大阪で野村證券豊中明生寮を探す
2015 JUN 9 0:00:26 am by 東 賢太郎
大阪で仕事がありました。少し合間に時間があったので、新人時代に2年半入っていた社員寮である豊中明生寮に行ってみようと思い立ちました。
ここ、実はSMCメンバーのHarry Saito氏が卒業後の僕の消息を聞いてわざわざ訪ねてきてくれ、寮のおばさんにアメリカへ行ってもういないといわれたそうな。感謝です。そんな話も聞いたので一度来たいと思っておりました。
張本人のほうは1981年に転勤して以来一度も来てませんから34年ぶりです。梅田から毎日乗っていた阪急宝塚線の特急で北上。淀川を渡って停車した十三駅は変わってませんね。途中の車窓の景色もなつかしい。
豊中駅はすっかり変わっていますが、改札を出てすぐのところにいつも屋台のラーメン屋が出ていて遅い時はよく食べてました。
駅から寮まではたしか15分ぐらい歩きました。方角だけはだいたい覚えてますが、なにせ目に見える店もビルも家もすっかり建てかわっていて、見覚えのあるものは何一つありません。駅を1,2分離れるともう自信がなくなりました。
江戸時代の古地図をたよりに史跡後を探りあてる感じです。豊中高校のとなりだったのでスマホを見ればいいのですが、自分の記憶を試してみようと思って直感の言うがままに歩いてみました。
いくら街並みが変わってもそのままなのは道の曲がり具合と高低差だとブラタモリでやってたので、V字の分かれ道や勾配でちょっと特徴のあった箇所をイメージしながらここかなというところを歩いてみました。
しかし、ない。坂を上り、本町をしばらく進みましたが見当たりません。そうしたら小雨がぱらついてきて、こりゃまずい、駅へ戻ろうと弱気になって歩きだした矢先、バス通りの看板の地図を見ると上野西という区画が目に入りました。
何か聞き覚えがある。
それは駅と遠ざかる方向でもと来た方にバックするのですが、ここまで来て撤退するのもなんだと思いそっちへ足を向けました。
そうしてついに豊中高校を発見。ところが、その隣だった寮の場所へ行ってみるとそこはもう高校の敷地になっていて跡形もありません。ほんとうに「史跡」になってしまったのです。残念でした。
このシリーズに書いた数々の事件、あれはここの時代に起きたことなのですが・・・。
どうして証券会社に入ったの?(その1)
ちなみにこれ、(その9)まで書きましたが実はまだ終わりでなく、続きます。さて、正門の在ったのは写真左の垣根のあたりでしたが、その前にに立ち尽くしているとごみ収集車が迫ってきて、危ないですよとどかされてしまいました。
若かりし頃、ここを毎朝6時半ごろ出て歩いた道をたどることに。駅の方向はわかるのでもう道なりです。すると、さっき迷い込んであきらめた本町をぬけるではないですか。ああやっぱり本能的に正しく来てたんだと納得。
住宅街の路地だから微妙に左右にカーブがあるのですが、ああこれだったという感じです。記憶の奥底に34年眠っていた何かがスパークします。
すると豊中稲荷が現れます。ありがたきかな、お参りしないわけにはいきません。梅田支店は僕の仕事のルーツであり、人生を変える素晴らしい人や出来事にたくさんめぐりあった地です。もう一度それがあるように、参拝をいたしました。
また阪急で梅田へ戻ります。この行程が僕の毎日の通勤路だった。そう計算したつもりはないのですが、これも体に染みついた記憶だったんでしょうか、新阪急ホテルロビーでの次の待ち合わせにちょうどいい時刻に着きました。
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東 賢太郎
6/10/2015 | 1:49 PM Permalink
83年5月でしたか、ではもうアメリカへ行って一年近いですよ。人事部こそいい加減で遠いところをすみませんでした。ヨーロッパはどこですか、仕事の合間に楽しんでください。
東 賢太郎
6/11/2015 | 1:56 PM Permalink
我が家はCasa Mendelssohn(Bad Soden)から車で10分ぐらい登ったKoenigsteinに住んでいました。お城とBad(温泉)がありオットー・クレンペラーが一時療養で滞在していた保養地でもあります。その隣町の高級住宅地Bad Homburgには立派なカジノもありますよ。Schlosshotel Kronbergはヴィルヘルム2世所有だった宮殿風のホテルでゴルフ場がついてます(よくやりました)。ここは食事するだけでも価値があり、おすすめです。これらFrankfurtとWiesbadenの間に位置するTaunus山麓は「ドイツの奥座敷」です。でもアメリカのスーパーリッチみたいにケバくないんです。街並みを見るだけでも文化というものがよくわかりますよ。