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カテゴリー: 旅行

異次元の飲み物「サカウ」

2013 JUN 23 21:21:36 pm by 東 賢太郎

ポンペイの夜、マーク・ヒースが案内してくれたバーで地元の人に妙な飲み物をすすめられた。バーといってもホテルから5分ぐらい車で離れた海辺にある木造の丸い平屋で、まん中にディスコがあって入口の隣にビリヤードが一台置いてあるだけ。ロックががんがん響いていて5~6人の若い男女が何をするともなくたむろしている。若い頃なら好奇心もわいたが、このトシこいてちょっと場違いな感じの場所だ。

コップにそそがれたその飲み物はすこしねっとりとしているように見える。マークがあんまりたくさんは飲むなと言うので軽くひとくち含むと、とてつもなくまずくて吐き出してしまった。泥水をバリウムで溶いたような苦味といえば近いだろうか。みんな僕のしかめっつらを見て笑う。それでもその飲料はなにか大切なものらしいという雰囲気であったので、ありがとうと日本語で一礼してすぐコップを持ち主に返した。

これは何だとたずねると、「サカウ」ときこえる。音楽がうるさくて良く聞こえなかったが、ポンペイで昔からお祝いやら冠婚葬祭やら、大事な日に飲む特別の飲み物らしい。飲むとしばらくして気持ちがおだやかになってケンカがおさまるとも。あとで分かったことだが、植物の根をつぶしてとったエキスで神経を鎮静させる薬理作用がある。多用すると害もある。しかしこの島では公式の場で飲む神聖な飲料なのだ。翌日に訪問したコショウ農家に、まさにこのサカウの根っこをたたいて砕く大きな石臼のようなものがあった。叩くのはこぶしより少し大きめの石で、博物館で見る石器時代の農具を思い出した。

これで思い出したが、創業時のコカコーラには麻薬コカインを含む「コカの葉」(多くの国で麻薬とされる)の成分が少量含まれていたらしい(Wiki)。成分を発表しないので今はわからない。しかし南米ボリビアではコカの葉をお茶として日常一般的に飲まれているのだから、麻薬と見るか薬理作用のある植物と見るか線引きが難しいのかもしれない。ポンペイの「サカウ」もそれに似たものなのだろう。

何という物か名前を忘れたが、同じ人から大き目のピーナッツのような形の木の実に石灰の粉をまぶしたものもすすめられた。絶対に噛むなよ、しゃぶるだけだよと言われて口に入れると今度はこれがピリリと辛い。予想外のお味にやはりすぐ吐き出すことに。ここでは政治家までがこれをチューインガムのように日常的にくちゃくちゃやっているようだ。僕は40か国でいろんなものを食べたから少々のものでは驚かない。食文化というのは実に奥が深いが、しかし、ここまでくるともう異次元体験だ。こういうのは、このトシこいた身ではなく20代の若者のころに味わいたかった。サカコーラの創業者ぐらいになれたかもしれないなあ。

 

ポンペイ島ナンマダール遺跡を見る

2013 JUN 23 20:20:04 pm by 東 賢太郎

ポンペイ島に20年居住してホテルやガイドをされている茂田さんの案内で、この島の最大のツーリスト・スポットであるナンマダール遺跡へ。場所は島の南南東。ホテルは最北端なので一時間以上かかります。道路は日米のODAでほとんどは舗装されていますが、遺跡に近づくとそこは未開のジャングル。道もデコボコです。車は密林の中をゆっくりと進みます。031

この地域はある部族の支配地で、遺跡見物は酋長への支払と許可がいります。顔見知りのガイドなくして入ることは無理のようです。下が酋長のお宅です。昔よりここに来ると神が雨で出迎えるそうですが、そのとおり降られました。茂田さんが交渉しましたが、今日は潮が高いのでボートは出せない、歩いてくれと言われました。030

歩く道には別な地主(下の家)がいて、そっちに料金を払いました。関所みたいなものです。満潮でないと儲からない地主ですね。皆さん雨合羽姿で黙々と歩きます。

 

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ナンマドール遺跡は5世紀ごろから王の墓として海上に石を積んで造られ、その後は祭祀の場となったようですが、ポンペイはスペインが征服するまで文字がなかったそうです。米西戦争の賠償金捻出のためドイツに売られましたが、発掘した遺物を持ち帰ろうとしたドイツ船が難破したためここの歴史をたどる道筋はとぎれてしまいました。

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熱帯には何度か行きましたが、こんなジャングルを歩くのは初めてです。木々や植物の霊気を感じます。虫除けスプレーのせいかもしれませんが、蚊やアブはぜんぜん現れませんでした。千年?はたっていようかという巨木の前で。

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海辺になると森はマングローブになってきます。お顔が見えるのが茂田さんです。木の橋を渡っています。

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お待たせしました、これが遺跡です。こういう小島のようなものが16あり、これが代表的なもののようです。石が雨で滑って歩くのがとても大変でした。

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目の前の浅瀬を全員が歩いて渡りました。深さはひざの少し上まで。海水はまったく冷たくなくて、そのまますぐ泳いでもいい程度の温度でした。

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副葬者の墳墓は破壊されたように見えますが、何百年の間に木の根が石を動かしたそうです。

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下は島民の主食であるパンの実です。どこの家の庭にもあるそうです。これと椰子の実が生活を支えています。椰子の呼び名は成長に応じて10種類ほどあるようです。出世魚でもそんなにありませんから、いかに島民が椰子の実を大事に関心をもって扱っているかわかりますね。

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遺跡の壁面の高さは5~6メートルはありました。大きな石は4トンもあるそうです。5世紀の人がこんな巨石をどうやって積み上げたのか、エジプトのピラミッドもそうですが謎です。下の写真のアングルだとどこか日本のお城を思わせます。

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人っ子一人いない中を闊歩するのは気持ちよかったです。

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これは何かおわかりですか?バナナの花です。野性でいくらでもあります。上の方にバナナが見えますね。

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これはテレビでよく見るマングローブです。マングローブという植物があるのではなく、海上に群生する木を総称してそう呼びます。日本のテレビ局がときどきロケに来るそうで、元読売の記者だった茂田さんが解説されるのがお決まりだそうです。

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同じ道を戻ってふたたび酋長の家の庭です。あひる、にわとり、犬、ねこ、ぶた、うなぎ・・・いろいろいます。世のうさを忘れるのどかさでした。島一周が車で約4時間。我々が宿をとっているポンペイの州都コロニアもミクロネシア連邦の首都パリキールも島の最北端で、商店も病院もそこにかたまってありますから2時間近くかかります。ここは文明とほぼ隔絶された場所といっていいでしょう。

 

078 大うなぎです。神聖な生き物とされ、食べることはありません。といっても、なまずのようであまりおいしそうにも見えませんが・・・。

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これでおしまい。なかなか強烈な体験でした。こういうものを見てしまうと我々が普段に観光、見学といっているのはディズニーランドのなんとかアドベンチャーと変わらないなと思います。電気と車があるぐらいで、あとはたぶん何百年まえとそうちがわない生活をしている人たち。そして彼らを取り巻く、たぶん何万年まえと同じ景色であろうジャングルの木々。地球という星のいとなみが永久不変であり、我々人間はそのわずかな一部分でしかなく、我々の人生はほんの一瞬の出来事でしかありません。産業革命以来、人間は文明という名のもとに世界中の自然を破壊してきましたが、結局それは天に唾するものであるをここの空気を吸って身にしみて味わうことになりました。

 

アメリカ米「白菊」は結構おいしい

2013 JUN 22 22:22:17 pm by 東 賢太郎

1週間も外国にいるとやはりお米が恋しくなります。ミクロネシアではあまりのエキゾチックな雰囲気に圧倒されて日本食を忘れていましたが、グアムまで来ると贅沢がいいたくなります。ということで、ホテルにある「日本」というレストランで3回もお世話になることになりました。

いただいたお米の食感になんとなく覚えがあるので店の人に銘柄をたずねると、カリフォルニア米の「白菊」というそうです。思い出しました。フィラデルフィア時代に食べていた「国宝ローズ」というカリフォルニア米にちょっと似ているのです。魚沼コシヒカリのようなもちっとした歯触りも洗練された甘みや粘り気もなく、どことなく飾り気ないのですがコメ(イネ)という植物の味がしっかり出ています。ここが好きずきの分かれ目でしょう。色白ぽっちゃりの和風美人と、化粧っ気のない南方風美人の違いといった感じでしょうか。形はというと、インディカ米ほどではありませんが日本米ほど短く丸っこくはなく、少しだけ細長い感じです。

ちょっと粗野なお味なので一流のお寿司屋はまず使わないでしょうが回転ずしならOKのレベルです。長いこと食べたせいか僕はこの多少ぱさっとした食感は好きで、チャーハン、カレーでは固めに炊いたこれをあえて指定したいぐらいです。おそらく大規模農業で栽培できてしまうので値段はずっと安いはず。これが大量に入ってきても日本のブランド米が売れなくなることはないでしょうが、久々にカリフォルニア米を食べると、TPPのお米戦略は慎重にしたたかにやったほうがいいなあと思ってしまいました。

 

 

グアムの岩場にて

2013 JUN 22 21:21:20 pm by 東 賢太郎

 

ホテルから海に降りました。実にきれいで青さに息をのみます。

写真[1] (2)

ビーチはなくてこのようなサンゴ礁の岩場です。生きている珊瑚の環礁が島をぐるりと取り囲んでいるのはミクロネシア諸島も同じで、島と環礁の間の海はラグーンと呼ばれ、遠浅で高い波はありません。岩の表面はこんな風になっています。

写真[1] (3)

海に入って浅瀬を50メートルほど沖まで歩いてみました。

写真[1] (4)

岩の上にはなんやら得体のしれない生物が。魚にも見えますが動きが素早く、近づくと瞬時に岩から岩へ移動します。ご存知の方、ぜひ教えてください。

写真[2]

これまた何か知りませんが不思議な植物の花?がたくさん落ちています。

写真[1] (5) 熱帯の植物は僕の眼にも色鮮やかです。あまり見かけないものがあり面白いですね。

写真[1] (6)

シェラトンの青いラグーンは好きです。ここはちょっとせまいですが、例えばオーストラリアはケアンズの北にあるポートダグラスのシェラトン・ミラージュのは広大で、僕が行った世界のリゾートホテルの中でも好きなものの一つです。おすすめします。

写真[1] (7)

グアム島シェラトンホテルにて

2013 JUN 21 23:23:23 pm by 東 賢太郎

グアムでは昨日、今日とマーク・ヒース氏と夕食になりました。そういう予定ではなく、木曜から日曜まで誰にも会わずにシェラトンホテルに隠遁する予定でした。僕のような仕事の人間には何もすることがないというのは最高の贅沢です。先週にやっとひと仕事を終え、心も体も休養を必要としていたからで、誰にも気を使わず気ままにすごすには誰も知り合いのいない場所に来る必要があります。しかしマークはいい奴で、僕としてはぜんぜん疲れないアメリカ人なのです。電話があってOK食事しようとなりました。

彼はダラス生まれの54歳で奥様とグアムに20年住んでいます。米国の大手会計監査法人アーサーヤングの会計監査役をつとめた後、グアム大学の会計学教授をしていました。現在はミクロネシアに日本企業を誘致する政府エージェントMRA(Micronesia Registration Advisors)の幹部のひとりです。彼によるとグアムの現在のホテルベスト3はヒルトン、ハイアット、ウエスティンだそうですが、このシェラトンも中心からはずれますがその分静かで海が美しく、パラダイスです。スペシャルオファーで1日1万円でこういう景色のツインベッドルームですから決して悪くありません。

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ミクロネシアでは太平洋戦争の遠い余韻を感じ、日米の複雑な歴史を思い起こしておりました。しかし、こうしてマークのような知的でナイスガイの米国人と2人で飲むと決して彼らは鬼畜でもなんでもなく、ひとりの人間としてお互いにリスペクトできることを知ります。僕が元ベースボールプレーヤーであることを伝えると、このゲームがいかに素晴らしいかでひとしきり盛り上がります。18.44メートルが神様の決めた距離であると言うと、ホームと1塁の距離もだと返ってきます。故郷テキサス・レンジャースのダルビッシュ、あの完全試合あとひとりは悔しかったなという話が続きます。マークも野球がとことん好きなのです。こうなるとこっちも舌が滑らかになって、野村證券がニューヨークの日系企業45チームによる日本人アメリカ人混合のトーナメントに初出場するのにピッチャーがおらず、コロラドで英語の勉強中だった僕が飛行機で2度も呼び寄せられたこと。三菱商事戦でノーヒットノーランをやったこと。準決勝敗退だったこと。最終日にやった決勝戦と3位決定戦の相手3チームのピッチャーは元巨人、元阪急およびヤンキースの現役テスト生だったこと。元巨人に4-2で負けて4位でしたが球場はルー・ゲーリックがプレーしたコロンビア大学ベーカーフィールドだったこと。そこで9イニング投げたのが僕の野球人生最後の マウンドだったこと。大会本部の粋な計らいか、負けた僕が最優秀選手賞をいただいてプロの方々に拍手をいただいたこと。こんなニッチな話をしてしまいます。こういうことに心からわかって一緒に感動してくれるのはアメリカ人だけなのです。こういう文化だからイチローに新人王を与え、ゼロ戦撃墜王の坂井三郎を称えるのでしょう。このアメリカ人のおおらかなフェアネス精神は本当に素晴らしいものです。

彼のおすすめレストランで地ビールをいただくとどうもドイツ風の味でした。メニューを見ると「ビールでローストしたブラートヴルスト(血の入ったソーセージ)」とあり、オーナーがドイツ系と知りました。もちろんそれを注文しましたがマークも高校のころお父さんの転勤でフランクフルトにいたことがわかり、ドイツを肴にまたひとしきり盛り上がりました。戦争というのはいったい何なのだろうか。16年も日本を離れて生きた人間ですが、まだよくわからないというのが本音です。

 

 

 

ミクロネシア写真集(2)

2013 JUN 21 16:16:27 pm by 東 賢太郎

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ソケースロックといわれポンペイ島のシンボルです。よくハワイのダイヤモンドヘッドと比較されます。最終日に舟で沖まで出ましたが海上からもよく見えます。日本軍はこの上から見張りをしていたそうです。

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これが例の双眼鏡を買った木工所です。ここの正面は建築中の教会で、島民はほとんどがクリスチャンです。

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木工所で飼っていた子豚です。犬のようにつながれています。豚は野性なのか飼っているのか知りませんが車で走るとそこいら中にいました。母親が数匹の子供を連れているケースが多く、警戒心がないのかのんびりしていて車が轢いてしまわないかひやひやしました。同じように犬もとてもゆったりしていて車から逃げません。ほとんど吠えませんが、中には車に吠えついて向かってくるのもいました。

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この日はここで夕食となりました。海辺の茅葺きにヤシの木。赤ワインにアメリカン風のお料理もおいしかったですが、何よりご一緒させていただいたT社長ご一行様がみなさんすばらしく楽しい方ばかりで最高にエンジョイしました。南国らしいこの写真は気に入っています。

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このレストランのねこです。最後の日にもう一度行きましたが6匹いることがわかりました。ここでもどういうわけか、大勢いるのに僕のところだけ4匹集まります。これは良く撮れていませんがどれも小型で可愛く、ねだられると肉をあげざるを得ません。

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夜はMRAのアメリカ人幹部マーク・ヒースさんとバーで飲みながらビリヤードを。

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同行の西村先生とホテルに着いたのは夜中でした。

 

日本人は企業も若者もミクロネシアに進出すべし

 

 

 

 

ミクロネシア写真集(1)

2013 JUN 21 15:15:26 pm by 東 賢太郎

グアムへ来ました。シェラトンホテルです。やっとLANがつながり写真のアップもできるようになりました。いやこの程度でも文明のありがたさを実感するすばらしいポンペイ島の3日半でした。写真でふり返ってみます。

 

ポンペイ空港へ着いたのは6月17日の早朝(16日夜中)です。バゲッジクレームはというとこんな感じです。のどかなものですね。

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ホテル・セブンスターインは内装は最新とのことですが外見はそこそこ古めです。15号室のカギをもらい部屋に直行しました。大都市のホテルとは比べられませんがまあきれいと言っていい部屋でした。窓を開けて寝るとムカデが入るとの情報があり、まず窓に虫除けマットを置き、窓は完全密閉しました。僕は虫は基本的に好きではありませんが、特にクモだけは天敵であり、どんな小さいのでもいれば寝ることができません。すみずみまでいないことを確認してベッドに入りましたがどうも落ち着かない一夜でした。

さて翌朝めざめると、朝もやに霞む景色はこういう具合でした。

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早朝でも20℃ぐらいある感じで寒さは全く感じません。やはりここは南国なのです。さっそく散歩に出かけました。

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バナナの種類の多さに驚きました。味もぜんぜん違います。レモンをかけたようにほんのりと酸味があるものから、マンゴーと焼いもを足して二で割ったような濃厚なものまであり、食べながら栄養の宝庫だなあと感じます。都会で食べているものとは別物で、大地と生命の力のようなものをいただいているようです。「いただきます」とは食べものの生命をいただくということだそうですが、バナナひとつとってもそういう実感が得られてしまうほど彼我の差がありました。

 

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南国のトレードマーク、ヤシの実です。割ってすぐジュースで飲めます。

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サトウキビです。これも食べられるそうです。

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これぞ、獲れたてのマグロ!1.2メートルぐらいあったでしょうか。

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一尾を丸ごと買ってしまおうというゴーカイな判断に相成りました。22ポンド(約10kg)あり20ドル也でございました。箱から出てるしっぽにご注目ください。

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それがお昼にお刺身で出てきます。お味は絶品でした。ここのマグロ(たぶんキハダか)は油が少なくいわゆる赤身ですが、マグロの本当においしいところは赤身なのです。トロは江戸時代は鳥の餌でした。

 

ミクロネシア写真集(2)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亀井さんでしょ?

2013 JUN 21 13:13:43 pm by 東 賢太郎

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激似です。ミクロネシア・レジストレーション・アドバイザーズ(MRA)社のオフィスに飾られているこの写真。全員がてっきり亀井さんの若い頃と思い、しばらく全員がそう信じてました。モリ大統領→森元首相という連想で亀井さんがいてもおかしくないような。違いました。こちらの副大統領だそうです。昔、キルギスタンの大統領の写真を見て日本人みたいだと思ったことがありますが、こちらはまさに日本人の子孫ですからもうそのもの。国民の4割が日本人みたいなのです。ミクロネシア連邦にぐっと親しみがわいた瞬間でした。

冒険ダン吉になった男

2013 JUN 21 11:11:02 am by 東 賢太郎

今回のミクロネシア出張は偶然に同じ行程となった某社T社長ご一行があると書きました。社名は伏せますが、日本人なら誰もが知っている著名企業です。82歳になられる社長が取締役であるご子息をともなってここに来られた意味にはとても心を動かされました。

T社長は「冒険ダン吉」になった男・森小弁という本を読み、「自分もそういうことをや4819111388りたいと思いました」といわれるのです。小弁は11人の子をもうけ、孫の数94人、トラック島にいる直系だけで1000人を超す子孫が政治、経済、教育のあらゆる分野に進出しモリ・ファミリーとして国をけん引しています。その頂点が第7代大統領となったエマニュエル・モリだそうです。冒険ダン吉というのは昭和初期のマンガで僕も父から聞いただけで読んだことはありません。釣り船で眠るうちに流されて南洋の島に漂着したダン吉少年が長じて酋長の娘と結婚し、知恵を絞って敵を倒し立派な酋長となった話だそうです。面白いですね。男のロマンといいますか、僕にもどこか共感するものがあって、T社長とはすっかり楽しい時間を過ごさせていただきました。

チューク島(トラック島)には日本軍の沈没船が多数そのままになっています。97年にヒットした映画タイタニックのロケに使われたのがここに沈む輸送船富士川丸だということをご存知でしょうか。いまはダイビングスポットとなっていて特に欧米人に人気だそうですがどこか複雑な気持ちがいたします。ポンペイ島における我々のホテルセブンスターの前は日本軍の農業試験場でした。食料にできる植物の耕作試験をしていたそうで前線の兵士の死因の多くが餓死だったことを思いだします。「ここをきっと山本五十六が歩いたでしょうな」というT社長のつぶやきが耳に残ります。

島民がみやげものにする木彫り細工があります。その工作場へ行ってみますとたくさんの魚、亀、カニなどの彫り物が並んでいて、裁判官の使うハンマーとおぼしきものまでありました。ふと見ると、古びて壊れかけた黒く重々しい双眼鏡がテーブルの上に置いてあります。これは何だと聞くと日本軍の遺品だがそれは売らないよとのこと。ところが、ひとしきり見終わって「なにか買ってやらんといけませんな」とおっしゃった社長がこれをと指差したのはその双眼鏡でした。売り子が棟梁と思しき無愛想な老人に相談すると、今度はしばらくして「10ドルだ」という返事が返ってきました。

「右側が吹っ飛んでいます。直撃でしたでしょう。将校クラスのものですな。」

左側のレンズは今でも立派に景色が見えました。しばらくそれで遠くにある丘の上の空を眺めました。鳥が見えました。ずっしりと手ごたえのある双眼鏡の中央部に

Nikon

とありました。

 

 

英霊の眠る地

2013 JUN 20 22:22:37 pm by 東 賢太郎

大臣との朝食は元駐日大使のカシオ・E・ミダさんも同席されました。天皇陛下に4回も謁見されたことを誇りにしておられ、帰国されて今はミクロネシア・レジストレーション・アドバイザーズ(MRA)社のシニア・エグゼクティブをされています。日本語は話されませんが風貌は完全にわが同胞で、ミダという名前は三田だそうです。11万人の人口の約40%が日系人なので政府要職にも多く、大統領のモリさんも森さんです。こういう国は大事にしたいものです。

午後は社会保険局へ行き、労働保険、健康保険につき説明を受けました。外国に会社を作ると現地の制度を学ばなくてはならず大変です。銀行(Bank of Guam)にも寄って口座開設の準備をしました。法務省登記官のサマリ・スタさんにもお世話になりました。スタは須田ではないですかと聞きましたがもうわからないとのこと。この国の人同志は現地語(ポンペイ語)で会話しますが、米国信託統治が長く、教育費援助は米国がしているためほとんどの人が英語をしゃべります。

言葉といえば、ミクロネシア連邦は600余の島からなる広大な海洋国家で、海域は米国とほぼ同じ、日本の約半分です。チューク、ヤップ、ポンペイ(ポナペ)、コスラエの4つの大きな島に人口のほとんどが住んでいます。ここは日本と似ていますが、各島でまったく違う言語を話しているのは意外です(北海道と九州で言葉が通じないなんて信じられますか)。日本からの飛行時間はこの地図をご覧ください。首都はポンペイ(ポナペ)です。ヤップ島は巨大な石のお金で有名ですね。

MicronesiaMapチューク島というのは聞きなれませんが、第2次大戦では「トラック諸島」と呼ばれていた島といえばお分かりになる方も多いでしょう。日米の激戦地でした。山本五十六連合艦隊司令長官はラバウルを飛び立ってブーゲンビル島上空で米軍機の銃撃により戦死されましたが、遺骨はこのトラック諸島に一旦運ばれて、その後内地に帰還する戦艦「武蔵」によって日本本土に運ばれたのです。ちなみにラバウルは現在英領パプアニューギニアにあるニューブリテン島の都市で大日本帝国海軍基地のあったところ。トラック諸島の南方約1500kmに位置しています。

big_mapいまベストセラーの「永遠のゼロ」をお読みになった方は多いと思います。僕はこれを読んで涙が止まらず、もっと当時を知りたくなってゼロ戦の勇士、撃墜王坂井三郎さんの「大空のサムライ」を読みました。日本人でこれを読んで胸が熱くならない方はいないのではないでしょうか。戦争が良い悪いという問題ではなく、日本人であることの魂のもつ崇高さには感動するしかありません。この本は我が国では軍記物として扱われ広く知られているとは思えませんが、彼が死闘を繰り広げ、彼に64機も撃墜されたアメリカでは著名でサカイの勇気は賞賛されているのです。

いま僕のいるこの海域がまさにその舞台だったわけです。この熱帯のジャングルを行軍した陸軍兵士の気持ちもわかるようになりました。トラック諸島の日本軍はほぼ全滅でしたが一部生き残った兵士の一人が森元首相のお父様で、島民に助けられたご恩ということで首相は何度もミクロネシアを訪問しておられます。靖国神社への政治家の参拝に文句がつけられますが、米国大統領がアーリントン墓地へ行くのと何が違うのか理解できません。国が自国を守った英霊を祭るのは古今東西当たり前のことであります。僕は鹿児島の知覧に息子を連れて行きました。こういうことがけしからんなら、それは国をやめろ、国家を捨てろと言われるに等しいでしょう。主権国家がそんなことを他国に言われる筋合いなど世界のどこにも存在しないのです。

 

(こちらへどうぞ)

ベトナム戦争という歴史について思う

 

 

 

 

 

 

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