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ジョリヴェ「赤道コンチェルト」(1950)

2022 AUG 22 22:22:42 pm by 東 賢太郎

二十歳ぐらいでストラヴィンスキーとバルトークは聴いていて、ちょっと飽きた。もっと何か面白い物はという冒険心で新ウィーン学派を片っ端から聴いたが、どうもしっくりこない。後にブーレーズ盤を知りスコアを追うと幾つか新発見がやってくるが、まだ無調に美を見出す耳がなかったということだろう。

アントルモン盤

そのあたりで出会ったのがアンドレ・ジョリヴェの「赤道コンチェルト」だった。当時、フィリップ・アントルモンが作曲者の指揮で弾いたCBSのレコードが、確かにそういう名称で売られていた。ところが調べるとジョリヴェの作品目録にそんな曲はない。ピアノと管弦楽の協奏曲はひとつしかなく、題名は、

Concerto pour piano et orchestre

(ピアノと管弦楽のための協奏曲)である。その後、そのレコードは廃盤となり「赤道コンチェルト」はレコード屋からも姿を消すという不思議な事態が続いたのだ。本稿はその経緯を推察するものでもあり、あえてそれをタイトルとしておく。

作曲は1946年にフランス国営放送から植民地に取材した作品を委嘱されたことが契機だ。WW2における仏国はパリをドイツに占拠される屈辱を味わう。それを奪回したのはアルジェリア、チュニジアなどのフランス植民地で戦ったド・ゴールであり、パリに凱旋した彼を賛美する流れの中での委嘱と思われる。1951年のストラスブール初演は聴衆の怒号、口笛を巻き起こしたという逸話も残っているが、春の祭典のそれになぞらえれば成功したのかもしれない(注)。

同曲がアフリカを意識して書かれたことは間違いなかろうが、仏国植民地で赤道にかかっている部分はほとんどない。つまり、そこからして「赤道コンチェルト」なる命名は的外れであり、アバウトな人が思いついたものだとしか考えられない。さらに、それは西洋人ではなかろう。なぜなら、赤道というと「赤」の文字が映える日本語では熱帯のジャングルなど絵画的イメージが浮かぶが、equatorというと左様な情緒的ニュアンスは皆無で、単なる北半球と南半球を二分する「理論上の線」である。「均等分割線コンチェルト」という感じで、そんなものが作曲家のイマジネーションを刺激するとは思えない。「赤道」「怒号」で春の祭典みたいにどんちゃんやるイメージを売るマーケティングなのだったらその人は春の祭典の価値もどんちゃんだと思ってるわけで的外れも甚だしい。

おそらく「赤道コンチェルト」は日本のレコード会社の売らんかなの命名で、ショスタコーヴィチの5番という革命礼賛でも革命的でも何でもない曲に堂々と「革命」の名をつけてしまうのと同等のトンチンカンな一例と思われ、作曲者か仏国権利者から指摘があって破棄したのではないかと想像する。「運命」、「合唱」もベートーベン本人のあずかり知らぬ名だ。日本において両曲はそれで知られてしまっているが、こちらはもうクレームする権利関係者はいない。売れればまあいいかというアバウトな極東の極地現象であるとはいえ、「運命」「合唱」のノリで「ベートーベン像」なるものができて大多数の人がそれをイメージして分かり合っている閉じた言語空間において、立派なインテリが「この演奏はベートーベン的でない」などと平然と論じて誰も何とも思わないのはある意味で凄いことである。アントルモン盤は図書館で聴いたが、どうもそうした疑念がにおってしまい買わなかった。

音をお聴きいただきたい。春の祭典を思わせるポリリズムが炸裂すると思えば、第2楽章はバルトークの第2協奏曲を思わせる抒情で神秘感を漂わせるといった具合で実に多彩である。

後にCDの時代になってジョリヴェのほとんどの作品を聴くことができるようになったが、彼はひとことで言うなら「赤道」に限らず作風自体が多彩で代表作を選ぶのが難儀という作曲家である。エドガー・ヴァレーズの弟子であり打楽器を交えた実験的音響に創意がある。しかし主旋律または主役となる楽器を置いて伴奏する古典的発想はそのままで、新ウィーン学派が十二音の「主」という概念を葬ろうとしたような原理的アヴァンギャルドではない。同曲の第2楽章に見られるような「雰囲気の醸成」(アフリカンな)は幻想的ではあるがリアリズムあってこそのシュルレアリズムという観があり、ストラヴィンスキーが春の祭典第2部の冒頭でくり広げた、何ら依拠する前例のない、我々の誰もがつゆ知らぬぎょっとするような異界の展望ではない。「革命」と呼んでよいのはこういうものだけだ。

よってジョリヴェの作品に協奏曲の比重が高いのは説明がつこう。旋律を横の流れやクラスターに埋没させず、独自の感性で調性から自由にした和声(フランス人の発想らしいもの)でそれをどう彩るかという点を外さない作法だからだ。メシアンのように横の線における旋法のような素材の縛りはなく、打楽器の多用もストラヴィンスキーのようにリズムを自己の音楽の本源的な骨格として据える音素材としてというより音彩に関心を置くためのように思える。

André Jolivet (1905-74)

つまりWW2後の作品としてはアントルモン盤のキャッチコピーが宣伝したほど衝撃作ではなく、既存の技法を好みに応じて巧みに料理し、異教的・呪術的な雰囲気を紡ぎだした作品といったところが僕の評価になる。それはそれで個性なのだから決して悪いわけではないが、それを知って聴いてみると、ピアノが打楽器として機能するため彼の作品の中核となる主旋律または主役の特性がいまひとつになっている。これが怒号、口笛で演奏が危うくなるとは意外で、それなら1949年のトゥーランガリラ交響曲や1955年のル・マルトー・サン・メートル(主のない槌)の初演でも起こっていそうだがそういう話はない。ボストン、バーデンバーデンの聴衆よりストラスブールのほうが保守的でレベルが低かったということはなさそうに思うのだが(注)。

(注)「赤道」については仏領赤道アフリカ(Afrique Équatoriale Française)由来の可能性はある。ヴィシー政権につかない自由フランスのアフリカにおける活動拠点の名称であり、この曲の委嘱の目的がド・ゴール礼賛という政治的なものであったとすればアルザス・ロレーヌの中心ストラスブールでドイツへの示威、当てつけで初演され、反対派が野次を飛ばしたと考えることができる。いずれにせよ、ジョリヴェの作品の芸術的価値にはふさわしくないと思料する。

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