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ラヴェル 左手のためのピアノ協奏曲ニ長調

2013 OCT 7 23:23:27 pm by 東 賢太郎

ラヴェルは協奏曲を2つだけ作った。ひとつは前回書いたト長調、もうひとつがこれであり、両方とも楽器はピアノだ。何故これが左手だけで弾くように書かれているかというと、第1次大戦で右手を失ったピアニスト、パウル・ヴィットゲンシュタインの依頼で作曲したからだ。ちなみにパウルは哲学者ルートヴィヒ・ヴィットゲンシュタインの兄だ。

左手だけであたかも両手で弾いているような効果を出すのだから演奏はすさまじく難しい。パウルは弾ききれずに楽譜を変更して演奏し、ラヴェルとついに不仲になった。アルフレッド・コルトーは両手で弾こうとして金輪際だめだと演奏を禁じられた。両手満足の奏者が誘惑にかられるのはわかる。ちなみに同じくパウルに依頼を受けたプロコフィエフは第4番の協奏曲を書いたが彼は弾かなかった。今でも人気作品とは言えない。無理難題をつきつけるラヴェルだって弾かれなくなるのだ、普通なら。困ったことに、しかし、この曲はそうなるにはあまりに魅力があり過ぎたのである。

ト長調協奏曲とこれは同時進行で書かれた双子である。一見して曲想は似てないが、渡米して強いインパクトを受けたジャズ、ブルースのエコーの存在、ト長調の左手の書法では近親性が感じられ、特にリリックな部分の味わいには共通する遺伝子を見る。次の譜例はその代表的な部分だ。僕はここが大好きだ。ト長調の第2楽章に通じる味があり、クープランの墓のフーガ、それからフォルレーヌの中間部にも似た味わいがある。この譜面はピアノ連弾用なので上段の独奏者の方を見てほしい。この部分、嬰へ長調がふっと影がさしたように嬰へ短調になるマジカルな瞬間だ。

ravel conc in D

この「ふっ」というニュアンスは、とてもフェミニンなものだ。楽譜の7小節目だ。この小節の頭からRall. (Rallentandoの略、徐々に遅くせよ)として、短調のa(ラ)が鳴る3連譜からはuna corda(弱音ペダルを踏め)と命じ、どんな感受性のない奏者でもそのニュアンスが出てしまうように巧妙に書かれている。その3連譜の真ん中のa から音程で10度(つまり白鍵で10個離れた)上に cis(ド#)がソプラノ・パートとして入る。こちらは2連譜。絶妙な効果である。a と4分音符の6分の1だけズレ(時間差)があるからこそ左手一本で弾けるわけで、制約条件のマイナスをプラスに転じる技の切れには嘆息するしかない。両手で弾きたい?馬鹿野郎!となるのも道理である。

落としたテンポはPiu lento になる。espressivo とわざわざあるが、ここからを感情をこめずに弾ける人はそう多くはないだろう。この部分の切なくも高貴な美しさは筆舌に尽くし難く、こんな音楽を書けた人はあとにも先にもラヴェルしかいない。凡俗の用語を適用するしかないが、とてもロマンティックである。しかし、それがラフマニノフのような身も世もない姿態にまで逸脱することのないよう、研ぎ澄まされた怜悧な理性がいつも背後から見張っているように感じる。この凛とした、おすましの姿勢と気品が僕にはたまらないのである。

これは全くの主観だが、ラヴェルの本質は女性的と感じられる。彼が生涯結婚せずに母と住んでいたからそう言うのではない。女性というものをよく理解していない僕が「的」というのも不正確だろうが、男性ではないフェミニンなものという意味で、やはりそうなのだ。彼の後ろで見張っている眼こそが男性だ。速度やらペダルやら音価やらをあれこれこまごまと書き記し、女性の本能が枠を逸脱しないように厳しく縛りつけているのが。ストラヴィンスキーが「スイスの時計職人」と評したラヴェルはその男性の方だ。そう言った張本人のスコアも時計職人なみの精密さだが、彼の中に女性は住んでいなかった。

ラヴェルがホモセクシャルであったという説は有力なようだ。ストラヴィンスキーと出来ていたという説すらある。「なき王女のためのパヴァーヌ」という、その名も女性的で甘美な初期ピアノ作品がある。彼はこれを気に入っていたと見え管弦楽に編曲までしているが、口では作品に対し辛口のコメントをしていた。彼の中にいる男性がしゃべった言葉だろう。これはやはりホモであったチャイコフスキーが大成功した自作の第5交響曲を失敗作と評したことを連想させる。よくラヴェル、ドビッシーと一括りに並べられるが、これは的外れである。なぜなら、ドビッシーは徹底して男だからだ。

ニ長調協奏曲は3部構成で第2部はバスーン独奏によるブルース風になる。ト長調が第2楽章に叙情を描いたのとは対照的だ。こちらは第1部の冒頭のチェロ、コントラバス、コントラファゴットの合奏による静かな混沌からのスタート、そして最強奏によるどこか人を食った曲の終結と、ラ・ヴァルス、ボレロを想起させるものがある。ラヴェルはピアノ協奏曲をモーツァルトの精神にのっとって書いたと言ったそうだが、それはト長調のことではないか。僕はモーツァルトよりはサン・サーンスを感じるが、イメージはブルー、青地である。一方のニ長調のほうはもっとダークだ。黒を感じる。黒地に金、銀をちりばめたようなイメージがある。だからリリックな部分を共通因子とはするものの、この2曲はやはり似て非なる音楽だろう。

そして和声だ。第3部カデンツァのおそるべき和声進行はダフニスとクロエ、夜のガスパールを経てラヴェルがたどり着いた頂点だ。知らずに聞いてこれを片手で弾いていると看破できる人はまずいないだろう。ここがこの協奏曲のエネルギーの頂点でもあり、ピアニストが膨大な数の音符をかき鳴らして聴衆に訴えるものは熱い。しかしそこで鳴っている和音は極北の冷たさを秘めているように聴こえる。ここにも僕は雪女の影を見てしまう。ではこの曲は嫌いか?とんでもない。ト長調と一緒に聴きたくはないが、気分、体調、天気によってどうしてもこっちという日がままある。甲乙がつくことはないだろう。

これを弾くピアニストを見るのはひとつのスペクタクルだ。それがたおやかな女性というこの演奏はなかなかいい。テンポはちょっと落とし気味だが曲への共感に満ちており、集中力をもってきちっと弾ききっているのに好感を覚える。熱演のあまり中指を切ってしまって血を流しているが、ものともしないピアニスト魂を讃えたい。

 

最後に、この曲においても挙げるべきリコメンデ―ションはこれだ。

                                               

サンソン・フランソワ / アンドレ・クリュイタンス / パリ音楽院管弦楽団

これはト長調にも増してフランソワの魔力が全開の演奏であり、これは彼のために書かれた曲かと思ってしまうしかない。第1部のピアノの登場は千両役者の威風であり、ちょ41DMZ7XMKFL (1)っとしたテンポルバートがこんなに決まってしまうと後続の者はみな物まねになってしまう。オケのフォルテはまったくもってフランスの音だ。ドイツみたいにオルガン的にまとまらずどこかザラザラしているが、これがここの乾いた曲想にぴったりだ。そして上記の譜例の部分のピアノモノローグの高貴なまでの格調の高さ。それを包み込むクリュイタンスのオケがこれまたラヴェルらしい音を出しており惹きこまれる。第2部のタッチの切れ味、オケとの掛け合いの遠近感やジャズを想起するラプソディックな経過句なども手の内に入りきっていて、フランソワがこの曲を愛奏したことがわかる。最後のカデンツァは白眉である。氷が熱を持ってくるような矛盾、錯綜した感覚をおぼえ、幻想の雲の中を泳ぐ観がある。

 

(補遺)さらにいくつか挙げておく。

 

フィリップ・アントルモン(pf) /  ピエール・ブーレーズ /  クリーブランド管弦楽団

zaP2_G7320501W硬質の肌触りで底光りするラヴェル。アントルモンはあまり感心したことがないがこの左手はブーレーズのペースでクリアで宝石のようなタッチでオケと見事に対峙している。カデンツァの技巧はまことに素晴らしい。オケはCBS時代のブーレーズそのものの音で、独特の色彩感と細かなニュアンスまで神経が届いている。その眼光がオケとピアニストに与えるテンションが伝わってくるというのはもう体験できない世界になってしまった。(補遺、16年1月30日)

 

アリシア・デ・ラローチャ / ローレンス・フォスター/ ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

51IOsSTKq4L__SS280ただ弾いたというのではない、音楽を自分のものとして完全に咀嚼し、最も音楽的な形で一筆書きのようにリアライズしたラローチャの高度な技術と解釈は並み居る名演奏のうちでも非常に印象に残る。終楽章の信じ難いほど素晴らしいカデンツァをぜひ聴いてみて欲しい。香港で聴いた彼女は小柄で手も小さそうであり、ここに刻まれている音は驚くしかない。フォスターの指揮は特にどうということはないが過不足ないサポートをしている。

(こちらへどうぞ)

 ラヴェル ピアノ協奏曲ト長調

 

Categories:______ブーレーズ, ______ラヴェル, クラシック音楽

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