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ハイドン 交響曲第82番ハ長調「熊」

2019 FEB 1 23:23:59 pm by 東 賢太郎

13才のベートーベン

1786年12月に16才のベートーベンがウィーンにやってきた。故郷のボンで神童の誉れ高く、神童の先輩モーツァルトに弟子入りしたいという理由があった。いっぽうそのモーツァルトはフィガロを初演した余勢をかってロンドンに足をのばそうと画策していた。スザンナを創唱した英国人のナンシー・ストーラスに「わたしは来年2月にロンドンに帰るよ、いっしょにおいでよ」とそそのかされていたこともある。

その気になったモーツァルト夫妻は10月に生まれた息子を父レオポルドに預けようと嘆願する。しかし父子関係はもはや疎遠になっていて断られてしまい、渡英計画は頓挫するのである。ロンドンの満座を唸らせようとセットで書いていた交響曲ニ長調とピアノ協奏曲ハ長調は宙に浮いてしまうことになった。そこにプラハから「フィガロを振ってくれ」とお呼びがかかる。フィガロの前座に使い回された交響曲ニ長調はまだメヌエットを書いてなかったが、そのまま「プラハ」という名前で歴史に刻まれてしまう。

もうひとつのピアノ協奏曲ハ長調はどうなったか。田舎からウィーンに出てきた高校生のベートーベン君が、弟子入りをプロポーズしようという憧れの先輩のトレードマークは「ピアノ協奏曲」だ。彼がその最新作に興味をいだかなかったと想定するのはとても困難だろう。翌年の5月に母の病気の知らせでボンに帰省するまでにそれはどこかで若人の耳と目に焼きついていたと考えるのが自然ではないか。運命テーマのオンパレードを第1楽章にもつ25番ハ長調 k.503 がそれだ。

k503、mov1(第1主題終結部の運命テーマ)

 

さて、その1年ほど前の1786年の1月のこと、ヨーゼフ・ハイドンは前年にコンセール・ド・ラ・オランピックを率いるサン=ジョルジュ(右)の依頼により作曲された6曲からなる交響曲集をパリで初演していた。この曲集はマリー・アントワネットも熱心な聴衆だったほどの大人気で、「パリ・セット」として歴史に名を刻まれることになる。パリ・セットはその勢いのまま1787年にはウィーンでも出版されるから、その年の5月までウィーンにいた高校生のベートーベン君が、後に弟子入りすることになるハイドンの最新交響曲集に興味をいだかなかったと想定するのは、こちらもとても困難だろうと思われるのである。

交響曲第82番ハ長調は6曲の最後に作られた作品で、僕が最も好きなハイドンの円熟の逸品のひとつである。シンプルで無駄がなく、素材は素朴ながら響きはシンフォニック。ユーモアと人間味と活気にあふれ聴くたびに愉快にしてくれるが、ベートーベンに通じるものを秘めている点でも注目に値する大傑作だ。

第3楽章のこの部分、青枠内(おどけたファゴット)はまるで運命テーマのパロディだが、ベートーベン5番のほうがこれのパロディなのかもしれず、

Haydn Sym82 Mov3

この楽章は冒頭のVnのテーマからして運命リズムである。

Haydn Sym82 Mov3 1st Theme

第1楽章冒頭のスタッカートによる鋭いエッジの立ったリズムのユニゾンでの強打もベートーベンの5番を先取りする。このリズムは16分音符2つを8分音符1つに置き換えれば運命リズムの反復そのものである。

Haydn Sym82 Mov1 1st theme

次のページに至って運命リズムが木管、金管にくっきりと姿を現す。

Haydn Sym82 Mov1

間の抜けたファゴットのドローンを従えた第2主題が一瞬の息抜きとユーモアで和ませるがここから先はリズムの饗宴となり、強拍感が浮遊し(ベートーベンの先駆である!)、疾風の如き勢いで全く驚くべき和声の嵐をつきぬけ、想像だにせぬ悲鳴のようなA♭on gの不協和音という不意打ちを食らう。ここを目まいなしに聴くことなど僕には困難である。

一瞬静まって元の平安が回帰する部分のホッとした安堵感に笑みを見る感じ(これぞハイドン!!)が僕は大好きだ。展開部の凄さは筆舌に尽くしがたく、運命リズムが骨組みとなりコンパクトな中に主題がリズムをずらしながら複合して壮絶な変化をくり広げるさまは3拍子のこともありエロイカの第1楽章を想起させる。そしてちゃんと悲鳴をリフレーンしてあたかも予定調和だったかのように再現部に移る。うまい!コーダの嵐の前の静けさが短調領域に行ってしまうのもまさに驚くべきだが、ベートーベンに直系遺伝したハイドンの専売特許である。

第2楽章のほのぼの感も素敵だ。素朴だが暖かくエレガントで高貴だ。こういう主題を書けたから王妃まで虜にしたのだ。僕は主題の締めくくりの繰り返しでヴィオラがそっと添えるさりげない対旋律が大好きで、こんな単純なものなのに、あっハイドンだとまぎれもなく刻まれた個性にいつも驚嘆する。緩徐楽章にしては珍しく終盤が歓喜の気分に満ちてきてにぎやかになり、モーツァルトのk.525(アイネクライネ・ナハト・ムジーク)のMov2がはっきりと聞こえてくる(これも1787年作曲だ)。

Franz Joseph Haydn

終楽章は冒頭の全打音付き低音のドローンが「熊」という名のもとになったことで知られる。音楽にあわせて熊が踊る大道芸はロシアやジプシーに見られ、それであって不思議はないが、ハイドンが命名したわけではないから真偽は不明。私見では楽譜屋が宣伝用につけたものと思料する。この楽章も運命リズムが活躍し、どことなくマジャールっぽい104番「ロンドン」の終楽章との相似を感じさせる。展開部は主題音型を素材として高度な対位法で有機的に組み合わせ、F、Gm、E♭・・・と転調の嵐が吹きすさび、再現部に至って「ドローンはこのためにあったか」というぱあっと地平が開けたような大団円がやってきたと思わせるがそれは疑似終結で騙される。静かになって和声は再度変転し、ついに本物の終結が訪れるという凝った造りだ。なんという名曲だろう!ハイドンの天才と知性と職人芸が絶妙なバランスで集結したこの交響曲第82番を僕は彼の最高傑作のひとつと讃える。

そして、再び思うのだ。こんな卓越した技をプロ中のプロであるモーツァルトやベートーベンが平然と看過できたはずがないだろうと。モーツァルトは82番ハ長調、83番ト短調、84番変ホ長調を研究して1788年に同じ調性による3大交響曲に結実させたろうし、高校生のベートーベンは1786~87年の短いウィーン滞在で、後に頭の中で第5交響曲という大樹に育っていく種子をもらって帰ったのではないかと。

 

コリン・ディヴィス / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

何の変哲もないが、何も足さずなにも引かずの現代オケ解釈を抜群の音楽性とホール・アコースティックでとらえた珠玉の録音。とんがった古楽器解釈に慣れると物足りないだろうが際物でない本物の良さをじっくりと味わえる。こういうものがアプリシエートされずに廃盤となる世の中だ、クラシック音楽の聴き手の地平は日没に近く欧州のローカル趣味に回帰していくのかという危惧を覚えざるを得ない。僕の録音をyoutubeにupしたのでぜひお聴きいただきたい(upして5分しないうちにThanks a lot for your sharing! Good Taste of Music なるコメントをいただいた。音楽の趣味の良さ。分かる人は分かっているのがうれしい)。

Francois Leleux, conductor
Norwegian Chamber Orchestra

このライブ演奏は実に素晴らしい!指揮のルルーはオーボエ奏者だがセンスの塊だ。抜群の技量のノルウェー室内管の奏者たちの自発性を喚起し、全員が曲のすばらしさを共感しながら楽興の時を刻んでいるのが手に取るようにわかる。音楽が会話に聞こえる!お見事な指揮でありこれぞ合奏の喜びで、聴く者の心にまっすぐに飛び込んでくる。このコンビのハイドンは極上だ、ぜひライブで聴いてみたい。

 

(ご参考です)

「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

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ますます大坂なおみファンに

2019 JAN 27 1:01:04 am by 東 賢太郎

世界一というのは地球一ということです。その景色ってどんなものなんだろう?日本一でも大変だろうけど、地球儀では小さな島の王だ。そんなところに21才で駆け登った女の子が見たものは何だろう。相手のチェコ人はメンタルにタフで勝負強く見えたけど、彼女のパーソナリティはそんな風に見えない。それでいてこの強さは??? う~ん、この子はどこか宇宙的な茫洋として底知れぬものを秘めているなあと思ってしまいますね。

僕らの多くは頂点のアスリートしかテレビで見ません。なんでもなく100mを10秒で走りぬける男ばかり見ていると、人間が100mを10秒で走るのと11秒で走るのとどんなに開きがあるか実感が持てませんね。12秒ぐらいかかった僕がそれをああだこうだ言っても一文の値うちもないし。というのは13秒の奴が俺も頑張れば12秒は出せたと、たぶん無理なのだが言われてしまっても何も言えない。それが12秒というものなのです。10秒はそれを誰にも言わせない、言っても誰も信じない鉄壁の如き凛とした響きがある。しかし、それを出しても、まだ地球一ではないのです。

僕はアスリートへの称賛は才能半分、努力半分と思って見ています。才能はずるいけど仕方ないもの。先日カープの菊池がJ リーガーにまじってサッカーに興じていましたが、最初は彼をサッカー選手と思いこんで観てました。あの運動能力なら体操だろうがテニスだろうが超一流になれる。そういう連中がすさまじい努力もしている世界がプロなのだとは思うのですが、そんなレベルの景色は僕には成層圏外であって想像もつかない。だから宇宙をのぞき見したい一心で、僕らはお金を払って球場へ出かけるわけです。

日本人は努力のほうに重きを置く傾向がないでしょうか。頑張れば誰でも10秒がでるわけではないのは自明なのですが、その才能あっての努力だよねなどとストレートに言えば嫌われるのも自明の国です。15秒の人の走りを金を払ってでも観たいという人がいないことも自明ですが、その人が懸命の努力で12秒になったなら金は出さないが応援する人はいくらもいるでしょう。そのメンタリティーで日本が繁栄したのは事実と思いますし、僕は自分がやっていた高校野球というものにそのにおいを強く感じてあまり好きでなかったのですが、そのおかげで15秒の我々の野球を観てもらえる恩恵にも浴していました。

その主催元である高野連が高知商野球部に対して処分を検討と聞きましたが、500円の入場料が「商業的利用にあたる」とはどういう根拠なのだろう。ではダンスイベントで働いて定時制高校に通う勤労青少年は高校球児になれないのでしょうか?球児には「15秒の人」レベルから「10秒が出る人」レベルまでいます。後者の人を金を払ってでも見たい人々にはプロもアマも高校生もなく、そこに新聞社の事業である甲子園大会は乗っかって堂々と収益をあげています。根尾君や藤原君がダンスを応援するなら1000円払っても観たいという人はいくらもいるだろうが、両者の違いがよくわからないのです。

商業的利用ではなく自分で稼ぐのはどうなのか。15才のJ・リーガーがいたし、ゴルフでは石川遼が16才でツアー優勝して賞金を得ているし、大坂なおみは14才でプロツアーに出ているし錦織圭も高校時代からツアーで勝って賞金を稼いでいる。将棋では藤井くんが中3で2000万円近く稼いでいる。この世の中で500円の券が云々など言うこと自体がすぐれて浮世離れしているし、悪法もまた法だというならその法のほうも構成要件が全くわからない。僕は1991年ごろ、初めて日本でワラント債が出たときに法務省が「賭博罪に当たる」として絶句したのを思い出します。まだ刑法という根拠法があるだけましではあったのですが。

僕がいま子供だったら、きっと野球は好きだろうがやりたいとまで思うかな?怖い監督、先輩に理不尽にしばかれるし坊主頭はカッコ悪いし遊べないしね、ゴルフかテニスに行ったかも。大坂なおみさんの世界一、地球一はテニス人気に火をつけるでしょうね。というのも根拠があります。日本ではメジャーリーガーの年俸ばかり騒がれますが世界で見ると野球などマイナーで、2018年のフォーブズのアスリート年収ランキングで野球はやっと37位にカーショウ(ドジャース)の37億6千万円が登場、35位は錦織圭(37億7千万円)でどのメジャーリーガーより上です。女性はというとトップ10のうち9位がレーサーなのを除いてなんと9人がテニスであります。1位が20億円のセリーナ・ウイリアムズで、それを倒してとうとうランキング1位に昇りつめた大坂さんは30才まで女王でいれば200億円は軽く稼ぐでしょう。

高野連の人はスポーツは健全な青少年の育成のためにある、商売はいかんというのだろうし、自分も育成していただいた御恩は決して忘れないのですが、高知商の措置を見ると野球は世界の潮流からどんどん置いていかれてるという危機感を覚えます。努力・育成は教育者として大切なテーマですがお金のピューリタニズムの強要は児童の性教育を忌避するようなものでしょう。健全な体で健全な向上心を持つ子が健全な欲を持つのは人間として当然のことだし、それを抑圧して何かいいことがあるかというと僕は思いつきません。

 

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2年前の相場予想の検証

2019 JAN 22 0:00:13 am by 東 賢太郎

2年ちょっと前、ソナー・アドバイザーズのブログにこう書きました。

これから起きること

以下、ここで予言しておいたことが当たっていたかどうかひとつひとつ検証してみます。書いたのはトランプの大統領当選(2016年11月8日)直後の11月30日でした。青字が実際に起きた結果です。

2016.11.30.
これから起きること
トランプの法人減税と1兆ドルの財政出動はもし本当なら世界のリスクオフを解く可能性がある。世界一高い法人税35%が15%になるだけで米国企業の利益は25%増える。要はそれだけ株価が上がる。

⇐ 株価は25%ではなく40%上がった

ニューヨークダウ平均株価(マル印がコメント時)

カネのばら撒きによるインフレ期待から長期金利は上がる。FRBは狼少年になることなく12月第3週に短期金利を上げるが、リスクオフ資金の過度の需要でバブル価格となっていた長期債から短期債にスイッチがおきバランスされる。

⇐ 長期金利は33%上がった

米国10年国債金利(矢印がコメント時)

短期債に回らず株、不動産に回る資金はまだ織り込んでいない新興国等に回るが最後は日本に来るしかない。日本株は来年上がるが補正予算の規模によっては2万5千円もある。

⇐ 日本株は2万4千円まで上がった

日経平均株価(丸印がコメント時)

トランプの政策には長期的にはドル安の方がいいが、短期的には海外資産買い入れにドル高がプラス。消費回復、税収増のシナリオを煽ってコンフィデンスを高める作戦をとる。(以上がブログ)

・・・・

しっかり当たっていましたが、僕は競馬の予想屋ではありませんからそれはあまり問題ではありません。ポイントはこれを書いた2016年末時点で考えていた仮説が今でも有効かどうかなのです。有効ならまだ使えます。その可能性が50%以上はありそうだというのがこの結論ですね。トランプが何をやりそうかという観察に基づく仮説だったので、彼のやることは本筋ではそう変わらないだろうということでもあります。

この2年の間に英国のEU離脱決議、北朝鮮の核弾頭ミサイル発射事件、米朝首脳会談、、米中貿易摩擦の勃発などお騒がせの政治的事件は数々起きていますし、それを予測することはほぼ不可能ですが、心配せずとも、戦争にさえならなければ政治は株式市場には大きな影響はないのです。経験上、それで下げれば常に買い場であったと申して過言でありません。

僕はマクロは基本的には金利と業績しか見ていません。それ以外の情報はすべてノイズであり、それで下げれば買い、上げれば売り。シンプルなのです。

 

(ご興味ある方はこちらへどうぞ)

大規模金融緩和からの「出口」遠のく

 

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高度成長期はカンブリア紀であった

2019 JAN 20 0:00:07 am by 東 賢太郎

最近のヒザ痛は精神的にもよくないですね、何はなくとも足腰だけは自信あったですから。今日はニューオータニのゴールデンスパに入会し、ジムでトレーナーの小山さんについて鍛えなおそうと奮起いたしました。

体幹のストレッチをやっていて、何か運動されてました?と聞かれ野球と答えましたが、いかんいかんと思ったのです。そんなのいつの話だよ?そうね、それ、今はショーワって呼ぶんだよね。意味ないんですね、だって平成すら終わろうとしてるのに・・・。子供のころ、おばあちゃんってメージ生まれなんだねと言いながら江戸時代みたいに遠い気がしてた、あの立場になっちゃったんですね。

去年は経営上の大きな危機がありました。そのときはそう思ってなかったけど、いまになって振り返るとそうだ。それは外的な変化によるもので、未曽有のストレス要因でもありました。おかげで心身とも弱りましたが、なんとかそれを乗り越えつつあるいま、逆に会社としては一皮むけて強くなった実感があるから不思議ですね。

このことは、地球の歴史と生物進化の関係を独創的な視点で説いた東工大 丸山 茂徳特命教授の主張を思い出させます。

非常に刺激的な仮説である

教授の著書「地球史を読み解く」によると地球には原生代に銀河系の星雲衝突によるスターバースト放射線によって雲に覆われ、太陽光線が遮断されて赤道まで完全に凍りつくという「全球凍結」が2回(22-24億年前と5.5-7.7億年前)おこりました。その極寒環境で既存の生物は絶滅し、火山帯の熱で生き残った生命が突然変異を伴って次世代に繁殖したのですが、この環境変化において細胞は別生物だったミトコンドリアを取り込み、後に哺乳類と腸内細菌がしているような「共生関係」になるという新しい適応方法も生まれて新しい生物が生存したそうです。

そのように、生命というものが外的環境の変化、特に危機的な激変によってダイナミック(動的)に急速に変化するということ、それも、その変化が後世に生き残るという鍵であるという点は歴史(結果論的視点)からは「いつも正しい」わけです。変化して死んだのもいるでしょうが、変化しなかったのは確実に絶滅したわけですから、「適応力のあること」こそが進化、成長、繁栄への一里塚(必要条件)であることは間違いないと思います。この「外的環境の、しかもとりわけシビアで危機的な変化こそが生物を強くして進化させる」というテーゼがどういうメカニズムで発生するのかは丸山教授の本でも他の書籍でもわかりませんでした。

しかし、そうではあっても、ということは、重要な結論を導くのです。結果論的視点ではない「現在(now)」においてAかBかを選択しなくてはいけない場合、「適応力のないほうは捨てろ」という結論です。どんなにいま現在、盤石で強く、永続的、魅力的に見えようとです。人、会社、大学、役所、国、経営戦略、すべてにおいてと考えたほうがよい。僕は若者に「若いときの苦労は買ってでもしろ」「選択肢があれば嫌な方を選べ」と教えるのはそのためです。適応力はそうやって訓練できるからです。国だってそうだ。三方敵であるスイスに住んでその強さを知ったし、日本国の歴史だって中国、韓半島の情勢変化に揺動されておきた事件がたくさんある。両国とも事態に適応する力で征服されずに生き延びた歴史をもっています。

しかしもっと身近な例で、皆さんが学校、就職先、恋人、結婚相手、社員を選ぶとき、投資する株、人事評価、経営者にとって経営戦略を策定するとき、もっというなら皆さんは毎日何らかの小さな選択をしていますが、そこでもです。人生はその積み重ねだからこのテーゼを常に頭の片隅に置いた方が良いと僕は思っています。

第一世代のルンバ

企業に当てはめてみましょう。企業というのは生物と似ていて、ダイナミックな外的環境変化に適応し変化していかないと死を迎えます。倒産するか吸収合併されるということです。後者の場合、社名やブランド名は残ってもそれは外部に見せるだけの抜け殻で、内臓は捕食者に食い尽くされています。日本のお家芸だった半導体や家電産業は好例でしょう。気づかぬうちにスターバースト放射線が放射され、全球凍結があったのです。その極寒の環境のなかで、死滅したと思われた英国の家電業界からサイクロン式掃除機のダイソン社が、アメリカからは「ルンバ」のiRobot社が出現しました。日本の家電メーカーが思いもよらぬ新生物の登場です。僕はルンバを初めて見たとき、カンブリア紀に我が世を謳歌した古生物さながらに見えました。しかし、仮に100年後にルンバやサイクロンしか残らなかったとするならば、後世人類の目には、我々の使ってきた日立や東芝の「電気掃除機」が奇態なカンブリア紀の生物に写るでしょう。

ルンバはロボット、AIという進化した脳が掃除機という旧世代生物に寄生してできた新生物です。これが「細胞は別生物だったミトコンドリアを取り込み、哺乳類は腸内細菌と共生関係になる」という適応です。我々の脳と腸はもともと別生物だったそうで、企業でいうとM&Aで合併した会社として適応・進化して地球の支配者になったということです。このことは、「既得権益を守ってぬるま湯に安住」し「武士は食わねど高楊枝」を決め込み、「人材の多様化を図らず純血主義に固執」する企業は、やがて全滅すると考えるに足る理由です。僕がそう思うからではなく、結果論として、生物進化と企業盛衰は似た現象であり、メカニズムはどちらもわからないが、結果論的視点に拘泥するのは科学的姿勢でないと批判するよりもそれを信じてしまって行動したほうが、学者ではない僕たちには実利的な生き方ではないか、ということです。

僕ら昭和世代は高度成長期の誇りをもって生きてきましたが、世界の産業界のダイナミックな変化と新生物のたびかさなる出現を見るにつけ、あの繁栄はカンブリア大爆発の類だったのかもしれないと思うのです。

アノマロカリス、ハルキゲニア、オパビニア・・・

まずいまずい、これって意外に俺なのかもしれない・・・・

始祖ではあるけれど、自分は生き残らないんだろうな・・・・

昭和の成功体験にすがればすがるほど、企業も国もつぶれるでしょう。そう確信してます。僕はサラリーマン時代の(昭和の)成功体験は全部捨てました。それがソナーの真骨頂で、そう考えると去年の苦労もストレスも我が社を適応させて生存能力を高めたのかなと手前味噌に考えております。

 

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N響定期B(トゥガン・ソフィエフをきく)

2019 JAN 17 23:23:18 pm by 東 賢太郎

フォーレ/組曲「ペレアスとメリザンド」作品80

ブリテン/シンプル・シンフォニー 作品4

リムスキー・コルサコフ/交響組曲「シェエラザード」作品35

サントリーホール

このところ音楽はさっぱりで悲愴など感情が共振する音楽しか食指が伸びていない。心の石灰化現象だ。仕事漬けになると左脳優位になるんだろう、オーケストラがバラバラに聞こえやたらと粗探しに耳が行ってしまう。音楽家は毎日楽譜を見ていてこういうことがないのだろうか、もしあったら大変だろうな。

ソフィエフはプロコ5番が良かったがその後は印象がない。前半はあまり集中せず、ブリテンのこの曲は性に合わずいいと思ったことは一度もない。シェラザードも特に聞きたい曲でもない。来てしまったものは仕方ないがこういう時は座席に拘束されるのが苦痛でもあり、出し物が何であれもう演奏会なるオケージョンにけっこう飽きてしまった。

シェラザードはアンセルメのレコードが、明らかなミスである第1楽章のアンサンブルのズレまで完璧に刷り込まれていて、まずいことにその通りでないと物足りない。あれ以外まったく受け付けなくなってしまったからライブを聞いてどうこう言う立場にない。

終楽章のテンポだけはチェリビダッケの秘技も例外的に刷り込まれていてソフィエフに注目したが、フルートがギリギリ危ないほどの速さで脱兎のごとく駆けだしたはいいが顚末は平凡だ。最後のソロのピッチはいつもライブでハラハラするが、まろ様はプロフェッショナルに乗り切って見事だった。最近ピアノもさっぱりなので第1楽章をやったら案の定けっこう指が忘れている。

 

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チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(5)

2019 JAN 16 0:00:26 am by 東 賢太郎

ヘルベルト・フォン・カラヤン / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(1964)

高2で買った初めての悲愴のLP。曲を覚えた思い出の演奏だ。聴き返してみて、カラヤンのコンセプトが手本として脳裏に染みついていることがわかる(Mov3マーチの減速の嫌悪、ぶっぱたくティンパニの音程がわかる快感は春の祭典への嗜好のベースになるなど)。オケの解像度の高さとベルリン・イエスキリスト教会のアコースティックの心地よいブレンドが録音の売りだったと思われる。カラヤンのぬめりあるレガートと縦線を強靭に制御したリズムの明確なビートはすでに開花しているがMov3の軍楽隊調は今となるとドイツドイツした印象。2回目のシンバルは変だなと思っていたがこれで覚えてしまい迷惑した(ミスと書いている人がいるがBPOの奏者が録音の場でこんなものを間違えるはずがないのである。百万分の一の確率でミスだったとした場合、完全主義のカラヤンが自分の名をクレジットしてまで名誉をかけた新録音を台無しにして彼を救ってやろうと放置することを録り直しより選好する理由など100%ない。確実に確信犯である)。僕にとってはノスタルジック・バリューのみだが、終楽章コーダはさすがにうまい(総合評価:2+)。

 

ロリン・マゼール / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

上掲カラヤンと同じ1964年にDeccaが録音した全集から。DG vs Decca、BPO vs VPO、そして両社は市場にKarajan vs Maazelの対立軸を持ち込もうとしたわけだが、VPOをここまでエッジを立てたHiFiにオンマイクで録ろうというセンスは現代にはもう存在しない骨董品だ。Mov1アレグロのアーティキュレーション(発音)の歯切れは素晴らしく、チャイコフスキーがプログラムの定番だったとは思えないVPOは基本性能の高さを見せている。30代のマゼールは情念の泥沼に踏み込むのは避け、過去の夢想すらもrefinement(品格と洗練)の中で描き、インテンポを基調にスマート、スタイリッシュで精緻な合奏に徹する。悲愴の作曲意図からは誠に物足りないがその路線だととても速めのMov2中間部は耳新しく響く。Mov3の合奏力はBPOに一歩譲るがmov4の弦合奏の魅力は上回る。2nd主題後半の追い込みは甘く銅鑼に至る感情の起伏は平坦(銅鑼の音はアンセルメ盤と同様長く残る)。コーダはやや無機的だ。若い。(総合評価:2)

 

ウィルヘルム・フルトヴェングラー / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

1938年10-11月録音。この年にヒトラーのドイツはオーストリアを併合しチェコからのズデーデン地方割譲を行い、ちょうどこの録音が行われていたころにユダヤ人迫害(水晶の夜)が始まった(日本も国家総動員法が制定され中国侵攻が始まった不穏な年だった)。ヒトラーはこの翌年、1939年にポーランド侵攻のために独ソ不可侵条約を制定し世界を驚嘆させる。不倶戴天の敵であった独ソが占領地で共同軍事パレードを行って暫く準同盟関係を持ったわけだ。1941年6月22日にナチス・ドイツが本性を現してソ連に侵攻(バルバロッサ作戦)して条約は破棄されることになるが、1938年暮れごろというと、不可侵条約制定に向けて着々と手を打っていたヒトラーはスターリンをうまくだます必要があったのである。

フルトヴェングラー とナチスの関係は「二重スパイ」とも思える複雑さがある。ヒンデミット事件で悪化したがゲッペルスは国民的人気の指揮者を宣伝に利用するため和解を持ち掛ける(1935年)。僕はこの悲愴はソ連に向けた目くらましのリップサービスとしてスターリンをだます国家的目的にフルトヴェングラーが妥協し、対独宣戦布告前の英国EMIに録音させたものだと考えている。彼はチャイコフスキーを陳腐な作曲家と評していたし、悲愴を演奏会でほとんど取り上げておらず、自由の身になった後もカイロのライブを除いて録音すらしていないこともそれと矛盾しない。

演奏はフルトヴェングラー なりの大所高所観から大づかみにしたもの。Mov1のテンポは微妙に変転する。Mov2は遅く洗練されない。優美さは皆無で中間部は減速して暗いだけで深みなし。Mov3はマーチ1回目からブレーキがかかる稀有の解釈(2回目もだが)でコーダに加速。Mov4は弦のアンサンブルを腐心して揃えた感はあるが管がいかにも野暮ったい。しかし、銅鑼に至る彼一流のアッチェレランドは見事に決まっていて、コーダは究極の悲しみに飲まれてしまう。彼は極点からのつるべ落としの天才で、その一発芸にやられてしまう。僕にとってはヒトラー対スターリンの火花散る神経戦ドキュメンタリーのBGMとして価値がある(総合評価:2+)。

 

 

 

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世界のうまいもの(その12)-トマト鍋-

2019 JAN 14 22:22:22 pm by 東 賢太郎

三食トマトでオッケーよ

 

うちのノイ様の一番の好物はトマトである。来た時から肉、魚はささ身と削り節ぐらいで、スイカ、メロン、バナナ、梨が主食のベジタリアンだ。猫とのおつきあいは50年にもなるが、こういう猫は初めてである。

 

 

母猫に育てられていないから、この食の好みは遺伝だろうと結論。ではどこがルーツかなと思い、原産地を調べてみた。

トマト 南アメリカのアンデス山脈高原地帯

スイカ 熱帯アフリカサバンナ地帯や砂漠地帯

メロン エジプトで作られ地中海を超えてヨーロッパに渡った

バナナ 熱帯アジア、マレーシアなど

梨   中国

う~ん、共通な場所はないようで、少なくとも日本ではないぐらいしかわからないな。

リビアの位置

 

 

イエネコのルーツはリビアヤマネコだそうだ。リビアといえばアフリカ大陸の地中海側で、国土の大半はサハラ砂漠(の一部)という国である。

 

 

 

 

砂漠気候だから乾燥しているだろう。そうか、スイカ、メロン、バナナ、梨はすべて水分をたくさん含んでいて、喉が渇くとおいしいではないか。

ノイ様の雰囲気がないでもないリビアヤマネコ

 

ということで、猫の中でも群を抜いて気位の高いノイ様は古代の地中海を支配したフェニキアかカルタゴかローマ帝国の姫様の子孫であったという推論に至ったわけである。

 

 

 

 

トマト好きというなら同居人の僕もノイに負けない。トマト料理で嫌いなものはないし、ケチャップをかけて食べるものも全部好物だ。

先日、娘が食事しようというので場所は任せたら、自由が丘のダイニング「SORA(素楽)」を予約してきた。社名が中村修二先生のSORAAに似てるからかと思ったら、「ちがうよ、トマト鍋が有名なんだよ」ということだった。

 

そこで注文してみたら、たしかにおいしい。平田牧場三元豚と野菜(ケール、ターサイ、キヌガサタケ、しいたけetc)で至ってシンプルだが、スープがいい。8分の1に切ったトマトがほかほかになったぐらいをふーふーいってあっという間に平らげ、おかわりまでしてしまった。

家でできないかということになり、やってもらった。そっちもそれなりだ、十分においしい。ノイの気持ちがよく分かった。

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チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(4)

2019 JAN 14 0:00:03 am by 東 賢太郎

ヴァレリー・ゲルギエフ / マリンスキー歌劇場管弦楽団

この指揮者はコーカサス地方イラン系のオセット人である。95年にフランクフルトで火の鳥、東京でメシアンやベルリオーズを聴いたがいまひとつ世評の高さに納得できなかった。Mov1,2nd主題は遅いテンポで愛撫するようにエロティックに歌い上げ、高潮の山は恋心のように激して高く、この主題ひとつにオペラの3場面があるかのごとしだ。そこから後期ロマン派の渺渺たる耽溺にもつれこんでテンポはさらに落ち、うつろな眠りに沈み込む。これぞppppppではあるが現実としてはファゴットでは物理的に不可能であり、その劇性は作曲家の意図を越えていると思う。そこで突入するffの衝撃は無類だから何とも言えないが、このエモーションの過激な振幅を魅力と思う人が多いのが人気の秘密なのだろう。第2楽章は速めで人生の愉悦も華やぎもある。第3楽章も快速で第2マーチ、終結のテンポは意味を感じない。終楽章はねっとりしたテンポで始まり、終結に至るまでMov1,2nd主題について書いたままが当てはまる。すなわち細部はあれこれ芸が細かいがマクロ的には非常に単細胞なアプローチであり、それが好きかどうかで好悪は決する。こだわりの割にコーダは普通であり、チェリビダッケやE・クライバーのライブ盤のような衝撃はない。(総合評価:2)

 

クルト・マズア / ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団

この悲愴は純音楽的な正攻法でスコアの本質を高い技術で音化し、ロマン的演出や情緒纏綿の女々しさはかけらもない。作曲家の運命の悲劇に対して清々とした男らしさを貫くアプローチとして非常に完成度が高いが、日本は悲愴というと女性的なロマンに耽溺したり演歌みたいにメロメロに泣きまくったりが求められ、こういうアプローチはさっぱり人気がない。ハイティンクもそうだが、マズアも中庸の堅実な中堅指揮者の位置づけしか与えられない。よく考えていただきたい、これは女と結婚して逃げ出したホモセクシャルで、ロシア最高学府で教育を受けたエリートが自殺直前に遺書として永遠に残す強い意志と知性で書いた音楽なのである。日本人がイメージする女々しさなど入り込む隙間がどこにあるというのだろう。剛直に鳴らすmov1に散りばめられた「色味」の不可思議な尋常なさは彼の性癖の宿命を妖しく暗示するが、それはSymNo4Mov1に露骨に暴露されているものの片鱗である(それについてはいずれ書きたい)。悲愴Mov1はその本性を隠ぺいすることに慎重に腐心しているが、そっちに主眼を置いてしまったゲルギエフのようにやると肝心なものは夜露のように消える。マズアにはMov2、3に身勝手、意味不明のテンポ操作はない。マーチ2回目はむしろ速くあっけないほどインテンポで突き抜けるが、あれはマーラーの軍楽隊かショスタコーヴィチの軍靴の響きに通じるカリカチュアで、それにテンポの演出を施すナンセンスは耳障りでしかない。それであってこその終楽章の入りのあの屈折したメロディーの切れ切れの分断なのだ。すべての設計は、人生と名誉をかけた綿密な遺書として完璧にスコアに書き込まれている。

Mov1からアッチェレランドの煽る効果を封印してきたマズアはMov4の銅鑼に至る高潮部で初めてそれをする。それがスコアのありのままの設計意図にかなっており、だからそこからが痛切なのだ。そうして奈落の底に落ちる落胆こそこの演奏の白眉だが、安手の演出がいかに不要か、これを聴けばわかる。そういう演奏なのだ。コーダは葬列のようにバスを効かして淡々と進み、強拍のCmaj7の黎明か薄暮の如きほのかな生への希求の明かりが “劇的に” 悲しい。こんな演奏がどこにあろう。チャイコフスキーは一人でこの世を去るのであって、泣き女が出てきておいおいやるような音楽ではないのである。去る本人が葬送曲を緻密に書いている、その事実が生む衝撃に比べれば、演奏者の演じる劇など何を目論もうが猿芝居に過ぎない。この演奏を好む人がどれだけいるのか知らないが、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の艶と重みのある機能性をもって本質をリアライズした、僕には座右の名演である(総合評価:5+)

 

グィード・カンテッリ / NBC交響楽団

イタリア人指揮者カンテッリ(Guido Cantelli,1920 – 1956)は、1953年2月21日に33才でトスカニーニ存命中のNBC SOの演奏会を振った。この悲愴はそのライブ録音だ。彼を後継者筆頭候補と認めたトスカニーニが “This is the first time in my long career that I have met a young man so gifted. He will go far, very far. ”と言ったのは凄い、本当に凄い。1956年11月16日にスカラ座の音楽監督に36才で指名され人生の幸福の絶頂期にあった1週間後の11月24日、カンテッリの乗ったニューヨーク行きのLAI Flight 451(ダグラスDC6-B)はアイルランドのシャンノン空港に向けてパリのオルレー空港第26滑走路を離陸したが10~15秒後に上昇に失敗して滑走路の端から600mの民家に激突、火炎をあげて大破した。気温は摂氏零下2度、濃霧で視界は2.2mであり事故原因は不明であった。クルー10名、乗客25名のうち乗客1名が生存したがカンテッリではなかった(ICAO Accident Digest No.8, Circular 54-AN/49)。お聴きの通り直球勝負の俊英だ。べたつかない悲しさをストレートにえぐりだした悲愴。ジュリーニよりバーンスタインより若かった彼が生きていたら世界のどこかで聴いただろう。合掌。(評価外)

チャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」の聴き比べ(5)

 

チャイコフスキー交響曲第6番ロ短調 「悲愴」

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キャリアハイの仕事は負けからやってくる

2019 JAN 13 14:14:20 pm by 東 賢太郎

大手町を歩いているとたまに呼び止められる。年末にまたそれがあった。みずほで部下だったS君だ。軽く近況を話しながら、彼と行った外交先やゴルフ接待のことなどを次々と思い出していた。彼だけじゃない、最近は銀行がお客様になったり、ご融資もいただいて助けてもらったり、商売のフロントでもメガの第一線でご活躍中のバンカーと一緒に仕事するようになっている。これは僕の人生の辞書には書いてないことだった。

就職のとき、親父が銀行員でどことなく反発があって銀行に就職という発想が持てなかった。母には「あなたは向いてないからね、銀行だけはやめてね」と懇願された。東大法学部には民間なら銀行という空気があって、それに対して付和雷同嫌いの性格が騒ぎだしていたし、そもそも勉強してないのだから受かりもしなかったろう。熱心に誘ってくださったのが三菱Gの名門会社で、10年目に1か月休暇で世界1周できるという雄大なお話に大いに気持ちが動いたが、お世話になっていたらどういう人生が待っていたのだろうといまでも一抹の後悔がある。

野村からみずほに転籍させていただいたのは2004年だ。そういう経緯があったから、入るのは証券会社とはいえガバナンスは銀行にあるという意識がかなりひっかかっていた。というのは、面接は、「銀行頭取からエクイティ引受元年にすると厳命が下っている、証券のその部門を率いてくれ」という話だったからだ。当時のみずほ証券は国内の株式引受で主幹事案件実績がゼロ。主幹事あたりまえの野村證券目線からすれば何もないに等しい。しかも株式業務といっても僕は引受部門の経験がない。それをやってくれというのだから人違いだと思い、はっきりそう申し上げたら返ってきた言葉が「東くん、僕は君のことをよく知っているんだ」だった。

これがY常務との人生初の出会いだったが、実に意味深かったことになる。49才で25年勤めた会社を辞めるのは大きな決断だったが、この30分の面接一回で腹が決まる。動機は仕事内容ではない、「士は己を知る者の為に死す」であった。その証拠に給与、タイトル等の移籍条件の話をするまえに「お世話になります」と電話した。実はその時点で別の銀行系から条件面でずっと上のオファーをもらっていたがお断りの電話を入れた。野村が嫌いになったわけではない。ただあのころ、ひとえに僕の力不足ゆえ、優秀な若手が次々と台頭して出番は確実に減っていた。要は出世競争に負けたわけだ。野球でいうならば「試合に出たい、必要としてくれる球団はないか」という気持ちを止めようがなかった。

母に、ごめん、銀行系に行くことになったと報告したら少し考えて僕の目をじっと見て、「うまくやってね」と言った。母の直観力は凄い。ごまかせたことは一度もない。これが最後の会話だった。いいわけになるが、積極的な気持ちで「行く」ということではなく、行かざるを得なくなってボートに乗った難民みたいなものだった。おそらく、気合が尋常ではなかったから使っていただけただけで、別に僕でなくてもいっぱしの証券マンなら誰でもよかったのではないか。いま思うとそれが時の利というものであって、そういう巡りあわせの瞬間にたまたま良い具合にそこに「居た」だけだ。人生は本当にわからない。

そこから2年が過ぎた。主幹事本数をゼロから16本とし、年度前半の実績で大和証券をぬいた。日本航空のグローバル・コーディネーター(国際主幹事)のトップ・レフトをかけて常連の野村證券、ゴールドマン・サックスとの三つ巴の激戦となり、ついにせり勝った。この戦いに証券マンとして持てるものすべてを投入したし、そんな場を与えていただいたことには身震いするほどの幸運を感じたし、勝てもしたから運もあった。我が業界、国内主幹事ゼロというのは国体でメダルがない選手ということであって、それが突然にオリンピックに出て金メダルを取ってしまったということに等しい。

しかし、そう甘くはない。そこから激烈な反撃にあった。ニューヨークのロードショーでJALのN社長に随行して成田を出発する直前だ、この期に及んでシ団を降りる(辞退する)という会社が出てきて社内は騒然となった。するとウチも考えると同調する所が現れ、ディールが中止に追い込まれるかもしれない異常事態に陥った。暗に「JAL様、主幹事のご選択間違ってませんか?」と数社がつるんだ揺さぶりだった。夜中の3時にホテルの社長の部屋に関係者が全員集合し、僕が東京へ電話して降りる宣言をした大手証券の役員とシビアな談判になった。

押されたら負けだ。幕末の薩長と同じじゃないか、敵は多勢でも天皇はこっちにおられるぞと腹をくくった。おどしすかしの応酬で最悪の事態は回避しながら説明会を開催し、ニューヨーク、ボストンの有力投資家をまわり、疲れ切って帰国のJFK空港ラウンジの椅子で熟睡していたらN社長が探しに来られてねぎらってくださった。帰ったら体重は5キロ減っていた。株主総会直後の増資の決定の仕方についても公然と批判が噴出した。日経新聞の社説で論説委員に連日ぼろ糞にたたかれたが、みずほの経営会議は歯牙にもかけず大成功とたたえてくれた。

もうひとつ、懐かしいのがある。テレビ東京のIPOだ。値決めで議論があって、調印式会場のディズニーシーの会議室でS社長になぜ3000円じゃないんだ(2900円を提案)と激怒されてしまった。当方には考えがあったが何かが至らなかったのだろう、役員でもない君が何様だと調印は見送りとなってしまい、同席の部下たちは凍りついた。翌日ねばった末ついにご理解いただき、公開初日は想定どおり盛況な売買で成功だった。後日の上場祝賀会でS社長が「君の言うとおりだった」と乾杯し女子アナをおおぜい呼んで囲んでくださった。

しかし初めからそううまく進んだわけではない。周囲も部下も銀行員で、仏教徒とキリシタンの会話である。野村では注文を取ることを「ペロを切る」と言い「切ってナンボ」と教える。営業行為というのは顧客によって千差万別の数々の障壁をクリアしないと成立しない。10個あるなら10個撃破してナンボだ。「9個クリアは自己評価で何点?」「90点です」「なに言ってんの、零点だよ」なんていう会話があってシーンとなる。超高学歴部隊でプレゼン資料の厚さを競うみたいな文化があり、下手すると100ページもあって目が点になる。「3ページにしろ」と返すとこんどは彼らの目が点になる。

言い訳も多い。「零点の生徒に言い訳の権利はない」とつっぱねる。最初の部門予算会議で「東君、大変だけど頼むよ」と言われ、数字を見たら120人もいるのに収益予算が16億円だ。誤植と思い「常務、これ一桁ちがってませんか?」と聞いたらまわりは凍った。いけない発言だったらしい。しかし、半年もするとだんだん皆さんの目の色が変わってきた。東芝の公募が取れてしまい頭取賞をいただいた。「零点」「3ページ」が効いたのか、見えないマグマのような力で部下たちが次々とペロを切った。実は優秀だったのだ。結局その年に予算の10倍ぐらいやってしまい、部門の空気は明らかに変わって勝てる軍団になっていた。証券マン人生で最もエキサイティングな思い出だ。

どうして御託ならべばかりだった部隊がああなったのか?おそらくこっちも引受は初心者だったからだ。そんな状態でプロだと迎えられ、尻に火がついていたのだから皆さんに僕の「一生懸命ぶり」が通じたのかなと思う。それでも重石の役みたいなものだからぶれたらいけない。どこへ出てもドンと構えるしかない。それを部下たちが自信をもって使いまくってくれた。大手町で声をかけてくれたS君もそのひとりだ。彼らの自信が顧客企業にハートで通じて、じゃあ初めてだけど一回みずほ証券にまかせてみようとかとなる。それがうまく片付く、もっと自信がつく、我が部もやらなくては、という好循環になったのだったと思う。

こうやって、僕は野村證券で育てていただいて、みずほ証券でキャリアハイの仕事をさせていただいた。どちらだけに恩義があるとは言い難く、両方がセットになってなるべくしてなったという感じだが、ひとつだけ間違いないことがある。「負け」が原動力になったことだ。僕は何が嫌いといって、負けることだ。50才にもなれば普通は残ったガソリンで10年持たせようと低燃費走行にはいるだろう。そこでハイオクを満タンにしてアクセル全開にするなんて、負けの悔しさがなければするはずもなかった。

さらには、その加速で時速200キロ出てなければ、5年後に今度は起業しようなどというターボエンジンが作動することもなく、今ごろは平平凡凡のリタイアに追い込まれて何もすることがなくなっていただろう。僕にとってそれは許せない最悪の事態であり、人生の負けなのだ。しかもその負けは挽回するチャンスはもうないから、事故で大破するようなもの。それも、時速10キロで路肩に乗り上げて動けなくなるみたいなもので、これぞ、まぎれもなく、僕の人生の辞書には書いてないことだった

望んでそれができたわけでも何を頑張ったわけでもない。たまたま難民になって負け犬のボートに乗って漂着して、そこに居ただけだ。ただ、若いころに普通の何倍もの苦労をしていたからどんな土地でも生き抜く自信と生命力だけはあった。それさえあればいい。居るだけでいいチャンスなど誰にもめぐってくる。つまり、逆境にあっても絶対にあきらめてはいけないということこそ金言なのだ。ただの負けというのはゲームの負けで実はチャージのことであり、あきらめるということは人生の負けでこっちは取り返しはつかない。やり続ける限り、小競り合いにいくら負けても負けたと思う必要はない。勝つまでやればいいだけだ。

 

(こちらへどうぞ)

どうして証券会社に入ったの?(その1)

 

 

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やさしいおじさんになったつもり

2019 JAN 10 0:00:06 am by 東 賢太郎

さいきん毎日いろいろな方とお会いする機会がありもろもろの話をするが、気がついたことがある。若い人は僕がだんだん自説に熱が入ってくると威圧感を感じるらしいのだ。こっちはそんな気はなくても怖いといわれたこともある。サラリーマン時代ならわかる。でもいまはすごくやさしいおじさんになったつもりだったので、けっこうショックなのである。

香港時代、毎日きわめて機嫌が悪かったらしく、「笑っていてちょうどいいぐらいですよ」といわれて、それはそれでこたえた。飲みニュケーションの場になって初めて「笑われることもあるんですね」なんて女子社員に驚かれるのはずっと若いころからだし、顔が怖いのは仕方ないとあきらめていたわけだが、僕は集中力で仕事するタイプなので「はいってしまう」とどう見えようが周りのことは気にしない。

しかも、集中すると2倍速くやらないと気がすまず2倍短気だ。いまは1.1倍になっているが、それでもソナー案件を何度も助けてくれた税理士のN先生や弁護士のM先生、A先生、会計士のA先生、アナリストのM君など「アズマ経験値」(飲むと酒の肴)が高く、もちろん能力も高く、即座に臨戦態勢に入ってくれるおかげでなんとかもっている。N先生など、あっ、また始まったと楽しんでおられる風情すらある。

とにかく思いついたらすぐやるので、この先生方は外国から携帯に直で「あれを明朝までにやってくれ」、(会議中なのに)「この条文をすぐ直してくれ」なんてのを見舞われておられる。「遅い!ビジネスがわかってない!」なんて叱咤もしてしまった(無礼な話だ)。しかしそんなのは礼儀正しいほうで、昔の部下は例外なく机をぶったたいて怒鳴られている。それでもついてきてくれるなんて、誰でもできることでないのは僕が一番わかってる(僕なら無理だし)。それに最大の敬意を払っているからこそ、長いお付き合いになっているわけである。

僕は徹底した問題解決型人間である。ゴールに最短で達する方法以外になんら興味はない。それを僕以上の速度でできる人は世界にあまりいないと思ってる(野球のピッチャーと同じ、そうでもないとこの仕事はできない)。だから余計なことをしたりくだらない茶々が入ったりされるのが決定的にだめである。そんなの相手にする暇はない。こうやれば解ける、最短の解法はこれだ、という確信なしに僕が動くことはあり得ないし、それを瞬時に共有して持ち場持ち場で必要なことを判断してさっとやってほしい。やれば結局は僕が最後はやるのだから勝率は高く、その人は利益を手にするし成功体験も積める。

いろいろお付き合いが増えてきたし、本稿を読まれる方もおられるだろう。僕以上に上記のことができて収益があげられる方がおられれば、経歴、年齢、性別、国籍すべて不問で、ソナー・アドバイザーズの社長をいつでもおまかせしたい。ことし64になるので、65までには後継者を作らないといけない。なんでこんなに頑張ってきたか?2億円も借金しちまったからだ。返せないから必死に働いた。なまけものなのでケツに火がつかないと本気でやらないが、気がついたらそれもなくなった。相続は終わって無一文だし、事業の引継ぎをすれば断捨離も完了、背負うものがなくなる。

僕は50で野村をやめて55でサラリーマンをやめた。65というのは何ものかではあるだろう。そもそも税金で勉強させてもらって社費で留学させてもらって社会人としては自己都合で何回も「FA宣言」させていただいた。同世代でこんなにわがまました人間も珍しいだろうが、いま30代以下の人たちは、入った会社が終身雇用をキープしてくれるかどうか心配する以前に会社が消えているリスクを考えなくてはいけない。そんなの普通でしょという時代を生きていかなくてはならないから僕のやったことはいいシミュレーションだ。ポイントは、FA宣言は採ってくれるところがあるからできるということだ。つまり労働市場での自分のバリューをあげておかないといけない。

簡単だ。僕が社長をやってもらいたいと懇願するような人物になれば、はっきり書くが、いつFA宣言してもぜんぜんOK。経験者が言うのだから間違いない。「どうすればそうなれますか」と質問するような人は、かわいそうだがなれないからあきらめた方がいい。修行がいるのだ。その場はどこでもいい、与えられた仕事(嫌な仕事、難題であればあるほど良い)とがっぷり四つの真剣勝負をして最後まで完璧にやり遂げる。自分なりに解決する。責任を持つ。それを積み重ねる以外に手はない。解決しないまま何百年やっても、そんな経験は無意味。僕はそういう人は、とりあえず一回は叱る。それで気がつけば脈はあるし、それで治らなければもう二度と叱らない。なぜなら叱ると怖いといわれるし、できればやさしいおじさんでいたいからだ。

 

65から断捨離にはいる

 

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