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どうして証券会社に入ったの?(その11)

2023 MAY 5 7:07:11 am by 東 賢太郎

野村證券梅田支店に勤務していたある日のこと、突然かかってきた人事部の電話で米国留学の社命が下った。何の予兆もなく、不意のことであり、ただただびっくりして課長に小声で報告する。しばらくすると、隣の席の先輩が「俺のこと覚えといてくれよな」などと課の中でお祝いの声がかかるようになり、しだいに支店全体がざわざわとしだした。ところが僕はというと、もちろん嬉しくはあったが、「これは参ったな」と真っ青になっていたのである。留学の心配ではない。担当していたWさんの保有株がみんな下がっていて、お預かりしている資産に絶望的に大きな損が出ていたからだ。

Wさんとの出会いは劇的だった。転勤が決まった同じ課の先輩が「これお前にやるよ」と置き土産にくれた高額納税者の電話リスト。当時はそんなものがあったのだ。「毎日上から順番に電話するんだぞ」といわれ、まだ入社2年目で成績もぱっとしなかった僕は愚直にそうした。といっても1位は天下の T 薬品の会長さんだから本人が出るはずもなく、お手伝いさんにあしらわれて終わりなのである。電話営業はセンミツといわれ、千回かけて三回ぐらいしかうまくいかない。だから、ダイヤルを回しながら2番目のWさんと話せるなんてことはハナから期待してないのにそれをやってる自分が空しくなってきた頃だった。何度かけても体よく断られたその番号にかけると、相手の声色が違った。ご本人だった。「あんたツイてるわね。今日はお手伝いさんが風邪ひいて2人ともいないのよ」。気が動転して言葉が出ない。すると名前も言ってないのにこういう一言があった。「生年月日を言いなさい」。訳も分からず答えると、小さな声で「あらウチの息子と一緒だわ・・・」の独り言がきこえた。しばし沈黙があった。「あしたの2時にあんたのいる富国生命ビルの地下3階に来なさい」「はっ?」何が起きたのか、わけがわからない。「アルボラダって喫茶店があるでしょ、知ってるわね?」。知らなかったが、「はい知ってます!」と元気に答えると、もう電話は切れていた。

翌日は早朝から緊張でカチカチだった。もうすぐ2時になる。死刑執行の時間を待ってる囚人みたいな気分だ。キツネにつままれた気分はぬけてなかったが、きっと嘘ではないだろうと信じて階段を地下まで下り、恐る恐る喫茶アルボラダに入る。待ち構えていたのは妙齢で白髪のご婦人だ。オーナーのようだった。僕に一瞥をくれ、近づいてきて、「きのうのあんただね」と二言三言をかわしたことしか覚えていない。すると「一緒に来なさい」と目も合わせずに店をすたすた出ていく。どこに連れていかれるかと思いきや、わが支店の隣りに店を構えるY証券梅田支店の店頭である。驚いた。支店長とおぼしき人が平身低頭ですっ飛んでくる。「株券をぜんぶここに並べなさい」。彼にとっては悪夢だったろう。問答無用の命令にフロアが騒然となり、女子社員が総出でWさんの大量の株券を銘柄ごとにカウンターの上に並べた。隆々とそびえる山脈みたいだった。「あんた何やってんの、早く数えなさい」「はっ?」「これあんたに預けるのよ、早く持っていきなさい」。ライバル同士の証券会社の店頭でこんな受け渡しが行われたのは古今東西たぶん初めてだろう。僕は株券など触ったこともない。「ちょっとお待ちください」と外に出て野村に駆けこみ、助けを求めた。お前だいじょうぶか?そんな馬鹿なことあるわけないだろ?と、今度は野村側が騒然となった。総務課長がY証券と話し、どうやら本当だとなる。すると今度は我が社の女子社員5,6名ぐらいが駆り出され、鮮やかなグリーンの制服がカウンターにずらっと並んで株券を数え、1時間ぐらいして男の作業部隊がやってきてまるで引っ越し荷物みたいに隣へ運びこんだ。何だろう、これは夢かと、僕は茫然とその光景を眺めるだけだった。

株券は時価で5億円ぐらいあった。株式の新規顧客による入金は2,3百万円でも拍手された時代である。その金額は野村といえども大ニュースであり、全店に拡散されて営業の尻たたきに使われた。Wさんのおかげで僕は成績も評価も上がり、地獄みたいだった日々がちょっとは楽になった気がした。しかし甘ちゃんで相場の恐ろしさなど知らなかったし、会社の推奨銘柄をただ買えば儲かると思っていたのだからとんでもない大間違いを犯していたのだ。

5億円は半分ぐらいに減っていた。どこか遠くに逃げたかった。「すみません、僕、アメリカに留学することになりました」。この電話をするのがどれだけ怖かったか。Wさんはそれを聞くなり「あんた、なに言ってんのよ」と、当然のことだが猛烈な怒りをぶつけられた。受話器の向こうで息が荒く、興奮のあまり言葉が出ないようであり、しばし無言のままおられ、何か言いかけたがやめて、そのまま電話を切られてしまった。目の前が真っ暗になった。焦って何度もかけ直したが出られない。「何してんだ、こういう時はまず顔を出すんだ、ぐずぐずしてないですぐ芦屋に行ってこい!」。先輩の一喝で店を飛び出し、息を切らして坂を駆け登り、祈るような気持ちでお宅の呼び鈴を押した。何度も押した。だめだった。途方に暮れ、あたりを茫然と歩きまわっているうちに暗くなっていた。お宅に戻ってまた鳴らした。何もおきなかった。ショックで記憶が飛んでいるのか心神耗弱だったのか、最後の方はよく覚えてないが、電車がもうなくなっていて、タクシーで独身寮まで帰ったように思う。

翌朝、眠れなかったので真っ暗なうちにひとり出社し、ぽつんと席に座ってどうしようか思案に暮れていた。きのうお会いできなかった顛末を課長に伝えたら激怒されるだろう。Wさんは店の大事な大手顧客だ。お前の資産管理が甘いんだ馬鹿野郎、責任問題だ、留学なんかふざけんな取り消しだ。きっとそうなるんだろう。先輩たちが続々出社してくるが、僕の状況を察してか誰も声をかけてこない。やがて開店時刻となり、ガラガラと大きな音をたてて僕の席の背後のシャッターが開きだした。営業1課だから座席は端っこで、お客様の通用口のそばだったのだ。後ろから急に声がして心臓が止まるほどびっくりしたのはその時だ。「あんた、ちょっと来なさい」。振り返ると、そこにWさんがひとり立っておられたのである。支店長にクレームをしに来たのだろう。もうだめだ。ぶるぶると足が震えていた。

Wさんは、奥のほうにある商談用のブース(小部屋)につかつかと歩いていき、自ら入ると僕を反対側のソファに座らせてドアを閉めた。無言だった。席につかれると、ハンドバッグをあけている。茶封筒がでてきた。何が起きているのかわからずあっけに取られていると、Wさんはそれを僕に差し出して、ひとこと、「留学おめでとう」と言われたのだ。封筒は金一封だった。驚いて声も出ない僕の目をじっと見て、「いいね、あんたは野村の原君になるんだよ」。それだけ言い残して静かに去っていかれた。事態に茫然としてブースに残された僕はぼろぼろと大泣きし、出るに出られず、東はどこへ行ったと先輩方に探し出されるまでずっとそこにいた。原君とは、その年に新人で大活躍していた巨人軍の原辰徳選手のことである。

このことについて、僕はこれ以上の多くを語りたくない。梅田支店で数々の物語に出会っているが、これはそんなものでない、人生における最大級の事件であり、いまもってこれを書きながら涙が止まらないのである。これまで多くの知己に言葉で語ってもきたが、かならず、ブースの場面にくると感極まって声を詰まらせてしまう。そこまでのものを残したWさんとのご縁とは、なにか超自然的なものが理由あって結んでくれたとしか考えられない。これがなければその後の僕はないし、そもそも厳しい証券界で生きていけもしなかったろう。Wさんにいただいた言葉は、人間の尊厳、気高さ、優しさとはこういうものだよ、そういう人になりなさいといつも僕を暖かく包んでくれる。証券会社に入ることに大反対でしばらく口をきいてくれなかった父は、去年のちょうど今日、5月5日の今頃の時刻に病院で他界した。会いたがっていた祖父母と母と天界で楽しくやっているだろう。唯一の心残りはWさんのことが報告できていなかったことだったが、いまやっとそれを終えることができて、ちょっとほっとしている。

どうして証券会社に入ったの?(その1)

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