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いじめにあってる子たちに

2019 AUG 15 21:21:18 pm by 東 賢太郎

唐川の球があっけらかんと打たれる。それがプロだ、日ハムの打撃力だといってしまえばそれまでだが、僕にはショックである。自分があんな感じになりたいと思っていた憧れのタイプの、しかもずっと格上の投手ですら打たれるのだから、結局自分が天狗だった能力なんて世の中では虫けらみたいなもんだという結論になってしまう。ということは、それが男として唯一の自慢だった僕には実はたいした能力はないという冷たい結論になるのである。

こういうショックは大事だと思ってる。そうやって、信じたくないことを客観的に思い知らされて学ぶからだ。それは野球の経験があるからできるのだが、「経験がないことからでも学べる」ということを経験して知ってさえいれば、実は学べるのである。つまり、何でもいいから自分の経験から「学んだぞ」という実感を得る。次に、その実感をもとに、経験はないけどあったらあのケースではこう感じるのではと類推する(自分で考える)。答えは、経験している人をたくさん探して質問してみる。何度もやっていると、だんだん正答率が上がってくる。類推がうまくなるのだ。こうなればしめたものだ。

人は負け、失敗、屈辱から学ぶものだと思う。だから何かしてだめだったらラッキー!と思わなくてはいけない。失敗は自分の弱点を教えてくれる先生だ。それを受け入れることに明るく前向きでいることだ。もし唐川が抑えていれば僕の天狗は64才の今も変わらなかったろう。それは事実でなかったことを眼前でなまなましく目撃してしまい、またひとつ根拠のない空元気が消えた。唐川本人がショックを受けたかどうかはともかく、僕は彼の失敗を通して「地球上で自分が座標軸のどこにいるか」を知る手掛かりをもらった。誰しも自分の良さも欠点もわかっていないものだ。そして、それを正確に知れば知るほど良いことがある。失敗が減るのだ。敵を知り己を知れば百戦危うからずなのである。

己を知らずに百戦を挑み続ければ、誰でもやがて確実に負ける。無敵の人はひとりもいない。世の中に自分より強い者、元気な者、賢い者、強運な者はいくらもいるのである。僕は真剣に頑張った野球と受験で思いっきり負けてしまい、自分を癒して逃がしてあげる道すら失い、若くしてけっこう正確に自分の「たいしたことない実像」を知った。人生で何が幸運だったといえば、それが最高のラッキーだ。だから大人になってから初めてそれを思い知って挫折してしまうという致命傷を負うことがなかった。まことに格好悪い現実なのだが、そこからは負けるケンカはしないという知恵がつき「敗戦率が低い」から生き延びただけだ。勝つ必要はない。勝とうと思うとリスクもあるしそれでも確率は高くない。長いこと負けない方が簡単であり「たまには」いいことがある。その「たま」は意外にも結構あるものであり、それが落ちてきたときつかむ難しい技はいらない。たまたま「そこにいる」だけでいいのである。

若い時はいくら逆境に落ちようと負けようと、めげさえしなければまったく致命傷ではない。僕は小学生のころ、早生まれで体も小さくて女の子に腕相撲を挑まれて負け、読むのも書くのも遅く、何をしてもぐずでのろまでお昼休み中に弁当を平らげることすらできず、勉強はできない方だった。当然ケンカは弱くていじめられたし、性格は変わっていて孤立したし、いま美点凝視で思い出そうとしても何もいいことがない。中学は公立で環境は変わったが美点のなさは似たようなものだった。野球が救いにはなったがまだ草野球であり、勉強だけは精一杯に頑張ったが高校は志望校を落ちた。

ところが、どういうわけか、親がそういう風に教育でもしていたのだろうか、今に見ておれそのうちわかるさという揺るぎない自信が不思議と心の底にあり、何があろうとあわてることがなかった。つまり、今になってみると、鈍感だったのである。僕は身体も暑い寒いに鈍感で衣服に頓着がない。頭痛と胃痛は経験がない。時間も方向も鈍感。人心や空気に鈍感。こういうものは、色がわからないのと一緒こたにして脳があきらめて捨ててしまったと思う。よく「鈍感力」とポジティブにも解釈されるがそんな立派なもんじゃない、ただニブい、ピンボケている、自分ではそんな感じである。

もしもいじめや失敗で悩んでいる人がいたら、生んでくれた親の愛、仮にもしもそれがなくたって、世におぎゃあと生まれて今そうして生きていることの幸せだけを見つめなさい。そして、家庭や学校や周りがどうあろうと、誰がなんといおうと、思いっきり鈍感でいなさい。学校は嫌なら行かなければいい。行くことが義務だと思う社会自体がいじめやパワハラかもしれない。何度も書いたが、僕は学校は行ったが教室では飲み込みが悪くて習わず、家で自分で考えて自分から習った。それでもハンディになんかならないし東大にも入れるのである。いやな奴など気する必要すらない、完全無視で何も感じなくなってしまえば怖いものはない。そして、「いまに見てろよ、そのうちわかるさ」と思ってさえおけば、そんなくだらないものや連中はあなたの人生には、確実に、何の関係もないと経験から断言できる。

僕のブログは今現在でPVが395万5338で、グーグル・アナリティックスによると「すべてのユーザー」の32%が年齢18~34才である。自分の3人の子供もこの年齢層であり、こんなに多くの若者たちが読者の3分の1というのは何年も前から変わっておらず、まさに誇りであり本望だ。僕の文章やコンテンツは分かり易くないし、分かり易くしようという気持ちもない。ただ、若者がこれから自力で運命を切り開いて、強く生きていくためには大事と信じることを書いている。未来の日本を背負って立つ人たちに自分の経験や失敗からの教訓を書いて残しておくのは僕らの世代の最後の仕事と思っている。ひとりでも何かを感じ、学びとってくれ良い人生を歩めたとなれば、この時代に産んでもらって果たすべき義務を果たしたことになるかもしれない。

 

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Categories:______体験録, 若者に教えたいこと

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