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カテゴリー: SMCについて

クラシック徒然草-運命を作曲したピアノ-

2013 JUL 16 18:18:58 pm by 東 賢太郎

花崎プロジェクトでベートーベンを聴きかえしています。交響曲のCDは各曲50~60枚あり、その他の各種音源もありますからざっと600枚。聴いた実演はトータルで100は下らないので少なくとも700種類ぐらいの異演を聴いてきたのだと思われます。CDは耳に焼きつくまで聴きこんだのもあり、1度きりのも多々あり。今回とても時間がないので「親しくお付き合いしているもの」だけを再聴しています。

好きなものに関しては僕は徹底したメモ魔です。クラシック音楽はその一つで、6000枚ぐらい所有している全音源を曲別にカードに記録してファイルしてあるのは図書館と同様であり、そこに音源ごとに初聴時の印象を無印~3つ星の4段階評価で記しています。今回のプロジェクトでは2つ星以上の音源を聴きなおした印象で選んでいます。不思議なもので大学時代に聴いて以後一度も聴いていない演奏を今の経験を積んだ耳で聴きなおしても、当時の評価はほぼ納得というケースが多いためです。

いままでSMCのブログに書いてきたLPやCD、たとえば血肉となっているブーレーズの春の祭典ですが、調べてみると自分でも意外なことに高校時代以来20回も聴いていませんでした。というより、聴いた日付までメモってますから正確にわかるのですが、5回も聴かないうち(たぶん3回目)に今と同じ記憶と評価はほぼ確定しています。今や何かで居間に来て、家族と立ち話をすると5分後には何をしに居間に来たのか忘れているという嘆かわしい状況なのですが・・・。

ところが当時わからなかった事を古びた脳ミソが見つけだすということもあります。今回の聴きなおしで改めて気づいたのは、ベートーベン演奏とアコースティックの関係です。特に演奏会場の残響です。たとえばエロイカの出だしの2つの和音はスタッカートがついています。短く切れという指示です。彼はここで残響を意識したのではないかということが頭をよぎり、気になっています。4番のフィナーレ冒頭主題は弦の細かい動きを3発の全奏がやはり短いフォルテで受け止めます。その残響がホールに心地よく響くのですが、作曲に当たってそういうホールで演奏することを想定していたのではないかという疑問です。

ハイドン、モーツァルトの曲にそんな印象を抱いたことはありません。オーケストラのトゥッティ(全奏)や裸のティンパニを何度もフォルテでたたきつけるのが文法の重要要素であるという語法はベートーベン特有のものだからでしょうか?それだけではないかもしれません。西洋音楽のルーツは教会にあります。教会の残響は3秒以上もあり、単音が自身の残響と混合して和声やポリフォニーが生まれました。それが教会を離れて貴族のお茶の間での娯楽になっていくわけですが、それと並行して残響への嗜好や作曲家の配慮も後退したかもしれません。楽器の方もハープシコード、チェンバロという撥弦楽器のか弱い音が好まれましたがあれはどこで弾かれようがあまり残響を発しないでしょう。

ウィーンでベートーベンが1804年から住んだ家(Pasquaratihaus)に行きますと彼のピアノが置いてあります。これです。36e534aaf6 (1)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼はこのピアノで交響曲第4、5、7番やフィデリオ、ヴァイオリン協奏曲などを作曲したのです。ご覧の通りペダルが5つもあり、膝で押し上げるメカニズムだったモーツァルトのそれより音域も音量も音色も格段にバラエティに富んだ楽器となっていたことが分かります。彼の作曲上の文法がこれと無縁であったとは想定しにくいのではないでしょうか。聴力の衰えた彼がこのパワフルな楽器の音に心を寄せたもの、それが残響を豊かに伴ったオーケストラのトゥッティ(全奏)や裸のティンパニであっておかしいでしょうか?

 

ベートーベンはフランス革命後の共和政に期待をし、それによって音楽というものを貴族のお茶の間から市民、公衆の前に持っていこうとした人です。コンサートホールは教会に代わる市民の集いの場であり、彼は第九でシラーのこういう歌詞に音楽をつけているのです。

alle menschen werden Bruder, wo dein sanfter Flugel weilt                 (あなたの柔らかい翼が留まる所で、全ての人は兄弟となる)

Bruder! uber’m Sternenzelt muss ein lieber Vater wohnen                (兄弟よ!星たちの彼方に愛する父(神)が住んでいるに違いない)

神の前に出てみろ、君主も市民も同じだ、兄弟だろうということです。フィガロの結婚で初夜権などという婉曲な非合理をモチーフに貴族社会を揶揄した変化球のモーツァルトから見れば、これはど真ん中の剛速球でなくて何でしょう。

貴族(お茶の間)から市民(教会)へ。モーツァルトはこれをオペラでストレートに試み、ベートーベンは交響曲という音響実験で包括的に試みたと考えるのはあまりに実験的でしょうか。

 

 

アベノミクスは成功するか

2013 JUL 10 17:17:54 pm by 東 賢太郎

いよいよ参院選です。アベノミクスが大きな争点ですね。SMCは政治プロパンガンダ禁止ですのでそれをわきまえつつ私見を述べさせていただきます。

アベノミクスの真価は第3の矢にかかっていると言われています。第2までは概ね成功(それでも第1段階ではありますが・・・)というのが世論と考えてよろしいかと思います。この辺の事情は経済の鏡である株式市場に反映されています(僕の5月17日付ブログこれから日本株はどうなるか?をご参照ください)。そこに書きましたが、金融現象としての株高と実際の経済成長に根ざした株高は別物です。デフレ解消は手段であり、やがて経済成長に結びつくのでなければ意味のないインフレをもたらすのみという野党の主張は正しいといえます。

ただ忘れてはいけないのはデフレ経済で政府が何をやっても経済は成長しないことです。他人の資本を借りた「梃(てこ)の原理」で成長する企業というものがなくして資本主義は成り立ちませんし、それをミクロ現象としてトータルにいわばマクロ的に見たものが経済成長と世の中が言っているもののほぼ実体です。もちろん企業が絶対に必要というわけではないですが、それを否定して国家計画経済だけで生き残った国家が世界に幾つあるかご覧になれば、結果論的にではありますが、企業がレバレッジをかけて成長することが国家経済を繁栄させる近道だという間接的な証明はされていると考えていいのではないでしょうか。実質金利が高くて企業がお金を調達しない、借金をした者が苦労するという世の中では資本主義はワークしないのです。

ですからデフレ根絶という大目標を掲げたアベノミクスは合理的理由があります。参議院の存在意義や国家体制や憲法改正の是非を論じる以前に、まずデフレはいけないのです。その手段として金融緩和という策が日銀から提唱されました。これが貨幣の増量を暗示して円安、株高を誘発したのですが、これが政策目標ではないのですから「庶民は恩恵がない」と政策批判する根拠がありません。企業の労働分配率問題にすり替える根拠もありません。デフレ経済では貯蓄こそ王道です。企業はセオリー通り内部留保しているだけであり、分配させるにはデフレを退治するしかないからです。

第3の矢は難しいですね。規制緩和は効くでしょうがTPP、原発再稼働の舵取りをしながらですし。日本国は成長原資(非効率)をたくさん持っている国です。医療、教育、農業など。規制緩和はそれを活かす唯一の道ですがそれをするには既得権益集団との対立が不可避です。官僚はその代表ですが議員定数問題を見るまでもなく政治家も集団の一部です。だから彼らに本格的な規制緩和は期待できないでしょう。現在の規制環境の下で成長することはもちろん可能ですが、それを推進する主体である企業セクターにおいても社内既得権益闘争があり、株主利益など一顧だにせぬ社長解任劇が演じられたりしています。株主総会でなら健全なのですが。

今回の選挙はそういう考慮とは関係なく、大方の予想通りの結果になるのではないでしょうか。ねじれ国会がそんなにいけないなら憲法改正と一緒に参議院は潰した方がいいのですが、そういう本質的な議論は一切なく。アベノミクスの最大の価値はデフレ対策である以上、少なくともそれだけは完遂してもらいたい。そこから先は企業経営者に頑張っていただきたい。今申し上げられるのはそこまでです。

アフリカ象とはご縁がありますか?

2012 OCT 17 16:16:27 pm by 東 賢太郎

星のことを考えていると、時間とは距離と関係があることがわかってきます。これは質量がエネルギーだということと同じぐらい美しい原理です。

ホーキング博士は銀河系に知的文明は200万あると発言しました。銀河系みたいな星雲、星団は無数にあります。知的生命は無数にあるのでしょう。でも離れている、距離があるので、みなさんが生きているごく短い時間(宇宙的スケールで見ればほんの一瞬)の間に出会うことはまずない。それだけ。7日で死んでしまう日本のセミがアフリカ象に出会って知り合いになることは、たぶん永遠にありません。

会わない、見えない、知らない、ものが「ある」「存在する」ってどういうことなんでしょう?ベテルギウスのように、見えているのに「ないかもしれない」ってなんでしょう?

それは知覚することです。というより、知覚したいという願望実現の一定のプロセスです。人間という生物の限られた知覚能力の範囲内で、ある、be、sein  と言ってしまおうという科学者や哲学者や神学者の暗黙の了解智です。

だから天文学者の暗黙の了解智としての知的生命が宇宙に何千兆個あろうとも、僕にとっては知合って、関わるのでなければアフリカ象以上に格別の意味はありません

SMCを始めなければお会いすることも知ることもなかった方々がおられます。お互いに存在はしていたのですが。あることと知ることがいかに違うか、日々思い知っています。これは僕自身初体験の毎日ブログを書くという行為で教わったことです。

知る、知りあうことをインターネットという媒体が促進してくれることもです。距離の壁を除くということは時間の壁も、なのです。あたかも地球の人とベテルギウスの人が同じ家で暮らしているみたいな同時性を与えてくます。

仏教で縁という言葉があります。因果応報とは、因という種があって、それが果という結末になることをいうそうです。酒好きの遺伝子は因で、酒飲みになったというのが果です。しかし、そこには酒を飲むという行為がはいります。飲まなければ果もありません。それが縁、縁起であり、縁というのは自分の意志で決められるのだそうです。

西洋は神が決めたこと、運命だ、となるのが仏教では自分の意志というものが認められます。これをいい方に勝手解釈して、自分の意志で、どんどんご縁を増やしていけたらなあと思います。

 

 

SMCの総閲覧者数1,000

2012 OCT 3 19:19:37 pm by 東 賢太郎

おかげ様をもちまして昨日1000を突破しました。今日は1100を超えました。

僕が最初のブログを投稿したのが9月12日なので、予想よりも早いペースです。メンバーの皆様のおかげです。また、メンバーではない訪問者の方も少しずつ増えているようです。ご興味をお持ちいただいていることに深く感謝申し上げます。

SMCは、なかなか一人ではできないブログという発信の場をみんなで共有してしまおうという試みです。ゴルフは一人でもできますが、4人でやったほうが楽しいです。コンペで大勢でやったらもっと楽しいです。ゴルフが上手かどうかはぜんぜん関係ありません。この楽しみを知るには、コースへ出てやってしまったもん勝ちなのです。コンペの中のおひとりですから2,3発OBを出しても気楽なものです。

すでにブログをお持ちでゴルフ経験者でいらっしゃる方は、SMCメンバーになられればギャラリーがきっと増えると思います。大歓迎です。そうするとコンペはさらに大きくなって、新しい発見や驚きや出会いが出てくると思います。当初メンバーは僕の個人的な輪からスタートしていますが、それにこだわる気は毛頭ありません。僕自身が新しい発見や驚きや出会いをつねに求めているからです。

これが僕の35本目のブログです。お読みいただいてありがとうございます。アクセス数の順位を見ますと、書いた時点で「これは人気ないだろうな」と思ったものが意外に1位だったりします。いや、ゴルフは何が起きるかわからないものです。

 

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