「我が人生の修羅場ランキング」1位~5位
2025 DEC 9 3:03:31 am by 東 賢太郎
《本稿を愛猫フクに捧げる》
この11月はたくさんのことが起きた。フクが急にいなくなり、大変に落ち込み、今も立ち直ったとは思えず彼がいたリビングで夜に寛ごうという気になれない。ソファの後ろあたりからひょっこり現れそうな気がしてしまうのだ。困ったものだが早く忘れようと思うことはない、それがなくなったらフクがもっと遠くに行ってしまう気がするから。 いっぽうで、ビジネスの方では次々と相談や案件が持ち込まれてきており、日記で勘定してみたら11月だけで12人も新しい方とお会いしているのだからこれはちょっと尋常じゃない。僕が早く立ち直れるように天国のフクが気を遣ってくれているんだろうか。
人間誰しも深く落ち込むことはある。反対に有頂天になることもある。そのどん底とピークの幅は人それぞれで、大きい方が良いのか小さい方が良いのかは一概には言えない。体験を聞いたところで主観だからきっちりと比較できるものではない。ジェットコースターの高低差と坂の勾配をイメージすると分かりやすいが、どん底とピークの入れ替わりが短期間に来たかゆっくり来たかによって残る印象がぜんぜん違う。簡単に言えば、キャー!の悲鳴が大きいか小さいかだ。
僕が小学校の頃、引っ込み思案で口数も少なく自己主張のない子だったことは誰も信じない。それを一番知っている自分でも、理由はというと説明に窮するところがあるのである。無い芽は出ないから何かの刺激があってこうなったはずなのだが、じゃあその刺激とは何だったのだろう。この度の落ち込みとビジネスの上げ潮で初めてそれを考えた。大きな高低差で同時だから大きなキャー!だ。そうか。大人になってしまう前に僕はそういうものに何回か遭遇し、それもものすごく大きなものだったからインパクトはすさまじく、魂の奥底に埋もれていた何かが発芽したに違いない。そう考えてティーンエージャーの頃から振り返ってみると、あっさり、それが5つあった。
しかしキャー!で終わりではない。5つの発芽によって、できなかったことができる人にじわじわと変身し、 5つはジャンルが別々だからいわば同時多発的にそれが起き、芽が体の中でがっちりと根を張って互いにクロスオーバーする感じになった。皆さん、車の運転は同時にいろんなことに神経を使うのではじめは教習所で苦労されたと思うが、慣れてしまえばどの1つも意識することなく全部が同時にスイスイとでき100キロ出しても全然平気になる。そんな感じだ。
それは大なり小なり誰にも起こることだで見過ごしていたが、先日にある方のブログを読んでいてこれだと思うものを見つけた。ホンダの創業者、本田宗一郎が「竹の節(ふし)」の話をしていたというのだ。
竹は節目があるから折れずしなやかに立てるが、節を作っているときは伸びが遅い。しかし、できあがると節ごとに一斉にすくすくと成長するから、成長点の数がたくさんある竹は先端だけ伸びていく普通の樹木に比べて急速に伸びる。
というもので、竹を人間に置きかえて、
苦労は無駄ではない。そこで人一倍の努力をするとそれが財産となって人は強くなり、まっすぐにすくすくと成長する。苦労が二度あれば二倍、三度あれば三倍成長する。
という喩え話となって、卒業式の校長先生の訓話に使われたりする。そうそう父からもきいたなぁと懐かしい。これだ。これが5つのキャー!によって僕の中に生まれ、がっちりと根を張って磐石となり、僕を別人にしてしまった物の正体だったのだ。しかし小学生には訓話は少々難しかった。少なくとも僕はわかってなかったが、いずれわかる日が来ると大人たちは竹の話をしてくれていたのだ。それにしても70年はずいぶんだねと父は草葉の陰で笑ってるだろうが、日本人の教育というのは何とすばらしいものなんだろうと感動を覚える。
そこで自分の「竹の節」をさぐってみようと思い立った。それにはまず、人間において節とは何かを定義しなくてはならない。「作っているときは伸びが遅い」というのだから普通に誰でもが味わう苦労、逆境、試練という程度のものではない。他人に遅れをとってしまうほど作るのが大変な何物かであり、不幸にして陥ってしまうのではなく自らが将来を見据えて意図的に作るもののようである。「折れずしなやかに立てる」というのだからすぐ曲がってしまう可能性のあるものではなく筋の正しいものだ。「できあがるとすくすくと成長する」というのだから切り抜けると重みを支える礎にも背を伸ばすエネルギーの供給源にもなるものだ。そしてそれが複数あってもいいと言っている。複数があればその全部がまさに同時多発的に伸び、先端の1か所でしか伸びない普通の人を軽々と抜き去っていくから節を作っているときの遅れなど気にしなくていい。そういうものだ。
以上を全部満たす特別な苦労の場をぴったりと表現する言葉がある。「修羅場」だ。仏教用語で神と神の血みどろの戦いの場というおどろおどろしい意味であり、戦争は比喩であるから殴り合いをした経験を指すわけではないが、隣り近所の些細ないさかいという程度のものでなく、普通のシチュエーションで語られる苦労や逆境や試練という程度のものでもなく、イメージとしてお伝えするならば、人生の先行きにもかかわる大きな壁や生きていくことへの支障にぶち当たり、ぬきさしならなくなり、抜け出そうと必死にもがくのだが全力を尽くしても足りず、 恥も外聞もなく一切をかなぐり捨て、天に助けてくださいと全身全霊を捧げてさえもギリギリで危なく、のちのちになっても夢に出てきてあぶら汗をかく、そんな感じの経験を言う。
僕にはそれが5つあったと書いた。古いほうから硬式野球部、受験浪人、梅田支店、ウォートン留学、ロンドン営業だ。その後も逆境やピンチは幾つもあったし、社会性やマグニチュードの大きさという意味ではそっちの方がずっと重大事だったのだが、しかし、この5つはちょっと性質が違う。まだ若く未熟者であった故にその最中はつらくてつらくて抜け出したくてたまらなかった上に、ちっとも前に進んでいない焦燥感にさいなまれ、出口が見えず、何の因果で俺はこんなことをしているんだと嘆いた。ところが今振り返ってみると、そのどれもが我が人生を折れないように支え、おのおのが同時多発的に伸びしろとなり、少々の停滞はあったが10倍返しにしてくれた、これぞまさに「竹の節目」だったのである。 5つのそれぞれはこれまで別々のブログで詳しく書いてきている。今回はそれを「竹の節目となった修羅場」という視点で括る。いま人生に停滞や徒労感や焦りを感じておられる、きっと少なくないであろう日本の若者の皆さんにとって何がしかの元気になるケーススタディかもしれない。
まずお断りするが、僕と同じ事をする必要などさらさらない。問題はそれが何かではなく、それが起きた時自分がどういう状況に陥り、どう考え、どう悩み、どう対処し、そしてどう克服して抜け出したかということなのである。修羅場という難所でうまくいかずにドツボにハマり、抜け出したということ自体が重いのだ。なぜなら、その方法は学校で教えないし習ってもいない。親も知らない。図書館の蔵書を探してもどこにも書いてない。ウィキペディアにも載ってない。レスキュー隊は来ないし誰も救ってくれない。あたかも離れ小島の山奥で1人だけ遭難してしまったかのようにあなたは自分でもがき、自分で悩み、自分の頭でその方法を考えるしかない。しかもそこにはジェットコースターの高低差がある。そこでかいた冷や汗や、味わった恐怖感や絶望感や達成感や高揚感は一生消えることなくあなたの全細胞の中に刻み込まれ、長い人生で次の修羅場を迎えた時の強力な経験値としてワークしてくれるのである。
まず問いたいのは「あなたは修羅場を経験したことがありますか」である。それが生半可でないことはもうすでにお分かりだろう。これからの日本を支え、持続し、さらに力強く成長させてくれる全ての若者に断言する。修羅場は若いうちに迎えたほうがいい。 40歳までに1つでもそれを味わった人は幸せである。まだの人は、どんなものでもいい、自ら選んででも修羅場に飛び込みなさいと心よりアドバイスする。
僕の5つは自分で選んだものではあるが、慎重に検討したわけではなく、浅知恵と過信からそっちに明るい未来が待っていると信じただけだ。つまり勘違いの産物であり、ドン・キホーテを笑えぬ身の程知らずだった。僕をそう仕立てたのは父だ。賢の字を与え、お前は頭がいい、えらくなると物心つく前から呪文のように吹き込んだようだ。戦争で自らができなかったことを息子に託したい気持ちは、息子としても日本人としてもよく分かる。それが硬式野球部、受験浪人に関係している。残りの3つ、梅田支店、ウォートン留学、ロンドン営業は自分が入社したいと願い、選択させて頂いた野村證券の社命によるものだ。当時の僕の実力からして、勘違いですら思いもつかぬ高みにそびえる世界であり、会社が修羅場にぶち込んで僕に何物かを憑依させたのである。野球と浪人は自力で切り抜けた。次の3つはひとりではなく、一緒に闘ってくれた家内のおかげだ。 感謝しかない。
僕の中での辛さ、失敗や落ち込みの深さ、その後の人生への影響の大きさで1位から5位までランキングをつけ、その順番に記す。
1位・梅田支店
赴任するといきなり名刺集めだ。朝から晩まで右も左もわからぬ大阪の街を歩きまわり、いい株あるから買ってくださいとお金のありそうな会社や店舗に飛び込み外交をして名刺を100枚集めてくるのが日課だった。なぜそうするかは説明されなかった。確率的にそこから2、3人の良いお客様ができることを後に学んだが、その時点ではナンセンスの極みであった。真夏の炎天下だ。浪速の街はふらつく暑さで、遥か遠くは蜃気楼のように見え、スーツの背中は乾いた汗で塩を吹き、靴は1ヶ月で潰れた。船場の威勢のいいおばちゃんに「兄ちゃん、うちバクチせえへんねん」なんて追い帰されたり悪態をつかれたりでプライドはズタズタ。朝のすし詰めの地下鉄から御堂筋に吐き出されるサラリーマンの群れに紛れながら、同じかばんを持って何で俺だけこんな事やってんだろうと意味が分からなくなり、ついに辞表を出そうと決意した。そうしなかったのは地下道でばったり会って押しとどめて下さった酒巻支店長のおかげだ。ドジも出汁にしながら多くの人生の先達との熱い人間ドラマがあり、社会人の礼儀作法、世の中の仕組み、証券分析、営業のイロハなど今でもそれで食ってる大事なことすべてを骨の髄まで叩き込まれた。踏みとどまった以上はと懸命にもがいてるうちにお客さんができ、若手トップの営業成績で表彰された。やがて夢のような2年半があっという間に過ぎ、予想もしなかった留学の人事発令が出た。普通は喜ぶが僕は困った。真剣にやった銘柄選択が未熟で大きな損失を抱えてしまったお客様に何もできなくなるからだ。眠れぬ夜を過ごして迎えたあくる日、朝7時半に店のシャッターが開くと同時に来店されたその方がくださった予期もせぬ餞別と激励のお言葉は今も胸に刺さっており、僕の体を貫く棒のようなものである。明日大阪を発つという晩、支店の皆様が居酒屋で送別会をして下さった。元気の出るエールをいただき会は盛り上がった。いよいよ最後にスピーチをとなり、何を話したあたりだったか女の子たちがわんわん泣き出すと男性たちが続き、涙でしゃべれなくなって終わった。こんなことは二度となかった。夢に一番出てくるのが梅田だ。2年半のメモリーは鋼のようにずっしり重たい。
2位・ウォートン留学
同期の日本人の皆さんは英語は堪能で帰国子女もおられたが、こちとら受験生時代から英語はだめでリスニングが苦手ときていた。最初の3か月、授業はおろかテレビCMさえチンプンカンプンで焦った。学校は金土日が休みなので喜んだが甘かった。全米から集まる秀才のアメリカ人が3日図書館にこもって読める分量が翌週のアサインメントという仕組みだったのだ。ざっと1日500ページを読んでないとクラスで議論に参加すらできない。それを2年で19科目パスしないと問答無用で落第である。物凄いプレッシャーの中、体力と知力の限界を行き来した2年間であり、角帽にマント姿で卒業証書をもらった瞬間、MBAになった喜びより勉強しなくていい感動が体に満ちた。そこから14年、英語世界で証券ビジネスをすることになるが、ウォートン最難関の中級会計学の期末試験の恐怖に比べたらそんなものは羽毛ほどでもない。 中学のころ頭が悪いと思っていた自分が全米トップのビジネススクールを突破したのは奇跡に近い。人生あの2年間ほど勉強した事はなく、自信も実力も盤石な竹の節目となったのである。海外であるかどうかは関係ない。皆さん受験や大学での勉強や研究で苦労したご経験があるはずだ。何を学んだかも大事だが、難関を切り抜けた、なんとかなったという自信と手ごたえこそが体に残る一生ものの財産だと申し上げたい。
3位・九段高校硬式野球部
始業式のあと教室より先に部室を訪ねた。草野球では自信はあった。 高1で背番号1を背負って公式戦の初マウンドに立った。そのころの球は人生最速で自分では誰も打てないと思っており、そこそこうまくいっていたが、投げ過ぎがたたって2年で肘と肩を壊し3年で野球をやめた。有頂天から奈落の底だった。ドツボの日々の悔しさは口にするのもむなしく、女子が心配してくれたが肉離れや捻挫と思われ「肩は虫歯と一緒で治らないんだよ」と説明しても通じない。南沙織が「17才」でデビューする中、こっちは17才で終わった。10年ブランクがあったが、ウォートンに行く直前にニューヨーク現法から突然「お前やってたんだろ、投げてくれ」とお呼びがかかり、コロラドから3時間飛行機に乗り、45チームの企業トーナメントで5試合投げ、準決勝で負けた。捕手ドンのリード通り投げ、球は遅くなったが伸びて詰まり、アメリカ人は1人も僕のカーブを打てなかった。死ぬほどきつかった硬式野球部の練習に耐えてこの時ほど良かったと思ったことはない。前年度優勝チームを倒したのと、2試合目でノーヒットノーランをやった評価か大会MVPに選ばれた。人生最後のマウンドから降り、野球の神様は本当にいると思った。以来、俺はツキがあると考える思考回路ができ、何事もプラス思考で生きてきた。皆さん、物事は前向きに考えた方が絶対に得だ。福は明るい人がつかむ。きっかけは何でもOK。意識して作られた方がいい。
4位・ロンドン営業
修羅場の総集編であった。シティの機関投資家相手の仕事であり、知識、情報、分析が問われる。大手客のオーダー執行でチョンボを犯して半年ぐらい出入り禁止になるという大失態を犯し、調査部の情報が漏れてしまいポジションを外された事もある。初めてのプロの世界の洗礼だった。活きたのは梅田、野球の泥臭い復活体験だ。僕は失敗からの方が圧倒的に多くのことを学んでいる。野村でも最大であるチケット1枚160億円が動いたディールはたくさんの失敗体験からできた。野村克也氏の「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」は野球に限らず本当だ。皆さん、失敗を恐れてビビっては絶対にいけません。なぜなら、人間、ビビるとやらなくなる。やらない理由を考えて臆病を正当化するようになる。それが習性になると人は取ったリスクに見合う勉強しかしないし土壇場で逃げるしで信頼されず、大成した者は見たことがありません。当然です。そういう人は修羅場に飛びこまないから竹の節は1つもできません。だからどんなに頑張っても、節を持った人に抜かれます。
5位・自主浪人
中学受験は全敗。星しか興味なく成績でほめられた記憶なし。父は賢いと言ってくれたが頭は悪いと思ってた。唯一自信がある野球に走ったら肩を壊してドツボにはまった。それが悔しく東大合格が代理目標になったが落ちて自主浪人して失敗し、人生の最深度に至るドツボにはまった。やっても伸びないと悟った英国社の時間は減らし数学を増やした。すると公開模試で全国7位になり、数学満点で世界制覇の気分になり、考えてもみなかった「未知の自分さま」と出会うことになった。浪人という選択をしなかったら彼を知らずに僕は人生を終えていた。修羅場はとんでもない物を引き出す事がある。合格はもはやルーティンの内であり、浪人中に達していた輝かしい場所が自分にとっての最高峰であった。
ホントはこの道じゃなかったんじゃないかという思いを積み残しながら5つの修羅場は終わった。最後のロンドンを終えたのが35歳。モーツァルトはここで亡くなった。ビジネスマンとして僕も35歳で完成していたと、自信を持って言えることを誇りとしたい。でもホントの道の方が良かったかな、でもこういう暮らしはできなかったんじゃないかなという世俗的な気迷いが残っている。
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