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カテゴリー: 政治に思うこと

祝オールドメディア勝利の祝勝会

2025 OCT 7 6:06:59 am by 東 賢太郎

2025年10月5日 22時49分(朝日新聞デジタル)

投開票を控えた3日夜、東京・赤坂の衆院議員宿舎の一室。勝利を確信していた小泉氏の陣営メンバーによる「祝勝会」が開かれていた。騒ぎを聞きつけた他陣営幹部は眉をひそめた。

僕の質問

「前夜に祝勝会して負けた世界の例は?」

ChatGPTの回答

「前夜に祝勝会をして負けた」という形そのものをドンピシャで表す歴史的・有名な例をすぐには挙げるのは難しいです・・・

凄い。世界史上初だ。歴史的な祝勝会に出たんだぞと子孫に自慢できますね。

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自民党総裁・高市早苗氏について

2025 OCT 6 1:01:22 am by 東 賢太郎

尊敬する政治家を一人だけあげるならマーガレット・サッチャーである

僕はここにそう書いた。5年前(2020年)のことだ。

権力者であるために権力者でいたい政府

これを書いたのは、サッチャー氏が女性であるからではない。氏の愛国心と強固な意思と知性と指揮執行した政策を6年勤めたロンドン時代にこの目でリアルタイムで観察し、国を護る本物の政治家というものに大いに感銘を受けたからであり、それに対する腐りきった自民党政治に辟易していたからである。

以下は我がブログ履歴でたどることが可能なのでご興味ある方は検索いただきたい。僕は第二次安倍政権の掲げた経済政策(アベノミクス)を支持していたことがわかる。東日本大震災に続く民主党政権の大失政で日経平均株価が7千円台と、見るもおぞましき歴史的低迷に陥った日本国の評価がその背景だ。2012年、政権発足とほぼ軌を一にしてSMCを立ち上げてブログ執筆に着手したのは期待もあったからだったと思う。

僕は安倍氏も含め、誰であれ政治家ではなく政策の支持者だ。奢りが出た政権末期~菅政権には一転して批判的だった。そして、安倍暗殺事件を契機に自民党は奇怪なる変質を遂げ、岸田、石破政権に至っては語るも無残、急転直下の左傾急旋回に至ったのである。僕は米中欧の極めて個人的な情報網アクセスを通じてビジネスをするバックグラウンドを持つ、日本にはない立場の人間だ(例えばその指示で一族郎党にワクチン厳禁令を出した)。「彼我」(あちらとこちら)なら「彼」が主なのだが、世界は残念ながらそう回っている。だから「我」のパーツにすぎない自民党が右に行こうが左に行こうが局地現象でしかない。

僕は自民党の岩盤保守でも何でもないが票を入れることは多々あった。しかし、グローバルに投資機会を探す業務の中で、左傾急旋回した自民党という政党は仮に誰に命じられようと全く関与する気のおきない場所に自らが行ってしまった。喩えるなら、それで半世紀近く飯を食っている僕の頭の中で警報が鳴り響き、「投資できない」と言っている。未来がない。即ち、この政党は滅びの道を行くという意味に他ならない。

高市氏についてはよく知らない。発言を聞く限り勉強家だ。一般論だが、勉強してない人は知的な判断を伴う仕事はできない。冷たいようだが、向かないのでなく、できない。学歴ではない。田中角栄の内閣総理大臣秘書官だった木内昭胤氏に直接聞いたら、畳の上に年賀状を千枚ならべて全部に自筆で一行コメントを書く驚異的記憶力の持主で東大出の役人が誰ひとりまったく歯が立たなかった。つまり、角栄だって・・と「小学校卒でも総理ができる」という一般論を引き出せるわけではぜんぜんなく、我々凡人は懸命に勉強するしかない。

日本もしばらくは欧州的な多党政治の時代になるだろう。とすると与野党の政策協議が常道となり、小泉政権なら裏で役所が省利省益で好きにやったろう。そこに民意を汲んだ高市総理大臣が立つ可能性が高い。これぞ民主主義、憲政の王道でなくて何だ。右だ左だと些末なことを言ってる議員や野党の党首や、オールドメディアが代弁者に使う学者や政治評論家のお歴々は、目下ぜんぶが国にとってどうでもいいという証明が為された。

僕は高市氏を尊敬する政治家はマーガレット・サッチャーだと明言している一点をもって評価する。それが「女性初」の意味なら即座に撤回するが、そうでないことを祈る。

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自民党と広島カープはとても似ている

2025 OCT 5 3:03:07 am by 東 賢太郎

カープは今年も弱かった。阪神は19勝6敗、最下位ヤクルトも15勝8敗と「お得意様」を超えて二軍のピッチャーでオッケーのレベル。村上の故障がなければぶっちぎりの最下位だった。

5位で今季を終えた新井監督がファンにあいさつした。

「変わろうとするとき、また新しい力が生まれるとき、必ず苦しみが生じます。来年以降もこの苦しみは続いていくと思います・・・」

ふつうは、ここで球場が「がんばれよー」と温かい拍手と声援につつまれる。オーナーも新井もその予定だったのだろう。ところがだ。マツダスタジアムはにわかにざわめき、怒号が飛び、新井は16秒間も沈黙してしまったのである。

もう時代は変わっている。

ファンが厳しくなったわけではない。ネットで他のファンの情報や意見を知って、目が肥えたのだ。勝って欲しいのだから何をやってるんだと怒りを覚えてくるのは自然である。

政治の世界でもそうだ。一般の有権者がこれまで知らなかった情報や意見をネットで知り、政治家や役人は何をやってるんだと怒り、デモや落選運動をするようになってきた。

新井は誰もが「いい人だ」とほめるらしい。これ、誰かさんに似てないか?「会ったよ、あいつはナイスガイだ」と我がパートナーのアメリカ人があっさりほめてた自民党の小泉進次郎議員だ。

「小泉を総理にしとけば国民はなんとかなるから好き勝手できる」

自民党のお爺ちゃんたちがそう思っても不思議じゃない。

「新井を監督にしとけばファンはなんとかなるから弱くても満員だ」

カープのオーナー様が思っても不思議じゃない。

今時の世の中、どっちも大きな勘違いだ。総理大臣も、野球の監督も、企業の経営者も、結果を出さなければ何の価値もない。彼らの成果は世間にあからさまにネットで公表され、厳しい批判の目に晒される。昔とは違うのだ。

つい昨年まで「昔」が続いていると勘違いしていた自民党は3連敗に懲りたのか小泉を総裁に選ばなかった。新井は続投だ。

ネットの書き込みを見ると、ファンはよくわかってる。

ホームラン数リーグワースト。 得点、失点ともリーグ5位、二軍も大きく負け越し。絶対的な4番もエースもいない。ドラ1がぜんぜん育ってない。最終戦に向けての負け方はファンを無視で目に余る。現在の監督・コーチでまんねりを続けないか心配だ、そうなれば今年以上に客は来なくなるね。普通は監督変えないにしてもコーチ総とっかえとか、結果を出せなかったことにファンに対しての示しはつけるもの。

新井の後に挨拶をした田中広輔が「一軍は勝ちを求められる、監督の言葉に甘えることなくスタジアムを満員にする野球を」と言っていたがその通りだ。

ネット情報でファンの眼はどんどん肥えてきている。自民党より遅れてるって、企業経営としてもう絶望的じゃないか。

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気ぜわしい昼下がりの乃木坂散策

2025 SEP 24 2:02:09 am by 東 賢太郎

アメリカの友人Hが来日した。世界4大会計事務所のひとつKPMG出身の経営アドバイザーである。チェルシー、ドジャースのオーナーも仲間だ。僕は新入りのほうだが、餅屋は餅屋を見ぬくのに何年も要らない。会って10秒で決まった。掟は口が軽い奴はアウト、どんな微細でもブラック歴のある奴はアウト、そして守秘義務契約書に署名。このビジネスは 100% “プライベート” で完璧に属人的な鎧の中だけに存在する。米国なのかユダヤなのか由来は詳らかでないが、昨今のMAGA的世界が嫌うグローバリストビジネスであることは一片の疑いの余地もない。それでいながら、ブログをお読みになれば僕は10年も前からまぎれもないトランプ支持者であり、政治信条と経済的利益が背反しているとお感じになる方はおられるかもしれない。それは正しい。背反は大人の解決を試みているだけで、ストレスフルな毎日になった。逃れるには仕事を辞めるしかないが、暇になるとそれがもっとストレスだろうという恐怖で踏みだせないでいる弱い人間だ。

Hとは要点だけ議論し、懸案の件、俺の顔を潰すなよでぴったり1時間。運動にとグランド・ハイアットから紀尾井町まで歩くことにした。すると途中でどうしても乃木公園に足が向く。乃木希典。父が崇拝しており、幼時にきいた戦争談話で名を覚えたことは確かだ。いちいちは記憶にないが、きっと語られた原子爆弾、ひょっとしてそれで小学校2年で縁もゆかりもない広島カープを応援しだしたのかとふと思いついた。あり得ることだ。16歳で開戦、赤紙で陸軍に入隊し片耳の聴力が失せた。感情としては戦争も米国も唾棄して消し去りたかったろうが、終戦後10年で生まれた息子には英語を勉強しろと信念をこめて奨励し、敵性の野球も音楽も放任し、長じてあろうことか敵国に留学したがそれを喜んだ。自分が父であるいま、娘がフランス留学してMBAになって喜んだが僕はフランス好きだから比較できない。乃木は野球を「必要ならざる遊戯」であると嫌った。一応は巨人ファンであった父の本当の心持がどうだったかはついに聞けなかった。

長州藩士乃木希典の最終階級は陸軍大将である。旅順の敵将ステッセルらロシア軍人の名誉を重んじた処遇が「世界的賞賛」を受け、当の敵国ロシアの雑誌すら乃木を英雄的に描いた挿絵を掲載し、ドイツ帝国、フランス、チリ、ルーマニアおよびイギリスの各国王室または政府から各種勲章が授与された。武士道は世界にも讃えられるものである犯し難い証拠だ。国粋主義者がそれは日本人だけの魂と否定するなら「日本の正義」がといいかえてもよい。正義がない国は滅ぶ。しかし、当時はなんという懐の深い世界だったかと感嘆すると同時に、なんという下賤な餓鬼道が悪党猛々しくまかり通る世界に堕落してまったのかと悲嘆もする。父の戦争談話が効いたのか武官の血なのか、乃木大将の武功と殉死にいたる壮絶な人生は、夫人まで逝くことはなかったという一点を除き心に響く。しかしだ、「大学までそんなじゃなかったのよ、会社に入ってからよ、あんな上品なお母さんに育てられたのに」と我が妻は面と向かって嘆くことしきりなのである。俺は下品でない。それでは会社の名誉にもかかわるとは言う。社内でも最右翼の武闘派であり、スイスでは大使館の防衛庁出向の方にどうして我が省に来られなかったの、いい武官になられたのにと仰せつかったのは後天的影響では説明はつかないだろう。いかにも文官然たるエリートづらの社員は大嫌いで、悉くなめきっており、それが上官だと命令もきかないから実は武官でもなく、宮仕え人でもなかった。我が国を護った将軍に深い感謝の念をこめて殉死之室に合掌し、万感の思いで乃木邸をあとにした。

外苑東通りを青山までくるとカナダ大使館が右手に聳える。ファサードだけ見るとそうでもないが、裏手は巨大な建造物である。その赤坂側、青山通りをはさんで赤坂御所と向かい合うように5,300㎡ほどの高橋是清翁記念公園がある。

是清は、おそらくは、奴隷になったことのある世界で唯一の国家首長であろう。絵師の私生児だが仙台藩の足軽家の養子となり、藩命で米国留学となるが横浜にいた米国人貿易商に騙されて金を詐取されたあげくオークランドで奴隷に売られた。そうとは知らず修行と思いこみ英語をマスターして帰国する傑物である。英語教師、役人となるがペルーの銀山でまた騙され、すってんてんで帰国してホームレスになる。それを拾って日銀に入れた総裁の川田小一郎だがこれまた正規の教育はまったく受けていない傑物で、副総裁となった是清は日露戦争の勃発に際し戦費調達のために戦時国債の公募の目的で同盟国である英国に向かったのである。要するに清との戦争で国家財政はボロボロであり、借金証文(国債)を渡すから頼むからカネを貸してくれという物乞いである。その先こそが、ロンドンのM・N・ロスチャイルドであり、僕は野村でその担当者を拝命し、額に入れて応接間に飾られている当該国債の券面を拝見した。

是清は明治のダイナミズムを象徴する馬力ある男だ。失敗からカネと金融の摂理をよく知得しており、ロスチャイルドが日・露のマーケットニュートラルポジションを米国の子分であるシフ財閥を使って組んで表に見えなくしたことを裏の裏まで見ぬいていたと思われる。だから二等国の低姿勢を装いつつも英国相手にディールを強気に押し込め(リスクフリーの相手だから当たり前)、国家の危機を救った。ウォールストリートのキャンター・フィッツジェラルド証券の現職CEOで著名な凄腕証券マンである「ラトちゃん」に接待・篭絡されて80兆円も騙し取られて浮かれて帰ってくる馬鹿な文官とは比べるのも阿保らしい。無学であろうが是清の洞察のようなものを「インテリジェンス」と呼ぶことを我がブログの読者は皆ご存じだ。ガリ勉だけのひ弱な東大卒など企業でも上級経理課長ぐらいしかなれないのである。是清は「地頭のいい男」であり、どん底で泥まみれになろうと這い上がる胆力もある文武両道の上玉の男であった。地頭が悪いうえにケンカも弱く、今だけ・カネだけ・自分だけの政界に巣食う餓鬼道野郎どもとは比べるも汚らわしいというものである。

こういう男は幕末諸藩の30代あたりの武士階級にいくらもいたと思われる。英国と一線を交えインテリジェンスを涵養した薩長のそうした下級武士がグローバリストと組み、倒幕という名のクーデターを決行し、清濁併せ飲み多くを闇に葬って「御一新」という美名を冠して丸め、結果的に支配の邪魔である武士階級の根絶と廃藩置県に成功したのである。このことの正義の有無はここでは論じない。志はなく私利私欲の卑劣のみであるが、いま自民党が裏金を理由に安倍派根絶を同じ目的で決行していることだけは指摘したい。総裁選でうまくいけばいったで、国民の鉄槌で自民党は解党的な自死に追い込まれるだろう。僕はまじめに、太平洋戦争で我が国は文武両道の上玉男子の上から3百万を喪失し、各藩が存続をかけて優等に保ってきた彼らの遺伝子は半分は女子に残ったとはいえ、メンデルの法則により希薄化しなかったことは生物学的にあり得ないと確信している。日本国はウォー・ギルト・プログラムのみならず内在的要因によっても劣化した。二度敗戦したドイツも同様だったことを現地に住んで興味深く観察したが、欧州は民族がもとより混血しておりその被害は相対的に少なく、知的領域でドミナントなユダヤ系が米国に逃げたことの方がはるかに甚大な国益損失であった。逃がしたドイツと受け入れた米国は、戦争そのものの勝敗だけでなく、ナチを根絶やしにしても時すでに遅しというそれを主要な原因の一つとして雌雄を決する結果となったのである。しかし事の真相はもっと複雑だ。さもなくば、ドイツ語話者の集合体というだけでプロイセン、バイエルンが対立し群雄割拠だった「ドイツ」なるものをアーリア人が支配し続けることができたかという問題だ。

二・二六事件で是清は亡くなった。自宅二階で胸を3発銃撃された後、6太刀を浴びせられ、暗殺された現場がこの公園だ。政財界癒着と階級社会化への積もり積もった凄まじい憎悪である。日清日露の遺産にかまけた老害を一掃せんと軍部は士官学校出の学歴エリートが台頭し、安藤輝三大尉は事件前、天皇を太陽に、国民を作物になぞらえ、太陽の光を遮る側近や財閥を取り除かなければいけないと部下に語っていた。是清は犬養内閣の大蔵大臣(現在の財務大臣)として金解禁停止を行い、財閥をドル買いで儲けさせた政財界癒着のキーマンと見做され、反対に軍事予算を抑制しようとしたことが貧困にあえぐ農村出身の青年将校の怒りの火に油を注いだのである。陸軍主導の御一新は昭和天皇の激怒で鎮圧され灰燼に帰したが、学習院で裕仁親王時代の天皇が「院長閣下」と呼び、後に自身の人格形成に最も影響があった人物として名を挙げられたのが乃木希典陸軍大将であったことは陸軍の内在的矛盾だ。日露戦争において第一艦隊兼連合艦隊司令長官として日本海海戦などを指揮した東郷平八郎とともに英雄とされた乃木大将を否定する気は、どんな世になろうと僕には些かもない。天皇のお立場こそ違え、安藤輝三大尉の言葉は今の世も重く響くのではないか。

それを知りつつ、自分は外国人と交易し、昨今のMAGA的世界が嫌うグローバリストビジネスに身を置く人生を送ったことが認知的不協和であることは否定できない。留学を契機に会社が海外部門に置いたことでスキルを身につけた結果だが、父が英語を奨励しなければそうなっていなかったかもしれないとも思う。しかしながら、同時に、冒頭に書いたビジネスは考え得るほかのどんな業務よりも自分が向いており、今もって労役感のかけらすらなくできてしまう。意図してなった結果ではなく、つまり、これも血でありそれも血である不協和と考えざるを得ない。表層は異なれど、不協和が深層の土壌の四方八方に張った根のごとく潜むのがヨハネス・ブラームスという男の音楽だ。おそらく、それが深層のまた深層で僕の何かに共鳴し、永くその音楽を愛してきたのではないか。まだドイツ・レクイエムは終わっていない。

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「三段論法を二段で間違える人」に関する平易な論考

2025 SEP 20 15:15:53 pm by 東 賢太郎

「総理就任おめでとう」
「光栄ですプーチンさん!初対面なのにまるで初めて会ったみたいです!!」

「総理就任おめでとう」
「光栄ですトランプさん!」
「今日は僕の誕生日でね」
「そうですか!私も誕生日に生まれたんです!!」

同じ文章の中でトートロジーが発生する人というのを僕は長い人生でいまだかつて見たことがなく、今後も見ることはないだろうと確信するほど稀有の存在であり、仮定の話だが、いるとすればこうだろうという例文をお示しした。これを英語でそれなりの人に話せば、ほぼ100%の確率で瞬時にこいつは馬鹿だと判定される。「AだからB、BだからC、よって、AならC」というのを論理的思考のイロハのイである三段論法というが、二段である「AだからB」で混線しないとトートロジーは発生しない(黒い黒板、未婚の独身者など)。二段で間違える人は、確実に、三段論法はできない。よって、そういう人は数学の試験はほぼ零点だろう。「そんなものは人生に必要ない。人は経験を積めば成長するものだ」と主張する人も、零点だった人である。

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報道機関 日米そろって豪快に大ハズレ

2025 SEP 7 21:21:08 pm by 東 賢太郎

カマラ・ハリス 世論調査で「最高」の支持率

➡ CNNは必要ない

なんかいま日本でもおんなじようなことおきてないか?

 

と書きましたがやっぱりおきてました。石破さんの最大の功績はこれですね、そのことが全国津々浦々、国民的、国際的にバレてしまいました。

 

8月の石破内閣支持率、全8社で上昇:首相辞任「必要ない」が多数【報道各社調査】 | nippon.com

 

➡ 全8社も必要ない

 

僕はもう5年も新聞読んでない、地上波テレビも見てない。全然いらない。

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カマラ・ハリス 世論調査で「最高」の支持率

2025 AUG 26 21:21:40 pm by 東 賢太郎

ハリス氏、世論調査で「最高」の支持率獲得 米大統領選 – CNN.co.jp

 

2024年9月18日 CNN

米国で最も優れた世論調査機関の一つが先ごろ、最新の調査結果を発表した。これは、11月の米大統領選本選に向けて、民主党の大統領候補であるカマラ・ハリス副大統領にとって朗報だ。

 

なんかいま日本でもおんなじようなことおきてないか?

 

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権力者であるために権力者でいたい政府

2025 AUG 17 10:10:05 am by 東 賢太郎

(1)国家の目的解釈は量子力学に似ている

国家の目的は何かという議論をひもといていくと、だんだんわからなくなってくる。ドイツの政治学者マックス・ウェーバー(1864 – 1920)は「過去に国家がしてきたことを並べてみて、そこから国家の目的は何々だと結論することはできない」という趣旨のことを書いた(「職業としての政治」)。普通、人間であれば、その行状を調べればどういう人かは凡そわかる。しかし国はそうでないというのだ。「これが国の仕事だ、だから国の目的はこうだ」が成り立たない。有名なパラドックスに「私の言うことはウソだ」がある。こう言われた瞬間にこの人が正直者なのか嘘つきなのかは言葉から判定できなくなるがそれに似ているし、光があたると(つまり、見る前と後で)電子が動くので、見る前の物体が何という物質であったか不明だという量子力学を想起させる存在でもある。

世界の歴史を振り返ると国家は「野獣」であり「夜警」であり「福祉提供者」であったりする(それが「見る前」)。ではどれが正しかったのか(「見た後」)という問いに「どれでもない」と答え、「国家は暴力行使のできる権利を持つ唯一の存在で、その独占を要求する人間共同体であり何でもできるからだ」とするのがウェーバーである。それに対しては諸説反論あることは承知だが、自然科学ではない以上正解はない。本稿では国家の目的に対する概ねの結論をウェーバーの論考の前提に添って「国民に強制力のある規則を制定して維持すること」と理解し、以下これを『国家定義』と呼び、それに従って考えてみたい。

まず、凡その歴史を俯瞰すると、すべての国とは、その地域において「俺はジャイアンだ」と主張する者(元首、酋長etc.)をひとりだけ認めたことにする仕組みということだ。中世まではジャイアンが腕っぷしでやりたい放題(野獣)だが、別の野獣よりましで守ってくれるジャイアンなら何をどうやってもいいという妥協的均衡が生まれた。それが近世になると、やりすぎはいかん、やるなら暴力行使も含めて規則に則ってやってくれ(立憲政治)というバランスになった。やがてジャイアンは個人でなくポスト(称号)と機能(軍)になり、腕っぷしとは関係がなくなり(文民統治)、上に立つ国家はマシーン(政治装置)のような存在となる。そしていま、核の抑止力によるつかの間の平和ができると、そもそもなぜ暴力行使により何でもできる権限を認めたかが明らかでなくなってきた。

「なぜジャイアンが必要なのか?」

「ジャイアンはジャイアンであり続けるためにジャイアンだからである」

という、まるで小泉構文の如く意味不明のトートロジー(同語反復)に陥っているのが21世紀の政治の現況だ。巨大な米国市場を自国に持つトランプ大統領が関税で他国を混乱させサプライチェーンを分断して経済成長や企業収益を阻害しても、力の支配だという非難も損害賠償請求裁判もない。関税主権の前にはそれを裁く法律も強制力もなく無駄だからである。抑止力という美名に糊塗される核保有による殺人、恫喝、ゆすりも同様だ。米国は自国民には強制力のある規則を制定・維持して国家定義を満たすことで国家の目的保持を達成しているが、他国に対してはそれがないことは、「広島や長崎をみれば、あれが戦争を終わらせたことがわかる」とのトランプ発言から分かる。国と国が約束(日ソ中立条約)を交わしても、ヤルタ会談(写真)であっさり破棄して満洲国に侵入し、千島列島と樺太を占領したソビエト連邦という熊なみの国家もあった。ジャイアンは必要でないが、歴然と存在するのである。

 

(2)真珠湾攻撃は誰が決めたのか?

国家は法律の制定によってのみ権力行使できる(国家定義)。これは市民革命で王権と闘って「自由」を勝ち取った欧米諸国民は絶対に譲ることができない法治主義という思想である。一部のアメリカ人がコロナでマスクをしなかったのは、国家権力に強制されるなら感染リスクを取ってでも「しない自由」を守るという主張ゆえだ。ドイツはナチス党に無制限の立法権を与える法律(全権委任法)を議会が認めたことでヒトラーが「何でもできる」ようにしてしまったことが後のすべての厄災の原因となったが、国家定義どおりの手続きを踏んだのだから「ドイツ国民に責任がある」といわれて反論できるドイツ人はいない。このことをフランクフルト赴任時に金融界の人たちに述べたところ、「ではきくが、日米開戦は誰が決めたのか」と問い返されたことがある。戦争という国家権力行使の最終責任者は誰だったのかという指摘だ。

「東京裁判で総理(東条英機)とされたが、彼は直前まで作戦を知らなかったようだ」と述べたところ一笑に付された。軍の統帥権は天皇にあり総理に権限はなく、スターリン、ルーズベルトの共同謀略で支那情勢が窮地となり世論も沸騰し「国家総動員法が全権委任法であるかの如く扱われたのを誰も止められなかった」のが実態と想像するが、国家定義を満たさない決定で戦争を始めたという発言は国際社会ではナンセンスで、大日本帝国は国家でなかったというに等しいと思い知った。ちなみに武力を伴った戦争であるフォークランド “紛争” (実質は戦争である)で英国サッチャー首相は自らを首班とする戦時内閣を設置して意思決定を行った。ドイツは意思決定者を法律で処断した(ナチ礼賛は刑法130条違反になる)ことで国家定義に則って戦争責任を特定し戦後80年をしのいでいる。事の重みをかみしめる。

 

(3)需要喚起は国家の仕事ではない

国家は何でもできるのだから法律さえ制定すれば国家の目的が経済活動への関与を含むこともあり得るが、それが妥当か否かという点はまったく別問題である。論点は、関与を①すべきかどうか、②する意味があるかどうか、の2つである。①については1970年代に国対国の経済戦争をしていた時代に米国との自動車、半導体の貿易交渉を通産省(当時)が担ったことは国益上の意味があった。がん保険を大蔵省(当時)が開放して自動車交渉を有利にする等の業際バーターは民間では困難だったこともある。しかし、現代においては、グローバル企業は多国籍サプライチェーンによる効率化、タックスマネジメントを重要な競争の要素とする時代になり、徴税者である国家が需要サイドに有意に関与する余地は激減した。第二次安倍政権の当初の戦略に第3の矢(成長戦略)があったが、何ら出なかったし、いつのまにか誰も口にしなくなった。当然だろう。需要なき処に成長はなく、需要は国が作れない。異次元緩和(第1の矢)と財政出動(第2の矢)の延長線上に成長戦略が自然に出てくるわけではなかったのである。

②については内在的な限界がある。意味のある関与は物資やサービスの「供給側」(サプライサイド)では可能かもしれないが、消費する「需要側」へは実態でも法技術的にも困難である。馬を川に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできない。例えば少額投資における税制優遇制度であるニーサ(NISA)である。「税金をおまけしますから株式・投資信託等に投資しませんか」という趣旨だが、税金の心配は「お金がもうかってから」でいい。「株や投信のパフォーマンスは大丈夫なの?」「はい、それは自分で考えてください、自己責任で」ということだ。理屈として収入の期待値を上げる意味はあるが、それで川まで行く馬は元から喉が渇いた馬だ。そうでない馬が多いから投資による資産形成が進まないという根本的原因の解決には無力というしかない。

「少子化担当大臣」にいたっては何ができるのか不可思議でしかない。要は、子供をたくさん産んでもらおうというのである。しかし子を持ちたいという「需要」を法律の制定という手法で促すのは、北欧のような公務員が多い高税率、高福祉国家でないと難しい。女性の社会進出を促進しながら産んでもらうのは矛盾という統計もあるが、保育所が増えたから子供をつくろうという以前に、そもそも30代の男性が収入がなくて結婚できないことが問題なのだ。それは積極財政へ転換すれば解決する。それをせず子育て支援しますからアウトソースでどうぞと言われても、その心配は結婚できてからなのはニーサとまったく同じ、供給サイドの役人による底の浅い発想だ。役所が需要サイドに手を出すと必ず匂ってくる「やってます感」満載であり、こども家庭庁の7.3兆円という驚くべき巨額予算は国民に対する高福祉政策の見栄えと雇用創出の数字づくりには資するだろうが、なんのことはない、出生数は統計を取り始めて初めて70万人を下回った。結果は出ておらず、的外れな施策なので今後も成果は出そうもないから、民間企業ならトップはクビで大量解雇ものだ。しかし、それでいいのである。ここまで人も金も投入してやった、しかし人口減少は止められなかった。「やむを得ない、移民政策しかないではないか」となり、そっちでごっつあんの者がたくさん待ち構えている。

需要喚起が国家の仕事ではないことを日本政府が知らないはずはない。国民皆保険(NHS)などの高福祉政策の失敗として世界史に残る英国労働党の「ゆりかごから墓場まで」政策が終戦後の日本における左翼的政策の参考になったことは、やはり長年の戦禍による厭戦気分からの解放を求めた英国民がそれをぶちあげた労働党の党首アトリーを熱烈に支持し、なんと第二次大戦をイギリスの勝利に導いた英雄であるはずの首相チャーチルをポツダム会談の最中に辞職に追い込んだことで伺える。敗戦した日本ではもとより、英国でも、彼が好んだローマ帝国とは違って軍人は勝ってすらも讃えられなかった。彼はルーズベルト同様に人種差別主義者であり、日本の運命を地に落とした不倶戴天の敵であったが、僕は彼の伝記を読んでこの男は優秀な戦略家だと思った。そしてアトリーを選んだ英国民は、政策の失敗が膨大な財政赤字を生み「英国病」を招くというしっぺ返しを30年たって食らうのである。国民皆保険の我が国が同様の渦中にあることも、日本の賢明な彼らはよく知っている。

しかし、冒頭に述べたように、政府は何でもできる。戦争でも、売春宿の経営でも、民間人大量殺戮用施設の設営でもできる。政権与党はそれを差配して儲ける蜜の味を知り、票を買えることも知っている。大きい政府は役人を利する。彼らは失敗しても失職せず給料は下がらない。デフレになってGDPが何位に転落しようが民間人の購買力が落ちるだけだ。それは役人の相対的な賃上げだからウエルカムである。よって、往々にして政治家と官僚は共犯関係になる(だから米国大統領は前政権の役人をクビにする)。支配できない需要サイドへの投資は財政法第4条をたてに縛り、消費税なる実質的な値上げによる需要の犠牲を原資に供給サイド(輸出企業)の実質減税を行って景気を保つ。これは「おまじない経済学」と揶揄されたロナルド・レーガンのサプライサイドエコノミーの大幅な劣化版である。レーガン政権は冷戦下で「強いアメリカの復活」を旗印に供給サイドによる「軍事支出の莫大な増額」を行い、それに「減税」を伴わせた効果で消費が副次的に刺激され、失業者は減りGDPは倍増近くなって「アメリカ経済は復活した」と成功を誇った(トランプはそれに習うと明言している)。

かたや軍事支出を米国に貢いで吸い取られ、減税はしない日本の失われた30年は1990年代を起点として始まった。このままだと失われた40年も来るだろう。そして中小企業が倒産しようと自殺者が増えようと政治家と官僚は誰も責任を取らない。彼らは悪人ではない。GHQが組み込んだ米国による構造的搾取体制のファイナンスが必要な以上、国策、国防上の理由から、税収のキャッシュフローを担保する責務を負っていることは同情すら覚える。2000年代初頭に窮地に陥った日本は、一部を役人が独占的に経営していた電信・電話事業、郵便事業、鉄道・航空事業を米国民主党の求めで「民営化」させられ、その役目を負って総理になったのが小泉だ。米国に思うつぼの利益を誘導し、その見返りにいくらもらったかは闇の中だが少なくとも小泉・竹中は米国によるマスコミの扇動を得て国民的な人気を博したことは間違いない。国民は総選挙で泥棒を賞賛する熱狂を見せ、今に至ってその息子まで意味不明の人気者に祭り上げるという救いようのない民度にまで堕落させられてしまっている。政治を変えないと、日本は落ちるところまで落ちる。

 

(4)我がロンドン赴任とシンクロした「黄金の1980年代」

郵政で小泉がした民営化を考案したのは米国でも日本でもない。英国の第71代目首相マーガレット・サッチャー(1925 – 2013)である。当時(1980年代)の英国は七つの海を制した大英帝国の斜陽が国民を悲観させ、ロンドンは相次ぐ犯罪やIRAのテロで殺伐としており、失業で活力をなくした若者が昼間からパブで飲んだくれるというすさんだ空気に覆われていた。第二次大戦後に労働党政権がとった社会福祉重視政策の著名なスローガンが既述の「ゆりかごから墓場まで」だった。政権の人気は得られたものの、やがて主要産業国営化の失敗とオイルショックで致命的な財政逼迫を招く結果となり、社会保障負担の増加による国民の勤労意欲低下、既得権益の発生、労働組合の賃上げラッシュとストライキという悪循環から工業生産や輸出力の減退、慢性的なインフレと国際収支の悪化、それに伴うポンドの下落で英国経済は地盤沈下した。これが「英国病」(British disease)である。

僕が留学を終え1984年にロンドンに着任したのはそうした「真っ暗な英国」の真っ最中である。驚いた。これがあの英国かと目を疑うほど若者の浮浪者と犯罪と退廃ムードに満ち溢れていたからだ。失業率は12%でインフレだからそれも当然だ。地下鉄で通っていたが、待てど暮らせど電車が来ない。事故を疑ったが、きくとストライキだった。1,2度ではない、何度もあった。遅刻は厳罰の社風なので仕方なく車通勤に変えた。お客さんの誰と話しても政治、経済に悲観的で、英国の未来を半ば嘲笑していた。かたや日本は、 “ハイテク産業” と呼ばれた電機、自動車、半導体、電子部品産業の大躍進で世界の寵児の地位をほしいままにした黄金の10年間の入り口だった。世界の金融市場の本丸、ロンドンのシティで働ける!俺たちが日本のプレゼンスをうなぎ登りにしてやる!という、若気の至りながらも証券マンとして痺れるような高揚感を覚えたことは忘れ難い。そして数年後、そのとおりの日が来たのである。シティのトップエリートたちが「日本を無視して金融取引を行うことはナンセンス」と語るようにさえなった。米国による日本の輸出潰しだったプラザ合意(強制的な円レートの倍増)。この窮地を合気道のごとく「円高メリット」と逆手に取り、泣き所だったエネルギー、資源の輸入コスト減を国益に転嫁したのは見事でしかない。日本経済は本当に強かった。赴任時にロンドンに2,3件しかなかった日本食レストランは10倍になった。明治維新で開国して以来、我が国が世界の一等国と認知されたのは日清日露の戦勝だったが、経済力でそうなったのはこの時であることは疑いがない。

ちなみに、この「黄金の1980年代」の総理大臣は以下の面々である。

鈴木 善幸、中曽根 康弘、竹下 登、宇野 宗佑、海部 俊樹

はっきり書くが、政治のリーダーシップによって達成された黄金期でなかったことはご想像できよう。この世紀の繁栄を「バブルであった」とするのもいかにも自虐的で何の得にもならない卑屈な敗者の歴史観というしかないが、1990年に日経平均株価指数がピークアウトしてからの混乱は、豊饒な果実をなんら国力に転嫁することができなかった、

宮澤 喜一、細川 護煕、羽田 孜、村山 富市

なる上記面々に続く厄災のごとき無能無力の政権が米国の策謀によってあっさりと殲滅された結末以外の何物でもないのである。幾ばくかの抵抗を試みた次の橋本 龍太郎政権は米国のさらなる謀略によって潰されたのは周知のことだろう。現代の日本国民を苦しめる「失われた30年」なる国家的大損失は、政局のドタバタに明け暮れたこの政治家たちの治世において始まったことを心ある若者たちは肝に銘じておくべきだ。経済の最前線で死力を尽くして戦った一員として、あの大勝利は何だったのかという虚無感を禁じ得ない。当時流行った「経済一流、政治三流」なる言葉はまさにこれを指しており、今も生きている。

 

(5)驚いたマーガレット・サッチャーの覚悟

思えば世界的視野でも1980年代は重たい10年だった。我ながら凄まじい時に米国、英国にいたものだと思う。英国初の女性首相マーガレット・サッチャーが1979~1990年まで在任し、米国はロナルド・レーガンが1981~1989年に大統領であり、ソ連は崩壊・消滅に至る末期(まつご)と断末魔の10年にあった。サッチャーとレーガンは「小さな政府」を標榜し、強硬な反共主義者で共通していた。サッチャーの民営化構想のドライバーは既述の「英国病」だったが、日本経済の大躍進もあった。政治家としての器量は、その日本を敵視せず、英国復活のドライバーにしようとしたことだ。80年代初頭に米国でもエズラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」が警鐘として話題となり、ウォートンの授業で話題になったこともあったが、父ブッシュは10年後に大統領に就任すると日本の金融・証券業潰しの大逆襲を仕掛けてきた。サッチャーはそれをせず1986年にロンドン証券取引所を規制緩和する “ビッグバン” で活力ある外資(頭にあったのは間違いなく日系証券だ)を主導的なプレーヤーとして積極的に取り込み、ユーロドル市場取引を急拡大させシティの歳入を大幅に増加させた。物量で圧する米国、洞察と計略で良いポジショニングを取る英国。各々それらしい姿を見せたわけだが、どっちの政権も「数字」で成果をあげ国を富ませたことにかわりはない。政治は企業経営ではないと左翼は言うだろうが、ソ連邦崩壊の最大の原因は資本主義国と比べると見るも無残だった国民の物質的困窮である。何期も赤字の企業経営者と同様、民が貧乏で飢える国の為政者はいくら血筋が良かろうと高邁な政治理論を語ろうと生き延びることはなく、政権を追われるか殺される。これが人類の歴史である。

サッチャーのドル箱であるシティにおいて採った政策は、テニスコートは伝統あるが優勝者が出ないことになぞらえて「ウィンブルドン現象」と揶揄もされた(命名者は野村ロンドン社長だった外村である)。選手が何国人であれ、ロンドンの税収の半分をシティがあげるに至ったのだから文句は出ない。外人選手のうち最大勢力だったのが日本の証券会社で、野村が断トツだったことはいうまでもない。1989年の経常利益はトヨタを上回る5千億円(日本一)で、現地社員はオックスフォード、ケンブリッジ卒が当たり前になり、ロンドンの日本食レストランが激増してアジア人を取り巻く文化まで変えたのはその頃なのだ。野村はサッチャー政権と良好な関係を築き、1990年にシティのチープサイドにある17世紀の郵便事業(郵政省)の古跡である巨大な “オールド・ポスト・オフィス”(写真)に移転して“ノムラ・ハウス” と名乗る栄誉を得た。サッチャーが来賓でオープニング・セレモニーをする予定だったが前日に「代理にジョン・メージャー大蔵大臣を送るのでよろしく」と連絡があった。何事かと思ったら翌日に辞任、メージャーの第72代目イギリス首相就任が発表された。その日、ロンドンから帰国したばかりだった僕は、野村の社内テレビ放送で美人の女子アナといっしょにセレモニーの同時中継のキャスターを務めさせてもらった。

サッチャーの強い決意を象徴するものとして、英国民営化省での会議で聞いたギネス担当官の言葉が忘れ難い。1991年に英国電力株式民営化の日本トランシェ引受主幹事に任命していただいた際のことだった。

「組合運動に明け暮れ能力もやる気もなくした公務員に公的事業を任せておくことは輝かしい大英帝国の没落を意味する」

当時のサッチャー首相

これを言える日本の政治家、公務員がいま何人いるか。これぞ、労働党の負の遺産を一掃するサッチャー政権のコミットメントの表明であり、こうした国家からいただいた大仕事への栄誉で身が引き締まったことを覚えている。サッチャーにはガス、電力、石油、鉄道、航空、鉄鋼、水道、テレコムなど公共財・サービスの提供に関わる国家の屋台骨の産業において、国営企業のままに放置しておくと効率や技術革新で米国、日本の水準に大きく水をあけられてしまうという強烈な危機感があったと拝察する。のんきなお役所仕事ではだめなのだ、民間企業に伍する高いモチベーションで経営させなくては大赤字が累積して国家財政が破綻し、未来の国富を生む研究開発(R&D)も米国や日本に劣後し、国の屋台骨が朽ち果てて二等国に没落する。それには自由主義的な競争原理を注入するしかない。その結論として、公共財・サービスの提供を行う国営企業を民営企業にして株式公開し、新たな株主の厳しい目に叶う経営をさせようという荒療治が選択されたのである。もちろん、国営の立場に安閑とあぐらをかいていた者は大量に解雇され怨嗟の声があがるが、腹をくくったサッチャーはそんなものは意にも介さなかった。

証券界の人間なら誰もが記憶しているが、90年代前半にこのムーヴメントは同様に公共セクターの非効率を抱えていた世界各国に瞬く間に波及して株式のグローバル・オファリングという引受業務の新領域を開拓することになり、我々野村の海外部門はそこで台頭してきたゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーと真正面から激突し、熾烈なマンデート取得戦争を繰り広げた。英国電力公募の日本主幹事マンデートは我々が奪取した。スコットランド電力は大和証券が取った。メキシコの国営テレコム会社テルメックスも同じ流れで民営化するとなって国際金融部の課長として即座にメキシコシティーに飛んだが、主幹事は既にゴールドマン・サックスの手にあり煮え湯を飲まされた。勝ちも負けもあったが、世界の金融のど真ん中でトップ・プレーヤーとして戦った、我が人生でも最高にエキサイティングな時代だった。世界的に澱んでいた公的セクターに強烈な喝を入れた「鉄の女」サッチャーは、もとより最も資本主義的である証券界にまで電撃的なインパクトを与えたのである。

 

(5)金融市場から目撃した首相の重み

サッチャーは中間階級下層の出である。英国議会にはピューリタン革命で市民(クロムウェル)が絶対王政維持を主張する王族派と闘いチャールズ1世を処刑した血なまぐさい歴史が投影されている。王室、貴族は貴族院(参議院に相当)に封じ込め、庶民院(衆議院に相当)が実質的に国政を切り盛りするが、それでも雑貨商の娘が大英帝国の首相とは大いに新鮮だった。その政治的ハンディからだろう、自助努力をモットーとしてオックスフォードでは化学専攻ながら弁護士の資格を取り財政、税制も学び、エスタブリッシュメント(既得権益勢力)への徹底反抗が「小さな政府」への動機となっていたともいわれる。「天は自ら助くるものを助く」(God helps those who help themselves)。努力する者は報われるべきだし、しない者はそれなりにだ。資本主義に功罪はあるが、経済も社会もモチベーションが駆動力となって前進する。こういう人が現れれば男か女かなど矮小な議論である。

フォークランド諸島

規制緩和、民営化へのもうひとつの伏線が、82年に英国領であるフォークランド諸島をアルゼンチン軍が武力で奪取した戦争だ。同諸島はグレートブリテン島からはるか離れた、異国人にはどう見てもアルゼンチンの領土に見える海域に位置している。それもあって英国病で萎えた世論の一部は奪回に否定的であり、米国や国連が仲裁を申し出もしたが、サッチャーは「侵略者が得をすることはあってはならない」と断固として英国陸海軍による武力奪還を曲げず、アンドリュー王子ら王室、貴族も兵士として出征した。本件は当面のところ第2次大戦後の唯一の本格的武力衝突である(注)が、現在の我が国が尖閣諸島で直面しかねない事態への対応として示唆に富む。これに勝利して奪還成功したことで国民は沸き、それまで不人気だった政権支持率は保守層のみならず急上昇したのである。「義を見てせざるは勇なきなり」とはこのことだ。

(注)執筆当時(2020年)はそうであった

私事で恐縮だが、サッチャー政権はたまたま僕が社会人になった1979年に始まり、米国留学した82年にフォークランド紛争があり、ロンドンに着任した84年に中国に97年の香港返還を約束し、ロンドンから帰国した90年に終焉した。そして僕はその香港返還の年に野村香港社長に就任したのである。これだけ節目の年が一致しているのは不思議なほどだ。11年の政権期間中にこちらは社会人としての基礎ができ、そのうちの6年は彼女の治世下のロンドンにおいて激動の洗礼を受けていたのであり、自由化と金融ビッグバンで英国が徐々に誇りと活気を取り戻すのをリアルタイムで日々まのあたりにした経験はどんな映画よりも迫力があった。格別の自覚はないが、サッチャリズムの思想的影響を受けていて不思議ではないし、尊敬する政治家を一人だけあげるなら彼女をおいてない。

 

(6)サッチャリズムとハイエク

サッチャリズムは成功の代償に失業率を上げた。万事がうまくいったわけではないが最悪の国難を果断な決意で実行した手腕は政敵も評価した。彼女はまず壊滅的だった国家財政の改革に着手し、身を切る緊縮財政(社会保障費、教育費の削減)を断行して国民の大不評を買った。必要なことをしたまでだが、人気などかなぐり捨てて断行した胆力はアイアン・レディの真骨頂であり、「もしもフォークランド戦争がなければ短命政権に終わっただろう」といわれたほどだ。すなわち、そこで踏み切った開戦は巨大かつ不測の歳出を伴い、緊縮財政と真逆の方向に舵を切ってまた批判されたわけだが、ここでの腹の座り方も凄い。その一手が結果的には大当たりであり、もし彼女がケインジアン政策的な当たり前の手を打ってしまっていたら、財政問題が是々非々の判断の大きな足かせになって舵が切れなかった可能性がある。運もあった。

Friedrich August von Hayek

サッチャーは「共産主義、社会主義が本質的にファシズムやナチズムと同根であり、更に悪いものであり、むしろスーパーファシズム・全体主義である」と説く経済学者フリードリヒ・ハイエク(1899 – 1992)に傾倒しており、反ケインズ的政策を採ったのは当然だ。既述のように、民営化とは政府部門経済を削ぎ落して「小さな政府」とする政策であり、国民はみな勤勉に倹約して自分で健康に生きて行けということであり、規制緩和して外国人も入れて自由に競わせ、役人の役割はそれを監督することだから「大きな政府」は無駄であると説く。「ゆりかごから墓場まで」を巻き戻して高福祉国家のカードは捨てたその効果は僕が着任した84年に日常茶飯事たったロンドン地下鉄のストが翌年あたりにはなくなったことでも体感された。

僕はハイエクの、

「自由主義」と「保守主義」が混同されるのは両者が反共産主義だからであるが、共通点はただそれだけである。保守主義は現状維持の立場であり、進歩的思想に対する「代案」を持たず、たかだか「進歩」を遅らせることが望みである

という思想に賛同しており、以前に書いたように、

人間は現存の秩序をすべて破壊してまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではなく、「自然発生的秩序」が重要で、理性の傲慢さは人類に危険をもたらす

というイギリス経験論者である。どんな選良であれ「市場の参加者の情報や知識をすべて知ることは不可能」であり「参加者達が自らの利益とリスクで判断を下す市場こそが最も効率のよい経済運営の担い手である」と ”経験的に” 考えるからだ。彼が共産主義とファシズムは同じだというのは、どちらも「理性」に至上の地位を与える合理主義だからだ。彼らは理性を敬愛し、市場は馬鹿と思っている。しかし、スティーブ・ジョブズ、ジェフ・ベゾス、イーロン・マスクのような人材は市場に育つのであって、国が総力をあげてもGAFAやテスラのような企業は人類史上できたためしがない。NVIDIAにいたっては株式時価総額600兆円と日本国のGDPほどで日本人ぜんぶが稼ぐ金額を一社で稼いでいる。仮にそんな会社をもうひとつ作ろうと思った場合に、世界の政治家と高級官僚をぜんぶ集めて経営してもらおうと思う資本家は、賭けてもいいが絶対にいない。

選良とは選ぶ者がさらに上手の選良である必要があり、企業経営をしたこともない経営学の教授が「優」をつけた「選良」が経営者になってうまくいく保証などまったくない。東大法学部卒から図抜けた企業家や経営人材が出てくる体感を僕は経験的にまったく持っていないし、陸軍士官学校、海軍兵学校で主席の連中が決めて指揮した戦争がああいう惨事にもなってしまう。「市場」、「自由主義」とてベストな方法ではないが、選良の指導で理念から入る共産主義がうまくいかないことは世界史が証明済であり、「構成員がまったく同じような思想を持つ強力で人数の多いグループは、社会の最善の人々からではなく、最悪の人々からつくられる傾向がある」(ハイエク)ことの結末としてはびこっている集団が主張する「保守主義」(現状維持の鎖国のたぐい)なるものも、努力と進歩を阻害する害悪であることにおいては共産主義と五十歩百歩だ。

 

(7)大きな政府という誤謬

くりかえしになるが、政府は民意さえ得れば何をしてもいい。その民意を代表する国会議員がラブホテルから赤ベンツで議事堂に出勤しようと「それがなにか?仕事は回っているので」といわれれば国民は引きさがるしかない。国家、官僚というものは組織防衛本能からそうしたスラック(たるみ、遊び)を排除せず、もっともらしい居場所(スラック組織)を作って批判をかわして生き延びようとする性向がある。それがぶよぶよした贅肉として堆積することで「大きい政府」が完成し、放っておけば贅肉にまた贅肉がついて自己増殖していくのである。できもしない需要サイドへの関与は良い例で、高福祉政策の美名をまとって無用の税金を投入するスラック延命策に利用され、格好の票田と天下り先と利権を生む。これはまさしく戦後の英国労働党が目論んだ「ゆりかごから墓場まで」政策の大失敗の原因であり、サッチャーが身を賭して戦った物の正体である。

今の日本を覆い尽くしている政治への閉塞感。これは何だろう?GDPは毎年のように他国に抜かれ、防衛力はおろか経済力までも他国になめられ、低賃金と重い税負担で働き盛りの若者が希望をなくし、自殺者が増え子供は生まれず、財務省解体デモが頻出し、闇バイトやら猟奇的殺人やら教師のおぞましい猥褻行為やら、健全な日本人の常識からは思いもよらぬ犯罪が頻出しだした昨今の我が国。僕はあの「英国病」に冒されたころの英国と似た空気を感じる。この事態を変えられるのは政治しかない。英国は幸運にもマーガレット・サッチャーの出現と些かの幸運によって窮地を脱し、今日に至るのである。

本稿の標題を『権力者であるために権力者でいたい政府』としたのは、そのように腐敗した政府が自らこの事態を変えることはないことをマックス・ウェーバーにまで立ち還ってお示しするためである。それは我々国民の頭上に巣食っている庇護者のふりをしたハゲタカであり、巣の中に子を産んで増殖し、無為無能のまま国を蚕食して滅ぼすか、あるいは、民主主義の体裁を装いながら国家権力という全能による奸計と権力の爪をもって国ごと共産主義にでももっていくことが可能である。この事態を変えられるのは政治しかないが、幸いなことに、日本国憲法がある限り政治は我々有権者の投票によって変えられるのである。

権力者は権力者であり続けるために権力者でありさえすれば永遠に権力者であるならば、権力を握らせてしまった者はそこに座っているために政策も成果もいらない。「俺は絶対にやめない」という不断の意志だけ表明していればよいのである。「国家の目的は国民に強制力のある規則を制定して維持すること」という『国家定義』に基づけば、その者は存在自体が憲法違反であり、国家が国家であることを望む国民の総意によって排除されねばならないその装置が「リコール制度」だが自民党にはそれがない致命的欠陥が判明した。世田谷区民の半分ぐらいである人口53万人の鳥取県民ではない99.5%の日本国民は、自分で選んでもおらず、3度も不信任を叩きつけても引きずりおろせない者が民意でない首相談話を発出して子孫の安寧を脅かされて制止もできない。いかなる動機でそれを狙うか不気味でしかないこの男はいったい民主主義に巣食う何者なのであろうか?

猫を宿主とする寄生虫トキソプラズマは、猫にかまれたネズミに感染すると脳を操作して猫を恐れなくさせ、別な猫に自ら食われるように仕向けて繁殖する。誠に面妖としか形容する言葉がない。「選挙で大敗すれば普通は辞める」という昭和の常識に縛られ、「政局」という国民不在のわけのわからないものを弄し、表紙だけすげ替えれば政権維持できるとこの期に及んで考えているなら、自民党は民主主義を無視した政党として消える運命にあるし、猫にかまれて感染したネズミであるならむしろ死んでもらった方が日本国のためだ。

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近松門左衛門 「曽根崎心中」(永田町最新版)

2025 AUG 13 1:01:29 am by 東 賢太郎

 

遊女・お初|命を賭けた愛・曽根崎心中 

 

この世の名残り、夜も名残り、死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜、一足づつに消えて行く、夢の夢こそ哀れなれ。 あれ数ふれば、暁の、七つの時が六つ鳴りて、残る一つが今生の、鐘の響きの聞き納め、寂滅為楽と響くなり。 鐘ばかりかは、草も木も空も名残りと見上ぐれば、雲心なき水の音、北斗は冴えて影うつる、星の妹背の天の河、梅田の橋を鵲の橋と契りて、いつまでも、われとそなたは夫婦星、必ずさうとすがり寄り、二人がなかに降る涙、川の水嵩も増るべし・・・・

 

チーン

 

「しげる・・」

「よしひこ・・・」

 

キミ、なにかねこれは?

はい、新しい LGBT の教材です、小学生に大人気です

おえ~

(ひそひそ声で)このクソガキが、ゲロ吐くんじゃねえよ、嘘ばれるだろ

失礼しました、大丈夫です、高校生用に1000億円の予算どりも済みましたし

そうか、「政治・経済」の教材だな。「大連立」の説明にぴったりだ

はい、ご心配なく、成人用には「談話」の予算も10兆円計上してございます

そうか、でも参議院選挙の「総括」が先だけどな、時間かせぎに

「総括」ですか? なんか革マルか連合赤軍みたいですね

キミ、言葉を慎みなさい

ははっ、「談話」のほうも謹んでなんとかいたします

出せるんかね

はい、出すでなく「発出」とかいってわけわかんなくするので

そうか、でも予算10兆円はちょっと高くないか?

トランプの80兆円より安いとお役所が太鼓判を押してます

 

 

連理の松を何と呼ぼう?

国政の大本にたちかえり、赤心報国の思いをもって真摯にかつ断固たる決意のもと、熟慮に熟慮を重ねてまいった。「立憲自民党」ではどうだろう。

いやいやそれはいかにも畏れ多い。いっそわれらの身をかえりみて「共に自民党」でいかがだろう。

 

チーン・・・・

 

お父さん、このまえ吉沢亮と横浜流星の映画見たよ。すごくきれいで満員だったよ、あれ「曽根崎心中」だったんだね

そうだよ、タイトルは ≪国宝≫ なんだけどね

で、今日の永田町の「曽根崎心中」、つまんなくてさあ、ただでさえガラガラだったお客が途中で帰っちゃったの、金返せ!って

そうか、それのタイトルは ≪国賊≫ っていうんだよなあ

 

お父さん、映画っていいね、世界が平和だといいね

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広陵高校事件から考えるSNS進化論

2025 AUG 11 15:15:36 pm by 東 賢太郎

広陵高校の不祥事が発覚したのは被害者の母親のインスタ投稿が契機だった。僕が球児だった時代、硬式野球部の世界では規律違反に少々の罰は当然の風潮だったが、それを恐れたら野球ができないから恐れないで済む程度のことだった。本件の暴行内容は度を越しており、傷害罪でありまったく同情の余地もないが、世論はその事実に輪をかけて沸騰したのである。甲子園で一試合してしまったことを含めた高野連の後手後手の対応がまずかったからだが、さらに注目すべきは、広陵の校長が広島県高野連の副会長であったことが発覚したことで、反権力志向のSNSが忌み嫌う「組織ぐるみ」に見えてしまったことではないだろうか。

SNSは最大のメディアになろうとしている。不特定多数が参加してファクトをつけ加えつつ成長し、もちろん誤報もフェークも混じるが、やがて真実に収斂していくいわばニュースのwikipediaのようなものだ。数名の記者やレポーターが会社のポリシーに基づいて報道する新聞やテレビとは根本的に異なり、デスクやディレクター不在の「分散型集合知」のメディアである。夏の甲子園は朝日新聞が主催だ。「同紙は本件をスキャンダルにしたくないからポジショントークの報道しか出ないだろう」という知恵はその昔は業界人しか持たなかった。それをSNSはすでに持っており、参加者は既存大手メディアが報じようが報じまいが真実にたどり着くすべを知ってしまった。だから「報じない」というこれまで伝家の宝刀だった世論操作の効き目が薄れてきている。つまり校長や高野連がひた隠しに隠しても、SNS投稿一発で旧世代が堅牢に築き上げた牙城があえなく崩落してしまう大変な時代にすでに突入しているのである。

同じことはすでに企業や自治体の内部告発や都知事選挙での石丸候補の躍進あたりから政治でも俄かに議論を呼び、SNSの世論形成パワーを恐れた自民党の指示で総務省がSNS退治に「DIGITAL POSITIVE ACTION」なんて妙なものをぶちあげた。こんなもので効くと思ってること自体「ハエや蚊にキンチョール」ぐらいの認識なんだろうが、そう思える方がハエや蚊なみだ。英語がわかる人には政治家や役人が到底考えつきもしないだろうポリコレ臭ぷんぷんの標題であって、米国グローバリストの入れ知恵だろうと容易に想像がつく。権力を離さないお爺ちゃん政治家は自分もわからないから国民もわからんと思ってるだろうが言論統制バレバレのヘボい策で、それを嗅ぎつけたSNSにいずれ猛反撃され、全国に呼びかけてデモ隊まで組成され、結果は確実に次の選挙の得票数激減として返ってくる。中国や北朝鮮のような独裁国でない限り、憲法で守られた言論の自由の存在によって政府はSNSを規制もコントロールもできない。いやなら憲法改正しかなく、そんなことをしようとする政党は即時に選挙で民主的に葬り去られる。

村上総務大臣が「参院選はポピュリズムでね」とTBSの番組で新興政党を暗に批判してるのをyoutubeで目撃した。この人も広陵の校長と同様に「SNSにやられた、害悪だ、取り締まれ」ぐらいの理解度と思われる。それをいうならご同胞でやはりデジタル石器時代人と思われる石破総理大臣の「2万円ばらまき大作戦」こそ絵にかいたようなポピュリズムだからだ。SNSは道具だからいいも悪いもない。「使ってる人間が悪いのだ」というならなぜ悪いかを述べるべきだ。「体制批判者だからだ」というなら「なぜ体制が善、批判者が悪か」を述べるべきだ。村上氏は参政党=悪といえる確たる根拠を持っていないのでポピュリズム=悪という大衆のおぼろげな思い込みにすり替えて批判したのであって、その行為そのものがこれまた絵にかいたようなポピュリズムであることを理解すらしてない。彼も石破総理も、頭には「体制は体制であるゆえに善なのだ」という思い込みが岩盤のように巣食っているというのが適確な観察であろう。

それはトートロジー(tautology、同語反復)。権力者はトートロジーのみによって権力者たりうる稀有な存在だが、それは、そのことがトートロジーだと気づかない特殊な頭の構造と知能指数、および並外れた鈍感力を必要とする。つまり我々普通の人には無理である。「広陵の校長は体制だ」、「高野連副会長は体制だ」、「体制は体制であるゆえに善である」。よって「善が善を選ぶのだから広陵は出場してよい」となったと思われるが、そうであるなら立派に権力者合格であり、我が国が世界に誇る至高のトートロジスト、小泉進次郎氏の「今のままではいけないと思います。だからこそ、日本は今のままではいけないと思っている」という驚くべき名言と同様であるのをご理解いただけよう。ちなみに、この人の頭は「私は私が権力者だという理由によって権力者なのだ」という鉄壁のトートロジーを基軸に万事が回転する稀有の構造になっていると思われ、生まれながらの合格者である。

僕がSNSの進化を確信するのは自分が2012年からブログで発信に参加してきた実感からであり、暗号資産やブロックチェーン技術を活用した「DeFi(分散型金融)」が金融の世界の主流になっていく流れと同様に感じているからだ。お金も情報も根っこはおんなじなのである。そこには独裁者も指揮者も管理者もいない。ネットワークの中で勝手に成長していくのである。人間の脳もそうであり、自分の意識が1000〜2000億あるどの細胞に在るかは誰もわからない。「システム」としてそれは存在し、勉強しても細胞の数は増えないが「システム」として性能が良くなっていく。いずれ生成AIはSNSを脳のシナプスのように取り込むだろう。そこで何が起きるかを想像するのは面白くも怖ろしくもあるが、何十年も先のことではなく、その時には新聞もテレビも教科書で知る旧石器時代の遺物になる。既存大手メディアは確実に不可避的にそこへ向かっており、デジタル石器時代人が支配する自民党と共に手を取りあって心中の運命にある。

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