Sonar Members Club No.1

since September 2012

テツラフ・カルテットを堪能(ベートーベン弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132)

2014 OCT 8 1:01:57 am by 東 賢太郎

紀尾井ホールにて。現代屈指の実力派であるドイツのヴァイオリニストのクリスティアン・テツラフ、チェロに妹のターニャ(ドイツ・カンマーフィル首席)、第2ヴァイオリンにエリーザベト・クッフェラート(バンベルク響元コンマス)、ヴィオラにハンナ・ヴァインマイスター(チューリヒ歌劇場管コンマス)という豪華カルテットである。もちろん常設団体でないからやるときでないと聴けない。どうしても聴いてみたかった。彼らへの興味、そして大好きなベートーベンの15番がプログラムにあったので。

まずモーツァルトのハイドンセットから第15番ニ短調K.421だ。面白い。この曲は隣りの部屋でお産をしているコンスタンツェの悲鳴を聞きながら書いたという説がある。初めは俗説と思って無視していたが、この音がそれに比定されているのかな、モーツァルトの潜在意識にあったかなというフレーズはあるようにだんだん思えてきた。しかしこの演奏はそういうこととは無縁な純音楽的アプローチだ。

波打つような抑揚、深い呼吸で音楽に立体感があり音に透明感がある。第1楽章提示部の終わりの部分、第2VnとVaの細かい同音三連符は、僕の好みだが、もう少し音をスタッカート気味に粒だたせて弾いてほしかったが(フィガロにつながる天才的な音なんだから・・・)。終始気に入ったわけではないが、終ってみて良いものを聴いたなと体が満足しているのに気づいた。いつでもそうなるわけではない。

次はびっくりした。イェルク・ヴィトマン(1973~)の弦楽四重奏曲第3番「狩りの四重奏曲」だ。弦から出るありとあらゆる特殊奏法音、キーキー、ギーギー、ピーピー、ガリガリ、ゴリゴリ、パチパチというノイズと奏者のかけ声、弓を振る風の音を駆使して狩りを活写したリズミックで快速の曲だ。きれいな楽音はほとんどない。それで音楽になるのだから驚きだ。音楽ってなんだろう?少々考え方に変革を迫られる強烈な体験であった。

最後のベートーベンの第15番イ短調作品132が今日の目当てだ。この曲の第3楽章「リディア旋法による、病が癒えた者の神に対する感謝の歌」はベートーベンが書いた最も崇高な音楽の一つとして有名だが、そればかりではない。第1楽章も深遠だ。このチェロの開始こそバルトークの弦チェレ冒頭に結実したと僕は思っているし、第2Vnによる第2主題はブラームスに展開部はシューマンにこだましている。

難聴の精神的危機を乗り越えたベートーベンは弟の死、最後の失恋、腸カタルなど再度、再々度の危機に直面し、第9、最後の3つのピアノソナタ、ミサ・ソレムニスを完成した。その後、ピアノ、管弦楽ではなく依頼されたカルテットによる作曲に集中した彼は、最後にたどり着いた晩秋の透明な境地を無心にスコアに書きつけた。その澄んだ青空のごときものを含んだ作品群が12番以降の後期の四重奏曲である。

その5曲に思うことは、明確な旋律、和声、リズムはもはや彼の主眼にないことである。多楽章形式、対位法、フーガを採用し、美しい音楽ではなく心の真実の吐露を委ねた。ロマン派への一里塚となったと同時に主題は抽象化の度合いを高め、ブラームスを経て新ウィーン楽派、バルトークへの水脈も用意した。15番は4楽章で着想されたが腸カタルにより作曲が中断、3か月での回復の喜びと感謝をこめる意味でモルト・アダージョ~アンダンテ(第3楽章)が加えられた。5曲のうちでは旋律が明確なものに属する。

この15番はまぎれもなく過去聴いた最高のものだった。ターニャのチェロ(1776年グァダニーニ)の音は究極の美音といえ、同質の音であるヴィオラと完璧に一体化して2丁のヴァイオリンの織りなす音の綾にからみ、第1楽章の音のタペストリーの陰影が4人のソリストによって立体感をもって提示される。こんな上質の音楽はめったに聴けるものではない。

ノンヴィヴラートで調和する第3楽章アダージョは神秘的に美しいばかりでなく、未曾有の求心力で会場を包み込み息をのむばかり。本来は第9の終楽章だった第5楽章は堅固な構築感と推進力でもって堂々と閉じられる。感服。アンコールはハイドンのト短調作品20の3からメヌエットであった。

こういう見事なカルテットは音楽の王道だ。聴衆は音や旋律の美しさに酔うわけではない、4人の奏者の「気」に引きこまれ彼らの発するオーラに打たれるのだ。ひとりでは出ないが100人もいる必要もない。ぎりぎりに切り詰めた必要十分なアンサンブルこそ最も心を揺さぶることを今日教わった。

 

(補遺、16年2月7日)

15番の好きな録音としてまずこれだ。

カペー四重奏団 ( Capet Quartet )

312このフランスの名カルテットのベートーベンは傾聴している。一点の曇りもない明晰なアプローチで1928年(昭和3年)録音とはとうてい信じられない。ブラームスが自作のカルテットの演奏を聴いて「フランス人がいい、ドイツ人の演奏は重すぎる」と評したとピエール・モントゥーが述懐している(このフランス人とはモントゥー自身のことだが)。これはあくまで趣味の問題ではあるが、ベートーベン演奏においても僕は事大主義的に深刻で重くないtransperentなアプローチが好きだ。

 

イタリア四重奏団 (Quartetto Italiano)

4988005885135こちらのアンサンブルの透明度もすばらしい。この四重奏団の演奏はモーツァルトも全曲あって、得も言えぬ流れの良さが魅力だ。個々の奏者の完成度というよりも合わせ、合奏の熟成に重きがあって近年はあまり聞かないタイプとなってしまったが、弦楽四重奏の面白さは元来がこういうものだと思う。これだけ力まずごつごつもせず流れるベートーベンも希少で第3楽章も深遠というより不思議な温かみがある。この見事な弦の調和は簡易なPCではだめでオーディオ装置とそれなりのスピーカーで味わいたい。

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルト 弦楽四重奏曲集 「ハイドン・セット」

シューマン弦楽四重奏曲第3番イ長調作品41-3

バルトーク 弦楽四重奏曲集

 

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

Categories:______ベートーベン, ______モーツァルト, クラシック音楽

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊