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カープ 阪神・大竹に今季7試合で6敗目

2025 SEP 19 19:19:41 pm by 東 賢太郎

同じピッチャーに7回やって6回ひねられる。通算はさらに壮絶で2勝15敗の惨状を呈しているのであって、ものもいえない。

こんなのがプロのチームといえるんだろうか??

しかもである。大竹は失礼ながら2017年のソフトバンク育成4位の投手だ。同年の広島の育成指名3人はすでに退団、いっぽうソフトバンクの育成1~4位は尾形、周東、リチャード、大竹で大当たりだ。しかも大竹は2022年の現役ドラフトでも採れたのに阪神が指名して、そのあげくがこれ。阪神は純和製打線でぶっちぎり優勝。スカウト能力からしてプロとアマじゃないか。

これを書いたのは今年だが、

広島カープは打撃コーチを全員クビにしろ

去年からこうだったのだ。

「まさかのコーチ全員留任」責任放棄にカープOB2人 …

 

フロントはなんにもやらずに、今年また同じことをくりかえしてる。ファンはどうでもいい。国民はどうでもいい自民党と似たにおいがする。

スカウトがヘボ、指導するコーチがヘボ。勝つわけない。

先日、投手の床田がついにホームランを打った。大竹からも会心のツーベース。クリーンアップを打たせたい。

ちなみに床田投手の通算安打数は53本

朝山打撃コーチの通算安打数は49本

 

わけわかんねえ

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ブラームス 「ドイツ・レクイエム」作品45 (その2)

2025 SEP 18 1:01:37 am by 東 賢太郎

ドイツ・レクイエムについて書こうと思い立ったのはなぜか。深いという言葉の真の意味において、まさしく海のように深い音楽を彼は33歳(写真)で書いたからだ。こっちはといえばたいした悩みもなくロンドンで毎日暴れまわっていた。もし33歳同士で彼と会っていたら?話す言葉もないだろう。万一ひと声かけるなら、「重たい人生を来られましたね」だろうか。万人の心をわしづかみにする感情が、およそ人間が到達できる究極の美の結晶としてドイツ・レクイエムには封じ込められている。そのただならぬ感情の由来を知れば、なぜ彼が「人間の」レクイエムを書いたのか、一端が垣間見える。それを記しておこうということだ。

音楽でも絵画でも彫刻でもそうなのだが、「わかる」「わからない」という人が多い。これはまったくもっておかしい。その昔、「違いがわかる男のゴールドブレンド、ダバダ~」なんてCMが一世を風靡した。それでコーヒーが売れてたのは「違いがわかる男」がシブくて女にモテたからではない。きっとモテるんだろうとモテない男が買ったからだ。”それ” が何かは問わない日本特有のアバウトさがすごい。選挙もそうで、芸人の才があって台本を読む演技がうまく、もっともらしい演説パフォーマンスをすれば壮絶な馬鹿でも総理大臣になっちゃう。インスタントの違いなんかわかってどうすんだと笑ってた「違いがわかる男」たちはそんなものは買わず、やがてCMは消えた。

近ごろ、AIを使った三次元の体験型アートが流行っていて、それを没入型(イマーシブ)という。アートというものはそうやって没入できるかどうかがすべてであって、算数や英語みたいにわかるものではない。例えばクラシック音楽というものを僕はそこそこ知っていると思うが、本当に好きなものは50曲ぐらいしかない。ということは7、8割ぐらいは没入してない。するに値しないのではなく僕個人がそうできている。それがヴェルディであったりマーラーであったりするのだから「音楽をわかっていない」という声はあって当然だが、その「わかる」を僕は否定している。

好きな50曲については音を覚えている。没入するとそうなる。そのプロセスは、例えば、ドイツ・レクイエムは、58ページあるピアノ版スコアをつっかえつっかえでも自分の手で弾いてみようと思っている。こうした行為が没入の結果だ。これを昔から今に至るまで延々とやっており、ピアノという楽器は僕にとってはショパンを弾くためでなくそのためにある。仕事しながらよくそんな暇がありましたねと言われるが、没入と時間は関係ない。

きのう初めの3ページ、讃美歌みたいな譜面を弾いた。あの心が吸い寄せられる合唱はいきなり没入をさそうが、それが自分の指先から出るともはや忘我である。そして、やがて理性が戻る。譜面づらは交響曲第1番冒頭だ。この時期、頭の中では両曲のレシピが混在していたことを知る。ヘ長調にesが入って金縛りになる。Ⅰー Ⅰ⁷ー Ⅳの和声はモーツァルトPC23番冒頭だ。他人のレシピも混ざっていた発見にさらに没入が加速する。すなわち、この作業は没入がトリガーで連鎖するのであり、その他のすべての没入しないものに踏み入ることは僕は皆無だから、時間の問題はエコノミカルに対処できていたと思う。

この作業をもう少し一般化しよう。パルテノン神殿でエンタシスの柱廊を見て、しばし没入の時がやってきた。やがて理性が戻り、これが法隆寺にやってきたのか!ならば、あの直径比と観測者の位置関係が抽象的な美の原理にのっとっているんだろう。ならそれは何だろう?という疑問がどこからか降ってきた。誰でも計れる数値だから知られているはずだ。でもなぜそれが「美」になるんだろうというと、なぜ円周率が π なんだろうという不可思議に匹敵する。そういう好奇心が美学(aesthetics)という哲学となったと思われ、本を読んだが、日本語の哲学書はわからない。好きな曲のスコアを見て湧き起こるのがこの好奇心というだけで十分だ。一文のゼニにもならないが、これを抱くことこそ生きている証拠であり、綺麗な女性を見たときに感じるものに近い。ということはこれが沸き起こらなくなったら人生終わりである。

以前に書いたが、CJキムという韓国の女流ピアニストは「没入」を明言して実践していると思われる、僕の知る限り唯一の演奏家だ。じゃあフルトヴェングラーはどうなんだと思われるかもしれないが、彼は我々よりはベートーベンに近いが同時代人でなく百年も後の人だ。同じドイツの巨匠だから正調だと思いこむのはダバダ~のコーヒーを信じて買うのとあんまりかわらない。キムはベートーベンのピアノソナタ全集を録音するにあたって、作曲家の人生に関心を持ち、楽譜を読み込む以前にLudwig van Beethovenなる人物の生きた時代背景や関連資料を読みこみ、生身の彼が生きたさまざまな場面での感情を知り、想像し、「彼と出会ったかのような感覚」を持つ状態になってから録音したという。

これが演奏家としてあらまほしき姿と思う。楽譜は完全ではない。ブラームスのヴァイオリン・ソナタ3番の tranquillo なる “妙な” 指示をクララは「卵の上を歩くようなものよ」と語り、ブラームス自身が大幅に減速して弾いたの見て「つま先立ちで歩いたね」とニッコリ顔を見合わせたことをシューマンの娘たちが証言している。楽譜に減速しろとは書いてないのだから楽譜の遵守が演奏ではなく、そのとおりに再現するための技術が音楽演奏の主人というわけでもない。クララは彼をよく知っている。だから音楽も知っている。技術は「それ」を具象化する家来にすぎない。

クラシック音楽を演奏するという行為は、技術云々の以前に、作曲家の魂を呼び覚ます、いわば恐山の巫女のような、当事者同士以外には不可侵である精神的領域がまずあって、鑑賞する側においても、呼び醒まされた魂がどんなものかを最低限は知る状態にあるのが望ましい。CJキムはのっけからバックハウスみたいに弾こうとは思っていない。それを完璧にすればコンクールで優勝するかもしれないが、よくできたコピーに価値はない。そこで、彼女は作曲家と出会ったイマーシブ状態に身を置いて、出てきたものを素直に音にする試みをしたと思われる。とてもクリエイティブな発想だ。リスクはある。同様のイメージを抱いておらず、ただ無条件にバックハウスが正しいと思い込んでいる聴衆には響かない。現に我が国では評論家が「もう少しベートーベンを勉強した方が良い」などというコメントをしていた。老木である。

ブラームスは恩人シューマンの遺品である作曲計画リストに「ドイツ・レクイエム」を見つけ、その実現にとりかかる。カソリックのラテン語の定型によらないレクイエムだ。作曲は母の死を契機に完成へと向かう。『マタイによる福音書』のSelig sind, die da Leid tragen(悲しむ者は幸いなり)で始まる第1楽章は死者への弔いではなく、残され、祝福された(Selig)者への生きる希望だ。悲しみに溢れ、クラリネット、トランペット、ヴァイオリンを欠いて葬儀のようにしめやかなのに、不思議と心が暗くはならない。こんな音楽を書いた者はブラームスしかいない。それが33歳。モーツァルトはクラリネット五重奏曲 イ長調 K. 581を書き、シューベルトはもう亡くなっていた。この二人がもっと生きていたら何が生まれたか、幸いなるかな64歳まで生きたブラームスが空想のよすがを与えてくれたようにも思う。

第1楽章をチェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィルハーモニーでお聴きいただきたい。Zemlich langsam(かなり遅く)。こうした音楽に彼の本領は発揮される。ライブでソプラノ・パートがいまひとつだが音楽の深い呼吸と大きなうねりによる魂の吸引力はさすがである。

この楽章はバッハのカンタータ第27番「たれぞ知らん、我が終わりの近づけるを」との関係が指摘される。

 

ブラームス 「ドイツ・レクイエム」作品45 (その3)

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ブラームス 「ドイツ・レクイエム」作品45 (その1)

2025 SEP 15 8:08:59 am by 東 賢太郎

僕にとってモーツァルトと共に大事な作曲家がブラームスである。欧州に住むあいだ四六時中流したのは彼の音楽で、長女は言葉より先に彼の交響曲を覚えてしまった。いま、当時から読んだ大量の書物をあれこれひっくり返して本稿にとりかかり、傍らで「ドイツ・レクイエム」をくりかえし流している。週末は「こんな上等な生活はない」と妻にいいながら昼食をすませ、また書斎に戻って5、6時間も浸る。ドイツ、スイスにいた30~40代もゴルフのない休日はそんなものだったが、ブラームスでも当時は交響曲に没入していて400枚もレコード、CDが集まってしまっていたのだ。ドイツ・レクイエムはブラームス30代の作品、交響曲は40~50代の作品だ。トシとってなんで逆行したんだろう?これが本稿に向かう動機だった。

ドイツ・レクイエム作曲中にブラームスが滞在した丘の上の村であるフルンテルン(Fluntern)に我が家は一年間住んでいた(写真はその家)。チューリヒの街と湖を見下ろす高台にある。トラム(いわゆる市電)の走る道をもう少しのぼると、終点に有名な動物園があって、右側にあるドルダーグランドホテル方面が彼が散策を楽しんだ森だろう。トラムはいかにもスイス風だ。登山鉄道みたいな勾配とカーブをキイキイ摩擦音をたてて走るが、その音がまだ耳に残っている。坂を下りきったあたりにブラームスの親友で外科医のビルロートが外科医長だったチューリヒ大学、そしてアインシュタイン、レントゲン、シュレディンガーと凄い物理学者が卒業したチューリヒ工科大学があり、その先がチューリヒ中央駅だ。会社はそこからリマト川を湖に向かってすぐである。この行き帰りのドライブはなかなかスリリングで愉快であり、はじめのうちはドライバーさんにごめんねとことわってセルフで運転していた。チューリヒは国際的には金融都市のイメージが強いが、アカデミックな雰囲気とハイレベルな文化と抜群に美しい自然環境が融合したリッチで素敵な40万人ほどの街であり、ずっとここに勤めてもいいなと思っていた。

チューリヒ旧市街とリマト川

家は自分で選んだわけではなく、たまたま前任の社長宅だった。フルンテルンは人口7千ほどの小さな地区だからずいぶんピンポイントなご縁であり、そんな所でドイツ・レクイエムの筆が進んだという事実は、この名曲に浸りきって生きている僕としてはなんとも感慨深い。社員150名。スイスフラン債の引受母店に辞令が出てフランクフルトから引っ越したのが1995年5月だったが、これは人生でふりかえると後に役員になったよりうれしく、最も思い出の深い異動だった。まだ40才、息子は1才だった。この家の契約は1年で切れ、我が家はキュスナハトに引っ越してさらに1年半を過ごすが、その家から眺めたチューリヒ湖の対岸の街リシュリコンでは交響曲第1番の第4楽章が書かれた。スイスにいた2年半、ブラームスばかり聴いていたのは偶然ではなかったかもしれない。

ヨーロッパ金融界で12年暮らしたということ

1865年のブラームス

1868年に完成した「ドイツ・レクイエム」は自らを世に出してくれた恩人ロベルト・シューマンが1856年7月に逝去したことが創造の源泉であることは間違いない。1857年頃から着想し、1861年に最初の2つの楽章を書いたブラームスは、翌62年9月にいよいよウィーンに出ていく。ピアノ四重奏曲ト短調が認められ、高名なハンスリックが褒めて名声を得た。ここで前稿に述べた、ハンブルグ・フィルの指揮者ポストの落選事件がおきる。翌63年のことだ。両親のいるハンブルグに定住を望んでいたが、故郷は定職も家族も与えず、階級の根深さは彼を傷つけ、落胆させた。5年前に創立されたウィーン・ジングアカデミーが指揮者ポストをオファーし、彼はそれを受け、ハンブルグを捨てた。30才だ。丸々20代を放浪生活し、54才で亡くなるまでウィーンの住人となり、つまり終生を旅人として生きた。その結果、1865年、そばにいられなかった母の臨終に間に合わず、衝撃を受けることとなったのである。

そこで彼はフルンテルンにやってきたのだ。1866年、33才の夏だ。母の死を契機にドイツ・レクイエム完成に向けた試みが開始する。その詳細はわかっていないがさまざまな部分をここで書き、そのひとつ、第5楽章「Ihr haben nun Traurigkeit」は1868年9月7日に自身と父親の立ち会いのもと、フリードリヒ・ヘーガー、コントラルトのアイダ・スーター・ウェーバー、チューリヒ混声合唱団とともに即興でリハーサルされた。ヘーガーはチューリヒ・トーンハレ管弦楽団の創設指揮者であり、テオドール・キルヒナー(作曲家)、リーター・ビーダーマン(楽譜出版者)、テオドール・ビルロート(アマチュア音楽家の外科医)と彼を囲む愛好家サークルがあったことがここを選んだ背景ではないだろうか。

Theodor-Billroth

特に生涯の友となるビルロートは才能あるアマチュアピアニスト兼ヴァイオリニストで、1865年、新進気鋭の作曲家兼ピアニストであるブラームスがチューリヒでシューマンのピアノ協奏曲と自身の作品を演奏したときに知り合った。家で定期的に弦楽四重奏を演奏して多くの音楽的洞察を共有し、何回かのイタリア旅行を共に楽しみ、室内楽作品の多くの初演前の試演リハーサルに音楽家として参加した彼にブラームスは最初の2つの弦楽四重奏曲(Op.51)を捧げている。本職は胃癌切除手術に世界で初めて成功した重要な外科医で、現代の腹部外科の創始者と見なされ、1860年にチューリヒ大学の臨床外科長および病院の院長となった。二分野で傑出した人物だったが、科学と音楽が対立しているとは決して見なさず、むしろ補完し合うものだと考えた。厳格な対位法や変奏の技法に数学的ロジックすら感じさせるブラームスは、「あらゆることに興味を持って積極的に吸収する人柄で、その話は心から湧き出るものでしたから、年をとっても少年のように輝いていました。あるときはビルロートに聞かされた手術の話を私たち全員に微に入り細を穿って解説しました」(シューマンの娘オイゲーニエの回想)という人だったことから、科学者ビルロートと気が合ったと思われる。異能同士が敬意を懐いて惹かれあうのは自然であり、さらに、ビルロートが学んだのがゲッティンゲン大学で、そこでアガーテに恋したブラームスには奇遇で話を盛り上げたに相違ない。そして、ビルロートは1867年にチューリヒの職を辞し、ウィーン大学の教授に就任するのである。ブラームスにとってどれほど心強かったかは想像に難くないだろう。

チューリヒ・トーンハレ管弦楽団

会社にほど近い湖畔に聳える音楽の殿堂 “チューリヒ・トーンハレ” は1895年10月に完成したが、そのオープニングの指揮台に迎えられたのが最晩年のブラームスだった(左はその前年のスケッチ)。僕は業務の引継ぎに忙殺されて音楽どころではない日々を送っていたが、ひと段落した10月にやっとトーンハレの門をくぐる暇ができた。そこで勇躍と買ったチケットは偶然にも創設百周年記念演奏会であり、作曲者が振った「勝利の歌」で始まり、ベートーベン第九で閉じた(指揮は同年に着任したデイヴィッド・ジンマン)。後にここで聴いた記憶に残るコンサートにクルト・ザンデルリンクのシューベルト9番、ゲオルグ・ショルティの英雄 / マーラー第10番のアダージョ、および1997年7月のマーラー5番があった。後者はショルティ最後(亡くなる8週間ほど前)の演奏会で忘れ難い。

今回はフルンテルンで完成された第5楽章「Ihr haben nun Traurigkeit」をお聴きいただきたい。ソプラノ独唱が初めて現れ、最後に合唱で母が歌われる。このソロは全曲の中央で出来を左右する重要なものだが満足するものがほとんどなく、未だにこのエリザベート・シュヴァルツコップを上回るものがない。クレンペラーが只者でないのは晩年のモーツァルトのオペラを聴けばわかる。魔笛の声楽アンサンブルの音の良さ、特にルチア・ポップを夜の女王に起用した慧眼は恐るべしだ。クレンペラー盤が人気を保持しているには相応の理由がある。

ブラームス 「ドイツ・レクイエム」作品45 (その2)

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気ぜわしくない土曜日の昼下がり

2025 SEP 9 10:10:13 am by 東 賢太郎

写真家のS氏と久々に飯でも食うかとなり、代沢の「韓てら」に行った。赤坂で金曜日のディナーのはずだったが大雨だったので明日にしようとなった。これが良かった。気ぜわしくない土曜日の昼下がりだ。9年ほど住んだこのあたりはなつかしい。よく息子とキャッチボールをした北沢川緑道に沿って歩くとそこに着く。当時小学生だった子供たちが歩き回ってる気がするほどに店内はすべてがそのまんまだ。あのころ、ニューヨークから帰国した翌週に9-11がおきてぞっとしたっけ。まだサラリーマンで部下120人の人事評価を書かされ疲労困憊の日々だった。会社を移ったのがそのころで、移籍先はメガバンク系だしもうそれはないだろうと思ったらまた120人だった。

評価書ってのはその人の給料、賞与はもちろん人事部のファイルにコメントが残って、人生まで左右するかもしれない。そんな文書を作るのは責任が重い。しかしそれをどうにでも書けるというのは権力を持った証でもある。うれしい人も多いだろうが僕は性に合わなかった。公平を期すため金融屋として優秀かどうかだけと割り切る。生い立ち、学歴、性格、性別、雄弁、酒豪、英語、達筆、美声、おべっか・・顔を思い浮かべればいろいろある。それを割り切って無視しないと私情が入ってしまう。38才からそんなことをしている俺は自己評価だってそうしないと人生まちがうと思ってここまで生きてきたが、そっちが正しかったかどうかは甚だあやしい。

女性の部下はあんまりいなかったから困った記憶はない。僕はフェミニストではないが実務家として女性総理、女性指揮者の賛成派だ。女性ファーストは度が過ぎると元禄のお犬様になってかえって良くない。そんなことせんでも女性は立派に経営をできる。男はそこそこの学歴で身なりが良くて弁舌さわやかであればあっさり丸をつけちまう。感性で判断する女性はそれがなく、往々にしてそれが正しい。「彼はだめね」「ちょっとあぶないわよ」。男にない嗅覚でばっさりいく。良い例が自民党両院議員総会を仕切り、実質的に首相を退陣に追い込んだ最大の功労者、有村治子だろう。立派なもんだ。東郷平八郎海軍大将、井伊大老の首級を挙げた有村次左衛門を先祖に持つだけある。腹の座り方が半端じゃない。頭脳も明晰だ。言葉がいちいち心に刺さるのには感服で将来の首相候補まちがいなしだ。なに言ってるかわけわかんねえポンコツ役者が総理?ジョークやめてけれ。反対に嗅覚も腹も頭もない可哀想な女もいる。恩人の安倍を裏切ってLGBT推進した、前にもボロカスに書いたあれだ。「それは本当の保守じゃないと思います」なんてな、おめえの保守なんてどーでもいいんだよ日本人は。弁護士かなんか知らんが真正の馬鹿だ。

ちなみに馬鹿を馬鹿というのはお耳障りが悪かろうが、文化部系の人には下品でも体育会でそんなのはなんでもない。過ちを正してくれて有難い場合すらある。基本がガリ勉の高学歴社会である金融に体育会は少なく、そんな罵声を浴びせる文化はないが、僕は体育会的社風の最右翼だった野村証券においてさえ最右翼であり、銀行系の役員になっても机ぶっ叩いて怒鳴りまくった。Sには何度も説明してるがそう見えないのか東大出の思いこみが抜けないのか、「このまえ赤門に撮影いきました」とくる。そもそも論に発展し「なっ、俺、あの門はぜんぜん愛着ねえんだ、くぐったの何回かな程度なの、法学部だから」なんて言っちまう。

ちなみに自民党税調の宮澤洋一氏が上品にだが同じ趣旨を公言し評判悪い。しかし法学部卒はほとんどがそう思ってる。というのは、明治時代から学校自体が暗にそう教育し刷り込んでる。あのキツい法学部の勉強を我慢してやって優を並べた奴が権力持つのは認めよう、俺は遊んじゃったしねで学部内はフェアなのである。それがない他学部はまったく眼中にない。ホリエモンが東大がどうとかいっても文Ⅲの話だろで俺達には関係ない。そういう所なのだ。財務省解体デモになるのは、要は、役人になめられて使われちまう政治家が馬鹿だということに尽きる。そりゃ偏差値35の大臣の話なんか俺たちが真面目に聞くわけねえだろ。

最近の政治家は小物というか、侍がいなくなって役人の劣化版みたいなのばかりだ。慶応OBの話によると石破前総理は高校のゴルフ部員だったが、スコアをごまかしたのがバレて除名になったらしい。たかがゴルフと思う方は体育会を知らない。スコアを改竄する奴ってのは人間としてクズ中のクズで、これは私見じゃない。プロは大会失格。英国の名門クラブは除名。これが世界の常識である。英国で逆切れした会員が訴訟したケースもあるほど「名誉」に関わる。「たかがゴルフ」で体育会に入ったなら元から世の中なめてるアホだったということで、つまり、学歴詐称のおばさんとおんなじ種族ということであって、誰だよこんなの総理にしたのって責任論になるレベルだ。人間の性癖ってのは治らない。放っておくとまたやる。要は、子供の遊びであろうと、前科者はまともなポストにつけちゃいけないという日本人の良識が彼のお陰で確立されるだろう。

さて、Sはというと、写真の被写体は女性が9割ぐらいだ。つまり女性の美というものを追求するうらやましい仕事である。よく知らないが広末涼子とかきっと有名なんだろうと思われる人の写真集など多々あり、間違いなくわがままであろうそういう方々やバックにいる有象無象の業界の面々と40年も仕事してきた人間観は独自の深みあるものだ。こっちも有象無象、多国籍の人々と銭金のつきあいをしてきた。だからとんでもない人間模様を見てきた共通点があって、飲むと楽しいのだ。あの女優に会いたいとか僕はそんな趣味はまるでない。波長が合う人と飲む、何より貴重な時間だ。

韓てらは東京の焼肉No1だ。たらふく食ってどっかでコーヒー飲むかとなり、Sが某喫茶店を検索し、下北沢に向かって行ってタクシーを降りるとあたりの風景に何となく勘が働いた。まてよ、ひょっとして・・・道の反対の暗い路地に入った。あった。当時に住んでた2軒目の家だった。最初のは狭かったがこれはでっかく、車庫にジャガーをとめていた。引き寄せの法則ってあるなと笑いながらよく通った寿司屋を見つけ、ここの小肌は東京No1だと教えて通りに戻ると喫茶がみつからない。しょうがない、あれ良さそうなんで行きましょうというが早いか反対側の小さい洒落た店にSが入っていった。おばさんがひとりでひっそりやってるカフェ。気に入った。「ここいいね、でも俺、ひとりで入れないんだよな」「どうしてですか」Sが怪訝な顔をする。「なんかガラでないんでね」。寂しい話だ。スタンドに女性がひとり静かにコーヒーで読書してる。ああ、いいなあ。こういうのがサラッとできる。Sはかっこいいなあと、いつもうらやましい。

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報道機関 日米そろって豪快に大ハズレ

2025 SEP 7 21:21:08 pm by 東 賢太郎

カマラ・ハリス 世論調査で「最高」の支持率

➡ CNNは必要ない

なんかいま日本でもおんなじようなことおきてないか?

 

と書きましたがやっぱりおきてました。石破さんの最大の功績はこれですね、そのことが全国津々浦々、国民的、国際的にバレてしまいました。

 

8月の石破内閣支持率、全8社で上昇:首相辞任「必要ない」が多数【報道各社調査】 | nippon.com

 

➡ 全8社も必要ない

 

僕はもう5年も新聞読んでない、地上波テレビも見てない。全然いらない。

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マルクスとブラームスの自己同一性危機

2025 SEP 4 18:18:45 pm by 東 賢太郎

この本を読んだわけではないが、表紙に虚を突かれた。ゲットーは中世のユダヤ人強制居住地区のことだ。12年を欧州金融界で過ごすうえで僕は業界のドミナントな存在である彼等の歴史を知り仲良くならない手はないと思ったが、自然にウマが合う人が多いという意外な発見もした。ロスチャイルド家が住んだフランクフルトのゲットー跡地に立って複雑な気持ちに襲われ、屋久島で助けたイスラエルの女性がくれたユダヤ教のお守りを今も大事にしているのも偶然ではない。宗教として近しいわけではないが、無二の創造主を信じることでは同一であり、ヘブライ語聖書(キリスト教の旧約聖書)は史実と考えている。お前は何教徒かと問われれば先祖からの浄土真宗大谷派だが、仏陀も同じものを見たと解しており僕の中で矛盾はない。

左は1909年のニューヨークのゲットーだが、留学当時のハーレム(黒人街)もこんなものだった。ウエストサイド物語の舞台を思い出す。レナード・バーンスタインも、ジョージ・ガーシュインも、貧しいロシア系ユダヤ移民の子だ。ここを脱出して羽ばたこうという大志を抱いた若者の夢はブルジョアの子よりずっと大きかったにちがいない。この写真からざわざわと聞こえてくるのは生きんがための、人間くさい、生々しい喧噪であるが、僕にはそれがいささかも荒んだものに思えない。

ヨハネス・ブラームス(1833 – 1897)はハンブルグのエルベ河埠頭に近いシュペック通り60番地のアパートの2階で生まれた。僕はその写真を見て即座にゲットーを連想した。ヨハネスの父、ヨハン・ヤコブ・ブラームス(1806–1872)は東京と熱海ほどの距離にある町ハイデからハンブルグに19才で出てきて、ギャングや売春婦のたむろすバーで演奏した。ヤコブの父方の曽祖父は車大工、祖父は旅館、伯父は古物商・質屋だ。みなユダヤ人の典型的な職業である。ヤコブは旧約聖書の予言者の名で、ダビッド、ダニエル、ナタンと同様、ユダヤ人が個人的社会的に迫害を受けたこの時代にあえて誤解を受けてまでつける非ユダヤ人はいなかった(シーセル・ロス著「ユダヤ人の歴史」、みすず書房)。

カール・マルクス

自己同一性危機はアイデンティティ・クライシス(identity crisis)の訳語で、成人が自分が何者か見失うことを言う。ウィーンにおけるブラームスとワーグナーの対立は絶対音楽vs標題音楽の争いであって、音楽の様相としてアイデンティティは明快と見えるが、それだけで真相はわからない。1848年の三月革命(ウィーン体制崩壊)から1862年ビスマルクのプロイセン王国(第二帝国)を経て、いよいよヒトラーの第三帝国に至ってしまう「ドイツ統一」と「ドイツ的選民思想」というもの。その生成過程で、表向きは語られることがないユダヤ系を自覚していた両者が社会的に採らざるを得なかった立ち位置の相違が個性とあいまって対立の根っこになる。つまり、弁証法的唯物論でも持ち出さないと説明できそうもない背景が根底にある。ちなみにそれを説いたカール・マルクス(1818 – 1883)の家が代々ユダヤ教のラビであることも興味深い。彼の父は生地トリーアがプロイセン領になりユダヤ教徒が公職から排除されるようになったことを懸念して1816~7年にプロテスタントに改宗し、名前もヒルシェルからハインリヒに変えている。息子は「ユダヤ人問題によせて」(1843)を書き、フリードリヒ・エンゲルスとともに共産党宣言」(1948)を著すに至るが、宗教的排除という生存の危機に至りかねない差別をヘーゲル哲学を使って経済格差と階級闘争に置換し、反キリスト教的な無神論にもっていったのは大いなる知見だ。

リヒャルト・ワーグナー

ザクセン王国ライプツィヒに生まれたリヒャルト・ワーグナー(1813 – 1883)にも自己同一性危機があったが、それは二重三重に屈折した彼なりのものだった。15才までリヒャルト・ガイヤーを名のったが、母の書簡を見つけてしまい、自分は法律上の父が存命中の、母と再婚相手の俳優ルートヴィヒ・ガイヤーの不義の子ではないかという疑念を持ち、ガイヤーはユダヤ人だと信じたことに発したからだ。ルートヴィヒ2世を手籠めにしてしまう政治的才覚の持主である。ビスマルクの庇護を得てプロテスタントを国教とするプロイセンに取り入ろうという野望には致命的な支障となり、絶対に公にするわけにはいかない。そこで非ユダヤ人の立ち位置を印象付けるため、世を騒がせるエッセイ「音楽におけるユダヤ性」(1850)を書いて反ユダヤ主義を大仰に演じてみせ、出生の秘密を糊塗してしまう。「パリでドイツ人であることは総じてきわめて不快である」「パリのユダヤ系ドイツ人はドイツ人の国民性を捨て去っており、銀行家はパリでは何でもできる」と書き、その餌食として徹底した攻撃の標的になったのが銀行家の息子であるマイヤベーア、メンデルスゾーンというユダヤ人作曲家だった。

ヨハネス・ブラームス

ワーグナーは敵方の急先鋒だったユダヤ人評論家エドゥアルト・ハンスリックも嫌い、 “ベックメッサー” として自作で嘲る攻撃を仕掛ける。さらに、レメニー、ヨアヒムらユダヤ系音楽家と濃厚な関係を築いてウィーンに現れた新星で、おりしもハンスリックが激賞したヨハネス・ブラームス(左)を「ユダヤ楽師」とののしった。いっぽう故郷ハンブルグで定職を得て家庭を持つことを熱望していたブラームスはウィーンに執着はなく、おりから空席となったハンブルグ・フィルハーモニーの指揮者への指名を期待したが上級市民が彼の出自を理由に反対して叶わなかった(これがマルクスの父親が懸念した「ユダヤ教徒が公職から排除されること」の一例である)。ウィーンに居を置くことになり危険を感じた彼は、ドイツ音楽の堅牢な砦である “古典的型式” (絶対音楽)を身に纏う道に向かうが、これは彼がレクイエムの歌詞をルター派のドイツ語訳にして「ドイツ・レクイエム」と名づけたことと同様、「ドイツ統一」「ドイツ的選民思想」の流れから逸脱するすべはなかったためである。はからずもそのウィーンに一生住むことになったブラームスは、ワーグナーのような過激でも政治的でもない形で、ユダヤ髭を除けば自己非同一性の痕跡を一切見せることはなく、父ヤコブから受け継いだ歌謡へのユダヤ的嗜好(「ハンガリー舞曲集」に顕著)は作品番号のない「ドイツ民謡集」の作曲以外は封印する。この抑圧された心理と行動が、晩年のシニカルで内向的な性格と観察されるものの正体である。

父ヨハン・ヤコブ

かように、ブラームスにも父親ヨハン・ヤコブに起因する同一性危機が根深くあった。にもかかわらず父への愛情は殊に深く、浮気により姉と弟が母側についてもそれは変わらなかったところに僕は彼の人間性を見る。自分の才能を7才で認め、酒場でのなけなしの収入で家族を養いながらハンブルグ最高のピアノ教師につけてくれたこと、そして、レメーニとの楽旅で調律の低いピアノをその場で半音あげてベートーベンのヴァイオリン・ソナタの伴奏をした驚くべき実務能力、即興したジプシー音楽の譜面を売って金に換える才などが父に由来することを悟っていたからだろう。おちぶれてはいたが貴族の末裔だった母からは文学への造詣、深い思考力とロマン的な精神をもらい、終生強い心の絆でつながっていた。母が17才年上という夫婦のアンバランスは彼の女性関係に影を落とし、年齢と共に両親も溝ができ、父は扶養を放棄して家を出てしまう。

母クリスティアーネ

その翌年、母が亡くなる。ブラームスは衝撃を受け、それが「ドイツ・レクイエム」に投影される。これほど魂に安息を与えてくれる音楽は他にないと、いま僕は感じながらそれに浸って本稿を書いている。彼がかかえたコンプレックスにはささやかながら共感を覚える点が自分の家庭環境にはあった。富裕層子弟ばかりの小学校に団地っ子はおらず、誕生日のお祝いに呼ばれれば目をみはる豪邸ばかり。社宅である我が家は好きな子だけを招待しても手狭だった。妹と二人の高額な学費を支払って学業を支えてくれた勤勉な父の労苦も、富裕層出の母の気持ちも痛いほど察した。小鳥と猫を飼ってくれ、きれいな花や手芸品の装飾でいつも部屋を明るくしてくれていた母の姿が「ドイツ・レクイエム」の第4楽章のはじまりの数小節からありありと目に浮かんでくるし、父への敬意と感謝も消えないことはブラームスと同じだ。

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カマラ・ハリス 世論調査で「最高」の支持率

2025 AUG 26 21:21:40 pm by 東 賢太郎

ハリス氏、世論調査で「最高」の支持率獲得 米大統領選 – CNN.co.jp

 

2024年9月18日 CNN

米国で最も優れた世論調査機関の一つが先ごろ、最新の調査結果を発表した。これは、11月の米大統領選本選に向けて、民主党の大統領候補であるカマラ・ハリス副大統領にとって朗報だ。

 

なんかいま日本でもおんなじようなことおきてないか?

 

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権力者であるために権力者でいたい政府

2025 AUG 17 10:10:05 am by 東 賢太郎

(1)国家の目的解釈は量子力学に似ている

国家の目的は何かという議論をひもといていくと、だんだんわからなくなってくる。ドイツの政治学者マックス・ウェーバー(1864 – 1920)は「過去に国家がしてきたことを並べてみて、そこから国家の目的は何々だと結論することはできない」という趣旨のことを書いた(「職業としての政治」)。普通、人間であれば、その行状を調べればどういう人かは凡そわかる。しかし国はそうでないというのだ。「これが国の仕事だ、だから国の目的はこうだ」が成り立たない。有名なパラドックスに「私の言うことはウソだ」がある。こう言われた瞬間にこの人が正直者なのか嘘つきなのかは言葉から判定できなくなるがそれに似ているし、光があたると(つまり、見る前と後で)電子が動くので、見る前の物体が何という物質であったか不明だという量子力学を想起させる存在でもある。

世界の歴史を振り返ると国家は「野獣」であり「夜警」であり「福祉提供者」であったりする(それが「見る前」)。ではどれが正しかったのか(「見た後」)という問いに「どれでもない」と答え、「国家は暴力行使のできる権利を持つ唯一の存在で、その独占を要求する人間共同体であり何でもできるからだ」とするのがウェーバーである。それに対しては諸説反論あることは承知だが、自然科学ではない以上正解はない。本稿では国家の目的に対する概ねの結論をウェーバーの論考の前提に添って「国民に強制力のある規則を制定して維持すること」と理解し、以下これを『国家定義』と呼び、それに従って考えてみたい。

まず、凡その歴史を俯瞰すると、すべての国とは、その地域において「俺はジャイアンだ」と主張する者(元首、酋長etc.)をひとりだけ認めたことにする仕組みということだ。中世まではジャイアンが腕っぷしでやりたい放題(野獣)だが、別の野獣よりましで守ってくれるジャイアンなら何をどうやってもいいという妥協的均衡が生まれた。それが近世になると、やりすぎはいかん、やるなら暴力行使も含めて規則に則ってやってくれ(立憲政治)というバランスになった。やがてジャイアンは個人でなくポスト(称号)と機能(軍)になり、腕っぷしとは関係がなくなり(文民統治)、上に立つ国家はマシーン(政治装置)のような存在となる。そしていま、核の抑止力によるつかの間の平和ができると、そもそもなぜ暴力行使により何でもできる権限を認めたかが明らかでなくなってきた。

「なぜジャイアンが必要なのか?」

「ジャイアンはジャイアンであり続けるためにジャイアンだからである」

という、まるで小泉構文の如く意味不明のトートロジー(同語反復)に陥っているのが21世紀の政治の現況だ。巨大な米国市場を自国に持つトランプ大統領が関税で他国を混乱させサプライチェーンを分断して経済成長や企業収益を阻害しても、力の支配だという非難も損害賠償請求裁判もない。関税主権の前にはそれを裁く法律も強制力もなく無駄だからである。抑止力という美名に糊塗される核保有による殺人、恫喝、ゆすりも同様だ。米国は自国民には強制力のある規則を制定・維持して国家定義を満たすことで国家の目的保持を達成しているが、他国に対してはそれがないことは、「広島や長崎をみれば、あれが戦争を終わらせたことがわかる」とのトランプ発言から分かる。国と国が約束(日ソ中立条約)を交わしても、ヤルタ会談(写真)であっさり破棄して満洲国に侵入し、千島列島と樺太を占領したソビエト連邦という熊なみの国家もあった。ジャイアンは必要でないが、歴然と存在するのである。

 

(2)真珠湾攻撃は誰が決めたのか?

国家は法律の制定によってのみ権力行使できる(国家定義)。これは市民革命で王権と闘って「自由」を勝ち取った欧米諸国民は絶対に譲ることができない法治主義という思想である。一部のアメリカ人がコロナでマスクをしなかったのは、国家権力に強制されるなら感染リスクを取ってでも「しない自由」を守るという主張ゆえだ。ドイツはナチス党に無制限の立法権を与える法律(全権委任法)を議会が認めたことでヒトラーが「何でもできる」ようにしてしまったことが後のすべての厄災の原因となったが、国家定義どおりの手続きを踏んだのだから「ドイツ国民に責任がある」といわれて反論できるドイツ人はいない。このことをフランクフルト赴任時に金融界の人たちに述べたところ、「ではきくが、日米開戦は誰が決めたのか」と問い返されたことがある。戦争という国家権力行使の最終責任者は誰だったのかという指摘だ。

「東京裁判で総理(東条英機)とされたが、彼は直前まで作戦を知らなかったようだ」と述べたところ一笑に付された。軍の統帥権は天皇にあり総理に権限はなく、スターリン、ルーズベルトの共同謀略で支那情勢が窮地となり世論も沸騰し「国家総動員法が全権委任法であるかの如く扱われたのを誰も止められなかった」のが実態と想像するが、国家定義を満たさない決定で戦争を始めたという発言は国際社会ではナンセンスで、大日本帝国は国家でなかったというに等しいと思い知った。ちなみに武力を伴った戦争であるフォークランド “紛争” (実質は戦争である)で英国サッチャー首相は自らを首班とする戦時内閣を設置して意思決定を行った。ドイツは意思決定者を法律で処断した(ナチ礼賛は刑法130条違反になる)ことで国家定義に則って戦争責任を特定し戦後80年をしのいでいる。事の重みをかみしめる。

 

(3)需要喚起は国家の仕事ではない

国家は何でもできるのだから法律さえ制定すれば国家の目的が経済活動への関与を含むこともあり得るが、それが妥当か否かという点はまったく別問題である。論点は、関与を①すべきかどうか、②する意味があるかどうか、の2つである。①については1970年代に国対国の経済戦争をしていた時代に米国との自動車、半導体の貿易交渉を通産省(当時)が担ったことは国益上の意味があった。がん保険を大蔵省(当時)が開放して自動車交渉を有利にする等の業際バーターは民間では困難だったこともある。しかし、現代においては、グローバル企業は多国籍サプライチェーンによる効率化、タックスマネジメントを重要な競争の要素とする時代になり、徴税者である国家が需要サイドに有意に関与する余地は激減した。第二次安倍政権の当初の戦略に第3の矢(成長戦略)があったが、何ら出なかったし、いつのまにか誰も口にしなくなった。当然だろう。需要なき処に成長はなく、需要は国が作れない。異次元緩和(第1の矢)と財政出動(第2の矢)の延長線上に成長戦略が自然に出てくるわけではなかったのである。

②については内在的な限界がある。意味のある関与は物資やサービスの「供給側」(サプライサイド)では可能かもしれないが、消費する「需要側」へは実態でも法技術的にも困難である。馬を川に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできない。例えば少額投資における税制優遇制度であるニーサ(NISA)である。「税金をおまけしますから株式・投資信託等に投資しませんか」という趣旨だが、税金の心配は「お金がもうかってから」でいい。「株や投信のパフォーマンスは大丈夫なの?」「はい、それは自分で考えてください、自己責任で」ということだ。理屈として収入の期待値を上げる意味はあるが、それで川まで行く馬は元から喉が渇いた馬だ。そうでない馬が多いから投資による資産形成が進まないという根本的原因の解決には無力というしかない。

「少子化担当大臣」にいたっては何ができるのか不可思議でしかない。要は、子供をたくさん産んでもらおうというのである。しかし子を持ちたいという「需要」を法律の制定という手法で促すのは、北欧のような公務員が多い高税率、高福祉国家でないと難しい。女性の社会進出を促進しながら産んでもらうのは矛盾という統計もあるが、保育所が増えたから子供をつくろうという以前に、そもそも30代の男性が収入がなくて結婚できないことが問題なのだ。それは積極財政へ転換すれば解決する。それをせず子育て支援しますからアウトソースでどうぞと言われても、その心配は結婚できてからなのはニーサとまったく同じ、供給サイドの役人による底の浅い発想だ。役所が需要サイドに手を出すと必ず匂ってくる「やってます感」満載であり、こども家庭庁の7.3兆円という驚くべき巨額予算は国民に対する高福祉政策の見栄えと雇用創出の数字づくりには資するだろうが、なんのことはない、出生数は統計を取り始めて初めて70万人を下回った。結果は出ておらず、的外れな施策なので今後も成果は出そうもないから、民間企業ならトップはクビで大量解雇ものだ。しかし、それでいいのである。ここまで人も金も投入してやった、しかし人口減少は止められなかった。「やむを得ない、移民政策しかないではないか」となり、そっちでごっつあんの者がたくさん待ち構えている。

需要喚起が国家の仕事ではないことを日本政府が知らないはずはない。国民皆保険(NHS)などの高福祉政策の失敗として世界史に残る英国労働党の「ゆりかごから墓場まで」政策が終戦後の日本における左翼的政策の参考になったことは、やはり長年の戦禍による厭戦気分からの解放を求めた英国民がそれをぶちあげた労働党の党首アトリーを熱烈に支持し、なんと第二次大戦をイギリスの勝利に導いた英雄であるはずの首相チャーチルをポツダム会談の最中に辞職に追い込んだことで伺える。敗戦した日本ではもとより、英国でも、彼が好んだローマ帝国とは違って軍人は勝ってすらも讃えられなかった。彼はルーズベルト同様に人種差別主義者であり、日本の運命を地に落とした不倶戴天の敵であったが、僕は彼の伝記を読んでこの男は優秀な戦略家だと思った。そしてアトリーを選んだ英国民は、政策の失敗が膨大な財政赤字を生み「英国病」を招くというしっぺ返しを30年たって食らうのである。国民皆保険の我が国が同様の渦中にあることも、日本の賢明な彼らはよく知っている。

しかし、冒頭に述べたように、政府は何でもできる。戦争でも、売春宿の経営でも、民間人大量殺戮用施設の設営でもできる。政権与党はそれを差配して儲ける蜜の味を知り、票を買えることも知っている。大きい政府は役人を利する。彼らは失敗しても失職せず給料は下がらない。デフレになってGDPが何位に転落しようが民間人の購買力が落ちるだけだ。それは役人の相対的な賃上げだからウエルカムである。よって、往々にして政治家と官僚は共犯関係になる(だから米国大統領は前政権の役人をクビにする)。支配できない需要サイドへの投資は財政法第4条をたてに縛り、消費税なる実質的な値上げによる需要の犠牲を原資に供給サイド(輸出企業)の実質減税を行って景気を保つ。これは「おまじない経済学」と揶揄されたロナルド・レーガンのサプライサイドエコノミーの大幅な劣化版である。レーガン政権は冷戦下で「強いアメリカの復活」を旗印に供給サイドによる「軍事支出の莫大な増額」を行い、それに「減税」を伴わせた効果で消費が副次的に刺激され、失業者は減りGDPは倍増近くなって「アメリカ経済は復活した」と成功を誇った(トランプはそれに習うと明言している)。

かたや軍事支出を米国に貢いで吸い取られ、減税はしない日本の失われた30年は1990年代を起点として始まった。このままだと失われた40年も来るだろう。そして中小企業が倒産しようと自殺者が増えようと政治家と官僚は誰も責任を取らない。彼らは悪人ではない。GHQが組み込んだ米国による構造的搾取体制のファイナンスが必要な以上、国策、国防上の理由から、税収のキャッシュフローを担保する責務を負っていることは同情すら覚える。2000年代初頭に窮地に陥った日本は、一部を役人が独占的に経営していた電信・電話事業、郵便事業、鉄道・航空事業を米国民主党の求めで「民営化」させられ、その役目を負って総理になったのが小泉だ。米国に思うつぼの利益を誘導し、その見返りにいくらもらったかは闇の中だが少なくとも小泉・竹中は米国によるマスコミの扇動を得て国民的な人気を博したことは間違いない。国民は総選挙で泥棒を賞賛する熱狂を見せ、今に至ってその息子まで意味不明の人気者に祭り上げるという救いようのない民度にまで堕落させられてしまっている。政治を変えないと、日本は落ちるところまで落ちる。

 

(4)我がロンドン赴任とシンクロした「黄金の1980年代」

郵政で小泉がした民営化を考案したのは米国でも日本でもない。英国の第71代目首相マーガレット・サッチャー(1925 – 2013)である。当時(1980年代)の英国は七つの海を制した大英帝国の斜陽が国民を悲観させ、ロンドンは相次ぐ犯罪やIRAのテロで殺伐としており、失業で活力をなくした若者が昼間からパブで飲んだくれるというすさんだ空気に覆われていた。第二次大戦後に労働党政権がとった社会福祉重視政策の著名なスローガンが既述の「ゆりかごから墓場まで」だった。政権の人気は得られたものの、やがて主要産業国営化の失敗とオイルショックで致命的な財政逼迫を招く結果となり、社会保障負担の増加による国民の勤労意欲低下、既得権益の発生、労働組合の賃上げラッシュとストライキという悪循環から工業生産や輸出力の減退、慢性的なインフレと国際収支の悪化、それに伴うポンドの下落で英国経済は地盤沈下した。これが「英国病」(British disease)である。

僕が留学を終え1984年にロンドンに着任したのはそうした「真っ暗な英国」の真っ最中である。驚いた。これがあの英国かと目を疑うほど若者の浮浪者と犯罪と退廃ムードに満ち溢れていたからだ。失業率は12%でインフレだからそれも当然だ。地下鉄で通っていたが、待てど暮らせど電車が来ない。事故を疑ったが、きくとストライキだった。1,2度ではない、何度もあった。遅刻は厳罰の社風なので仕方なく車通勤に変えた。お客さんの誰と話しても政治、経済に悲観的で、英国の未来を半ば嘲笑していた。かたや日本は、 “ハイテク産業” と呼ばれた電機、自動車、半導体、電子部品産業の大躍進で世界の寵児の地位をほしいままにした黄金の10年間の入り口だった。世界の金融市場の本丸、ロンドンのシティで働ける!俺たちが日本のプレゼンスをうなぎ登りにしてやる!という、若気の至りながらも証券マンとして痺れるような高揚感を覚えたことは忘れ難い。そして数年後、そのとおりの日が来たのである。シティのトップエリートたちが「日本を無視して金融取引を行うことはナンセンス」と語るようにさえなった。米国による日本の輸出潰しだったプラザ合意(強制的な円レートの倍増)。この窮地を合気道のごとく「円高メリット」と逆手に取り、泣き所だったエネルギー、資源の輸入コスト減を国益に転嫁したのは見事でしかない。日本経済は本当に強かった。赴任時にロンドンに2,3件しかなかった日本食レストランは10倍になった。明治維新で開国して以来、我が国が世界の一等国と認知されたのは日清日露の戦勝だったが、経済力でそうなったのはこの時であることは疑いがない。

ちなみに、この「黄金の1980年代」の総理大臣は以下の面々である。

鈴木 善幸、中曽根 康弘、竹下 登、宇野 宗佑、海部 俊樹

はっきり書くが、政治のリーダーシップによって達成された黄金期でなかったことはご想像できよう。この世紀の繁栄を「バブルであった」とするのもいかにも自虐的で何の得にもならない卑屈な敗者の歴史観というしかないが、1990年に日経平均株価指数がピークアウトしてからの混乱は、豊饒な果実をなんら国力に転嫁することができなかった、

宮澤 喜一、細川 護煕、羽田 孜、村山 富市

なる上記面々に続く厄災のごとき無能無力の政権が米国の策謀によってあっさりと殲滅された結末以外の何物でもないのである。幾ばくかの抵抗を試みた次の橋本 龍太郎政権は米国のさらなる謀略によって潰されたのは周知のことだろう。現代の日本国民を苦しめる「失われた30年」なる国家的大損失は、政局のドタバタに明け暮れたこの政治家たちの治世において始まったことを心ある若者たちは肝に銘じておくべきだ。経済の最前線で死力を尽くして戦った一員として、あの大勝利は何だったのかという虚無感を禁じ得ない。当時流行った「経済一流、政治三流」なる言葉はまさにこれを指しており、今も生きている。

 

(5)驚いたマーガレット・サッチャーの覚悟

思えば世界的視野でも1980年代は重たい10年だった。我ながら凄まじい時に米国、英国にいたものだと思う。英国初の女性首相マーガレット・サッチャーが1979~1990年まで在任し、米国はロナルド・レーガンが1981~1989年に大統領であり、ソ連は崩壊・消滅に至る末期(まつご)と断末魔の10年にあった。サッチャーとレーガンは「小さな政府」を標榜し、強硬な反共主義者で共通していた。サッチャーの民営化構想のドライバーは既述の「英国病」だったが、日本経済の大躍進もあった。政治家としての器量は、その日本を敵視せず、英国復活のドライバーにしようとしたことだ。80年代初頭に米国でもエズラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」が警鐘として話題となり、ウォートンの授業で話題になったこともあったが、父ブッシュは10年後に大統領に就任すると日本の金融・証券業潰しの大逆襲を仕掛けてきた。サッチャーはそれをせず1986年にロンドン証券取引所を規制緩和する “ビッグバン” で活力ある外資(頭にあったのは間違いなく日系証券だ)を主導的なプレーヤーとして積極的に取り込み、ユーロドル市場取引を急拡大させシティの歳入を大幅に増加させた。物量で圧する米国、洞察と計略で良いポジショニングを取る英国。各々それらしい姿を見せたわけだが、どっちの政権も「数字」で成果をあげ国を富ませたことにかわりはない。政治は企業経営ではないと左翼は言うだろうが、ソ連邦崩壊の最大の原因は資本主義国と比べると見るも無残だった国民の物質的困窮である。何期も赤字の企業経営者と同様、民が貧乏で飢える国の為政者はいくら血筋が良かろうと高邁な政治理論を語ろうと生き延びることはなく、政権を追われるか殺される。これが人類の歴史である。

サッチャーのドル箱であるシティにおいて採った政策は、テニスコートは伝統あるが優勝者が出ないことになぞらえて「ウィンブルドン現象」と揶揄もされた(命名者は野村ロンドン社長だった外村である)。選手が何国人であれ、ロンドンの税収の半分をシティがあげるに至ったのだから文句は出ない。外人選手のうち最大勢力だったのが日本の証券会社で、野村が断トツだったことはいうまでもない。1989年の経常利益はトヨタを上回る5千億円(日本一)で、現地社員はオックスフォード、ケンブリッジ卒が当たり前になり、ロンドンの日本食レストランが激増してアジア人を取り巻く文化まで変えたのはその頃なのだ。野村はサッチャー政権と良好な関係を築き、1990年にシティのチープサイドにある17世紀の郵便事業(郵政省)の古跡である巨大な “オールド・ポスト・オフィス”(写真)に移転して“ノムラ・ハウス” と名乗る栄誉を得た。サッチャーが来賓でオープニング・セレモニーをする予定だったが前日に「代理にジョン・メージャー大蔵大臣を送るのでよろしく」と連絡があった。何事かと思ったら翌日に辞任、メージャーの第72代目イギリス首相就任が発表された。その日、ロンドンから帰国したばかりだった僕は、野村の社内テレビ放送で美人の女子アナといっしょにセレモニーの同時中継のキャスターを務めさせてもらった。

サッチャーの強い決意を象徴するものとして、英国民営化省での会議で聞いたギネス担当官の言葉が忘れ難い。1991年に英国電力株式民営化の日本トランシェ引受主幹事に任命していただいた際のことだった。

「組合運動に明け暮れ能力もやる気もなくした公務員に公的事業を任せておくことは輝かしい大英帝国の没落を意味する」

当時のサッチャー首相

これを言える日本の政治家、公務員がいま何人いるか。これぞ、労働党の負の遺産を一掃するサッチャー政権のコミットメントの表明であり、こうした国家からいただいた大仕事への栄誉で身が引き締まったことを覚えている。サッチャーにはガス、電力、石油、鉄道、航空、鉄鋼、水道、テレコムなど公共財・サービスの提供に関わる国家の屋台骨の産業において、国営企業のままに放置しておくと効率や技術革新で米国、日本の水準に大きく水をあけられてしまうという強烈な危機感があったと拝察する。のんきなお役所仕事ではだめなのだ、民間企業に伍する高いモチベーションで経営させなくては大赤字が累積して国家財政が破綻し、未来の国富を生む研究開発(R&D)も米国や日本に劣後し、国の屋台骨が朽ち果てて二等国に没落する。それには自由主義的な競争原理を注入するしかない。その結論として、公共財・サービスの提供を行う国営企業を民営企業にして株式公開し、新たな株主の厳しい目に叶う経営をさせようという荒療治が選択されたのである。もちろん、国営の立場に安閑とあぐらをかいていた者は大量に解雇され怨嗟の声があがるが、腹をくくったサッチャーはそんなものは意にも介さなかった。

証券界の人間なら誰もが記憶しているが、90年代前半にこのムーヴメントは同様に公共セクターの非効率を抱えていた世界各国に瞬く間に波及して株式のグローバル・オファリングという引受業務の新領域を開拓することになり、我々野村の海外部門はそこで台頭してきたゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーと真正面から激突し、熾烈なマンデート取得戦争を繰り広げた。英国電力公募の日本主幹事マンデートは我々が奪取した。スコットランド電力は大和証券が取った。メキシコの国営テレコム会社テルメックスも同じ流れで民営化するとなって国際金融部の課長として即座にメキシコシティーに飛んだが、主幹事は既にゴールドマン・サックスの手にあり煮え湯を飲まされた。勝ちも負けもあったが、世界の金融のど真ん中でトップ・プレーヤーとして戦った、我が人生でも最高にエキサイティングな時代だった。世界的に澱んでいた公的セクターに強烈な喝を入れた「鉄の女」サッチャーは、もとより最も資本主義的である証券界にまで電撃的なインパクトを与えたのである。

 

(5)金融市場から目撃した首相の重み

サッチャーは中間階級下層の出である。英国議会にはピューリタン革命で市民(クロムウェル)が絶対王政維持を主張する王族派と闘いチャールズ1世を処刑した血なまぐさい歴史が投影されている。王室、貴族は貴族院(参議院に相当)に封じ込め、庶民院(衆議院に相当)が実質的に国政を切り盛りするが、それでも雑貨商の娘が大英帝国の首相とは大いに新鮮だった。その政治的ハンディからだろう、自助努力をモットーとしてオックスフォードでは化学専攻ながら弁護士の資格を取り財政、税制も学び、エスタブリッシュメント(既得権益勢力)への徹底反抗が「小さな政府」への動機となっていたともいわれる。「天は自ら助くるものを助く」(God helps those who help themselves)。努力する者は報われるべきだし、しない者はそれなりにだ。資本主義に功罪はあるが、経済も社会もモチベーションが駆動力となって前進する。こういう人が現れれば男か女かなど矮小な議論である。

フォークランド諸島

規制緩和、民営化へのもうひとつの伏線が、82年に英国領であるフォークランド諸島をアルゼンチン軍が武力で奪取した戦争だ。同諸島はグレートブリテン島からはるか離れた、異国人にはどう見てもアルゼンチンの領土に見える海域に位置している。それもあって英国病で萎えた世論の一部は奪回に否定的であり、米国や国連が仲裁を申し出もしたが、サッチャーは「侵略者が得をすることはあってはならない」と断固として英国陸海軍による武力奪還を曲げず、アンドリュー王子ら王室、貴族も兵士として出征した。本件は当面のところ第2次大戦後の唯一の本格的武力衝突である(注)が、現在の我が国が尖閣諸島で直面しかねない事態への対応として示唆に富む。これに勝利して奪還成功したことで国民は沸き、それまで不人気だった政権支持率は保守層のみならず急上昇したのである。「義を見てせざるは勇なきなり」とはこのことだ。

(注)執筆当時(2020年)はそうであった

私事で恐縮だが、サッチャー政権はたまたま僕が社会人になった1979年に始まり、米国留学した82年にフォークランド紛争があり、ロンドンに着任した84年に中国に97年の香港返還を約束し、ロンドンから帰国した90年に終焉した。そして僕はその香港返還の年に野村香港社長に就任したのである。これだけ節目の年が一致しているのは不思議なほどだ。11年の政権期間中にこちらは社会人としての基礎ができ、そのうちの6年は彼女の治世下のロンドンにおいて激動の洗礼を受けていたのであり、自由化と金融ビッグバンで英国が徐々に誇りと活気を取り戻すのをリアルタイムで日々まのあたりにした経験はどんな映画よりも迫力があった。格別の自覚はないが、サッチャリズムの思想的影響を受けていて不思議ではないし、尊敬する政治家を一人だけあげるなら彼女をおいてない。

 

(6)サッチャリズムとハイエク

サッチャリズムは成功の代償に失業率を上げた。万事がうまくいったわけではないが最悪の国難を果断な決意で実行した手腕は政敵も評価した。彼女はまず壊滅的だった国家財政の改革に着手し、身を切る緊縮財政(社会保障費、教育費の削減)を断行して国民の大不評を買った。必要なことをしたまでだが、人気などかなぐり捨てて断行した胆力はアイアン・レディの真骨頂であり、「もしもフォークランド戦争がなければ短命政権に終わっただろう」といわれたほどだ。すなわち、そこで踏み切った開戦は巨大かつ不測の歳出を伴い、緊縮財政と真逆の方向に舵を切ってまた批判されたわけだが、ここでの腹の座り方も凄い。その一手が結果的には大当たりであり、もし彼女がケインジアン政策的な当たり前の手を打ってしまっていたら、財政問題が是々非々の判断の大きな足かせになって舵が切れなかった可能性がある。運もあった。

Friedrich August von Hayek

サッチャーは「共産主義、社会主義が本質的にファシズムやナチズムと同根であり、更に悪いものであり、むしろスーパーファシズム・全体主義である」と説く経済学者フリードリヒ・ハイエク(1899 – 1992)に傾倒しており、反ケインズ的政策を採ったのは当然だ。既述のように、民営化とは政府部門経済を削ぎ落して「小さな政府」とする政策であり、国民はみな勤勉に倹約して自分で健康に生きて行けということであり、規制緩和して外国人も入れて自由に競わせ、役人の役割はそれを監督することだから「大きな政府」は無駄であると説く。「ゆりかごから墓場まで」を巻き戻して高福祉国家のカードは捨てたその効果は僕が着任した84年に日常茶飯事たったロンドン地下鉄のストが翌年あたりにはなくなったことでも体感された。

僕はハイエクの、

「自由主義」と「保守主義」が混同されるのは両者が反共産主義だからであるが、共通点はただそれだけである。保守主義は現状維持の立場であり、進歩的思想に対する「代案」を持たず、たかだか「進歩」を遅らせることが望みである

という思想に賛同しており、以前に書いたように、

人間は現存の秩序をすべて破壊してまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではなく、「自然発生的秩序」が重要で、理性の傲慢さは人類に危険をもたらす

というイギリス経験論者である。どんな選良であれ「市場の参加者の情報や知識をすべて知ることは不可能」であり「参加者達が自らの利益とリスクで判断を下す市場こそが最も効率のよい経済運営の担い手である」と ”経験的に” 考えるからだ。彼が共産主義とファシズムは同じだというのは、どちらも「理性」に至上の地位を与える合理主義だからだ。彼らは理性を敬愛し、市場は馬鹿と思っている。しかし、スティーブ・ジョブズ、ジェフ・ベゾス、イーロン・マスクのような人材は市場に育つのであって、国が総力をあげてもGAFAやテスラのような企業は人類史上できたためしがない。NVIDIAにいたっては株式時価総額600兆円と日本国のGDPほどで日本人ぜんぶが稼ぐ金額を一社で稼いでいる。仮にそんな会社をもうひとつ作ろうと思った場合に、世界の政治家と高級官僚をぜんぶ集めて経営してもらおうと思う資本家は、賭けてもいいが絶対にいない。

選良とは選ぶ者がさらに上手の選良である必要があり、企業経営をしたこともない経営学の教授が「優」をつけた「選良」が経営者になってうまくいく保証などまったくない。東大法学部卒から図抜けた企業家や経営人材が出てくる体感を僕は経験的にまったく持っていないし、陸軍士官学校、海軍兵学校で主席の連中が決めて指揮した戦争がああいう惨事にもなってしまう。「市場」、「自由主義」とてベストな方法ではないが、選良の指導で理念から入る共産主義がうまくいかないことは世界史が証明済であり、「構成員がまったく同じような思想を持つ強力で人数の多いグループは、社会の最善の人々からではなく、最悪の人々からつくられる傾向がある」(ハイエク)ことの結末としてはびこっている集団が主張する「保守主義」(現状維持の鎖国のたぐい)なるものも、努力と進歩を阻害する害悪であることにおいては共産主義と五十歩百歩だ。

 

(7)大きな政府という誤謬

くりかえしになるが、政府は民意さえ得れば何をしてもいい。その民意を代表する国会議員がラブホテルから赤ベンツで議事堂に出勤しようと「それがなにか?仕事は回っているので」といわれれば国民は引きさがるしかない。国家、官僚というものは組織防衛本能からそうしたスラック(たるみ、遊び)を排除せず、もっともらしい居場所(スラック組織)を作って批判をかわして生き延びようとする性向がある。それがぶよぶよした贅肉として堆積することで「大きい政府」が完成し、放っておけば贅肉にまた贅肉がついて自己増殖していくのである。できもしない需要サイドへの関与は良い例で、高福祉政策の美名をまとって無用の税金を投入するスラック延命策に利用され、格好の票田と天下り先と利権を生む。これはまさしく戦後の英国労働党が目論んだ「ゆりかごから墓場まで」政策の大失敗の原因であり、サッチャーが身を賭して戦った物の正体である。

今の日本を覆い尽くしている政治への閉塞感。これは何だろう?GDPは毎年のように他国に抜かれ、防衛力はおろか経済力までも他国になめられ、低賃金と重い税負担で働き盛りの若者が希望をなくし、自殺者が増え子供は生まれず、財務省解体デモが頻出し、闇バイトやら猟奇的殺人やら教師のおぞましい猥褻行為やら、健全な日本人の常識からは思いもよらぬ犯罪が頻出しだした昨今の我が国。僕はあの「英国病」に冒されたころの英国と似た空気を感じる。この事態を変えられるのは政治しかない。英国は幸運にもマーガレット・サッチャーの出現と些かの幸運によって窮地を脱し、今日に至るのである。

本稿の標題を『権力者であるために権力者でいたい政府』としたのは、そのように腐敗した政府が自らこの事態を変えることはないことをマックス・ウェーバーにまで立ち還ってお示しするためである。それは我々国民の頭上に巣食っている庇護者のふりをしたハゲタカであり、巣の中に子を産んで増殖し、無為無能のまま国を蚕食して滅ぼすか、あるいは、民主主義の体裁を装いながら国家権力という全能による奸計と権力の爪をもって国ごと共産主義にでももっていくことが可能である。この事態を変えられるのは政治しかないが、幸いなことに、日本国憲法がある限り政治は我々有権者の投票によって変えられるのである。

権力者は権力者であり続けるために権力者でありさえすれば永遠に権力者であるならば、権力を握らせてしまった者はそこに座っているために政策も成果もいらない。「俺は絶対にやめない」という不断の意志だけ表明していればよいのである。「国家の目的は国民に強制力のある規則を制定して維持すること」という『国家定義』に基づけば、その者は存在自体が憲法違反であり、国家が国家であることを望む国民の総意によって排除されねばならないその装置が「リコール制度」だが自民党にはそれがない致命的欠陥が判明した。世田谷区民の半分ぐらいである人口53万人の鳥取県民ではない99.5%の日本国民は、自分で選んでもおらず、3度も不信任を叩きつけても引きずりおろせない者が民意でない首相談話を発出して子孫の安寧を脅かされて制止もできない。いかなる動機でそれを狙うか不気味でしかないこの男はいったい民主主義に巣食う何者なのであろうか?

猫を宿主とする寄生虫トキソプラズマは、猫にかまれたネズミに感染すると脳を操作して猫を恐れなくさせ、別な猫に自ら食われるように仕向けて繁殖する。誠に面妖としか形容する言葉がない。「選挙で大敗すれば普通は辞める」という昭和の常識に縛られ、「政局」という国民不在のわけのわからないものを弄し、表紙だけすげ替えれば政権維持できるとこの期に及んで考えているなら、自民党は民主主義を無視した政党として消える運命にあるし、猫にかまれて感染したネズミであるならむしろ死んでもらった方が日本国のためだ。

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近松門左衛門 「曽根崎心中」(永田町最新版)

2025 AUG 13 1:01:29 am by 東 賢太郎

 

遊女・お初|命を賭けた愛・曽根崎心中 

 

この世の名残り、夜も名残り、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそ哀れなれ。 あれ数ふれば、暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり。 鐘ばかりかは、草も木も空も名残りと見上ぐれば、雲心なき水の音、北斗は冴えて影うつる、星の妹背の天の河、梅田の橋を鵲の橋と契りて、いつまでも、われとそなたは夫婦星、必ずさうとすがり寄り、二人がなかに降る涙、川の水嵩も増るべし・・・・

 

チーン

 

「しげる・・」

「よしひこ・・・」

 

キミ、なにかねこれは?

はい、新しい LGBT の教材です、小学生に大人気です

おえ~

(ひそひそ声で)このクソガキが、ゲロ吐くんじゃねえよ、嘘ばれるだろ

失礼しました、大丈夫です、高校生用に1000億円の予算どりも済みましたし

そうか、「政治・経済」の教材だな。「大連立」の説明にぴったりだ

はい、ご心配なく、成人用には「談話」の予算も10兆円計上してございます

そうか、でも参議院選挙の「総括」が先だけどな、時間かせぎに

「総括」ですか? なんか革マルか連合赤軍みたいですね

キミ、言葉を慎みなさい

ははっ、「談話」のほうも謹んでなんとかいたします

出せるんかね

はい、出すでなく「発出」とかいってわけわかんなくするので

そうか、でも予算10兆円はちょっと高くないか?

トランプの80兆円より安いとお役所が太鼓判を押してます

 

 

連理の松を何と呼ぼう?

国政の大本にたちかえり、赤心報国の思いをもって真摯にかつ断固たる決意のもと、熟慮に熟慮を重ねてまいった。「立憲自民党」ではどうだろう。

いやいやそれはいかにも畏れ多い。いっそわれらの身をかえりみて「共に自民党」でいかがだろう。

 

チーン・・・・

 

お父さん、このまえ吉沢亮と横浜流星の映画見たよ。すごくきれいで満員だったよ、あれ「曽根崎心中」だったんだね

そうだよ、タイトルは ≪国宝≫ なんだけどね

で、今日の永田町の「曽根崎心中」、つまんなくてさあ、ただでさえガラガラだったお客が途中で帰っちゃったの、金返せ!って

そうか、それのタイトルは ≪国賊≫ っていうんだよなあ

 

お父さん、映画っていいね、世界が平和だといいね

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広陵高校事件から考えるSNS進化論

2025 AUG 11 15:15:36 pm by 東 賢太郎

広陵高校の不祥事が発覚したのは被害者の母親のインスタ投稿が契機だった。僕が球児だった時代、硬式野球部の世界では規律違反に少々の罰は当然の風潮だったが、それを恐れたら野球ができないから恐れないで済む程度のことだった。本件の暴行内容は度を越しており、傷害罪でありまったく同情の余地もないが、世論はその事実に輪をかけて沸騰したのである。甲子園で一試合してしまったことを含めた高野連の後手後手の対応がまずかったからだが、さらに注目すべきは、広陵の校長が広島県高野連の副会長であったことが発覚したことで、反権力志向のSNSが忌み嫌う「組織ぐるみ」に見えてしまったことではないだろうか。

SNSは最大のメディアになろうとしている。不特定多数が参加してファクトをつけ加えつつ成長し、もちろん誤報もフェークも混じるが、やがて真実に収斂していくいわばニュースのwikipediaのようなものだ。数名の記者やレポーターが会社のポリシーに基づいて報道する新聞やテレビとは根本的に異なり、デスクやディレクター不在の「分散型集合知」のメディアである。夏の甲子園は朝日新聞が主催だ。「同紙は本件をスキャンダルにしたくないからポジショントークの報道しか出ないだろう」という知恵はその昔は業界人しか持たなかった。それをSNSはすでに持っており、参加者は既存大手メディアが報じようが報じまいが真実にたどり着くすべを知ってしまった。だから「報じない」というこれまで伝家の宝刀だった世論操作の効き目が薄れてきている。つまり校長や高野連がひた隠しに隠しても、SNS投稿一発で旧世代が堅牢に築き上げた牙城があえなく崩落してしまう大変な時代にすでに突入しているのである。

同じことはすでに企業や自治体の内部告発や都知事選挙での石丸候補の躍進あたりから政治でも俄かに議論を呼び、SNSの世論形成パワーを恐れた自民党の指示で総務省がSNS退治に「DIGITAL POSITIVE ACTION」なんて妙なものをぶちあげた。こんなもので効くと思ってること自体「ハエや蚊にキンチョール」ぐらいの認識なんだろうが、そう思える方がハエや蚊なみだ。英語がわかる人には政治家や役人が到底考えつきもしないだろうポリコレ臭ぷんぷんの標題であって、米国グローバリストの入れ知恵だろうと容易に想像がつく。権力を離さないお爺ちゃん政治家は自分もわからないから国民もわからんと思ってるだろうが言論統制バレバレのヘボい策で、それを嗅ぎつけたSNSにいずれ猛反撃され、全国に呼びかけてデモ隊まで組成され、結果は確実に次の選挙の得票数激減として返ってくる。中国や北朝鮮のような独裁国でない限り、憲法で守られた言論の自由の存在によって政府はSNSを規制もコントロールもできない。いやなら憲法改正しかなく、そんなことをしようとする政党は即時に選挙で民主的に葬り去られる。

村上総務大臣が「参院選はポピュリズムでね」とTBSの番組で新興政党を暗に批判してるのをyoutubeで目撃した。この人も広陵の校長と同様に「SNSにやられた、害悪だ、取り締まれ」ぐらいの理解度と思われる。それをいうならご同胞でやはりデジタル石器時代人と思われる石破総理大臣の「2万円ばらまき大作戦」こそ絵にかいたようなポピュリズムだからだ。SNSは道具だからいいも悪いもない。「使ってる人間が悪いのだ」というならなぜ悪いかを述べるべきだ。「体制批判者だからだ」というなら「なぜ体制が善、批判者が悪か」を述べるべきだ。村上氏は参政党=悪といえる確たる根拠を持っていないのでポピュリズム=悪という大衆のおぼろげな思い込みにすり替えて批判したのであって、その行為そのものがこれまた絵にかいたようなポピュリズムであることを理解すらしてない。彼も石破総理も、頭には「体制は体制であるゆえに善なのだ」という思い込みが岩盤のように巣食っているというのが適確な観察であろう。

それはトートロジー(tautology、同語反復)。権力者はトートロジーのみによって権力者たりうる稀有な存在だが、それは、そのことがトートロジーだと気づかない特殊な頭の構造と知能指数、および並外れた鈍感力を必要とする。つまり我々普通の人には無理である。「広陵の校長は体制だ」、「高野連副会長は体制だ」、「体制は体制であるゆえに善である」。よって「善が善を選ぶのだから広陵は出場してよい」となったと思われるが、そうであるなら立派に権力者合格であり、我が国が世界に誇る至高のトートロジスト、小泉進次郎氏の「今のままではいけないと思います。だからこそ、日本は今のままではいけないと思っている」という驚くべき名言と同様であるのをご理解いただけよう。ちなみに、この人の頭は「私は私が権力者だという理由によって権力者なのだ」という鉄壁のトートロジーを基軸に万事が回転する稀有の構造になっていると思われ、生まれながらの合格者である。

僕がSNSの進化を確信するのは自分が2012年からブログで発信に参加してきた実感からであり、暗号資産やブロックチェーン技術を活用した「DeFi(分散型金融)」が金融の世界の主流になっていく流れと同様に感じているからだ。お金も情報も根っこはおんなじなのである。そこには独裁者も指揮者も管理者もいない。ネットワークの中で勝手に成長していくのである。人間の脳もそうであり、自分の意識が1000〜2000億あるどの細胞に在るかは誰もわからない。「システム」としてそれは存在し、勉強しても細胞の数は増えないが「システム」として性能が良くなっていく。いずれ生成AIはSNSを脳のシナプスのように取り込むだろう。そこで何が起きるかを想像するのは面白くも怖ろしくもあるが、何十年も先のことではなく、その時には新聞もテレビも教科書で知る旧石器時代の遺物になる。既存大手メディアは確実に不可避的にそこへ向かっており、デジタル石器時代人が支配する自民党と共に手を取りあって心中の運命にある。

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