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モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503

2014 JAN 3 2:02:22 am by 東 賢太郎

<どうして25番なのか?>

モーツァルトのピアノ協奏曲の最初の稿を25番から始めるのは意味がある。

この曲は作曲の動機もわからず専門家の間でも評価が二分する。だが僕は大好きだ。堂々としたハ長調はジュピター交響曲の調であり、第1楽章の展開部では6声のポリフォニーがその終楽章を予感させる。弾むようなリズムが高揚したハレの気分のうちにどこか典礼風な格調を添え、雰囲気は「戴冠式ミサ曲」K.317の「クレド」に似ている(というより、そっくりだ)。明るいだけではなく、副主題はたいそう頻繁に短調に転じて微妙な綾と翳りを織りなしていく。

第2楽章は謎めいたロマンティックな表情をはらみ、これを書いたころのモーツァルトの心中にある秘匿された ”何ものか” を暗示する。第3楽章はオペラ「イドメネオ」のガヴォットの主題だがやはりどこか典礼の気分があり展開部の転調の見事さはドン・ジョバンニの世界を垣間見る。この終楽章が見事に演奏されたときの晴れやかな気分は替え難い喜びだ。ピアノ協奏曲の中で最もシンフォニックなのが25番である。

しかしそれだけならそこまで魅かれたりはしない。非常に不思議な曲なのだ。24番は明らかに不思議の衣装をまとっている。誰が聴いても不可解なほどに悲痛であり、モーツァルトの心を覆っていた何ものかは誤解しようがないほど如実にその姿を見せている。ところがこの25番はハレの衣装を着ている。だからその裾や胸元からちらりとのぞく「影」が漆黒の不気味さで聴き手に迫ってくるのだ。その影がなんだったのか、僕はとても知りたい。

Wolfgang-amadeus-mozart_1モーツァルトのピアノ協奏曲を初めて聴きはじめるなら普通まずは人気で横綱級の20番、23番、27番あたりから入るだろう。次いで9番、14番、17番、19番、21番、22番、 26番というところが大関、小結グループ。24番と25番は一般にはそのグループに位置するだろうが、僕はこの2曲を横綱に入れ、いやむしろその上に置いてもいいと考えている。

24番(ハ短調K.491)に「フィガロの結婚」(K.492)が続き、25番(ハ長調K.503)に交響曲第38番「プラハ」(K.504)が続くのも興味深い。この4つが作られたあたりがモーツァルトのウィーンでの人気がピークアウトしたころであり、フリーメーソンに深入りした時期であり、プラハで人気が上昇していくころである。ベートーベンがウィーンでモーツァルトに会ったのはこの2曲が書かれた翌年だ。つまり24番、25番は最新のピアノ協奏曲だった。24番がベートーベンの3番のモデルだったことは再三書いたが、25番はどうだろう?

 

<運命動機は25番から来た?>

僕は24番だけでなく25番も後輩に影響を刻印した、つまり、第5交響曲の運命動機はここから来たと信じている。下の楽譜は25番の第1楽章だ。赤枠にそれが明確に出てくる。ここだけではない、各所に タタタターンが現れる。この音型がパッセージの一部やカデンツァとして現れる例はいろいろな作品で枚挙にいとまがないだろう。しかしここでのように、あたかも何か宗教儀式の合図でもあるかのように、それだけが裸で意味深長に鳴る例は知らない。この赤枠部分が僕に想起させるのは魔笛にでてくるザラストロの神殿の秘教的な雰囲気だ。それがフリーメーソンと関係あるかどうかはわからないが、そうであっても不思議ではない。

運命動機は第1楽章でも第2楽章でも支配的である。前者の展開部などそれの嵐といってもいい。最初の「タ」を2つに割ったタタタンタンタンというリズムは第1楽章トランペットの合いの手のパンパカパンパンパンや第3楽章に現れ、それは同じハ長調のジュピター交響曲に特徴的なリズムである(第4楽章のエンディングを想起されたい。25番のそれも同じだ)。ジュピターにもやはりある祝典的な雰囲気は25番と無縁でない。ジュピターも運命も25番も、冒頭に短いが強力な「リズム動機」を弦楽器群が叩きつけて開始するのは同じである。そして、それは魔笛の序曲においてもまた同じなのである。25番モーツァルト

 

 

 

 

 

 

そして青枠の部分を見ていただきたい。西洋人の学者にはこれがラ・マルセイエーズに似ていると説く人がいるが、そんな後世にできた曲のことは関係ない。僕は違う。このハ短調の調べが想起させるのはパパゲーノである。どの歌に似ているというよりも雰囲気、長調と短調の頻繁な交代などがピッタリなのだ。このメロディが彼の歌としてそのまま魔笛に出てきて何の違和感もない。そしてご覧のように運命動機からできている。ベートーベンが魔笛を好んでいたことは以前に書いた通りである。

 

<ベートーベンは25番を聴いた?>

この協奏曲はウィーンでモーツァルトの独奏によって演奏されたが、それは1787年4月7日のことである。16歳のベートーベンがボンからウィーンに着いた日付はわかっていないが音楽学者バリー・クーパーによると「4月初め」とされる。彼はボンのパトロンにモーツァルトの後継者になるべく送り出されたのである。その演奏会に間に合うように着いた可能性も大いにあるし、その後に会った時にその憧れの大先輩の最新作の協奏曲が若者の視野に入らなかったというのは考えにくいだろう。

そんなに簡単に他人の作品が影響してしまうものなのだろうか?格好の例がある。ベートーベンがまさにその第5交響曲を作曲していた頃のスケッチ帳にはモーツァルトの40番の交響曲からのパッセージが書かれている。5番の第3楽章の主題は40番の最終楽章の主題にそっくりなのにお気づきだろうか。偶然似てしまったのでは断じてなく、彼は素材としてそれのスケッチを創作ノートに書き出し、あれこれトランスフォームを試みた結果としてあの第3楽章を書いたはずだ。その同じ5番の冒頭動機が、思い出の25番のもっと単純であからさまな動機から来ていないと証明するのは、きっと何人にも困難ではないだろうか。

<フリーメーソンと短調作品とフィガロ>

モーツァルトはそのウィーンで1784年2月28歳にして初めて自作の「作品目録」を書きだした。記載の第1号はピアノ協奏曲第14番であり、その年に彼はそのジャンルで 14-19番の6曲を作曲して、もちろん自分で弾いた。2月26日から4月11日までの45日間には25回も弾いた。今なら超売れっ子のシンガーソングライターだ。そして返す刀で翌年にかけ、前々年より手がけてきた渾身の力作である弦楽四重奏曲14-19番(いわゆる「ハイドンセット」)を完成させる。

フリーメーソン彼がフリーメイソンのメンバーになったのはこの年の12月だ。右の絵はその集会風景で、右端の人物がモーツァルトとされている。フリーメーソンは貴族・学者・医師・富裕市民がこぞって入会していた結社で、そのウィーン支部は啓蒙主義的君主であった皇帝ヨーゼフ2世が庇護していた。やがてフランス革命の精神となる「自由、平等、博愛」をかかげ身分ではなく自己の修練による向上をめざす。できあがってしまっていた宗教ヒエラルキーの下層階級に生まれたモーツァルトは、天賦の才をもってしてもそれを打破はできないフラストレーションに苛まれていた。だから彼にとってその新しい教義は大変都合がよく、魅せられたものと思われる。

1785年(29歳)にはピアノ協奏曲20-22番が生まれる。異例のニ短調である20番(K.466)に先立つ作品が、ハイドンセットの締めくくりの一作であり異様な不協和音の序奏部を持つ弦楽四重奏曲第19番(K.465)なのはきわめて暗示的だ。前年よりこの年にかけてピアノソナタ第14番、幻想曲、フリーメーソンのための葬送音楽という3つのハ短調作品、そしてピアノ四重奏曲 第1番 ト短調短調作品が続出し、それが翌年のピアノ協奏曲第24番ハ短調(K.491)という傑作に結実するのである。

その1786年(30歳)には23-25番のピアノ協奏曲が書かれているわけだが、24番と25番の間に完成されたのがオペラ「フィガロの結婚」であった。そしてこのオペラこそモーツァルトの人気に致命傷を加えることになる。彼がこれを書く契機はフリーメーソンを通じてふきこまれた革命前のパリの熱い空気だったことは疑いない。これを大ヒットさせて、革命はともかくも既存のヒエラルキーをひっくり返してやろうぐらいのことは充分考えるエネルギーと人気を彼は持っていたと僕は思う。

僕は長らくフィガロの底抜けの明るさと24番の底なしの暗さが隣の作品番号で並んでいる異様さを説明することができないでいた。それを説明した書物に出会ったこともない。フリーメーソンという通奏低音が底流にあったのではないか。24番はメーソンの儀式の気分を反映しており、フィガロは思想を反映していると考えれば矛盾は解ける。そして25番は、24番の兄弟分として、やはりメーソンの儀式の気分を色濃く漂わせている。ザラストロの神殿の情景はそうして生まれているのではないかと考えると、僕なりにとても腑に落ちるのである。

フリーメーソンがそこまで影響したと結論するためにはもう少し説明が要るだろう。モーツァルトがウィーンでどんな動機によって行動していたかという点が理解されなければならない。その動機については確たる証拠文献はない。だから手紙という入手できる中では最も信頼できるファーストハンドの文献から推察するしかない。以下は、それの僕なりの解釈である。

 

<フィガロを ”やっちまった” 経緯>

1781年(25歳)5月9日にモーツァルトはザルツブルグ大司教と大口論となり、今流にいえばワンマン社長と大喧嘩して辞表を叩きつけた。当然ながら即刻クビになり、大司教の侍従に足蹴を食らわされて追い出された。サラリーマンには向いていない男だったのだ。逆にサラリーマン人生をまっとうし、息子にもそれを期待していた父レオポルドは激怒し、悲しみ、やがて勘当同然の扱いをするにいたる。この「脱藩騒動」はモーツァルトの人生の汚点、消し難いトラウマになった。この野郎、今に見てろよという復讐心がめらめらと燃え立った。

そこから3年間、彼は怒涛の勢いで仕事をする。そして彼の人生の分岐点となる1784年がやってくる。もちろん勢いの原動力は脱藩のトラウマだ。望外の評判と報酬を得ることに成功した28歳が書き始めた「作品目録」は都会で築いた3年間の実績への自信のあかしである。2LDKぐらいで新婚生活をスタートした若夫婦が都心の豪邸に引っ越して貴族なみの消費生活をするまでになった。フィガロの結婚がそこで書かれたのでフィガロハウスと呼ばれるようになるその住居でハイドンセットが書かれ、そこにそれを献呈した大家ハイドン様と親父殿を呼びつけてそれを演奏する。破竹の勢いの彼は皇帝ヨーゼフ2世の目に留まり、ウィーン宮廷に雇われる。

image10ヨーゼフ2世(右)はマリア・テレジアの長男だ。王でありながら「民衆王」「皇帝革命家」と呼ばれた啓蒙主義者でもあり、だからフリーメーソンを庇護した。特権階級であり、いわばハプスブルグ株式会社の重役連中であったウィーンの貴族、富裕層が、へたすると従業員組合みたいになりかねないメーソンにこぞって参加したというのが僕にはどうも腑に落ちなかった。組合員が結集してオーナー社長を解任してしまったフランスはメーソンの標語でもある「自由、平等、博愛」が国旗にまでなったが、ハプスブルグ株式会社ではオーナー家は第1次世界大戦まで健在だったことは言うまでもない。

元来は保守的であるはずの貴族、富裕層がフリーメーソンに急速になびいたのは新社長ヨーゼフ2世の顔色うかがいにすぎなかったというのが僕の仮説である。そうとは知らない得意絶頂のモーツァルトが親父もハイドンまでもメーソンに引き入れたのが分岐点の翌年1785年だ。あの社長についていけば大丈夫と。その年1月に彼はメーソンの第2位階に昇進、4月には第3位階「親方(マイスター)」に飛び級のような昇進をしている。そこで彼はメーソンのための厳粛な気分の音楽を書く。その気分が「短調作品の続出」の背景として投影されており、自由・平等・博愛の統治下では貴族の顔色を気にせず書きたいものを書いたという結果だと思う。

しかし社長の権限にも限度はあるものだ。オーナー会長の母マリア・テレジアはまだ代表権を持っておりかつて強引に謁見してきたザルツブルグ子会社の従業員にすぎない親父レオポルドを嫌っていた。だから会長子飼いの宮廷役人は、田舎出で生え抜き社員でない息子アマデウスにハナから「いじめモード」だった。前任者の半分以下の給料とダンス音楽作曲などの些末な仕事しか与えなかったことでそれがわかる。そこでモーツァルトの反骨精神は大爆発を迎える。「この野郎、今に見てろよ」が再度めらめらと燃え上がった。悪いことに、いつやるの?今でしょ!という台本が出てきてしまった。フランスの劇作家ボーマルシェの「狂おしき1日、あるいはフィガロの結婚」なる戯曲である。

この芝居は①「セビリアの理髪師」②「フィガロの結婚」③「罪の母」という3部作でフランス革命前夜のパリで大ヒットしており、後にロッシーニがオペラ化して有名になる①をイタリア人のジョヴァンニ・パイジエッロがオペラ化するとまたたく間にヨーロッパ中で人気をさらった。いわば60年代のビートルズみたいなものだった。その1782年のウィーン上演は武道館ライブだ。モーツァルトは手紙に記していないが見た可能性は高いのではないか。現にそのCDを聴いてみて驚いたが、序曲からしてモーツァルトの「フィガロの結婚」はパイジエッロの「セビリアの理髪師」に大変に似た雰囲気を持っている。これだ、これならいける!と勇気づけられたのではないか。

しかしウィーンはパリよりずっと保守的だった。ウィーン革命などハナから起きる余地もなかった。ウィーンでも②の戯曲の上演をという要請があったが皇帝は「体制批判、革命促進につながる」として禁じた。その状況を充分に踏まえていたにもかかわらず、モーツァルトは脚本家ダ・ポンテと一緒に②のオペラ化を進めてしまったのである。”やっちまった” わけだ。何のため?このオペラに散りばめられた珠玉のナンバーの数々を聴けば「音楽のため」と答えざるを得ない。しかし、それでも僕は「この野郎!」が動機であったと結論したい

確たる理由はない。僕自身が “やっちまって” いる。完全な自己都合、要は勝手に部長だった会社を辞めている。移った先も日本の大企業だからお金のためではない。そしてそこも役員で辞めさせていただいている。サラリーマンには向いていない男だった。そんな経験のある人はあまりいないから僕はそれをわかりあう友達がいない。そうしたらそこにモーツァルトがいたのだ。自分の失敗経験からの直感としか申し上げようがないが、僕はこのフィガロ前後の話になるとつい他人事でなくなって「そうだ、やったれやったれ!」と応援団の気持ちになるのである。モーツァルトに半端でない共感と愛情が湧き出てきてしまう。

「この野郎」の「野郎」には、彼を足蹴にした大司教や貴族ども、性根の曲がった宮廷の小役人ども、そして小役人にとりいってドイツ人排斥を画策するイタリア人楽師どもが入っていたに違いない。彼のミラノでの就職を邪魔していじめたマリア・テレジアも入っていたかもしれない。しかし「今に見てろ」でギャフンと言わせるのは美しい音楽によるしかないのだ。だから彼は皇帝じきじきに依頼されて仕方なくフィガロ作曲を一時中断して書いたオペラ「劇場支配人」には力をセーブまでして、フィガロに渾身の剛速球を投じたのである。

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音楽は愛された。しかしウィーンの「なんちゃって啓蒙派」である保守貴族たちにとってオペラの筋書きはあまりに不快だった。なにせ、部下の女房に手を出そうとする社長に、あろうことか社長夫人の手によりセクハラ宣告の鉄槌が下される間抜けな話である。笑いものになる社長こそ「この野郎」どもなのだ。ざまーみろ。文句あっか?この音楽の人気、見てみんかい。モーツァルトはドヤ顔だったろう。そしてこの瞬間に、彼のコンサートのお客のほとんどでもあった貴族と富裕層は彼を見限って、彼を切り捨てていくのである。

 

<147年も演奏されなかった25番>

25番は “やっちまった” 後に書かれた最初のピアノ協奏曲である。この協奏曲がウィーンで最後にモーツァルトの独奏によって演奏されたのは1787年4月7日のことである。そして、アルトゥーロ・シュナーベルが1934年に弾いたのがその次だった。なんということだろうか。ウィーンでは147年も演奏されなかったということだ。ピアノ協奏曲はシンガーソングライターの「持ち歌」だ。シンガーの人気がなければヒットはしないのだ。いかに彼の人気が凋落したか、象徴的な数字ではないか。

それは仕方ないが、そのあおりを食って忘れられてしまうには25番はあまりに良い曲であり重要な曲だ。それを黙って見ているわけにはいかない、そう思ったことが本稿になっている。ひとりでも25番の良さを発見して愛聴してくれる人が出れば幸甚に思う。楽典や歴史の細かいことはどうでもいい。モーツァルトの音楽は誰の耳にも、どんな初心者の耳にも楽しいものだと信じる。難しいことはまったくない。難しいことをいう必要もない。一生の楽しみを約束してくれる宝の山だとお約束する。

以下、CDをご紹介するが、毎度のことだが僕の好きなものの列挙にすぎない。音楽評論家はそれに序列をつけて飯を食っているが音楽というのは基本好き好きだ。大事なのは曲の方であり、その良さを伝えてくれればどこの誰の演奏でもいいというのが僕のスタンスだ。

まず、現在入手可能なものから挙げる。

イヴァン・モラヴェッツ / ヨゼフ・ヴラッハ / チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

mzi.fnagjfbd.170x170-75                                   14番、23番も入っており、いずれも名演である。これがi-tuneにあるのはこれから聴く人にとって福音だ。25番のトップクラスの演奏であり、まだ40代のチェコの名手モラヴェッツの水を得た魚のような生気あふれるピアノが実にいい。それに加えてヴラッハの指揮するチェコフィルがモーツァルトにぴったりの覇気で伴奏しており胸が躍る。これを聴けば誰でも25番が好きになるだろう。1200円はお安い投資だと思う。

 

ミンキュン・チョー/ ドミトリ・ヤブロンスキー/ モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

チョー韓国人女性ピアニストのチョーさん。全く知らない。まだ若いジュリアード卒?いや、そんなことはどうでもよい。実にすばらしい。デビュー盤は普通ショパンやリストでしょ。モーツァルト、しかも25番を選ぶなんてあなたただ者じゃない。あなたがどうしてこれを弾きたいか聴いていてわかる。それはどうして僕がこれを聴きたいかと合致する。だから最近25番を聴きたい時はまずこれだ。ベートーベンの3番もいいですね。i-tuneで1500円。一人でも多くの人にお聴きいただきたい。

(補遺、3月23日) チョーのPC25番、聴きかえしました。出だしのオケが重くて鈍くてダサいのが、ピアノが入ると、あまりに素晴らしい音に触発されたんでしょう、ちょっとはましな音になるのです。しかし、オケがどうあろうとミンキュン・チョー(Minkyung Cho)のピアノは最高、モーツァルトの魅力のかたまりです。ここに書いたどのCDよりいい。うそだと思うでしょうが断言します。リリー・クラウスの再来とまでいいたい。しかしこのピアニスト、youtubeにもない。他に録音も見当たらない。どうなってるんだろう?これだけモーツァルトが弾けるのは才能としか思えないんで、指が回って音のきれいな人なんか掃いて捨てるほどいますが、こういう心のひだにピタリと寄りそってモーツァルトを作曲につき動かしたリビドー(Libido)をこっちのハートにぶちこんでくるのは稀有なのです。ベートーベンじゃない、彼女はモーツァルトでしょう。凄いことだ、モーツァルトがピッタリなピアニストなんて!これ、教えたってたぶん無理ですし、教えられる先生もいないだろうし、その証拠にほかに世界を見渡したってどこにいるでしょう?彼女に大変に興味があります。25番についてお話ししてみたい。コンサートがあるなら何万円払っても僕は行きますよ。誰も知らない人が一番なんて、気でも狂ったかというのが日本です。モーツァルトと言えば猫も杓子もハスキルだクラウスだギーゼキングだなんて、そろそろやめませんか。クラシックは「する」ものである、というシリーズを書きましたが僕は根っから「する者」ですから、聴くだけの通が空気読んで通らしい趣味を装うみたいなことはのっけからナンセンスと思っています。ミンキュン・チョーが有名かどうかなんてどうでもいいことで、それがベストだと宣言して僕がどう思われるなんてこともまったく無意味で、意味があるのはただ一つ、僕が25番を弾けるのだったら彼女のように弾きたい、やっとそういうのに出会えたということのみです。

 

内田光子 / ジェフリー・テイト / イギリス室内管弦楽団

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大変シンフォニックなオーケストラ伴奏にのって内田さんが繰り広げる繊細でのびやかなピアノ演奏は文句なく最高レベルである。ソナタ全集も欧米を席巻した名演で、日本からこれだけのモーツァルト弾きが出たことを誇りに思う。テイトは最近聞かないが彼のモーツァルトも一級品であり、16, 24,26,27番も収録されておりこの2枚組CDがi-tuneで 1500円というのはクオリティに比して非常に安い。

 

クリスチャン・ツァハリス / デイビッド・ジンマン / バイエルン放送交響楽団

5099909464322ドイツのオケが伴奏。 弦や木管に独特の深みある音色が聴け、まろやかなツァハリスのピアノと良くブレンドする。メサイアのアレンジを聴くとこういう味わいがモーツァルトの求めたオケかなとも思う。ツァハリスのピアノも磨き抜かれた音色に流れるようなフレージング、細やかなニュアンスが聴けてとてもよい。i-tuneにあり。

 

レオン・フライシャー / ジョージ・セル/ クリーブランド管弦楽団

046僕が最も好きなもののひとつ。フライシャーのピアノの上手さ!これがもう驚異的レベルである。テクニックのことをいっているのではない。それだってその辺のピアニストの及ぶ世界ではないが、その上にある音楽性ときたら脱帽するしかない。オーケストラの合奏力は神技の領域であり、オケとピアノの「語法」が完全に一致している。オケの一楽器のように鳴っているということであり、セルはブラームスの2番変ロ長調を「交響曲」といったが、この25番もまぎれもなく「プラハ」に先行する交響曲なのだという主張が聞こえる。第2楽章のロマンも秀逸。きれいにそろったオケと美音勝負のピアノというのが最近のモーツァルトの定番だが、そんなものとはもう別次元の演奏である。

 

ルドルフ・ゼルキン / ジョージ・セル / クリーブランド管弦楽団

9.80250これもセルである。55年録音のモノラルだが音はまったく遜色ない。ゼルキンはフライシャーのようにオケと一体化するのではなく拮抗しながらライブのような白熱の演奏をくり広げる。第2楽章はさらにロマンティックである。全盛期のゼルキンのピアノの素晴らしさ!セルの指揮はフライシャー盤と同じコンセプトでやはり驚異的にうまいが乗りまくるゼルキンにのせられてプレイヤーの反応もより自発的であり、オケ全体として彫りが深い。音楽に立体感がありめったにない名演に出会ったという胸がおどる気持ちで一気に聴いてしまう。セルは冷たいという人がいるがこれを聴いてみてほしい。i-tuneで1200円で買える。

 

ダニエル・バレンボイム(指揮・ピアノ) /  イギリス室内管弦楽団

zaP2_G7082018W彼は何度か録音しているがこれは74年のEMI盤だ。以上の演奏に比べてやや精度は落ちるが弾き振りの若きバレンボイムの勢いがオケに伝播してスケールの大きい雄大な演奏をしている。それが第1楽章などベートーベンのような大きい音楽になっているのがいい。彼はこれより前に25番をクレンペラーと録音していて、クレンペラーがこの曲を選んだというのも実に意味深いが、このEMI盤はその延長にあるかと思わせる雄大な演奏である。

 

エリック・ハイドシェック / アンドレ・ヴァンデルノート / パリ音楽院管弦楽団

ハイドシェック25                                    前回書いたもの。廃盤のCDで申し訳ないがいずれの復活を祈る。好きな方は中古を探し出してでも聴く価値あり。僕は大学時代にこれで曲を覚えた。これのお陰でいきなり曲の良さがわかったのはラッキーだった。センス満点のピアノは即興性にあふれモーツァルトにぴったりである。そしてパリ音楽院のオケの木管の美しいこと! 必ず25番に惚れるでしょう。

(補遺、2月15日~)

アリシア・デ・ラローチャ / ゲオルグ・ショルティ / ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

MI0002965855モーツァルトのすべての音楽に隠された純度の高い宝石のような美質にひたすら奉仕するピアノ。祝典的な味は薄く、本稿に書いたような意味あいより17番や19番の世界にふさわしいユニークな25番。77年録音だが英国以外で発売されなかった。惜しむらくはシヨルティの指揮が凡庸で霊感に乏しいことだ。彼の最初のベートーベン交響曲全集のコンセプトでピアニストの指向するものと符合しない。

 

モーツァルト 交響曲第38番ニ長調 「プラハ」K.504

 

ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

モーツァルトの父親であるということ

「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

 

 

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