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ネット民をなめたエンブレム問題(全面改訂済み)

2015 SEP 4 2:02:20 am by 東 賢太郎

武藤事務総長の会見をそのまま書き出してみよう(カッコ内)。

1等と発表した佐野氏の原案が、「IOCの通常の手続き」(世界中の商標登録のチェック)にかけられた結果、「似たようなロゴがある」となり、「このままでは適当ではない、何らかの対処をすべきである」となった。そこで修正案を作ることにし、それを組織委員会がチェックし、さらに最終案にした。

これが発生した事実である(「似たようなロゴ」とはヤン・チヒョルト氏の作品であった)。まとめて書くと、

似た作品がある

②このままでは適当ではない

③何か対処すべきである

という3つの重要な判断を組織委員会が行った。そこで委員会が行った行為は、

④修正案を作る

⑤それを組織委員会がチェック

⑥最終案ができた

だったと述べておられる。

復習しよう。現在、リネージュ劇場のロゴ のデザイナーが訴訟すると問題になり、取り下げが決定されたのは⑥の最終案である。佐野氏のほかの作品がパクリ疑惑を持たれたり、事務所の行為とはいえ一部はそうだったと自ら認めたために、その最終案もリネージュのパクリだったのではないかという世論が沸騰し、ネットが大炎上し、佐野氏と両委員会はその疑惑を否定しているというものである。

しかし、まずご注目いただきたいのは、原案に対して組織委員会が下した②このままでは適当ではないという判断である。組織委員会はこの時点で何か対処すべきである行動を迫られるほど「適当ではないもの」を原案に見つけたという重大な事実があるのである。

それは何だろうか。武藤氏はこう言っている。

「リエージュのロゴとはコンセプトも違うし、まあもちろん仔細に見れば似ている所もあるんですけれども、似てない所もたくさんあり、全く違うものであるということもお話しし、この点については、わたくしはご理解を得たという風に思っております。」

非常に不思議なのだが、組織委員会はなぜこれと同じ説明を原案にはしなかったのだろうか?どうして原案がアウト最終案はセーフになると判断したのか?という疑問が出てくるだろう。

推理してみよう。

武藤氏は、

A. 「コンセプトが違い」

かつ

B. 「似てない所もたくさんある」

なら 「全く違うものである」

という判定根拠を述べている。最終案はAとBを同時に満たすからセーフなのだと。ということは、ロジックを反転させれば、原案はAまたはBを欠いている、もしくは、AもBも欠いている、のでアウトとせざるを得なかったということになる。

組織委員会はチェックの結果、原案にはヤン・チヒョルト氏の作品という似た作品があるとしてBを欠いていることを自ら認めているのである。似てない所はあまりないということだ。

しかし、「似た作品がある」と言われても「似てない所もたくさんある」と強弁することは可能だ。「たくさん」は主観であるからであり、現に、リネージュの「模倣だ(似ている)」という訴求に対して武藤氏はそう言っている。

であれば、原案のケースでもそれで押しきることはできたのではないだろうか?たまたま似てしまうこと(他人の空似)はこの世界では日常茶飯事だ。しかしよく見てください、違うところだってたくさんあるでしょ、でよかったのではないか?

そうできなかった理由は、最終案において、「コンセプトが違えば別な作品と見るのだ」と懸命に説明していることでわかる。コンセプトが一緒、ということは「他人の空似」ではなく、蓋然性では説明不能、すなわち、故意のある模倣と判定されるからである。

そして、原案においては、「コンセプトが違うでしょ」とは言い切れない、つまり「チヒョルト氏の作品のパクリだ」と指摘されたら逃げようがないと判断した、だから②このままでは適当ではない③何か対処すべきであるという火急の判断に至ったのだと考えると筋道がきれいに通るのである。

つまり、両委員会は、佐野氏の原案はパクリである(少なくとも、そう指摘されたら有効に抗弁はできない)と認めていたということになる

そうなるとさらに不思議なことがある。④修正案を作るという指示を組織委員会が佐野氏にしたことだ。

カンニングしたかもしれない(少なくとも、しただろうと指摘されたら守りきれない)と試験官が思った受験生に追試など受けさせるだろうか?このコンペは形ばかりで最初からコネで佐野氏ありきだったという指摘があるとも聞いたが、それはこの不思議を解くひとつの仮説にはなりえそうである。

僕の見方はこうだ。

「組織委員会は専門家ではない」と武藤氏は弁明している。だから専門家集団であると思われる選定委員会に従った。そしてその判断を裏書きしたらババをつかんでしまった。

そこまでは、お役所仕事によくある話だ。

そこで事前チェックに不備がありましたと国民にお詫びして選考委員長の首を切り、佐野氏の1位を速やかに取り消して審査のやり直しを粛々とやれば、佐野氏の境遇は変わらなかったかもしれないが組織委員会がこんなに叩かれ、国家の不手際を世界に晒すことはまずなかった。

明記しよう。佐野氏は「原案」で1等賞を取ったのであって、我々が目にしている修正案(最終案)によってではない。選定委員は原案に投票した。そうしたら実は他人のそっくりさんだった。まずいので「キミ、すこし直して」と指示し、パクリとは言われようのない違うコンセプトの作品に仕上げた。だから、「コンセプトが違えばパクリでないのだ」と選定委員は主張しているのだ

ということはどういうことか?原案とチヒョルト作品は同じコンセプトなのだ。最終案はチヒョルト作品とは違うコンセプトに生まれ変わったのだ。ということは最終案は原案ともコンセプトが違うはずである。つまり、佐野氏は「別な作品」(第2作)を新たに作ったのであり、それがまたまた偶然に1等を取ってしまったということになるのである。

ところがそれならば問題が2つある。その1。このコンテストの審査はブラインド(作者名を伏せて)行われたとされる。ところが佐野氏の第2作は審査委員が作者名を知っている状態で選んだということになるのである。これは他の100余名の応募者に不公平な手続きであり、機会不均等な審査を行った手続き論の瑕疵が問題にされるべきである。

その2。⑤それを組織委員会がチェックしたと武藤氏は言っているが、このチェックは、「IOCの通常の手続き」(世界中の商標登録のチェック)のことだ。ところが今度はリネージュ劇場のロゴ のデザイナーにパクリだと訴えられてしまった。そんな杜撰なチェックなどやってないに等しいのであって、⑤の責任者は世が世なら即刻打ち首である。こういう問題が起きた時、証券会社なら真っ先にコンプライアンス担当役員の首が飛ぶのであるが、そんなのは下賤の民間の話でお上ではお目こぼしになるのだろうか。

「1位と2位は大差があったんです」と武藤氏は言うが、そんな問題ではないのは自明のことだ。彼の頭は大丈夫なんだろうか?驚くべきことに作品の出来ばえとコンプライアンスリスクを完全に混同しており、トップがその程度の意識だからこういう惨事がおきるのだということを露呈してしまっている。選考委員を任命した者の責任も大いにあるということだ。

選ぶ前に商標登録のチェックを行うことは普通しないとも言っている。誰がそんなことを決めたのか?普通がどうかはしらないが、それがこの事件の発端となったのだから手落ち以外の何ものでもない。それを認めたくないので修正させたのだろうか。それならそれで、リスクを回避しようと修正をしたら今度は別な作品に「似ている所もあるんですけれども・・・」という代物ができてしまいさらに墓穴を掘ってしまったという、日本国として世界に恥ずかしい間抜けな事例ということだ。

ネットの誹謗中傷に耐えられないという佐野氏もご家族もとんだ災難だが、いくらアーティストとはいえこの人はコンプラ意識もワキも甘すぎで、グローバルなビジネス常識もセンスも大きく欠落していると思われる。ネットに何かを発信するということは、有益なこともたくさんあるが、常にリスクにさらされもする。いまどき、それを知りませんでしたはないだろう。サファリパークにはライオンがいるのだ。自分で車から降りてライオンに襲われたからといって、ライオンを批判してもあまり同情はされないだろう。

今の世の中、ネット民の検索力、ネットの集合知のパワーをなめてはいけない。STAP論文のコピペ問題で天下に知れわたったことだ。パクリはすべからく、すぐバレるのである。ネット上の私刑だなんだと被害者ぶって騒いだところで憲法の保障する言論の自由である。いやなら中国みたいに国がGoogleを締め出せばいい。それができないなら、ライオンは否が応でも生息する時代になったという前提で生きるしかない。

「天網恢恢疎にして漏らさず」は改めた方がいい。「密にして漏れえず」なのである。

日本の公官庁、役人、政治家のITリテラシーは、はっきり言うが堂々の世界最低レベルである。英語ができないことと高い相関性があり、GDP100位以下の後進国なみだ。従ってITを駆使した事象のリスク耐性もかように極めて低い。それどころか、危機を想定すらしていなかったというお粗末さは福島原発における東電と同じ責任があると言える。こういう問題で政治家だってライオンに食い殺されるリスクは常にあるという事実を指摘しておきたい。

それを見て「自由な発想がしにくくなる」だなど言うアート界の方も見当違いが甚だしい。先人の作品を乗り越えるところにのみアートの発展は在る。ネット社会という新しい環境になれば、その環境を所与の条件として発展は続く。それに乗れない人は、単にアーティストとして脱落者になって消えていくだけのことである。

 

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