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カテゴリー: ______自分とは

自分で感じる運気のこと

2014 OCT 15 2:02:59 am by 東 賢太郎

毎年この時期になるとプロ野球の戦力外通告の話がでる。ヤクルトの岩村明憲や藤井 秀悟の名前もある。ヤクルトファンではないが神宮で見るしかないので実は最もよく見ている。藤井はDeNAにいるが去年阪神戦を見に行って好投していたのがまだ記憶に新しい。トライアウトに挑戦するようだ。使ってもらえるならやりたいという気力はえらいと思うし、ぜひもう一度チャンスがあればいいなと思う。

自分も職業人としてはとうの昔に峠を越している。それは50才あたりから感じだし、55を過ぎてからは年々下降するのを自覚している。それには勝てないし、無理に筋トレやランニングをしたりで自然に抵抗する気はない。その時間があるならば、そうではなく今しかできないことをやっておきたいと思う。

10年前までは頑張って仕事をこなす、取りに行くというスタンスで生きてきた。それはまだ諸欲が旺盛だったからのことだ。ところがこの5年、諸欲は明白に減退している。欲しいものがなくなってきた。僕は権力欲、名誉欲は元からあまりなく、物質的に欲しいものが減れば金銭欲も消える。

やりたいのは旅行ぐらいだが海外はもう充分満足である。一生分やった。もう欧米には行けなくてもあまり悔いはないし、未踏破の国はあまり関心がない。国内は未踏破県もまだあるが温泉と味覚ぐらいで充分、あるなら歴史スポットめぐりぐらいだろうか。

音楽というのもずいぶんいろんなものをきいたが、今から英雄交響曲みたいなものに新たにめぐり会うことは絶対にないと自信あるほどにきいてしまった。

そう書くとなにか寂しい余生みたいに見えるが、べつにそうなったらなっただし、それが嫌さに力んでみたとてたいしたことは起きないだろう。55で自立して4年、もうくり返したくないような思いをたくさんしてきたが、それでもちゃんと生きているし家族も養えているのだからよかった。そのおかげで何もしなくても何とかなるさという腹のすわりができてしまった。

トライアウトを受ける野球選手の気持ちはわかる。過去の実績は関係ない。今できることで使ってくれる球団があれば幸いですというスタンスはとてもいいと思う。身の丈を自ら知る人だけが入ることのできる境地だろう。

年齢、体力、気力、諸欲の問題ということばかりではなく、自分で感じる運気というものもあって、当分は流れに棹をさすことなく粛々と生きることが色々な観点で最善と思っている。頑張らない人生というのは初体験だが、なにかすがすがしいようにも思う。

 

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サラリーマンと大器晩成

2014 SEP 23 11:11:53 am by 東 賢太郎

父方の祖父は僕が小学校3年ぐらいで亡くなったが、手相見が当たるので有名な人だった。そのことでひとつだけ覚えているのが、僕の右手の平をじっと眺めて、「この子はタイキバンセイだよ」と諭すように父に言ったことだ。大きな声だった。だからだろうか、その声までくっきりと耳に残っている。もちろん意味など分かる由もなかったが、何か悪い意味ではないなとだけ思った記憶がある。

もう来年60だから、その時の祖父の歳に近いだろう。バンセイするならそろそろしないとおかしいな、なんて勝手なことを思う。これからはこの祖父の予言を胸に抱いて生きていくことになるだろうか。

しかし、だ。若い時に何でもない人が齢をとっただけで晩成するもんだろうか、とも思ってしまう。そういう人は若いときから大器なんじゃないか。英語では人間が練れてオトナになった状態をmatured というが、大器が花咲くという感じではない。これは日本的、あるいは東洋的な大人(たいじん)という概念だろう。

人間には旬がある。スポーツ選手だと10代後半から20代までだろう。たしかに40代のプロ野球選手はいるが、その彼らだってその頃から立派に大器だったのだ。大器晩成なので40歳でドラフト1位指名を受けましたなんてことは絶対にない。

一般の社会人でも、仕事の種類はちがってもやはり旬はあるだろう。体力、知力、経験値がベストのブレンドになるのはおおよそ30代ではないだろうか。証券業で見る限りはそうだ。99%の人はそのあたりで最も脂がのった良い仕事をしている。

旬などとうにすぎているのに、つまり自分でできることの峠は越しているのに、何か大きな力を持っている人だろう、大人(たいじん)というのは。He has great power as he is matured. なんて西洋人に言ってみたところで何のことか通じないだろう。だからこれは儒教的、東洋的な世界でしか起きないことと思われる。

僕は祖父の占ってくれたバンセイを固く信じている。しかし、それでいながら、30代の旬の頃、絶頂期だった自分には何をやってもかなう気がしない。それは、いま仕事で固く結ばれているのはみなあの頃の僕を知っている人たちだということでもわかる。彼らも30代、全盛期だった。お互いガキで地のまま、必死だった姿を知っている。

だから彼らとは今でもごまかしは利かないし背伸びの必要もない。裏切りは絶対にない。お互いに、この仕事を頼めばどういう結果になるかほぼ正確に予測がつく。しかし、40を過ぎてから知り合った人は、野村で一緒に苦楽を共にした人ですら、言葉の端々でああ誤解されてるなとがっかりする。それが良い方の誤解であっても。

それは自分の責任だ。管理職になるころには社内では一定の評価、評判ができあがっている。400人も部下のいる組織に辞令が出ると、異動先では「あの人は・・・」と前もって噂され尽くしている。仕方ないのと面倒なのとでだんだんその通りに振舞うようになってくる。そうするとみんな安心する。それを見てこっちも安心する。

マネジメントとしては楽であるがこれは一種の役者だ。サラリーマンが嫌になった理由はいろいろあるが、本当の自分でない虚像につきあっていくのが疲れたのもそれだ。組織のトップが地のままで勤まるような人は生まれつきのリーダーだと思う。僕はそんな人とは程遠い普通の子で、学校時代は人前でしゃべるのも苦痛だった。

ビリー・ジョエルにHonesty(オネスティ)という名曲がある。彼はこう歌う。

But I don’t want some pretty face
to tell me pretty lies.
All I want is someone to believe.

そういうことだ。30代のころの仲間にあるのは、鉄壁の信頼だ。虚像でつくった信頼はそれも虚像でしかない。自分が脱ぎ捨ててしまわないといけない。そう思ったのでガラにもなかったブログなんかを書いてカミングアウトしている。しかし、書けばかくほど、虚像がなければ30代の自分には逆立ちしてもかなわないということがわかってくる。

権力や権威目当てに生きて勲章をもらうような人はそういう葛藤はないのだろうか。周囲にいないので知らないが、人生の最後になって今が旬だと思えるなら幸せな人生だ。でも僕には、失礼を承知で、あれは生きながらのオマージュに見える。勲章をくれる側の権力、権威に一生を捧げた返礼としての。

祖父がいったバンセイは、今の僕の悩みを乗り越えることだと思っている。幸い50にもなって恵まれた仲間が増えている。それはサラリーマンの同僚とは天と地ほどちがうものだ。これはとっても大事なことだ。someone to believe は「裸になって必死にやっていること」でしか現れないのだと気づいてきた。

30代の自分はまだ虚像なんか欲しくたってなかった。毎日が必死だった。だからこそ信頼できる仲間ができたんじゃないか?旬の時期の自分なら必死になれなかったことがある。50%の力で出来たことが今は必死にならないとできなくなってしまってもいる。それは実は良いことであって、次へのステップになるのかもしれない。それは真の意味で、何ものからも自立することだと考えている。

 

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伊藤博文と太平洋戦争

2014 SEP 10 11:11:26 am by 東 賢太郎

a9cf0dfac6385096bfdc8e7a81155e90僕の母方松崎家は信州伊那出身、明治の横浜生糸商、田中平八の姉が母の曾祖母である。前職にあった時分、伊那支店長に案内されて平八の駒ケ根の生家である藤島家のご当主宅を訪問し、平八にまつわる貴重な資料や本をいただいた。ご当主の顔立ちが僕のいとこに瓜二つでぎょっとした。

夏の伊那谷から望む南アルプスは実に素晴らしく、2年半を過ごしたスイスを連想した。武田が最後の攻防をした高遠城に立ち、藤島家は武田が落ち延びて竹村姓を名乗った末裔と聞く。現代日本人の多くはこうして遠く戦国武将の血を引いているのではないだろうか。温泉宿に泊まり、赤穂の山麓の美味なるそばを食い、祖父が通った飯田中学(今は高校)を見てから市長に挨拶して帰った。

横浜で晩年過ごし亡くなった平八の墓は神奈川の良泉寺にあるが、なぜか墨田区の木母寺に伊藤博文の揮毫により、平八のニックネームである「天下之糸平」と書かれた、高さ3mある石碑が建立された。中学ぐらいの頃、母の長兄が一族引き連れて法事の折に両方の寺へ連れて行ってくれた。

 

平八と伊藤博文。どういう関係だったかは正確には知らない。早乙女貢著「天下の糸平」(文春文庫)によると平八は商人ながら水戸天狗党の乱に加担して江戸の牢につながれた。思想的原点は横浜閉港を訴える佐幕攘夷急進派だったわけだが、その後なぜか池田屋事件で新撰組に斬られかけている。

ということは討幕急進派の長州に合流していたことになり常識では量り難いが、ともあれ明治新政府が石碑を建ててくれるまで感謝されたのが史実だ。商人の身で政治に関与したのは祖父が公家だったからと思われるが、今後調べたい。

その伊藤ら長州閥が孝明天皇を毒殺し、睦仁親王を誅して大室寅之祐にすり替えたという説が歴史家の鹿島曻氏によってとなえられている。太田龍氏の「天皇破壊史」(成甲書房)にもある。大室寅之祐は山口県熊毛郡田布施町出身で、吉田松陰の命を受けた伊藤博文と木戸孝允が養育していた。

このような俗説を信じるかどうかに当たっても科学的な態度を重んじたいが、この田布施町は岸信介、佐藤栄作と2人の内閣総理大臣を出した日本唯一の「町」である。岸の孫である安倍晋三、大室寅之祐の末裔である橋本龍太郎まで入れると4人である。偶然とは思い難い。

江戸時代、朝鮮は不倶戴天の敵秀吉を倒した徳川幕府とは蜜月関係にあり朝鮮通信使を何度も送っている。それが明治新政府になるとむくむくと征韓論がわきおこるが、強硬に唱えた一人は田布施一派の木戸孝允であり、その妹の子、木戸幸一は昭和天皇の側近として東条 英機を首相に推薦し太平洋戦争開戦に関与した。

300万余の国民を殺したこの戦争への突入と明治新政府の略奪的成立に目をつぶり日清日露までを美化する司馬史観は国民に一時の高揚感こそ与えるが、現実を直視しない国民は道を再度誤るリスクがあると思う。孝明天皇暗殺説に証拠はないが、そう仮定した帰納法は少なくとも日本史の教科書の記述よりも上記の事柄を整合的に説明するように思う。

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長州田布施一派の安倍晋三が首相である我が国。仮説ではあっても明治以降の歴史の真相を知り、明明白白な論理で政治を俯瞰することが大切と思う。

僕は先祖の石碑を建てて立派な文字を書いてくれた伊藤博文を個人的には好きである。しかし私人としての是非と歴史の是非とは違う。

 

 

(追記)

きいたところによると高田万由子という女優さんは糸平の子孫らしい。そうやって辿っていくと誰と血がつながっているかわからない。おんなじ人をご先祖と勘定している、これの解答はそういうことである。  ベテルギウスは85億人の先祖を知っていた

(さらに追記)

藤島家のご当主にいただいた家系図によると、糸平の母方の祖父は「お公卿」とだけある。公卿とは天皇と姻戚関係ある貴族である。名前が明かされていないだけにとても気になっており、誰なのかどうしても知りたい。

横浜富貴楼 お倉

 

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能ある人はNOがない

2014 SEP 6 22:22:46 pm by 東 賢太郎

今日は友人と二子玉川で昼食をしました。開業して4年、近頃はこちらからではなく相談を持ちかけられることが増えました。

証券に関わる仕事というのは中々奥が深く、前回書いた運用アドヴァイスという本業以外にもさまざまな相談があります。そのほとんどは投資銀行業務にくくられるもので、本来は大手証券会社の業務範囲でしょう。しかし案件の性質上大手は使いづらいものがあり、それが人づてに回ってくるのです。

会計士や弁護士はたくさんいますが、僕のようなキャリアの人間でフリーに動ける人は少ないそうです。フィーもお安くはありませんし、数人でやる範囲しか対応できないから大証券のような執行力は毛頭望めません。しかしお客さんのニーズにはその方が合う場合があるのです。

僕は食うための仕事はもうしないと決めました。余計なことに時間を使いたくなく、お金に振りまわされる老後などまっぴらです。もう充分食うための仕事はしたし、子供は大人だし家はあるし、ないのは時間だけです。最後の日に「記憶に残っている日」が何日あるか?それが多い人生を送った者が結局人生の勝者だと思うようになりました。

ただ、自分が自分の意志でソナー・アドバイザーズ株式会社という看板を掲げており、その看板に対してご相談をいただいているのですから、会社の顔は潰してはいけない。それは僕個人の人生観とは全然別な話で、会社は作った瞬間から別人格の、ある意味で公の存在です。株主も社員もいます。だから社長であるうちは、その責任をまっとうしていかなくてはなりません。

そこで僕のモットーですが、「能ある人はNOがない」を実践することにしています。これは  評価をダウンできる5つの法則の第2条です。彼は僕が何者かを知って来ているのです。当然YESを期待してです。個人的にNOでも、会社としていきなりそう言うのは会社が能無しだとなってしまう。仮にお受けできなくても、この業界の人はたくさん知っていますから出来そうな人をご紹介ができます。

彼とはそういう背景をいちいち確認しながら、いくらいい話でもお金のために仕事はしてはいけないのだという人生観の確認をした2時間になりました。それに値するか?という問いをお互いに考えることにして別れました。

 

 

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ワガママであることの功罪

2014 APR 26 15:15:20 pm by 東 賢太郎

先日、畏友の写真家齋藤清貴氏の弟子、中條未来(ちゅうじょう みく)さんの個展に行って、気に入った一枚を買わせてもらいました。一見なにげないバルセロナ市街の光景なのですが、そこにはヨーロッパの雑踏の空気とざわめきが在ってとてもいいのですね。あえて白黒というセンスがまた気に入って、音が聞こえてくるように感じたのです。

僕が撮るといえばスマホ写真がせいぜいですが、ここだと思ってシャッターを押して出来が良かったことは一度もありません。けっこうたくさん撮っていて、それも自分がいいと思って撮っているんだからそれはないだろうと思うのですが、プロの写真を見てしまうとダメです。3日もたつとどうしてこんなつまらないものを撮ったのかと不思議に思い、 1か月もたつと情けないことに被写体がなんだったか忘れていたりもします。写真は正直者で、シロウトの自己流がそのまま出てしまうのでしょう。自分のワガママがいかに世間では通用しないかを映す鏡のように見えてきました。

こういう経験をすると、ひょっとして、ここだと思ってしゃべったり書いたりしていることもそんなものじゃないかという気持ちになってきます。3日たつとどうしてあんなことをと思い、1か月もたつと・・・ということかもしれません。仕事上の発言に衝動的ということはあり得ませんが、私生活ではわかりませんし、こうして公開してブログを書くようになって、書いたものは写真のように残りますからだんだん不安になってきます。最初の方のブログはそれが全然なく、今読んであまりのワガママぶりにこれはひどい消したいというのがいくつかありますが、それも今となっては我が歴史の一コマであり残しております。

幸か不幸かあるいは人がいいのか、僕は嫌いな人というのが思い当たりません。仕事で対立してこの野郎となったのは何度もありますがそれはその人の言ったことやとった行動が嫌いなのであって、その原因は良く考えると当方にあったりするので、その人物まで嫌いというのはまずありません。罪?を憎んで人を憎まずを地でいっています。ただ言葉が下手で直球のみなので相手を傷つけていることがたぶん多く、それを言っちゃあ終しまいよというのを何度も言っています。かなり後でそういう人にバッタリ会って、こっちはそれを忘れていて、というのはそれがなければ君はいい奴なんだけどなあということで投げた一球だけのビーンボールなんでよりが戻ったということも多々あります。

だから基本的に去る者追わず来る者拒まずで生きてきています。それでも一応一線で生き残っているのは、妙な話ですがずいぶんとワガママをしてきたからで、自分の争えない性格上結果的にそれが成果を出す鍵でした。ワガママであるというのは僕が仕事上も含めておつき合いしたことのある方、特に女性ほぼ全員に言われたことでありますが、言い訳になりますが同じワガママでも僕はあまり利己的ではなく基本的に利他的なのです。利己的な人は権力欲や独占欲が強く権利意識が強いと思われますが、僕はそのどれも関心がありません。会社時代にいやいや権力をたくさん持たされたからもうたくさんです。とにかく人に笑顔になってもらうことや助けたりものを教えたりが好きであり、そうありたい願望からワガママになっているのは誠に勝手ながら事実です。利他は自分が満足した状態にあって、なにより自分が強くないとできないのです。

ネコ型の人間ですから他人から支配されるのが最も嫌いなのはいつか書きました。だからサラリーマンはのっけから無理であり、自分を支配できる人間は自分だけなので自分のルールで結果を出すのが唯一の成功パターンです。悪戯(いたずら)も野球も受験も証券業もささやかながらそれで結果を出して来ました。ただあまりにささやかなので満足していない自分がいて、その自分がそうでないものを求めてやまないので起業しています。だからこれからそれをやるつもりです。自分の実像はブログでもう世に晒していますし、それをお読みいただきワガママも飲んでいただいての挑戦ということになると、これは僕には逃げ道がなく沽券に関わる問題なので失敗は自分が許しません。去っていない人たちはひょっとすると僕より賢くて、そういう人には気がつかずに支配される運命にあるのかもしれませんが。

 

 

記憶法と性格の関係

2014 FEB 11 0:00:20 am by 東 賢太郎

記憶の仕方というのはいろいろあるということを先日知った。お借りした本に下線(アンダーライン)がたくさん引いてあったからだ。こういうタイプの記憶法を「下線型」と呼びたい。マーカーが売れるのは下線型が多いからなのだろう。

僕は本に線を引くことはない。汚すのが好きでないしマーカーは色がわからない。だいいち、もう一度読むことはあまりないから引く意味がない。本は内容を理解すればいいと思っているので文言は忘れても気にしない。

暗記モノはページごと「情景」で覚えるので線はむしろ邪魔だ。「信長の写真があるページ」と絵で覚えていて、年号はそのメモリー画像から読み取るというイメージだ。こういうのをピクチャー型と呼ぶ。

今も同じで、僕の部屋は家内が見ればメチャクチャだろうが、教科書と同じであの小説は右側の「本の山」の3合目ぐらいなどと情景で覚えているから、整頓して見た目をきれいにしても得るところはあまりない。逆に、外出中に片づけられるとわからなくなってしまう。

子供のころ、父は僕のだらしない部屋を見るたびに「これがお前の頭の中だ!これで勉強なんかできるか!」だった。たしかにそうだが、頭の中に「野球の器」と「音楽の器」が別々にあって、共存してなんともないといういい点もあった。

「野村證券みたいな会社でよく音楽を覚えましたね」とある人にご意見を承ったが高校時代の延長だ。今でも本はカントから「のせ猫」までジャンルを問わず、5~10冊は同時に読んでいる。頭の中で「哲学」と「猫」の仕分けがない。同じページにカントと猫の写真があるにすぎない。

本は本棚に服はタンスに!と下線を引いて覚えると、洋服が本棚にある場合は見つけられないのではないか。ピクチャー型にとっては「見たものが真実」だ。タンスに本があれば脳のスマホがそれを撮影してしまう。あとで本が見つかればいいので、何をどこにというルールは不要となる。

どっちがいいということもない。ただ、お互いにそういう生き方が長年積み重なってくると、整理整頓型の人は「ボルドーの赤は肉料理」というような「下線つきのすり込み」「ウンチク」がワンサとたまるだろう。

一方、あるがまま見たままのピクチャー型はあまりすり込みをしない人生を歩んでいるからボルドーにギョーザでもおいしければいいとなる。記憶法ひとつで人間は性格がずいぶん変わるという可能性があるのではないだろうか。

 

朝きこえてる音楽の謎

クラシック徒然草-音の記憶という不思議-

人の相性についての僕の考え

2014 JAN 22 22:22:10 pm by 東 賢太郎

英語のケミストリー(chemistry)の意味は「化学」ですが、「相性」の意味でも使われます。その昔、西洋では人間は四大元素でできていて気質はその四つの元素の配合比率で決まると考えられていたそうで、その比率の同じ人どうしは気が合う、だから「ケミストリーが合う」と表現するようになったようです。友達を見ればその人が分かるといわれる理由もそれですね。フモール(humor)も同じで、ギリシャ語の液体という意味ですが、人間を組成するフモールの比率によって性格が決まるという考え方が根底にあります。やがてhumorはユーモアという意味になります。「何を面白いと思うか」はその人の性格を物語るという含みは残っていて、どんなジョークを言うか笑うか、要するにsense of humorで人間性を推しはかる傾向が西洋人にはあります。

性格、趣味、嗜好、考え方、人生観が近い人とは一緒にいて楽しいものです。ただ、そういう人と一緒に仕事をするのがいいかというと必ずしもそうではありません。組織力を発揮するには能力、タレントの分散が必要だからです。しかし仕事ではなく、人生を有意義に楽しく送るということだけでいえば、「合う人」は誰にも重要です。一般にいう友達というのは基本的に合う人のことなのですが、全部の友達が「すごく合う」わけではありません。「嫌ではない人」でも友達になれてしまいます。しかしすごく合う人は世界にものすごく少ない、というのが僕がこれまで生きてきた結論です。Facebookで返事が来たらお友達という軽い世界ではないと思うのです。英語で

A friend in need is a friend indeed.

という諺があります。いい言葉です。「本当に困ったとき、必要なときに力になってくれる人が本当の友達だよ」という意味です。そうでないのは友達ではありませんし、友達でない人脈など苦労して作っても何の役にも立ちません。一万人のオトモダチより一人の友達なのです。そういう人は多くないのだから、自分から積極的に手を打たなくてはお会いできない。ご縁だけ待っていてもだめです。ものぐさな僕がブログを書いてみたいと思った動機は「すごく合う人=友達」を探す長い旅路の準備だからです。

そのためには、自分をまず正直にディスクローズ(開示)する必要がどうしてもあります。フモール(ユーモア)と同じことで、他人を知るにはその人の「エピソードの集大成」として知るしか手はないでしょう。だから、こういう時に喜・怒・哀・楽を感じた、こう行動した、こういう成功や失敗をしたというエピソードを書くわけです。それも自分という人間の個性である部分はあからさまに、どんなにそれがとんがっていようと恥であろうと、事実を開示しなければそもそも書く意味がありません。そしてそのとんがった所に反応してくださった方こそ、僕の探し求める方ではないかと考えているわけです。事業を共同してやる人も、後継者ですらそこにいるのではないかと信じます。

その方がどういう人かはまったく関係ありません。小学生の坊やであっても僕は真剣にお会いしたい。四大元素の比率が同じというのは、それぐらいレアで貴重なことであり自分の子どもだから必ずそうとも限りません。そういう子には聞かれればなんでも何時間でもお教えしてしまうでしょう。例えばですが音楽の和声というものに僕は尋常でない興味があり、長年固執してますからポップスならピアノやギターですぐ和声付けができてしまいます。やって見せるとどうしてと聞かれますが誰でも3時間でできます。そういうとんがったことが僕と同じぐらい好きな人であればお教えしたくてたまらない。しかしただのノウハウとして、ただの好奇心でならノーです。同類でない人とそういう飯のタネでもないことを共有する時間はもうないです。

そういう目的で僕はブログで独断と偏見をぶちまけています。だから赤の他人のそんなものは何か同類項でもないと読む気もしないでしょう。お読みいただける方はですから僕と何かの同類項をお持ちの方ではないかと想像申し上げる次第なのです。データを見ると、読者がどなたかは知りようがありませんが何で検索したかはわかります。たいそう驚くのですが、嬉しいことにとてもニッチな単語でお入りいただいている方が多くおられ、1年以上も前に書いた拙文がこまめに読まれていることがわかります。そういう方に僕は大変関心があります。

一日10人も読んでくれれば上出来だよといわれて始めましたが今はだいたい200-300人、多い日は700人も来てくださいました。10人というのは「ブログを作ってみたがぜんぜん読まれなくて・・・・」という方が多いということなのですが、誰だかわからない人の朝食の写真を毎日楽しみに見てくれる人が何百人もいると考えるのは少々無理があります。すると今度は「いい内容にしなくっちゃ」となります。毎日「耳よりな話」や「他人のためになるトピック」がある人などまずいませんから、結局疲れてしまいます。そうやって挫折してしまう人は大変多いように思います。

解決はコロンブスの卵、実にシンプルです。誰でもまず自分という人間を「開示」してみること、世界に向けて「自己紹介」してみることです。簡単でしょう? そういう姿勢でブログを書けば必ず合う人が現れて読んで下さるというのがこの1年ちょっとでの僕の発見です。もちろんお一人でインターネットの大海に船出されるのもいいでしょう。SMCのメンバーになって書けば1人でやるよりは勇気もわきますし効果も高いでしょう。大事なのは何も財界人でも有名人でなくても誰だって「私の履歴書」は書けるということです。今日明日に何万人も読まなくてもいずれ絶対に読まれます、なぜなら「子孫」や「親族」というあなたに興味がある読者が出てくるからです。若い人だって履歴書を現在進行形で実況中継で書けばいいのです。そうするときっと知らない世界が見えてきます。個性に共鳴してくれる人は世界中に必ずいるのであり、その人こそが「友達=a friend indeed」なのだ。僕はここまでの実体験としてそう信じます。

 

 

モーツァルト ピアノ協奏曲第27番変ロ長調K.595

2014 JAN 19 22:22:13 pm by 東 賢太郎

まず「春への憧れ」へ長調K.596をお聴きいただきたい。

来て、大好きな五月よ、木々をまた緑にしてね
そしてぼくに見せて 小川のほとりに小さなスミレが咲くのを

Komm,lieber Mai,und mache die Bäume wieder grün
und lass mir an dem Bache die kleinen Veilchen blühn!

ピアノ協奏曲第27番K.595の第3楽章のテーマはこの歌からとられたというのが通説である。作品目録によるとK.595が1791年1月5日、K.596は1月14日となっている。この歌は魔笛の台本を書いたアルベルティが刊行した「子供と子供好きな人のためのクラヴィーア伴奏歌曲集」という家庭用の易しい曲集のために書かれた。それは今でいえば「母と子の楽しいお歌の絵本」みたいなものだ。K.596~8は他人の作品も含む「春の部」全30曲のうちの3曲となったが、後続は冬の部だけで終わってしまった。目録では3曲の作曲日は全部1月14日となっており「3曲まとめてお届け」の軽いお仕事であったことは明白である。そのために書いた旋律を、最も大事なピアノ協奏曲に転用?普通の人の感覚からすれば、話は逆なのではないだろうか?

では、今度はこっちをお聴きいただきたい。

恋はかわいい泥棒。(イヴを誘惑した)蛇みたいなものよ。心を満たしたと思ったらすぐ奪ってしまう。目から心へもし恋が忍び込んできたら、あとは任せるしかないの・・・・

これはオペラ「コシ・ファン・トゥッテ」第2幕でドラベッラが歌うアリア「恋はかわいい泥棒」(E amor un ladroncello)変ロ長調である。もうすっかり新しい男の誘惑に心が陥落してしまっている 妹が「ねえ、お姉ちゃん、堅いこといわないでいいじゃない、ねえねえ」と姉をそそのかす歌だ。この次のアリアでついにお姉ちゃんも落ちてしまう、非常にポイントとなっているアリアである。

清純派の「春への憧れ」とは何というコントラストだろう!

しかし、同じ変ロ長調で書かれたこのアリアとピアノ協奏曲27番は同じパッセージを共有しており明白な近似性があると僕は思う。音楽学者アラン・タイソンのエックス線分析によると27番は1788年に使用していた五線紙に書かれており、「コシ」(完成は1790年1月)の作曲中に作られていた可能性がある。僕は27番のテーマはドラベッラから来たものであり、たまたま演奏しようと27番を仕上げて清書した91年1月に、ちょうど舞い込んだ一日仕事である子供の歌に調をかえてちょいと転用したのだと思っている。

アルフレート・アインシュタインが「最後の春を自覚したモーツァルトの締念の明朗さ」「幼くして亡くなった子どもたちが、天国で遊んでいるかのよう」と評した27番の第3楽章。これを「浮気のおススメ」のお歌でしたなんて言おうものなら「なんと不謹慎な!」とお咎めが飛んできそうだ。でも1791年も元気いっぱいだったモーツァルトは1月時点で「最後の春」だなんてかけらも思っていないし、なにも諦めてもいないのだ。ぜんぜん事実を見ていない。どうしてこういう人が出てきてしまうのだろう?

僕の説を言おう。世界のモーツァルティアンはサユリストである。あの吉永小百合サマがトイレなんて行くわけないだろうと本気で思っていそうな人たちだ。恋は盲目という。1791年が死の年と知ってしまった彼らは彼にウワキストの音楽なんて書いて欲しくない。ましてそんな不浄なものを子供のお歌に使う不届きものでいて欲しくないのである。だからあのメロディは5月のスミレの歌なのだ。天国の子どもへの捧げものなのだ。

彼らは恋人が人気凋落で困窮の生活にあえいでいたと主張しながら、だからこそ普通の人ならそうするであろう、「必死の金もうけ」の努力は絶対に認めない。恋人は普通の人ではない。お金なんて不浄なもののために彼はいたんじゃない。神の使いなのだから。ということはモーツァルトは社会主義国に生まれていたらきっと幸せになったろう。そして、このスタンスは元来が社会主義的である日本国において強く共感されている。生活苦に耐えぬくから「おしん」は美しいのであって、彼女がある日株を買って儲けたりしたらそれこそ人気凋落だろう。

僕は1791年は彼がオペラプロダクションで失地奪回して一旗揚げようとした元気いっぱいの年だったと確信している。世をはかなみ、あきらめの境地で白鳥の歌を書いたなどという文学青年が描いた星目の少女漫画みたいなのはどう考えても違う。これについては「モーツァルトの死の真相」なる稿にする。モーツァルトは非常に「資本主義的」な男であり、金儲けと贅沢と女が大好きなエピキュリアン、ビッグスペンダーだ。いま生きていたらミュージカルやポップスのプロダクションオーナーでマンハッタンにビルの一本も持っていたかもしれない。なぜそこまで言うか、少しご説明を加えさせていただきたい。

僕はけっして読者の美しいモーツァルト像をこなごなにして不愉快な思いをさせようと目論んでいるわけではない。これは彼の手紙と自筆譜と音楽というファースト・ハンド・インフォメーションを40年間じっと見聴きし観察してきた僕の直感が出した結論であり、映画や俗説に影響されたものではない。それと全く同じ意味で、世界の音楽学者、文学者、知識人らお歴々が200年にわたって作り上げてきた通説というものも、僕にとっては単なるセカンド・ハンド・インフォメーションという括りでしかないことをお断り申し上げたい。なにより、サユリストにはご不快に聞こえることを承知で書くが、僕は彼という人間にえも言えぬ共感がある。ケミストリーが合うひとだと直感する。だから人間としての彼がものすごく好きなのだ。恋人ではなく友達のような感じで。

ついでに書くと、手紙で見る彼の父レオポルドはびっくりするぐらい僕の親父と似た性格だ。いやらしく干渉して箸の上げ下げまで細かくて万事うるさくてケチで金にシビアで勉強しろ偉くなれしか言わない。でもその強烈な縛りがあってぎりぎり一人前になった。そうでないとエピキュリアンは道を外れてグレてしまうからだ。しかし長ずると耐えきれなくなってその支配の手から逃げ、嘘をつき、ついにわがまま放題して独立してしまう。息子の心の経緯や手管は手紙で現在進行形のようにリアルにわかる。

それがあまりに似ていて僕の琴線にびんびん伝わってくる。もう僕はそれが自分の秘事の暴露で赤面するような気持ちで読んでしまっている。そんな風に一体化して共感できる人は過去にも現在にも、僕には世の中に一人もいない、つまり、音楽家か天才か魔笛が名曲かどうかなどを問う前に、彼は僕にとって気になる人間であり、どこか特別の人なのである。それは僕のクラシック音楽好きとも何の関係もない。そういう特別の人がたまたま有名な作曲家でもあり、だからあんな手紙が残っていたというだけだ。

こういうフシダラでなおかつ米国人なみに資本主義的な人間である僕が、清純派にだけ操を尽くすような真面目で勤勉実直な、ご本人たちは思っていないだろうが僕の眼には社会主義者である官庁や銀行に就職するようなタイプの方々に未だかつてちゃんと理解されたというためしはない(ちなみに親父はその銀行員だ)。だからモーツァルトが僕の思うような奴だったとすればだが、宮仕えがうまくてつまんない会議で真面目に発言していい子にならないともらえない頭取賞みたいなものをたくさん貰っているに近い音楽界での景色を見るにつけ、違うでしょ、それだけはという気がしてしまうのだ。

そういう人が書いてしまった27番。しかし、サユリストをそうしてしまう尋常でない何かがある。モーツァルトにとって特別な変ホ長調で書かれた第2楽章。これはどこから降って来たのだろう?天国?そうかもしれないと僕もそう思う。これを見てほしい。

モーツァルト27番

これは第2ヴァイオリンが奏する何の変哲もない音階練習のようなフレーズである。ところが、どういうわけか、これを聴くと僕は心の底から悲しさが湧き出てきて体が凍りつき、金縛りのようになる。もっといえばこの楽章全体がどこか浮世離れしていて、薄暮の森の中を魂だけがふらふらと浮遊しているような不思議なものである。僕でもピアニストがつとまってしまうぐらい簡略な音符だけで書かれているのに!これはおそらくクラリネット協奏曲のそれと並んでモーツァルトが書いた緩徐楽章で最美のものだ。

第1、3楽章での転調はこれみよがしなものはいささかもないが、達人が草書体の自在さで深みのある彩りをそえるという風であり、それまでのすべてのピアノ協奏曲とちがう。楽想もおだやかで平和に満ち、才気や挑発というものを感じない。それでいてこの曲が醸し出す幽玄な魅力というものがどのように舞い降りてくるのか、僕にはまだわかっていない。まだ勉強も経験も足りず、どうしても歯が立っていないという感じがするのである。

当面の理解で、僕がいいと思っている演奏をご紹介する。この曲はトランペット、ティンパニを欠きフルートも1本だけで、弦楽器の扱いがデリケートである。この意味あいはこの異例のコンチェルトの演奏において非常に大きい。だから神経の通わない音を許容するような演奏は言語道断なのだ。ところが第1楽章の入り、変ロ長調の第1ヴァイオリンのpのフレーズ(楽譜)から、どうもいいものが少ない。

 

モーツァルト27

こんな簡単なフレーズがどうしてうまくいかないんだろう?世評が高いバックハウス盤のウィーン・フィルもだめだ。後は推して知るべしになる。奏者たちがどうもベームの棒に感じ切っていない。ベートーベン、ブラームス弾きであるバックハウスが老境で録音したこの演奏はそれなりのものではあるが彼のモーツァルト観はやや違うと思う。

 

クリフォード・カーゾン / ベンジャミン・ブリテン / イギリス室内管弦楽団

カーゾン作曲家ブリテンの指揮がすばらしい。カーゾンのデリカシーに満ち満ちた珠玉のようなタッチのピアノをあたたかく包み込み、冒頭から神経の通わないお座なりのフレージングは皆無である。両者とも音楽性の塊でありこの音楽に敬意と愛情を注いで音を紡いでいるという風情は感動的だ。第2楽章は遅く、ピアノはモノローグをぽつりぽつりと弾くことになるが、心の揺れを伴って微妙に動くテンポは音楽の息吹そのものであり、ブリテンがそこに添えられなくてならないものをそっと当てがう様は至福の瞬間だ。

 

マリア・ティーポ / アルミン・ジョルダン / パリ室内管弦楽団

ティーポ宝石のように硬質に輝くタッチで奏でられるピアノの高貴さは格別である。自在なテンポで生き物のように紡ぎだされるデリケートな粒立ちが本当に美しい。ナポリ生まれで女ホロヴィッツとよばれた腕前であったが彼女が技巧だけの人ではないことはこの演奏で証明されただろう。第2楽章は幽玄さよりもラテン的な透明感があり、フランスの木管と絡み合うさまは夢のよう。第3楽章のピアノの粒立ちとしゃれたリズムの立たせ方もため息ものだ。ジョルダンのオケは木管が際立つが弦の微妙なピッチにも細かい神経が通っている風で上等である。

 

エミール・ギレリス /  カール・ベーム /  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

ギレリス モーツァルトここのウィーン・フィルは悪くない。ギレリスのモーツァルトというと録音当初はやや違和感を覚えたが杞憂であったのを思い出す。たっぷりしたテンポで愛情をこめて弾くピアノはあたたかい音色に芯があって美しく、現代ピアノで聴くモーツァルト演奏の喜びだ。遊びはなく禁欲的で第2楽章には感じ切った深い情感がこもる。大人の演奏だ。ベームもここでは比較的良い。第3楽章ではギレリスの技術のすごみ、指の回りが各所で看破できるが、それが音楽の本質にだけ寄与しているというのは演奏家として最高の境地ではないか。

 

フリードリヒ・グルダ / クラウディオ・アバド /  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

グルダ意味深い遅めのテンポで始まる第1楽章でグルダのピアノは自在のアクセントとメリハリをつけるが、それでいて古典的な均整感も感じさせるという非常に次元の高い演奏を達成している。アバドの棒は何をしたいのかよくわからず、並録されている25番など第1楽章のあまりの遅さに閉口して聴くのをすぐ辞めてしまったが、ここでは謙虚にグルダのサポートにまわっている。ただ第2楽章の楽譜を挙げた第2ヴァイオリン、ヴィオラの波打つようなせせらぎの意味を指揮者が分かっているとはとうてい聞こえず、単なる伴奏カラオケの域を出ない。グルダの名演を味わうCDということである。

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

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なりたかったのはシャーロック・ホームズ

2014 JAN 18 7:07:55 am by 東 賢太郎

 

子供のころ、将来何になりたいですか?と聞かれてなんて答えていたかは忘れました。適当に親や先生や大人が喜びそうなのをみつくろっていたと思います。本音ではプロ野球選手か天文学者でしたが、思えばもう一つあって、シャーロック・ホームズでした。

僕のミステリー歴は小学校で借りたシャーロック・ホームズ・シリーズと怪盗ルパン・シリーズに始まります。あまりに面白いので殺人が起きない小説は物足りなくなってしましたぐらいです。特にホームズの観察力や物腰は格好いいと思っていて、ああいう大人になりたいと思っていました。

今読んでみると、背景描写には英国のにおいがぷんぷんしていますね。なつかしいです。英国でまずブレークしたのは、19世紀末~20世紀初頭のインテリの英国人男性たちもホームズのような姿を理想とするというか、少なくとも格好いいと思っていたからだと思います。長年の英国人との付き合いから感じるのですが、今でも彼らがもっとも避けたいと思っているのはembarrassed(人前で恥ずかしい)な事態であって、たとえば簡単にいえば、社会の窓があいていたなんてのがそれに当たります。

一方で、事件の真相を見抜くホームズはワトソンをはじめ他のすべての捜査官をだしぬくのですが、推理力のような知の力でそうすることを英語でアウトスマート(outsmart)するといいます。これはembarrassとは対極であって、もっとも望ましい。もちろんどこの国でもそうでしょうが、英国紳士界においてはその高低差がどこの国の男よりも格段に大きいと僕は感じています。きれいにさえoutsmartすれば相手が外国人でも尊敬されます。アガサ・クリスティーの探偵エルキュール・ポアロは風采の上がらない小男のベルギー人ですが、それでも格好いいわけです。

僕はロンドンのシティで6年間、その英国人のプロたちに日本株を売ってきましたが、ファンド・マネージャーという職業の彼らはオックスフォードやケンブリッジを出たエリートです。僕のお客にはアイザック・ニュートン以来のケンブリッジ大学のダブル・トップ(2学部で同時首席)という歴史的な秀才もいました。そういう人たちが一生の仕事とするわけですから、株式投資というのは日本人の99%が(証券会社の90%の人間ですら)誤解しているようなバクチ的なものとは程遠いのです。相場を理性で予想するという行為、つまり合理的な仮説を立てることにほかなりません。

僕の仮説のほうが彼のより合理性があると判断されれば、オーダーを、しかも大きめのをくれます。半年ぐらいたって株価が上がって僕の仮説のほうが正しかったと証明されれば僕は彼をoutsmartしたことになります。彼らは自分で仮説を立てるプロでありますが、自分をoutsmartしてくれる人を探すプロでもあります。結果が全ての世界ですから。だからそうなればシャーロック・ホームズと同じで尊敬の対象になり、お客様の信頼は増すということです。そうすると徐々にですが能力があるという評価になってきて、もっとオーダーをいただける。それは証券会社では成績に直結します。だからいい仮説を立てられるように必死で勉強しました。

しかしそれは要するにホームズをイメージしてめざせばいいのですから僕の子どもの頃の理想でもありました。しかもそれをホームズのいた(はずの)ロンドンでやったわけですから、幸せな職業についたと思います。だからでしょうか結果はついてきて、ある政府系の機関からは1銘柄でワンショット180億円の買い付けという手が震えるぐらいの、たぶん野村でも空前絶後の巨大なオーダーもいただきました。当然手数料も半端な金額ではなく、自分の仮説にそんなに多額のお金を世界で1,2の著名な機関投資家が払って下さったというのは自信になりました。

200px-Sign_at_Sherlock_Holmes_Museum_in_Baker_St_221b数年前、息子を連れてロンドンへ行った折にやはりホームズ好きである彼がベーカー街のホームズ博物館に行きたいというので行きました。住所は221B Baker Streetであり、実在の有名人の住居跡にあるブルーのプレート(右)もかかっています。地下鉄の駅も下の写真のようであり、この愛され方は大阪の食い倒れ人形に近いといえましょう。国を挙げて遊んでしまう大人の余裕です。神田明神にも銭形平次の石碑がありますからわが国も文化的成熟度は誇っていいですね。

7c3cc300669bda38_S2ただ平次と我々では服装も髪型も違います。もしも日本人がまだ江戸時代と同じ格好をしていたならもっとリアル感のある銭形平次博物館でもできていたでしょうか。では明治以降で誰かいるかというとどうでしょう。僕は浮かばないのですが。そういう和風国民的キャラクターを後世が作れるほど平安な時代ではなく、その空気のまま戦争に突入してしまったのかもしれません。

日英は元は同盟国であり軍艦も機関車も英国からきました。英国の不倶戴天の敵国、ドイツと組んだことで戦争してしまった歴史はありますが、思えば自分は英国人ホームズに憧れる少年だったので基本的に英国が好きなわけです。そこで6年も暮らして、娘を2人も授かり、最も大きなビジネスを経験し、またソナーを作るにあたって助けてくれたのも英国人Sさんであり、ロンドン時代の仲間が3人も出資してくれています。英国とはホームズに始まって以来、なにか運命のつながりがあったと考えるしかありません。

 

僕にとってロンドン?戦場ですね

ご恩のバランスシート

2013 DEC 16 21:21:53 pm by 東 賢太郎

もう今年を振り返る時期になりました。                              ①生きていられたこと                                         ②家族、会社、知り合いが安泰であったこと                          ③新しい方とお知り合いになれたこと                              これで十分です。

「足るを知る」のは大事と思います。若いころは足らない人間でした。自分の力も足らず、得たいものを得ても、満ち足りませんでした。今は得たいという気持ちを棄てるのが第一です。いままでと反対なことですから、エネルギーが要ります。ただどこまでいただけるかわからない人生、得なくてもいいものに費やす時間はありません。

仕事については、自分を必要としてくださるかたと必要なだけの仕事をする。その信頼に全力でお応えするだけです。今年はその種となるご縁がありました。ご縁はそのかたというよりもきっと天にいただいたものです。それをないがしろにすることは、結局どこかで自分の人生もないがしろにしてしまいます。

僕は人間は死ぬと神様に人生の「貸し借り帳」を見せられると思っています。天国地獄を決める「ご恩のバランスシート」です。自分が生きてこられたのはまず両親があり、それから家族、先生、学校、友達、会社、同僚、部下、お客様etcがあり、直接会わないが喜びや知恵や安全を与えてくれる人たちがあります。

何か頂いたり、ご恩をうけたり、お世話になったりということは人生帳簿の負債です。この負債をお返しして貸し借りなしにする。宇宙というのは、物理法則や数学もそうですが、きれいにバランスするようにできているように思います。神様はそのように宇宙を造っています。だから宇宙の原理に逆らわずに生きようと思うのです。

例えば、お世話になった学校や先生や会社や先輩には、卒業生としてまだ返し切れていません。お客様。お陰様でここまでこの世界で生きて来られた方がおられます。まだまだお返しできていません。だからご恩に恥じない良い仕事をして報いる必要があります。お金や名誉ではなく、それこそが僕の仕事の原動力ということになりつつあります。

家族。いままでの人生、亭主として父親として、走り通しで何もしてやれていません。これから返さなくてはいけません。友人、同僚、後輩、部下。年齢、国籍、性別関係なくいつでも何かしてあげたい。でもできていない人もいる。やらなくてはいけません。

お返ししながら、それを道端に毎日おいていくのがブログです。好きな音楽のことを書くのは作曲家、演奏家への恩返しです。いただいた喜びのお返しに一人でも聴衆を増やしたい。紹介文や評論はいくらもありますから自分だけの方法でそれをやります。

これから知り合う人。西室兄はもう数を絞ろうと思っていたと言います。わかります。いろいろ考えましたが、これも天命のなすまま自然に行こうと決めました。お会いしたなら会う運命にあった。大事なかたです。

最後に、両親です。90になる父は施設にはいり弱った母のめんどうを見ています。ここまで書いたことを立派にやり遂げること、それが両親への恩返しになると信じています。

 

 

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