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カテゴリー: ______オペラ

夜女大会(モーツァルト魔笛)

2013 MAR 2 11:11:33 am by 東 賢太郎

夜の女ではありません。「夜の女王」です。

この怖い女の人はオペラ「魔笛」でたった2回しか歌わないのに全曲のイメージをドカンと支配してしまいます。ちなみに映画「アマデウス」ではこんな風に描かれています。

モーツァルトはハプスブルグ女王マリア・テレジアに就職を邪魔されていじめられました。だからこのオペラで彼女を茶化して、しっぺ返ししたという説があります。このシーンはそれを意識しているかもしれませんね。このアリアの題名も「復讐の炎は地獄のように我が心に燃え」ですし。

夜の女王はこう歌っています。

地獄の復讐がわが心に煮え繰りかえる 死と絶望がわが身を焼き尽くす! お前がザラストロに死の苦しみを与えないならば、 そう、お前はもはや私の娘ではない。 勘当されるのだ、永遠に、 永遠に捨てられ、 永遠に忘れ去られる、 血肉を分けたすべての絆が。 もしもザラストロが蒼白にならないなら! 聞け、復讐の神々よ、母の呪いを聞け!

 

怒っているんです。皆さんも子供の時にお母さんにおこられたでしょう。

これは2番目のアリアですが 「夜の女王のアリア」 というと大概こっちをいいます。

オペラでも稀な高音を使用するため、歌うことが難しいことでも知られる。一点ヘ(F4)から高音の三点ヘ(F6)まで、2オクターブにおよぶ声域を歌いこなす必要がある。テッシトゥーラ一点ロ(B4)から二点ロ(B5)の高音で構成される。このアリアの高音を出す場所のように、高い音域での装飾的、技巧的な歌唱様式はコロラトゥーラと呼ばれ、歌唱にはこの高音を出す天性の資質に、その高音を自由自在に使いこなす技術が求められる。(Wiki)

 

だそうです。難しいんです。それはこれを聴くとよくわかります。

http://youtu.be/2eADuDAIVfA

最後に、音だけですが、これを聴いてください。

http://youtu.be/pDUyA-fVie8

この歌手はルチア・ポップです。あんまり怒ってる感じがしませんね。だから劇としての魔笛からはちょっとはずれてます。この人はソプラノ・リリコで本来はパミーナでしょう。

しかしこの演奏の指揮者オットー・クレンペラー はすごいことをやっています。音楽的に5184ryk-y2L__SL500_AA300_は非常に重要な役ですがけっして主役級ではない「3人の侍女」にシュヴァルツコップ、ルートヴィヒ、ヘフゲンという、当時メジャーリーガー級の人たちを充てるなど、大家ですからやりたい放題なのです。劇としては端役でも音楽的には完成度の高さが必須だからです。”音楽的”、この路線を頑固一徹でいったのがこの演奏です。劇は無視だから当然セリフもカットです。僕はこの路線を強力に支持します。モーツァルトは怒るかもしれませんが、このオペラ、筋で大事なのはパパゲーノとパパゲーナのくだりだけ。はっきり言って、あとは難しい解釈はいろいろありますが、音楽鑑賞の観点からはどうでもいいです。そして、その音楽はというと、もう神の造ったものとしか思えません。これを知らないで死んでしまうとしたら、ほんとうに悲しいことです。

ルチア・ポップはブラティスラヴァ歌劇場でまさにこのクレンペラーの指揮による夜の女王役でデビュー。同年にウィーン国立歌劇場にも同役で抜擢されました。ポップの夜の女王はこの録音しかありません。彼にとって人生最後になる魔笛の録音。そこで老クレンペラーがポップを夜の女王に指名した理由を、僕はすごくわかる気がします。

 

モーツァルトに関わると妙なことが起きる

クラシック徒然草-ワーグナー大好き(2)-

2013 JAN 11 15:15:55 pm by 東 賢太郎

歌劇「タンホイザー」より第2幕の大行進曲  「歌の殿堂をたたえよう」 です。あらゆるオペラのなかでも最も有名な合唱曲の一つですね。卒業式や運動会などで聴いたことがある方も多いのではないでしょうか。最高に元気が出ます。演奏はいろいろありますが、ワーグナーとJSバッハだけはちゃんと演奏されていれば一応納得してしまいます。音楽パワーが強いのかな?不思議ですね。

 

 

 

http://youtu.be/-YOwqjmuXVg

クラシック徒然草ーワーグナー大好き(1)-

2013 JAN 10 17:17:15 pm by 東 賢太郎

僕にとって「毒」になっているものをご紹介します。

「神々の黄昏(たそがれ)第一幕への間奏曲」の一部、「夜明けとジークフリートのラインへの旅立ち」です.

夜が明けていきます。ジークフリートは「指環」をブリュンヒルデに愛の証として預け、ブリュンヒルデに贈られた愛馬グラーネにまたがり新たな勲を求めてライン川に向けて旅立っていく場面の音楽です。ピアノスコアですが下の楽譜をご覧ください。1段目のTagesgrauen とあるところからが「夜明け」です。

青い部分、ヘ長調でクラリネットが、緑の部分、変ロ長調で弦が神のように素晴らしい動機の誕生をひっそりと告げます。もう全身が金縛りになるしかないポエティック、マジカルな瞬間です。ここからこの動機が発展していく神々しいさまは僕などの下郎はひれ伏して拝むしかございません!ワーグナー様のしもべにでも何にでもしてください!!こうして毒が回ってワグネリアンになっていくのですね。

この音楽は、恐れを知らない若者の、とてつもなく大きい希望と夢に充ちた旅立ちの気分です。それ以外の何物でもありません。苦しみから立ち直って運命に勝利したり、愛や自然を賛美したりという感動をくれる音楽はクラシックのいわばメインストリートですが、こんな音楽はほかに知りません。

突然ですが、吉永小百合と橋幸雄のデュエット「いつでも夢を」という曲が僕は大好きです。小学生のころ、よく母と買い物した幸花堂という和泉多摩川のパン屋さんで流れていたこの曲。今でも聴くと明るい陽だまりとパンを焼くいい香りまで思い出します。小さかった僕に明るい夢をくれたこれは僕の「多摩川への旅立ち」でした(スケール小さいっすね・・・・)。

初めてリングを4日間かけてチクルス(全曲通して)で聴いたのはドイツ滞在中のこと、ヴィースバーデンのヘッセン州立歌劇場(右)です。まさにジークフリートが旅立って行ったライン川のほとりの街でのことでした。会社で初めて拠点長をまかされ、まさに意気揚々だった39歳のあの頃。今もときどきこれを聴いては気持ちだけ若返り、その勢いでジョギングしては筋肉痛で後悔しております。

 

クラシック徒然草-ワーグナー入門(The first step to make yourself a Wagnerian)-

2013 JAN 6 16:16:23 pm by 東 賢太郎

ワグネリアン(Wagnerian)という言葉があります。「ワーグナー好き」という域を超えて、ちょっと狂信的な、いわば「ワーグナーの音楽にずっぽりとはまっている人」という感じでしょうか。モーツァルト好きを「モーツァルティアン」とは言いますが、ワグネリアンはもっとあくが強く、教祖と仰ぐ感じです。こんな作曲家は後にも先にもいません。

滞独中の1994年8月にバイロイト音楽祭に行きましたが、雰囲気はまさに「聖地」でした。愛知県豊田市がトヨタ市であるようにここもワーグナー市で、そうでもなければ何でもない田舎のオペラハウ スである「バイロイト祝祭歌劇場」(下)に世界中の権力者、富豪、貴族、紳士淑女が集結するさまは壮観でもあり、一種異様な感じでもありました。

聴いたのは「タンホイザー」です。この劇場の内部(下)ですが、ごらんのとおり横に並ぶ座席の列を縦につっきる通路がありません。中央部に座ったらトイレにもたてません。しかも空調はなくて蒸し暑い。4-5時間もじっとそこで音楽を聴くこと自体、けっこう宗教がかっている気がしなくもありませんね。

しかし聴衆は伊達や酔狂で高い金を払って来ているわけではもちろんありません。ワーグナーの音楽には世界のセレブや音楽好きを引きつける一種独特の強い磁力、もっと適格な言葉と思いますが、「毒」があるのです。蜜のように甘いが毒。これを飲んだらもう離れられない「惚れ薬」「媚薬」みたいなものです。

ほんの一例ですが僕の場合、異例にネアカの「ニュルンベルグの名歌手(マイスタージンガー)」が好きで、第1幕への前奏曲などは  ”死ぬほど好き”  になってしまっています。(ピアノで弾くのはとても無理なので)もちろん例によってシンセサイザーで自分指揮バージョンをMIDI録音しています。出だしの堂々とした男性的、全音階的テーマが高潮して一旦静かになり、女性的、半音階的に動く弦が醸し出す玄妙な和声を聴くと、いつも思考がとろーっとして停止し、陶酔状態に陥ります。これが「毒」でなくて何でしょう。

音楽と政治は本来水と油のようなものですが、不幸にもあのヒットラーがワグネリアンであったことからワーグナーの音楽はナチスドイツとイメージが強く結びついてしまいました。にもかかわらずブルーノ・ワルター、オットー・クレンペラー、ゲオルグ・ショルティ、レナード・バーンスタイン、ジョージ・セルといったユダヤ系の大指揮者がワーグナーを取り上げて名演を残しています。このことが欧州史の脈絡の中でいかに大変なことかは、イスラエル・フィルハーモニーがアンコールに初めてワーグナーを取り上げたら一部の団員が演奏を拒否して客席で殴り合いがおきたという事件が戦後も戦後、1981年に起きたことだということでお分かりいただけるでしょうか。

「さまよえるオランダ人」「タンホイザー」「ローエングリン」「トリスタンとイゾルデ」「ニュルンベルグの名歌手」「ニーベルンゲンの指輪」(ラインの黄金、ジークフリート、ワルキューレ、神々の黄昏)、「パルジファル」

以上がワーグナーの主要作品(作曲順)です。最初の3つは「歌劇(オペラ)」、トリスタン以降は「楽劇(Musikdrama)」と呼ばれますが、最初は細かいことは気にせず全部オペラと思っていただいて結構です。全部聴くと50時間近く。このエベレストのような巨山をどう制覇したらいいのでしょうか?手っ取り早いのは序曲・前奏曲集から入ることです。CD2-3枚分ですから大したことはありません。幸いワーグナーの序曲・前奏曲はどれも大変覚えやすいので、とにかく耳におなじみにしてしまうこと。それが絶対の近道です。ただし「指輪」だけはそれができないのでハイライト盤でいい所をつまみ食いして覚えるのがベストなのですがこれについては後述します(ちなみに指輪は通の間では「リング」と呼ばれます。以下、リングでいきます)。

ハンス・クナッパーツブッシュ/ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

まず、この2枚を探して購入することを強くお薦めします。クナ氏(1888-1965)はバイロイト10回登場、真打のなかの真打といえるワーグナー指揮者で、このステレオ録音は音も悪くなく、彼の曲を知り尽くした滋味とコクにあふれる名演を堪能することができます。名歌手第1幕前奏曲はこれがベストで、こんなにたっぷりとしたテンポなのに一瞬もダレることがなく、大河のように滔々と巨大な音楽が流れる様は壮観の一言。これが書かれたヴィープリヒのライン川の流れを思い出します。トリスタンも実にすばらしい。ローエングリン第1幕への前奏曲の神秘感と高揚感もベストの一つでしょう。この2枚で上記の「リング以外」は揃います。僕はこの音源のLPレコードを持っていて弦の音はCDより格段にいいのです。録音がやや古いのでCDの場合は再生装置を選ぶかもしれず、もし肝心の弦がやせて聴こえるようなら「だるい」演奏に聴こえてしまうかもしれません。以下のもっと新しい録音でもいいと思います。

 

ヘルベルト・フォン・カラヤン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

このEMI録音のタンホイザー序曲(パリ版)を初めて聴いたときは衝撃を受けました。スタジオの中のカラヤンが、いつもの綺麗ごとのイメージをかなぐり捨ててこんなになりふり構わず攻め込むのはあまり記憶がありません。カラヤンという人は録音を残すための録音が多いというイメージがあり、録音メディアが進化すると同じ作品を再録音したりしています。しかしことワーグナーに関しては商売優先ではなくガチンコ相撲を取っている観があります。意外なことにバイロイトはヴィーラント・ワーグナーと演出上の意見が合わずに2回のみの登場で、むしろ生地のザルツブルグ音楽祭に力を入れていましたが、彼の音楽性は明らかにモーツァルトよりもワーグナーに向いています。ベルリン・フィルの高性能と底知れぬパワーもワーグナーには非常に適性があります。この2枚で耳をしっかり慣らすのはお薦めです。この2枚はi-tuneでKarajan conducts Wagnerと入力すると安価で購入でき、「リング以外」は全部揃います。

 

クラウス・テンシュテット/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

これも同じオケですがこんなに音も表現も違うといういいお手本です。テンシュテットはロンドン時代にロイヤル・フェスティバル・ホールでずいぶん聴きました。特に印象に残っているのが僕の嫌いなマーラーとリヒャルト・シュトラウスなのです。それほど名演だったということで、この人のライブの燃焼度はすばらしかった。それを髣髴とさせるのがこれで、1枚目が「リングの有名曲ハイライト」です。

 

カール・ベーム/ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団  ゲオルグ・ショルティ/ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団

でもやっぱりウイーンフィルが恋しい・・・。そのぐらいこのオケはワーグナーに相性がいいのです。どちらをとるかはもう趣味の問題です。僕はDG(ドイッチェ・グラモフォン)のベームの音が好きですがDeccaのショルティ、これも確かにまぎれもないウイーンフィルの音なので困ってしまいます。もうひとつ、ホルスト・シュタイン指揮の「ワーグナー・ウェーバー管弦楽曲集」(Decca)というのがあって、これはこのオケの最もいい録音の一つなので捨てるに忍びない。ワーグナーの毒にウイーンフィルの媚薬!これを前にしてあれこれ言うことなどもうナンセンスですね。クラシックとはこうやってはまっていくものだという好例をお見せしてしまいました。できれば全部聴いて下さい。

 

さて皆様をワグネリアンの道に引き入れようという試みは以上でなんとか富士山の2~3合目というところです。特にリングという最高峰は用意周到に登らないと遭難の恐れもあり、今回まずはリング以外の6つの霊峰から序曲・前奏曲でお好みのものを選び、その曲の登頂をひとつづつ目指されるのがシェルパとしてのおすすめです。頂上の景色も圧巻ですが、そこに至るまでのあれこれはもっと楽しかったですよ。

 

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プッチーニ 「ラ・ボエーム」

2012 NOV 18 18:18:47 pm by 東 賢太郎

僕の世代の男性、このオペラが琴線にふれない人がいるのだろうか?

これが始まると1分のうちに僕は20代にもどっている!   なんという素晴らしい音楽!!歌、歌、歌!!! 青春をうたいあげたオペラでこれをしのぐものはない。

 

プッチーニは自分のオペラのヒロインのなかでミミが好きだったらしい。だからだろう、愛情に満ちた渾身のアリアをミミに書いてあげている。蝶々さんにもトスカにもない。ミミの死の場面は感動のあまり泣きながら書き終えたと言われている。

クリスマスイヴ。ろうそくが風で消えてしまい、鍵を手さぐりで探したミミとロドルフォの手が触れる。我々の世代はまだロドルフォになれた。LED照明時代の今なら3 メートル先から「そこに落ちてますよ」で終わりだろう。今の若者がかわいそうな気がしてくる。

 

 

この曲、何回実演を聴いたか覚えてもいない。メット、フランクフルト、ヴィースバーデン、チューリヒ、香港、東京などで。そして聴くたびに、舞台を見ても音だけでも、どうしても第4幕で涙が止まらなくなる。はずかしいのでオペラハウスにはあまり行かないことにしている。プッチーニがこの音楽に封じ込めた力はすさまじい。

原作のアンリ・ミュルジュの小説は題名が『ボヘミアンの生活情景』。時は19世紀の半ば、パリのクリスマス・イヴである。第1幕。文無しの芸術家の卵たち、詩人ロドルフォ、画家マルチェッロ、音楽家ショナール、哲学者コッリーネがカルチェ・ラタンに近いアパートの屋根裏部屋で暮らしている。原稿を薪がわりに暖をとるほど貧しい。しかし彼らは人生を謳歌している。若さと未来がたっぷりとある。家賃を取りたてにきた大家を追い出してしまうと、カフェ・モミュスでイヴを祝おうぜと出ていく。

あとで行くよと一人残ったロドルフォ。そこに階下に住むというお針子のミミがノックして入ってくる。ここで二人が出会うことになるのだが、それが鍵の場面になる。そこで歌われるロドルフォのアリア「冷たい手」、ミミのアリア「私の名はミミ」など有名だが、このオペラはアリアだけでもっているわけではない。最初の1音から終わりの1音にいたるまで途切れることのない素晴らしい音楽の連続で、アリア集など作ってもナンセンスなオペラなのである。


暗い舞台設定の第1幕が閉じて第2幕のカーテンが上がったときに目にする華やいだカフェ・モミュスのクリスマスを祝う群衆のざわめき!(左は2011年メットのポスター、下の方の写真が第2幕の舞台である)。誰もがオペラの贅沢さに息をのむ瞬間であり、そこに目くるめくばかりの奔流のような音楽が息つく間もなく流れていく。子供の歌がアクセントになり、マルチェッロの彼女である(あった)ムゼッタの歌う「私が街をあるけば」の魅力的なこと!天才の仕事であるとしか言いようがない。

 

 

第3幕は翌年2月。舞台は夜明けのパリ郊外、ダンフェール門の徴税所に雪が降る寒々とした場面。悲劇の影がさしてくる。「ミミを愛しているが、彼女は結核を患っており、貧乏の自分といても助からない。別れなくては」とロドルフォが言う事態になってくる。「以前買ってもらったあの帽子だけは、良かったら私の思い出にとって置いて欲しい」と言い残してミミは去る。咳こむミミ。アリア「さようなら、恨みっこなしにね」 。このあたりの音楽はもうすでにとても悲しい。

しばらく時がたって第4幕の舞台は再びアパートの部屋に戻り、第1幕と同じ音楽で幕を開ける。ロドルフォとマルチェッロは昔の愛を語りあい、孤独を嘆く。そこへコッリーネとショナールがささやかな食事を運んで来る。4人は踊り始め、決闘のまねごとをしたりして戯れている。そこへムゼッタが瀕死のミミを連れて駆け込んでくる。ミミは愛するロドルフォの元で最期を迎えたいと望んでいる。仲間たちはアクセサリーを売ったり外套を質に入れたりして薬を手に入れようと奔走するが甲斐なく、ミミは息をひきとる。

こう書いてしまうと味気ないがプッチーニはワーグナーのライトモティーフという手法を用いて、死に瀕したミミがロドルフォに語りかける場面では出会いの幸せだった場面(第1幕)の旋律をひっそりと回想などする。これがかわいそうで、この辺からはもう泣かずに抵抗などできるものではない。演奏している人たちはそういうわけにもいかないからそれもかわいそうだといつも思う。ミミが亡くなったことはホルンの長い和音が知らせる。永遠の青春譜である。

 

トゥリオ・セラフィン/ 聖チェチーリア音楽院管弦楽団・合唱団

1959年8月、ローマでの録音。DECCA原盤。
ミミ(レナータ・テバルディ)、ロドルフォ(カルロ・ベルゴンツィ)、ムゼッタ(ジャンナ・ダンジェロ)、マルチェッロ(エットーレ・バスティアニーニ)、コルリーネ(チェザーレ・シエピ)、ショナール(レナート・チェザーリ)

 

僕はこれでボエームを覚えた。キャストも指揮もオケも最高であり、録音も素晴らしい。ベルゴンツィのロドルフォ、バスティアニーニのマルチェッロが実に立派であり、テバルディのミミも若々しくはないが音楽的に充実しきっている。ローマのオケもいい。そして何より名指揮者セラフィンが見事につわもの達をコントロールしている。これを凌駕するボエームが現れるとは当面考えられない。僕はチューリヒ歌劇場とNHKホールでネロ・サンティが振るのを計3回聴いたが、現役で対抗できるのは彼ぐらいだろう。このオケパートは簡単ではない。ベルリンフィルやウィーンフィルならいいという単純なものではない。第1幕である。

まず、プッチーニの和声法は三和音の伝統的和声法をぜんぜん外れていないので気がつきにくいが、実はドビッシーを感じさせる、いや凌駕さえしている非伝統的な感性に彩られている。ちょっとした場面転換や登場人物の気持ちのうつろいにつく素晴らしい転調や万華鏡のように自在な和声の揺らぎ!台本が若者たちの未熟さ、うぶな恋のかけひき、友情など、食べて恋して歌ってオンリーのイタオペらしからぬリアリズムと繊細さを秘めており、プッチーニの語法がぴったりと寄り添うことで空前絶後の効果をあげていることがボエームの成功の一因であることは間違いないだろう。

オケは3管編成でバス・クラリネット、バス・トロンボーンまであり、打楽器は木琴、カリヨン、鐘、チェレスタ、ハープまでありと、それだけ聞けば現代音楽かなと錯覚する。ズンチャッチャとお歌の伴奏をするオケとは程遠いシロモノである。作曲家の意図通りにこのオケを駆使しないとボエームは演奏できないのである。あたりまえのイタオペ指揮者ではだめだ。耳と力量が非常に問われる。余談だが、チューリヒでは指揮者のすぐ後ろの席だった。ロドルフォが不調で、第1幕が終わると同時につい「こりゃあひどいな」と(日本語で)思わず言ってしまったら振り向いたサンティに睨まれてしまった。そのためかどうか、第2幕開始前に「テノール(誰か忘れたが)は今日はのどの調子が悪い、あしからず」と(ドイツ語で)場内アナウンスがあった。だから仕方なくその日は目の前のオケばかり聴いていたのだが、忘れられない名演奏であった。

 

トーマス・シッパース /  ローマ歌劇場管弦楽団・合唱団                    ミミ(ミレッラ・フレー二)、ロドルフォ(ニコライ・ゲッダ)、ムゼッタ(マリエッラ・アダーニ)、マルチェッロ(マリオ・セレーニ)、コッリーネ(フェルッチョ・マッゾーリ)、ショナール(マリオ・バジオラJr.)

フレーニといえばミミ、ミミといえばフレーニである。後にカラヤン盤などに起用されるが64年録音の当盤ではまだ28歳!そして夭折したシッパースも、美声のロドルフォであるゲッダもまだ30代!この大スターたちの若さの記録であるこの録音は永遠の価値がある。ローマのこの歌劇場、92年に聴いたジョコンダは熱かったが、いいオケを使ったとも思う。ムゼッタが固いなどセラフィン盤の完成度は求めるべくもないが、ボエームらしいボエームはこちらなのかもしれない。

 

アントニノ・ヴォットー /  ミラノ・スカラ座管弦楽団&合唱団
ミミ(マリア・カラス)、ロドルフォ(セッペ・ディ・ステファノ)、ムゼッタ(アンナ・モッフォ)、マルチェッロ(ローランド・パネライ)、コッリーネ(ニコラ・ザッカーリア)、ショナール(マヌエル・スパタフォーラ)
録音:1956年8月3,4日、9月12日ミラノ・スカラ座劇場

 

マリア・カラスの声質はミミに向いているとは思えない。しかし、うまい。ミミらしく繕うのではなく「私の名はミミ」などカラスの地声なのだが、演技力と独特の間でなるほどと思わされてしまう。ディ・ステファノのロドルフォは甘い声ではまり役であり、アンナ・モッフォのムゼッタもとてもいい。ヴォット―とスカラ座のオケは最高。こうでなくっちゃという歌心あふれる音を出している。ときどき聴きたくなる個性と魅力にあふれた演奏である。

 

アルトゥーロ・トスカニーニ  /  NBC交響楽団・合唱団、少年合唱団
ミミ(リチア・アルバネーゼ)、ロドルフォ(ジャン・ピアース)、ムゼッタ(アン・マックナイト)、マルチェッロ(フランチェスコ・ヴァレンティーノ)、コッリーネ(ニコラ・モスコーナ)、シュナール(ジョージ・チェハノフスキー) 録音:1946年2月(モノラル)

 

1896年2月1日にトリノ王立劇場でボエームを初演したのが29歳だったこのトスカニーニ(1867-1957)である。当時38歳のプッチーニが全幅の信頼を寄せる指揮者だった。初演50年記念としてニューヨークで最初のオペラ録音にボエームを選んでくれたことを音楽の神様に感謝するのみである。歌手とオケの緊密なアンサンブルの中心に指揮者があり全部をコントロールしている。この曲はこうでなくてはいけない。アルバネーゼはかわいい系のミミでこれが作曲者の意図に近かったのだろう。カラスが嫉妬したといわれる美声である。ピアースのロドルフォも(ハイCは回避しているが)きっちりとした発声でカンタービレで燃えるところは熱く燃え上がる。とてもいい。

しかし、この演奏で何より僕が感動するのは、歌が盛り上がる部分やホルンのテーマなどでトスカニーニがオケを引っぱりながら感きわまって一緒にメロディーを歌ってしまっていることである。それがはっきりと録音されている。ボエームは彼の血であり肉であり、他人事で指揮棒を振るだけというわけになはいかなかったのだ! 彼の歌が聞こえる部分、実は僕も家でセラフィン盤を聴きながら同じメロディーを大声で歌っていた。この曲は僕にとっても他人事ではない。

この録音でロドルフォ役を歌ったジャン・ピアースが  「指揮するトスカニーニの頬を涙が伝っているのが見えました」 と証言している。このとき79歳だったトスカニーニも、きっと指揮台で20代の青年に戻っていたにちがいない。

クラシック徒然草-タンホイザー(東版)-

2012 SEP 27 14:14:59 pm by 東 賢太郎

作曲:リヒャルト・ワーグナー (パリ版)
指揮:ジェイムズ・レヴァイン
演出:オットー・シェンク
演奏:メトロポリタン歌劇場管弦楽団&合唱団
出演:タンホイザー…リチャード・キャシリー(テノール)
エリーザベト…エヴァ・マルトン(ソプラノ)
ヴェーヌス…タティアーナ・トロヤノス(メゾ・ソプラノ)
ヴォルフラム…ベルント・ヴァイクル(バリトン)
ヘルマン…ジョン・マカーディ(バス)
収録場所:メトロポリタン歌劇場《1982年収録》 収録時間:約3時間9分(2枚組)

写真はディアゴスティーニから出ているDVDオペラ・コレクションで、1990円と非常に安価です。まだ市販されているかどうか知りませんが、見つけたら迷わずご購入をお奨めします。

このDVDになっている公演が僕の人生初オペラです。留学中の1983年、妻とこのメトロポリタン歌劇場でした。当時オペラなどというものに縁がなく、ニューヨークの先輩の家に遊びに行ったおりに何気なく買ったチケットでした。度肝を抜かれました。これをごらんになればわかっていただけると思います。

ワーグナーの歌劇ではナイフで刺されたりもしないのに人が平気で死んでしまいます。歌合戦(今ならカラオケの得点?)で娘の婿を選ぶ親というのも常軌を逸している。サラリーマンのくせに愛欲の日々を過ごしていたタンホイザーがクビにもならずにその歌合戦に堂々と出場してしまうところなど、まじめに取り合うと発狂しかねないストーリー満載です。

にもかかわらずこれをお奨めするのは、いい音楽、いい演出だからです。初めから終わりまで文句なしの大名曲。第2幕の大行進曲の合唱など一度覚えたら一生病みつきになることうけ合い。第3幕の巡礼の場面は今でも覚えているぐらいの衝撃シーンでした。第1幕、シルエットだけのビーナスのエロチックな踊りも見たら忘れませんよ。

ワーグナーのオペラ(彼は楽劇と呼べと言ってますが)で誰が聞いてもわかりやすく、覚えやすいのはタンホイザーで決まりです。これを聴いてどこかひとつでも「いいね」と思った方は、全部で16時間かかるニーベルンゲンの指輪という魔界の森にいずれお入りになることでしょう。

 

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