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カテゴリー: 若者に教えたいこと

日本は女性差別社会ではない(通説の嘘)

2023 SEP 24 0:00:39 am by 東 賢太郎

「夏休みの宿題は先にやっちゃうタイプなんで」。どういう話の流れだったか、渋谷で食事の時にAさんがこういった。たしかに僕もそうしろと叱られて育ったが、やったためしはない。怒った父から「学習計画表」を作れ、それを部屋の壁に貼れと厳命がくだったので仕方なく作成した。美的センスのある母が協力してくれ割と見栄えのいいのができた。とても満足し、貼ったことは数日で忘れた。こうして僕の一夜漬けは小学校時代に始まる。

単に怠け者なだけだったが、だんだん言い訳を考えだした。夏休みは前半は楽しいが、後半は終わりが見えてきて憂鬱になる。学校が好きな人は早く行きたいだろうが勉強嫌いの僕はそうでない。そして宿題というものはいつやるかを問わず憂鬱だ。ということは、それを最後の日にまとめてやればどうせ憂鬱な日なんだから損はない。

先憂後楽という言葉がある。しかしせっかく幸福な前半に学習計画表に見張られて暮らすと幸せの山が低くなり「絶頂」はこない。宿題をいつやるかに関係なく後半は憂鬱なんだからそこで頑張ろう、前半は絶頂まで登って満喫しよう。そう決めたわけでもないが自然と先楽後憂が習慣になってしまい、すると、最後の数日で宿題を全部やっつける腕力もついた。

ところがそんなことを奨励する日本人はまずいない。父は僕を更生させようとイソップの「ウサギとカメ」「アリとキリギリス」を何度も話してきかせた。計画表が失敗したので洗脳作戦に出たわけだ。なんと親はありがたいものかと感じ入るが、洗脳されにくい性格に生んでくれたからそれも失敗に終わった。父の名誉のために書いておくが、僕がこうなったのは親のせいではない。聞けば聞くほどウサギ、キリギリスになってそのままゴールすればいいじゃないと考えるようになってしまったのだ。「どうしてカメやアリなんてノロまにならなくちゃいけないの?」成城幼稚園でそんな感じの質問をした。いまになって思うがいい質問だった。園の飼い犬を棒で殴ってご迷惑をかけたジュンコ先生、何といわれたかは覚えがないが僕は長じてウサギ、キリギリスを目指す “いけない子” になった。

それから20年たってアメリカに行った。全米1位のビジネス・スクールであるウォートン・スクールに入れてもらったが、そこにはウサギとリス以外の生き物は一匹もいなかった。政治もビジネスもアメリカはその連中が動かしてるし、欧州も中国も同じようなものだろう。ところが日本はどうもそうでない。当時、エズラ・ボーゲル著の「Japan as Number One」が話題で、教室で日本がそうなった理由を質問されたが一度も満足な解答ができなかった。当然だ。いまだって僕はその答えがわからないのである。なんたって、日本で一番それを言っちゃあいけない農林水産大臣が「汚染水」と口がすべっちゃう。あのお爺ちゃんは誰なんか政治にうとい僕は知らない。でも日本は潰れない。強い。なぜなんだろう。外国のエリートはそういう失礼なことは口に出さないがみなそう思ってる。教室では苦し紛れに「官僚が優秀だから政治家はその程度でいい」と言った気がするが、ルイ16世だってそこまで馬鹿じゃなかったぞ、そんな支配構造がなぜ明治から100年も続いていて国民も、その優秀な官僚までもが唯々諾々と従っているのかが米国人には理解できないのだ。

ところがだ。渋谷でAさんの言葉を聞いて電撃的にひらめいたのだ。宿題は先にやれ。ひょっとしてこれか?銀行家でありその代表のようであった父が何度もこうなれよと説いた堅実で真面目なカメとアリ(『カメアリ派』と呼ぼう)。いい調子で楽しくやって天罰が下るウサギとキリギリス(『ウサリス派』と呼ぼう)。そこに答えがあるんじゃないか。「いいわね、あなたたち、みんな仲良くしていいカメアリになるのよ」と幼稚園から教わって、それを信じてゆっくりのっぺり生きて、それが幸せなんだと一様に疑わず、しっかり先憂して貯めた預金通帳残高を見るのを老後の楽しみとし、平均3500万円を残してああたしかに楽だったとあの世に行き、一匹だと弱いが集団になるとその人生観で集結して一枚岩になって排他的になって強かったりする、それが日本人ではないか。原因は国民にあるんじゃないかと。イソップ、でかいなあ、でもその前から尊王攘夷やってたっけな。そんな国民は地の果てまで行っても日本以外にいないし、なりたいと思う国民もなかろうが思ってなれる国民もないだろうと気がついたのだ。

イソップではウサリスは怠け者だが、現実には勤勉で多大な努力を厭わないのがいる。これは大変に手ごわい。人海戦術的であるカメアリの集団防御戦ではいずれ人垣が崩されてしまうし、すでに危ない水域に来ている。だから日本もウサリス派を若くして選別・分離し、米国MBA並の地獄の特訓で虎の穴にぶちこんで勉強だけでなく命まで取られるかぐらいの仮想の窮地体験を積ませて鍛えまくらないといけない。江戸時代までは藩校がその役目を果たしていた。だから明治の日本はその余禄で文武両道の男だらけでどの国と比べても圧倒的に強く、欧米列強の植民地にならずに済んだのである。しかしもはや「武」の方は叩き潰され、その精神も消し去られ、かろうじて残った「文」で高度成長を果たしたがそっちの息切れも時間の問題だ。円安もあり経済安全保障は危機的な案件が耳に入ってきている。それはとても書けないが、海外トップスクールへの留学生数、PhD取得数、ベンチャー企業のユニコーンの数だけでもご覧になれば趨勢は一目瞭然だ。その現象の根底には消し去られたものの巨大さが透けて見える。

ちなみにAさんは1年半の勉強で公認会計士試験に一発合格した才媛である。当然に専門能力が高いが、そういう人に往々にして欠けているカメアリともうまくやっていける当意即妙力も高く、僕といえば話をするのさえ苦手なのは「どうせわからないと思ってしゃべってるでしょ」と見抜かれている。こういう人にお会いするとエリート選別に男女などなくジェンダーを言うこと自体がそもそもお門違いなことを悟るのである。岸田内閣の改造人事を見るにつけ、自民党にそのセンスはなくいまだにマレーシアのブミプトラ政策だなあと5人の女性閣僚を眺めるしかない。女性が輝く社会でパリで好きなことやらせて輝いてもしょうがない。この感覚は昭和はおろか明治時代とあんまりかわらないし、そういう持ち上げ方は有能な女性に対して失礼千万なのである。

ご覧の通り欧米のトップスクールの学生は女性がほぼ半分である。

日本同様に女性の地位が低いイメージがあるアジアだが、シンガポール、中国、韓国の最難関大学であるシンガポール国立大(8位)、北京大(17位)、ソウル大(41位)はどれも女子学生が5割いる(カッコ内は2024年世界大学ランキング順位)。人口比(5割)に等しいということは女性が何のバイアスもなく最高峰の大学に志願して難関入試に合格しているわけだ。知性に性差がないのはユニバーサルな研究結果だから学生数の女性比は受験者の女性比にほぼ等しいはずだ。したがって、「東大に女性が2割しかいない」のは日本女性の知能がアジア女性より劣るのではなく、日本女性の2割しか東大に入りたいと思っておらず、最高峰の大学に志願する女性はシンガポール、中国、韓国の女性の半分もいないという、いささかの驚きを禁じ得ない事態になっているのである。

この事実は、日本女性には「東大にあえて入りたくないか、入らなくても構わない」と考える固有の理由があることを強く推察させる。人口比5割の集団が2割の集団を作る偏差値は80で、それが長期に続くこの現象は統計として有意に “特異” である。同じ傾向は京大、早慶にも、遍く各大学の理系学部においても見られるため、日本女性の選択の特異性は東大に限らず偏差値上位の大学受験全般に存在するものと推察される。

東大の「女性2割現象」は「ジェンダーギャップ」の大きさにおいて日本が後進国であり、突出した男性優位社会(=女性差別社会)であることを示す一例として欧米人に認識されている。世界経済フォーラム(WEF)が各国における男女格差を測るジェンダーギャップ指数で日本の順位は146か国中116位で最低、アジア諸国の中でも韓国や中国、ASEAN諸国より低い。これは、日本における女性の社会進出が先進国としてはひどく遅れているためだとされる。その認識は学問の領域にも及んでいるという解釈で「女子2割問題」と連結される。その一例が、2019年にニューヨーク・タイムス紙が東大を批判したこの記事だ。

日本の最高峰の大学 女子学生は5人に1人だけ – The New York Times (nytimes.com)

この記事内容に大きな異論はない。昔からそうだったしいまだにそうなんだねという程度でもあり、世界市民のコンセプトで語るなら日本はジェンダー後進国であり日本の女性は不当に抑圧され男女不平等の犠牲になっていると言われても反論することは容易ではない。しかし、本当にそうだろうか。そんな劣悪な環境で生きなくてはならない日本女性が不幸なのか?「男女平等であること」と「女性が幸せであること」は正比例の関係にあるのだろうか?女性は東大など行かなくても幸せだからこの結果なのではないか?学歴を求めないので社会進出も欧米ほどは求めない、それでも幸せなのではないか?この論点は「鶏と卵のパラドックス」の可能性があり両面から考察すべきだが欧米メディアも国内メディアも「ジェンダー後進国だ」と一面しか取り上げないアンフェアな状態が続いている。だからこその本稿の問題提起であり、それを示す興味深いデータがあるので紹介する。世界価値観調査(World Values Survey)による「幸福度の女性優位度」だ。「女が男より幸せな度合い」を国際比較したデータで、日本は7回の世界ランキングで1位が3回、2位が2回、3位が1回、11位が1回だ。つまり、日本女性は日本男性よりいつも幸福であり、その差の大きさにおいてもいつも世界トップレベルであることが示されているのである。

統計の取り方の詳細は不明だが、WVSは社会科学者の世界的なネットワークでありまずは信用に足ると思われる。考慮すべきは、男より女の幸福度が上であってもそれは相対評価だという点だ。「男(夫)よりは幸せだけど私(女性)だって不幸なのよ」ということもあり得る。日本の男は女性に優位で犠牲を強いてはいるが、被害者の女性よりもいつも不幸だと思っている可能性もある。つまり、不平等は何らかの客観的な尺度で測れるが、幸福か否かは主観だからそうはいかず、両者が矛盾して見える結論を出すこともあり得るという点だ。

これについて図表3を引用された統計学者の本川裕氏は適確かつ興味深い数値を用意している。「不平等度」と「幸福度格差」とのR二乗値だ。ほぼゼロなのだ。これは「日本女性は男女平等でなくても幸せ」、したがって、「男女平等でないから日本女性は不幸せと主張する根拠はない」ことが統計学によって証明されたことを意味している。この命題に反論する唯一にして非常に簡単な方法は「日本は男女平等だから女性は幸せなのだ」と主張することである。それにロジカルに反論するすべを僕は持たないし、ひょっとしてそうかもしれないとさえ思うし、かかあ天下という言葉で古くから男性諸氏は表立って奥さんの前で口にできないそれを笑い話で揶揄してきたかもしれない。しかしリベラルは男女不平等が言いたいのだからそれを言うはずがない。それを潰すのが本稿だから僕も言わない。

R二乗値=0は日本が女性差別社会であろうがなかろうが、それを解消してあげることと女性が幸せに暮らせるようになることとは関係ないという証明である。したがって、この式は日本がジェンダー後進国であろうがなかろうが、突出した男性優位社会(=女性差別社会)であろうがなかろうが、日本の女性が不当に抑圧され男女不平等の犠牲になっていようがいまいが、社会(慣習、通念)や両親に男尊女卑思想が残っていようがいまいが、それらとは何の矛盾もなく日本人女性は男性より幸せだと言っているのであり、日本はジェンダー後進国だから日本人女性は不幸だという欧米の一方的な主張は根拠がないことを論理的に示している。つまり、その主張を熱くすればするほど、その人は日本国民に「ジェンダー」を売りこんで洗脳したい邪心を疑われるか、数学を勉強してないことを天下にさらけ出すだけなのだ。

ではWVS調査結果が示す日本女性の幸せの正体は何だろう。まず第一に、日本の古来からの社会慣習、通念から自分に適当な相手を早く見つけて専業主婦に収まって家庭を守るのが自然だと多くの日本女性が考えている結果ではないだろうか。ただしこれは日本女性が怠惰であったり男性に従属的であるという理由からではない。日本にはアジアのどの国とも同次元で語れない決定的な特殊性があるからである。それは太平洋戦争で310万もの兵士(男)が死んでいったことだ。最愛の夫や息子や恋人の銃後を守った精神が母から子へと脈々と継がれ、ハウスワイフごときではないものが主婦という立場にはあると考える女性が学業よりそれを選択しても僕は称賛したいし、それに足る夫がいるのだから幸せなのだと安心もする。男がしっかりしない国ではそういうことは起きないのであり、日本が世界3位のGDPを生み出したのは幸せな女性がいて支えてくれたからであり、これは日本的な夫婦の美徳、愛情という精神的に高次の範疇に属するものであって、どんな木偶(でく)の坊であろうと個を尊重する西洋人のジェンダーという概念などの到底及ぶところではないのである。

もうひとつある。日本人の大半は男も女も『カメアリ派』なのだから、幼稚園から習っている先憂後楽が自然でなじみ深いのは無理もないのだ。東大に入れる学力があっても、入るということは男のキャリア戦争に正面切って参戦し、男も競争相手と認識して真剣勝負してくるということであって、相手を見つけて家庭に入るというもう一つの選択肢からするならば年齢がそれなりに行ってから敗北すると先憂後憂になりかねない。それで人生のリスクリターンが合うのか?賢い彼女らだからこそ当然に熟慮するだろう。とすれば彼女たちがすき好んでガリ勉などせず専業主婦を先憂後楽だと選択しても納得である。つまり東大2割問題はひとえにやる気があるなしの問題なのであって、差別されているわけでもジェンダー問題でもない。やる気があるならAさんのように勉強すればよく、才能を発揮して第一線で大活躍されている女性を僕は何人も知っているわけで、そこに社会の支障があるとは思えない。逆にいえば、勉強もしないのに出世できないのは女だからだというのは、男も同じだからおかしいのだ。さらに加えるなら、昨今の少子化はひ弱な草食獣の男が増えて「男がしっかりしない国」になりつつあるから女性にとって結婚が「精神的に高次の範疇に属す」とは思えなくなってきていることと無縁ではない。結婚ありきの社会通念があったから競争社会で生きる前提を置いて生きていない。だからシングルマザーになるほどの収入は得られず子供を持てないのは無理もないであって、少額の教育費補助や育児のアウトソーシングだけで片づく性質の問題ではそもそもないと僕は考えている。

一流校に学ぶ女性が5割である世界の国々は男女の才能を束にしてかかってきているのに日本は女性抜きの片肺飛行であり、東大(28位)、京大(46位)の順位が低いのは有能な日本人女性を取り逃がしていることが大きいだろうし、まったく同じことが日本国の国力についてもいえる。初の女性総理誕生が待たれる等と言うこと自体がナンセンスで、女性だとやたら「美人何々」と報じたがる知能の低いマスコミのノリで政治家を待望などしてはいけないのである。東大2割問題と同じで優秀な人だけ選べば女性議員は自然に5割(人口比)になるはずである。そうなっておらず衆議院1割、参議院2割であるのは「何をもって優秀とするか」が著しくおかしいからである。国民はそれを吟味すべきなのだ。「女性だから」はあり得ない。「お父さんが政治家です」など論外である。

東大2割問題と女性差別社会(ジェンダー問題)は一見すると前者が後者を生むのかその逆かという「鶏と卵」の相関関係があるように見えるが、多くの日本女性が日本的な根拠のある事情で幸福だと考えているならそのどちらも彼女たちにとっては「どうでもいい」「大きなお世話」である。私見ではそれが現状だ。それでは困るリベラルが「鶏と卵」の一面解釈に過ぎない「ジェンダー問題」にすり替えて論じるが所詮は意欲の問題だから火がつかず、いちおう保守ということになっている自民党は自民党でそれを無視して「女性活躍社会」だの「女性が輝く社会」だのと選挙キャンペーンにしたってもう少しましなのがあるだろうと笑ってしまうぐらい空疎でインテリジェンスの香りすら漂わない、およそエリートが考えたとは信じ難いセンスの言葉を並べてお茶を濁す体たらくだ。どっちもどっちで大きく的外れで、学問、知性の領域という日本が強かったはずの根幹を劣化させる国家的損失の放置を意味するのみである。張本人でもある女性で東大法学部卒の松川るい議員こそが本質を主張して行動をおこせば説得力もあるし保守の男も賛同して総理候補路線だってあり得たろうが、パリ研修を詐称とされてしまう異次元の知恵のなさではそんなことは到底無理だ。後輩を貶める気は毛頭ないが猛省を促す。優秀な女性たちのモチベーションを “正しく” 喚起しなければ「日本女性は充分幸せなんだね」で国民は終わりであり、日本も終わっていくだろう。

日本人に砒素のように効くLGBT法

日本という国に本気で自信がなくなってきた

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慶応高校の甲子園優勝おめでとう

2023 AUG 24 0:00:23 am by 東 賢太郎

驚いた。試合終了後、興奮冷めやらぬ中のインタビューで主将から「この優勝で高校野球の楽しさを広く知ってもらえたら嬉しいです」という言葉が出てくる。大舞台のキメの一言だ、高校生がこれって大変なことじゃないか。日本中がエンジョイ・ベースボールは口先だけでないことを知って、野球に限らず新しいスピリットが世の中を変えていくんじゃないか。古き良きものは守っても、古いだけにしがみつくものは淘汰されていくんじゃないか、そんな気がしてならない。提唱した監督も立派だし、それを甲子園で身をもって行い、結果を出した選手たち、ほんとうにカッコいい。

仙台育英は強かった。今日先発の10番の彼、好投手だ、準決勝を見ていてこりゃ打てないなと思った。打線の圧も群を抜いていた。慶応は先制したが3回あたりから押されてる感じがあった。ヒットで出た走者を走らせて刺されたあたりでちょっと焦りがあるかなと見た。ひとつ歯車が狂えば逆の展開もあったが、そこで圧に負けなかった慶応は胆力が鍛えられていた。エンジョイ・ベースボールで猛練習の成果が自然に出せたのかどうか、グラウンドで歯を見せるなと言われて育った世代には屈託ない笑顔がまぶしかった。

エンジョイ(楽しめ)というのは命令されてできるものではない。できる状態になって初めてできる。その状態をどう作るか。それは心の持ちようだから練習しながら自分で考えろということではないか。孔子様も説く。何人もこれを楽しむ者に如かず。だからそうなれば最強なのだが、楽しんでますと独りよがりで思うだけなら誰でもできるから、その上に「有言実行」がなくては意味ないだろう。これは僕のスナイパー主義と通じるものがある。この大会、なにくれとなく慶応を応援してきたのはそういう気もしていたからだ。

有言実行。これは人の道だ。動物は話さないからそれはない。人は話すからある。だからそれは両者を仕分けするシンボルである。昨今の政治を見よ、有言不実行、無言実行、無言不実行の嵐である。嘘八百、強行採決、都合悪いと報道せず。みなさん、この連中はどっちに仕分けすべきなんだろうか?大変申しわけないが、連中はガチでスポーツやったことがあるんだろうか?疑わしいように思えてならない。

慶応高校のみなさん、清々しいものを見せていただきました。人にしかできないスポーツという素晴らしい文化を通じて、日本国が末永く人の道を堂々と歩んでいけることを願ってやみません。

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兵庫と岐阜と名古屋の長い旅

2023 AUG 14 13:13:40 pm by 東 賢太郎

軽井沢でゴルフの翌日、八重洲のビジネスホテルを朝7時半に出て新幹線に乗った。東京に家があるのにと思われようがそれで2時間余計に眠れる。兵庫、岐阜、名古屋でお客様の会社訪問、面談などがあるためもう二泊し、契約調印、会食、野球観戦などの予定も入っていた。前日があまり眠れないだろうということでこうなったがうまくいった。その日はまず兵庫まで行って既得意のお客様の経営するレストランで仕事を済ませ、その足で岐阜までとんぼ返りするともう夕刻である。めったに来ないので観光したかったがまったく時間がない。

この日は岐阜・長良川温泉の老舗旅館「十八楼」に宿をとった。どうやら翌日に花火大会があるようでどこも満室である。この宿は二度目で、風呂がいい。食事も川向うにラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエールというフレンチがある。マンションの5階の一室で景色が良く、味、もてなしともこれでおまかせ1万5千円はお値打ちだろう。風呂に入るんでとワインはパスさせてもらって水にしたが、長良川伏流水は氷を入れれば飲み物としても旨いのである。ピュアな軟水で高山の北アルプスの水ともちょっと違う。

十八楼は斎藤道三、織田信長のいた岐阜城がてっぺんにある金華山のふもとに位置し、鵜飼いで有名な地である。漁としての鵜飼いは5世紀ごろから行われていたようで、中国の史書『隋書』に日本を訪れた隋使が見た変わった漁法として記載があり、日本書紀に記載、古事記に歌がある。天皇家にゆかりがあり鵜匠は国家公務員である宮内庁式部職であり、平安時代に始まったショーとして見物する鵜飼いは頼朝、信長、家康、芭蕉も観ている。僕は大学時代に岐阜出身の友人と彼のお父さんに船上から見物させていただき、今でもよく覚えている。

十八楼には松尾芭蕉の、

このあたりめにみゆるものは皆涼し

と詠んだ句碑があり観覧船乗り場にも近いが、僕の目当ては温泉だ。鉄分のせいか赤褐色でありインパクトがある。薬草の湯というのもある。信長が伊吹山のふもとに薬草園をもっていたのにちなんだと説明書きがあり、仄かにそんな香りもあるが効くのかどうか。シルクの湯というのは微粒の気泡で乳白色をしており、毛穴まで入って油分を落とすというから有難い気はする。

兵庫のお客様はこれで弊社案件に4度目の投資のお得意様だ。名古屋のお客様は弱冠35才でM&Aで数十億の財を成した事業家で今回初めてだが、お見受けするところ事業の方でつきあう楽しみもありそうだ。PE(未公開株)投資は手慣れておられ、一件は適格機関投資家(法律上のプロ投資家)だ。我々の投資哲学はプロほど理解して下さり、すると投資して欲しい良質の起業家も寄ってくるという循環である。

二日目は名古屋からだ。特急で岐阜から19分。暑い。金時計の下にウンカの大群かと見まごう団子状の雑踏を見てなんだあれはと恐怖を覚え「キムタクでもいるんか」と言った気がするが何故かは覚えてない。お盆だからでしょ、なるほどねとなったが東京人である僕に盆休みの渋滞や混雑の実感がないことがこうしてわかる。頭も尋常でなかった。さもありなん、この日の名古屋は気温39度。香港、シンガポールだって高くてせいぜい35度だ、米国のデスバレーに次いで人生二番目が日本ってのは驚くしかない。昼前に集合場所のコメダコーヒーで今回のパートナーであるY君が合流し、お客様と調印を終えた。外へ出るとムッとする熱気と日照りに気絶しそうだったが、こういう時に限ってタクシーがなく、バスで名古屋駅へ向かう。

再度岐阜へ向かう予定だが、せっかくだから駅ビルで「ひつまぶし」でも食うぞとなった。旨い。たれの塩梅、焦げ具合が見事で、鰻重を茶漬けにする独創性も素晴らしい。名古屋の料理は一見塩辛そうだが実は程良く、八丁味噌が好きなので口に合う。滋賀、岐阜は奈良時代からの発酵文化が奥深く、京都より野趣があって面白い。鮒ずし、溜り醤油は僕にとって欠かせないほど好物だが尾張、三河にもそれは通じているのだろうか、秀吉が朝鮮出兵の根城にした名護屋城に鮒ずしを持って行ったし、家康の戦の供は八丁味噌であり、長良川の鮎ずしを発明して江戸城に届けさせたのもわかる。我が祖父は南信州で、叔母は名古屋で水野さんになり義理の伯父は岐阜人、戦争中の母の疎開先は高山である。もう地縁はないが子孫の舌に味覚が留められているのかもしれない。

コメダで合流したY君は今回案件の共同責任者だ。いままでは経産省キャリア官僚だった親父さんと案件組成をやっていたが、二世で四十過ぎの公認会計士である彼が独り立ちでやるのは初めてだ。優秀だが慣れてないところもある。資料作りなぞ細かいことであれやこれやとダメ出しして説教し、しち面倒くさい注文をたくさんつけた。電話の向こうで馬鹿野郎いい加減にしろと辟易していたのはわかっていたが、そういうことは僕は指揮官だから自分でしたことがなく当時の優秀な部下たちがしたわけである。でもそれがないとディールが決まらないことは誰より知ってるのだから容赦など一切なし。彼はガチ体験をした。どんなに怒っても終わればすぐ忘れるタチだが、ビジネスホテルのチェックインを済ませて喫茶室で休んでいると彼がそれを回想しながら勉強でしたと言ってくれ、世辞でない証拠に僕が吐いたとおぼしき言葉をみな覚えてるのである。サラリーマン時代にたくさんの部下がいたがそういう子はみな伸びて出世している。

岐阜のO社長はY君の紹介で初対面だが温かく迎えて下さった。投資の御礼を述べ少々説明を加えようとすると「それはもう結構です、出資したおかげでこの場があるだけで」と丁重に遮られ、自社の来歴、現状と将来の希望を熱く語られた。京セラ稲盛会長の盛和塾生であり、現在はご自身が指導する立場におられ、ご配下から上場企業が4つも出ている。自社もできるが志が高いゆえしていないとお見受けする。兵庫のお客様にも申し上げたことだが、僕は手垢のついた投資案件をオークションで買い上げて投資するような下世話な金融屋のコンペなんかに参加する気はない。会社様の繁栄発展の指標であるバリューアップだけが目的であり、経営者と一心同体でそれをして投資もすればこちらも利益になる。会社さんがたくさん取って当方は少ないからこれは利他的だ。お会いしたことはないが利他の心は稲盛さんの哲学の根本だった。51:49なら49でいいと言われるO社長と楽しいディナーをご一緒させていただき再度名古屋に向かった。翌日土曜日は初めてバンテリンドームで野球を観て帰る。花火の人たちだろうか電車はそこそこ混んでおり、夜の名古屋はまだ暑かった。

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子を甘やかして全能感を与えたい馬鹿な親

2023 AUG 4 12:12:23 pm by 東 賢太郎

広島カープの元投手で野球殿堂入りしたレジェンド、大野豊氏がナイターの解説で「硬式をやってよかったです」と語っていた。その意味を理解するには彼が出雲商(硬式)から出雲市信用組合 (軟式)に進み、カープにはテスト入団だったことを知る必要がある。軟式だけだったら今の自分はないという意味なのだ。ボールの話ではない。「硬式(野球部)」はただの野球好きの集団ではなく「甲子園をめざせ」で結集したガチの集団だ。特色はそうでなくてはできない過酷な負荷に耐えること。野球の技術を鍛えるのみならず、火の上を裸足で歩いても熱くなくなる精神まで求めるみたいなものが、どういうわけか日本全国の高校どこにも大なり小なり共通してある。だから「コーシキ教」なる一種の宗教であり、現在は多少ゆるくなったようだが、僕の時代の非合理的なシゴキの凄さはどう説明してもやった者しかわからないだろう。初めて会った人に「やってました」と聞くと、野球の話より「よく耐えましたよね」で意気投合したりする理由はそこにある。本稿はもともとは甘ちゃんだった僕がその洗礼を受け、それがあまりに強烈だったので「ガチ性格」になったと思われる、その経緯を述べる。

僕にとって硬式野球は90%が苦痛だった。入部した年の九段高校は東京都大会(まだ1リーグ制で180校ぐらい)の第6シードでそこそこ強かった。1年だから出場はなかったがベンチには入っていた。甲子園で準優勝する日大一に4回戦で敗れるとすぐ合宿がコールされる。早朝から真っ暗になるまで矢野口のグラウンドで野球漬けの猛練習が一週間。灼熱の炎天下で水を飲ませてもらえないから全員ふらふらになり、ひとりが倒れて救急車が来た。そして最終日に新チームのレギュラーが決まるOB戦がある。あまり体力がなく体はボロボロだったのであきらめていた先発投手に指名され、先週まで現役だった三年生チームに7対2で完投勝ちしたのが鮮烈なデビューだった。これで憧れの背番号1を手にした。それが良かったのかどうか今は微妙な気持ちだ。体重は58キロでまだ中学生であり、エースだから全試合をまかされ、投げ過ぎが祟って2年でヒジ、次いで肩を壊して背番号14に降格になる。やがて治るだろうと期待したが虫歯と同じでそれはないということがわかり、お先真っ暗になって3年で野球を断念。東大という唯一野球をできそうな大学に入ったが断念。この悔しさは死ぬまで残ることになる。

就職してからはもう二度とやることはあるまいと忘れていた。そこにひょんなことからニューヨークの日系企業40数社のトーナメントで登板する機会をいただいた。軟式だし草野球と思っていたが、元プロ野球、六大学、米国大学の選手がいる意外にハイレベルな大会だった。初戦で優勝候補筆頭のチームに11対2と大勝して番狂わせを演じ、日本語新聞の一面にでかでかと載った。バッテリーを組んだ名捕手ドン君の巧みなリードで緩急の武器にしたカーブがとてもうまくいき、米国人はほぼ三振、元阪急の人は内野フライ2つ、元巨人の人に三遊間を破られた以外は1本も打たれずノーヒットノーランもあった。そういうのが良かったんだろうか、準決勝で敗退したが大会のMVPに選んでいただいた(写真がトロフィー)。27才。これが最後のマウンドだった。キツネにつままれたようだったが野球人生の始めと終わりだけはストライクでよかった。

いまふりかえってそういうものかと納得したのは、10年のブランクがあっても技術は体が覚えていたことだ。故障で球威はがた落ちしてるから高1の時の技術ということになる。それをコーシキのガチ集団で揉まれてなかったらニューヨークでいきなりそんな芸当ができたはずもなく、大野さんの言葉の重さをしみじみ感じている。こと野球に限らず、何事も技術とメンタルをガチ集団で叩かれないと一丁前にはならない。昨今は高学歴なら何とかなるみたいな風潮があるがとんでもない。親御さんは子供がかわいいなら甘やかして根拠のない全能感を与えるのでなく、虎の穴にぶちこんだ方がいい。そしてぶちこまれたティーンは何事であれガチを恐れずにやることだ。逃げたらナンチャッテ族の一員になる。ガチやってダメならいくら好きでも職業にはできないことがわかる。ぜんぜん構わない。むしろ長い一生を幸せに送るには大事な情報だ。僕はガチ野球界に飛び込んですぐプロは無理と悟ったが、草野球をいくらやってもそれはわからない。職業にならなくてもガチ経験は一生残るし、ナンチャッテに逃げるとそれが一生残る。きわめてシンプルなルールだが、それはやがて大差になる。

昨今の政治家を見ていると、この連中、何もガチやってねえだろうなという感じのばっかりだ。とにかく言葉が軽い。ガチの人間はみっともなくてあんな軽い言葉をお気楽に吐けない。岸田総理など、あまりにいつも軽いから何ほざいても国民がスルーして気がつかないという斬新な政治手法かと見まごうばかりだ。パリ観光研修旅行が子連れだったとは知らなかったが、今度は茂木敏充・自民党幹事長が「党負担分に政党助成金は含まれていない」ってこいつ馬鹿でねえのって言い訳をする。こんな軽い猫だましで批判がかわせるほど国民が馬鹿だと思ってる、これが「民意が読めてない」っていう政治家失格の証明になってることに気がついてすらいない。つまりお笑い3人組と幹事長の頭は同レベルであり、ということは自民党全部がおんなじだろうという証明にもなってるわけだ。松川るいもオチャラケ写真のキッシー息子と同類だったことが判明したが、なんのことない、党全部が同類なのだから証明不要の「自明」というやつだ。

別にこの人たちに恨みも興味もないがガチ育ちの僕は男も女もナンチャッテが大嫌いなのだ。だから軽~いタッチで論文を捏造したなんとか細胞なんてのは徹底してブログでぶっ叩いた。彼女は叩き上げで気の毒だったが、それを利用して政治とカネもうけに利用した奴がいたわけだ。そいつらが悪党だったから叩いた。そういう輩が閨閥とか要領だけで世渡りして偉くなってるのがいまの世の中である。でも世の中うまくできていて、そういうのは揉まれてないからどっかでガチの壁に当たってコケる。そんな事態は彼・彼女の辞書に載ってない、そういう道に乗ってる自分は特別だと思い込んでることがそこまで来てる唯一の原動力なんだから救いようがない。だから親御さんは子供がかわいいなら甘やかして根拠のない全能感を与えない方がいいよと言ってるのだ。彼・彼女がコケてくれてもまったくどうでもいいが、そういうのが操縦桿を握ってると国が墜落するんだ。冗談じゃないよ。

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自民党女性局の外遊は税金で行きなさい

2023 AUG 2 7:07:44 am by 東 賢太郎

外国というのは行ってみないとわからない。いくら小説を読んだり映画を観たりしてもこればかりはどうしようもなく、「百聞は一見に如かず」のことだらけなのである。去年に娘をパリに留学させたが、コロナを恐れずチャレンジしてMBAになってきたのは褒めてやりたい。良い経験を積んだようだ。まず移民社会はいかに治安が悪いかを知った(今年でなくてよかったが)。大学の寮を出ようと下宿を探し、家賃を交渉し、シャンゼリゼ近くに比較的安くて大家が愛想のよい物件を見つけた。しばらくしたある日、部屋にネズミが出た。びっくりしてベッドの下を調べてみると、なんとネズミにエサが出ている。値上げに応じる借主が現れたので娘を怖がらせて追い出そうとしていたわけである。とんでもない大家だが、そんな浅知恵がバレないと思ってる程度の人間でまあ特段の悪党とも思わない。花のパリも一皮むけばこんなものなのだ。移民を入れれば少子化対策になりますね、フランスに学びましょう、パリに行って研修を受けましょうなんてお気楽な世界ではないのである。

自民党女性局の写真にはいろいろ思う所がある。松川るい以外は海外経験もなさそうだし、あそこに立てばああいう写真を撮りたくなる気持ちはわかる。経費をかけて行った以上は何を食べようが買い物をしようが「一見」のうちではあろう。外遊が一概に観光だということにはならないし、写真を撮ってなるべく多くの人に見てもらいたいのは女性にとって自然な気持ちだろう。女性局のレゾンデトルの一部かもしれず、女性議員を増やして活躍社会を築いていくエネルギーを女性に向けて発信もしたかったのだろう。何度もブログで書いたが、僕は娘が二人いるしそれには大賛成なのだ。考えてみよう。あのエッフェル塔ポーズを男がやったらお笑い3人組である。おもろいjokeとしてNFTにして売ろうぐらいのもんだ。つまり女性にしかできないアピールというものは存在するのであり、それが社会に意味を持つならポジティブに考えようというのが持論だ。

ただ、わからないことがひとつだけある。あの写真を不特定多数の眼に向けて開示して、なぜ昨今のご時世で起きそうなリアクションを予測できなかったのだろう?大批判を浴びてしまったポイントはそこだ。つまり女性だからでは済まなかったわけで、自然な気持ちの発露であろうがなかろうがそれを発信するか否かの判断は峻別すべき全くの別物ということなのである。それを誤ったということは女性のアピールの芽を摘んだばかりか民意を読み違えたということでもあり、それが職業である政治家としての基礎的能力が欠如していることを満天下に知らしめてしまったということになりかねない。ネットという仮想空間では世論が思わぬ速度とマグニチュードで積乱雲の如く形成され、その形状が如何なる変転を遂げようかは現代科学をもってしても予測できない。事と次第によってあらぬ誤解をされてしまうリスクがあることを本件から学ばれた方がいいだろう。

私事を牽く。ブログを始めてから11年間の一日の平均PVは2500あって、一言一句、世界の誰が読むか知らないリスクを念頭に書かなかったことはない。日本語世界だけだろうと高をくくっていたら、今年4月に米国プリンストン大学の教授から引用をしたいとリクエストがあってあながち杞憂でないことも悟った。SNSだからと軽い気持ちでアップしてしまうとたちまち大炎上しかねないし、甚大なリスクとして指摘すべきは、一度書かれるとサーバーから消えない限りそれは永遠に残る羽目になるのだ。つまりスキャンダルをおこして何かを書き込まれると、それが誤情報であろうがなかろうが、末代の恥として子孫に「伝承」され、お前の先祖はとんでもないなとなる危険性がある。どんなに立派な学歴、職歴を苦労して築こうが一発のチョンボでパーで、過失でなく人間性、性根の問題だから国民は二度と信用しない。永田町の「所詮SNSだ」と甘く見たスタンスはこれから悲劇を呼ぶだろう。それが有権者の目にも晒され続けるわけで、自分の職業上のリスク(=身の危険)にさえ気がつかず脇が甘いとなると、そんな程度の能力の人が国や国民を守れるのだろうかということにもなる。

この女性たちを批判はしないが、自民党本部が「費用は党費と各参加者の自腹で捻出し、党負担分は国民の税金である政党助成金からは支出しておりません」と詭弁で援護していることはそうはいかない。自民党の収入の約7割は原資が税金である政党助成金だ。この外遊、旅費の自腹を除いた金額の7割は我々の払った税金である。収入項目のネコだましで逃げようとしてもカネに色はない。国民がそう解釈しても反論できないし、したところで自民に投票はしないだろう。そういう屁理屈をこねて煙に巻けるほど全国民が馬鹿だと思っている魂胆が透けて見え、そうやってヤバいことは隠せばそのうち忘れるさとあなどる姿勢が実に不愉快だ。じゃあお前らはどれだけ賢いんだという気にさせるのである。

女性局の外遊は意味があるならやればいい。ただし、全額税金だ。民間では出張費の一部は自腹ですなんてことはあり得ない。ホテル代も営業上の飲み食いも個人の土産等以外は基本的に全額社費であり、会社に払わせる以上は増やしてお返しする、すなわちその出張によって経費を上回る収益をあげられるかどうかを問われるのである。他人のお金なのだから当然だろう。政治家に収支はないなら出張目的と計画を有権者に公表し、経費の使途をガラス張りにし、計画の達成度と成果をこれまた金を出している有権者にレポートで報告する。有権者団体がその議員の出張成果の成績表を作り、それを参考に選挙で投票するか否かを決める。民間では上司がかような管理と人事評価をするのは当たり前であり、だからトータルして会社は利益を出せる。「1割自腹切ってます」が免罪符になって「管理はほどほどに」なんて道はない。まして、本当は慰安旅行なんです、でも有権者の手前もあるし多少の後ろめたさもあるので1割自腹切っておきましょうなんてことは有権者は許してはならないのである。

お笑い3人組

 

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マルクスの唯物史観で音楽と世相を斬る

2023 JUL 19 1:01:10 am by 東 賢太郎

先回、音楽演奏のスタイルは録音テクノロジーの進化、音楽産業の栄枯盛衰の上で決まっているという考えを述べた。レコードの発明で音楽がポータブルな物(国際商品)になって、目に見えない「聴衆」なるものの嗜好が売り上げを決めるメカニズムができる。時代で変化する嗜好の動態はレコードの売上げでわかるのでそれは演奏会場の座席数しかチケットが売れなかった時代にはないデータとなり、経営者が動向を把握分析して先取りし、そのスタイルの作曲家や演奏家を探してきて売り出すというマーケティングによって嗜好を操作することまで可能になる。これが資本家が利益を上げた分け前として音楽家を億万長者にする魔法の幕開けとなった。それがカラヤンとバーンスタインという斯界の頂点にあるエリートふたりに血眼の競争をさせ、その精華として我々は何の苦労もなく3つのマーラー9番という宝を手にしている(写真)。そしてそれを聴いてしまった我々は並の9番にはもう飽き足らなくなり、それが次世代演奏家のハードルとなってさらにレベルの高い演奏を生むだろう。マーラー自身が認めた解釈かどうかはともかく、この3枚が9番演奏のスタイルに大きな影響を与えたことだけは間違いない。もちろんそれは両人の指揮者としての抜きんでた才能あってこそだが、録音テクノロジーの進化、音楽産業の栄枯盛衰の上で彼らが踊らされることでできたものでもあったのだ。

そして、カラヤンもバーンスタインも世を去り、音楽はストリーミングサービスをサブスクでが主流になった。音源は配信会社が所有してアーティストに再生回数に応じて料金を払う仕組みだ。音楽はレコードの出現で物として世界に拡散したが、もはや物体化も拡散も不要で「コンテンツ」なるサーバー上の記録(メモリー)の一部になった。この記録は無尽蔵に膨大で人類が価値と思うすべてであって、アカシックレコード(宇宙情報概念)の一部を形成し、音楽も何もジャンルの垣根すらない。ましてクラシック、ポップスの分け目もない。そこに新しいマーラー9番が加わることの価値の増分は「1(いち)÷ 全宇宙情報」(=ほぼゼロ)だ。カラヤンはマーラー9番の新譜発売で大金を手にしたが、今なら発表時の価値は「予想再生回数×単価」である。レコード会社は予想のリスクを丸々負っていたが、配信会社は負わない。自分のリスクだから演奏家は聴衆の嗜好に寄り添うようになる可能性がある。つまり、恐るべきことだが、指揮者やピアニストもユーチューバーと同じになるわけだ。富豪になる可能性はそのゲームのルールのもとでなら消えたとはいえないが、「ウケ狙い」に淫するならシリアスなアートの創造には至ってそぐわしくない事態になりつつあると案じるしかない。その新世界ではドビッシーの演奏スタイルの変遷など余程の物好きでもなければ気にもかけず、「亜麻色の髪の乙女」や「月の光」ばかりが甘くてお気楽なポップアート好きや、おしゃれ狙いの廉価なフレンチレストランのオーナーさんの間でたくさん再生されるだけの世の中になるだろう。シリアスなファンに読まれ、影響力もあったレコード芸術誌はこのテクノロジーという「下部構造」の変化によって消えていったのである。

カラヤンは旧ビジネスモデルであるレコード時代の申し子である。演奏家として恐らく最大の受益者でもあり、レコード➡CD、モノラル➡ステレオ、アナログ➡デジタル、ライブ➡スタジオの4つのテクノロジーの進化の組合せがもたらす再生音響イフェクトごとに録音を重ね、同じ曲を別な演奏で何度も聴くクラシック音楽なる定義そのものの商品化、固定化にも多大な貢献をしたことで富を築いたビジネスマンでもあった。多くの場合それをもってしてかどうかは明確にはされなかったが、「彼のアートは浅薄」とする論調が昭和時代に頻出し、識者・マニアの間ではカラヤンを誉めることは恥という空気すらあった(日本の特殊現象だ)。その論者たちが真価を理解できるならば彼以外の誰があのペレアスを製作できたかと問えば黙るしかなかろう。カラヤンの資産額は彼が聴衆に与えた喜びに比例したという意味では彼は疑似資本家であり、大谷翔平選手は全くそう考えてもいないだろうが彼も変わらない。野球なら是だがアートでは非だという人は芸術至上主義者でクラシックを神棚に祭って拝む自分を愛していたい人かもしれない。金銭動機は不純だとして、自己の喜びが減殺されようともあってはならないと考える人は共産主義者か社会主義者かその信奉者になり得る人だろう。

前稿の考察はマルクスの唯物史観をモデルにしたと書いたのは僕が共産主義者だからでも社会主義者だからでもその信奉者になり得る人だからでもない。理論として優れていると思うからだ。そうであっても地球上全部が共産国になっていないのは人間は理論で動いていないからだ。唯物史観を敷衍するなら、皆さんが人生と思っているものの実体も、皆さんが「下部構造」の上で踊ってきた意識も意図もせぬお姿であり、その結末だった可能性が大いにある。誰も生まれた時代、国、地域、学校、家庭から自由ではいられず、それらが変われば上部構造である自分も変わっているはずだが、ほとんどの人はそれに気がつかないのだ。かくいう僕も、5つの外国に住んだから「下部構造」はその都度に激変し、僕という人間は物凄く変化したはずだが、どこがどう変わったかはまったくわからない。なぜなら、ずっと日本にいたらどうなったかを知らないからだ。きっと英語は話せずカラオケで歌を探すのに苦労しなかったろうぐらいのものだ。

英語という言葉の日本侵略は凄まじい。僕も皆さんも受けた学校教育は日本語だが、そのコンテンツは西洋発の言葉、概念、理論の日本語訳である。デモクラシーもそれだ。意味は市民革命の歴史を理解しないと分からず、教科書で民主主義と覚えたものがそれと思い込んでやってるデモクラシーはカレーライスとハヤシライスぐらい別物だ。僕は長かった英語漬け時代というものがあり、瞬時に反応を迫られる教室や職場ではやむにやまれず英語でものを考えていた。つまり頭の回路はかなり西洋人になってしまっているかもしれない。とするとこうして日本語を書いていて、何かがそうなる以前と違っていないと不思議だが、それも自分ではわからない。書きたいことにぴったりした日本語がどうしても見つからない時に妥協が嫌なので英単語やカタカナ語で示す方を選択したり、ドメスティックな右翼的日本人と話してまったくウマが合わないなあと感じたとき、それがそういうことなんだろうと思うぐらいだ。

例えばドビッシーやブルックナーみたいな音楽はドメスティックな右翼的日本人にはたぶん「好まれない」だろう。「わからない」は知的でないという含意があるので避けるが、それは僕が煮物が苦手であり味が「わからない」と言われても構わないのと同義だという注釈を付して、彼らはわからないと思う。これは面白いとか旨いとか本能的なレベルの話、つまり「下部構造」が違うということであって、何を笑うか(sense of humor)が人種や文化によって異なるのもそれだ。どっちであっても上でも下でもないし別にドビッシーがわかる人が知的であるともぜんぜん思わないし、僕にとってクラシックの「聴衆」と野球場の「観衆」は何も違わない。なぜなら僕にはどっちもエンタメであるからで、ではエンタメが社会で上か下かなんてことは考える意味もない。学校の成績が1番なら知的ではあろうが社会でそれがどう活きるかというと超ドメスティックで知的とは程遠い右翼的日本人の下で働いて幸せな人もいる。

つまり学歴もそんな程度のものであって、「下部構造」にはなって何らかの影響を人生には及ぼすがそれが上部構造である人生そのものになるわけでも何でもない。だからそれにこだわるなんてことはおよそナンセンスであり、何度も書いてきたが、「いまあなたは何ができますか?」以外に人生を決めるものはない。受験会場で優秀なパフォーマンスを発揮して難関校に合格しても、それはその会場で何ができたかを示すだけだ。問題はそれを終世まじめに懸命に磨いて維持できるかどうかだ。僕が認知症になるまで現役でいられそうなのは、体が元気なことと、いまできることを更に磨くのが趣味だからで、学歴のおかげでもドビッシーがわかるからでもない。それをやらずに親ガチャと嘆いたり、やって成果を得た人の足を引っ張る発言をしたりというのは居酒屋のいい憂さ晴らしネタにはなろうが、他人(親も他人だ)をああだこうだ言って安定する精神が自分の下部構造だったなんてことになるとその人たちの「自分」はどこにいるのだろう?悲しいことではないか。

かようにマルクスの唯物史観は、彼が意図したものからは逸脱するが、動態的なあらゆるものを思考解明するツールとしてはけっこう使える。静的に見れば三段論法、数学なら連立方程式だが、動態を分析するに必須の時間概念を内包した観察である点で哲学の弁証法に近いもの(またはそれそのもの)である。もういちど話を音楽に戻そう。CBSがブーレーズを投入した1970年時点でレコードのアナログでのステレオによるスタジオ録音は進化の極点に達しており、現に数年後のバルトーク(左がそれ)でSQ5なる5チャンネル録音の製品化が試行された(オーディオ装置側の制約で商業的には成功しなかった)。その誘因は60年代にライバルの米マーキュリーが高解像度(HiFi)録音で一定の成功をしたことだろう。CBSはそれにマウントを取り新しいディメンションのオーディオサウンドを作るべくタレントを探し、適材のブーレーズを仏国から連れてきて目的を達した(これがアウフヘーベンにあたる)。その成功のほとんどは演奏家の能力に負うものであることは疑いがないが、あの場合はサウンドのキャラが表裏一体としか考えられず、仮にEMI、DGがブーレーズを使っても同じ成果は得られなかったと僕は感じる。逆にサウンドを作るCBSのエンジニアチームのキャラがブーレーズに化学反応を起こしてああいう微視的な演奏スタイルが確立したとも思える。

つまり下部構造の変化が生んだ新しい世界における名演である。しかしブーレーズが指揮台でそこまで意識していたかどうかはわからない。プロのポップス歌手に「自分が適当に歌った声やギター演奏がスタジオでマイクを通すとまるで別物の “売れるレベル” になっちゃうんですよ(笑)」という話を聞いたことがある。ブーレーズのあの「春の祭典」(左がそれ)だが、僕がアップしたyoutubeに元CBS関係者が下さったコメントによると「第1部の序奏は異例に早い朝8時に集合して録音を始めたが、とりあえず朝一で流して弾いてみた練習のテープがベストという結論になり、それが採用された。だからホルンのミスが残った」ことが判明している(冒頭Fgを伴奏するフレーズの最後の音価だ。ちなみにカラヤンのマーラー9番79年盤もセッションなのにクラリネットにミスがある)。現場で奏者のミスまで聴き分けてマネージしなくてはならない指揮者が、完成品がスピーカーから流れる音を想像しながら棒を振るのは現実的でないと考えるのが普通だろう。世界最高レベルの知性を持ったブーレーズですら下部構造には気がつかないのだ。

マルクスの唯物史観モデルの有用性は共産主義国家繁栄に至るまでには発揮されていないが、そこへのステップとしての使い道は共産主義者、社会主義者がよく心得ている。時間は少々かかっても効果を得る確実性は高いので、上部構造を変えるためには下部構造を変えればいいということをだ。下部構造は世間には見えにくいので、それをいじくったこともその真の目的も大衆は気がつかない。仮に気がついても「たいしたことでないですよ」と嘘を喧伝しておけばそのうち忘れる。だから、誰かが政治的・法律的上部構造をじんわりと変えようと目論むなら、いきなりそれをやろうと軋轢をおこして行動するのは得策ではない。下部構造を変えておけば、やがて唯物論的に、あたかも自分たちの責任でない事後的な残念な現象であるかのように目的は達成されるからだ。

米国民主党のバイデンを祭り上げてる極左勢力がそう考え、自民党の仮面をかぶった極左議員に強行採決させてしまった「LGBT理解増進法」なるものはまさにそれだ。軋轢をおこして行動するという得策でないことを稚拙にもやったので、良識ある有権者には策略の魂胆がばれてyoutubeでは批判の嵐になってしまった。それが支持率を下げていることを御用マスコミがマイナンバーカードのせいだと嘘をたれ流しているが、それ自体が有権者に見抜かれているからそうなっているのだ。この1年、岸田政権下で日本は恐ろしいほどひどい国になってしまった。終わったわけではない、現在も劣化は着々と進行中だ。世間の犯罪事件のあれこれを眺めるだけでも、そのおぞまし過ぎる中身と件数の多さは絶句するばかりで僕はこんなものはかつて見たことがない。日本の「下部構造」が土台から腐り、腐臭を放ち、うわものである社会が瓦解を始めている。そこにさらにエイリアンの卵みたいな恐ろしい法律が民意も問わず無理くりに制定されてしまったことは、将来の日本史の教科書に大書すべき大失態である。この岸田政権と自民党の愚行だけは僕は許し難い。こんな法律は、下部構造となって化け物の卵が孵化してしまう前に次の政権が廃止しなくてはならないと主張することで本稿を閉じる。

 

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ダ・ヴィンチは誰に微笑む

2023 JUL 11 7:07:48 am by 東 賢太郎

次女からラインがあった。「これお父さん好きだと思う。私のアカウントだと明日まで無料で見られるよ。リビングのfire tvで入ってみて。入れなかったら電話して」。タイトルは「ダ・ヴィンチは誰に微笑む」だ。やっぱり入れなかったので長女がやってくれた。

良い見立てだった。ストーリーはアマゾンにこうある。

ダ・ヴィンチには“消えた絵”があり、それには救世主が描かれているという説がある。名も無き競売会社のカタログに掲載された絵を見て、もしかしたらと閃いたNYの美術商が13万円で落札したのだ。彼らはロンドンのナショナル・ギャラリーに接触、専門家の鑑定を得たギャラリーは、ダ・ヴィンチの作品として展示する。お墨付きをもらったこの絵に、あらゆる魑魅魍魎が群がった!意外な身元を明かすコレクター、手数料を騙し取る仲介者、利用されたL・ディカプリオ、巧妙なプレゼンでオークションを操作するマーケティングマン、国際政治での暗躍が噂されるある国の王子―。一方で、「ダ・ヴィンチの弟子による作品だ」と断言する権威も現れる。そして遂に、510憶円の出所が明かされるが、それはルーブル美術館を巻き込んだ、新たな謎の始まりだった―。

「面白かった、ありがと」

「国の特徴が出るよね、価値ってほんと後付け」

「価値はマーケティングが付ける」

次女はマーケティング専攻でMBAもとったから頑張れよという僕なりのエールだ。この映画の楽しさは13万円が510億円(約40万倍!)になったのが実話だということにあるだろう。ここまで浮世離れすればそれだけでもう娯楽だ。複数の証言(インタビュー)をつないだクロスカットの手法がドキュメンタリー風のリアリティと心地良いテンポになって映画っぽくないのもいい。絵画の世界では代理人が思いっきり「中抜き」して犯罪にもならない。だからシロウトは手を出すなよという警鐘も鳴らしている。

株式も似たものがある。さすがに40万倍はない。しかし投資家を保護する法整備があって魑魅魍魎は住めない。だから2021年のアート売買市場は推計9兆円、株式市場は600兆円という数字になってる。お金は臆病でリスクの少ない所に密集する性質がある。リスクとリターンは裏腹だからリスクが減ればリターンも下がる。それでもアート市場の60倍のお金が集まるのは、十分なリターンが得られるからだ。

上場日のアップル株1株の価値はきのう時点で1583倍になってる。100万円買っていたら15億8300万円だ。テスラ株を上場日に100万円買っていたとすると1億2630万円。銘柄を選ぶ目利きになれば、売り買いなどせずじっと持っているだけでお金は勝手に増える。僕はもう少し欲張って、上場前の株を売ってもらう交渉をその会社とする。うまくいけば上場株価より安く買えるからリターンはさらに増える。これをするにはその会社の経営に貢献しないと交渉の余地などあるはずがない。普通のコンサルはそれでフィーをもらうがそんな金額はたいしたことない。僕は株でもらう。それを客さんにもお分けする。

ポイントは「目利き」になることだ。才能はいらない。誰でもできる。要はやるかやらないかだ。日本人は「株をやる」という。おかしな言葉だ。これを使う人は間違いなく投資をわかっておらず、99%の日本人がそれだ。やるのはテニスだったり酒だったり、しょっちゅうやるニュアンスがある。投資でやるのは銘柄選びだけで売ったり買ったりなんかしない。それはトレーディングというぜんぜん別物だ。僕はトレーディングなど一切興味ない。そんなものは儲かったためしがない。安いうちに買って、じっくり持って、高くなったら売る。数年持っていて5倍になればオッケー、10倍なら祝杯。それだけ。実にシンプルだ。

できるようになるには考え方が重要だ。なぜなら、なにがしかは未来を予見する必要があるからだ。知識は誰でも自習できる(アナリスト試験など)が考え方は習った方が圧倒的に早いだろう。セミナーみたいなものをやればいいがあいにく僕にはやるインセンティブがない。その分ブログは書いてきた。物事の考え方はジャンルに関わらずすべてのブログに反映しているので汲み取ってもらえばいい。このブログが2438本目になる。だんだん疲れてもきておりいずれやめるが息子が本にして保存してくれるらしい。

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地球は惑星ソラリスである(安倍事件の怪)

2023 JUL 8 12:12:10 pm by 東 賢太郎

僕がそれに気づいたのは、ちょうど1年前の今日、日本中を騒然とさせた安倍元総理暗殺でのことだった。事件に驚いただけでない、直後から起こっていた、いや、起こっていると報じられてきたすべてのことをテレビで見聞きしてのトータルな印象だ。何かおかしい、ふわふわしている、何か妙なビジョンを僕らは見ている。映画のCG(コンピュータを使って描いた画像)を見た感じだなと思ったのだ。理由はわからない。直感だ。

CGはあり得ないものを見せて目に焼き付ける。百聞は一見に如かず。古来より人間は見たものを信じるようにできている。嘘だろと思ってもだんだん見たものが理性にまさってしまうから、それをテレビはコマーシャルに利用するようになった。大事なのはリアルっぽいこと、そして何度も見せることだ。テレビほどそれ向きのメディアはない。偽物だろうが物理法則に反しようが構わない。嘘も百回で真実、大事なのは物量と力業、そしてそれをやらせる権力とカネなのだ。

ソラリス?なんだそれは?ご存じない方は映画を観てほしい(無料レンタルがある)。SF物の古典であり、クラシック音楽ならモーツァルト、ベートーベン級の最大傑作のひとつである。下のビデオは抜粋だ。ネタバレになってしまうのはもったいないが、それでも僕が言いたいことはわかるので時間のない方はご覧いただきたい。

ポーランドの作家スタニスワフ・レム原作の映画『惑星ソラリス』(1972)は太陽系外惑星ソラリスの軌道上に浮かぶ宇宙ステーション内での不可思議な出来事を描く。不穏な空気が支配するが真の恐怖はエンディングに訪れる。このどんでん返しは並みのサスペンスなど及びもつかぬ衝撃で鳥肌が立つ。

(筆者:抜粋がyoutubeから消されたようなのでFullで。英語字幕ですが)

ソラリスの海は「意思」がある生命体で、科学者たちはそれを調査する任務のために遠く地球を離れてステーションに住んでいる。海は人間の記憶をスキャンし、それを出現させて見せる。そうして、知った人物が現れるとあまりにリアルで現実と思ってしまうため、彼らは “それ” を「お客」と呼ぶようになる。三次元プリンターで人間が作られるようなものだ(映画の封切りは1972年だ。その技術だってSFだった)。そう考えると若者にはこの映画の怖さは減殺されてしまうかもしれないが、そこはタルコフスキー監督の腕である。それでも十分に怖いだろう。

科学者クリスの部屋に死んだ妻ハリーが現れる。ふれることさえでき、「私を愛してる?」と問う。しかしクリスは妻の肩に10年前に自殺した注射針の跡をみつけてそれが「お客」であることを知り、理性を失い、動転する。「早くこの恐ろしい夢から逃れなくては」。ハリーをロケットに閉じ込め、宇宙空間に放逐する・・・しかし彼女はまた現れる。クリスの理性はもはや麻痺しており、もう動揺しない。何が現実かわからなくなり、「お客」のハリーへの愛に支配されている。しかし眠って目覚めると彼女は手紙を残して消えていた。同僚が言う。「クリス、君はもう地球に帰ったほうがいい」クリスが答える。「そうかもしれない」・・・ところが・・・

安倍事件。テレビ画面の中、全国民の前に現れたハリーはふれることさえできるだろう容疑者Yという人間の形で現れた。「皆さん見たよね?聞いたよね?Yが安倍さんを2発撃ったよね?」全マスコミが徒党を組んで国民に問う。しかし物理的にあり得ない証拠を見つけて国民は理性を失い、動転する。「早くこの恐ろしい夢から逃れなくては」。しかしハリーは国民がネットで否定しても否定しても現れる。「それ陰謀論ですから、撃ったのはYですから」。眠って目覚めるとハリーはどこかに消えていた。精神鑑定で収監。そして公判は何と来年。全マスコミが徒党を組んでいう。「国民の皆さん、もう諦めたほうがいい」別な番組が答える。「そうかもしれない」・・・ところが・・・

ハリーというCGの報道。みんなこれだけ流せ。アレは全員がスルーしてなかったことにせい。これぞ「嘘も百回で真実」のセオリーである、わかったな。メディアも司法も警察もだ。さもないとお前らも・・・ネットはどうするかだって?トランプのツイッター、あれよ、あの手で行け。締めだして消すんだ、なかったことになるまでな。コトがおきたらせ~ので全メディアが同じ報道をせい。全メディアが翌日から理由はあの宗教でしたのCGに切り替えろ、いいな。

皆さんはいかがだろう。これだけ国の中心にいる全員が、まるでシンクロ・スイマーみたいに一挙手一投足まで完璧に同じ動きをする。CGにしたって異様すぎる。全会一致?そんなのマンセーの国にしかないだろう、今どき。僕はこの1年、悪酔いしたみたいに背筋がぞっとして吐き気がしたままでいる。誰か助けて欲しい。寝ている間にいつこんな星に来てたんだ?地球だと思ってたら、ここは惑星ソラリスじゃないか。

小池都知事の英語力を判定する

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なぜ僕は男尊女卑になったのか?

2023 JUL 3 1:01:45 am by 東 賢太郎

フェミニズムはもう古くジェンダーという言葉が世の中を席巻する時代にこういうタイトルのブログを書くのは少々勇気がいる。だが事実なのだ。僕は男尊女卑的な家で育ち、父はそれであり、母も「男らしく」に厳格だったが、親の責任にしようという気はない。小学校時代は仕方ない。それでつるむ仲間が何人もいて珍しくもなかったし、女子の言うことは歯牙にもかけず、遊びは男子だけだった。ただ、多少の分別はつく高校入学のクラブ選択においても、女子と一緒にやるスポーツとか文化部というものは1ミクロンも視野になかった。正直に書くが、完全に「女のやるもの」と見下していたからだ。いま僕は父親として娘の社会での活躍を願う身になっている。気持ちだけではあるが女性活躍社会のサポーターを自認もしている。なぜ自分が物心ついてまでああだったか、冷静な目で見つめ直してみるのは悪くないだろう。

父の精神的支柱は天下国家、質実剛健であった。戦争末期に陸軍に徴兵され負傷して戻り大学は夜学。向学心旺盛な人だったから時代の犠牲者だ。それでいて左翼、反戦に靡かず天皇への信奉も揺いでいなかった。半面、欧米文化に開明的だったのは戦争に巻きまれた憤りの反動だったのだろうか米国を憎む言動はあまり記憶にない。野球まで英語禁止の時代であり、終戦後とはいえどう英語を修得したかは知らないが、第二の人生で英国とインドネシアの金融機関の管理職になり、97才で他界するまで英語を勉強していた。母も後にひとりで僕の赴任地の外国にやってくる程度の英語を嗜んでおり、その価値観では一致した夫婦だった。しかし父が長男である僕の教育において母に譲ることはなかった。開明的ではあるが、女は黙ってろだ。

母は母で夫唱婦随の女でなく、九州女である祖母の影響だろう、息子が軽薄で女々しく育つ風なあらゆることには父が何といおうと徹底抗戦を辞さなかった。母が怒鳴ったり怒りをあらわにしたのを見たことがない。夜になって父が部屋にひきあげると、僕を叱るのではなく、なぜそれに反対かを1時間でも2時間でも懇懇(こんこん)と言葉で諭した(先祖が誰かを聞いたのはこの中だ)。高校から大学にかけての説得は心に響き、いまもその声と共に記憶に残る。結果として、僕の人間形成のハード面は父に、ソフト面は母に由来するといって過言でないほどになるのだから、我が家においては男尊女卑がもはや成り立たなくなっていたのである。

祖父はどうだったか。記憶は朧げだが、寡黙で頑固一徹。気丈、気骨の明治人という印象が強い。和服で冬はいつも火鉢にあたり、江戸っ子言葉で短髪でさっぱりこぎれいな風貌で、英語どころかカタカナ言葉も出てくるイメージがない。僕は生まれてから2才まで祖父の家の離れに住んでいたが、引っ越してからもよく連れられて遊びに行き、将棋を教わったり手相を見てもらったり、近くの板橋駅まで歩いて肩車で蒸気機関車を見せてもらったりもした。食後に必ず消化薬のエビオスを1錠くれる。この味が無性に好きになり、誰もいないときビンをあけて盗み食いしていた。浅田飴は止まらなくなり、大人が外出中にひと缶ぜんぶ食ったのを見つかった。3才ぐらいだったと思う。死んだらどうしようと家中の大騒ぎになり大目玉を食らったが、祖父だけは僕の顔をじっと見て大丈夫だよと泰然自若、叱りも何もしなかった。祖父が大好きだった。

小学校3年のことだ。なぜか精霊流しの夢を見た。真っ暗な川面にたくさんの灯篭(とうろう)が静かに浮かんでいて、薄明るい蝋燭(ろうそく)が黄色く照らしている。すると、灯篭のひとつにいつもの和服を着た祖父が立ったまま乗っており、ゆっくりと右の方向に川を進みながら天に昇っていくのがズームアップしたように見えた。こちらを見なかったが、蝋燭の光が下方から照らしている横顔がはっきり見え、今でもこうして光景をくっきりと描写できるでほどで仰天した。大変だと焦りまくり、大声でお爺ちゃん!と叫ぶと目が覚めた。祖父が胃癌で亡くなった知らせがあったのはその翌日だ。板橋の家に駆けつけると、祖母が玄関まで泣きながら出迎えて、ケンちゃん、おじいちゃんこんなになっちゃったよ、と布団に横たわる祖父の前まで手を引いていった。

祖父は神田猿楽町の風呂屋の息子だったが次男で家督を継げなかった。旧民法では「家督は嫡出長男子への単独相続」だったからだ。長男が一族の面倒を見るとはいえ恐慌が起こり農村の生計は厳しく、昭和初期の軍事クーデターの青年将校は疲弊した農家の有能な次男坊、三男坊が多い。終戦直後も東京に出稼ぎにきたのを集団就職といい、東北へ向けては専用列車が上野から出た。企業は一生面倒みるぞと彼らを呼び込み、終身雇用と呼んだ。かようにこの相続システムは家督(”イエ”)という日本社会を支えてきた伝統概念を保持はしたが、国家経済が不安定になると歪みとなって日本社会の根底を揺るがして日本人の精神構造に深く刻み込まれたのである。

人力車の製造で祖父は羽振りが良かったと聞くが、関東大震災の頃から業界ごと下火となり、僕が生まれたころは静かな余生だった。祖父が他界し、やはり次男坊である父は平等に相続する新民法で権利は得たものの、震災と戦災で動産がみな焼けてしまい、肝心の相続財産がなかった。明治政府が法で守ろうとした武家社会由来の家督(イエ)はもう無用になっていた。父は長男である伯父とうまくいかず、やがてイエを見限り、よりクニを信奉する方向に心の舵を切ったと思われる(墓所も今戸から富士霊園になった)。だからだろう、何事もクニ( “国立”) 至上主義であり、長男の僕は国立大学に進まざるを得ない空気もあった。

家督は家父長制(patriarchy)における家長権を意味し、ローマに由来する。家父長制の根源は男性優位の視点だが、全権者である家長が男である以上は仕組みとして女性の立場は劣後する。家の存続には男が長であることが有利であるという実利的な側面もあり女性を卑しめるわけでは必ずしもないとされるが、そんな理屈を現場の男がみな理解したはずはなく現実は男尊女卑と表裏一体であったろう。西洋ではフランス革命の影響から20世紀初頭に各国で女権拡張の方向で民法が改正された。一方日本はちょうどその頃(1890年)旧民法が公布された。既述の通り、長男だけが全財産を相続し、次男坊以下、非嫡出子、女子の相続はゼロである。次男坊以下と非嫡出子は男子であり(つまり男子の中での差別であり)、女子はのっけから対象外である。このため旧民法が1947年に廃止されるまで女権拡張がなかった日本は西洋に約50年の遅れが出たのだ。

僕はその50年を生きた二人の男、すなわち祖父と父の生き様をふりかえることでタイムラグの中身を省察してみたい気持ちに駆られて本稿を書いている。それが日本の後進性によるか否かという吟味だ。結論は否である。旧民法(1890年公布、1893年施行予定)に際しては「民法典論争」なる激論が交わされたことは法学を学んだ者には周知だが、伝統的な風習・道徳を破壊する危険があるとの反対論が東京大学法学士会によってなされ、1892年には旧民法の施行延期を求める法案が議会で可決され旧民法は流産となる(1898年に施行)。この過程は専門的で複雑だが、260年鎖国した国が異文化、異言語の法典を消化吸収して独自のものにするエキサイティングなドラマでもある。

しかし、日本はその学習に50年を要したのでなく、独仏英法を完全に咀嚼した上で国情、文化を勘案し、そこから50年「国益のために家父長制を意図的に保持した」のであって、このインテリジェンスを後進的と呼ぶ者はインテリジェンスのない者だけである。開国からたった20余年の時点でその域に達した先達の驚異的学習能力が江戸末期の諸藩に用意されていた事実に感嘆するのみである。事の軽重は異なれど、朝野をあげて数年もの激論となった民法典論争に比ぶるに、同様に伝統的な風習・道徳を破壊する危険があるとの反対論が出たLGBT法案の安直、浅薄、おバカな成立を見るにつけ、総理、閣僚、現職国会議員の驚異的学習能力のなさにもプラス・マイナスを逆にして同程度の感嘆を覚えざるを得ない。

米国人が日本を後進的と指摘するなど笑止であり馬鹿も休み休み言えで、何様かと不愉快千万なうえにその不勉強も大層なものだと驚く。日本には、米国の10倍、縄文文化から数えれば60倍もの年月を経て醸成された伝統的で抜き差しならぬ文化・風習・道徳が存在するのである。明治人はそのうち廃すべきものは廃したが、守るべきものは守った。そのひとつが「イエ」を承継する江戸時代の家督相続制度だが、それを旧民法で存続させ、王政復古でその上に天皇を被せて「クニ」(大日本帝国)なる新しい上位概念を創造し、それまでの上位概念であった藩を消した(廃藩置県)。既述の通り、家督を継げない次男坊、三男坊は藩、イエの支配構造から解かれてクニ(神道)を信奉し、富国強兵策の人材供給に貢献し、父はそのひとりだった。

ここで、本題の「男尊女卑」の観点から注目すべきは、なぜ明治政府が「嫡出長男子への単独相続」を温存したかだ。先達は西洋では女権拡大の方向に民法改正が行われていることは知っていたのにである。

私見では理由は以下の3点である。

➀皇位の男系男子継承とパラレルにする(国民の家督相続制度と国家最上位の家督継承との平仄を合わせた)

②新政府の支配構造を伝統に合わせる(下部構造であるイエと、幕府の下部構造であった藩主ー男子のみーとの平仄を合わせた)

③富国強兵の根幹は法体系整備、軍事力増強、官僚制確立(兵力は武家・侍、学問は藩校・寺子屋に素材があったが担い手は男子のみ)

旧民法は1947年(昭和22年)まで存続し、50年の施行のうちに日本人の精神に➀~③のベースになる「男子のみ」の思想が深く根づいていったのである。その選択の根底に「女子を差別しよう」という意図はない。すべては黒船来航に始まる欧米のむき出しの欲望(侵略・支配)に対抗するためであり、江戸末期まで武家社会のあらゆる処に通底していた「男子優先」を新政府の骨格とすることが欧米に短期間に対抗するのに必須であったということだ。英国に負けた薩長の失敗に学び武力で喧嘩せず相手の文化、装束まで策謀として同化(猿真似)して同位に立ち、相手の支配原理である法律は法律をもって制する姿勢を武器とし、富国強兵への本音の偽装と時間稼ぎをしたのである。それゆえに日本は植民地化を免れたのみならず、白人国である露西亜を武力で倒すだけの強国となれた。戦争がいいというのではない。「国を守る」とは、そういうことなのだ。

僕は司馬遼太郎の「坂の上の雲」を、かような美点凝視こそ昭和の厄災を招いた愚策の源泉として評価していなかった。本稿をものするに「民法典論争」を詳しく調べ、再考し、明治の先達の努力と洞察力を前にして浅学を恥じた。大日本帝国憲法および旧民法は江戸末期のステレオタイプ(文化・風習・道徳)を国力強化のために利用、包含して制定され、明治、大正、昭和初期を通して軍事国家化が進行した。それゆえに結局は50年の末に敗戦という未曾有の厄災を招いたではないかと見ることもできる。しかし、その選択でその道を選ばなかった場合は、早々に19世紀末に日本は欧米各国に軍事力で征服され、蹂躙され、分断され、植民地となっていた可能性がある。歴史にたら・ればはない。タイムマシンで戻って選べるなら、あなたはどっちを選びますかということだ。

引き伸ばされた50年。江戸末期のステレオタイプは温存され、我が祖父も父も明治人のそれを信奉して生きた。明治政府のインテリジェンスであった男子優先はやがて男尊女卑思想になって1955年(昭和30年)に生まれた僕もそう教育され、男女平等の見地では後進国と見られて仕方ない外貌を今も呈することとなった。それを学んだうえであなたはどっちを選びますかということだ。歴史は個々人の生き様の集大成である。1億人いれば1億の「あざなえる縄」があり国家の禍福は歴史に結末として書かれた0と1の判断のようなもので決まるわけではない。

 

キッシー息子くんの忘年会を叱る

 

 

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エマニエル夫人に押し倒されたキッシー総理

2023 JUN 26 20:20:26 pm by 東 賢太郎

【マッカ将軍】

「日本の将棋はチェスとは違い、敵から奪った駒を自軍の兵として使う。これは捕虜虐待という国際法違反で野蛮なゲームだから禁止すべきである」

 

【升田幸三九段】

「チェスは捕虜を殺害している。これこそ捕虜虐待である。男女同権というが、チェスではキングがクイーンを盾にしてまで逃げようとする」

 

【エマニエル夫人】

「日本人は進化の過程にあるのよ。つまり、猿なみってことね」

 

【総理】

「へへー、おっしゃる通りの猿でございます、LGBT法案すぐやります」

 

【エマニエル夫人】

「遅いわね、早くしてよ!」

 

 

【総理】

(焦る)「選挙に落ちた議員は木から落ちた猿以下でございまして・・・へへー」

 

 

 

読売新聞によると、岸田政権の支持率が15ポイントも大暴落した。マイナンバーカードの不手際のせいと言っているが、これは真相を隠蔽する御用マスコミの手口だ。そんなものはぜんぜん違う。理由はLGBTだ。中道右派のこれへの怒りは絶対に消えないだろう。

女風呂などの問題はまた別個の話だ。怒りの震源地は内政干渉、主権侵害に他ならない。国家の体を成してない。自民党の部会か何か知らないがそんなものはどうでもいい、国会で強行採決したことは断じて許し難い。

 

LGBTに賛成しなかったのは参政党だけではないか。エマニュエルの圧力にケツまくって逃げまくりのこいつら、日本国のために働いてるとは全く思わない。

 

次の選挙は見ものだ。

 

キッシー息子くんのハッピー忘年会

地球は惑星ソラリスである(安倍事件の怪)

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