Sonar Members Club No.1

月別: 2017年4月

カンブルラン/読響の「青ひげ公の城」

2017 APR 16 0:00:24 am by 東 賢太郎

指揮=シルヴァン・カンブルラン
ユディット=イリス・フェルミリオン(メゾ・ソプラノ)
青ひげ公=バリント・ザボ(バス)

メシアン:忘れられた捧げもの
ドビュッシー:「聖セバスティアンの殉教」交響的断章
バルトーク:歌劇「青ひげ公の城」作品11

最高のプログラムでした。これが東京で聴けるというのは有難い。東京芸術劇場は改修前に通ったことがあり、どうなったか気になってました。好き好きですが前の方だとやや音が残響とかぶるかなという感じ。ただ倍音が乗って音圧は結構来ますから東京のホールとしては上の部類です。

バルトークがよかった。おどろおどろしいオペラですが、それを前面にに出さずオーケストラの多彩な色彩感と透明なテクスチュアで7つの部屋の情景の裏にある恐ろしさ、不気味さをうっすらと醸し出すというアプローチ。宝石の部屋と涙の湖の部屋でそれが効いておりました。歌手も好演。ハンガリー人のザボによる青髭は安定感があり、フェルミリオンはモーツァルト歌いのようですがいい味を出してました。欧州の一流どころの歌手でこの曲を聴けるのは至福です。

ドビッシーのこれはオペラ仕立てでは聞けないのだろうからこの編曲しかチャンスがないのでしょう。しかし全盛期のインスピレーションはいまひとつ感じません。メシアンは三位一体教会のオルガニストになったころ彼の和声語法は基本的な好みとしては変わらなかったことがわかります。シルヴァン・カンブルランは現代のメシアン演奏第一人者ですね。11月の歌劇「アッシジの聖フランチェスコ」は今から楽しみしています。

 

 

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カープは黄金時代へ向かう

2017 APR 14 18:18:04 pm by 東 賢太郎

昨日の巨人戦はカープの強さをまざまざと見せました。初回にいきなり4点取ったはいいがすぐ逆転され、2番手の高木が全く打てず5回 2/3を19人がノーヒットと完全に火が消えます。最終回はカミネロという160km出る守護神が出てきて、1点差でしたが今日はさすがに負けたなと思ってました。先頭の代打で出てきた松山はまだ今シーズン無安打です。

それが初球を弾丸ライナーでライトスタンドにぶちこんでしまう。しびれました。それで我に返ったように打ちまくってこの回一気に怒涛の7点。去年1本も打ってない石原までホームランが出てしまう。神ってるとしか言いようなしです。これで2位巨人に3タテ食らわして開幕10連勝だ。

50年カープを見てますがこんなに強いのは初めて。V9の巨人なみだ。悪いけどもう巨人打線は阿部と坂本以外は役者の格が違う、6点差がついて最終回の締めの投手は今村なんか出すのもったいないのにとどめを差して岡本を三球三振。完膚なきまでにたたきのめしました。

チームの輪がありますね。「松山が打ってなくて苦労してたのを見てましたから。嬉しいです」と丸がインタビューで言ってましたが、人が打ったのあれだけ喜ぶ。全員が「つなぐ意識で打ちました」という。優勝の蜜の味を覚えたんでしょう、誰が打とうが点が入ればいい、投手は打って守って助ければいい。すると投手はのびのび投げて完封だ。そうすれば勝ってまた優勝だ。甲子園の強豪校のチーム状態ですね。

想像ですが、黒田というヤンキースのエースがいて投手は最高の技術を学んだ。菊池はメジャーのスカウトが世界一の2塁手と言ってる。そのチームでレギュラー張れるんだから俺もそうさとだんだんみんな思い込んできてますね。顔つきが敵を見おろしてますよ。巨人?あっそう、でっ、て感じね。これ、うれしいですねえ。3年前のドームなんて、エルドレッドのホームラン以外で点が入る気もしなかったからね。

ふつうそこまで肝が据わって見おろせるのは重鎮のベテランなんですね、まあ巨人の阿部とか阪神の福留とかですね、それならわかる。それがカープは新井以外は全部若僧ですから。しかもマエケンが出て行ってもうメジャーへ行くなんて言ってるのはいない。そりゃまとまるわけです。体がピークにある若手が技術があって上から目線なんだから、強いに決まってます。

カープのスカウティングは優秀です。日本人も外人も。主力の菊池、丸、田中、鈴木、阿部、松山、甲子園沸かせたのはひとりもいない。投手は今村、福井、堂林が優勝投手だけどカープではエースになってないですね。超高校級に飛びつかず伸びしろを見て育てる。成長株探しでこれは僕の本業そのものだ。すっ高値つかんで大損切なんて一番みっともないという感性がぴったりです。

4菊池、8丸、6田中、9鈴木、5安部、3松山はあと5年は盤石だろう。7に堂林?5は失格、3には弱い、まあ元ピッチャーだし7だろう、でも下水流もいるしね、それでだめなら終わりですな、かわいそうだが。問題は2ですが會澤がブレークしてくれれば5年は優勝できるでしょう。

投手は黒田ロスを全く感じない、これは驚きです。ジョンソン、野村、九里、大瀬良、岡田、加藤、床田で先発7枚(福井もいるがもう忘れた)。スペアの薮田、ヘーゲンスは唯一弱みの中継ぎに回す。中崎が去年より4,5km球が遅くて威力もないのが心配ながら今村がいいタマ投げてるんで、ジャクソンとブレイシアで回せるか。打線が5点とればほぼ勝てそうな布陣ですね。

最後に新井です。阪神へ出て行って、ぼろぼろでした。代打用員がいいとこで人生終わった人だった。黒田と一緒にカープに帰ってきたが若手になめられてました。それが若手よりきつい練習を粛々とこなして体いじめまくって大復活を遂げた。おじさんの星という悲愴感まったくなし。40なのにまだ二十代みたい。そのおじさん風の吹かなさがいいんですね。若手が自然になじんで新井さん目線で敵を見れてる、だからそういうことがおきるし、黒田が抜けても柱が折れた感じがないんだと思います。新井の功績は絶大、敬意を表します。

 

 

信じがたいものを見てしまった7月7日

 

 

 

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モーツァルト都市伝説

2017 APR 13 13:13:09 pm by 東 賢太郎

モーツァルトが三大交響曲を生前に演奏した確実な記録はなく、しかしされなかったと断定する根拠もない。一般に、なかったという不存在証明は困難とされ、だから犯罪の立件は被疑者が自らやってないと証明するのでなく、やったという客観的証拠を必要とするのである。彼の音楽は人を惹きつける、ゆえに、存在証明がないが不存在証明もないという理由で多くの「都市伝説」を生んでいる。サリエリによる暗殺説が、絶対になかったと証明できない安全地帯において大輪の花を咲かせてしまうのである。

モーツァルトは父との手紙の頻繁なやり取りで作品の作曲時期、動機、演奏時期などに信頼性の高い存在証明が豊富な作曲家であり、そのためウィーンに出てきてから1787年までは種々の推論が比較的容易といえる。ところがその年に父が亡くなって手紙は途絶え、存在証明が一気に枯渇するのである。そこから死ぬまでの4年間にまつわるモーツァルト・ストーリーは、論拠が状況証拠という脆弱さから完全に自由なものはひとつもない。

彼の人生はシンプルに言えば「フィガロ」を初演した1786年までが上り坂、それ以降が下り坂である。幸福度と作品の質をY軸としX軸を年次とする二本のグラフを作れば、そこまでの順相関が急に逆相関になる。そして質のグラフが頂点となる「魔笛」の直後に若死にして幸福度のグラフはゼロに着地するさまは異様ですらある。ところがその原因を探る論拠である存在証明はほぼ幸福度のピークから激減するのであり、そこまできれいに見えていた映画に急にモザイクを入れられた様相を呈するのである。

このパラドックスは、簡単に見える難しい代数の問題の如しだ。最後の4年の謎を解く鍵がない以上、万人が不存在の論拠を何らかで補完している。例えば88年から始まるプフベルク書簡で借金を嘆願しているから彼は貧乏だったと推論するわけだ。

しかしその年に始まったトルコ戦争の戦費調達でハプスブルグが乱発したグルデンという紙幣は金や外貨との交換価値が大幅に下落した。グルデンは1785年の紙幣発行許可で発行された7種類の札があるウィーン市銀行券である。銀兌換券であったが銀の金への交換比率は銀の生産量増加とメキシコ銀貨の流入で下がっていた。それを輪転機で刷りまくったのだからインフレになるのは自明であり、その通貨で借金するのはむしろ賢明である。

彼はフィガロハウスに住んだ幸福度ピーク時の消費生活は終生変えられなかったが出費は多額でも多くはグルデン紙幣建てだ。それをグルデンの借入れで回せばインフレ禍は避けられ、資産は現物(動産)で持てば紙幣建ての価値は暴騰する。共産時代のソ連ではマルボロのほうが紙幣より信用があった。僕が訪問したインフレ300%時代のブラジルでは小金持ちは小型トラックをインフレヘッジのため争って買っていた。これと似た「二重経済」状態が当時のウィーンでは発生していたのである。

彼が高級家具、銀器、高級な衣装、馬車、ビリヤード台などを所有していたのはハプスブルグ域外で交換価値があり、従ってローカルな戦時インフレへの耐性がある動産に換えて資産保有するという二重経済下での合理的な行動である。15回も借金に応じたプフベルクはフリーメーソンの「兄弟」でロッジの会計係をしていた富裕な織物商で、貿易用のハードカレンシー(マリア・テレジア銀貨=タラー銀貨)の銀含有率に対し国内決済用のクロイツァー貨(=1/60グルデン)のそれが戦費調達で着々と減っているのを当然知っていた。

父の遺産の競売で相続した千グルデンは姉のナンネルにプフベルクに送れと指示しており、彼によって一任勘定で運用されていたとすると辻褄が合う。プフベルクは預託資産を担保に金を貸すことができる。しかも借金の礼としてピアノ三重奏曲K542、ディベルティメントK563(下に音のサンプルあり)を書いてもらっており、持っていても大幅減価が確定のグルデンを高いうちに貸して恩を売り、仮に返済されなくても価値ある楽曲という動産に替えた(買った)ことになるという計算が成り立っ。プフベルクはモーツァルトの音楽を愛したメーソンの「兄弟」ではあったが、特別に寛大ないい人であったと解釈するいわれはない。

モーツァルトはケチで細かく金に厳しいウルトラ現実派の父親との長年にわたる演奏旅行で、そこに為替差益と金融収益が生まれることを少年時代から実学で学んでいた人だ。貴族や出版社からグルデン紙幣で代金前借りや低利の借金を重ねて負債によりバランスシートを膨らませ、海外に演奏旅行してハードカレンシーを稼ぎそれを動産に替えて資産形成するメカニズムは完璧に理解していた。作品目録を作ったのは自作の盗用に対抗するという著作権なき時代の資産防衛という側面もあろう。財産形成と管理に関して非常に執着のあるしっかり者であった。

プフベルク書簡の借金嘆願の文面はたしかに痛々しいが、担保金融とはいえ借金には違いない。それはグルデン建ての生活資金(運転資金)を回すのに動産やハードカレンシーを取り崩さないための短期負債でインフレ防衛策でもあり、その利得を熟知していながら飲んでくれる(貸し手は損)プフベルクに頭を下げるのは当然のことだ。1790年のフランクフルト旅行費用を「5%の金利」で富豪ラッケンバッヒャーからの千グルデン(約1千万円)の借金でまかなっているが、これがタラー銀貨建てであった記録が残っているのは注目だ。

グルデン(クロイツァー)は外国である当地で通用しないか交換レートの大幅割引になったからそれは当然に必要だった。しかし当時のウィーンの市中金利は預金4%、貸出5%である。年収を25%も上回る額のタラー建て借入がその5%で得られたのは銀食器の担保力だけでなくプフベルクの信用供与があった可能性を示唆する。預託資産という絶対の担保力がありながら書いた「痛々しい手紙」はプフベルクが融資斡旋をする場面で債務者の窮状を説明するプレゼンの道具立てだったと考える。

彼はプフベルクから受けた1415フローリン(=グルデン)の借金を返済せずに死んだが、父の遺産千帝国グルデンは紙幣でなく銀貨であり利子を入れてほぼ同額だからプフベルクに損はなく、だから未亡人コンスタンツェを助ける融資までできたのである。しかもモーツァルトはクラリネット奏者のシュタードラーに500グルデンの債権が未回収で残っていた。借金嘆願は彼に資産がなく貧乏だったからでも何でもないのである。

「モーツァルトの最後の4年の謎を解く鍵がない以上、万人が不存在の論拠を何らかで補完している」と書いたが、経済や為替の市場原理に疎い人が「不存在の論拠」を誤った所に見出し「彼は貧乏だった」と推論する。そしてそれが面白おかしいモーツァルト都市伝説の巨大なジャングルを育ててしまうのである。そのほとんどは腑に落ちない。音楽の天才だからお金に疎かったというならブラジルで小型トラックを買った賢明な主婦を浪費家と呼ばなくてはならないだろう。

金融で生きてきた僕の目で見てモーツァルトの金銭感覚は鋭敏で合理的だった。彼が唯一見誤ったのは、ロンドンへ楽旅をしてポンドという最強のハードカレンシーを得ることの甚大な経済的マグニチュードだ。ロンドンでハイドンは宮仕え30年分を上回る報酬をもらい、帰国して大邸宅を建てた。彼の対抗馬で弟子でもあったプレイエルはストラスブールに帰るとお城を買い、パリに出て後にショパンが愛用することになるプレイエルピアノ製造会社を起業するのである。

 

(ご参考)プフベルクが書いてもらった2曲

ピアノ三重奏曲ホ長調K542

弦楽三重奏(ディベルティメント)変ホ長調K563

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

モーツァルトの父親であるということ

 

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オーケストラと野球チームは似ている

2017 APR 10 11:11:33 am by 東 賢太郎

いまわが広島カープが7連勝ととてもいいわけですが、ヤクルト相手に新人の加藤が9回1死まで無安打無得点、翌日は2年目の岡田があわや完封、3戦目は九里が7回2点と、結果がどうのではなく何か異例なことが起きている感じがします。バックの守りが半端じゃなく、若い投手を必死に守ってやって絶対勝たせるぞというチーム一丸の気迫がびしびし伝わってくる。

ベンチもほめたい。岡田をぎりぎり替えなかったことです。若手に100球制限なんてアホなことやめてくれやと見ていたら、そぶりもなかった。完投したくないピッチャーなんて一人もいない。本能です。できれば完封したいし、完全試合したい。米国の真似で本能に掉さして「お仕事」感うえつけて、加藤、岡田みたいなワイルド感のある若手をつぶしてほしくない。そこはカープは見事です。

野球の守りというのはオーケストラに似ていて、全員パートが違うわけです。ひとりでも下手だとうまくいかない。カープは左翼以外は全員上等の部類。一塁の新井だけやや落ちますが今年は青年みたいに動きが良くて、逆に40歳の彼がいいプレーすると全員が乗ってくる。すると初先発の新人があわやノーヒッターなんて信じ難いことをやっちゃう。人の集団の連鎖反応ってのは不思議なんです。プロだからということもなくて、多摩川で子供の試合見ててもそうです。

オーケストラもそうで、世界レベルの楽団でも気が乗らない演奏はつまらないのです。野球でいえば「オレ100球」の投手がテレテレ投げて3点も取られると、バックは「よし4点取ってやるぞ!」なんて燃えないでしょうね。2年間きいたフィラデルフィア管弦楽団もときどきそうで、第2ヴァイオリンの主席のおじさん今日は気乗りしてないなあなんて感じるときは、そういう気分が全体に伝染してるんでしょうだいたいつまんなかったですね。

チェリビダッケが初来日して東京文化で読響を振った1曲目のメンデルスゾーンの「真夏」。遠い舞台がよく見えず、指揮者が棒を構えた(と思われる)異様な緊張感のなかシーンと静まって最初の音がなかなか出ない。1分も待たされた感じ。そこにあのフルート。虚空の闇に青白い人魂がポッと浮いた、本当にそういうイメージが見えて度肝を抜かれました。あんな音は後にも先にもなし。人間の集団が針の先みたいに神経を集中するといかに物凄いことが起きるか。

僕は広島カープは緒方の1年目があまりにボケでブログにボロクソに書き去年は見放しました。しかし優勝すると成長して指揮官らしくなってますね、加藤、岡田、九里をごくろうさんとねぎらっている顔が2年前と違う。新人が育つ顔ですね。指揮者に風格が出て全員に余裕が出てきて、オーケストラなら「ほかのパートを良く聴いている」感じでしょう。他チームは自分のプレーで一生懸命。これなら連覇間違いなしといったら早計でしょうか。

 

クラシック徒然草-チェリビダッケと古澤巌-

 

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プログラム・ノート没の原稿

2017 APR 8 16:16:15 pm by 東 賢太郎

いま5月7日のライヴ・イマジン演奏会のプログラム・ノートを書き終わりました。僕のルーティーンとして、内容が決まるととりあえず一気に書き、しばらく置いて忘れたころ読みかえして直します。ブログもそうです。ところが今回は読みかえしで全面的に気に入らなくなって最初からやり直しました。あんまりないことです。

さっきジュピターの自筆譜ファクシミリを見ていると流れを直したのは2か所ぐらいしかない。凡人は文章すらこんなに直すのになんてこった。頭にテープレコーダー(古いかな)がありますね彼は。ここはピアノがないとむりだよねという所はありますが、試し弾きしながら書いたらこれやめたという部分が出てきてああいうきれいなスコアにならないと思うのです。やっぱりテープが流れてる。すると、えっ、あんな音が頭で鳴っちゃうの?となって、ぞっとするんです。

彼は楽譜の一番うえ3つにヴァイオリン2部とヴィオラを書いてチェロとコントラバスは一番下に書く。これは今的にはヘンですよね。それでサンドイッチの具のところにフルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット、ティンパニと降りてくる。ここは今流だ。未完の曲を見ると、弦だけまず書いて、それもソプラノとバスから書いて、後でその他を加えてます。内声部は和音の、木管金管はカラーリングのグラデーションをつけるという感じで、クラリネットを入れる入れないもそういう作業の一環だから気軽にできたんでしょう。

ということはテープはスコアの最上段と最下段、第1ヴァイオリンとバスか。これはシンプルな2声、バッハのインヴェンションの右手左手ですね、アルベルティ・バスというより。それが2-30分まるごと収録されたテープを流しておいて、つぎにささっと書きとる。僕らもジュピターは覚えてますが見ないで書けますかとなったらお手上げです。第2楽章のb♭、d♭、a、cなんて怖い音がテープで一瞬だけ鳴って聞き取って書くソルフェージュ能力。作曲家の方々にはあたりまえでしょうが、凡人には不可知の領域ですね。

彼は歌い手や聞き手の能力をぱっと見ぬいて、喜ぶようにかいてやるんです。パリの聴衆はこんなもんさ、ここでこう書けば絶対拍手もらえるよ、最後はこう盛り上げれば一丁上がりさみたいなところがあって、前にTVで欽ちゃんことコント55号の萩本欽一さんがかけだしのころ浅草のフランス座というストリップ劇場の幕間のコントを受け持っていて、客はそんなもん見に来てないからぜんぜんうけなくてあみ出したという策がそんなのだったことを思い出しました。

それをサービス精神という人もいるけれど、営業マンもおんなじで、お客が喜ばないと何だって売れないからそれは一種の芸であって、では何をしたらいいか相手の顔から瞬時に見ぬけるかというとできる人はできるしできない人はできない、そういう性質のものです。サービス精神があれば何でも売れるわけじゃない。マーケティングセンスです。モーツァルトはそれがものすごかったわけですが、引き出しにたくさんネタがあって自由自在に出し入れできた、そういう感じがします。

こうやってモーツァルトの話をしていていきなりストリップ劇場だ欽ちゃんだとやるとほとんどの人は目が点になってしまって、なんだヘンな人だな頭おかしいのなんて顔をされます。こっちはまじめにそう思ってる。かみあわないんです。こういうのも、わかる人にはわかるんでわからない人にはわからないんですね。だから、あっ、お呼びでない、こりゃまた失礼しましたってんで終わりです。

プログラム・ノートだからストリップ劇場の話なんて書けないし、そういう不親切な態度じゃまずいだろうと、そういう気分にだんだんなってきて、とうとう書き直しになったのです。それでこっちに書いちゃいました。いいのになったかどうかあんまり自信はないですが自分では気にいってます、それは仁義でブログにはしませんからどうぞ会場にお越しください。

 

5月7日のコンサートのお知らせ

 

 

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5月7日のコンサートのお知らせ

2017 APR 2 21:21:25 pm by 東 賢太郎

お知らせです。

来る5月7日(日)にライヴ・イマジン祝祭管弦楽団(指揮・田崎瑞博、ピアノ・吉田康子)の第3回演奏会がございます。会場は豊洲シビックセンターホール(ピアノ:ファツィオリ・コンサートグランド、モデルF278)。演目は以下の通りです。

 

ハイドン    交響曲第98番変ロ長調Hob.Ⅰ:98

モーツァルト  ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503

モーツァルト  交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」

 

 

当コンサートは一昨年の1~4月に投稿しました拙ブログをライヴ・イマジンの西村淳さんが読んでくださったことがきっかけとなりました。

ハイドン交響曲第98番変ロ長調(さよならモーツァルト君)

モーツァルト ピアノ協奏曲第25番ハ長調 K.503

一昨年の大晦日に仕事の関係でてんやわんやとなり、皆様にはやむなく「ブログ終了のお知らせ」をして3か月ほど休止したのですが、お知らせの直後のお正月に西村さんからこのような「コメント」が入っていたのを覚えておりました。

『プログラムノートの参考にといろいろと検索してここに行きついたわけですが、その途端に「おしまい!」とはなんと哀しいめぐりあわせでしょう』

このご縁で一度食事でもしましょうということでニューオータニで初めてお会いし、そこからメールのやり取りでこの「さよならモーツァルト君」をテーマとした演奏会の企画のお話を伺ったわけです。古典四重奏団の田崎瑞博先生の指揮でリハーサルが始動して約1か月。聴きごたえのある演奏会になると思います。

僕はモーツァルトの音楽だけでなくその人物に強い関心と親近感があり、その理由は自分でもわかりません。必然的に「書簡全集」(海老沢敏、高橋英郎編訳、白水社)を何度も読み返し、該当する楽曲を聴き調べ、特異な父子関係、経済状況、人間関係、当時の政治・経済状況などから彼のとった行動、言動、批判を通じて一個のモーツァルト像ができあがりました。

そこで初めて、他人のそれを知るべく、理解できる言語の範囲内でモーツァルト関連書籍はほぼ読破いたしましたがどれを読んでも氷解しないいくつかの疑問を持つに至ったのです。彼の死因はいまだ不明で数多の流説が存在するのも不可思議ですが、これほどの音楽を書いた男がなぜ人気凋落し、職も得られず、葬儀の日にちすら不明のまま墓地に投げ込まれこの世から消えてしまったのか?この謎を解く証拠は226年たった今も出ていないのだから推理するしかありません。

2005年12月になぜかレクイエムの自筆譜のファクシミリが急に欲しくなり、単身ウィーンに飛び数日間根を詰めて冬空の街を歩きました。雪がうっすら積もるなか、彼が世を去った12月の街の空気と気配を感じながらシュテファン大聖堂の、遺体を安置した十字架礼拝堂のうす暗い極寒のなかでしばしひとり合掌しました。心は静かでしたが、何度も何度も頭をよぎったのは「なぜ?」という言葉でありました。

5月7日のコンサートでは、開演に先立って15分ほどお時間をいただきレクチャーをさせていただき、プログラム3曲を題材にその話題にも触れてまいろうと思います。ハイドンが98番でモーツァルトにどう「さよなら」を言ったのか?実際にピアノでお聞きいただこうと思います。

連休の最終日ではございますが、ぜひお誘いあわせのうえ会場にお越しいただければ幸いです。当ホールは300席とのことです。

なお、当ブログをご覧になり来場をご希望のかたは優待券を差し上げますので、ご芳名、希望枚数をご記入の上、以下のアドレスからメールでお申し込みください(枚数は制限があるので先着順とさせていただきます)。

azuken3024@tulip.ocn.ne.jp

 

「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

ファツィオリ体験記

 

 

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カルロス・クライバー/ベルリン・フィルのブラームス4番

2017 APR 2 1:01:57 am by 東 賢太郎

レコード芸術誌の「巨匠たちのラスト・レコーディング」という企画によると、僕が聴いた演奏会のライブ録音が人生ラストだったという大指揮者が二人いました。オイゲン・ヨッフム(ブルックナー5番)とジャン・フルネ(ブラームス2番)です。

ほかにも最後のマーラー(ショルティ、5番)や最後のブラームス(カラヤン、1番)なども指揮姿とともに鮮烈に記憶にあって、「巨匠の時代」があったとするならばそれは僕らの世代の眼前で静かに黄昏を迎えていったのかもしれないという感慨を新たにいたしました。

幸いなことにその4つの演奏会はすべて正規の商業録音が残っています。音がいいだけに会場の空気まで生々しく蘇ってきます。もうひとつ、カルロス・クライバー(1930-2004)の、最後ではないがたった2回しか人生で振らなかったベルリンPOとは最後だった演奏会(ブラームス4番)があって、これについてはすでにブログに書きました。

カルロス・クライバー指揮ベルリンフィルの思い出

クライバーは日本通で和食も好きで、お忍びでよく来日していたと某社で彼を担当していた人に聞きました。ベルリンの演奏会は正規盤がなく米国製の海賊盤が残っていますが彼はこれを秋葉原で買って愛聴していたそうです。それをyoutubeにアップしましたのでどうぞお聴きください。

これをいま聴きますと不思議な気持ちで、モノラルであるせいもあるのでしょうか、レコードを擦り切れるほど聴いたフルトヴェングラーやトスカニーニも実演はあんな感じだったのだろうかと逆体験の空想に浸ることになります。

好きなオーケストラ、好きな曲だけ振って、好きなようにスケジュールを組んで貴族のように生きた男。前述のかたに彼の出自もお聞きしましたが、もうこういう人は二度と出てこないだろうと思います。

それは現在の我々がクラシック音楽と思って聴いている音楽が最後に生まれたのが20世紀前半のことであって、その作曲現場の空気を知っていた世代の演奏家が世を去っていったことで終焉を迎えたものだからです。

個人的に、第2次ベル・エポックとでも名づけたい良き時代であり、そういえばこんなに長く70年も大きな戦争がなかったのも良きことでした。ご本家ベル・エポックは第1次大戦で終焉しましたが、今度はその禍なきことを祈ります。

 

クラシック徒然草―フルトヴェングラーのブラームス4番―

 

カラヤン最後のブラームス1番を聴く

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

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勤め人時代にできなかった二つのこと

2017 APR 1 17:17:07 pm by 東 賢太郎

勤め人時代にできなかったこととして、①好きな仕事だけやる②ブログに好き勝手の独断・偏見をかく、があります。細かくいえばいろいろありますがその二つは大きいなと思います。

リタイアして②をされるかたはこれからもっと増えるでしょう。やってみれば唖然とするほど簡単だし世の中の反応が数字でわかって面白いからです。この快感はやらないとわからないですね、独断・偏見がどれだけ世の中で関心を持たれるかというのは自分のささやかな存在証明です。

①と②がいっしょにならないのがいいのであって、本を書いたらどうですかといわれましたが断りました。本は売れないと消えるので営業目線になるだろう、すると「好き勝手の独断・偏見」が鈍って個性がなくなってやっぱり消えるだろうと思うのです。いつ死ぬかわからんのでいつ来てもいいようにしておく。なにか残るようにしておく。ブログの真価はこれです。

今回そういいながらお恥ずかしいことにSMCのサーバーが足りなくなって冷や汗をかきました。サーバーを借りるのはコストがかかる。そこで現れたクラウドサービスはそれを無料提供してコンテンツを囲い込み、他人のフンドシで集客して広告主から金をとるビジネスですがいずれバックアップまで含めたサーバースペースが地球上になくなるでしょう。すると宇宙ステーションにでも作るんだろうがそれはもっとコストが高い。要は有限な世界ですね。

僕は有限に興味ないので無限なものを作りたい。それは人の個性にかけるしかないのです。確実にオンリーワンだから複製不能で、永遠に価値が残ります。企業もそうでしょう。創業者というオンリーワンの色が薄れるとただの大企業になる。すると、その瞬間から「有限性に支配される」べく時計の針が回り始めてシャープ、東芝のような悲しい例も出てしまう。オンリーワンの価値はオンリーワンである限り無限です。モーツァルトやゴッホといっしょです。

しかし個性というのは認知されなければ歴史に埋もれてしまいます。だからメディアが必要です。個性を「認知」して「広める」媒体としてです。ところがいまや「広める」はyoutubeで個人が誰でもできてしまうので個性は百花繚乱の時代なのです。そこではむしろありすぎる情報を「認知」で絞り込むことがメディアの価値になってくる。テレビならクズは全部捨てて「いい番組しかない」、「だから見ても時間の無駄にならない」ということに価値が移行していきます。

デパート業界の凋落がそれを予言してます。「なんでもある」はネットにかなわないからもう売りではない。万事が「絞り込み」の時代なのです。だからそれのできる個人に需要が出てきてキュレーター(curator)と呼ばれます。図書館や博物館の館長の意味です。膨大な情報からなにかを選びぬく能力のある人ですね。単に知識のある専門家ではなく「目的にそった好適なものを選びぬく」というニュアンスがあるので「目利き」、「通」、「ドン」に近い。

これはsiriに「近くのラーメン屋」ときいて出てくるリスト(=専門家)と、そのなかで「あなた好みのラーメン屋」まで選んでくれる人(=目利き)とどっちが価値がありますかという質問に等しいことにお気づきですか。何度も書きましたがそれが情報と諜報の違いです。各業界でキュレーターがひっぱりだこなのは、世の中はインテリジェンス(諜報)を求めている、クラウドに膨大にあるインフォメーション(情報)をいくら持っても学習してもコンピューターにかなわないから価値はないですよということを教えてくれているのです。

個性が創造という領域で発揮されればAI(人工知能)も凌駕できないと僕は信じます。一方で30年後にはsiriの自動翻訳機能がAI化して日本の学校から英語という必修科目が消えているでしょう。世界史だって日本史と合体するぐらいだから十分可能で、英米人はする必要のないそんな勉強に日本人だけ大事な10代の時間を使うなど何の意味もない。インテリジェンスを生む回路を脳に作ってくれる数学を大学まで必修にしたほうが国益としてずっといいでしょう。

SMCを21世紀の万葉集にしたいというのが僕の発想でした。万葉集というのはいわば選者というキュレーターによる和歌のキュレーション・サイトなのです。僕は金融を通したビジネスと聴き手としての音楽ぐらいしか能はありませんが、今後メンバーに各方面のキュレーターが加わってくださればその発想はそう荒唐無稽でもないと思っています。

しかしSMCは文字が媒体であり、いまや動画という媒体は避けて通れません。そこで、まったくの過渡期的な措置ですが、youtubeのクラウドに間借りして僕のチャンネル「東」を作りました。これは所有者が極めて少ない音源とパブリックドメインのうち僕の趣味にあった音源、いずれは僕の弾いた音源などからなっている「東賢太郎キュレーションサイト」です。そこから動画を引いてSMCに貼れば出版物ではできない「音のサンプル」のお示しができてより分かり易い音楽ブログが書けると思うのです。

また、僕のブログに「若者に教えたいこと」というカテゴリーがありますが、若者に夢を与えること、生き抜く知恵をあげること、大ブレークのきっかけを作ってあげることは僕の夢であります。私財はそれに投じてよいと考えてます。「若者に夢のない時代」といわれますが、そんなことはないよと口だけの空手形でなく身をもってそれを示してあげようと思います。

そこで若者のキュレーターになる能力のある3人を正社員として集めました。岩佐君、村上君、岡部君といいます。彼らに才能ある若者たちの動画をたくさんとってサイトを作ってもらい、広く世の中にお見せして認知してもらおうと願っています。これは僕の視点ではSMCとまったく同じことなのですが文字媒体でなく絵、動画だから別なサイトとして運営してもらうということにしました。

そのサイト「NEXTYLE(ネクスタイル)」がこちらです。

NEXTYLE

ご覧いただくと日本の若者はすばらしい、これから日本は明るいぞとすべての世代の方々に感じていただけ、ご自身も元気をもらえることと信じます。

このネクスタイルもSMCも、永続させるために企業にはしてありますが僕にとっては仕事、金もうけではありません。それは冒頭に書きました通り、

①好きな仕事だけやる

②ブログに好き勝手の独断・偏見をかく

の区別をしないと②は「好き勝手の独断・偏見」が鈍って個性がなくなって消えるだろうと思うからです。僕は天職であるソナー・アドバイザーズの仕事をボケるまでは続けるし、それで食べていく、そこで好きな仕事だけ選べるというという40年かけて手に入れた自由はそれはそれで人生の楽しみだからです。

 
Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

工事が完了いたしました

2017 APR 1 1:01:51 am by 東 賢太郎

 

さる3月14日よりSMCサイトが工事となり新規投稿が中断しておりましたが、やっと再開にこぎつけました。ご迷惑をおかけいたしました。

SMCは2012年10月に甚だ小規模にひっそりとスタートいたしましたが、4年の時を経てアクセス数、投稿数とも想定外の規模になり、当初契約したサーバーメモリーの上限を知らぬうちに超過してしまったことが原因とわかりました。この点はより容量の大きいサーバーに移管する契約をすることで解決いたしました。

なにぶん発起人、管理人ともITリテラシーが不足しており反省しきりでございます。そこで、千年残す計画を全うする基盤とすべく、容量拡大に留まらずサイト全体のアップグレードを図り、専属のSE会社を決めてプログラムの再構築、トップページの刷新もすることに致しました。この工事はさらにひと月ほどかかりますがその間は投稿が止まることはありませんので、引き続きご訪問を賜れれば幸いです。

 
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