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心の断捨離は好きなことだけやること

2019 SEP 4 9:09:11 am by 東 賢太郎

断捨離と書いたが、モノだけではない。心もだ。何かに関われば心が支配される。心が支配されると体はその奴隷になる。悲鳴をあげても聞こえない。思えばそうやって、身体の声を押し殺してきた。心は体に乗っている。神山先生の言う通りこれ以上行くと寿命が縮むならやめたほうがいい。

ということは、無用なことには関わるべからずということになるが、何が有用、無用を考えてはいけない。そこですでに心が関わって余計な作動をしてしまうからだ。例えば「損得」が入るともう身体の出番はないだろう。そうではなく、身体に決めさせる。つまり、「好きなことだけやろう」という心の持ちようがいいらしい。

ビジネスもそうする。好きなことをしていればストレスはないが、何か結果を期待してしまうといけない。結果を求めないのは社長業ではないようにも思えるが、そっちのほうが身体が求める本来の自分だから結局は結果がいいのだ。そういうことを長年かけてわかるようになってきた。

「人間は孤独だ」と初めて感じたのは、大学時代のはちゃめちゃな米国旅行でデスバレー(Death Valley)にぽつんと立った時だった。真夏の真昼だ、カンカン照りだ。検索すると写真がたくさん出てくるが、記憶に近いのはこれである。この積雪みたいな塩をザクザクふんずけて歩くと、「人類初の足跡」のようなのが残る。所どころに塩水の水たまりがある。ここの最高気温は摂氏56.6度だが、地球上の最高記録がサハラ砂漠で観測された58度である。見渡す限り、人っ子一人いない。

もしイーロン・マスクが招待してくれても僕は月に行く気はない、というのは、この時に「俺はいま金星にいる」という気分にどっぷり浸っており、もう別の星を足の裏で体験済みだからだ。こんな感覚は、後にも先にも、この時しかない。

5年前のブログ

米国放浪記(4)

「孤独」というのは寂しいこと、独りぼっちということではない。この時もすぐ近くに友が二人いた。それでも塩の大海の中で、僕は鮮烈な孤独を思った。なにやら人間はあっけないほどちっぽけで矮小なものという漠たる感覚であり、泣いても笑ってもその事実から抜け出すことはできないという脱力感でもあった。身体の孤独は誰かといれば癒されるが精神の孤独はそうはいかない。おぎゃあと生まれて誰もが実はそうなのだ。

この時味わったものからすれば、色んな局面で追い込まれて窮地に立った孤独感などたかが知れたものだ。ビジネスで期待をしないのは他人に頼らないということ。もっと言えば、自分にも頼らない。しょせんは矮小な自分が頑張って何したところで結果は変わらないということだ。なるようにしかならない。好きなことでの失敗はその気持ちでいれば甘受できるから、好きなことだけやろうと自然になるのである。それが心の断捨離だろうと考えている。

 

散策記

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