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クラシック徒然草-リストの「エステ荘の噴水」をどう鑑賞するか-

2015 AUG 5 13:13:56 pm by 東 賢太郎

今年の3月24日に南極で過去最高の可能性がある気温17・5度が観測されたそうですが、こう毎日暑いと東京もいずれデスバレーみたいになるのではないかと心配になります。ところが気象庁の統計を調べると今年7月の最高気温の月平均(東京)は30.1度で、1877年に31.0度、1894年に31.6度、1842年に31.9度なんてのがあり2004年の33.1度が過去40年の最高ですから、特に今年が暑いわけでもないようですね。

5~6才のころでしょうか、多摩川は小田急線のガード下あたりにボート乗り場があって、暑い夏の日はみんな川へ入って泳いでたんです。岸で足だけばしゃばしゃではなくて、海で泳ぐみたいに足が底に届かないところまでドボンとつかって、泳ぐすぐ前をボートが横切ったりして。おおらかでした。思えば僕が生まれたのは終戦からたった10年後のことだったんだと、こういう風物詩をとおして実感したりします。

夏は家から海パンはいて浮き輪を持って。そうして夕方になって、夕涼みで浴衣を着て縁日で金魚すくいしてかき氷を食べて・・・と当時の思い出がいろいろよみがえってきます。耳をつんざくみんみん蝉(せみ)の声、線香花火のぱちぱちはじける音、蚊取り線香のにおいなんかにかぶさってくるのが涼やかな風鈴の音色です。

あのチロリンチロリンが涼しい。当時はバナナですら贅沢でしたが、ときどき親が奮発してくれた冷えたスイカがおいしかったこと。そうこうして多摩川花火大会があってこれを団地の屋上で席取りしてわくわくして眺めて、夏の甲子園が終わって、やがてツクツクボウシのオーシーツクツクとともに夏は去っていくのです。

僕は寒いより暑い方が好きです。だから夏至が過ぎていよいよ夏は盛りになるのに日は徐々に短くなっているのを感じると寂しくなります。しかし日本はまだいい方で、ヨーロッパのそれは寂しいを通りこして喪失感ですね。英国では夏がいつ来たのかわからないうちに終わった年もありましたし、秋は短くて10月には寒くなり、あの長くて暗い冬が一気にやってくるのだから夏はいくら暑かろうと陽光を楽しもうという気になります。

風鈴は酷暑に一幅の涼をそえて風物詩となす日本人の細やかな感性の象徴のようで、海外で見たことはありません。ではヨーロッパで涼しげなものは何かというと、噴水なんです。日本人からすると高波はあり滝があり台風がありと水しぶきが上がる光景は日常ですが、欧州にはありません。欧州で初めて北フランスのドービルで海水浴をしましたが波がないのがひどくもの足りなかった。地中海は湖面のようです。川もスイスなど一部を除くと滔々と流れる大河のイメージです。

古代より貿易はエーゲ海、地中海を舞台とし、パリ、ロンドン、ローマなど大都市は川辺にできて水運が軍事や経済の命脈を握り、ローマ帝国は上下水道を整備することで都市を近代化、文明化したように、水を支配した者が富と権力を持ちました。だから貴族の別荘や庭園には豪華な噴水が競って造られ、アートであると同時に水の支配力を誇示する権力の象徴ともなったのだろうと僕は想像しています。レスピーギが描いた数々のローマの噴水、ベルサイユ宮殿、シェーンブルン宮殿しかりです。

ヨーロッパに12年住んで各地をめぐるうちに僕は噴水の魔力にとりつかれましたが、それは自然を支配したいという男の願望には違いないと思います。しかし、それが野蛮な腕力による征服ではなく、数学と測量と工学で自然を制覇する知恵と技術によるものであった。ここが決定的に違うのです。秀吉が土嚢を積み上げて川を堰き止めて城を水攻めにした。これは大軍団を率いてマスの武力で敵を圧倒するよりもはるかに近代的な智による武力で革新的ですが、そういう発想の原型は2000年も前のローマにもっと見事にあった。

ローマの水道橋を見たときに感じるふしぎに整然とした美は、建造物としてみるなら石を切り出し、運び、磨き、積み上げという技術が生んだ美でしょう。しかし僕はあれを見ると神のように緻密で整然とした知力の美を感じます。受験で数学に苦労して、うんうんうなってある日突然ぱっと目の前に現れた美、あれに近い。僕がローマ史にぞくぞくした魅力を感じるのはまさにそこであり、次の人生はローマ人に生まれ変わってあそこのあの頃の空気を吸ってみたいものだとまで思わせる魔力がそこにあります。

噴水はその究極のパワーを象徴したトレードマークです。あれは単に「きれい」なものではない。智により自然を支配した者は神に一歩近い人間であり、その神性が権力を正当化するという、ヨーロッパの、キリスト教社会の、すべての人間の精神の根底を貫くパラダイムのシンボルでもある。卑俗なことを書いて女性には申しわけないですが、小便のとき男しかわからない戦いがあります。飛距離です。精神の根底というのはすべての本能的なものまで集約されます。

Bruxelles_Manneken_Pisジュネーヴのレマン湖にあるジェ ド ーは毎秒50 リットルの水を140mも噴 き上げることができる。ああいう発想は絶対に男のものですね。ブリュッセルの小便小僧(右)は世界3大がっかりといわれるが、それは女性的な眼でしょう。僕からするとこの身長にしてこの飛距離は立派で敬意を覚えるし、それを敵軍に向かって放って兵を鼓舞した幼王だったり爆弾の導火線を消した少年だったりと、いずれにしても英雄視しているのだから、そんなしょぼいものであっていいはずがないのであって、現に男性の眼にはしょぼくないのです。これも噴水の一種であって、パワーの象徴であり、神に一歩近い人間がその神性を発揮して自分たちを救ってくれた、少年の形をした神として市民に愛されているのです。

音楽に話をうつしましょう。歴史に残っている作曲家で王や支配者だった者はひとりもいません。ブルジョアであった者すらほとんどおらず、我々がクラシック音楽と呼んでいるものはひとえにプロレタリアートが生んだものであるといってほぼ間違いないでしょう。ことは絵画や彫刻や文学でもほぼすべてのアートにおいて同じであり、貴族や権力者はその消費者であった(余談になりますが、末端とはいえ貴族の娘が書いた源氏物語や枕草子はそういう意味でも世界史上に異彩を放つアートであり、日本文化の個性の原型を観ます)。

以上、縷々書きましたことを心にお留めいただいたうえで、プロレタリアートの子が噴水という権力の権化に接してどう思ったか?そこに何を感じ取り、どう音に描こうと思ったか。水しぶきのきらきらした輝きという表面的なものなのか、その裏にある支配、神性という含意なのか?それともまったく別なものなのか?

かような問いかけを皆さんにしたうえで、今回は私見を書かずに皆さんの耳と感性でその答えを考え、探してみていただきたいと思います。噴水を音にしてえがいた、僕の知る限り最初の音楽(少なくとも最初の名曲)である、フランツ・リストエステ荘の噴水( Les jeux d’eaux à la Villa d’Este)」です。ホルヘ・ボレの素晴らしい演奏です。

いかがでしょう?音楽というのは文化ですから、その生まれた土壌や背景の歴史を知っていた方がよろしいですね。そういう知識はこういうものをお読みいただけばいいでしょう。巡礼の年 – Wikipedia ただ、こうした知識はインフォメーションにすぎず、この曲が1883年に出版され、巡礼の年という4部作の一部であり、印象派の技法の祖となったという風なことは知っていた方がベターですが、知ったからといってこの曲を好きになれたり深く理解できたりするものではないのです。

僕は上述のような長々とした脈絡のなかでこの曲を聴いております。インテリジェンスというと気どって聞こえるので本意ではないのですが、それにあたる日本語がなく、英語でもそれ以外に適切な単語がないのでやっぱりインテリジェンスなんですが、そういう自分なりの理解や解釈という脈絡のようなものを持って音楽を聴くということは、クラシックという古典芸能の場合はとても大事だと思います。

僕はこの曲を聴くといつも、幼い日にもぐった多摩川の冷たい水、涼しげな風鈴、花火、過ぎゆく夏、ローマへの憧れ、神性、権力・・・などといったもの、まさに駄文を連ねてきた雑多なものごとが頭をかけめぐります。それはもちろん僕だけのものであって皆さんの誰のものでもありません。

だから皆さんお一人お一人にそういうものがあるはずなのです。そういう意識を持たれて聴き進めていくうちに、「ぱっと目の前に現れた美」というのに気づかれる日が必ずやってきます。それは時間をかけて追い求めるに値するものであると信じております。本稿がそういう一助になれば幸いです。

(続きはこちらをどうぞ)

ラヴェル「水の戯れ(Jeux d’eau)」

 

 

 

 

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