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カテゴリー: ______自分とは

元宝塚の真丘奈央さんのコンサート

2016 SEP 11 23:23:39 pm by 東 賢太郎

先週は駆け足で海外に行ったり気疲れが多く、安らがない日々が続いている。スケジュールもくるくる変わったりで、今年からSMCの新メンバーにお迎えしたミクロネシアはポンペイ島ご在住のトム市原さんが来日されるものの、お会いできるかも危うい状況になった。

それが金曜の夜ならなんとかというのに落ち着いて、それならこれをぜひ一緒にというので行ったのが、元宝塚の真丘奈央さんのコンサートだった。

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なにしろ「保護犬・猫のためのチャリティーコンサート」というのがいい。僕は殺処分ゼロを断固支持する者である。人間の勝手で犬猫を飼っておいていらなくなったら捨てる、店で売れないから処分する、かように玩具や商品在庫のように動物の命を扱うのは人として悲しい。

 

 

僕は犬を飼ったことがないが、覚えていることがある。和泉多摩川の団地住まいのころ、七五三だったのだろうから3才のことになる。両親に連れられて羽織袴で橋を渡って登戸の神社へ行った。するとそこにいた茶色の犬が僕になついてきて、何が気に入ったのか、帰り道、いたずらで橋桁の上を歩いたりしながら戻って来たのに家の前までずっとついてきてしまったのだ。「飼いたい」と泣いてせがんだが、親父が頑としてだめであった。翌日、ひょっとしてと周りをあちこち探した。どこにもいなくなっていて、ひどくせつなかった。

あの犬はどうしてしまったんだろう・・・。3才の記憶なんてそうあるものじゃないのにこれは信じられないぐらい、昨日のことのようにはっきりとプレイバックできてしまう。なぜかと言うと、僕はその犬と気が合っていた。あっ、こいつがいたら毎日が楽しいな、いい友達になれそうだとひらめいていた。人だって動物だって、そんなことってそうあるもんじゃない。あれを親父が飼ってくれたら今頃は犬派だったかもしれないなあ。主催のNPO法人の方のスピーチを聞きながらそんなことを思い出していた。

真丘さんが宝塚スターだったということも、そもそも宝塚が何なのかということも門外漢の僕は知らない。しかし、結論として事実として、僕は2時間わくわくして楽しんだのだ。前から2列目で表情が良く見えたのも幸いしてか、自分は女の人が歌を歌っているその笑顔を見るのが好きなのだということがわかった。

オペラやミュージカルというのはずいぶんたくさん見たが、登場人物がずっと笑顔なんてことはもちろんない。怒ったり泣いたりしているのは無条件にいやだし、癒されたいときは宝塚のほうがいいのかもしれないなどと思ってしまった。そういえばお袋がこんなの大好きだ。遺伝かな。

というわけで音楽も楽しかったがこちらも心からの笑顔になって帰していただいた。心の漢方薬だ。ロビーで大勢のファンに囲まれる真丘さんに御礼のひとことぐらいと思ったが、女性ばっかりの熱気に圧倒され失礼してしまった。

そこから市原さんらと三鷹の駅前で食事。ご友人は「算数オリンピック委員会」のかたで、日中両国で毎年3、4千人の小学生が競うそうだ。関心ありますということでお別れした。

 
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いや~、そうはいっても、オカマもいますからね

2016 JUN 3 2:02:42 am by 東 賢太郎

 

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思考とは計算である (トマス・ホッブズ)

 

 

 

 

まったくその通りと思う。思考とは喜怒哀楽とか恋愛とか好き嫌いとはちがう。ものを考えるということである。

学校の授業で、

「1足す1は?」 という問題に 「3かもしれない」と答える人はいない

「AまたはB、どっちが正しい?」 という問題に 「Cだ」と答える人もいない

ところが、現実社会には、こういう人が驚くべきほどたくさんいるのだということを僕は経験的に知っている

もちろん彼らはそういう意識は自分ではもっていない。持てるぐらいならたぶんそうはならない。

いや学校ではそうでしたけど、世の中は人が動かしてますから・・・

というのが、他人にそれを指摘されたときの反論であり共通の免罪符みたいになっているように思うが、それで幸福に生きている方々をとやかく言う気はさらさらない。

本稿は、あんまり幸福でも満足というわけでもないが何がいけないかよくわからない、もしわかるなら変えてみたい、という人々に書いている。

「1足す1は2」「AまたはBしかない」というのは決まり、決め事、いわば「原理」だ。「原理は絶対に変えてはいけない」ということにしないとそこから何か役に立つ結果を導いたり推論したりは絶対にできない、ということをまず頭にたたきこんでほしい。

どうして?「何か役に立つ結果を導いたり推論したり」なんか私の人生に関係ないでしょ、と疑問をもった人はここでやめた方がいい。時間の無駄だ。

 

 

サッカーは手を使っちゃいけない、将棋の歩は前に一つしか進めない、野球は打ったら一塁に走る、こういうのはみんな決め事だ。どうしてもこうしてもないのであって、「そう全員が了解」してはじめてゲームが成立し、楽しめる。

つまり「1足す1は2」「AまたはBしかない」という決め事に「いや~、そうはいっても」とか「でも世の中ってさあ」とか「でもこう言ってる人もいるし」とか「ワタシはそう感じるし~」などと逃げる人、あるいは無意識に自分を逃がしてしまう癖のある人は「思考」というゲームに参加する資格はない。

ないんである、そんなものは

という厳然たるマインドが絶対必要なのである。「1足す1は2以外にない」ぐらいはそう思う人も多いだろうが「AまたはBしかない」は難しい。「CもDもあるでしょ」というのは実生活において自然な感覚だからだ。しかし、二者択一(二択)という、実生活ではあまりない状況にあえて落とし込んでみて、変数を減らして思考してみるというのは、意思決定においてはパワフルな方法なのだ。

その「あえて落とし込んでみて」というのが重要だ。これは人為的な作業だから、聞いた人は不自然だと感じるのだ。だからその有用性(変数を減らす)をわかってない人は、そこで本能的に拒絶してしまう傾向を見る。本能に理性が勝つようにすることこそ学校の数学の授業で訓練されていたことなのだが。

世の中は右か左かで決まるもんじゃない、柔軟な思考こそ大事なんだよなんてわかったようなことを言う人は、実はほとんどが何も決められない人である。だから自分で決めず他人に聞いたり従ったり支配されたり、それがいやで支配したい人は50人もいる御前会議を開いて赤信号みんなで渡ろうよになる。そこで出た結論は「思考」の結果ではなく、責任のなすりあいの結果に過ぎない。

ホッブズの言葉の通り、思考とは計算である。ゼロかイチかの二択(二進法)でコンピューター言語がなぜ書かれているか?単に計算に便利だからだ。それは二択が計算に「パワフル」なことを証明しているし、なぜそれが思考の結果としての意思決定にもパワフルだと信じるかというと、僕はホッブズの言葉が正しい、つまり「思考とは計算である」という前提に立っているからだ。

デカルトは「理性は計算できない」と言ったじゃないかと反論もありそうだが、ゼロかイチかの二択で書いた人工知能が将棋もチェスも世界チャンピオンを倒し大学受験もパスしそうだという現実は、彼は間違っているということを証明しつつあるのではないか。「そういうものは理性でない」というなら、では理性と理性でないものを二択で示していただく必要があるだろう。

喜怒哀楽とか恋愛とか好き嫌いは感情であり「本能の領域の精神作用」である。それらが「計算できない」というのは本能的には正しいような気もするが、大学に受かったコンピューターくんが恋愛したり五月病になったりもするようにプログラム化ができないと考える人は科学者にはいないだろう。

2045年に1000ドルのコンピューターの演算能力がおよそ10ペタFLOPSの人間の脳の100億倍に達し、技術的特異点(シンギュラリティ)に至る知能の土台が十分に生まれているだろうとのレイ・カーツワイルの予測は有名だが、そこでは我々が神秘的な「本能」と称しているものもゼロかイチかの二択で書けてしまう可能性はある。

二択を原理として適用して思考する。この程度のことはできないと本能だけの人間になり、やがて誰かに支配されるだろう。誰かは人間、コンピューターのいずれかだが。「支配されている私を幸せにする義務があなたにはある」なんて支配者にほざいたところで、あなたが救済される保証を用意するほど資本主義も法律も社会保障制度もお人よしには作られようがないだろう。

二択思考のわかりやすい例を示す。

「地球には男と女しかいない、二択だ」と言うと「本能だけの人」から「じゃあオカマはどうなんだ」とくるだろう。そういう人はそこで思考がフリーズするのであり、「何か役に立つ結果を導いたり推論したり」という行程には入りようがない。そこで、それを言うなら、肉体は男だが精神は女の人をどう定義するかを決めましょうという行程が入ることになる。これが「あえて二択に落とし込んでみて」という人為的な作業だ。

すると、「日本において出生時点では女より男が5%ほど多い」のはなぜだろうという問いに対して思考を加えることができるようになる。男>女は世界でもそうだが日本の女性出生1人に対する男性出生数は1.056人で、世界ランキング第60位なのはなぜだろう?という次の問いと思考が生まれるだろう。そして、このグラフ(日本人の女100人に対する男の数、総務省統計局)をどう説明するのかというさらなる思考へ発展するだろう。

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「いや~、そうはいっても、オカマもいますからね」という人がこの思考に参加することはない。

ものを考えるとはそういうことだ。何か決めようとするときに「AまたはB」という命題に落とし込む(そういう努力をしてみる)。そして「Aではない」ことを発見したとする。ということは解は「Bしかない」ことになる。どんなに直感的にも常識的にもそうじゃなさそうに見えようと!これが信じられる人は数学的思考力がある人だ。学歴は関係ない。超高学歴で「オカマ組」の人を僕は数限りなく観察してきているし、その逆もしかりだ。

きっとそれを信じられるマインドというのは宗教に近いんだろう。特に八百万の神の日本人にとっては一神教みたいなもんだ。でも、この「しかない」という部分に値千金の価値があるのだ。「べつにCでもいいじゃん」という人にその価値は永遠に見えない。これが長い人生で大差になるのである。僕はもういいトシでもあり気も短い、そういう人はまっぴらごめんで話にもならないから二択するしかない。

こういうのは筋金入りの原理主義者ということになるんだろう。家の地下室で成り立つ自然法則は137億光年かなたでも成り立つと微塵の疑念もなく確信しているし、ホッブズが国家を人間の本性という要素から原理主義的に解き明かしたリヴァイアサンは好き/嫌いでいえば、好きである。

 

エラリー・クイーン「オランダ靴の謎」

 

織田信長の謎(3)-「信長脳」という発想に共感-

 

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Harry氏が覚えていてくれる大事な半年

2015 NOV 8 18:18:56 pm by 東 賢太郎

Harry Saito氏とつきあったのが大学4年の半年間だけなのにそういう感じがせず、ずっと知っていたように思うのは不思議です。それだけ印象が強く残っていたということです。氏はその後、日本を代表するメーカーで海外と関わる部門で活躍され、僕の方も国際部門になりました。きっと海外への好奇心という気脈が通じたんでしょう。

思えばあの半年間は進路に迷ってとても不安定なときでした。国内の既得権でのうのうと食える大学に行ってるのにそれに興味がなく、どうしてもアメリカに行きたくなった。そこでアテネ・フランセという語学学校に通って彼と出会ったのです。大学にはいない海外に目が向いた若者と話すのは大きな喜びでした。

農耕民族は基本が内向きですから彼も僕もちょっとはじけてたんでしょう。クラシック音楽だって洋物だし、根っから西洋好きだった僕は西洋好きの人が好きでした。農耕民的なところは先天的に皆無の僕はきっととても変な学生で、それでもHarry氏がよく来てくれたのはうれしかった。持って生まれた嗜好、性格は変えられなかったからです。

というのは明治15年生まれの祖父が三井物産で上海勤務でグローバル派のはしりでした。「野球」という訳語ができたてのころ慶応の野球部員で米国遠征もした。はとこはケンブリッジに留学して慶応ラグビー部を作った人でした。官僚養成所の東大は眼中にない家で、今も僕はこの祖父の血を濃く継いでいると自分で思います。

子供のころ野球に明け暮れても母が叱らなかったのはそういうわけです。こっちはそれにかまけて勉強はそっちのけで、母が入れたかった慶応は入試に落ちました。大学は父方にならうことになって慶応は結局ご縁なしで終わってしまった。ところがそっちは理系ばかりなのに色弱で文系ということになってしまいそれも居心地が悪かった。

法律というのがどうにも性に合わず、関心のかけらも湧いてこないから仕方ありません。人の作ったものは興味ないんです。とうとう遊びほけて4年終わってしまい、民間に就職するしかないということになってしまいます。そこのいきさつはここに書きました。  どうして証券会社に入ったの?(その1)

親父は銀行員でしたが学者、研究者、教授など、証券会社など論外という家系です。ところが母は大ありだった。東京証券取引所の初代筆頭株主だった家で、その話はまだ知らない息子が証券屋を選んだ。するとあなたこれは血筋なのよと泣いて喜んで、そこで初めて先祖のことを話してくれたのです。乳母がいて姫で育った彼女のなかでは慶応が一番で東大は下に見ており、慶応を落ちた挙句に官庁や銀行に入るなんて言ったらどれだけがっかりしたか。

そのころの僕は人見知りもあり、つき合いも良くなく、いまだに人に思いを伝えるのはへたですからもっとへたでした。研究所にでもこもっている方が向いてましたし親父もそう思っていた。「ケンちゃん、証券会社なんて株屋だよ」「向いてないよ、やめときなさい」と頭から大反対です。何とも因果な家に生まれてしまいましたが、彼は僕がひいた母方の血の威力を知らなかったんです。

どうしてもアメリカに行きたくなった。不思議なもので、そう思っていると野村證券で米国に社費留学の道が開けます。そしてアメリカに行ってみると、理系の学者、研究者、教授がファイナンスや投資の最先端理論を研究しているではないですか。選んだ道は正しいぞという天の啓示のような自信と確信を僕はそこで初めて得たのです。法学部が失敗だったことも証券界を選んだこともそのためだったと。

Saito氏とお会いした大学4年の前半というのは、自分が振れている時期でした。父方の官立大学卒の人生でいくかどうか、そして、それを放棄して母方で行った。そうして、いかにも僕らしいサプライズに満ちた軌跡を描いて平穏に60才を迎えることができました。その大半は入れていただいた野村證券という素晴らしい会社のおかげですが、あの直前の半年に腹をくくらなかったら僕には野村の門をたたく勇気はなかったでしょう。

その人生の転換点だった半年。自分でも何を考えて何を言ったか忘れているそこをウィットネスしてくれるSaito氏はタイムマシンで現れた人であり、氏にとっても僕が同じくそういう存在なわけです。彼は当時の面影そのままに若々しいがこっちはけっこう老けこんでしまいました。しかし人の出会いとは本当に不思議です。それを大切にしないと自分の人生を見失ってしまう。昔の知己には機会あればひとりでも多くお会いしてみたいと思っています。

 
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ライフワークがまだない?

2015 SEP 17 2:02:39 am by 東 賢太郎

こんど京都にご一緒しようとなっている写真家のかたと話していたら、50を過ぎたのにまだライフワークがないとおっしゃる。あるのは日々の食うための仕事であって、いま死んだら残る作品がないと。

そんなことはないだろう、立派な写真集がいくつもあるのにというのは素人のたわごとのように思った。

きのう初めてお会いしたある方は、ご著書にはっきりと書かれている。「還暦になって、自分は何のために生きてきたのか考えた」と。

学ぶことがある。ライフワークなど考えたこともなく、SMCを残すつもりで作ったがブログはただの日記とわかった。何のために生きてきたか答えはない。生きることにそもそも目的があるのかというと、その答えも用意できていない。

生来、待つことが苦手である。思い立ったらすぐやらないと自分で自分を待つ羽目になるので耐えられない。鳴くまで待とうということはない、そんなのは捨ててしまった方が楽だ。考えさせられる時間のすき間が嫌いだ。

熱いものをお持ちでとよくいわれるが、全くの外見上の誤解であって、内実は極めてクールで冷たい。自分で嫌になるぐらい計算高い。そうでなくてはこの業界を渡っていけないが、それが自分を楽にもしている。

趣味はない。単なるpasstime(気晴らし、慰み事)。立ち止まって考えさせられる時間のすき間を埋めてくれるもの。1時間埋まる交響曲や3時間の野球はありがたい。所詮そんなもの。

そういう所からライフワークは生まれない気がする。

 

 
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クラシック音楽が断食状態にある理由

2015 AUG 30 11:11:53 am by 東 賢太郎

8月7日にブラームスのヴァイオリンソナタ1番を書いてから音楽ブログがご無沙汰になっております。あれも少し前に書いた原稿があったのであって、かれこれ1か月はクラシックは聴いてもいないでしょう。唯一、ねこ(ノイ)をグランドピアノにのっけると喜ぶので悲愴ソナタの第2楽章を弾いた、それだけ。去年もミクロネシアに行って深く感じるところがあり、帰ってからそういう状態になりましたが、今回はもっと強くそういうことになっております。

というのは今月12~15日の京都、安土、近江八幡、長浜の旅で、なにか不明のハイボルテージのチャージを受けてしまったからです。いま本業の方がいろいろあって大きな決断をしていく時期にあります。そこにそれが入って来たもんですから頭が他のことになかなか切り替わりません。こういう戦さモードの時は音楽というスイッチがすっかりオフになってしまうようで、クラシック音楽断食状態であります。

高校でも野球をしながらクラシックもするという変わり種でしたが、思えば試合の前日などはやはり音楽どころではなかったのです。中島さんが「中田投手のローテ変更」について書かれていますが、練習試合ぐらいでも先発となると前々日ぐらいから僕は気になってテンションが上がってました。そういう精神状態にワルキューレの騎行なんか良さげですが、あれだって聴いちゃうと戦えないです。曲の向き不向きじゃなくて、音楽を聴いたりやったりという脳の部分が運動系の部分とは縁遠いのかもと思ってしまいます。

じゃあ軍歌は何だ、マーチは何だ、甲子園のブラバンは何だというと、第一に行進の拍節を刻むもので第二に条件反射を促すものでしょう。あれが聞こえたら自律的に突撃!となる。パブロフの犬のベルと一緒で、だから音楽である必要はないし音楽でも単純な方がいいんです。ヒトラーはワーグナーをプロパンガンダに使いましたが間違えましたね。曲が高級すぎて行くぞっ!とならないでしょう。

僕は突撃系の曲はまったく好まないので、気分が突撃モードである今はなかなかブログを書き起こそうという曲が在りません。書きたい曲はまだまだたくさんありますが、作曲家に失礼だからそういう時に生半可なものを書かないのがポリシーです。いままでブログにした曲はみな、その時点でそれなりに「深いつき合い」「蜜月」の状態にあったものばかりなのです。

どうしてそういうモードになってしまったかというと、前から強い興味があったのにその原点である原典をよく知らないものに出会ってしまい、必然的にその「原典」に近寄ってみようという方向に気持ちが行ってしまっているからです。それを掻き立てられたのが京都、安土、近江八幡、長浜の土地が発する「気」だったということです。

前回、史跡をめぐる興味は地面に根ざしている小説は読まないその場所に立って歩いて自分の脳が感じるものだけを大事にすると申しました。それが僕の歴史を味わうポリシーです。そしてそれは、クラシックを聴くのに誰かの演奏ではなく自分で楽譜を見て読み取ったものだけを大事にするポリシーと同根であります。第九を味わうのにカラヤンがどうのベームがどうのとは、太閤秀吉を知るのに司馬遼太郎か吉川英治かっていう程度の話で、どっちでも結構ですがたぶんどっちも事実と違うでしょう。

京都、安土、近江八幡、竹生島の地に立って僕は信長の自分なりの姿、声、顔かたちの像、イメージができつつあるように感じています。まったく同様にウィーンではモーツァルトの、ローマではカエサルの像が、これはすでにできています。自分の頭の中に生き生きとした彼らの像(イデア)があって、他人の空想によるカリカチュアにすぎない小説やら映画やらはそれらを壊すので危険であります。映画アマデウスは像がもう何者にも影響されないほど固まるまで10年は見ませんでした。

「イデア」と書きましたが、いうまでもなくプラトンのイデア論のideaです。「円」や「二等辺三角形」という完璧なものはこの世になく、皆その「似姿」を知っているだけ。本物はあの世にあって、皆生まれる前にそれを知っているのに生まれると忘れてしまう。それを思い出すのが「学習」であり、フィロソフィア(philosophia)=phil(愛する)+sophia(知恵)はイデアを追求することで「死ぬ練習」だとする。そう勤めることが「人生をよく生きる」ことなのです。

というと何だか恐ろしげですが、プラトンは「輪廻(魂は不滅)」と言ってるので、あの世でまたイデアを見てまた生まれてきて忘れる、その永遠のくり返しということです。西洋人は意識下にこの考えの影響があって「美」「善」「正義」とはなんぞや?など、日本人はやらないことをやる。イデアの探求ですね。それは明治時代にフィロソフィアに哲学と意味不明の訳語をあてて以来いまだに日本人一般にはわけがわからんものでしょう。

僕がモーツァルトやカエサルや信長の像を求めている、あるいはベートーベンの第九交響曲の楽譜から原像を知りたいと思っているのは「イデア」を求めているのだと思ったのは、プラトンを知ったためではなく、プラトンは多少読んでいたのですがずっとあとから同じことかなあと思ったにすぎません。別に難しいことではなく、それが「人生をよく生きる」ことならいいじゃないかと実践しているだけです。

だから僕は音楽家の事績はその像から判断し想像しています。僕のイメージするモーツァルトはこういう曲は書かないな、偽作だなという風にです。この音型が何回出てくるとか和声連結がどうだとかいう些末な、多少の蓋然性ともっともらしさはあっても確たる証拠能力には欠ける推定材料よりも人間像から直感するパワーの方が強いのではないかと経験的にですが考えております。刑事コロンボが「初めて現場を見ましてね、やったのはあなたしかないと思ったんですよ」っていうあれですね。

つまり人間像と楽譜です。それしかその人の音楽を知る直接的な手掛かりはありません。その結果として今度はジュピター交響曲はこういうものだ、こうあって欲しいという作品の像が生まれてきます。もし僕が指揮者ならそれをオーケストラに音にしていただくというプロセスが続くのでしょう。それができないのでレコードやCDを買ってきて、それに近いのを探す。ところがなかなか見つからないんです。あれもだめこれもだめ、そうやって1万枚もたまってしまいました。だから僕は収集家なんかではぜんぜんなく、昔の**を捨てられないタイプなだけです。

今はそれが音楽家ではなく、信長、秀吉といった戦国大名の番であり、それを知ることがやはり今僕が直面しているビジネス上の意思決定の羅針盤になる、そう確信したのです。高校時代の「試合の前日」みたいなメンタルな音楽断食状態であり、こういう時にモーツァルトを聞いてもまったく心に響いてこないのです。

京都に行く前にラヴェルの「水の戯れ」を書いて既にブログができてるのですが、そういうことで今はそれを上梓するモードにありません。あまり良くもなくて、そのうち少し手を加えて出せるのではと思いますが、しばし時間を頂きたく存じます。

 
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エラリー・クイーン「災厄の町」

2015 MAY 17 19:19:44 pm by 東 賢太郎

51qs8cL-0-L._SL250_クイーンの長編はほぼ読んでしまったのでこれは珠玉の残り物でした。読んだのは早川書房の「新訳版」(越前敏弥訳)で、翻訳者の越前氏のブログによると、

『災厄の町』はクイーンの後期の代表作で、クイーン自身が最高傑作と評したこともある作品です。わたしも、海外ミステリーのオールタイムベストを選ぶとき、かならずこの作品を上位に入れます。」

とあります。楽しめました。僕にとってクイーンは思い出の卒業アルバムみたいなもので、感動→失望というプロセスをたどったものですからすでに過去のものでもあり、読み残しの何作かも食指が伸びずじまいでした。これを本屋で買おうと思ったのも熱が再燃したわけではなく、字が大きいから。何ともさびしいものですが。

中学~高校時代にハマって片っぱしから読みましたが、パズラーとしての凄味と切れ味に感服したものですから一言一句を熟読しまして、国語の教科書よりもずっと影響を受けたと思います。

還暦になって、クイーンの影響が「3つ子の魂」と化したことを列挙してみると、

  1.  ロジック好き(=要は理屈っぽい)
  2.  細部好き(=全体と細部に優劣なし、些末な事は世になし)
  3.  物証好き(=人より事実を見る、いい人・悪い人はない)
  4.  リアリズム好き(=あいまいが嫌い)
  5.  やりあげ好き(=解けない問題はない=必ず最後までやる)

 

です。クイーンによってそうなったというより、おそらく元からそうだったからクイーンが好きになったのであり、クイーンがそれらを増幅したということのようです(1-5の末としてもうひとつ、6.こうして文章がくどくなる)。

中高時代というと勉強はともかく野球と音楽で忙しいさなか、普通ならもう少しまとも?な名作文学全集や純文学にあてる限られた時間がそっちへ行ってしまったわけで、文学趣味や詩心には無縁のまま馬齢を重ねてしまいました。

さてクイーンですが、瓶やら靴やら帽子やらの物証をめぐる文章を読むわけですが、最後に「読者への挑戦状」があって負けたくないので緻密に読みます。それでも負けてしまう。というのは、実はクイーンのロジックは緻密でないからです。

なぜならそれは作者がロジカルだと勝手に了解した方法論に則って書かれた数学の答案みたいなものであって、でもこう解けば答えは違うとなる。あるいは解くための所与の条件に恣意性がある。したがってロジカルでないのです。

僕が読んだかぎりですが、解決が本当にロジカルな答案となるミステリーはないのではないでしょうか。必ずアンフェアなまま真相が開示されると言い換えてもいいし、必ずフェアネスより意外性に重点が置かれたスタンスで書かれていると言い換えてもいいでしょう。

そりゃそうです。数学の答案に金を払う人はいないでしょう。「驚天動地の結末」こそが商品です。だから昨今のミステリーはどんどんこけおどしに淫してしまい、ロジックが導き出すスマートな意外性を見ることはほぼ皆無になりました。

クイーンの人気の秘密はそのロジック解法のスマートさに「こだわっているふり」をし続けてくれたことにありますね、きっと。ふりということはウソなのですが、ウソでもいいからやってほしい。これってコスプレの世界です。ちょっと倒錯があります。

大人になって読んだ「チャイナ橙の謎」あたりでそれに気づいて飽きてしまい、だから「オランダ靴」や「エジプト十字架」、「Yの悲劇」をなつかしみつつもクイーン教を脱退してしまいました。

しかし、その不自然さは問題設定に欠陥があるんじゃないか。良問はロジックと意外性を両立できるのではないか。まだ仕掛けを見抜けない中学生の僕にはそれは達成されていたのだから、大人レベルで超絶的な作品が出てくるんじゃないか。

そういう幻を追いかけてまた読んでしまう。ミステリーはそういうビジネスなんでしょうが、商売なんかぬきにして真剣勝負を仕掛けてくれる天才が現れないでしょうか?それともオヤジの空しい願望なんでしょうか。

ちなみに「災厄の町」はロジックを文学的味つけに内包した所に新味があるという評価が一般的のようで、クイーンの片割れのフレデリック・ダネイが79年にキャロル大学での講演で「これまで書いた中で最高の作品」といったそうです。

僕はそうは思いませんが、一般に「後期」と呼ばれる方向に持っていきたい作者の意気ごみは感じます。このへん、3大バレエ後の渡米したストラヴィンスキーを思い浮かべてしまいますね、気持ちはわかるんですが。

この作品、やっと殺人がおきたところで犯人がわかったということで、したがって、ロジックはフェアであるといえます。というより、見抜かれるリスクをかなり負っている。それをカムフラージュするために人物の心理描写が必要になったのであって人間を描いた文学性(のようなもの)はトリックの素材です。

新味とはそういう意味でなら正しいでしょう。ダネイの「最高の作品」という自薦もたぶんそうではないでしょうか。しかし、この手法のリスクは、文学に疎い僕のような無粋漢にはそれがちっとも煙幕としてワークせず真相がわかってしまうことでしょう。

なによりその煙幕が書物の梱包に関わる「ある事実」を知るまでエラリーにも効いているのであって(だからこれが素材だと分かったのです)、名探偵より先を行っている優越感すら味わえたという稀有なエンターテインメント性のあるミステリーでした。

それだけなら苦笑して終わりなんですが、そうではなかった。「ある事実」で急転直下、ロジックによって全てが覆って真相解明に至る、これは「エジプト十字架」のリフレーンであり、あるストーリーに添ってやむなく事態を進行させた非合理が謎を残す、これは「Yの悲劇」のリフレーンです。

何と懐かしい!わくわくしながら読み終えました。まあイメージとしては80年代のベンチャーズのライブみたいな観はあるものの、許せてしまいますね。お薦めです。

 

(こちらもどうぞ)

アガサ・クリスティ 「葬儀を終えて」

 

 

 

 

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無趣味であることについて

2015 MAY 7 23:23:17 pm by 東 賢太郎

皆さま、「ご趣味はなんですか?」と誰かに聞かれた記憶はございますでしょうか?僕はありそうでありません(たぶん)。

この質問、もしするとしたらどうでしょう。

初対面だとちょっとぶしつけというか、いきなりプライベートな所に入ってしまうなという感じが、僕ならあります。特に女性の場合はお見合いか合コンのぎこちない会話のイメージで、だからしたこともありません。

趣味はおそらく自由とか情報と同じく明治時代の造語で、概念もなかったかもしれません。としたら、言葉がなければ尋ねようもないですから、昔の日本人は初対面の人にそういうことは聞かなかったということかもしれませんね。

若い頃ですがCV(curriculum vitae)といって英文で履歴書を書くことが何度かあって、趣味(hobby)という欄がある。これが困りました。書くものがないのです。

音楽鑑賞?野球観戦?天文?いえ、これらをhobbyと思ったことはありません。暇な時に何しますか?というニュアンスなら全然違います。暇がない時でもやるからです。ゴルフ?これはそう書けるほど上手くないです。

だからNone(無し)と書けばいいわけですが、その質問は人の個性を仕分けする目的だから「こいつは無趣味だ」というレッテルになりそうでそれも困る。だからでしょうか、普通は仕方なく読書だ旅行だと当たり障りないもので欄を埋める人が多いようです。

しかし読書や旅行は嫌いな人の方が少ないでしょうから食事と書くに似た気がする。それに僕の場合、特別に好きということもないのでどうも嘘っぽいなと思い、「ネコと遊ぶ(playing with cats)」と書いたら、お前あほかと先輩に叱られました。

そういう経験をへて学んだのです、やっぱり僕は「無趣味」であると。人と知り合ったり、付きあったり、つながったり、そう見られたい、という意味で名乗る趣味というものは僕にはなく、必要だと思ったこともないということをです。

僕がクラシック音楽ファンですと名乗ったところで、その言葉が一般にイメージさせる人物像と違いますからかえっておかしなことになります。「リストの愛の夢ってステキですね」と美人に相槌を求められても(ないですが)、多分その方を困らせてしまうのです。

野球場では投手を見ているだけでそれ以外は特に興味ありません。タイプじゃない投手の対戦だと見る気も失せます。甲子園も両先発投手を見て、見るかどうか決めます。これもイメージが違うということですからそう名乗ってもご迷惑なだけです。

 

結局、先輩には悪いんですが、どうしてもひとつだけということになると「趣味はネコと遊ぶこと」しかないんですね。しかし、そうなると今度はネコの方が「趣味?そんなに軽いもんか?」という目で見そうです。

 

 

 

ということで、やっぱり「趣味はありません」と答えることにしています。

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方向音痴であることについて

2015 APR 20 18:18:31 pm by 東 賢太郎

イチロー選手が方向音痴をカミングアウトしているのを見て安心した。あの人間離れした外野守備は空間認識能力のあかしだがそれと方向音痴は別ということのようだ。彼は「僕よりすごいヤツいないですよ」というが、それはわからない。僕がいるからだ。

クルマを運転していて裏道へ入るともう絶望的だ。環八が混んでるので横道に入ってぐるぐる30分も右へ左へ路地を走って、だいぶ先にきたぞ環八へ戻ろうって、よく見たらそこは元より手前のとこだったなんて普通だ。ロンドンは6年も車で走って、会社と家の往復以外はついに道を覚えず、だから週末の買い物の運転は家内まかせだった。

母はクルマ好きで毎日乗り回し、裏道はタクシーより良く知っていたからそれは遺伝してない。いっぽう僕は裏街道は嫌いだということになっているが、実は裏へ入ると不安だからであって、ナビができてもその習性はそのままだ。

僕が道を覚えないのは別の理由もあることに気がついてきた。先日、地下鉄で目的地まで2回乗り換えをした。途中で確認しようと路線図を見たら全然わからない。あれは色覚異常の人には意味のない地図だということをわかってもらうのは無理なんだろうか。

中間色になると赤と緑と茶色、ピンクと水色なんかがぜんぜん区別がつかない。だから凡例でこの色が大江戸線とあっても、その色が路線図上のどれなのかがまったく分からないのである。全部灰色にして明度で区別してもらった方がよほどましだ。

日本もハンディキャップのある人にだいぶやさしい社会になってきているが、こと色覚についてはノーケアといっていい。政府発表資料で棒グラフをわざわざ赤と緑に塗ってある(らしい)のを見るとこれはいじめなのかと悲しい気持ちになる。

しかし、方向音痴にいたってはもう絶望的だ。つける薬もない。

 

 

 
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人に頼られるということについて

2014 OCT 18 6:06:03 am by 東 賢太郎

元いた会社の人がたくさん読んで下さっているということをいろんな人からきいて知っている。だから匿名もわかってしまい、みだりに公表できないこともある。それでも本稿をいま書くのは意味がある。

もうだいぶ前になるが元の会社で同期だった男が、退職するといってきた。入社した時から40で辞めると決めていたんだよとさらっと言い放った。そこで移籍した先が何年かして上場し、株主だった奴はそこも辞めて悠々自適の生活にはいっていた。サラリーマン辞めると朝飯がうまいんだよ、初めてそう思ったよなんて。

当時あの会社に入る連中は多士済々だったが8割はすぐに退社するか2,3年で競争から脱落した。昨今のパワハラ、ブラックなどという言葉をきいてそれがどうしたのと笑ってしまうぐらい凄い会社だった。残って上に行ったのは傑物も多く、下士官クラスの時分にはもう名前が社内中に知れわたっている。それは学歴なんかでは一切なく仕事ができるかどうかだけだ。

アメリカでクラスメートなんかに「40歳でリタイアして本当にやりたいことをやるのが夢だ」なんて話も聞いていたものだから、お前はうらやましいと奴に会うたびに言っていた。本音だ。経済的に大成功でもしないと裕福な脱サラなんて夢のまた夢だ。

ところが奴はだんだん、「俺もそう思ったよ。40で夢を達成したと思った。でも最近そう楽しくもないんだよな」 とぼやく。人生カネだけじゃないんだというなら普通の話で、そうじゃなかった。何でだときくと 「だって、誰も俺を頼ってくれないんだ」 とぽつりとつぶやいた。

会社生活で年季が入ると人に頼られるという経験は誰もそれなりにあるだろう。それを意気に感じるか重荷に感じるかは人それぞれだが、奴は同期トップで部長に登りつめたやり手、押しも押されぬエリートで、チームのリーダーでもある。大勢から頼られまくっていた男であった。

さてこっちははどうなったかというと、こっちはこっちの経緯で退職すると腹を決めたのが2004年、49歳になっていた。これは人生の大きな転機になった。噂がちょっと出たぐらいで3つの会社からお誘いの電話があってびっくりした。発表されたらいくつかの経済誌に勝手記事を書かれた。

まっさきに電話があったところは上場会社で、僕が何者かを骨の髄までよくご存じだった。いきなり株主総会で常務にするからとポストを約束して下さった。社名もトップなら条件面も最高、責任と権限も非常に明確だったから心が動かなかったといったら嘘になる。お忍びで3日連続社長室で話をきいた。仕事は僕の守備範囲であった。

次に来たところはポストはいままでと同じ部長であった。上級部長らしかったが、その責任と権限は、正直のところ元の会社とあまりに仕組みが違うのでよくわからなかった。僕個人についてはそうご存じではなくその時点では元の会社のご威光で声がかかったものだった。元の会社の大先輩方がいらしてそのヒキだと元の会社では思われていたが、そっちへ話が聞こえたのはずっと後だったから黙っていたお詫びにひと苦労した。

1週間ほど考え、後者にお世話になることに決めた。理由は二つある。まず、ここだけがオファーが「プライマリー」という仕事だったことだ。僕はその業務経験がぜんぜんなかったが、いずれ独立起業するためにはそれをやっておきたかった。経験ないですよ、野球とサッカーぐらい違いますがよろしいんですかと自分から正直に申し上げたらいいと即答だった。リスクを取ってくださる、それなら僕もリスクを取ろうと思った。自信は特になかったが、だめでも他で何とかなるさという自信はあった。

二番目は、その時その会社に行けば頼りにされるかもしれないという空気がなんとなくあって、それが心に沁みたことだ。元いたところは流れが変わっていてそう感じなくなっていたことが辞める最大の原因になっていた。人間必要とされるところで働きたいのは誰も一緒だろう。しかしその時はそのことがいかなることよりも大事でハートに強く響いたことはまちがいない。

一番目はやってみたら何ということもなかった。結局、二番目の方が僕のような人間にとっては大きく、その会社を「世の中がぎゃふんと言うほど勝たせたい」と本気になる決定的な原動力になった。そして元いた会社には大変申し訳なかったが大事なところで大いに勝ち、業界ではそこそこ話題になってまた経済誌にネタを提供することになった。お金のために出ていったのでは断じてないことだけはご理解いただけているのだろうか。

だから結果論といわれればその通りだしまだ結論とするのは早いが、僕は奴とは反対のことになったと考えている。経済的に成功するか頼られるか。僕は頼られる方が大事だった。経済的に成功してないで負けているのはいまでも悔しいが。奴と特に親しかったわけではないが、元いた会社で出世頭でいながらすんなり辞めた、権威に媚びないあのいさぎよさとポリシーを貫いたひょうひょうとした姿勢。数ある優秀な同期の中で影響を受けた男のひとりである。

 

(追記、16年2月2日)

膵臓がんで亡くなった本稿の「奴」、Aがスイスに出張で来て、「お前はうらやましいぜ、こんなとこの社長、一度やってみたかった」というので日曜に山に連れて行ってヘリコプターに乗せてやった。部下だけお供して「お前は?」と不思議がったが、高所恐怖症なのは教えなかった。

 

 

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自分で感じる運気のこと

2014 OCT 15 2:02:59 am by 東 賢太郎

毎年この時期になるとプロ野球の戦力外通告の話がでる。ヤクルトの岩村明憲や藤井 秀悟の名前もある。ヤクルトファンではないが神宮で見るしかないので実は最もよく見ている。藤井はDeNAにいるが去年阪神戦を見に行って好投していたのがまだ記憶に新しい。トライアウトに挑戦するようだ。使ってもらえるならやりたいという気力はえらいと思うし、ぜひもう一度チャンスがあればいいなと思う。

自分も職業人としてはとうの昔に峠を越している。それは50才あたりから感じだし、55を過ぎてからは年々下降するのを自覚している。それには勝てないし、無理に筋トレやランニングをしたりで自然に抵抗する気はない。その時間があるならば、そうではなく今しかできないことをやっておきたいと思う。

10年前までは頑張って仕事をこなす、取りに行くというスタンスで生きてきた。それはまだ諸欲が旺盛だったからのことだ。ところがこの5年、諸欲は明白に減退している。欲しいものがなくなってきた。僕は権力欲、名誉欲は元からあまりなく、物質的に欲しいものが減れば金銭欲も消える。

やりたいのは旅行ぐらいだが海外はもう充分満足である。一生分やった。もう欧米には行けなくてもあまり悔いはないし、未踏破の国はあまり関心がない。国内は未踏破県もまだあるが温泉と味覚ぐらいで充分、あるなら歴史スポットめぐりぐらいだろうか。

音楽というのもずいぶんいろんなものをきいたが、今から英雄交響曲みたいなものに新たにめぐり会うことは絶対にないと自信あるほどにきいてしまった。

そう書くとなにか寂しい余生みたいに見えるが、べつにそうなったらなっただし、それが嫌さに力んでみたとてたいしたことは起きないだろう。55で自立して4年、もうくり返したくないような思いをたくさんしてきたが、それでもちゃんと生きているし家族も養えているのだからよかった。そのおかげで何もしなくても何とかなるさという腹のすわりができてしまった。

トライアウトを受ける野球選手の気持ちはわかる。過去の実績は関係ない。今できることで使ってくれる球団があれば幸いですというスタンスはとてもいいと思う。身の丈を自ら知る人だけが入ることのできる境地だろう。

年齢、体力、気力、諸欲の問題ということばかりではなく、自分で感じる運気というものもあって、当分は流れに棹をさすことなく粛々と生きることが色々な観点で最善と思っている。頑張らない人生というのは初体験だが、なにかすがすがしいようにも思う。

 

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