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広陵高校事件から考えるSNS進化論

2025 AUG 11 15:15:36 pm by 東 賢太郎

広陵高校の不祥事が発覚したのは被害者の母親のインスタ投稿が契機だった。僕が球児だった時代、硬式野球部の世界では規律違反に少々の罰は当然の風潮だったが、それを恐れたら野球ができないから恐れないで済む程度のことだった。本件の暴行内容は度を越しており、傷害罪でありまったく同情の余地もないが、世論はその事実に輪をかけて沸騰したのである。甲子園で一試合してしまったことを含めた高野連の後手後手の対応がまずかったからだが、さらに注目すべきは、広陵の校長が広島県高野連の副会長であったことが発覚したことで、反権力志向のSNSが忌み嫌う「組織ぐるみ」に見えてしまったことではないだろうか。

SNSは最大のメディアになろうとしている。不特定多数が参加してファクトをつけ加えつつ成長し、もちろん誤報もフェークも混じるが、やがて真実に収斂していくいわばニュースのwikipediaのようなものだ。数名の記者やレポーターが会社のポリシーに基づいて報道する新聞やテレビとは根本的に異なり、デスクやディレクター不在の「分散型集合知」のメディアである。夏の甲子園は朝日新聞が主催だ。「同紙は本件をスキャンダルにしたくないからポジショントークの報道しか出ないだろう」という知恵はその昔は業界人しか持たなかった。それをSNSはすでに持っており、参加者は既存大手メディアが報じようが報じまいが真実にたどり着くすべを知ってしまった。だから「報じない」というこれまで伝家の宝刀だった世論操作の効き目が薄れてきている。つまり校長や高野連がひた隠しに隠しても、SNS投稿一発で旧世代が堅牢に築き上げた牙城があえなく崩落してしまう大変な時代にすでに突入しているのである。

同じことはすでに企業や自治体の内部告発や都知事選挙での石丸候補の躍進あたりから政治でも俄かに議論を呼び、SNSの世論形成パワーを恐れた自民党の指示で総務省がSNS退治に「DIGITAL POSITIVE ACTION」なんて妙なものをぶちあげた。こんなもので効くと思ってること自体「ハエや蚊にキンチョール」ぐらいの認識なんだろうが、そう思える方がハエや蚊なみだ。英語がわかる人には政治家や役人が到底考えつきもしないだろうポリコレ臭ぷんぷんの標題であって、米国グローバリストの入れ知恵だろうと容易に想像がつく。権力を離さないお爺ちゃん政治家は自分もわからないから国民もわからんと思ってるだろうが言論統制バレバレのヘボい策で、それを嗅ぎつけたSNSにいずれ猛反撃され、全国に呼びかけてデモ隊まで組成され、結果は確実に次の選挙の得票数激減として返ってくる。中国や北朝鮮のような独裁国でない限り、憲法で守られた言論の自由の存在によって政府はSNSを規制もコントロールもできない。いやなら憲法改正しかなく、そんなことをしようとする政党は即時に選挙で民主的に葬り去られる。

村上総務大臣が「参院選はポピュリズムでね」とTBSの番組で新興政党を暗に批判してるのをyoutubeで目撃した。この人も広陵の校長と同様に「SNSにやられた、害悪だ、取り締まれ」ぐらいの理解度と思われる。それをいうならご同胞でやはりデジタル石器時代人と思われる石破総理大臣の「2万円ばらまき大作戦」こそ絵にかいたようなポピュリズムだからだ。SNSは道具だからいいも悪いもない。「使ってる人間が悪いのだ」というならなぜ悪いかを述べるべきだ。「体制批判者だからだ」というなら「なぜ体制が善、批判者が悪か」を述べるべきだ。村上氏は参政党=悪といえる確たる根拠を持っていないのでポピュリズム=悪という大衆のおぼろげな思い込みにすり替えて批判したのであって、その行為そのものがこれまた絵にかいたようなポピュリズムであることを理解すらしてない。彼も石破総理も、頭には「体制は体制であるゆえに善なのだ」という思い込みが岩盤のように巣食っているというのが適確な観察であろう。

それはトートロジー(tautology、同語反復)。権力者はトートロジーのみによって権力者たりうる稀有な存在だが、それは、そのことがトートロジーだと気づかない特殊な頭の構造と知能指数、および並外れた鈍感力を必要とする。つまり我々普通の人には無理である。「広陵の校長は体制だ」、「高野連副会長は体制だ」、「体制は体制であるゆえに善である」。よって「善が善を選ぶのだから広陵は出場してよい」となったと思われるが、そうであるなら立派に権力者合格であり、我が国が世界に誇る至高のトートロジスト、小泉進次郎氏の「今のままではいけないと思います。だからこそ、日本は今のままではいけないと思っている」という驚くべき名言と同様であるのをご理解いただけよう。ちなみに、この人の頭は「私は私が権力者だという理由によって権力者なのだ」という鉄壁のトートロジーを基軸に万事が回転する稀有の構造になっていると思われ、生まれながらの合格者である。

僕がSNSの進化を確信するのは自分が2012年からブログで発信に参加してきた実感からであり、暗号資産やブロックチェーン技術を活用した「DeFi(分散型金融)」が金融の世界の主流になっていく流れと同様に感じているからだ。お金も情報も根っこはおんなじなのである。そこには独裁者も指揮者も管理者もいない。ネットワークの中で勝手に成長していくのである。人間の脳もそうであり、自分の意識が1000〜2000億あるどの細胞に在るかは誰もわからない。「システム」としてそれは存在し、勉強しても細胞の数は増えないが「システム」として性能が良くなっていく。いずれ生成AIはSNSを脳のシナプスのように取り込むだろう。そこで何が起きるかを想像するのは面白くも怖ろしくもあるが、何十年も先のことではなく、その時には新聞もテレビも教科書で知る旧石器時代の遺物になる。既存大手メディアは確実に不可避的にそこへ向かっており、デジタル石器時代人が支配する自民党と共に手を取りあって心中の運命にある。

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どうして慶応ボーイばっかりになったの?

2025 AUG 9 14:14:49 pm by 東 賢太郎

結婚式で娘が「このテーブル、慶応ボーイばっかりだよ」という。数えてみた。ソナー・アドバイザーズの役職員、主要パートナー16人中12人。なるほど75%が慶応ってのは尋常じゃないし、加えて娘までそうだ。人物評価だからえり好みは一切してない。相性ということなら、こちとら幼稚園から小6まで少年ケニヤみたいに野っぱらを駆け回って育った成城っ子だ。不勉強がバレて怒った親父に受けさせられた慶応もなにも、どこか忘れたが受けたのは全部落ちた。こんな不まじめなガキだったひとは社員にはひとりもいない。

自分の縁でないなら先祖しかない。資料が見つかったので調べた。祖父が福沢諭吉が存命中の明治32年(1899年)に信州の飯田中学から慶応義塾予科に入り、明治38年に卒業して三井物産に入社し、10年後に上海支社長になり、喧嘩して飛び出して王子製紙の役員になっている。長崎の祖母とは遠隔地結婚だった。田中平八つながりだろうか伊奈出身の製紙王・藤原銀次郎がメンターであり、藤原は諭吉の門下生だったから慶応との縁はきわめて濃厚だ。卒業生というだけならどうということもないが、野球という訳語ができたころに野球部で米国遠征までしていたのは時代が時代で光る。

祖父のキャリアを意識したわけではないが、僕も野球を真剣にやり、米国の野球大会でMVP、遠隔地結婚、最初の会社で香港社長、そして飛び出して別の会社の役員になった。野球は自然に始め、神戸の妻とは全くの偶然で、米国の野球もたまたま、香港への転勤なんか寝耳に水で勘弁してくれ状態だったし、別な会社に移ろうなど社内の誰ひとり想像もしない超右派の社員だった。しかし、思いもよらぬ運命の流れでこうなって、すべてが終わってから眺めてみると、祖父が背後にいて導きでもしないとこうはならないだろうという驚くべきシンクロぶりだ。

この因縁を仲介したのは母だ。物静かで優しい人だったが、どんな嘘も見ぬかれて絶対にごまかせなかった。よくお化けを見ており霊感も強かった。慶応が東大より上と信じており「無用な浪人はやめて頂戴」だった。それは無視したが就職だけは頑強に「官僚と銀行員だけはやめてね、あなたは向いてないのよ」と銀行員の父をさしおいて就職先の選択に釘をさされ、これは効いた。女学校しか出てないし就職経験もないのになぜわかったんだろう、まさしく、そっちだったら絶対に出世しなかった自信がある。田中平八の存在を知らされたのは証券会社に決めてからで、やっぱり血なんだろうか結果的に水を得た魚のチョイスだった。母の話が潜在意識に刷り込まれ、霊感のパワーで祖父と交信してシンクロしてしまったなんてこともあるかと本気で思っている。

祖父の記憶はない。72才で天国へ旅立った時、まだ2才だったからだ。ひとつだけ親戚の間の伝説があって、お通夜の日のこと、仏さまになった祖父の枕もとで叔父たちにけしかけられ、刀を振り回して赤胴鈴之助を歌うと座が明るくなり、ケン坊、お爺ちゃん喜んでるぞ!と一同が号泣したときく。ほんとに喜んだのかもしれない。そんな豪気で自由闊達な気風の家だったことをいまは僕が誇りにして守っており、作ったソナーも15年目になる。慶応ボーイばっかりなのはその元祖の呼び寄せだったんだ、きっと。叔父、叔母たち、そして両親も、誰もいなくなった。そしてあと2年だ、僕が爺ちゃんの歳になるのは。

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驚いた経営者の言葉と投票数の水増し

2025 AUG 8 0:00:23 am by 東 賢太郎

先日、久しぶりにいかがですかというお誘いで夕食会があった。日本人なら誰もが知る大企業の社長だ。先代より神道を深く信奉される方で政治の話はあまりなさらないが、この日は静かにこう切り出された。

「このまま石破さんがやったらいいでしょう。そうすれば次の総選挙で自民党は粉々になります。日本のためにいいことです」

会の趣旨はそういうことではなかったが、温厚で保守的な社長からは想像もできないご発言である。あまりのことに僕は返す言葉がなく、

「憲法は前文に国民主権を明記しています。国民の意志を示すものが選挙です。したがって、選挙結果を無視する総理大臣は存在自体が憲法違反です」

と言ってご賛同を得た。すると、

「政権擁護の報道ばかりのメディアはやればやるほど信用がなくなって視聴率も部数もさらに落ちていきます」

とまで述べられた。

財界人の口から自民党にそんな批判が出るなど戦後に例がなかったのではないか。国民の政治意識に大変革が起きていると体感した。

さきほど「7月に行われた参議院選挙の開票作業で、大田区では、投票総数のつじつまを合わせるため現場の担当者が無効票を水増ししていた」という驚くべきニュースをきき、これまた愕然とした。日本は役所も学校もおかしくなっているが、公権力の土台である選挙だけは厳正に管理されているだろう、そう信じて投票所に足を運んでいたのは僕だけではないだろう。それもおかしくなってるなら公権力の行使自体も問題になりかねず、国家の体をなさなくなる。

これは堂々たる選挙不正である。当落に影響した事実があろうがなかろうが、当落を操作するまでの故意があろうがなかろうか、「やろうと思えばそれができる」ことを満天下に示したという意味で大事件だ。権力者は圧力で、望む候補者を勝たせたり、都合の悪い候補者を落としたりという票の操作ができることがわかったのである。

これは「区民の皆様に多大なご心配とご迷惑をおかけしました」などで済む問題ではまったくない。全国民に選挙結果への疑念を抱かせ、民主主義の信用を根底から揺るがし、ひいては国際社会での日本国の信用をも棄損する大罪であり、責任者を厳罰に処すべきである。

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僕が聴いた名演奏家たち(山田一雄)

2025 AUG 6 21:21:18 pm by 東 賢太郎

いま自分の宇宙観(前稿)をまえにして、ひとつ仕事をなしとげた気がしています。それ以上に天上を知ることはないだろうし、もう九千以上のかたが読まれて新しい交信が生まれています。

音楽もまぎれもない「波動」です。音楽を聴くという行為も作曲家、演奏家との「波」(霊感)の交信と考えています。前稿で、

『(ブログで)「これを書こう」という衝動(こめる波動の振幅)が大きいとPVはより増える傾向があることがわかった』

と述べました。発信者(作曲家)が紙に記した情報(楽譜)にこめた衝動(こめる波動の振幅)が大きいとPVはより増える(感動は大きくなる)と読み替えれば同じことを言ってます。

良い音楽に接したときに心に巻き起こる嵐のような感動は他のものからは絶対に得られないものであり、そうとしか説明できないのです。正確には、演奏することがそれに当たるのですが、我々聴衆はそれができませんから演奏家にゆだね、そこからスピリットをいただいているわけです。

宇宙で最も完璧な音楽は何だろう?何十年も前から僕の答えは決まっています。モーツァルトの交響曲第41番ハ長調K.551 ≪ジュピター≫ です。完璧なんだけど、一か所だけ修正しています。ここです(第二楽章コーダ)。

これを見るとモーツァルトも人間なんだとほっとした気になります。でも、これによって逆に「一筆書き」なんだとわかり、かえって凄みが増していますね。さもなくば清書と思ったでしょう。

モーツァルトがこれにどれほどの「衝動」をこめたか。並々ならぬものがあったはずです。その理由はここに書いてある私見をご参考いただければと思います。

クラシック徒然草-モーツァルトの3大交響曲はなぜ書かれたか?- | Sonar Members Club No.1

スコア全47頁を聴いた時の “感じ” 。「ハ長調の神の殿堂」です。そう感じる音楽はもう一曲あって、ワーグナーの名歌手第一幕前奏曲です。これのすばらしさも神品レベルですが、宇宙的なスケールとパルテノン神殿の如き絶対普遍の美の構造は一歩譲る。モーツァルトの天才はありとあらゆるところで語られ皆様も飽食気味でしょう。そこで殿堂に唯一迫ったワーグナーを引き合いに出すのですが、きっとワーグナー自身も認めると思うことは、すなわち、あらゆる大作曲家の中でモーツァルトの天才は図抜けて別格であることです。それが問答無用に証明されたのが交響曲第41番ハ長調K.551であり、神の中の神、すなわち「ジュピター(ユピテル)」に見立てた命名は大半が稚拙であるニックネームのうちでは最も的を得たものでしょう。これもお導きでしょうか、8年前、第二楽章を満員の豊洲シビックホールで弾かせていただきました。ピアノを大勢の前で弾くことはもうないでしょうから唯一無二、本当に特別な音楽になりました。

11年前、ここに幾つかおすすめ盤を書きましたが、

モーツァルト交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551

 

いまはもっぱら山田一雄です。彼はたった一度、86年5月21日に英国人のお客様を東京にお連れしたおり、文化会館で東京交響楽団を振ったベートーベン7番を聴きました。今も記憶に残る名演でした。もっと聴きたかった。亡くなる9か月前、サントリーホールでN響とのジュピター、神のような演奏、モーツァルトが降臨してますね。最高です。誰のより好きです。

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『アガスティアの葉』が予言したこと

2025 AUG 2 23:23:14 pm by 東 賢太郎

娘から夜中の12時に電話があった。なにごとかと思ったら、なんのことない、「部屋にでかいゴキブリが出たの」というSOSであり、タクシーで逃げ帰ってきた。あっとひらめいた。これ、「虫の知らせは実は深い意味がある」というシンクロニシティ現象じゃないかと。なぜかというと、その前日、気持ち悪くて忌まわしいゴキブリの話をコメント欄に思いっきり書いていたからだ。総理の「ナメられてたまるか」は国難でない | Sonar Members Club No.1

このところ、スピリチュアル、精神世界に惹かれるようになっている。たとえば運、ツキというやつだ。先日のこと、大企業のインテリ君に「ビジネスの8割は運だった」と言って「ご謙遜を」とはぐらかされた。「どんな釣り名人だって魚がいなきゃね、だから魚群探知機がある。じゃあお客さん探知機ってあるかい?運だのみだろ」。ここまで詰め寄っても認めない。「探知は事業戦略でします」「それで利益確定?」「不確実性はあります」「それをゼロにできる?」「いえ、その努力をいくらしても残るリスクを不確実性というんです」。秀才だ、ああ言えばこう言うな。ここからは言わなかった。大企業ってね、巨大なトロール船なんだ。機械が水揚げする魚を甲板でさばくのが仕事と思って育つとこうなる。だから船ごと不確実性の暗礁に乗り上げると解決策を知らない。彼らは誰ひとり釣りはできないからだ。

以下、理屈っぽい彼に理屈をこねて教えたことだ。僕は「運」というものに有機的な実体を感じる。「不確実性」は無機質である。中身がないから数学の変数には向いてるが、「運」は実体が邪魔してなじまない。ビジネスでも賭けでもリスクとリターン、つまり不確実性と収益性は常に均衡している。不均衡は「裁定」によって消える。裁定というものは損することはないから裁定(arbitrage、鞘取り)という。だから、株式取引で100万分の1秒単位でそれをして利益を “確実に” あげるアルゴリズム運用は市場を席巻するはずだ。ところが、現実はそうなってない。参加者が増えると「不均衡」という魚は減る。トロール船を持つ経費(システム構築、運営コスト)をまかなうには魚群が必要だが、魚は群れるとは限らない。売買(流動性)の少ない銘柄の不均衡は割に合わない。だから無限には増えないのだ。

AIが自己フィードバックで改善を繰り返し、人間の知能を超える瞬間、いわゆるシンギュラリティ(Singularity)はそう遠くない未来にくる。2045年といってたのが2028年説まで出てきた。それが人間の生活はおろか生存にまで関わる変化をもたらす。僕もそう思う。しかし、それは人間の理解や予測を超えた技術的な変革が起こる状態が到来するよというだけで、それが起きる分野と起きない分野の色分けが進むという意味以上に意味があるかどうかはまだわからない。一日に何千銘柄もの異なる証券が数兆円規模で電子的に取引・執行される現代の証券取引所。人類が手にした最も巨大で効率的なこの市場にアルゴリズム取引が参入して20年以上になる。それは証券会社のトレーディング部門に変革をもたらしたが、人間の頭と手で売買・運用する手法は消えていない。黒船がやってきても釣り人は消えない。世界最大の釣り人であるウォーレン・バフェット氏はCEOを辞めたが、変わらず運用収益をあげてきたことはシンギュラリティを論じるケーススタディとして意味深い。

この説明はさらに大きなことを示唆している。合理的に聞こえるが事実はそうでないという事実の存在だ。人間という非論理的な存在が関与する分野で数学は完全なツールではなく、これはすべての経済学の永遠の壁である。裁定に不確実性はないが、裁定の利かない所には不確実性もチャンスもある。人間の介入でそのバランスが崩れると不確実性に比べ多めの収益が得られるという非合理なことがおきるのである。人間はその利益がなぜ得られたかをその刹那は知覚も解明もできないことが多く、事後的な説明の方便として「運がありました」と語るのである。その人がスピリチュアルにかぶれているわけではない。すなわち、「運」はそうした形でしか定義ができないものだが、確かに存在するものであり、それが「有機的な実体」の正体なのだ。

「運」は動的な存在でもある。いわば「放置されたタナぼた」だから見逃せばすぐ他人に食われ、ゲットするにはそれなりの速度と反射神経を要する。野球のインタビューで打者が「たまたまです」「いい所に飛んでくれました」などという。要は「運がありました」と言ってる。0.5秒で捕手のミットにおさまる速球を打者は最初の0.2秒で判断して振らなくてはいけない。ということは残りの0.3秒(6割)はバクチで振っていることになる。左の写真、イチローの目線はボールにないのをおわかりだろう。その顛末をふりかえれば、「運がありました」は正直な感想であり、経験者はこのことを体感として理解されるのではないか。

証券市場というバトルフィールドで育った僕はいまでもアタマだけは現役アスリートである。打者の空白の0.3秒なんてことはディールのプロセスのそこかしこにある。野球よりもっとある。だから本気で「ビジネスの8割は運だ」と言っているのである。去年はさっぱりだったが今年は何もしてないのに大漁だ。ということは「ほぼ10割が運である」というのがまぎれもない現在の体感であり、野球ならどんな投手の速球でも打ててしまうかのような気までしている。すると余裕が出るから失敗が減る。好不調の波は肉体だけでなく、こうした精神面からの作用もあるかもしれないが、ビジネスマンもアスリートもなぜ8割が10割に増えたのかまったくもってわからない。麻雀でも、何をしてもあがれない時もあればやけにペイパイが良くて何をしてもあがってしまう時がある。これを「流れ」と呼んだりする。流れが連続する確率は低いのだが、0.1%の確率であっても発生してしまえばそれはそれ。大企業の秀才クンも「もってますね」なんて形で運を認めることになる。空白の0.3秒をうまくマネージした人が、日米通算4367本の安打を打ったイチローだ。0.2秒の部分は誰もが目視できるから練習できる。メジャーで野球殿堂入りを果たしたのは、練習より才能かもしれない0.3秒のバクチ部分で彼よりうまくできる人は人類にいなかったという意味だ。我々は確率論だけで宝くじが当ったり株式投資で大儲けできるわけではないことを知っている。運は人によってあったりなかったりすることも知っている。ではその裏で増えたり減ったりしているものの正体は何だろう?これに答えた人はいない。ただ、ひとつだけ、誰もが経験的、直感的に知っていることがある。それが「波」であることだ。

まずはじめに述べたい非常に興味深いことがある。「波」(wave)というのは振動だが、「何が」という主語を物理学が問わないことだ。気体、液体、固体のどれであれ、それが振動して起こす波を「音波」(Acoustic waves)と定義するからであり、水の波まで「音」という概念を使うのには僕は違和感を覚える。ヴァイオリンの弦は張力と質量によって固有の振動(周波数)をもっており、ピタゴラスは振動する弦の長さと音の関係を調べ、音が協和するときには弦の長さが整数倍になることを発見した。”音響共鳴” と呼ぶ美しい数学的調和である。音波がエネルギーを運ぶことも注目だ。ガラスには自然共鳴があるため音波によってワイングラスを割ることができ、ローマ歌劇場でゲーナ・ディミトローヴァ(ソプラノ歌手)を間近で聞いたら鼓膜にビリビリ来て身体の危機感すら覚えた。音楽による感銘には数学の美とエネルギー伝播という物理現象も関わっている。波(波動)が人間に与えるインパクトは計り知れない。

文学を見てみよう。鴨長明は方丈記を「ゆく川の流れは絶えずして」と始め、「しかももとの水にあらず」と、同じ川に見えるが同じものではないと看破している。さらに、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し」と人生、歴史の波を感慨をもって俯瞰している。前者は分子論、後者は量子論に通じており、800年前にこれだけの考察をしてのけた洞察力には驚く。同時期に書かれた平家物語の「諸行無常」も、平氏が滅び源氏が勃興した盛衰の「波」だ。筆者(不詳)も鴨長明と同様にそれに感慨を覚え、多くの人をワイングラスのように自然共鳴させ現代にいたるまで伝承されてきたのだろう。揺れ動く実体(substance)が水であれ人であれヴァイオリンの弦であれ、物理的なものであれ非物理的なものであれ、「波」というものはいたる所に発生し、それが人を共鳴させて揺れ動かし、悲喜こもごもの感情を喚起し、文学や芸術を生み、人間という非論理的な存在をますます非論理的にしてきた軌跡をうかがえば、物理学の「音波」の定義は中々奥深いねと首肯すべきものかもしれない。

方丈記が書かれたのは1212年。平家物語は仁治元年(1240年)に藤原定家によって書写される以前の成立とされ、ほぼ同時期の作品だ。冒頭に書いたシンクロニシティ(意味のある偶然)は僕がゴキブリのブログを書いたら娘の部屋に出たみたいに、「複数の出来事が意味的関連をもって非因果的に同時に起きること」だ。「人間の意識は深い部分でつながっており、交流している。この全人類がつながっている意識を『集合的無意識』(collective unconscious)といい、我々はそこからさまざまな影響を受けている」としたのは心理学者のカール・ユングだ。それは人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域で、二人が同時にそこにアクセスするとシンクロニシティがおきるといわれる。意識は脳波だが(意識障害は脳波で観測される)電磁波ではないからアクセスの媒体はわからないが人々は何らかの波、もしくは量子的な波で共振しており、意味のある偶然がおきる。脳は宇宙にある膨大な量の情報エネルギーの “受信器” だという説があり、そのフィールドにあるメモリーがアカシックレコードだという説もあることは後述する。占星術を傍証として取り上げたユングの『集合的無意識』の存在には僕自身が共振するものを感じる。当時は知らなかったが、チューリヒで住んでいた家がユングの診療所のすぐ近くだった偶然もシンクロニシティだったのかもしれない。

目の前にいてもいなくても、人と人との間では音響共鳴がおきている。例えば、いまブログを読んでくださっている皆様は何らかの関心を持って下さっており、僕とは快く感じ合う整数倍の波長をお持ちなのかもしれない。著者と読者の引き合いは昔から本や雑誌であったが、双方向メディアであるネットの普及がそれを変え、その劇的な効果は昨今の都知事選、参院選で誰も無視できなくなった。ちなみに僕にとってブログの発信というものは皆様にほめてもらおうとかお金を払ってもらおうとかいうものとは無縁で、未知の異星文明に向けてメッセージを送り、地球外生命体(E.T.)に地球文明を発見してもらおうという名作SF映画「コンタクト」のアクティブSETI計画のようなものだ。皆様を宇宙人扱い?する無礼をお詫び申し上げなくてはいけないが、実はそれがそう失礼でもないことは後述する。つまりこれは実験であり、双方向メディアだからできる。発見した最大の事実は、僕は現世的な快楽、利益より実験が好きだということだ。バロメーターはPVの数値(受信数)だ。面白いことに、「これを書こう」という衝動(こめる波動の振幅)が大きいとPVはより増える傾向があることがわかった。それはコンテンツや文章の是非という曖昧なものでなく、発信側の喜怒哀楽のパルスの強弱というそこそこ数値化できるものだ。点数が高い方が多く読まれるのだ。本や雑誌ではできないリアルタイムの検証ツールが与えられたわけだ。

パルスとは聞きなれない言葉だが、ここでは日本語で「気合い」というものだ。「気」が「合う」であり、それを入れたり入れなかったりできる。グラウンドでこの言葉でどれだけ先輩に罵倒、叱咤されたことか。「気」は、少なくとも野球場では「敵を圧する強靭な意思と集中力」だ。先輩が入れろ!と怒鳴ってるそれは呼吸だ。それを止める。どんな競技でも力を籠めるインパクトの瞬間に息を止めない人はいない。では「息」とは何か?呼吸のパルス(波動)のことだ。大勢が一斉に動く時に「せーの」と息を合わせるあれはパルスを合致させて力を最大化させる号令である。それを一人でする時に、息を止めて肉体と気(精神)を合一させる。すると最大のパワーが得られるのだ。しかしブログは静的なもので、スクリーンから僕の息、パルスが伝わっているわけではない。気合いを入れて書いたものとそうでないものとに数値化できる差異はない。では何がPVの数値(受信数)を増減させているのだろう?

ここでやっと「スピリチュアル」(精神世界、spiritual)という言葉にたどり着く。大きな飛躍に思われるかもしれないがそうではない。むしろ、ここに仏教もキリスト教もない、より広大で包括的な理論とすら思える思考領域が見えるのである。spiritual とは  material (物質的)の反対語で、形のないもの、霊、魂、精神に関わるものという意味だが、語源はラテン語の spirit だ。これが、いみじくも、「息」の意味なのである。その派生語に inspire があり、「触発する」という意味だ。in + spireだから「息を吹き込む」ことで、似てはいるが影響する(influence)でも鼓舞する(encourage)でもない。喩えるなら、 inspire は演説で群衆を奮い立たせたり、指揮者がオーケストラを燃えあがらせたりすることがまさにそれであって、影響、鼓舞にはないスピリチュアルなエネルギー注入というニュアンスが大いにある。僕が目撃した指揮者のうちで最も inspiring だったのはカルロス・クライバーだ。ベルリン・フィルのみならず我々聴衆まで彼の魔法にかかり、もう二度とないと確信する体験をさせてもらった。そこで鳴ったのはブラームスの第四交響曲だ。何百回も聴いているそれの音響だけであんなことは断じて起こらない。しかし物理的に加わっていたものは何もない。

オカルトっぽく思われる人がおられても無理はない。しかし0.1%の確率であっても発生してしまえば問答無用なのだ。この議論がオカルトでないことを僕は materialism(物質主義)の観点から述べなくては証明にはならないだろう。それが、以前にも書いたシミュレーション仮説というものだ。イーロンマスク氏やホーキング博士も信奉する、我々の宇宙は超高性能なコンピューターによってシミュレートされたものであるという仮説だ。さらに、僕はこの理論は物質世界(物理学が説明できる世界)と精神世界(それができない世界)をアカシックレコードの存在という仮説を通じて包括できるかもしれない大理論であると理解している。それについては、このサイトが分かりやすい。

https://pekospace.com/akashic-records/

僕は毎日、ブログを読んでくださる3千人ぐらいの皆様からエネルギーをいただいている。なぜなら皆様はおそらく、僕と波長が整数比に生まれた方々であり、物理現象としてワイングラスのように “自然共鳴” して下さっている。それが今度は僕を自然共鳴させるという形で皆様と衝動(impulse)のキャッチボールをしている。意識も体感もないが、既述のように我々の脳は “受信器” であって、アカシックレコードを介して交信している。信じようと信じまいと我々人類はそのように創造されており、信じはしないが感知はしたり結果的にそう行動してしまっている一部の方々は、ある意味で不承不承に仕方なく(時には哄笑を浮かべながら)、そういうものを「スピリチュアル」と呼ぶことだろう。お互いの脳内での交信だから、間にスクリーンが介在しようとしまいと波動を感じ、そのシンクロニシティ現象(意味ある偶然の一致)を愛でている。わかりにくいと思うので例を挙げると、僕の音楽関連のブログは、自分の読みたい音楽評論が世の中に存在しないので自分で書いておこうという衝動によって書かれている。いま読み返すと、中味はわかっているのにあたかもシンクロニシティを得たかのような快い感覚に浸れるのである。これは自己愛でなく物理現象である。それが何を示しているかというと、自分が発信したものを時を経て読んで感じるもの(feeling)は、他人が書いたものを読んで感じるもの(feeling)とかわらないということだ。逆に、いま僕が同じテーマで書かされたら同じブログにはならないということもある。なぜなら時を経て、構成する細胞からなにから別な人間になっているからだ。つまり、本稿を明日に読み返して僕が感じるものは、皆様がいま感じているものとかわらない。すなわち、誰もが外界に発信したものはその瞬間から他者化、客体化し、宇宙のデータベースに取りこまれ、合体していると表現しても矛盾はなかろう。

とすると、今この瞬間も、刻一刻、地球上で発信されるすべての情報は宇宙データベースに堆積しつつあるはずだが、そんな巨大なメモリーを持つデータセンターが一体どこにあり、その作業をする無尽蔵に膨大なエネルギーはどこから来ているのかというとてつもない疑問が生じてくるのである。もしそれが存在するなら、それは高度な文明による “造作物” であって元素や星といった自然物ではなく、それが昨日今日にできたとは考え難い。つまり、創造主は人類の知性をはるかに上回る知性の持主であり、その知性は我々よりはるか以前から存在し、進化していたと考えるしかなくなってくる。このことを考察する場合に引き合いに出される著名なものさしとして「宇宙文明の発展レベルを示す指標」(カルダシェフ・スケール、Kardashev Scale)がある。いかなる文明の存続・進化にもエネルギーが必要であり、その利用範囲によって文明を段階的に分類しており、拡張案や修正案などを含めると、一般的には以下のように定義されている。

タイプ1文明:自分の惑星で利用可能なエネルギーを使用できる

タイプ2文明:自分の恒星や惑星系で利用可能なエネルギーを使用できる

タイプ3文明:自分が所属している銀河系で利用可能なエネルギーを使用できる

タイプ4文明:複数の銀河系で利用可能なエネルギーを使用できる

我々人類の文明は、狩猟採集社会を含むタイプ0から進化して、およそタイプ0.75とされており、現在の科学技術が順調に発展し続ければ、数百年後にはようやくタイプ1に到達すると見込まれている。タイプ4文明から見ればタイプ0.75か1かはミミズとゴカイの違いほどにすぎないだろう。宇宙データベースは銀河系をまたがるエネルギー源を必要とするからタイプ4文明の概念・産物でなくてはならず、最大の時間軸を想定するなら宇宙データセンターは137億年前に工作され宇宙が誕生してからの全メモリーを蓄積していることになる。

話の足元を現実に戻そう。先日にあるIT企業を訪問したが、同社は集中型データセンターにおいてAIデバイスがムーアの法則が想定しない計算量を処理して発生する高熱に対処できないことに対するソリューションのプレゼンをしてくれた。熱処理(冷却)は複数のスーパーコンピューターを直列に配列するビットコインなど暗号資産のブロックチェーンにおけるハッシュ計算でかねてより問題になっていたが、自己学習型人工知能デバイスをマルチに接続すると計算量は自動的かつ制御不能的かつ等比級数的に増大することでその問題は地球規模の、すなわち最先端にいるGAFAMでさえ莫大な新規投資を必要とする課題となっていることが理解できた。

いま僕はその解決策やファイナンスの問題を論じているのではない。述べたいのは宇宙データベース、および、具体的なデータを蓄積するスペースとしての宇宙データセンターの存在可能性だ。そして、それが存在するという説を支持する仮説は、まさに前述した説の「最大の時間軸ケース」であって、メモリーの堆積物はアカシックレコード(物理的な形を持たない情報の集合体)であり、堆積の結果できたのではなく、実は137億年前の宇宙の創成期からディファクトとしてすでに存在していたというものだ。さらに想像をたくましくして、それは宇宙を創造した何者かが使用したコンピューターのディファクトとして装着されていた機能にすぎないと僕は解釈している(なぜ光速が秒速30万キロメートルかというアインシュタインも解けなかった問いの答えもそれだ)。

先述したように宇宙空間には膨大な量の情報エネルギーが存在し、それがアカシックレコードの正体である可能性が浮かび上がっており、その存在は、異次元や宇宙エネルギーの中に位置すると同時に、人間の潜在意識(スピリチュアル世界)にも存在する可能性があるという説がそれだ。それを造ったのが人類でないのは明らかゆえ、アカシックレコードの存在を信じるということは必然的にタイプ2以上の文明の存在を信じることであり、それが地球にはないことは事実であるから必然的に地球外生命体(Extraterrestrial life、E.T.)の存在を認めることになる。人類(ホモ・サピエンス)の発祥は最古でも40万年とされる。宇宙が生まれた137億年前を1年前とすると、人類が現われたのはわずか15分前だ。E.T.(宇宙人)の存在を否定するなら、広大な宇宙で人類誕生というイベントがなぜ364日と23時間45分のあいだ起きなかったのかという問いに答える必要がある。それはフランツ・カフカの「変身」を喩えとして借りるなら、ある日の朝に目覚めたらひとりぽつんと火星にいたと想像するほど奇妙なことだ。

この議論は、「あらゆる物質は原子や分子が固有の情報を持っていてそれがアカシックレコードを成す」と考えると氷解する。原子や分子はビッグバン直後から宇宙空間にあまねく存在している。よって、人類は猿からダーウィンの進化論的に進化したのではなく、137億年前から誕生がプログラムされており、それが何らかの理由で40万年前だったのだ。人類は宇宙とアカシックレコードを造った知性(E.T.)が類人猿におこなった遺伝子操作実験による創造物であり、すなわち我々自身もDNAの一部が “宇宙人” なのであり、天から宇宙船に乗って降りてきたE.T.を人間は神と称え、それにまつわる物語を宗教として信仰している。まだ知性も理解力も描写力も未開であった人たちが、4つの車輪をもち火を吹く宇宙船で地に降り立ったE.T.を神と信じ、紀元前3500年前後のこの事実を文字に落し、それが旧約聖書のエゼキエル伝となった。神学と科学が分離してゆくルネサンス後のヨーロッパにおいて近代精神が支配的になっても、これら聖書の記述は敬虔な信仰の対象であり続けてきたことは変わりない。科学的思考と併存する威厳ある領域としてギリシャ神話(mythology)があるが、我が国の天孫降臨も含め空から生身の人がおりてくることは0.1%の確率ですら科学的な蓋然性を証明できない。シミュレーション仮説やアカシックレコードをオカルトと論じる人が旧約聖書をどう論じるかは興味深い。このことは先述した「運が80%」に対する大企業のインテリのリアクションの相似形であることを付記するにとどめよう。

ここから先は僕の空想であり、本稿のエピローグである。我々が人類なるものであり、ここにいることは、デカルトほどの知性が「我思う、ゆえに我あり」と記すしかなかった不可思議である。彼はいわば、ある日の朝に目覚めたらひとり火星にいた景色を想像できるアカシックレコードとの交信者であったともいえる。我々が日々眺めているこの世というものはすべてE.T.がプログラムを作成したVR(バーチャル・リアリティ、仮想現実)である。我々はスーパー・マリオのキャラクターのごとくVRスクリーン上の登場人物であり、我々の脳はVRを現実であると認識するよう五感をプログラムされている。E.T.はマウス操作でスクリーン内に自由に関与でき、キャラクターに接触でき、バベルの塔を建造して壊したり、ノアの洪水をおこして殺戮したり、何トンもある石材を積み上げてピラミッドを造ったりの作業がマウスのドラッグとクリックで苦も無く行われた。ギザの大ピラミッドにおいて、底面の周長を高さの2倍で割ると円周率になり、底面積に対する側面積の比は黄金比であり、底面の1辺を 480 倍すると地球の1緯度の長さになるようにしたのは、人類が建築法、幾何学によっていつ発見できるか観察するためである。我々は水槽の熱帯魚のようにE.T.に観察され、保護されている。

アカシックレコードではないが、五千年前に書かれた文字と現実の自分が合っている(合一である)ことを教えてくれる不可思議な世界がある。インド仏教による『アガスティアの葉』(Nādi Astrology)だ。個人に関する予言が書かれているとされるヤシの葉の貝葉の写本の一種で、現代に生きる我々を含むすべての人間の誕生から死までが古代タミール語で書かれており、僧侶がそれを探し出して読んでくれる。本稿を書くに至ったのはその体験からだ。

『アガスティアの葉』がオカルトでないと言い切る自信はないが、今回の体験を経て、アカシックレコードはシミュレーション世界の全データベース(宇宙図書館)に相当し、アガスティアの葉はその個人パート(すべての人間の伝記)が書かれたものだろうという理解に僕は落ち着いた。

右手親指の指紋を送り、朝7時に南インドの仏教のお坊さんと通訳とZOOMで対面した。まず生年月日、時刻、血のつながった家族に関わるYes、Noの質問が延々とあり、両親の名前を言いあてられ、1時間ほど候補である葉っぱの束を探し、さらなる質問で絞り込んでいく。見つかった。1時間ほどかけて我が伝記が読まれた。持っている因果につき占星術的な背景があるが知識不足で理解できなかった。仏教は輪廻を説くから肉体でなく魂の過去なのだろうか僕はパキスタンの権力者の娘だった前世があるらしく、現世では人々に無償の施しを行い、人々の病気を防ぎ、人々の資産を増やし、大自然のなかにユートピアを作る使命を持って生まれてきているらしい(やけに重たい)。半信半疑であったが、性格、長所、短所、人生の転機の時期はほぼ完璧に当たっている(あてずっぽうでここまで当たるとは思えない)。次に人生の流れ、運気、病気とその年齢。これはわからない。ただ、決定的なのは、自分しか絶対知らない事実が出てきたことだ(それが五千年前に書いてあるなら僕はまさしくスマホ画面で踊っているゲームのキャラクターにすぎない)。「80億人分の葉っぱがあるんですか」と質問した。「探しても見つからない人がいます。東さんは開きに来ることも書いてあります」だった。

最後にご縁の話だ。アガスティアの葉については神山先生の診療室で鍼灸師の方から聞いたことがあり、おざなりに知ってはいたが、やってみようとなったのはいま始めようとしているビジネスのご縁が発端である。そうであればそれがうまくいくか否かを知りたくなったのだ。そのビジネスはまた別の、それも10年以上も前のまったく脈絡もないビジネスから出てきたもので縁が縁を招くという何らかの因果の結果である。このありがたい事実の意味深さをいまかみしめている。AIのラーニング機能のごとくそれは自己増殖してくれるようであり、ではご縁とは何なのか、縷々述べてきた宇宙の構造の理解とどう関わるのか、いまは書かないでおく。ここまで来るのに15年を要した。それが長かったか短かったかはこれから結論が出るだろう。

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「辞任はいたしません」の困ったちゃんたち

2025 JUL 29 0:00:15 am by 東 賢太郎

甲子園球場にて

誰だったか、甲子園球場の轟々たる “六甲おろし” を「自分の応援と思うことにしました」と涼しい顔で阪神を完封したピッチャーがいた。たいしたサムライだ。しかし1回表に3発の満塁ホームランを献上して12対0になり、暴動寸前の阪神ファンから怒涛の罵声を浴びているのに、涼しい顔でマウンドに居座る阪神のピッチャーがついに出現してしまった。

(マウンド)「おい、交代だ、早く降りろ」「監督、試合に空白をつくってはいけません」「うるさい、交代だ!」「監督、私は果たすべき責任を果たさなくてはいけません」「おい、気はたしかか」「南海トラフ地震が来るまで私はマウンドにいます」

(スタンド)おんどりゃー!はよ試合やらんかい!

(マウンド)「ここで宣告する。お前はクビだ」「マウンドで解雇はできません」「じゃベンチに戻れ」「戻っても無駄です。監督に解雇権限はありません」

(スタンド)おんどりゃー!どないなっとんや!はよ試合やらんかい!

(マウンド)「勘弁してくれ、俺までクビだ」「それは知りません。続投します」

(巨人ファン)阪神さんありがとう!ぜったいピッチャーかえるなよ!かえたらいかんぞ!9回まで続投してくれよ!

 

後楽園小学校にて

(教室)「わー、いやだよー、僕がドラえもんやりたいよー」「いっちゃん、あのね、学校劇の主役はね、PTAとクラスのみんなの投票できまるのよ」「いやだいやだ、僕はドラえもん役を4回も待ったんだ、まだまだやりたいよー」

(PTA)「ご覧になった、リハーサル?」「ええ、いっちゃんのドラえもんでしょう、ちょっとまずいんじゃないかしら、あれって」「いくら猫だっておにぎりの場面もねえホホホ」「そうですわね、セリフはねちねちだし顔も怖いって不評なのよねえ」「お客さん入らないと芸能が売りの我が校の受験生が減るわ」「そうね、ただでさえ新興の学校にごっそり取られちゃってんだから存亡の危機よね」

(教室)「いっちゃん、投票があったの。やっぱりドラえもんの役はね、今年から女の子のたっちゃんにやってもらおうってことになったのよ」「なんでだよー、ドラえもんは男だろ、おかしいだろー」「でもね、ほら、いまはジェンダーとかLGBTっていってね、そういうのもありじゃないかなって」「うるさい、石破内閣だって女は74人中4人しかいないんだぞー、なめんなよー、僕、ドラえもん、ぜったいやめないぞー」

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記憶に焼きつくことになった三連休の最終日

2025 JUL 22 9:09:42 am by 東 賢太郎

次女と近場でランチに出たが、陽ざしの強さはかつて住んだ香港なみだ。後で調べると都心の最高は34.3度だったようだが日本と思えない。食事しながら、彼女が幼稚園から小学校低学年までをすごしたヨーロッパでどこがよかったかの話になった。思えば実にあちこち家族旅行したものだ。覚えているのとそうでないのがあるようだが、少しでも記憶があれば大事な思い出だろうと思い地名とエピソードを伝える。するといまどきの情報収集速度で瞬時にググって「ここ?」と返ってくる。「そこだよ。お薦めだ、行ってごらん」。

僕は多分もう行かないが、子供たちはきっと行く。そこに立って何を想うだろう。その地に立って歴史をふりかえるのが趣味だが今はその地の未来を空想してる。これも大いなる楽しみだ。記憶の中でギリシャの島でもスイスのベルナー・オーバーラントでも瞬時に行ける。宗教画にある妖精、スピリットはこれの可視化だろうか、素晴らしい魂の自由さである。写真があるところもないところも親の話を聞いておかないと後悔する。僕は16年も日本におらずその機をだいぶ逸した。先日のクラス会でも、そんなことがあったのかという思いをずいぶんした。聞いておいてよかった。子供にはできる限り残してあげたいと思った。

次女については、親が言うのも変だが瞬発力と機動力はいっぱしで屋久杉も富士山登頂も軽々、英語はネイティブ、コロナの真っ最中にひとりフランスへ飛んで行ってケロッとMBAを取ってくる。あんまり苦労してる観はなく、そういう点で間違いなく親を凌駕している。こうなってほしいと枠にはめたこともないし勉強を教えたこともない。ピアノも弾くがジャンルは違うしそれでいい。自分もそう育ててもらってこうなったし、今や何の不足もなくて幸福であり、子供たちも三人三様の個性になった。それがなによりだ。全員に言っている。ほかに何も望むことはない。三人とも素晴らしい人生を生きてほしい。

夕刻に家を出て神宮球場にむかった。何年ぶりだろう。真夏のここで目撃したゲームというと、2017年、カープが8-3で負けている最終回に6点取ってひっくり返して9-8で勝った「七夕の悲劇」がある。まさかゲーム終了後にそれを思い出そうとは想像だにしなかったが、こういう結末になった。

三塁側ベンチとネット裏の間16列目で良い席だった。昨日カープは8-7で負けてる。今日も打つには打ったが期待の林が5回に放ったレフト中段への3ランがあってこそだ。結果としてだが、毎回の13安打で7四球もらった20出塁で6点という物足りなさは5回時点で予兆があり、特に、先発メンバーで肝心の5番が長打のない野間という完璧に意味不明な起用のせいであったのだ。林のホームランで、喜びも束の間「昨日も一発放ってる林がなんで5番じゃなかったんだ」と怒りがこみ上げ、三塁側スタンドの歓喜の大騒ぎの中で十分に酔っぱらっていた僕は「なんで5番が野間なんだバカヤロー」と昭和のファン並の罵声をベンチにかましていた。

ヤクルトは主力が不在中に若手が覚醒している。7回に中崎から1点取った伊藤、赤羽のヒットがそれだ。一方カープは記録には現れてないが1回の二遊間のゲッツー逃しの凡ミスで先発床田が29球を費やす羽目になり、山田にパームボールをツーランされて3点差となって6回97球で交代となったのが痛かった。久々に生で見たせいもあってヤクルト先発のランバートの152kmの速球は到底人間が打ち返せそうもないほど怖さと迫力を感じたが、打てん打てんと文句を言ってるカープの打者がそれを打つんだからやっぱりプロは凄い。

最終回。ハーンの154kmはド迫力だったが古賀、益田珠が難なくはじき返したのがリードに効いたんだろうか。打たれたのは中途半端な高めだから低めの154kmで押しまくれよと念じていたが、二死一三塁から赤羽への初球は甘めの変化球だった。それをレフトへすくい上げた大飛球。球はポール際で跳ね返りフェンス直撃かと思ったがファビアンは追わず何があったか見えなかった。審判の協議中、ポール近くのカープファンが帰りだしており、ビデオでもよくわからずたぶんポールに当たったんだろうと諦め、やっぱりサヨナラ3ランということで幕切れとなった。仕方ない、打った赤羽があっぱれだ。カープは林と、昨日凄まじいライナーのホームランを左中間に叩き込み、今日も2ベースを放ちショートで好捕をした二俣を激賞したい。二俣クン、きみは西武の監督だった秋山みたいになれる。頑張れよ。

6回に小園のタイムリーで6-1となった時点で楽勝ムードだった。油断大敵、勝って兜の緒を締めよだが、そのまま終わってたらこのゲームは数日で忘却の彼方に消えたに違いない。ありがとう、一生忘れない日がまたひとつ増えた。

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楽しかった久しぶりの東大クラス会

2025 JUL 19 7:07:13 am by 東 賢太郎

今年のクラス会、九段高校の方は日にちが合わず失礼してしまったが、我が硬式野球部は東東京大会で大健闘しており、ノーシードから勝ち上がって4回戦進出(ベスト16)だ。僕が入部した年が東西分離前でベスト32(第6シード校)だったから並んだ。準々決勝なら過去最高じゃないか、ここまで来れば甲子園行ってくれ。二松学舎、修徳、関東一、日大一、岩倉、堀越、日体荏原という我が世代の強豪校もノーシードであり、成立学園、日大一、日体荏原、明大中野、東京実、共栄学園、小山台は3回戦までに敗退した。九段より日大一高が先に負けるなど想像もできないが、いかに後輩たちが素晴らしいゲームをしているか!

先日あった東大のS50年LⅠⅡ9Bクラス会は出席できた。といってもぎりぎり直前に「出ます」と通知し、ちょっと遅れて会場である半蔵門のイタメシ屋に着いた。「久しぶり、10年以上来てないよなあ」と挨拶したら皆がそんなことないぞという。なにせみんなほぼ古希だ、どっちが正しいかわからん。「そうか?うーん、ごめん、覚えてない」で済んじまう。「あれからもう50年だぞ」「おお、そうか」と計算もできてない。

LⅠⅡってのは文Ⅰ、文Ⅱがいっしょ、9Bは第二外国語がドイツ語ってことだ。50名ぐらいで女子はゼロだからまるで男子校だ。50年まえ、駒場の教室のオリエンテーリングで初めて会ったあの日の面々。「ワクワクしたな、楽しかったな、いろいろあったな」で一気に盛り上がる。スピーチはひとり3分厳守と幹事から告知が為されたがものともせず倍ぐらいになった。「みんな、株持ってるか?持ってる人は手を挙げて」というと5,6人だ。「あのね、それじゃだめだよ、エヌビディア知ってるだろ、時価総額いくら?4兆ドル、600兆円だぜ、一企業で日本国のGDPとおんなじだよ、そういうのに乗っかってないと時代についてけないよ、ボケるよ!」。

まあ皆さん僕以外は日本国を代表するエリートである。総務省事務次官、石破内閣官房副長官兼内閣人事局長兼内閣感染症危機管理監の佐藤文俊くんをはじめ官界、法曹界・実業界のお歴々だ。でもみんな人間だから酔っぱらう。「8組は女子いたのにずるいよなあ」「ドイツ語わかんねえし」「俺、D、Dで危なかったよ」「そう、Mの授業つまんなかったよなあ」「Tの法学概論もな、起きてるのやっとでさ」「Oの英語のシェークスピアぐらいか、おもしろかったの」、まああとはあそこが悪いここが痛い、何の病気で手術しただの家族がどうしただの、この辺までは話題もそれなりである。

だんだん酔いが回る。「赤門前のパブリカンってスナック覚えてるか」「あったあった、俺、初カラオケだ」「そうだよ、東、お前そこで初めて歌った曲、覚えてるか?」「”柳が瀬ブルース” だろ」「違うよそれはあいつだ、お前は加山雄三の “君といつまでも” 」「凄いな、そんなの覚えてんのか」「ああ、新潟のスキーはどうだ。嫌な思い出だからお前たぶん忘れてるな」「新潟?」「そう、お前2日目にビビッて滑れなくなって大ショックでさ」「忘れてる、だって俺うまいと思ってるもん」「そうじゃないの、そういう時あったの」「そういやあ麻雀貢いだよな」「でもお前が勝つオカルト麻雀のあいつだけは俺の天敵なんだ」(爆笑)「雀荘は葵だが下宿でもやったな」「俺の下宿のトイレの洗面台でさ、『東さん、あの頭洗ってるかたどなたですか?』って大家に怒られるわけよ」「すまんすまん風呂入ってなくってさ」(爆笑)「そういやあ同人誌作ろうって女子誘ったよな」「うん1年の時ガリ版でね」「東、お前のペンネームは柚木健だ」「なんと!思い出した、その通りだ!」「お前と稲毛(高岡高校エース、188センチ)のキャッチボール凄かった、軽く投げてるお前のが速かった」「自分のタマは自分で見れん」「初ゴルフの大磯ロングビーチは?」「覚えてる。楽勝と思ったら一発もまっすぐ行かなかった」「お前がみずほの時も御殿場で回ったな」「そうだね、あれはみんなに悪かった。日曜日のラウンド中に出社命令が来て途中で帰るってなって」「あれがリーマンショックだったのか」。こういう記憶力の人たちと麻雀することはおすすめしない。

二次会はニューオータニ。11時半まで話は尽きず、めちゃくちゃ楽しかった。クラス会は半世紀前の自分の姿を映す鏡だ。幹事の佐藤くん、福岡くん、お疲れ様です、ありがとうございます。

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広島カープは打撃コーチを全員クビにしろ

2025 JUL 16 6:06:32 am by 東 賢太郎

きょう高校野球東東京大会3回戦で母校・九段が深川に1-0で完封勝ちして気を良くしていたら、夜に広島カープは横浜DeNAに1-0で完封負けだ。東に苦も無くひねられ7連敗。床田は8回1失点で負け投手?なんなんだそれは?

今年13度目の完封負け。16戦連続3得点以下(66年ぶり)の打線。屈辱を超え、球史に刻まれる歴史的貧打である。こんなもんがプロと言えるか。打撃コーチは全員クビにしろ!!

こんなクソ試合をカネを払って見に行く人がいるのかと不思議でしかないが、案の定、今年は4月からホームであるマツダスタジアムの3塁側内野席が驚くべきほどガラガラである。爆破予告で立ち入り禁止にでもなったかと見まごうほどだ。昔のパリーグの試合を思い出して一抹の郷愁すら覚えざるを得ない。日本国民は救いようのない物価高と重税に苦しんでいる。地元のファンだってつまらない貧打の負け試合を高い金を払って見たくはないだろう。

去年はオールスター明けの8月までは首位と戦力の割には好調だったが、9月に入ってクローザー栗林が崩れて衝撃の逆転負けを食らったことを契機に一気に元気が失せ、猛暑で疲労困憊していた投手陣が貧打を持ちこたえられなくなって崩壊。歴史的なつるべ落としの4位で終わった。それと同じものが今年は早くも7月半ばにやってきている観がある。頑張っている投手陣は気の毒でしかない。こんな激貧打線のチームで投げてみようなんてピッチャーは世界中の隅々まで探してもどこにもいない。投手は勝ちがつかないと年棒は上がらんし生涯記録にだって関わる。つまりエース級ほどFA流出があり得るから、九里に続いて森下、栗林なんか危ないね。

なんとなく、3月に書いた今年のプロ野球順位予想が当たってきてるんじゃないかと感じ、見てみるとセリーグは4,5位の広島と中日を入れ替えるとビンゴ状態に至っている。いや、0.5ゲーム差だから明日に広島が負けて中日が勝てばそうなっちまうのである。情けないが、戦力を冷静に考えるとあるべきところに寄っていく。そういうことだ。

カープの打者というのは球を引きつけられない。だから曲げられるとボールを追いかけてしまい、軸がブレたり腰砕けになったりで自分のスイングで振り切れない。だから追い込まれるとかろうじて当てて逃げるだけで長打など及びもつかない。ピッチャーというものはそれを見逃がし方で察する。このことは経験者は皆わかっている。ピクリとも動かず見逃されると、こいつこの辺に投げるとヤバいななんて勘が働いたりするからキャッチャーのサインは球種には従うがコースはそうしないこともある。ちなみに坂倉のリードは不満だ。阪神の坂本誠志郎に比べると何も考えてないとしか見えない。二日連続で佐藤輝に初打席本塁打を打たれた先日の阪神戦、どちらもインコースのベルトあたりの変化球であって、このバッターはそこが強くて思い切り引っ張れるのだ。2発目の大瀬良はコントロールが良いので坂倉の構えた通りにカットボールを投げて被弾しており投手の責任でない。坂本という捕手は攻めのリードで打者を翻弄できる強い性格と頭の良さ、インテリジェンスがある。とても嫌らしい、悔しいが実に良い捕手である。坂倉は打力と体の強さを考えれば良い選手だがそれがない。もっと勉強しろ。

阪神の打者は下位でも引きつけることができる。だからボール球にひっかからずしっかり見切れていて見逃し方に余裕がある。だから怖い。れっきとした証拠がある。セリーグの四球数ランキングの1位から6位は大山、近本、中野、佐藤輝、森下、坂本と阪神勢が独占であり、広島は30位まで見てもたったの4人しか入ってない。阪神の打者は怖く、広島のは怖くなく、追い込まれると嫌なので早打ちしてることもある。以前、ゲーム中のレポートによると打撃コーチが「甘い球は必ず来る。それを逃さず打っていってほしい」と言ったらしいが、そんなことは猿でもわかる。それで甘く見える大竹の球を打って凡打の山を築くと「気持ちよく打っちゃだめだ」と言ってる(らしい)。言ってる方が猿並みだ。そのうえに盗塁数は阪神72,広島41であり、本塁打は阪神49、広島37。そして防御率は阪神1.94、広島2.78だ。互角なのは打率だけ。要するに広島は当てるだけのスイングでちょこちょこ短打は出ており、数字上は一見張り合っているようには見えるが、阪神とは野球のクオリティとスケールが段違いなのである。これで勝つはずがないし、補強などで手を打たないのであれば、フロントはのっけから優勝する気などないことになる。

広島のドラ1は2020年の栗林以来、黒原、斎藤、常廣、佐々木と誰も戦力になっていない(阪神は佐藤輝、森下、井原が主力に定着している)。つまり選手の契約金の多寡ではない部分、すなわちスカウトの選択眼、コーチの指導力というあんまり金をかけなくてもよいところまで広島は阪神に劣っているのである。スカウティングは時の運もありドラ1だけが戦力になるわけでもないから広島が採った選手の質がトータルとして劣るとは思わないし、現にタナキクマルや鈴木誠也という攻撃力のある打者を採ったわけだ。ということは「採ってからの育成、コーチングの差」しか説明要因がないだろう。

今年は矢野の超美技がある反面エラーも目につくが、その理由として、去年、シーズン後に打力アップのためバットの振り込み練習を増やしたせいだと解説者が指摘していた。守備力はちゃんと落ちてるからその言葉は正しいのだろう。にもかかわらず、打力はなんらアップがない理由は何だ? 打撃コーチが無能なのだ、これしか合理的な説明はない。今やカープのお家芸と化した左打者の「当て逃げ打法」。こればかり目につく打線なんて12球団に広島しかない。速球に振り負ける、つまり、速い球が打てないからそれになるんだろう(まさに長打が打てない東出の得意技だった)。王貞治が長嶋茂雄との対談で語っている。「速い球が打てないと変化球も打てないんですよね。それを打つために荒川コーチのご自宅で日夜特訓していただき、日本刀を降って一本足打法に行きついたんです」。世界の王さえそこまで突き詰めざるを得なかった速球打ち。それをはじめから逃げてるカープの打法。この発想じゃあ何をやってもデカいことはできないよ、悪いけど。

当て逃げはレフトに短打は出てもホームランがないから相手投手は怖いはずもなく、自分のペースでいいように攻めてくる。つまり、相手投手が上から目線になれてしまい、広島はカモだと自信を持つ人が多々出てくる。だから広島の打者は精神的にも押されており四球を稼げない。見事にデータが証明している。当て逃げは当て逃げなりのタイミングで始動するから球は速くない大竹や大野に緩急で前後に揺さぶられると泳がされたりへっぴり腰になったりしてからっきし打てない。そしてたまに速球をズドンと決められるとそれはそれで打てない。何度対戦してもおんなじやられ方で凡フライと内野ゴロの山であり、さすがに普通の人間は学習能力というものがあるのだからカープの打者は飛ばない特殊なバットを使ってるのではないかと目の錯覚に陥ってしまうほどだ。かたや、どんな速球でも振り切ってきて、それでもスイングの軸がぶれず、したがって当たればでっかいホームランである阪神の森下、佐藤輝、大山の怖さは格別だ。

今年の広島は外人が比較的当たりで、ファビアンが打ったが、彼の調子が落ちると打線は忠実に打てなくなり連敗が始まった。モンテロはホームラン1本だが、打席で凄みがある。そのうち打つかもしれない無気味さがあるから日本人のひ弱さを中和してはいる。しかし、去年になかったそれがあっても打線としてはこのザマなのである。二軍から若手が上がってもこない。二俣、中村奨成、大森ぐらい。林と、そうそう、才能あるあの田村はどうなっちゃったんだ?巨人やロッテやソフトバンクを見ろよ、活きのいい若手がどんどん戦力になってるが、カープは潰してるとしか見えない。これが二軍コーチの責任でなくてなんだろう?悪いが、自分より才能や成績が格下なことが確実な人が先輩だったり肩書が偉かったり社長の信認があったりするなんて理由で組織の上司であっても、その人に本心から教わろうなんことは人間は思わないものである(僕は30余年の会社人生で技術を教わろうと思った上司は一人しかいない)。オーナーがサラリーマン原理でそういうコーチを長いこと置いているとしたら若手には墓場だ。

うらやましいのは日本ハムファイターズだ。ここのフロントはビジネスをよく知っている。広島とは見事に真逆のことをやっている。就任当時、新庄監督の評価というと玄人も素人もほぼ100%がボロカスであり、プロ野球ニュースではすべての解説者が馬鹿にして最下位予想をしていたものだ。初年度は戦力を見れば100敗しておかしくないと僕も考えていたが、同時に、想像する新庄という男の出来と野球眼に関してはそんなことは一切無視してこういうブログを書いた。

新庄ビッグボスはあなどれない | Sonar Members Club No.1

 

BIGBOSSはビジネススクールのケースになる | Sonar Members …

 

僕は野球は素人だがプロである経営者の直感で書いた。それが正しかったのではなく、自分の判断基準からすると新庄はどうしてもそう評価するしかない男だろうと思ったということだから今年の成績も驚きはない。彼は単なる型破りでも奇天烈好きでもいい兄貴分でもなく、勝つことに関心があるスナイパーであり、何も考えてない風をしているが選手の勘所を技術者として細かく見ており、その結果としての判断は情け容赦がない。本物のプロだ。日本一になったら来年は広島カープの監督やってください。

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スマホ時代は石器時代と裏腹だった

2025 JUL 14 1:01:46 am by 東 賢太郎

先週のことだ。新規の会社にアポがあり、HPで場所をざっと見て地下鉄に飛び乗った。行先は東銀座だ。そろそろだな。スマホを取り出して地図を確認だ。

参った。電池が切れとる!

スマホは便利だ。ということはそれがないと逆に石器時代になる。社名しかわからん。今どき都心に赤電話なんかない。だから事態を誰にも伝えようがない。時間はあと15分だ。絶体絶命。どうする???

考えても答えがない。歌舞伎座の先を左に曲がって大体あのへんだ、ええい、一か八か体当たりで探そう。歩いた。猛烈に暑い。ない。こりゃだめだ。すると交差点に地図のたて看板があった。でもだめだよ住所覚えてないんだから・・・

天は見捨ててなかった。地図に「築地警察署」なるものが書いてあるではないか!走って行ってとびこむ。受付の女性がびっくり。無理もない。汗だくなうえに冷や汗だから。若いお巡りさんが同情して地図を書いてくれた。ありがとう!

ミーティングは何事もなかったように始まった。40代の幹部が5人。こちらが3人。古希の俺がまじってる風景シュールだなと可笑しかったが、この会社、AI時代の旗手だ。だんだんそんなことは忘れて盛り上がった。投資していいかな。

電池切れボケ来てない?みんなそう思ったろうがそれはない。だって “秘密兵器” で寝てるからコロッと寝落ちして高校生みたいにパキっと目覚めてる。「体が変わってますよ、運動ですか?」。セラピストさんが不思議がるが全然してない。

「これ、アタマにも効くよ」。誰も信じないが自信ある。回転速い。この好調でボケは絶対ないね。ちなみにウチの猫もど~ぞと “秘密兵器” に乗せた。最初は逃げたけど先週からシロが自分で乗るようになっちゃった。どうだ!

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