで分かります。そしてそれが実は3連符であって4拍子の曲だとわかると、なにか広大な草原にでも出たようなゆったりとした気分に導かれます。Abbey Roadのアルバムとしての一貫性を多くの人が指摘しますが、このような細部の仕掛けまで実に「シリアス」にできている効果です。

<解題2>

ヨーコが弾いていたベートーベンの月光ソナタの楽譜をさかさまにして弾かせたものからインスピレーションを得たと言われるのがBecauseです。それはどうでもいいのですが、sky is blue~の最後にA7の g の上に f# が鳴る(長7度)。これがまたノックアウトものです。ビートルズを真似た、真似ようとしたロックバンドは数知れません。しかし、もうこの f# ひとつ入れられるか否か、そんな小さなことと思われるかもしれないがそれは雲泥の、いや成層圏と地面ぐらいのどうしようもない差であって、この f# が僕のような耳のテーストの人間を何百万人唸らせてきたか想像に難くありません。普通の人や普通のロックバンドからは逆さにしてもこの音符は出てこないと思います。どうして?出てこなかったからこそ、誰もビートルズになれなかったからです。

You Never Give Me Your Moneyから音楽は独立ナンバーの羅列でなくメドレー形式になります。凄いのはここからです。

Oh, that magic feeling
Nowhere to go
Nowhere to go

B♭→F→CのSgt Pepper’s的なコード進行に続いて

One sweet dream
Pick up the bags and get in the limousine
Soon we’ll be away from here

を導く経過句的コード連鎖C→A→F#7→C→C7→D#7→A→F#7→G→G#→A この万華鏡のような転調の連鎖には度肝を抜かれます。これを聴いて真っ先に僕が連想するのはチャイコフスキーの和声連結です。くるみ割り人形の花のワルツだ。彼がこの部分を聴いたらいったい何と言っただろう??

One two three four five six seven,
All good children go to Heaven

C→G→Aの繰り返しが印象的なベースを伴ってディミニュエンドし、だんだんコオロギの鳴き声が聞こえてきます。本当に天国にのぼったかのような。ここからです。

何より初聴時に天地がひっくり返るほど驚いたのはこのSun Kingのアーです。茫洋とした不思議なムードのE(ホ長調)に突然ソ・レ・ファ・ド・レ・ファ・ラ(たぶん)がア・カペラで闖入!!青天の霹靂であり脳天直撃のショックです。僕が地球上のあらゆる音楽から受けた転調の衝撃でこれを上回るものは一つもありません。これはE部分の g#・b・c#・e が a・c・d・f に半音ずれ上がりバスが e から g に3度上がる (Magical Mystery Tourと同じ)。そしてそのバスの g をドミナントとして一気にハ長調に転調。here(g・c・e)comes(b・d・e)the(g・c・e)sun(b♭・d・f・g)king(a・c#・e)の密集和音のコーラス、太字部分の2度の精密な、まるで霧の中にいるような恍惚とさせるハーモニーは彼らの音楽の集大成とすら聞こえます。ホントウニスゴイ!

ここから意味不明のスペイン語を経てPolythene Pamに至るジョンの天才ぶりには言葉を失います。2拍子のMean Mr. Mustard の最後が3拍子になる。ぐるぐる頭が回る。ジョンの変拍子はSgt.Peppers(Good Morning,Good Morning)でも出てきますが、ここではあれっと思うとあれあれっという間髪も入れずにPolythene Pamの12弦ギターとタムの奔流に引きずりこまれます。ラフティングで筏(いかだ)が急流にもまれ、一回転したら次の急流に乗っていたという感じ。この部分の展開は天衣無縫と評するしかなく、すごさに気づいた人がやろうにも真似すら無理という性質のものです。

Polythene Pamは他の楽器に編曲したらちっとも面白くないでしょう。あのジョンのギターのワワワワウ!リンゴのタムの乱れ打ち!あの「ワルぶった感じ」は楽譜に書きようがないし、あれを管弦楽団なんかでやってもタカラヅカが極道ものをやるようなもんで、みっともなくて聴けたもんじゃないだろう。あれはあの12弦ギターとタムじゃないとだめです。つまりジョンは音色まで作曲しているということで、これにはクラシックは手も足も出ません。

音楽という絵画を描く絵の具の色はオーケストラにおいて最も多様化しましたが、ここでジョンはそれを拡大しました。単にエレキギターがそこにないということではなく、オケに後発組のクラリネットが初めて加わったのと同じぐらいのシリアスな必然性を持ってです。ビートルズの演奏能力について僕はひとことも書いていませんが、歌やギターがうまいへたは論じても意味がなくて、ここに録音された音、演奏そのものがスコアです。ジョンの曲の部分だけは、シリアス・ミュージックではあっても、字義通りのクラシック音楽のパレットには還元できません。僕はロックの奥深さをこういうところに感じるものであります。

<解題3>

一方で、ポールのYou never give me your moneyは彼自身のピアノで弾かれ、後にブラス・アンサンブルでも出てきます。この曲は明確に五線譜に記譜でき、ギターよりピアノや管弦楽の方が自然なぐらいです。The Long and Winding Roadが典型ですが、ポールはクラシック音楽のボキャブラリーをものすごく蓄積していることがわかります。しかし僕のまったくの主観ですが、ポールのはクラシックとしては、けっこう普通です。あまりに正統派なので、クラシック慣れした耳にはあっそう、それで?というところがある。一方で、ジョンのクラシックはCome TogetherやBecauseやSun Kingになる。これらの衝撃はストラヴィンスキーの「春の祭典」を初めて聴いた時を凌ぐものがあります。

ビートルズの初期作品にはギターで適当にやってみたら意外に良かったという感じの音があります。天才の発想の原石が裸のまま出たかのように。しかし後期作品ではおそらく彼らの耳がそういうことを許容しなくなっていて、もっと高度な音楽言語でプロセスされています。アレンジというお化粧の問題でなく音そのものが。管弦楽と合唱のためのレクイエムまで作曲したポールの耳が後期のビートルズの音作りに影響したのは否定できないでしょう。それが異形の天才ジョン・レノンにクラシックを書かせたかもしれません。しかしいくらシリアスな衣装をまとってもPolythene Pamのジョンは変わらない。それが噴火口のようにぽっかりと赤い口を開いたのがあの f# であり転調なのだと考えています。

ポールの曲ではShe Came in Through the Bathroom Windowが好きです。見事なコーラスとサイケデリックなエコーのきいたギターの合いの手が最高。このシチュエーションに置かれたこのギターのきらきらした音は非常に印象的でやはりシリアス・ミュージックの音色のディメンションを拡大する意味深いものに聴こえます。こういう「オーケストレーション(orchestration)」を誰がやったのか興味のある所です。面白いのはジョージの2曲SomethingとHere Comes the Sunが他の部分とピッチが大きくずれていることです。これは蓮の花がぽっかりとにごった池に浮いたような効果を及ぼします。

ジョージの曲はいい曲です。単独でヒットチャートに入ってエヴァーグリーンになる名曲でしょう。後者のサビのC→G→D→Aという4度下降は後期の特徴でもある。しかしやはり「いい曲」なんです。世の中的にはこれが人気あるんだろうということは充分にわかりますが、僕のようなポップ系に無関心なリスナーの脳天を直撃する音楽ではありません。すごいと思うのは、A面最後のジョンのI Want You (She’s So Heavy)の暴風雨が突然切れ、Here Comes the Sunのギターのイントロが出る瞬間です。ぱっと世界が明るくなり春の日差しがあふれる。これはベートーベンの田園の嵐(第4楽章)から感謝(第5楽章)に行った感じそのものです。しかしこれもジョンのまいた種ですが。

<幕>

Carry That WeightからThe Endにかけては歌詞と解散の関連について様々なストーリーと憶測があります。この当時、レコード会社の経営状態は悪く、ジョンとポールの人間関係は最悪であり、リンゴが蛸の歌で「海の中にもぐりたい」というのはそれがいたたまれなくて逃げ出したいという暗喩だという人もいます(事実かどうか知りませんが)。何とか続けてくれていたらとはファンなら誰しも思うし歴史にタラレバを言っても意味ないのですが、もし仲直りしていたらこの奇跡のようなアルバムは生まれなかったのかなとも思うのです。そして逆に、これが現実として生まれてしまって、この先にどんなビートルズがあるんだっけ?という答えがなかったのかもしれないと。

アルバムとしてのシリアス・ミュージックの領域に立ち入れば曲の独立性はなくなり、イフェクトは舞台で再現性が乏しく、ライブは成立しにくくなります。それでも彼らがそれにつき進んだのは、客席で失神してくれる女の子より自宅でレコードにじっと耳を傾けるシリアスな聴衆を求めたからかもしれないし、僕はそれ以前に彼らの耳がどんどんシリアスになったからだと思っています。モーツァルトがウィーンに出てきて、だんだんと聴衆の好みを超えた複雑な曲や短調の曲を書きだしたように、本物の作曲家は大衆に迎合などしないのです。Abbey Road と Sgt. Pepper’sで彼らはその領域に達し、そしてモーツァルトが死んでしまったようにビートルズも終わりました。

その名も「終わり」、まさにビートルズの最後の曲であるThe Endでリンゴ、ポール、ジョージ、ジョンの順番でソロがあります。ビートルズとはこういう全然ちがう個性をもった天才たちの自発的アンサンブル、オーケストラだったことがわかります。ひとりの天才の個性でつくるクラシック音楽ではない、合作という新しい方法論による天才たちの配合の妙。それがジャズのようにアドリブではなく、スコアに書き込める、まさにクラシック音楽と同じであるWritten Music(Sheet Music)の領域で成立したというのは、彼らがそう望んだのかどうかはともかく、連綿と続く西洋音楽史の中に記録され、1000年後にも聴かれていくすべての要件を満たしているという意味において、Classical Music 以外の何ものでもありません。

僕は彼らがこのアルバムで「仲がいいからいいものができる?そんなことはないさ」、と笑っているように思えてなりません。チームというのはいかにも人工的に美化された要素を含むもので、成功したらいいチームだねと後講釈がきくものでしかなくて、やっている本人たちにそんなものは見えていないという性質のものでもあって、だから彼らの音楽は、一般的な意味でのチームワークが生んだものではないという気がいたします。しかし、ジョンの曲であるSun Kingにコオロギの声を家で録音して加えたのはポールなのです。ビートルズはちがった才能の持ち主が寄り合って作るリミテッド・パートナーシップ、合同会社みたいなものだったかもしれません。

そして想像するに、アビイ・ロードは4人の天才たちの、けっして平和的ではない、最後の寄合いから出た一瞬の火花(スパーク)みたいなものではなかったでしょうか。離婚する夫婦が会って、昔の良き日を思い出して、でもお別れ会だと感じていて、だからこれでもう二度と火花は出ないと知っていて、良いものができたのに無機的な録音スタジオ名をつけて、だからここで歌っているビートルズはもうバンドではなくて、その通り淡々とアンバンド(解散)した。そして、4人の誰一人としてその後にこういう音楽を、似たものですらも書かなかった。

「ビートルズってなに?」

いつの日か孫に聞かれたら、

「死んじゃった作曲家の名前だよ」

と答えることになるのかもしれません。

 

モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

 

 

(こちらへどうぞ)

チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」より「花のワルツ」

クラシック徒然草-田園交響曲とサブドミナント-

 

 

 

 

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・・・・偉大なバンドに心から感謝をこめて

再録「クラシックとベンチャーズ」

2013 MAR 30 15:15:04 pm by 東 賢太郎

 

中島さんの3月29日付のブログ「今週のクラシック音楽ベスト3」を拝見し、いたく感心いたしました。ガキだった自分の感想をオトナの演奏家である中島さんのと比べるのも失礼なのですが、とても思い当たるところがあるのでご感想にコメントさせていただくのをお許しください。

 

「ブラームスの第1、4番は、刺激が少なくて退屈でした」

僕は初めて聴いたブラームス(ワルターの1番のLP)が刺激がなくて退屈で、何の記憶もありません。ということで数年は放り出して聴いていません。

「モーツァルト第36番リンツはよくわからない」

僕はモーツァルトは全部わかりませんでした。刺激の無さはブラームス以上で、女の子が嫁入り用に練習するピアノの曲を作った人程度に思っていました。

「マーラーは、第6、7,9番全部、曲が長く80分以上で根気がついてゆきませんでした」

マーラーは名前も知らず、冒険心で買った3番のLPは1枚目の1~2面で挫折し、最後まで聴いたことはありませんでした。

「ムソルグスキー展覧会の絵も、ミュージカル的印象でした」

僕もこの手のカラフルな曲にはわりと違和感なく親しみました。

「シューベルトの未完成は、第2楽章で終わっている理由を、東さんのブログでみるとあまり劇的でないので残念ですが、弦のいい音が耳に残っています」

僕は未完成が苦手で2楽章ももたずに寝てました。なぜ聴くことになったかというと、不幸にも当時のLPは「運命・未完成」の組み合わせが定番だったからで、僕にはどうもポップスのEP盤のイメージから「B面の曲」という先入観もあったかも知れません。この曲が完成してるかどうかストーリーを知る以前に、こっちの耳が未完成でした。

「バッハの平均律クラヴィーア曲集をジャズ・ピアニストのキース・ジャレットが弾いたのを聴きましたが、まじめな演奏で退屈でした」

僕はバッハはお葬式の音楽家ぐらいに思っていました。「平均律」はピアノの旧約聖書だときき勇んでチャレンジしましたが3~4曲目であえなく座礁。LPを最後までガマンして聴いたのは数年後でしたが、ほぼ苦行に近く、レコードはそこからまた数年はほこりをかぶることになりました。

「3分間音楽愛好家の私にとっては、最初の10秒はその曲の評価を決めるポイントです」

いや、よくわかります。僕は「コード進行」と「曲の終わりかた」でした。しかしこういうのは誰も公言しませんが普通の入り方だと思います。いきなりベートーベンに感動したなどというのはどうも、少なくとも僕はあまり信じられません。中には初めてなにかクラシックを聴いて「感動で涙が止まらなかった」という人もいっらしゃるでしょう。最後まで聴かれただけでも尊敬しますが、例えばキリスト教徒のかたがバッハのマタイ受難曲に接すればそういうことは充分にあると思います。しかし宗教でもストーリーでもなく音響から入る非文学的な僕のような輩がいきなり「未完成」で涙を流すのは今日からキリスト教に改宗するぐらい至難の業です。ストーリーに音楽がついているオペラでさえ「こんな太ったミミがどうして死ぬんだろう?」などと現実に帰ってしまい、結局は音しか聴いていないことが多いぐらいですから僕は基本的にオペラも苦手ということなのでしょう。

中島さん、僕も3分間音楽愛好家だったのです。

その証拠に昨年の9月16日、SMC開始早々に書いた僕の「クラシックとベンチャーズ」というブログを再録いたします(すこし手を加えています)。

 

・・・・

 

クラシックというと堅い、退屈、長い、近寄りがたいという人が多く、ポジティブなイメージは癒し、知的、高尚だそうです。日本では音楽市場の10%ぐらいあるそうですが交響曲、オペラのような長い曲を家で真剣に聴くような愛好家は総人口の1パーセントという説もあります。いずれにしても、相当マイナーな存在であることは間違いありません。もったいないことです。

V_ep02_thumb_1V_ep06_thumb_1                僕は小学校時代にザ・ベンチャーズの強烈な洗礼を受けました。いわゆるテケテケテケです。寝ても覚めてもベンチャーズ。歩きながらもベンチャーズ。ノーキー・エドワーズのマネをしてギターを弾き、本を並べてバチでたたいてメル・テーラーの気持ちになっていました。キャラヴァンという曲があります。メルのドラムスとドン・ウイルソンのサイドギターの刻みが絶妙にシンクロ。それに乗ってドライブするめちゃくちゃカッコいいノーキーのリードギター。難しいリズムのドラムソロ。レコードがだめになるまで聴きました。

51NJBE0YVJL__SL500_AA300_                      そこに立ち現われたのがこの人たちです。ジョンとポールのハモリとノリ。何を言ってるかわからないがなにやらカッコいい英語。女の子の失神。ベンチャーズにない刺激的なコード進行。ポールのものすごいベース。いやーこれはすごい。完全にハマりかけました。そのまま行けば僕はたぶんロックバンド路線に進んでいたと思います。音楽の時間にあの曲を聞かなければ・・・・。

 

千代田区立一ツ橋中学校。われわれ悪ガキがポール・モーリヤとあだ名していた音楽教師、森谷(もりや)先生が「今日は鑑賞です」と言ってレコードをかけてくれました。それはモソモソとはじまる退屈きわまりない曲でした。そもそもクラシックは聴いてる奴らのナンパで気取った感じが大嫌いな野球少年の僕でした。まあ昼寝にいいか。実は小学校時代に同じシチュエーションで教室の窓から脱走し、母が担任に呼び出しを食らった前科のある僕は、それを思いだしました。

61tD8K3CxeL__SL500_AA280_すると、ちょっとキレイでグッとくるメロディーが出てくるではありませんか。へー、割といいな。仕方ねえ、ちょっとだけ聴いてやるか。まさにその時です。そのメロディーが突然違うコードにぶっ飛んだのは。脳天に衝撃が走りました。ベンチャーズにもビートルズにもない新体験。これは何なんだ?

その曲はボロディンの「中央アジアの草原にて」です。その個所は105小節目、ハ長調のメロディー(注)が3度あがって変ホ長調に転調するところです。演奏は「ジャン・フルネ指揮コンセール・ラムルー管弦楽団」とノートにしっかり書き込みました。よほどの衝撃だったのだと思います(想像ですが、この写真のレコードだったのかなあ・・・)。

この経験が僕をクラシックに引きずりこみました。この曲が欲しいと言うと、父はこれが入った名曲集のLPを買ってくれ、そこに一緒に入っていたワーグナー、チャイコフスキー、ヨハン・シュトラウス、グノーも気に入ってしまったからです。

ただ、今でも僕はビートルズ信者です。カーペンターズ、ユーミン、山下達郎などもコード進行が好きで、今もときどき聴いています。コード進行がいいものというのがおおまかな僕の基準ですが、中でも荒井由美だったころのユーミンはとても好きでした。

さて、ベンチャーズです。京都の雨なんていうしょうもないものをやりだした頃から一気に堕落しました。それでも初期のあのダイヤモンドヘッド、パイプライン、十番街の殺人(テケテケテケの音色が全部違う!)、ウォーク・ドント・ラン、ブルドッグ、アパッチ、テルスター、夢のマリナー号、クルエル・シー、パーフィディアなどなど永遠に色あせることはありません。カッコいい。美しい。

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しかし、それにもまして、あのキャラヴァン(左)なんです、僕には。冒頭のシンバルの一撃で金縛りです。腹にズンと響く中音と低音のタム。土俗的なリズム。究極のアレグロ・コン・ブリオ。完璧に4つの楽器がバランスされた録音。もう芸術としか呼びようがありません。このクオリティの高さはいったい何だったんでしょうか?

 

・・・・

borodinn1(後記)

右の写真はボロディンの「中央アジアの草原にて」のピアノ編曲版の表紙です。絵をよく見ると、この曲も「キャラヴァン」だったんですね。キャラヴァンつながりで僕はベンチャーズからクラシックへ旅したわけで、不思議な気分がいたします。

 

 

 

 

 

 

①私の好きなビートルズ・ベスト3 (東)

2012 NOV 2 15:15:48 pm by 東 賢太郎

3つ選ぶということはそれ以外を全部捨てるという感じになって、とても苦しみます。アルバムで言えば①アビーロード②サージャントペッパーズ③は複数横並び、となります。

①は曲を単独で挙げるのが難しいほど全部が芸術的に一体化しており、すでに完全にクラシック音楽の「交響詩」というジャンルの一角を成しております。僕の趣味ではリヒャルト・シュトラウスの「英雄の生涯」などよりずっと上質の音楽です。ウエストサイド・ストーリーの作曲家で指揮者でもあったレナード・バーンスタインは「ビートルズはシューベルトの歌曲よりいいね」と言ったそうです。どの曲かは知りませんが、僕も同感です。

②は①ほどの一体感がまだありませんが完成度の高さは同等に驚異的で、やはりクラシック音楽として人類史に永遠に残る芸術作品です。大げさに聞こえるでしょうが、モーツァルトだって当時としてはポップスの作曲家だったわけです。クラシックは綿々とオーケストラという媒体にこだわっていますが、ビートルズはエレキ・ボーカルという別の媒体にクラシックの楽器も取り入れ、このアルバムのようにライブで再現できない録音技法まで駆使した新しい媒体を生み出しました。これが芸術でなくて何なのでしょう。

さて、以上はアルバムですが、曲でいいますと、

第1位・   I Am the Walrus

第2位・   Help!

第3位・   If I Fell

さんざん悩んだ挙句ですが。I Am the Walrus これ好きです。説明不能。天才とはこういうもんです。モーツァルトに聴かせたい曲の筆頭。 Help!  出だしからすごい。ベンチャーズの Caravan と同じアレグロ・モルトの傑作。If I Fell  この不可解なコード進行は衝撃。それが様になってしまうのは初期から。これも天才。

 

Penny Lane

2012 OCT 17 0:00:02 am by 東 賢太郎

中島さんへのコメントでカーペンターズを思い出して、これまた聴くことに。YouTubeを見るとカレンがドラムをたたいてClose to youなんかを歌っており、彼女のとてつもない才能にくぎ付けになってしまいました。彼らのハーモニーは純正調でビートルズに匹敵する気持ちよさです。カレンは僕が最も敬愛する女性pop歌手です。

Close to youはバート・バカラックが作った曲で、彼はなんとフランス6人組のひとりダリウス・ミヨーに作曲を習ったバリバリのクラシック本格派です。リチャード・カーペンターもそうで、絶対音感がありピアノはうまい。彼のアレンジにはクラシックのベースから来る音感、和声感を感じます。

不思議なのは、そういう教育をうけず、たぶん楽譜もあまり読めなかったジョンやポールのケースです。例えばペニー・レインはB(ロ長調)で(the pleasure to knowの部分でknowがふっとBm7になるのがいいのですが) この調はギターでは弾きにくいです。

特にall the people that come and go・・・・のバックでバスがg # →   g  →   f # と下がっていくコードはギターよりピアノ的発想に見えます(これはポールの曲ですが、録音ではポールがベース、ジョンがピアノを弾いているようです)。ピアノだと自然に弾けるので、ピアノで作曲したのではないかと思います。

この曲、トランペットが入ってきますが、ポールがニュー・フィルハーモニア管弦楽団の奏者を呼んできたそうです。このオケ、当時はあのオットー・クレンペラーが君臨していた絶頂期です。彼を呼ぼうと思った時点で、ポールはクラシックの作曲家です。サビがA(イ長調)というのも意外感に満ちていて、それを F# を経て B に割と強引に戻しているのに、なぜか唐突感がありません。ビートルズの和声は実に不思議です。

ペニー・レインは詩も好きで、僕が2歳から中学まで過ごした和泉多摩川の超ローカルな商店街をいつも思い出します。床屋さんもあったし、僕の親父は銀行家でした。

 

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LUCY IN THE SKY WITH DIAMONDS

2012 OCT 15 0:00:33 am by 東 賢太郎

ビートルズの歌詞は学生時代ぜんぜんわかりませんでした。そもそも英語力の問題でどの曲も聞きとれていなかったということですが。それがロンドンに6年間住んで、ある時久しぶりにこの曲を聴いて目からうろこが落ちる感覚を味わいました。

98年発売の青盤CDについている日本語訳はおそろしいほどひどく、あまりのわけわからなさについに翻訳者が自信がなくなったとみえて第3コーラスは割愛までされています。こんなもので金をとるのは詐欺といえましょう。

 

川に浮かぶボートに乗ってる自分を想像してごらん

みかんの木とマーマレードの空もね

誰かが君を呼ぶ

君はとてもゆっくりと答える

万華鏡の目をした女の子だ

 

黄色と緑のセロファンでできた花が

君の頭上にそびえている

目に太陽のあるその女の子を探してごらん

でも彼女は行ってしまった

 

Lucy in the sky with diamonds

 

泉のそばの橋まで彼女について行ってごらん

そこでは木馬の人々がマシュマロパイを食べている

信じられないぐらい高く伸びた花々を君がふらふら通り過ぎると

みんなが笑いかける

 

新聞紙のタクシーが何台か岸辺に現れる

君を連れ去ろうと待っているんだ

後ろによじ登って頭を雲間につっこんで

そして君も行ってしまう

 

Lucy in the sky with diamonds

 

駅にいる列車に乗ってる自分を想像してごらん

粘土のポーターたちが鏡のネクタイをしているよ

ふと見ると誰かが回転式改札口のところにいる

あの万華鏡の目をした女の子だ

 

Lucy in the sky with diamonds

 

 

これが直訳です。シュールですが大好きな詩です。

the flowers that grow so incredibly high

という部分、とてもとてもブリティッシュです。

 

 

Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band

2012 OCT 6 7:07:08 am by 東 賢太郎

英ダルハウジー大学[数学・統計学部]のJason Brown教授が、半年という時間と、高度な数理解析技術を費やしてついに解明した。音楽史上屈指の謎――ビートルズの楽曲『A Hard Day’s Night』の冒頭で鳴るあの「ジャーン」という音――のコードを解明したのだ(右、スコア)。

(日本語版:ガリレオ-矢倉美登里/高橋朋子より引用させていただきました)

僕はこのコードを耳コピでギターの低い方からf-a-d-g-c-g と弾いていました。おさえやすいし、スコアを見ると不正解答案ではありませんでした。

ビートルズの曲は数学者が半年もかけてフーリエ解析やってしまうほど謎と魅力に満ちているんですね。

「僕の音楽史」に書きましたが、ベンチャーズからクラシックに一気にワープした僕にとってビートルズはエアポケットでした。はまったのは大学のころですから若い人がCDで覚えたのと変わりません。クラシックとして、クラシックを聴く耳で、クラシックと同じレベルの感銘をうけました。

書きだすときりがないのでひとつだけ。サージャント・ペパーズ・ロンリーハーツクラブバンド。この曲、いきなりイ長調属7(A7)で開始して、クラシック的にはD(ニ長調)へ行くと思わせておいて裏切って短3度上のC7(このジャンプはマジカル・ミステリー・ツアーのEからGと同じ)。そして次に、またまたFではなくGへ。この2度の裏切り効果はベートーベン交響曲第1番の出だしを思い出します。

さて、そこからあたかもG (ト長調)のような音楽になりますが、出てくるコードはG、A、B♭、C、D、Fです。ト短調の音列です。Dの部分にはDmが重なっているので(つまりf#とfがケンカしていて)、どうもト長調、ト短調というよりヘ長調に聴こえる(ホルン重奏の部分はまさにヘ長調です)。僕はブルースコードに詳しくないので、G以外は7thコードというクラシックではありえないプログレッションの領域では不思議でないのかもしれません。僕の不勉強であればどなたかご教示ください。

これをト長調と見てもト短調と見てもヘ長調と見ても、ひとつだけ欠落している音があります。Eです。そして、この曲はビーーーリーーーと架空の人物を呼び出しつつ、C、Dと上がって、シ―――ズでなんとそのEがティンパニのロールにのって颯爽と初登場するのです!!ウイズ・ア・リトル・ヘルプ・オブ・マイフレンド。このホ長調の曲とリンゴの声。ドラえもんのどこでもドアで急に別世界に出たみたいな場面転換。この充足感には深い深い理由があるのです。

この奇跡的なアルバムをこの調子で書いていくとブログは10回分では足りません。やめます。

 

 

 

 

 

 

 

(こちらへどうぞ)

コダーイ 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」 作品15

 

 

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