見えている現実はすべてウソかもしれない
2020 APR 29 1:01:54 am by 東 賢太郎
見えている現実はすべてウソかもしれない。そう考えたのはアルトゥール・ショーペンハウエルを読んでいる時でした。急に閃いたのです。ただし、これから彼の驚くべき著書を読まれる方に誤解のないように書いておくと、彼は以下に述べるようには言っていません。あくまでこの尊敬する哲学者が弱冠30才で看破した宇宙の真相を僕が理解した限りにおいて、そこに僕の妄想が入ったものにすぎないのですがひとつだけある確固たる経験的な理由によって、この妄想にはけっこうリアリティーがあるのです。それを実感として味わえるのは日本人男性の100人に5人しかいないかもしれませんが。
僕はわからない色があります。それを妻や娘は「薄い緑よ」なんていいます。本当にそうだろうか?そう思ったのです。すべてはこの疑問から発しています。見えている現実ってなんだろう?同じものが自分と違って見えている人が世の中には確実にいる。それが僕にとってのまぎれもない現実であり、だとすれば僕はその人たちとは全然別個の世界を見てここまで生きてきたことになります。経験論者であると何度も書きましたが、それが「薄い緑」だとその人たちが口をそろえて認識するようには経験していないのだから、それ(お茶でした)は僕にとって、存在しないに等しいのです。
統計があって、僕のような人は男性で日本人に5%、白人に8%います。残りの95%、92%の人たちとどっちが正しいというわけではなく、緑色はいろいろあるんだと考えたら変でしょうか?僕らにとって、地下鉄の切符売り場にある路線図はただの迷路です。世界史年表の地図の色分けはもはやナンセンスで、それで大学入試は世界史を選択しませんでした。僕は95%の人たちが多数派であることをいい事に作りあげた埒のあかない現実にうんざりしていて、とうとう、この人たちは「95族」という自分とはまったくの異人種であるという理解に落ち着いたのです。肌の色や何国語をしゃべるかなんてことより、いまはこれがずっと本質的な人間の区分ではないかと思っております。色は光にはなく、脳内にあります。鳥は人間より多くの色が見えます。
僕の属する「5族」が95:5と圧倒的なマイノリティーなのは、人類300万年の歴史でその色の見え方が生存に有利でなかったことの残念な証明なのでしょう。赤緑を見分けたほうが有利なために人類は95族へと進化が進み、僕らはそれに乗り遅れた人種だったかもしれませんね。しかしそれなら、なぜ5族はネアンデルタール人のように絶滅しなかったのでしょうか。なぜ配偶者を得られたのでしょう(女性はほぼ全員が95族です)。本来は生存競争に敗れて絶滅するのが自然な流れだったのが、人類の進化上で何らかの有意な変化が起きて、色の見え方の不利を相殺した結果ではないでしょうか。
例えば、我々の遠い祖先が猛獣を避けるために樹上生活をしていたころ、緑の葉っぱの中の赤い実を見分けてすばやく食べるには5族は明らかに不利です。しかしやがて人類は火を使って猛獣を追い払い、地上に降り立ちます。二足歩行して両手の自由を獲得し、狩猟や農耕による社会に移行します。赤い実を探す能力は生存の決定的要件ではなくなったから生き残れたか、あるいは、逆に樹上での逆境をコミュニケーション能力で補っていたのが5族とすれば(仮定ですが)、地上生活ではそれが有利に働いたというようなことが起きていたかもしれません。
ところが、ショーペンハウエルに戻りますと、赤か緑かということよりももっと現実は深いものを秘めているかもしれないということになってきます。目に見えてるものはすべて「表象」という仮想現実だからです。彼の著書『意志と表象としての世界』には、ものは唯一絶対のものとして「ある」のでなく、見えたり感じたりして認識しているから「ある」のだと書いてある。つまり彼は、主観はすべてを認識するが、主観は他の誰にも認識されないものであり、主観が存在しないなら世界は存在しないのと同じであるというのです。それが赤か緑かということは、もっとおおきな括りの中では大同小異になってくるのです。95族が「緑よ」といってるものだって、95-Aさんと95-Bさんの緑は同じではないのです。
二人が上野の西洋美術館のゴッホ展に行って「『ひまわり』っていいね」と合点しても、AさんにはBさんの見たひまわりは見えていません。「ゴッホのひまわり」は人の数だけあります。それは光線が見た人の眼球を通過して脳に結んだ像にすぎず、その像は脳の数だけ存在するからです。こう考えると、僕が60余年見てきた「世界」とは僕の脳にだけ「ある」もので、実はぜんぶウソ(CGみたいなフィクション)だったかもしれず、4次元(3次元空間+時間)の映画のようなものを見ていたんじゃないかという仮定は、常識的にありそうに感じるかどうかはともかく、否定はできなくなってくるのです。
人生とは表象の集合として相互に関連しあう “長い夢” であり、単なる表象だという意味で、夜見る夢(“短い夢”)と区別のつけられないものになってしまう(ショーペンハウエル)
映画が終わったら(つまり死んだら)「はい、お疲れさん、次の見てくかい?」なんておじさんが声かけてくるんじゃないか?そこで「はい、見ます」と手を上げると、次の上映になるのです。これを人間界では「転生」(生まれ変わり、reincarnation)と呼んでいて、多くの宗教が死者の魂は天界に登って再生すると認めているし、エジプト人は戻ってくるときのためにミイラまで作ったのです。前の人生を記憶していた人の話は世界中にありますし、「空中で画像を見ていて、このお母さんにすると決めて生まれてきた」という「記憶」を語る子供や、前世の家族や友人や自分を殺した人を詳しく覚えていたり、習ってもいない前世の言葉を喋った人の記録もある。イアン・スティーヴンソンという学者(ヴァージニア大学)の研究です。僕はこういう妄想を持っています。
宇宙は実は天界のディズニーランドである。アトラクションの「ワンダフル・ヒューマン・ライフ(素晴らしき人生)」は人気だ。テレビスクリーンに地球上の妊娠中の女性が映る。お客は自由に選択でき、ボタンを押すと下界に降りてそのお母さんの胎内に入る。そこからはその胎児の目線(五感)となって「70~80年コース」の4次元コンテンツが始まるが、上映時間は天空の1時間ぐらいである。割増料金で100年コース、上映時間は90分の長尺も選べる。
そうかもしれない。本気で思うのです。宇宙は地球外知的生命体によって精巧に造られたアトラクション用の舞台装置で、お母さんも胎児も何もかも原子という超微細なレゴで組み立てられている。4次元で「時間」の要素がある遊びだからお客さんは、だんだん成長する仕掛けの胎児という乗り物に乗りこんで、そこから始まる「人生」というストーリーに「五感」というツールを与えられて楽しむ「参加型アトラクション」である。
脳学者によるとどのひとつの脳細胞にも「自我」(ワタクシ)が見つからない。哲学者は人間は「考える葦」で「我思う、ゆえに我あり」と言う。大変結構だけれど、脳は単なるアトラクションの部品です。例えばジェットコースターに乗ったとして、動力であるモーターとあなたとは一体でもなんでもないわけです。脳を調べてるのは地球上の人間という、これまた別な胎児から成長したアトラクションだからそれがわからない。ロボットがロボットを分解してるだけです。4次元映画の中ではその理解できないものを「魂」「精神」などという名で呼んでいます。
お客さんである魂や精神にとって、胎児の成長や、意志に関係なく動く心臓や、宇宙の生成や運動は、すべてプリセットされたアトラクションの舞台装置です。お客さんは初めてスペース・マウンテンに乗った時のように、仕掛けの壮大さ精巧さに圧倒され、周囲を観察して、「どうしてだろう」「どうなってるんだろう」と思うだけです。選んだ乗り物(胎児)のDNA(能力や寿命)は変えられず、その範囲内でうまく操縦して良き人生航路を辿るというゲームです。乗り込んで地球時間で2~3年してから映画(意識)が始まるので、そこに至った経緯は認識がありません。そして、毎日毎日、その魂である我々は、「うまく操縦する」ことにこうして精を出しているというわけです。
もしそうなら、死ぬということは単なる「ゲームオーバー」であります。天界に戻って、またおじさんに代金を払って次のゲームを楽しめばいいのです。どうやって天界に戻るかという点ですが、死んでしまった人の証言はないですから臨死体験をして生き返った報告に頼ります。すると、魂だけが足の先から身体を抜け出て、ベッドに横たわる自分や泣いている親族を天井から眺めていたというようなものが多いことがわかります。体外離脱と呼びます。ゲーム開始のときはお腹の中の胎児に「降りてきた」ので、ゲームが終わるとその逆のことが起きるのだと考えれば納得性があります。
体外離脱の経験はありませんが、ある音楽にそれを連想したことはあります。モーツァルトのピアノ協奏曲第24番ハ短調 K.491の第3楽章のコーダ部分です。ピアノ譜をご覧ください。
枠で囲ったドからソまでの和声の半音階上昇とその前後の和声です。何かに魂が吸引されて足先から抜けていく。天界の和声がきこえてくる。また下界に戻される。また抜けていく・・・。ロココの作曲家などと烙印を押すのがいかにナンセンスか。彼の前後、こんな不気味な音楽を書いた人間は一人もおりません。彼の死後10年以上たって、彼を意識して書いたベートーベンの5曲のピアノ協奏曲も、これを見てしまうと常識の範囲内の作曲と言うしかありません。モーツァルトがなぜこんな恐ろしい音を書いたのか、何を見たのか?知るすべはありませんが、僕が乗っている乗り物はなぜか彼が大好きで、ちょっとしたことに反応してしまうのです。
「死はぼくらの人生の真の最終目標ですから、ぼくはこの数年来、この人間の真の最上の友とすっかり慣れ親しんでしまいました。その結果、死の姿はいつのまにかぼくには少しも恐ろしくなくなったばかりか、大いに心を安め、慰めてくれるものとなりました!ぼくは(まだ若いとはいえ)ひょっとしたらあすはもうこの世にはいないかもしれないと考えずに床につくことはありません。」(モーツァルト書簡全集Ⅵ、海老沢敏・高橋英郎訳)
以上が自説であります。僕が65年前に選んだ東賢太郎なる乗り物も年季が入ってあちこち不具合が出るようになってまいりました。そういうことを考えていると、母が頭をよぎります。寝たきりで意識がなくなって、それでもずいぶん長くがんばってくれました。逝ってほしくなかったからです。でも、こう思えば、もっとはやく見送ってあげればよかったのかもしれません。きっともう次を選んでるにちがいない、まだ3才ですけどね。
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モーツァルト クラリネット五重奏曲 イ長調 K.581
2020 APR 23 0:00:16 am by 東 賢太郎
みなさん、Stay Homeお疲れさまです。こういうときはモーツァルトを聴きましょう。いいかもと思ってたまたま聴いてみたのが「クラリネット五重奏曲」(K.581)でした。最高の癒しになったのでこれを書こうと思いたちました。いま、心に澄みきった青空が広がり、ほのかに陽がさした気分なのです。
この曲についての賛辞は 「雲のない春の朝」(アーベルト)、「天空に燦然と輝いている作品」(オカール)、「まさしく最も洗練された室内楽作品」(アインシュタイン)と枚挙にいとまなしです。クラリネットと弦楽四重奏は相性が良く非常に魅力的な組み合わせと思いますが書いた人は少なく、著名なのはブラームスぐらい。まあこんな作品がいきなり現れてしまえばねと納得です。
これに限らずモーツァルトの作品でいつも感嘆するのはそのプロポーションの良さなのです。八頭身美人というかギリシャの彫刻というかですね、理屈じゃなく、メロディーも和音もリズムも光っているのですが、聞き終わって心に残るのは見事にバランスしたプロポーションの良さ。「何か尋常でない美しいものに触れた」という感銘と安らぎで胸騒ぎがしているという風です。この心地良さを知ってしまうともうぬけられません。
それがハイドンの作り上げたソナタ形式のような一種の「鋳型」によってもたらされているかというと、どうもそうではない。例えばオペラに鋳型はありませんが、モーツァルトだけはそれでも感じるのです。「魔笛」は筋書が錯綜しておよそまとまりがありません。それなのに、全部聴き終わってみるといつでも、絶世の美女のような、完璧な肢体のプロポーションのような調和を見てしまうという具合です。こういう印象を覚える作曲家はほかに知りません。
プロポーションと書きましたが、それは数字の比だろうという考え方が昔からあるようです。有名なのが「黄金比」で葉書や名刺の縦横がそれです。一方で「白銀比」というのもあり、紙の寸法のAシリーズはそれです。美に絶対はないように思います。プロポーションという単語の語源も pro-(前に)+ portion(分け前)であり、何かを分配する前に「いい塩梅だね」という感じでしょう。とするならば主観であり、時代や状況で変わるかもしれません。
バルトークは黄金比を楽譜に埋め込みました。プロポーションのもたらす固有の美に意を配ったのでしょう。では、モーツァルトの楽譜にもそうした(八頭身の「八」のような)数理が隠されているか。僕はそうではなく、エジプトのギザのピラミッドは空から見るとオリオン座の三ツ星に見えたり、底辺や高さが地球の大きさに関係しているといわれる、むしろそういうものではないかと感じます。何らかの均整が隠されているのですが、それはメタフィジカルなものです。
「クラリネット五重奏曲」(K.581)はそれを最も感じさせる音楽の一つと思います。なぜこの音楽がいきなり心をつかむのか、理屈は説明できないのですが、やっぱりこれかなあと思うのは矢印のところです。
柔和なレガートで、まるでうららかな春の小川の流れのように始まったソーミーレードーのメロディー。矢印のラで主調にもどってワンフレーズ落ちつくかと思いきや、想定外の短調の和音が来ます。えっと驚いて、川の流れは一瞬止まります。この哀感!一気にハートわしづかみです。この主題はすぐくりかえされますが、そっちでは主和音(長調)で予定調和的に終止します。これが冒頭だったら「つかみ」は弱かったと思いませんか。
「えっと一瞬驚いて時が止まった感じ」、これを理屈で言うとフレーズのお尻を平行調で持ち上げて止めた感じのこれを僕は日本語文法の「連体止め」になぞらえたくなります。
紫だちたる雲の 細くたなびき “たる”
であります。体言止めほど終止感が強くなく含みを残します。個人的には枕草子の清おばちゃんの決然たる物言いが大好きなのですが、パンチが効きすぎないのは体言止めのぼかし、余韻を使った押し引きが抜群にうまいからで、彼女は連体止めの達人なのです。ファンだから僕の文章も影響を受けていると思います。そして、その趣味で見るモーツァルトも平行調止めの達人であるのです。
最初の4小節でこのありさまです。K.581の驚くべきところはそのミクロが大構造に組み込まれてくるところで、楽譜の冒頭(第1主題)矢印の①平行調版と②主調版ふたつを絶妙に使い分け、提示部が①、②、展開部は①、再現部は②、コーダは①と、つまり1,2,1,2,1と数列になります。第3楽章第2トリオと第4楽章主題は形を変えますが冒頭で驚かせた①が回想されます。こういうのはピラミッドを天空から眺めないとわかりません。
第2楽章ラルゲットはイ長調から4度上(希望、天国の)ニ長調で始まる同じ調のクラリネット協奏曲と双生児です。天上界を羽の生えた天使のように浮遊する様はロマンティックとも違う不思議というより超常的な世界で、異界にさまよいこんだかと感じます。冒頭の雰囲気は同じニ長調のザラストロのアリア(これも異界)ですね。P協20番K.466の稿に書きましたが彼の音楽にはフィガロ前後からそういう「こわい」ものが混入します。フリーランスになって当座は有頂天でしたが敵も作りました。自分が壊れる恐怖といいますか、問題オペラを書きながら夢にうなされるようなぴりぴりしたものが鋭敏な芸術家の神経にふれていておかしくありません。
その事で思い起こすのですがアーティストの横尾忠則さんがこう述べています。
芸術の創造のルーツは、過去の歴史の文脈の中だけではなく、こうしたまだ見ぬ未来の時間の中にもすでにスタンバイして、その創造が芸術家の手によって、現実化されるのを待っているのです。だから芸術家が幻視者とか予言者と呼ばれる理由かも知れませんね。
僕は昨年、瀬戸内海の豊島で氏の「生と死」をテーマとする作品を観て感じるものがありましたが、芸術家の直観や霊感(インスピレーション)はときに超常的であり、鑑賞する人の99.99%は日常的です。
第3楽章は建築物のようにかっちりと構成された、ふわふわの前楽章と対極のごつごつ堅牢な世界です。ここは現実的です。ところが、二つあるトリオの第1は弦だけのイ短調に対し調性がB♭、F7まで飛びます。ハ短調に移調するとP協24番K.491の、僕が魂の体外離脱と信じてる第3楽章の和声関係とぴったり同じです。K.491はフィガロと並行して書かれ、K.581は三大交響曲の翌年で予約演奏会の会員がスヴィーテンひとりになってしまい、ベルリンへ売り込みに行ったりの困窮の中で書かれました。どちらも極度の不安の中だったでしょう。第2トリオは一転して牧歌的です。短調になるあたりはパパゲーノのアリアを予見しています。
第4楽章は終幕にふさわしい喜々とした舞曲風の楽想で、真ん中の2楽章の異界感を解きほぐします。それが6回変奏されますが、スタッカートではじけるような第4変奏の後にアダージョの第5が来ます。一度遅くしてコーダになだれ込むのはハイドン、ベートーベンのお家芸ですがモーツァルトはあまりない希少な例ですね(この雰囲気はブラームスが同じ編成の作品115でぱくっていて、しかし冒頭主題の生々しい回帰というパンチを強烈に効かしているので御一新にはなってます)。しめくくりの第6アレグロに入る前に5小節のブリッジが入るのはソリストのポン友シュタードラーにカデンツァの見せ場を与えたと思います。借金を踏み倒したり自筆譜を紛失したり(売った説あり)とヤンチャな奴ですが、彼なくしてこれなし。我々としてはええい何でも持ってけ、ありがとうシュタードラーであります。
この曲に指定されたバセットクラリネットは当時は新奇でシュタードラーの専売特許的な楽器でしたからK.581は実験的作品でした。ウィーン音楽家協会(Tonkünstler-Societät)で1789年12月22に開催されたクリスマス・コンサート(ウィーン、ブルグ劇場)で初演されましたが、資料はありませんがモーツァルトも舞台に立ったと思われます(ヴィオラか?)。自分の予約演奏会が全く売れなくなるという想定外の事態に追い込まれそうなったのでしょう。当日は2年後に夜の女王を初演することになる義姉のマリア‣ホーファーも出演しており、モーツァルトとその仲間たちのコンサートだったようです。
第6変奏ですが、素晴らしく快活で元気の出る音楽です。中盤からヴィオラが八分音符でラの音を延々と刻むのはハイドンセット(ニ短調 K.421)を思わせますね(K.581は同曲と書法的には似た部分が多々あります)。この楽譜の5小節目からのクラリネットの下降音型にF#7、B、G7、A、F、B♭、E7、Aと和声が付きます。ここで第3楽章第1トリオの魔界のF、B♭が響きます(聴いただけではまずわかりません)。
同じ下降音型には今度はF#、 B、 G、A、 G7、A、 Eと平穏な和声が付くのです。このように同じパッセージの片方に魔界の和声を付ける例はプラハ交響曲の第2楽章にも非常に印象的な例があります。
以上俯瞰しましたが、こういう細部の意匠が隠し味になっていると知るのはあくまで天空からピラミッドを眺めた時だけなのです。それを知ったとて聴いているときはわかりませんし、その必要もございません。ただただ見事な霊的調和を感じさせて曲が閉じ、余韻を静かに味わい、ただただ溜め息をつけばいいのです。この曲のプロポーションの良さは数学的な比率を超越したメタフィジカルなものというしかなく、聴きこめばどなたでもそれを容易に感じるようになり、心はとけるほどやわらかになり、モーツァルトの虜になることでしょう。
演奏ですが、一般にはウィーン系の団体のもの、例えばアルフレート・プリンツとウィーン室内合奏団、あるいはレオポルト・ウラッハとウィーン・コンツェルトハウス四重奏団などが高く評価されています。古い録音ですが味があります。僕もかつてはそれらを聴いていたのですが、モーツァルトの時代に20世紀の「ウィーン風」があったわけでもなく、いまは純音楽的な視点でリチャード・ストルツマンとタッシの演奏になってます。これは僕が大学4年のときにニューヨークで買ったLPです。タッシのピーター・ゼルキンはこのころまだ若い兄ちゃんで、僕は親父の方をフィラデルフィアで聴きましたが、ピーターも2月に他界してしまいました。
この演奏、当時の日本の評論家は無視でした。ウィーン情緒がかけらもないからでしょう。モーツァルトといえばウィーン・フィル、カール・ベームという輩ばかりでしたね。でも97年の元旦にウィーンでウィーン・フィルの団員と食事しましたが最晩年に日本人が熱狂していたころのベーム爺さんの棒はよれよれでわからんかったと言ってました。ワインはペトリュスしか飲まんという、まあペトリュスはけっこうな品ですがね、それを薦めるのは普通のオジサンでもできるとも思うのです。
この演奏、テンポはたっぷりめでウィーン系があっさり聞こえますが、第2楽章の天使感や「こわい」と書いた箇所の深さ、第4楽章第3変奏のヴィオラの「泣き」がクリスピーにスタッカートを効かせた快速の第4変奏に移る見事さなどなど、当時若かった彼らが楽譜から読み取ったインスピレーションを感じ切って弾いています。各種手持ちのレコード、CDを聴きなおして見ましたが、コロナ疲れを癒してくれるのはこれでした。ご賞味あれ。
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ケーゲルのモーツァルト40番のテンポ
2020 MAR 9 9:09:17 am by 東 賢太郎
ひき続きケーゲルを探してきく。もう一枚、東ドイツ革命のpilz盤があった。ジャケット裏に「16 Sept 90」と書いているからロンドンから異動になった直後に日本で買っている。前稿で「ロンドンで・・」と書いたのは訂正。ケーゲル氏が2か月後にピストル自殺することをまだ知らない。
第一印象。モーツァルト40番Mov1にホルンの派手なミスがあって、いきなりアウトだ。こんなものをスタジオ録音で出すはずがない。しかし拍手はないしライブの記載もない。ベルリンの壁のごたごたで作った粗悪品だ、騙されたと思いそれ以来CD棚でお蔵入りとなってしまった。
Mov1はどれを聞いても今一つ心に迫らないというのが、驚くべきことに、今に至る僕の40番の印象で、どれを聞いてもそうなのだからこの曲はそんなものという一抹の苦手意識すらあった。
モーツァルト好きが40番を知らんとはあるまじきことなんだろう。でも英国経験主義を信奉するとはそういうことなのだ。よって、ここに書いた通り「正直のところまだそれを乗り越えたという実感がないのです」(モーツァルト交響曲第40番ト短調 K.550)であり、そこから6年後の今も変わっていない。
それがこの不良?CDでいま気がついた。
高校当時、評論家のチョイスはそろってワルター盤であった。これ以外を推すのは異端の観すらあり、どうしても自分の耳との齟齬がぬぐいきれなかった。だからブログでは筆頭に挙げながら「トータルに見て言い切るほどの自信はありませんが」と軟弱なスタンスに終わっている。
テンポが遅すぎたのだ。この楽章は「モルト・アレグロ」である。メトロノームで測るとケーゲルはニ分音符が116ほどだ。おそらく現代の耳ではどなたにも速く聞こえるだろう。そうなのだろうか?速すぎなのだろうか?
この疑問を解く実験ができる。ジュピターのMov4にもモーツァルトは同じく「モルト・アレグロ」と書いている事実がある。彼がテンポに厳格だったのはこう書いていることで分かる。
「音楽でもっとも必要不可欠のもの、いちばんむつかしいもの、とくに大事なもの、それはテンポです」(モーツァルト、1777年10月24日の父への手紙)
ジュピターMov4と40番Mov1は、モーツァルトの頭の中では同じ速度である。前者をニ分音符116で振れば、多くの人はやや遅めと感じるのではないか(ご自分で試していただきたい)。したがって、三段論法で、ケーゲルの40番Mov1は速くないという結論が導かれる。
ちなみに、大阪モーツァルトアンサンブルの武本浩氏のブログによると、モーツァルトに2年師事したフンメルが40番を四重奏に編曲した楽譜のMov1は、ニ分音符108である。上掲稿に貼ってあるケルテス / ウィーン・フィルがちょうどそれだ。
フンメルの耳と自分の耳と、どちらを信じるかだ。いまもケルテスは諸条件を勘案してベストかもしれないと思うが、ケーゲルを聴いて、これが自分の耳ではさらに正しいと思ってしまった。116はフンメルより速いけれど、108ではジュピターは遅いことも傍証だ。
このテンポを知ってしまうと、ワルターは40番を素材に自身のモーツァルト像を世に提示したのだと見えてくる。彼のコロンビアとのステレオ録音は、いってみればどれもそうなのだが、そうすることで彼は究極の目的として「自画像」を描いて後世に残そうとしている。
僕は彼の自画像に敬意を表したいが、彼のモーツァルト像は共有しない。どちらもモーツァルトに会ったことはない。平等だ。テンポやポルタメントのせいでそう考えるのではない、そういう「現象」を包含して、すべての残された情報から包括的に作曲家をどう把握、認識するかである。
その認識が個々人で違うのは情報の問題ではなく、それを鏡面として映し出される「自画像」の違いだ。クラシック音楽は永久不変の鏡であり、自分が実はどういう人間かを有無を言わさずあぶりだす。結論は、僕という人間は、ブルーノ・ワルターよりもヘルベルト・ケーゲルに近い側面を多く持つということだ。
これがその演奏だ。ライブだろうが日付の記載がない。オーケストラの技術がいまひとつであるのは既述どおり。眼光紙背に徹する棒ながら風を切って進み、一筆書きの風情があるという名人芸を聞き取るには僕はまだまだ若かったということを知った。
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モーツァルト「魔笛」断章(驚異の55小節)
2019 NOV 20 10:10:44 am by 東 賢太郎
過去に書いたブログを時々読んでみると、もうこういうのは書けないという物が多い。しかし変わらぬ情熱が湧いてくるのはモーツァルトがテーマの時だ。どうしてこんなに彼が好きなんだろう?自分の心の深奥、深層心理にあるものは意外に自分で知らないというがそういうことなんだろうか?
何度もウィーンに行ってモーツァルトの聖地巡礼をしたのは韓流ロケ地ツアーのおば様たちとおんなじか。僕は好みの人物の史跡にもお墓にも参る。しかし、ベートーベンもブラームスも、彼らの音楽を愛好していることに関してはモーツァルトに劣らないのに、それほどの情熱で巡礼をしていない。他のすべての作曲家も同様で、終焉の地で絶句して涙までしたという人はモーツァルトだけだ。
先日上野で聴いたので今は頭が魔笛漬けであり、寝ても覚めてもオペラのどこかが脳内でアトランダムに鳴っている。そこでピアノで第1幕、第2幕を全部やってしまう衝動に駆られた。ドラッグなのだ。難所は右手だけでどんどん進む。完全に “魔笛界” の住人となり、パミーナを救うぞとタミーノの気持ちとなり、三人の侍女と一緒にパパゲーノをからかったりする。昔は退屈してた僧侶との問答も、弾いてみるとモーツァルトがタミーノの心の変化に絶妙に寄り添っているではないか。そうやって出てくる音のいちいちを感じ取っていくと、凍りつくような異界の景色に出くわす。
たとえば第2幕の最初のアリアである「O Isis und Osiris」のここ、ザラストロの歌うこんなシンプルな譜面からなんて音がするんだろう!
これは王様であるザラストロが初めて登場した場面の名刺代わりの重要な歌で、基本的にバスが和声を誘導する。神殿が彼の支配する空間であることを暗示するように書かれているのである。写真の楽譜は男声合唱によるリフレーンの部分で、3小節で長7度が2つ、長2度が1つある凝りまくった見事な4声体だ。僕が「4」と指の数字を書いたファ・ソ#・ド・ミの増三和音+長7度がサブドミナント(F)に移行する倚音として実に妖しい神秘的な音を発し、ザラストロの神殿がただならぬ場所であるというムードを醸成する。倚音に経過的に、当時として想像できない不協和な音を乗せるのはジュピターのMov2、僕がハイドンの98番が引用してることを豊洲シビックセンターのピアノでお聞かせした箇所のちょっと先にもある。凄い。こういう音を書くからモーツァルトは異次元の人なのである。
このアリアはヘ長調がハ長調に転調するように見えるが、わずか55小節内の出来事であり、僕には両者が二極的(バイポーラ)に混在するように聴こえる。楽譜の4小節目でG7⇒Cと明確にハ長調に終止するからだ。そうなってしまうと、ここからどうやって主調ヘ長調に戻すかが見ものだが、楽譜の5小節目からザラストロの歌はD7からト短調に飛んで高音で朗々と悲壮感をたぎらせ、諭すように降下をはじめる。ここの和音はC7なので、耳は当たり前のFが続くことを予期する。並の作曲家ならこれでめでたしめでたしのヘ長調回帰になろうが、モーツァルトの耳はそんな陳腐なことはしない。
ユニゾンで半音低いラ♭でFm(へ短調)に、半ば強引にサプライズを仕掛けるのである。インパクトは絶大で音楽の景色がぱっと変わる。ザラストロ様の意のままに喜劇は悲劇になる、不届き者は成敗してつかわすぞ!ラ♭ひとつで聴き手を圧して絶対権力者のパワーを記憶に焼きつけてしまうこの劇場感覚はもう天才としか形容のしようもない。しかもこれが第2幕のエンディングで、ザラストロに「逃亡を企てたパミーナを捕まえました」と得意げに訴えるモノスタトスに「では褒美をやろう」と鞭打ちを食らわすシーンの心理的布石になっているのだから開いた口が塞がらない。
まだある。ラ♭に伴奏和音はついていないが、Fを予想していた聞き手の耳にはFmとして届く。次にその第5音を半音上げたD♭7が続いてハ長調に戻す。モーツァルトはドミナントの半音上の7の和音⇒ドミナント⇒トニックという連結を方程式のように多用していて、例えばピアノ協奏曲第24番Mov3でハ短調のトニックに対しA♭7⇒Gを頻出させる。これをナポリ6度と呼ぶが、原則としてトニックは短調である。そこでFm(へ短調)を噛ませてトニックに見立てD♭7⇒Cの方程式でハ長調とし、するとそれはドミナントとしてワークするのだからその7th(C7)を経て、その理屈でいうならばヘ短調に戻るべきところを(そうであっても聴感上おかしくはないのは弾いて実験してみればわかるが)、ヘ長調に戻るのだ。ここは再度些かの強引さを感じるが、ザラストロの怖さが解けた様に聞こえ、慈悲ある名君の風情を醸し出す方へと劇のベクトルが向かうことで納得してしまう。そして、とどめとして、彷徨ってきた調性を主調の上にくさびを打つために、これを今度はヘ長調で繰り返す。完璧だ。
驚異の55小節を言葉と屁理屈でなぞったけれど、このスコアを超高速で書いていたモーツァルトが楽理を考えてそうしたわけではないだろう。驚くべき和声構造の小宇宙が形成されているが、天衣無縫だ。かようなものは魔笛のスコアの随所に見られる。細部に神が宿っている。
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魔笛とフランス革命-妙な台本の謎を解く-
2019 NOV 15 0:00:59 am by 東 賢太郎
「魔笛とフリーメーソン」なら世の中には書物があふれていて、メーソンを象徴する数字は3だから序曲の最初に和音が3回鳴るとか変ホ長調は♭が3つだとか、真実かもしれないがそうであってもなくてもまったくどうでもいいことが書いてある。では「魔笛とフランス革命」はとなると、自由・平等・博愛にひっかけたものは見たことがあるがそれはメーソンのスローガンにすぎないのであって、革命との抜き差しならぬ関連を論じたものは少なくとも僕は知らない。そこで、本稿ではその表題で僕の仮説を述べることにする。
矛盾するようだが、やっぱりそれを論じるにはフリーメーソンの話から説き起こす努力は避けて通れない。なぜなら、わが国ではフリーメーソンという言葉を持ち出しただけで「まゆつば物だね」と思考停止する人があまりに多いからだ。歴代アメリカ合衆国大統領のうち15人も関与があったメーソンがいかがわしいのにアメリカという国家はそうではないという理屈がどこかの教科書にでも書いてあるなら別だが、思考停止はあまり科学的態度とは言えない。
ニューヨークの自由の女神像の正式名称は “Liberty Enlightening the World” であり、「女」や「神」などが勝手に出てきてしまって誰も不思議と思ってない日本人の感性と、フリーメーソンをいかがわしいと意識させる感性とは近親関係にあるように思う。Enlightenmentというと、我々が世界史で習う「啓蒙思想」なるものがこれの英語であり、フランス語は Lumièresであることでわかるがラテン語の lumen(光)が語源であり、ルーメンは物理学で光束の単位になっている。啓蒙思想は封建社会の宗教的世界観に動揺を与え自然科学や近代哲学の伸展のエンジンとなったが、王侯の側にも啓蒙的君主となって新たな統治の道具と見立てる者が現れるほどの影響力があった。
”女神さん” のパワーは絶大であり、キリスト教的世界観が揺らいで教皇・教会の権威が揺らぎ、民衆は「ところで王権神授説ってなんだっけ?」と目覚め、絶対主義諸国のガバナンスの正当性が根源から崩壊していくというドミノ現象にいたる。このムーヴメントが暴力という実力行使を伴って最も先鋭化した国がフランスであり、Enlightenment はフランス革命の思想的基盤になった。「啓蒙」はニュアンスが丸まった訳語で僕は教室で意味がさっぱり分からなかったが、要するに、未開、愚鈍な者にぴかっとウルトラマンのスペシウム光線のように叡智の光を浴びせて賢くしてやるという意味だから「教化」が原意である。フランス革命とは、それを実践したものだとして貴族の殺戮という殺人罪を正義に変えてしまった後付けの美名である。英国がアドバイザーとなって旧体制打破に成功した明治政府も自らの政権奪取の正当性をそれに倣おうとしたが、さすがに革命はうしろめたかったのだろう、極めて日本的なソリューションとして天皇を前面に立てた王政復古をしておいて、殺戮の方は維新なる雅称に置き換えた。
”女神さん” が右手で高く掲げるトーチはEnlightenment光線で世界を教化してくださるのだが、この像は当初はフランスの彫刻家でフリーメーソンであるフレデリク・バルトルディ、エッフェル塔の設計者でやはりメーソンであるギュスターヴ・エッフェルらが1867年のスエズ運河開通式でエジプトに贈る「イシス神像」だった。イシスなら ”女神さん” でも “観音さん” でもよかったかもしれないが、エジプトに拒否されたので構図を変えてニューヨーク市にもらわれることになった。寄贈者はフランス最大のフリーメーソン・ロッジであるGrand Orient deFranceで、受贈者はGRAND MASTER OF MASONS IN THE STATE OF NEW YORKと台座にある。
つまり、自由の女神はフランスのメーソンが、初のメーソン国家であるアメリカ合衆国の建国百周年を祝してアメリカのメーソンに贈ったプレゼントだった。僕が卒業したウォートン・スクールはペンシルバニア大学の経営大学院だが、同校は1740年にベンジャミン・フランクリンらが創立したアメリカ最初の総合大学だ。フランクリンといえば避雷針とくるのが我々日本人だが、フランスをアメリカ独立戦争に参戦させ、それに勝利して1776年に独立宣言を起草した男ということの方がよほど重要だ。彼がそういう活躍をできたのもグランド・マスターというフリーメーソンのロッジの最高幹部だったからである。
アメリカ独立革命はFrench Revolutionに習ってAmerican Revolutionと呼ばれる。絶対王政支配の打破、植民地支配の打破はどちらもEnlightenmentがもたらした勝利であるという点でメーソンにとっては同質であったからだ。アメリカがパリ条約を締結してイギリスから法的に独立したのが1783年で、その翌年にモーツァルトはフリーメーソンに入会している。そこで得た情報からやがてEnlightenmentのご本家であるフランスでも何かおきると感じたはずだが、まさか国王、王妃がコンコルド広場で斬首されるとは夢にも思っていなかったろう。
地元ウィーンでの揺動を期待して1786年に「フィガロの結婚」を仕立てたが、後に「皇帝ティトの慈悲」を書くように、彼はハプスブルグ王政が壊れることを予想も期待もしていない。ウィーンでの Enlightenment がヨーゼフ2世をさらなる啓蒙的な名君へと導けば出世を阻む守旧派のダニのごとき取り巻き貴族を一掃してくれ、ひいてはイタリア人のサリエリを排除するか悪くても後継者になれるかもしれないぐらいの期待であったと考えるのが順当であろう。彼はオペラハウスを席巻したかった。フィガロで政治的揺動をしつつ作曲家としての実力のデモンストレーションもすることは一石二鳥であり、二重のモチベーションから稀代の名作が生まれたと思われる。
フィガロがメーソン情報を動機としたオペラなら、魔笛はメーソンを描いたオペラであるというのが通説だ。確かに、先日のワルシャワ室内歌劇団の上演を見ていて、第2幕以降は入会儀式ばかりであり、もしパパゲーノ、パパゲーナがいなければさぞかしつまらないオペラになったろうと感じていた。しかし、わからないことがあった。彼はなぜ、基本的に何らセクシーではない題材であるメーソンのオペラを書く気になったのかということだ。前年に共作した「賢者の石、または魔法の島」がそこそこ当たっており、魔笛とは数々の共通点があることから二匹目のどじょうを狙ったという指摘もあるものの、両作品の出来栄えは比べるのもアホらしく書く気もしない。
それだけだろうか?僕は同じ1791年の、どちらも彼自身の作である「皇帝ティトの慈悲」と「魔笛」のクオリティの差(これは誰が聴いてもわかる、雲泥の差だ)がとても気になっていた。フィガロがそうだが彼はモチベーションの多寡が作品に出る人で、モーツァルトに駄作はないなんてことはない。魔笛の音楽の質の高さは彼の全作品を見渡してもダントツであり、それがあの妙ちくりんなストーリーについている、何なんだそれは?というのが長年僕の解けない謎だった。それが先日、上野の東京文化会館で、ある仮説が浮かんだ。音楽が Enlightenment をくれたのかもしれない。
白水社のモーツァルト書簡全集6巻は計5回読んだ。再読しない主義だから愛読書といえる。本書は父子によって書かれ、読者の関心の在り方で多様な光を放つ秀逸なドキュメントだが、まずは彼の旅の足跡を辿るのが楽しい。あれっ、あんなところに彼は行ったのかという発見があり、例えば父とナポリからポンペイの遺跡を見物しに出向いている。その行程は車で辿ったことがあるが、ベスビオ火山はモーツァルトの当時は活動期で噴煙を吐いており、イシス神殿には装飾や備品がほとんど当時のままに残っていてポンペイを世界に知らせるのに貢献したそうだ。僕は27才のころそこで目の当たりにした光景が脳裏に焼きついて、庭の噴水から引いた水が美しいモザイクを敷いた居間の溝を涼やかに流れるポンペイ式の家に住みたいと思うようになってしまった。
ポンペイは13才のモーツァルトにも鮮烈な印象を残したろう。ところが手紙には感想や心情に類するものが何も書かれていないものだから、僕はしばらくは彼がそういうものに無関心で不感症かもしれないと思い込んでいた。しかし、そうではないのだ。魔笛の舞台であるエジプトに行ったことがなくとも、彼はポンペイ遺跡のイシス神殿は見知っている。それが第2幕の合唱、“O Isis und Osiris” と歌われるように魔笛の借景となったのではないだろうか。
足跡ばかりではない、書簡集はモーツァルトや家族をとりまく日々の雑多な人間模様やふりかかる難事を通じ彼が何を思いどう行動したかをリアルタイムで一緒に体験し、肌で共感できる場だ。彼はわがままで自信家で幾度も度を越し、失言し、チャンスを逃し、親にもらったものの大きさにしてはコスパの悪い人生を生きた。もっと楽に生きられたろうし、いくつかオファーのあったマイナーなポストを謙虚に受けていれば良いご縁に恵まれたかもしれない。ロンドンへフィガロをもって行っていれば英国人に最高のエンタメとなってハイドン以上の人気を博し、間違いなく億万長者になったろう。
しかし、彼はそうしなかった。自分ではどうしようもない身分の壁に怯むことなく立ち向かった。書簡の随所に感じられるが、彼は王侯貴族など心中では馬鹿にしきって歯牙にもかけぬ超然とした能力主義者であり、強者が報われて当然とする資本主義的思想の持主であり、ビッグ・スペンダーのエピキュリアンであった。すぐれて社会主義共同体的であるドイツや日本の国民性からして決して好かれる性格ではない。それが、愛する天才にそうであって欲しくない人たちによって、短調作品にちらりと本音を吐くかわいそうな弱者というプロレタリア文学的な鋳型に押し込められていったのである。
それがとんでもないお門違いであることはすでに書いた。絶対王政を支えたアッパー階層である封建領主、有産市民のどちらの身分でもなかった彼がなぜフリーメーソンに唐突に入会して儀式用の音楽を嬉々として書き上げるほど熱中したのかは弱者論では説明できない。彼はプロレタリア文学的な人たちほど政治にうぶではなく、メーソンでの会話でやがてフランス革命に至る硝煙のにおいを嗅ぎ取って勝負に出たバリバリのリスクテーカーだ。父レオポルドやヨーゼフ・ハイドンは定年まで勤めるサラリーマンであり、メーソン入会はしても穏健な旧世代にとどまったが、モーツァルトは若くして飛び出して起業するような急進派の急先鋒だったのである。そのリスクが想定外に爆発して貴族から総スカンになってしまったが、人間界の常識として、それをもってこういう人をかわいそうな弱者と呼ぶことはない。
たとえば、父への手紙で22才のモーツァルトはヴォルテールの死のニュースにふれている。この百科全書派の啓蒙主義者につき父子は平素から会話していたことをうかがわせるが、このこと一つをとっても父の政治的洞察力はとてもアウグスブルグの一介のヴァイオリン弾きのものではない。そのヴォルテールはパリのフリーメーソンだったが(彼を入会させたのはベンジャミン・フランクリンだ)、死後に膨大な著作の版権を買い取って全集として世に広めたのがフィガロの原作者でやはりメーソンのボーマルシェであり、モーツァルトの遺品にはボーマルシェの著作があった。以上の人々全員が、これまたバリバリのリスクテーカーだ。戯曲『狂おしき一日、あるいはフィガロの結婚』がパリで初演されたのは1784年で、貴族を批判、風刺するこの劇にルイ16世は「上演を許すくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ」と激昂した。モーツァルトは同年の12月にフリーメーソンの慈善ロッジ(ウィーン)に入会しているのである。
モーツァルト⇒フリーメーソン⇒フィガロの結婚⇒フランス革命
と一本の糸で繋がった。その最後の2つについてはナポレオン・ボナパルトが「回想録」で、
“「フィガロの結婚」によってフランス革命は動き出していた “
と書いていることでも裏付けられようが、その「動き出していた」時期こそが、モーツァルトが通称フィガロ・ハウスで人生の絶頂を迎えていた時期だったのである。「フィガロの結婚」において女たらしの貴族に赤恥をかかせて嘲笑し、次の「ドン・ジョヴァンニ」では復讐に燃える騎士長の幽霊の手を借りてとうとう女たらしの貴族を地獄に落としてしまった。ではその次には何が来るべきだったのだろう?
「魔笛」である。
その台本を書いたシカネーダーはモーツァルトのフィガロができる前の1785年に、ボーマルシェのフィガロのウィーン上演を目論んでいたが危険思想であるとして差し止められた。ルイ16世の激昂と危機意識は遠く離れたハプスブルグ王室でもある程度までは共有されていたことをご理解されたい。そしてもうひとつ、フリーメーソンであったシカネーダーも「フィガロ」の貴族批判精神の賛同者だったのであり、その彼が「貴族死ね」のモーツァルトと意気投合して書いたのが「魔笛」だった事実をまず心に留め置いていただきたい。
以下が僕の仮説である。「ザラストロ」のモデルはウィーンのメーソン支部を率いるフォン・ボルンという実在の人物であり、存在感をもってエジプトの神殿に君臨している。一方で敵役の「夜の女王」は雷鳴と共に天空から現れる生身を感じない幻のような存在である。これはなぜだろう?夜の女王はハプスブルグ帝国の象徴マリア・テレジア女帝のお化けだからである(彼女は1780年に亡くなっている)。お化けは次のオペラ、ドン・ジョヴァンニにも石像の姿となって堂々と出てくるから不思議でもない。次に、パミーナだ。この役は生身の人間として感じられるのは当然だ。夜の女王の娘であるパミーナは、従って、マリー・アントワネットであるということになり、この王妃は作曲当時にパリに住んでいたからである。パミーナはザラストロに連れ去られ、女王はそれを嘆いている。オペラで女王は娘に剣を与え、「これでザラストロ(=メーソン)を刺し殺せ」と迫る。
それを現実の出来事と重ねてみると、透かし彫りのように面白いことが見えてくる。魔笛が構想されたころ、マリー・アントワネットも嫁入り先のパリで身が安全ではなかった。まるでパミーナのように。パミーナはザラストロの神殿から脱出を試みるが、奴隷頭モノスタトスに捕らえられてしまう。マリー・アントワネットも、革命の危険を悟って庶民に変装し馬車でパリ脱出を試みるが、革命軍に捕獲され連れ戻されてしまうのである。それ(ヴァレンヌ事件)は1791年6月25日の出来事だが、その2週間前(6月11日)に、モーツァルトは「魔笛」の第2幕(第11曲)のこの音楽を書いているところだった。フランス革命と魔笛の作曲は同時進行していたのである。
魔笛の完成は1791年9月28日だ。その1か月前、ハプスブルグのレオポルド2世はピルニッツ宣言を出し、妹の嫁ぎ先であるフランス王室を守るためオーストリアの軍事介入をほのめかす。革命軍への事実上の宣戦布告である。ここからマリー・アントワネットはオーストリア軍と通謀し機密を漏らしていると疑われれ、ますます身に危険が忍び寄ることになる。モーツァルトは、かつてシェーンブルン宮殿の御前演奏で求婚(?)した王妃を覚えていないはずはないし、むしろ何らかの感情、思慕があったのではないだろうか。兄レオポルド2世の統治するウィーンに戻って欲しかったのだろうか、それとも別な安全な場所に救済されてほしかったのだろうか?
少し時をさかのぼるが、重要なことがある。音楽、演劇好きだったマリー・アントワネットが自分の館であるプチ・トリアノンに作らせた小劇場で1785年9月15日に上演されたボーマルシェの演劇「セビリアの理髪師」にロジーナ役で出演したことだ。自分たちを殺そうと鼓舞する劇に王妃自らが出るなど信じ難いが、彼女に思想的背景や策略があったとは思えず単にお遊びだったようだ。しかし、「セビリア・・」は周知のとおり「フィガロ」の前編で、ロジーナはアルマヴィーラと結婚して伯爵夫人になるのである。前述のように、その「フィガロ」に対して旦那のルイ16世が「上演を許すくらいなら、バスティーユ監獄を破壊する方が先だ」と激昂しているのだから夫婦仲まで心配になるが彼女の真意は分からない。
これを知ったモーツァルトは彼女が王妃という立場にもかかわらず王政派保守一点張りではない啓蒙された王妃と解釈し、そうであればフランス革命軍による救出もありと思った。その確証はないが、そこまでお気楽な女性と思ってなければそう解釈しても不思議ではないし、むしろタミーノが現れて助けてというシグナルと思ったかもしれない。逃避先は革命までは至りそうにないウィーンのフリーメーソンであり、その庇護者はオペラではフォン・ボルン演じるザラストロだが、現実はメーソンの Enlightenment によって慈悲ある啓蒙君主化したハプスブルグ宮廷である。もちろん、宮廷楽長はモーツァルトなのである。マリー・アントワネットは絶対王政の悪の代表である母、マリア・テレジアに捕らえられ、王政の仲間であるパリのブルボン王朝に幽閉され危険な目に遭い、革命軍とフリーメーソンに救出され逃避行の末に啓蒙君主になったウィーン王室に戻って幸せになる。これなら魔笛は『貴族と革命軍のバトル劇』として筋が通るというのが僕の仮説である。
モーツァルトは2年後にコンコルド広場に彼女の首がころがるとは知らずに世を去った。
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3度目のポーランド国立ワルシャワ室内歌劇場
2019 NOV 12 0:00:12 am by 東 賢太郎
やわらかい秋の陽ざしを浴びながら上野公園をぶらぶらして、土曜に魔笛、日曜にフィガロをきく。モーツァルトのオペラはこの世の極楽であり、ひたるのはまたとない道楽であってロマネ・コンティもクイーン・エリザベス号もいらない。
この歌劇場のモーツァルトを聴くのは3回目になる。前回も書いたが、いちどワルシャワに行ってみようかと思うほどだ。
なぜといって、モーツァルトのオペラ全曲を随時舞台にかけられるなんて大変なことで、ご本家のザルツブルグでもウィーンでもできない。演ずる側の熱意だけではない、それを聴こうという聴衆もいるから成り立っているというところが看過できないのだ。
僕はネコ好きだといわれると弱いが、同じ理由でモーツァルトが飯より好きだとなるとどうしても相好を崩してしまう。それでワルシャワという都市まで気に入ってしまっているという個人的事情があるものだから万人におすすめするわけではないが、冷静に評価しても演奏水準は悪くない。チャンバー(室内)・オペラのサイズはモーツァルトに好ましいし古雅な響きの管、ノンヴィヴラートの弦もいい。
今回では、フィガロ第2幕のフィナーレ(No.16)、ここはコシ・ファン・トゥッテ第1幕フィナーレ(No.18)と同じくモーツァルトが秘技を尽くした見せ場だが、速めのテンポでここにさしかかると毎度のことだが音楽のあまりの素晴らしさに圧倒され、はからずも涙が止まらなくなって困った。スザンナ役が、土曜はこの人がパミーナだったが、実に見事な歌唱であった。
そりゃそうだ、二百年たってまだ二人目が現れない。そんな天才はあらゆる “業界” を見渡してもそんなに名前が挙がるものじゃない。僕の感動というのは、この世のものと思えない地の果ての秘跡を見て唖然とするのに似る。それが何度もきいて全曲をすみずみまで覚えているフィガロや魔笛で “まだ” おこるところが不思議というか、超自然的ですらある。ベートーベンやブラームスでそういうことはないのだから、モーツァルトの音楽には何か特別なレシピでも入っているとしか考えられない。
天衣無縫というが、彼の音楽には縫い目がない。人の作為が見えない。ドン・ジョヴァンニ序曲をビリヤードに興じながら一晩で書いた真偽は不明だが、彼だけはそうかもしれないと思えてしまう。
「クラヴィーアを初見で弾くなんて、ぼくにとってはウンコをするようなものです」
そうだろう。こういう腕がないとあんなアウトプットは、仮に物量だけをとってみても、どう考えても出てくるはずがない。そこにあのクオリティが乗るなんてことは常人では到底及びもつかない、いや、天才として名を遺した人にしたって、あそこまでやらなくてもその称号は獲得できるという高みにある。地の果ての秘跡なのである。
今回は魔笛について、ききながら発見もあった。それは別稿にしたい。
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ハイドン 交響曲第93番ニ長調 Hob.I:93
2019 OCT 26 0:00:52 am by 東 賢太郎
いま仕事は好調だが様々な重要な判断をしなくてはならず、休む間がない。即位礼正殿の儀もぼーっと見ていただけだ。翌日、ニューオータニから赤坂見附の交差点あたりはどういうわけか大阪府警の警官隊でやたらと物々しく、赤プリへ道路を横切ろうとしたら止められた。回り道だ、ああ面倒くさい。1秒の時間が惜しく、寝ても覚めても頭はがやがやしている。
こういう時には、頭の中を逆にくるくる駆け回って晴れやかにしてくれるハイドンが必要だ。先週から聞きどおしで、ウキウキする交響曲のあちこちが覚めても寝ても次々と浮かんでは消え、気分をさっぱりとしてくれる。こんな音楽は他にない。現代のコンサートではハイドンは得てして前座の役だがとんでもないことだ、僕にはかけがえのない向精神薬であり人生に欠く事はできない。
第93番ニ長調はニックネームがない。ちょっと地味だからだろうが、それはハイドン自身が認めたように肝心の第4楽章(以下Mov4)が弱いからかもしれない。しかしMov1の立派さは刮目すべきものがあり、何より僕はその第1主題が大好きだ。
この主題の明るさ、晴れやかな希望は心に巣喰うあらゆる害悪や不純物を洗い流してくれる。ハイドンのロンドン交響曲でMov1の第1主題がミで始まるのは93,94,103,104番の4つしかない。ミで始まるメロディーがこんなに浮き浮きするのはどうしてだろう?(このビデオの1分31秒から)
その疑問には、話はうって変わるが、今年で引退表明した巨人軍の阿部慎之介捕手に敬意を表しつつお答えしたい。彼の登場曲は昔懐かしい「セプテンバー」(アース・ウィンド・アンド・ファイアー)だ。Ba de ya, say do you remember のところを「ホ~ムラ~ン、あべしんのす~け~」と歌うわけだが、ここの出だしがミ~ファミ~であって、耳に貼りつく「ミ」の絶大なお祭り感は最高だ。ほんとにホームランが出そうでこっちはいつもはらはらした。応援団にわが世代の人がいるのかどうか、ディスコで盛りあがったあれを阿部のバットに託したんだったら選曲お見事だ。
それはミの魔力のほんの一例だ。ベートーベンの歓喜の歌が浮き浮きと希望をくれるのだって「ミ」で始まるからだと僕は思っている。ブラームスS1番Mov4の例のホルン・ソロもそうだ。
93番に戻ろう。Mov1の序奏は主調のニ長調だがいったんAに落ち着いたと思いきやいきなりE♭に飛ぶのは奇想天外だが、どこか故郷の夕焼けのようなホッとした気分になるから不思議な転調だ。これがB♭7⇒A⇒Dm⇒Gmと和声の迷宮を経てドミナントのAに戻る。そこでやおら始まるミ~ファレミ~ファ~ソ~の嫋(たお)やかさときたら!僕が癒されるのはこの瞬間のほっとしたぬくもり、ハイドンさん、いい人だなあという人間味のあたたかさだ。一方で新奇なパウゼを含む展開部はベートーベンに通じる建築的な威容を誇り高度な作曲技法に舌を巻く。
Mov2は弦楽四重奏で素晴らしいメロディが貴婦人の如き品格で歌われる。ちょっとコケティッシュで実に格調が高いのである。
しかしそれはあなたを欺く罠なのだ。そのすさまじさを味わうにはまず楽章をこのカラヤン盤のはじめから全部お聴きいただく必要がある。5分35秒にそれはやってくる。
彼はロンドンの演奏会場ががやがや騒がしく隣のダイニングルームから途中入場る客が相次ぎ、席に着くや静かなところで居眠りするのに対抗策を講じた。それが94番「驚愕」のMov2のドカン!になるのだが、実はこの93番Mov2でもやっているわけだ。最後に向けてだんだん楽器が減って音楽はひそやかになり、ついに、かろうじてきこえるVnとFlのピアニッシモだけになる。睡魔が襲う。
そこでぶっ放すファゴットのブー!!
これが何かはご意見もあろうが僕にはオナラにしか聞こえない。貴婦人の如き品格に始まっておいて、あまりのオチに捧腹絶倒。会場はどっと爆笑に包まれたに違いない。ハイドンのユーモア、ヒューマニズムここに極まれりだ。
Mov3は一転して堅めの音楽になりベートーベンのスケルツォを思わせる。トリオはトランペットがパパパパーンと運命リズムを吹いて軍楽調になるがこのアイデアも第100番「軍隊」の予兆だ。93番が作曲されたのは1791年、フランス革命のわずか2年後である。英国人にとって海のすぐ向こうのパリで起きた市民蜂起による王族の殺戮事件はまだ生々しい記憶で、この部分はそれを思い出させただろう。
Mov4は前述のように交響曲の終楽章としてはソナタ形式が弱い。展開部がほとんどないからである。出来栄えの良いMov1との不釣り合いをハイドンはマリア・アンナ・フォン・ゲンツィンガーへの手紙で認め、改定したいと述べたがその形跡はない。どうしてこうなったかは推測するしかないが、ハイドンはコーダ(僕にはコーダ部分はとってつけたように聞こえる)に後述する強いメッセージをこめており、そこに気持ちがフォーカスしていたのかもしれない。それは上掲カラヤン盤の24分42秒から2度きこえる木管、金管のユニゾンによる「ドードドミードドソー」である。
この音型によって革命を告げるラッパのパパパパーンを締めくくるのは大きな意味がある。なぜならドードドミードドソーはモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」第1幕フィナーレでタイトルロールが歌う「Viva la Liberta!(自由万歳!)」だからである。
これを聴いたロンドン市民が「ドン・ジョヴァンニだ!」と気がついたかというなら、現代の我々のようにレコードで何度もきいて覚えこめるわけではない時代だから期待薄だろう。しかし「自由万歳」はこのオペラがプラハで初演された折に歌手たちが12回も繰り返し歌ったそうで、当時のヨーロッパ人にとって熱い思いがこもる歌詞、フレーズだった。だからハイドンは採用したし、先に市民革命をなした大英帝国へ敬意をこめたかもしれないぐらいの想像は許されるのではないか。
聴き手がわかろうがわかるまいが、ハイドンにはそう歌いたい個人的事情はあった。30年勤めたエステルハージ家のニコラウス侯爵が1790年に死去したことで職を解かれたことだ。今に喩えれば定年退職である。彼は家庭でも職場でもみなし児のように孤独であり、一生住みたいとは思わないがロンドンへの寄留は母国にいるより良いとゲンツィンガーへの上述の手紙に吐露している。そこで書いた12曲のうち3つ目と渡英以来しばしの時を得た93番(96,95が最初の2つ)に、ロンドンでの欝々たる生活をのがれ出た喜びが溢れ出ても不思議ではない。
Viva la Liberta!(自由万歳!)
高らかに歌い上げ、そして、曲の最後をジュピターのMov1と同じ分散和音で閉じるのだ。ロンドンはまだジュピターを知らない。これを後世が知ることになることを確信をもって予見しているハイドンによる、モーツァルトの才能への祝福でなくて何だろう。ハイドンの手紙によると、彼は1791年12月20日時点ではモーツァルトの死を噂として聞いただけで確報は得ていない。93番の初演は1792年2月17日で、「さよならモーツァルト君」の98番は同年3月2日だ。そのMov2を「女王陛下万歳」(God Save the Queen)で始め、ジュピターMov2を縫い込んだハイドンである。93番Mov4もモーツァルトの死を知って、混乱した気持ちの中で仕上げたのではないだろうか?それで不完全なまま残されたのではないだろうか?
演奏に移ろう。ハイドンが前座扱いになってしまう一因は彼のスコアへの敬意と研究と献身を欠いた生気のない演奏が横行しており、そんなものは面白くも何ともないからだ。一級の指揮者、オーケストラ、ホールがあってこそ極上のハイドンが味わえる。それをひとたび覚えれば一生抜けられないほどの喜びが与えられること請け合いだ。
コリン・デービス / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
上掲のカラヤン盤はグランド・スタイルでテンポは遅すぎる。アーティキュレーションも含めて理想に近いのはこれだ。この録音の後から続々と出た古楽器演奏がハイドンの主流であるかのように語られる時期があったが、彼はロンドンに来てかつてエステルハージ家で指揮したものより大きいオーケストラを前にして喜々として12曲の交響曲を書いたのだ。その事実を敷衍するなら、もしハイドンがACOの音を聴けばさらに支持したものと僕は信じる。知性も華もある最高のハイドン。
ジョージ・セル / クリーブランド管弦楽団
セルは手兵と93-98番を録音していてどれも傾聴に値する。雰囲気で流した音符が皆無で指揮者の譜読みに透徹した知性を感じ、オーケストラが内声部に至るまで意志の通った堅固なアンサンブルで応える。テンポは抑え気味で、表面的な愉悦感よりも構造美に焦点があたるのはやや堅苦しく感じる向きもあろうが、ハイドンがいかに立派な音楽か、なぜ交響曲の父と呼ばれるかを示してくれる意味で挙げる。Mov2のオナラを最も下品にリアル(?)に鳴らした演奏としても特筆されるが、まじめな指揮ゆえに笑える。1968年4月19日の録音だが、セル・クリーブランド管はこの日と翌日にR・ゼルキンとブラームスのP協2番も録音している。この2番は僕が最も傾聴している名演奏の一つであり、最晩年のセルのエネルギーと演奏家魂は驚くばかりだ。
フランツ・ブリュッヘン / 18世紀オーケストラ
古楽器演奏を総じて好まないのはピッチの問題だ。この演奏も半音近く低い。調性によるのか曲によるのか自分でもわからないが、モーツァルトはどうしても気になって我慢できない。この気持ち悪さは、飛行機で鬼門の窓際席に座ってしまったのに似る(閉所恐怖症)。ブリュッヘンは好きな指揮者なのだが残念ながらだめである。ところが、それがハイドンでは耐えられるのを発見したから不思議だ。ロンドン交響曲どれもが楽しめるが、93番も作曲家の喜びと細部にまでこめた意匠をストレートに伝える。
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スイトナー/ドレスデンの「フィガロの結婚」
2019 JUL 14 1:01:37 am by 東 賢太郎
もしも、モーツァルトの良さがぴんと来ないという方がおられたら、ここにご紹介する「フィガロの結婚」の序曲をお聴きになるといい。オペラは長い? いえいえ、序曲だけで充分なのだ。所要時間はポップス並みのたったの3分45秒。それで人生が変わるかもしれない。
この3枚組のレコード、当時モーツァルトの名手とされたオトマール・スイトナー指揮ドレスデン国立歌劇場管弦楽団の演奏である。当時はオペラの知識なんか全然なかったから何もわからなかったが、それでも歌手陣に聞いたことのある名前が多かった。それが大幅値引きで売られていたのを発見し、何かあるな?と疑問は持った。値引きの理由はドイツ語版であることなのだ。そのため国内の評論家がリザベーションをつけ売れなかったのだろう。後述するが、それを問題なしとはできない時期もあったが、大事の前の小事であったことを悟ったのはさらに後になる。
フィガロを良く知ってしまった今となって、数多あるレコードの中でどれが好きかと問われれば僕はためらいなくこれを挙げる。長いどころかあっという間に4幕、3時間が過ぎ去るこの演奏の魅力を上回るものが出現する可能性はないだろう。いやあれこれ御託はよそう。申し上げたように、このオペラを知らない方はビデオの冒頭から3分45秒までの「序曲」(Overture)だけお聴きいただきたい。モーツァルトが人生の絶頂期に書いた最も有名な曲のひとつ。覚えておいて損はない。
断言しよう、いまお聴きになった序曲は僕の知る限りこの曲の存在する最高の演奏だ。それも、もう二度と現れない。なぜならこの音はドレスデン国立歌劇場管弦楽団(以下、DSK)の固有、唯一無二のものであり、なおかつ、このオーケストラは現存するがもはやこういう音はしないからである。
僕はDSKを欧州駐在中に何度か聴いた。コンサートしかり、オペラは本拠地ドレスデン・ゼンパーオーパー(Semperoper)で「さまよえるオランダ人」を。しかし「こういう音」はついぞ聞けず、どれにも失望した。理由は二つある。東独消滅後のオーケストラそのものの変質。もうひとつ、この音は録音会場であるルカ教会(Die Lukaskirche)のものであったということだ。第2次大戦の連合軍の空爆で破壊されたこの教会は再建され、東独時代のドイツ・シャルプラッテンによるDSKのプローべと録音はここで行われた。スイトナーのフィガロはEMIが1964年に行ったそのひとつの名録音であったのだ。
皆さんは東独時代(1964年)のDSKをこのドレスデン・ルカ教会の音響で楽しまれた。いかがだろうスイトナーのフィガロ序曲。小気味良い、シャンペンが泡立つ如き、これ以上の快速は難しいという息もつけぬテンポ、高雅で繊細なニュアンス、曲線的で流動的なロココ調、感情をくすぐるユーモア、あたかも大きな室内楽である絶妙のアンサンブル、シルクのような弦、馥郁たる香気を添える木管、燻んだホルン、いぶし銀のトランペット、皮革のティンパニ!ワインならこれがロマネ・コンティでありペトリュスである。この序曲をもって「モーツァルトはこういうものだよ」と世界の誰に向けて語ろうが結構であろう。
この録音のキャスティングの豪華さたるやため息ものだ。後に代表的フィガロ歌手になるヘルマン・プライが伯爵役と時代を感じさせる。当時の東独モーツァルト歌手オールスター・チームの観があり、この面々を前にしてディクションの面からもイタリア語で歌うのはナンセンスと思えてしまうし、さらに言えば、ドイツ語圏の人々のモーツァルトにのせたプライド、気概も僕は感じてしまう。これが録音された1964年に同盟国日本の首都で開催されたオリンピックがどれだけ国威発揚の気分に満ちたものだったかをわが世代の方々は実感されるだろう。日独はまだ「戦後」だったのだ。
ヴァルター・ベリー(バリトン:フィガロ)
アンネリーゼ・ローテンベルガー(ソプラノ:スザンナ)
ヘルマン・プライ(バリトン:アルマヴィーヴァ伯爵)
ヒルデ・ギューデン(ソプラノ:伯爵夫人)
エディト・マティス(ソプラノ:ケルビーノ)
アンネリース・ブルマイスター(メゾ・ソプラノ:マルチェリーナ)
フランツ・オーレンドルフ(バス:バルトロ)
ペーター・シュライアー(テノール:ドン・バジリオ)
ジークフリート・フォーゲル(バス:アントニオ)、他
ヴァルター・オルベルツ(チェンバロ)
ドレスデン国立歌劇場合唱団
シュターツカペレ・ドレスデン
オトマール・スイトナー(指揮)
これを聞きながら「大事の前の小事」にこだわった当時の日本人評論家の心情はいかばかりだったか第二外国語にドイツ語をなんの疑問もなく選択した僕には想像つかないが、このキャスティングがあれば誰よりモーツァルト本人がドイツ語台本を採用をしたかもしれない。
僕は8年前に上掲のなつかしいLPを、その音響をなるべく保持したままCDRに録音し(LPの第3面まで)その際に改めて感動してノートにこう書いていた。
奇跡的に美しいフィガロ。これぞオペラが始まるわくわく感そのものという序曲!DSKの見事なこと筆舌に尽くし難し。世界最高の、至高のオーケストラ演奏!しかしこのレコードの凄いのは、このDSK演奏クオリティが歌手も含めて全曲を一貫していることだ。ローテンベルガーとベリーの美声と共に一瞬にしてオペラに引き込まれ、釘づけにされてしまう。これに加えて大好きなエディット・マティスまで出てくるのだからたまらない。しかしこのレコードに関する限りローテンベルガーの声の方が良い。このLP、買った時はドイツ語になじめず敬遠していたが今や全く気にならなくなった。こんな楽しい音楽と歌の前には小さなことだ。この歌手の選択、オケの音作り、きびきびしたテンポ、完璧な音程とハーモニー、全てあの魔笛と共通するものであり、スイトナーさんの力によるものであること、論を待たない。スイトナーこそ私をモーツァルトの世界に導いてくれた大恩人であり、先生である(24 May 2011)。
僕が自室にまで「教会の音響」にこだわるに至ったのはこうした長い歴史がある。ではこの演奏の自室での再生はどうか?ここは重要だ。というのはいくら部屋の音響を整えてもCDはだめなのだ。皆さん、suitner mozart figaroでyoutubeを検索すればCDを音源にしたこの演奏のビデオがいくつも出てくる。ヘッドホンでそれと僕のLPバージョンをきき比べてほしい。CDへのトランスファーにあたってミキシングをいじったのだろう、歌が後退してオーケストラの音量が増している。ルカ教会どころかメットのような大歌劇場でオーケストラピットを覗き込みながら聴いているようで実に不自然だ。デジタル化の効用として解像度を商業的に謳うため楽器をズームアップする傾向は一般的に認められるが、控えめではあるがここにも感じられる。その結果Vnが分離してきつく無機的になりトランペットは浮き出る。DSKの木質の感触は失われ、教会のオルガンを模した古典的な管弦のバランスが無残に崩れている。アロマなきロマネ・コンティ、ペトリュスであり、これから嗜もうという若い方が妙な味で覚えてしまうことを危惧する。スイトナーはLPの音を許可したのであり、センスのないミキサーの余計な作業を僕は認容することはできないし、おそらくスイトナーもしないだろう。LPのほうがCDより音が良いとはよくいわれることだが、アナログ、デジタルの物理的特性の違い以前にこういう人為的問題があるということだ。
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タイガーとモーツァルトに見る「男の悲哀」
2019 APR 16 23:23:51 pm by 東 賢太郎
タイガー・ウッズのマスターズ制覇はニュースで知った。彼が例の事件で2年前に世界ランキング1199位まで落ちていたことも知ってこの復活劇は大変なことだと思ったのだが、こういうことがどのぐらい大変なことなのかは数字を見ないとわからない。僕の場合、世の中のことはどうしても「定量化」してわかりたい性分であって、「これは難しいことですよ」といわれても「どのぐらい?」が数字で返ってこないものは言った人の経験と主観に過ぎないわけで、僕は「難しくないかもしれない」と思って聞いている。
このケースでは、彼の後に1199位になった選手がいるわけで、ではその人がマスターズ制覇する確率はどのぐらいだろうかということを材料にして考えればいい。1199個の球が入っているガラガラポンの1個だけが赤玉とする。それが出れば優勝で賞金は2億3千万円だ。ランキング1-10位が赤玉を出す確率が5割、11-100位が3割、101-500位が1割5分、501-1199位が5分に調節できるガラガラポンということでどうだろう?この率は大体の方がご納得いただけるのではないか。すると最後の699人で5%だから、少し甘めに均等に割ったとしても1199位が優勝する確率は0.007%、10万回やって7回だ。1万回に1回もない。タイガーがやったことは、そのぐらい「大変なこと」だった。
しかし、こうやって数字を示しても、特に女性は「ふ~ん、タイガーってすごいのね」で終わりだ。何がすごいのかと思っていると「だって優勝でしょ!」だ。そんなことは最初からわかってるのであって、となると会話にならない。作戦を変えて、「そんな彼がなぜそこまで落ちたと思う?」と我慢して尋ねると卑近な人生模様の話になって会話が続くのである。僕も優しくなったもんだ。タイガーは勝利インタビューで「今までで一番ハードな勝利だった」「子供が自分の全盛期をネットでしか知らないことがモチベーションになった」と語っていたが、彼もマシーンでなく人の子だったとどこかほっとするところがある。2001年の全英で全盛期のプレーを見たが、まさにマシーンみたいに強かった。「でも、色々あって、彼は人間のプレーヤーになったんだね」なんて言うときれいに収まるのだ。
女性の前でその「色々あって」に深入りするのはちょっと憚られるが、熾烈な競争の中で20年近くランキング世界1位でいることがどういうものなのかは下種の勘繰りすらしようもない天上の話だ。だから何をしてもいいわけはないが、彼は女に狂ってドン・ジョヴァンニみたいに地獄に落ちてしまったわけで、このことに下種の僕としては「男の悲哀」をどうしても感じてしまうのだ。競走馬みたいに突っ走れと父に育てられ、親の期待どおりに走って1700億円も稼いで歴史に残るほどの大成功を遂げてみたら、自業自得とはいえ奥さんは去って行ってしまい、到達点には我が世の春なんてなかったのだろう、そこから薬、事故ときてゴルフのプライドまでズタズタになってしまう。
ジャンルは大きく変わるが、それとよく似た「男の悲哀」を僕はウォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯に見てしまう。彼もまた父親がびしびし鍛えて育てた息子であることがタイガー・ウッズと共通しており、天与の才能もあって頂点に上りつめ、女性関係は死ぬまで華やかでそれが死因に関係しているという説もある。奥さんのコンスタンツェとは気持ちはつながっていて別れはしなかったが、最後は別居状態でいろいろあった。頂上にいる男はきっとつらいのだ。もちろん女の子だってスパルタ教育で突っ走ることはあるんだろうが、それで頂点を極めて男に狂って奈落の底に落ちましたなんて話は僕は知らないし、やっぱり、この悲哀は男に似合う。
モーツァルトは1788年あたりから極度に売れなくなって、ところが1791年の最後の年に、何が起こったのか突然ものすごい勢いで傑作を量産し、12月にころっと死んでしまった。この年のいっときの復活劇にはなんともいえない、どうしてか理由はわからないが深い深い哀感を覚えるのであって、ウィーンの彼の亡くなった場所に僕はまるで先祖の墓みたいに何度も詣でて手を合わせている。それにグッときて魔笛やクラリネット協奏曲を心から愛でている僕は、きっと世の女性とはぜんぜん違うところでモーツァルトのファンなのだ。彼の女性関係は後世がうまく葬ってむしろコンスタンツェが悪妻にされてしまっているが、葬れたのは彼女の尽力によるところもあるのだからその評価は気の毒だと思う。
タイガーも、メジャーでいくつ勝とうが、永遠に女性の敵なんだろう。でもあれだけの才能の男たちに女性が群がってくるのは動物の摂理としてどうしようもないと言ったら叱られるのだろうか。オスは本来メスに選ばれる存在だ。なんだかんだいって人間だけ動物の宿命を免れているわけではないんじゃないかと思わないでもない。女性が「かわいさ」で男に選ばれるよう教育されるのはハンディだとフェミニストの方は主張されるが、そうやって作られたかわいい女に群がって男も激烈な競争をくりひろげなくてはいけない。しかもその男だって能力を磨けと教育されるのであって、その結末を女性にシビアな目で選別されている。男と女は地球上に同数、いや、むしろ男の方が多く生まれるのだから、女がその気にならなければ男は確実に余るのである。
タイガーが軌道に戻ったのは子供がいたからだと思うにつけ、子供を産めない男は弱いと思う。1700億円稼いでも幸福な人生という一点においては実は弱者かもしれない。男は縄張りやカネや名誉を求める生き物だが、それをあれほど手中に収めても青い鳥は逃げるんだということを彼は教えてくれた。
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ハイドン 交響曲第82番ハ長調「熊」
2019 FEB 1 23:23:59 pm by 東 賢太郎
1786年12月に16才のベートーベンがウィーンにやってきた。故郷のボンで神童の誉れ高く、神童の先輩モーツァルトに弟子入りしたいという理由があった。いっぽうそのモーツァルトはフィガロを初演した余勢をかってロンドンに足をのばそうと画策していた。スザンナを創唱した英国人のナンシー・ストーラスに「わたしは来年2月にロンドンに帰るよ、いっしょにおいでよ」とそそのかされていたこともある。
その気になったモーツァルト夫妻は10月に生まれた息子を父レオポルドに預けようと嘆願する。しかし父子関係はもはや疎遠になっていて断られてしまい、渡英計画は頓挫するのである。ロンドンの満座を唸らせようとセットで書いていた交響曲ニ長調とピアノ協奏曲ハ長調は宙に浮いてしまうことになった。そこにプラハから「フィガロを振ってくれ」とお呼びがかかる。フィガロの前座に使い回された交響曲ニ長調はまだメヌエットを書いてなかったが、そのまま「プラハ」という名前で歴史に刻まれてしまう。
もうひとつのピアノ協奏曲ハ長調はどうなったか。田舎からウィーンに出てきた高校生のベートーベン君が、弟子入りをプロポーズしようという憧れの先輩のトレードマークは「ピアノ協奏曲」だ。彼がその最新作に興味をいだかなかったと想定するのはとても困難だろう。翌年の5月に母の病気の知らせでボンに帰省するまでにそれはどこかで若人の耳と目に焼きついていたと考えるのが自然ではないか。運命テーマのオンパレードを第1楽章にもつ25番ハ長調 k.503 がそれだ。
さて、その1年ほど前の1786年の1月のこと、ヨーゼフ・ハイドンは前年にコンセール・ド・ラ・オランピックを率いるサン=ジョルジュ(右)の依頼により作曲された6曲からなる交響曲集をパリで初演していた。この曲集はマリー・アントワネットも熱心な聴衆だったほどの大人気で、「パリ・セット」として歴史に名を刻まれることになる。パリ・セットはその勢いのまま1787年にはウィーンでも出版されるから、その年の5月までウィーンにいた高校生のベートーベン君が、後に弟子入りすることになるハイドンの最新交響曲集に興味をいだかなかったと想定するのは、こちらもとても困難だろうと思われるのである。
交響曲第82番ハ長調は6曲の最後に作られた作品で、僕が最も好きなハイドンの円熟の逸品のひとつである。シンプルで無駄がなく、素材は素朴ながら響きはシンフォニック。ユーモアと人間味と活気にあふれ聴くたびに愉快にしてくれるが、ベートーベンに通じるものを秘めている点でも注目に値する大傑作だ。
第3楽章のこの部分、青枠内(おどけたファゴット)はまるで運命テーマのパロディだが、ベートーベン5番のほうがこれのパロディなのかもしれず、
この楽章は冒頭のVnのテーマからして運命リズムである。
第1楽章冒頭のスタッカートによる鋭いエッジの立ったリズムのユニゾンでの強打もベートーベンの5番を先取りする。このリズムは16分音符2つを8分音符1つに置き換えれば運命リズムの反復そのものである。
次のページに至って運命リズムが木管、金管にくっきりと姿を現す。
間の抜けたファゴットのドローンを従えた第2主題が一瞬の息抜きとユーモアで和ませるがここから先はリズムの饗宴となり、強拍感が浮遊し(ベートーベンの先駆である!)、疾風の如き勢いで全く驚くべき和声の嵐をつきぬけ、想像だにせぬ悲鳴のようなA♭on gの不協和音という不意打ちを食らう。ここを目まいなしに聴くことなど僕には困難である。
一瞬静まって元の平安が回帰する部分のホッとした安堵感に笑みを見る感じ(これぞハイドン!!)が僕は大好きだ。展開部の凄さは筆舌に尽くしがたく、運命リズムが骨組みとなりコンパクトな中に主題がリズムをずらしながら複合して壮絶な変化をくり広げるさまは3拍子のこともありエロイカの第1楽章を想起させる。そしてちゃんと悲鳴をリフレーンしてあたかも予定調和だったかのように再現部に移る。うまい!コーダの嵐の前の静けさが短調領域に行ってしまうのもまさに驚くべきだが、ベートーベンに直系遺伝したハイドンの専売特許である。
第2楽章のほのぼの感も素敵だ。素朴だが暖かくエレガントで高貴だ。こういう主題を書けたから王妃まで虜にしたのだ。僕は主題の締めくくりの繰り返しでヴィオラがそっと添えるさりげない対旋律が大好きで、こんな単純なものなのに、あっハイドンだとまぎれもなく刻まれた個性にいつも驚嘆する。緩徐楽章にしては珍しく終盤が歓喜の気分に満ちてきてにぎやかになり、モーツァルトのk.525(アイネクライネ・ナハト・ムジーク)のMov2がはっきりと聞こえてくる(これも1787年作曲だ)。
終楽章は冒頭の全打音付き低音のドローンが「熊」という名のもとになったことで知られる。音楽にあわせて熊が踊る大道芸はロシアやジプシーに見られ、それであって不思議はないが、ハイドンが命名したわけではないから真偽は不明。私見では楽譜屋が宣伝用につけたものと思料する。この楽章も運命リズムが活躍し、どことなくマジャールっぽい104番「ロンドン」の終楽章との相似を感じさせる。展開部は主題音型を素材として高度な対位法で有機的に組み合わせ、F、Gm、E♭・・・と転調の嵐が吹きすさび、再現部に至って「ドローンはこのためにあったか」というぱあっと地平が開けたような大団円がやってきたと思わせるがそれは疑似終結で騙される。静かになって和声は再度変転し、ついに本物の終結が訪れるという凝った造りだ。なんという名曲だろう!ハイドンの天才と知性と職人芸が絶妙なバランスで集結したこの交響曲第82番を僕は彼の最高傑作のひとつと讃える。
そして、再び思うのだ。こんな卓越した技をプロ中のプロであるモーツァルトやベートーベンが平然と看過できたはずがないだろうと。モーツァルトは82番ハ長調、83番ト短調、84番変ホ長調を研究して1788年に同じ調性による3大交響曲に結実させたろうし、高校生のベートーベンは1786~87年の短いウィーン滞在で、後に頭の中で第5交響曲という大樹に育っていく種子をもらって帰ったのではないかと。
コリン・ディヴィス / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
何の変哲もないが、何も足さずなにも引かずの現代オケ解釈を抜群の音楽性とホール・アコースティックでとらえた珠玉の録音。とんがった古楽器解釈に慣れると物足りないだろうが際物でない本物の良さをじっくりと味わえる。こういうものがアプリシエートされずに廃盤となる世の中だ、クラシック音楽の聴き手の地平は日没に近く欧州のローカル趣味に回帰していくのかという危惧を覚えざるを得ない。僕の録音をyoutubeにupしたのでぜひお聴きいただきたい(upして5分しないうちにThanks a lot for your sharing! Good Taste of Music なるコメントをいただいた。音楽の趣味の良さ。分かる人は分かっているのがうれしい)。
Francois Leleux, conductor
Norwegian Chamber Orchestra
このライブ演奏は実に素晴らしい!指揮のルルーはオーボエ奏者だがセンスの塊だ。抜群の技量のノルウェー室内管の奏者たちの自発性を喚起し、全員が曲のすばらしさを共感しながら楽興の時を刻んでいるのが手に取るようにわかる。音楽が会話に聞こえる!お見事な指揮でありこれぞ合奏の喜びで、聴く者の心にまっすぐに飛び込んでくる。このコンビのハイドンは極上だ、ぜひライブで聴いてみたい。
(ご参考です)
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