犬のだっこはいたしません
2020 JAN 7 22:22:13 pm by 東 賢太郎

新年会で屋久島から西表島の山猫に話が飛んでしまい、さらに飛んで猫派、犬派の話題になった。日本人はレッテルが好きだ。血液型がいい例で、それで性格がわかる根拠はないらしく、たしかに外国では聞いたことがない。むしろ「レッテル貼りが好きかどうか」で判断した方が性格は当たると思うが、日本人はほぼみんな好きだからあんまり意味はなさそうだ。
僕はむろん、堂々たる盤石の猫派である。そういうと「自分もです」という人も大勢いるが、僕における猫派というのは子猫がかわいいとか、犬も飼ってますけどねとかいう生半可なものではない。犬はかわいがりません、ごめんねという意味である。「どう?ウチのチャッピーちゃん、かわいいでしょ、ねえねえだっこして!」なんてのが長い人生において何度かあったが、ぜんぶ「いたしません」であった。
ところが日本ではチャッピーちゃんはかわいくて当然なのである。かわいくないなんて言おうものならあんた血液C型?みたいな目で睨まれてしまう。僕が幼時に伊豆でスピッツにかまれて犬が怖いなんてことはかけらも斟酌される余地がない。それでは当方の本流であるところの猫の話ならば世間様と平穏にコミュニケーションが図られるかというと、これがまたそうでもないから大変に困る。ブランド種、長毛、短足の猫はあまり好きでなく、子猫はすべからく嫌いとまではいわないができれば関わりたくない。キャー、この子かわいい!なんて素人筋の感性とは隔絶したところに僕の猫好きは存立しているのである。
こんなふうに、ひとえに、何の変哲もない、そこらへんの路地裏を歩いているデカくてふてぶてしい日本猫、これぞ保守本流の猫だ。
「どう?ウチのシロちゃん、かわいいでしょ、ねえねえだっこして!」。ひっかかれて大変なことになるからしないほうがいいが、これが「かわいい」と共感していただける本格派の方はあんまりいない。この写真でいっしょに笑ってくれる人はもっといない。僕はこれで癒されるので待ち受けにしようと思ってる。
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プリアンプに金をかけなさい
2020 JAN 7 0:00:38 am by 東 賢太郎

きのう2か月ぶりにプリアンプ(ブルメスター808)が修理から帰ってきた。たまたまテーブルにあった牧神の午後への前奏曲をかけてみる。まったくすばらしい。オーディオの存在が消える。10分身動きできず、終了。まだ動けず。
きいたのは50年も前に買ったブーレーズ / ニュー・フィルハーモニア管のLPだ。その評はこちら(ドビッシー 「牧神の午後への前奏曲」)。これをレファレンス的ニュアンスで挙げているのはフランス的な音色、エロティシズムがプライオリティーだったからだ。しかしブルメスター808が新品のように蘇って、「微視的なアナリーゼ能力と聴覚の鋭さが群を抜いている」のはドビッシーにおいては不可欠の美質であり、マルティノンやモントゥーよりもっとエロティックじゃないかと思えてきた。俺がいままで聴いてた音は何だったんだというほど。
デジタル時代になってプリアンプ不要論が語られた。音量調節などコントロール機能はCDプレーヤーで足りフォノイコライジング機能もいらないなら介在回路は少ないほうが良い。理屈はそうだ。僕もいらないと思っていたが、ドイツ人はそう考えていなかったということだ。ブルメスターのパワーアンプをドイツで買って惚れこんでいたからひょっとしてと思い808を試聴してびっくりした。音質、音場感、空気感、定位が比較にならず軽自動車が一気にベンツの600に化けたかの激変。人生でいろんな機械を買ったが、あらゆるジャンルで満足度において808は圧倒的にNo1だ。
フラッグシップだから20年顔も変えない。この頑固さもドイツだ。車もそうだが、売らんかなでころころモデルチェンジする日本製はいかにも薄っぺらい。日独の技術の差はないだろうが、こういうアンプは日本にないのはひとえに哲学の差と思う。ハイエンドのスピーカー、パワーアンプに凝る人は多いがプリアンプに金をかける人は少ないらしい。808が高いかどうかは音楽に何を求めるかだろう。これ1台で牧神の午後への前奏曲の評価が違ってしまうなんてマジックは僕にとってほかの手段でおきようもないから妥当と思うが。
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