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カテゴリー: 若者に教えたいこと

ポジショントークやる奴は例外なくクズ

2023 MAR 14 2:02:35 am by 東 賢太郎

ポジショントークなんて英語はない。こういう和製英語を誰が発明するかは知らない。馬鹿がシミュレーションをシュミレーションと英語できます顔で言ってるのと変わらないレベルだが、要はそれが横行しているから名前が付くのだ。ポジショントークは自分が利益を得る我田引水の主張を気づかれないようにそれとなくすることで、誰が見てもその売り子ですよという者が堂々とやるセールストーク(これも和製っぽい。米語はpitchだ)とは異なる。

要するに、象徴的にいうなら、自分が持ってる株を「上がりますよ」と言って皆に買わせて株価を吊り上げようとする行為のことであり、そういう魂胆があるなら「それとなく」だろうが「堂々と」だろうが品性を問われることに変わりない。資産(持ち高)を “position” と呼ぶのは金融業界の用語であることから、和製英語「ポジショントーク」の発生源には我が業界が関与していた可能性は否定できないように思う(ちなみにこの業界はグローバルを気取る者の巣窟だが、英語がまともにできる者はほとんどいない)。しかし品性の是非はともかく、金融業界はおカネを商品とするそういう業界なのであり、嫌なら入るなというものだ。日本だけでない、この業界は世界的にそうであり、そこの住人である僕はその是非を論じる気はない(それこそポジショントークである)。

そうではなく、問題と思うことは、金融業界の住人ではない人たち、つまり社会的地位はあってもこの一点において僕の目には一般人、シロウトにすぎない人達が国会やテレビなどの公の場でポジショントークをしゃあしゃあと展開する風潮の世の中になってしまったことなのだ。立ち位置(例えば「私はこの会社の社員です」「その株を持ってます」)を明確にお断りしておいてからその会社をほめるならそれはセールストークであって許容される。さらにいうなら、自分で自分をほめる行為だって宣伝、広告、PR、マーケティングであって何の問題もない。しかし自分のポジションを隠しながら巧妙にそれをやろうとする魂胆(悪だくみ)があるのがポジショントークであって、一歩間違えば詐欺と変わらない。そういう輩が増えたことと、電話で老人を騙す詐欺師が増えたことは同根の社会現象と僕は考えている。理由は簡単だ。どちらも表向きはどうあれカネ目あてなのである。とすれば、金融界というカネを商品として扱って稼ぐそのプロの世界で100年かけて磨きぬかれた手法が世にはびこるのは道理があることだ。

しかし、カネが商品でない業界がそれを真似ることに僕は一抹の危惧を覚えざるを得ない。学生だった頃、「レコード芸術」誌の音楽評論を熟読しながら「推薦盤」の裏にコネの癒着はないか疑った。ひねた学生だったのは、受験勉強をしながら問題を作る側の心理を見抜く癖がついていて、評論家にそれを当てはめて文章を読んだからだ。個々の推薦に癒着はなくても、商品としてのレコードを論じる雑誌はレコード業界全体の羽振りが良いことこそ自誌の寄って立つ好適な「ポジション」であり、どれであれレコードは売れて欲しい、つまり “推薦盤” としたいバイアスが雑誌社にはあるはずだ。するとその会社にカネをもらって雇われる評論家にも「 “無印” はあっても “買うな” はない」(どのレコードも基本的に良いものだ)というバイアスがかかり得る。その意味で、癒着とまではいわないが共生しているわけだ。

演奏家のえこひいきぐらいは人間のサガで許せるが、カネ目あてになってよい業界といけない業界は厳然と線引きがある。いや、まともな国家であるならばなくてはならないのである。雑誌は所詮そういう性質のものだから前者で結構だが、芸術は後者である。アートの評価がカネで買えるなら文化は崩壊するからである。ましておや、国の会議、公共の電波を使うテレビ等でポジショントークをたれ流すとなると、その者は公共財を流用して世論を私利のため操作して我田引水を目論んでいるわけだから、それに成功しようがしまいが、その行為だけで国家が厳罰に処すべきなのは当然のことだ。その者をメンバーに指名した者、雇って出演させているテレビ局は、その者の魂胆(悪だくみ、疑似的詐欺)をシェアしていることにおいて同罪の共犯者であり、公共財を使用させる資格要件を本質的に欠く者であるという世論の審判を下さなくてはならない。

法人業務が大きな収入源である証券会社が書くアナリスト・レポートの「売り」推奨比率が圧倒的に少ないのも同じことだ。株式を推奨される法人が顧客でもあるからだ。僕は証券会社に入ってみて、左様なことがあまりに日常的に当然のように堂々と業務としてまかり通っているのにけっこう驚いた。これが社会というものか、世の中とはそういうものなのかと。しかし当時はまだ健全な世の中であったと感慨すら禁じ得ないが、それは社会でも世の中でもなく、株を売買してもらわないと収益があがらない「証券会社というポジション」の中だけのことだった。つまり売買手数料で儲けるというビジネス・ポジションを張っていれば、売りだ買いだと情報が飛び交う環境を作ることで注文が増えて得になり、それが法人業務の基盤にもなる。レコード業界の売上が多くないと売れない音楽評論誌と同じ理屈なのだ。だからそれはポジショントークになり得るが、証券会社は自己の立ち位置を公然と明かして堂々とやっており、社内では適切な用語で「セールストーク」と呼んでいたのである。

初めは抵抗があったがその理屈と業界のなりわいには一理あった。当時の東証一部の日々の出来高は3億株ほどで、それだけの売買量があるから企業は銀行借入れより低コストの資金調達を株式市場からすることができ、日本経済は1980年代に世界を驚かす未曾有の急成長を遂げることができたことは誰も否定できない事実である。もし最大手の野村證券が売買情報提供のサービスを止めれば出来高は5千万株もなかろう、それでは大企業の資金調達は無理だろうなと社内でリアルに体感していたのをはっきりと思い出す。だから大河の中の一滴に過ぎなくとも参加はしなくてはと、自分が良いと思う株を買ってもらうためにセールストークを磨こう、どうしたら投資を知らないお客様に心から理解、納得して買っていただけるだろうと日々研鑽を積んだ。

だから僕はポジショントークをやろうと思えば苦も無くできる。プレゼンというのは何か商品やコンセプトを買ってもらう目的でやるポジショントーク全開の場であって、それは息をするぐらい自然にできるプロとして長年この業界を渡ってきたし、何より海外で食うか食われるかの交渉をする場で野村の利益を守る最強の武器としてもワークした。しかしその技術は自社の利益や自分のボーナスに直結するものの、基本的には資本市場が健全に働く公益のために使用していると少なくとも自負してきたし、しなくても常にそうすべきものなのであって、私利私欲だけの目的で使えば下賤になりかねないという倫理観を伴うべきもの、空手やボクシングの選手が喧嘩に技を使ってはいけないような性質のものだと思っている。

僕が証券会社を辞めるに至ったのは、自分も、どんなに偉そうなことを言おうと所詮はさもしい金融業界の人間のひとりと悟ったからだ。「公益のため」のはずが「会社のため」「自分のため」にだんだんグレードダウンしてしまうのはどうしようもなく、放っておけば自分の中で正当化できてしまい、生きるためなのだとそのノリを超えている自分に気がつかなくなっていると危惧したことが大きい。つまり、「自分が良いと思う株をお客様に買ってもらう」といいながら、理由はともあれ、アドバイスするだけで自分は買わない証券マンという職業は倫理に欠けると思うようになってしまったからだ。だからソナーはアドバイザーと名乗りながらもまず自分が投資家であり、自分が買うものだけをお客様にすすめて同じリスクを取る。それを明かすのが自分が取るべき「ポジション」だと考えて起業した。ちなみにブログを実名、履歴を明かして書くことにしたのも同じ考えからである。

ところが僕の行動とほぼ軌を一にして、真逆の現象が世の中の目につくところにはびこりだした。私利私欲だけのポジショントークを弄する者がそこかしこに跋扈(ばっこ)しだしたのである。1億総証券マン時代かと目を見張るばかりだ。それも、どこで覚えてきたのか、笑ってしまう稚拙なレベルで堂々と国会やテレビのコメントや討論番組でその下衆な魂胆が開陳され、本人は自分が張っているポジションへ巧妙に利益誘導したつもりが恥ずかしい馬脚だけが現れ、醜態をさらして自ら株を下げているというたぐいのものが多いのである。それでいて本人はどうだ賢いだろう、議員や知識人として賢く見えてるだろうと得意がっている風情があって、まさに英語のつもりでシュミレーションを連発してる馬鹿に等しいことを知らない。

断言するが、私利私欲のためだけにポジショントークをやる奴はウソつきであり、例外なく人間のクズである。これは古今東西、まともな人が他人を評価する恒久的鉄則なのである。自分のポジションを相手に悟られると計略がバレるからそれを隠しながらトークをやるわけだが、それがみっともないことだと気づく品性どころか見抜かれてるかもしれないと警戒、自省する知性すらない。こういう者が選挙で圧勝したりテレビでお茶の間の人気者だったりし、わーわーうるさいだけで何言ってるかわからない不思議ちゃんが不思議ちゃんにウケてるこの国の民主主義は大丈夫だろうかと有権者が考えないのも実に不思議である。連中をはびこらせているのは国民なのだ。国民の20%も投票してない政党が万年与党であり、それはおかしい、打破するぞと勇ましく言うのが仕事であり万年ポジショントークである野党はビジネス左翼の利権を守るだけ。異次元の不思議な国だ。

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ゾロ目の8888888(ブログをやめない理由)

2023 MAR 2 1:01:14 am by 東 賢太郎

2022年3月7日に「7,777,777」になった(寝過ごしたが)。

ゾロ目への愛着を哲学する

すると2023年2月28日午前9時40分、これがやってきて、もう二度とないぞと今度は逃さず撮影した。数字はすぐ変わってしまうので一瞬だったが。

359日で1,111,111増えたので一日の平均閲覧数は 3,095 だ。去年は5月に父が逝去して喪に服し、ブログ執筆本数は5月はゼロ、6月は1本だったからちょっとした意外感はある。

数字のことを書くのはゾロ目が好きという理由だけではない。小難しいことばかり並べたブログに何のデマンドがあるのだろうと不思議だからだ。その時々の自己都合だけの関心と思考の備忘録にすぎず、有益な情報もないし時流にも世論にも何の関係もないし、なにより僕自身は他人のそうしたものを一切読まない。なぜ東京文化会館大ホール+紀尾井ホールが毎日満員になる訪問数になるかという点は理解が及ばない。

こういうことを仕事をしながらするのは習性で、長らく勉強+野球・音楽という学生時代を送ってもきた。だからどれも一流にならないが、トータルな調和が心地良いのでそのどれもが僕なりのベストコンディションになる。つまり勉強だけしても僕は成績が上がらないし、ブログを書いていると仕事にも良い波長が出るし、仕事が良い時はブログもたくさん書ける。そうした複眼性がホメオスタシス(恒常性)になってるのでどれかを止めると他も劣化するかもしれず、なかなかやめられないのだ。つまり仕事円滑のためのサイドディッシュを皆様に読んでいただいていることになる。来年にPV1000万回にはなるだろうから個人ブログの数字的にはもう十分だがそういうものをめざす気はなく、仕事を辞めたらブログも書かなくなるだろう。

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同時に来た2つの新しい仕事

2023 FEB 28 18:18:14 pm by 東 賢太郎

ソナーの経営は探偵事務所みたいにやりたいとかねがね思ってきた。依頼人がやって来る。それを解決してさしあげる。子供のころカッコいいと思ったホームズやポアロがそれだ。これまで出歩いて仕事を探したことはなく、旧知の輪の中で話が出てきてやらせていただいて、結果的にそれに近いことにはなっている。

資産を保全しながらできれば増やしたいというニーズは多くの方にある。この仕事は世の中の環境がどうあろうと需要がある。チャットGPTにはできない。僕はまずは自分の資産運用をしていて、これは趣味である。それと同じことをお客様にお教えするだけなので、責任はあるが “お仕事感” はない。

そういう流れのなか、先週に、立て続けに新しい話が2つ舞い込んだ。ひとつはある会社の経営支援、もうひとつは上場企業の新規ビジネス支援だ。どちらも未体験ゾーンだが、僕は火星探査機を「キュリオシティ」(好奇心)と命名したNASAに共感する人間だ、むしろ知らない方がワクワクする。

これまたどちらも旧知の人からだ。お互いによ~く知っている。このよ~くというのがポイントで、友達とか先輩とかそんな軽いもんじゃない。僕が何者で得手不得手まで熟知していて、どうwin-winになるかわかってる人たちだ。思えばみずほに移籍したときのお誘いもそうだった。

これがオン・デマンド時代の生き方だ。僕は口だけの評論家ではない。こうして実践してる。デマンドは学歴や職歴や肩書なんかにはない。「今できること」にしかない。だったらそれを磨くしかないでしょう?こんなわかりやすいことをできないからネットもゴシップ屋だらけの一億総評論家状態になってるのだ。

もうお金儲けだけの仕事はいい。人様のためになれる仕事をしたいので両方とも真剣にやろうと思う。

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「陰謀論だ!」という陰謀論について

2023 FEB 26 22:22:35 pm by 東 賢太郎

陰謀論というのは陰謀のことではない。何らかの事件が発生し、「その裏には陰謀があったに違いない」と疑義を唱える企み、行為のことをいう。

そこで、陰謀を練った方を「陰謀側」、「陰謀があったに違いない」と疑義を唱える方を「懐疑側」、どちらでもない者を「中立者」と呼ぶことにする。

「陰謀側」は世論操作によって多数派を占め、少数派の「懐疑側」を貶め、侮蔑する含みを持って否定するのが一般的だ。

ところが、「懐疑側」が挙げる証拠に信憑性のある場合は、だんだん多数派の数が減っていき、やがて、「陰謀論だ」と批判する「陰謀側」の行為の方がむしろ陰謀論に見えてきてしまうという逆転現象がおこることがある。

特に、「懐疑側」の証拠の信憑性が科学的である場合、反論を試みれば試みるほど「中立者」に非科学的な印象を与えて不利である。よって「陰謀側」はあらゆる手段で懐疑を無視し、封じ込め、脅し、抹殺することに全力を傾注する。

ところが、それが全力であればあるほど陰謀の露呈を恐れていると「中立者」には見え、陰謀の存在がより強く推察されてしまう。このジレンマを避けるため「陰謀側」は行為後にすみやかに科学的証拠を隠滅することに全力を尽くす。

万一、証拠が残ってしまった場合は、論争の途中で意表をついて、自らの陣営が「懐疑側」に組して見せることで、「中立者」の目に、あたかも別の「陰謀側」がいたかのようにふるまう “分身の術” を弄することがある。

分身を演じる者がうまく立ち回って「中立者」の支持を得た場合、そちらに合一してしまうことで「フェイクの懐疑側」となり、「陰謀側」に疑義を呈して裁くふりをすることで虚偽の真犯人をでっちあげることができるからである。

分身を演じる者は必ず「陰謀側」の一味であるから陰謀の全貌を絶対に明かすことはない。単なる「おとり」であり、「中立者」をミスリードする「レッドへリング」にすぎない。従って、支持はせずに無視しておけばやがて自ら消える。

分身の演技に疑義が持たれる危険性がある場合、「陰謀側」は「第三者委員会」という名称の分身を組成して演技を続行する。第三者性の不在証明は致命傷になるため徹底管理される。この場合は「中立者」の眼力が問われる。

科学に疎い「中立者」が大多数である場合、宗教、憎悪、憐憫など情緒的根拠を針小棒大に報道することで科学的論理性を糊塗する戦略は有効である。論理は経年劣化しないが情緒はするので、「なかったことに」で封印できるからだ。

 

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縁故主義とオンデマンド社会

2023 FEB 14 10:10:06 am by 東 賢太郎

縁故主義のことをネポティズム(nepotism)という。親の七光り、縁者びいきというやつだ。直訳すれば「甥っ子主義」「姪っ子主義」で、悪いニュアンスばかりに使われるが、一概に悪いかというとそうでもない場合はある。信頼できる腹心が周囲にいることはトップになると助かるし話も速い。仕事が効率的になるなら組織にとって悪くないから息子が秘書でもネポティズムといわれないこともあろう。

ただし、それは論功行賞が公平な場合に限ることは三国志の故事である『泣いて馬謖を斬る』が示している。諸葛孔明は命令に背いて戦に負けた愛弟子を処刑した。守ったものは「軍律」だ。それが有能な部下より大事という見せしめであり、だから孔明自身も軍律に服して三階級降格の罰を受けている。評価が公平だから家来は死に物狂いで戦い、孔明は名を成した。後世にバカ殿による論功行賞の失敗がたくさん起きたから、この史実が戒めの諺となって1800年間も語り継がれてきたのではなかろうか。

すなわち、「論功行賞が不公平」=「軍律はありません」という表明なのだ。ということは殿を縛る軍律などましておやあるはずなく、論功行賞は殿の好き嫌いで、好かれれば何でもやり放題になり、人間の汚い本性が出て自分に甘く、縁者に甘く、七光りの馬鹿息子が何の苦労もせず跡を継ぐ。この腐臭ただよう事態にネポティズム認定の鉄槌が下るのだ。だからキリスト様は「縁故などというものは正しい信仰の敵」と言い放ち、信仰組織が世襲制によっていつしか自分の子供ばかりを偏愛する者たちの巣窟のようになってしまうからカソリックの聖職者は結婚したり跡継ぎの子供を作る事は認められていないのである。宗教を引きあいに出す気はないが、人間の本性と組織の関係を鋭く射抜いた例ではあろう。

昨今の我が国において経済は一向に成長しないが、ネポティズムだけは順調に芽を伸ばしているように思える。真面目に汗水たらして働かないと給料は増えないが、国民から搾り取った税金をむさぼるのに労働はいらない。いるのは仲間の数なのだ。そこで「愛(う)いだけでオッケー」の集団が生まれる。数が欲しいのだから縁故すらいらず、「愛い奴」であれば実績も能力も知力も不問というユルユル集団であって、厳密にはネポティズムですらない。そこでこれをクローニー(crony、気のおけない仲間)と呼んだりもする。まあ要するに、多数決=権力である資本主義に “寄生” することだけを目的とした松食い虫の群れみたいなものである。この連中が繁殖して樹液を吸えば、いうまでもなく松は枯れる。

真面目に頑張って戦果をあげる者は実績も能力も知力もある。馬鹿の出世に不満だから反旗を翻すしかなく、必然的にボスには「愛くない奴」になって排除される。「愛い」だけが取り柄の集団にとってはざまあみろブラボーであり、ボスも歓声を浴びて地位安泰になり、全能感にひたってますます道を誤る。軍であればさように有能な武将たちがやる気をなくせばボスも命はないが、近代国家は法が統治する一種のマシーンであるから、この無能集団がコックピットに入ってハイジャックしても飛行機はとりあえずは落ちないのである。だから無能な武将ばかりになってもしばらくは安泰で、自分の寝首を掻かない者で周囲を固め、任期中だけは落ちるなよで済ます者が百出する。我が国の「平成の大失速」、「失われた30年」はこうしてもたらされたのだ。

おぬしも悪よのう

その集団が権力を持つと指導原理は「愛い奴よのう」から「おぬしも悪よのう」に軽いタッチで変異する。縁故など元からどうでもいい。税金にたかる利権という樹液を吸うだけを絆とした松食い虫の大群になり、ボスが後ろ盾で守ってくれるから談合、中抜きやりたい放題。更に図体は太る。ボスの一族はそのコロニーの女王蜂みたいになって疑似皇族的な世襲貴族となる。これが我が国の現状だ。政治家というファミリービジネスは世代を超えて税金にたかるが、自分の相続は「票田」だから税金は払わない。資産は世襲で目減りせずに女王蜂は何代でも生きのび、得体のしれぬ宗教まで動員してますます数を増やす。幹のど真ん中に “寄生” しているのだから駆除は大変に困難なのである。

ネポティズムは一歩間違えばこうした悪を生む有力な原因にはなるが、くりかえすが一概に悪いかというとそうではなく、国であれ企業であれ全体の利益のために効率的な場合はある。一族経営の企業がその例だ。見ず知らずの株主に無用の批判を受けたりハイジャックされたりするぐらいなら上場は見送って堂々とネポティズムで行こうという高収益企業はいくらもある。それが悪なら会社は潰れるはずだが多くがうまくいっているのだから、一般論で悪だというのは左翼が階級闘争とごっちゃにして騙そうとしている証拠で全くの見当違いである。

ネット社会にそれがどれだけ耐性があるかは未知数だ。ネポティズムは組織が盤石で無能でも勤まるポストがあることが大前提だが、仮にあっても周囲が離反すればワークしない世の中になりつつあり、やがて来るオンデマンド社会ではポストに好適な人材はポストが決めることになる。たとえば管弦楽団で第1フルートが定年になる。日本的感覚では第2奏者が昇格しそうだがそうではない。第2奏者が第1の息子であっても関係ない。第1の公開オーディションをするのだ。オンデマンド社会ではこれがそこかしこで起きる。少なくとも高年俸のポストは業界関係なくそうなる。第1は第1の格の人が吹かないと楽員の賛同が得られないし、楽団ごと質が落ちて全員が失業する可能性があるからだ。

つまりオンデマンド社会はネポティズムと相性が悪い。おそらく後者は衰退していくだろう。政治家が息子を秘書にしても、彼が有能であって公平に評価されれば構わないが、そのことは父親でなくネットを通して国民全員が審査することになり、無能がバレれば私刑と呼ばれようが何だろうが袋叩きにする。今のところは大手メディアが「報じない」という情報操作をして守っているが、そんなことをするメディアは食えなくなって先に消える。公人だとネットで炎上すれば有名税だねざまあみろで終わり。書き込みは末代に残る恥辱となる。これが良いことかどうかは言論の自由を規制するかどうかの問題であり、法的に処理することは中世的ガバナンスのまかり通る国家でなければおそらく困難だろう。とすると公人となって国のために活躍して勲章をもらうことのリスク・リターンのバランスは変容するだろう。ネポティズムの評価同様に一概に2世3世議員がいかんということはないが、現状は無能なのがたくさんいる。日本という国が盤石でそれでも勤まるポストだったからだ。松が元気な時代はもう終わっている。

 

自民党の補選3敗に思う

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これからやってくる「オンディマンド時代」

2023 JAN 25 2:02:12 am by 東 賢太郎

「What can you do for me today、Mr.Azuma(東さん、今日は何をして下さるのですか)?」

約束の時間ちょうどにドアが開いて現れると、足が自由でないS氏は無言のままテーブルの向こう側にゆっくりとまわって、僕の真正面の椅子に大儀そうに腰かける。英国王室御用達のGIEVES & HAWKES製と思われるスーツに身を包んだ40がらみの小柄な紳士だ。にこりともせずノートを開くと、検事が尋問内容を書き取るみたいにしてペンを構え、僕の目を見て2、3秒ほど完全に静止する。そこで決まって口から出る判で押したように毎回まったく同じ冒頭の質問が挨拶代わりなのだ。「今日は**株を買ってほしくて来ました、Sさん」。僕の答辞もいつもおんなじこれにしていた。

そして「なぜそれを買うべきか」をゆっくりと話す。今日はペンが動かない。ああだめかな。案の定、5分ほどで彼は Thank you. と小声で僕を制止し、立ちあがって慇懃にドアに向けて送り出す格好をする。無言のお払い箱なのだ。この屈辱はいま思い出しても耐え難い。大英帝国植民地の支配者たちはこんなだったのだろうかと思った。しかし、これでめげては任務は勤まらない。何回かに1度はペンがサラサラ動く時もある。すると今度はネガティブな質問の矢がこれでもかと飛んでくる。うまく身をかわさないと即死。やはりご苦労さんのゲームオーバーなのだ。だから予定の30分を無傷で満了すればまず成功と考えていい。この場合は勇躍オフィスに戻る。何時間か、今か今かと待っていると、夕刻に電話が鳴る。来たぞ!!周囲がシーンとなって聞き耳を立てる。お薦めした**会社株式の数十億円分の買い注文執行が厳かに委託される。わかりにくい英語だ。聞き間違えたら一大事で、2,3回も確認のリピートをする。周囲はそれでわかる。受話器を置くと大拍手が起きる。代々ノムラでS氏のアカウントを担当できるのはエースのしるしなのだが、裏舞台ではこうした緊迫の綱渡りが行われていた。

S氏はノムラが最大手だからといって手心を加えて注文をくれることは一切なかった。世界一の証券会社だと思いあがっていた当時の社内では批判するムードがあったが、相手は10兆円も運用する世界一の機関投資家であり、S氏はそこで認められ雇われているマトモな人物なのだ。だからオーダーが少ないのはこっちの実力不足なのだと僕は擁護していた。批判する人たちはその緊迫の裏舞台など知らないし知ろうともしないし、特に東京本社などアホばかりで想像だにしてない。全盛期の野村の内部もレベルはそんなもんであり、わけもわかってない奴らが偉そうなこと言うなという気持があった。S氏が本当に平等だったことは毎回のプレゼンの自分の出来不出来でわかっており、その感触通りの結果になることで体感したプロの自負があったのである。その方法でこそ良質の情報が集まるということを逆に目の前で教わり、ビジネスは正攻法に勝るものはないことを思い知った。できれば人間関係で仲良くなってビジネスしたい怠惰な僕だったが、勉強と訓練という正面突破で注文をいただくしかなく、おかげ様で力をつけてもらったことを今も感謝している。

1980年代当時のロンドン。stock broker(証券マン)とfund manager(機関投資家の運用者)の仕事は大なり小なりそんなものだった。運用者はひっきりなしに数多ある各社の証券マンの訪問を受け、毎日何十もの「なぜ買うべきか」を聞く。腑に落ちれば買い、そうでなければ無視し、用がない株は売り、それを年末まで毎日くり返すと、1年間の相場のすったもんだの中での彼の “ファンド運用成績” が出る。これが運用者の通信簿だ。ファンドの運用益が増えていれば彼の会社はそれを宣伝してお客が増える。だから彼の出世と報酬はそれにかかっている。こちらとしても、推奨の成果で彼の信任を得ればそれに貢献したお駄賃としていただく手数料が天文学的に増えたから通信簿であり、日本国内の支店では想像もできないだろうが毎月数千万円、トップセールスである僕は他の顧客も入れるとピーク時は毎月3億円の手数料収入があった。後に社長になるドイツ、スイス、香港現法の店の収入ぐらいをひとりで稼いでいたことになる。

80年代、高度成長を成し遂げた日本の株式はシティで注目の的だった。一般の個人や年金基金は買いたくても情報がないので運用会社にお金を委託して日本株に投資してもらっていた。株式投資の元祖である英国には古くから世界的に著名な運用会社が数多くあり、良い成績を上げて委託資金を増やす激しい競争がくりひろげられていたのである。だから各社は日本株運用部門を設けて英国人でキャリアのある専門家(fund manager)を雇ったが、日本語ができない彼らは株を選別する有能な日本人証券マンの情報提供が絶対に必要だったのだ。この関係は花と蜜蜂に似ている。蜂は蜜を求めて花に群がる。花は蜂が来ないと受粉できないから蜜は惜しまなかった。だからロンドンには日本の証券会社が中小から銀行系に至るまで、甘い蜜の匂いを嗅ぎつけてウンカのようにこぞって現法をつくり、失礼だが英語もままならない程度の営業員をおいてでも注文の片割れをもらおうと猛烈なセールスをかけていたのである。日本の証券業界の歴史において1980年代のロンドンほど巨大なビジネスチャンスがあったことはない。その時代に6年そこにいて、ノムラというダントツ世界No1の会社の株式営業デスクのヘッドだった僕は幸運だった。

その蜜が売買手数料だ。当時はそれが公定であり自由化される前だった。だからネゴや割引の余地がなく有能な運用者よりも有能な証券マンの方が年俸が高かった。僕にも水面下で外資から凄い年俸のお誘いが来たが、それほど日本株ブームはロンドンを席巻していた。日本企業のサラリーマンだから僕の給料はまったくたいしたことなかったが、それでもシティではノムラの名刺はいっぱしのバリューがあって普通の人でも名前ぐらいは知っており、まさに肩で風を切って歩いていた。日本の文化まで流行になり、ロンドンに日本食レストランが増えだしたのもこのころだ。ただ我々の労働環境は過労死しておかしくないほど常軌を逸しており、出社は毎朝6時半、東京本社株式部と連絡をとり、調査部から情報を収集し、昼間は蜜蜂としてシティ中を飛び回り、夕刻には運用者の自宅にまで電話をかけ、深夜1時2時まで会社で翌日の準備のための侃々諤々の会議をした。中世の奴隷だってもう少しは楽な暮らしだったろう。

リーマンショックと共にそんな夢舞台は消えた。しかしあの What can you do for me today?の記憶は強烈で忘れない。「君は僕に何をしてくれるの」?いやあ、なんて本質を突いた質問なんだろうと感動すら覚える。「はい、賄賂を差し上げます」という事件が最近あった。民間人だって「おいしいことしてあげますよ」と “税金たかり屋” どものコネ、ヌキ、談合、身内贔屓みたいな “ズル” は横行している。ところが、これが軽いタッチでひょっこり内部告発されるのは防ぎようがない。ネットで大炎上してさらし者になり、一瞬で罪人だという「私刑」が科される。何を弁解しようと書かれたらサーバーに残って永遠に汚名は消えない。したがって、会社経営も裏口**みたいのが表に出ると非常にまずい時代になったと考えるのは常識だ。社会的責任に欠ける、サステナブルでないと社会的制裁を受けたらつまはじきになって、世界の機関投資家はSDG、ESGを満たさない会社は自動的に投資しないから株価も下がる。すると大株主でもある彼らは社長の首を株主総会で切るだろう。だから大企業であるほどひとたまりもなく、これからは上場しているメジャーな企業が率先してビジネスを正攻法に収斂させていかざるを得ないのである。表ではコンプライアンス重視をうたいながら水面下で品質不正やリコール隠しをしていたような企業は、いくら新聞、テレビの表の報道を制御しても、ネットだけで世の中を見る人のイメージを覆すのは至難の業だ。その人口は間違いなく大多数になり、新聞、テレビしか見ない老人は死んでいく。僕は日本人が善人になると言っているのではない、ポリコレに弱いから最も安心な正攻法になるしかないのだ。正攻法の権化であったS氏の質問は、いわば未来を予見していたわけで、ますますストライクに思えるのである。

僕がテレビを見ないのも、日経新聞の購読をやめてしまったのもそういうことなのだ。 You can do nothing for me today (今日も何の役にも立たないね)と、見ながら毎日感じるようになったからだ。見逃したから経営を誤ったとか相場で損したなんてことは一度たりともないしこれからも確実にない。情報も娯楽もオンディマンドで完全に足りる時代であることは高齢者で ITリテラシーに欠ける僕ですら実感してしまっている。ペンが動かない証券マンは5分でお払い箱。これは冷徹ではあるが、メディア業界であれなんであれ、「ビジネスの基本原理だった」ということが白日の下に明らかになりつつある。原理は世の東西も時代も問わず不変なのである。正攻法でやるためには血縁や義理や私情はもちろん旧習や思いこみやノスタルジーなどばっさりと断ち切るしかない。それにしがみついて利益が出ていても、サステナブルでないと世間が冷徹に烙印を押す時代になってしまっているからだ。S氏は優良な情報を永続して集める必要があった。だからノムラと親密にしなかった。高い手数料を払うのだから情報は集まると冷徹に計算し、オンディマンドで各社の証券マンを呼び集め、競わせたのだ。お金に人情はない。冷徹なものだ。だから冷徹こそお金を増やす正攻法以外の何物でもないのである。衰弱する日本企業はどんなに人情経営が好きであろうと、どんどんその流れに飲まれていかざるを得ないだろう。

ということは雇用市場で何が起きるか、賢明な若者の皆さんはもう結論が見えただろう。What can you do for me today?すべての仕事において、あなたは雇用者やお客さんにそう問われる時代になるのだから、それに決然と答えられるようになればいいのだ。雇用者は、必要な「do」をしてくれるならロボットや AI でぜんぜん構わない。コストも安い。だから人間しかできない「do」を見つけることだ。例えば、僕の今の仕事は AI には絶対にできない。人間でできる者もまずいない。こうなれば確実にお客様から代金をもらえるし、資産を増やしたい人が減ることはないだろうから希少性からすれば今よりもっともらえる時代になるだろう。中世の奴隷以下の仕事は大変な意味があった。そんな経験は誰もしたことがないから鉄壁の参入障壁であり差別化要因になったのだ。お金をもらいたければ意味のある事を必死に勉強し、しのほの言わず粛々と訓練を積むしかない。これを当たり前と思わないならあなたは世間に甘えがあるが、世間はあなたを甘やかすほど余裕はもうない。

いい大学へ行けばそう教育してくれるだろう?とんでもない。米国留学した者はわかる。日本は明治時代とほぼ変わらない教育を営々とやっている浮世離れした大学ばかりで、そもそも存続する価値がないばかりか、そこのディマンドに合致するからという理由で雇われてる先生たちにその能力がないことぐらいちょっと考えれば誰でもわかるだろう。誰でもわかることで嘘をつくのは大変に難しいのだ。テレビで偏向情報や屁理屈をたれ流しているコメンテーターの類はみんなテレビ局や自分の利益のためにポジショントークを売る嘘つきだが、そんなもので騙される人は世代交代とネット情報への依存度アップで急速に減っていくからこの連中もやがて消える。そうして新聞、雑誌と同様にテレビも存在価値を失い、お茶の間には「かつてテレビと呼ばれた受像機」がネットでオンディマンド番組を見るためだけに残るだろう。

そうなると、今の意識のまま漫然と大学に行って漫然と就職して生きてるあなたも、滅びる職業についてしまっている確率が高まっており、もしそうならやがて失業するか、しないまでも失意の人生になりかねない。では何を職業にすべきか、どこに就職すればよいのか。そこで週刊誌の大学生の就職人気ランキングなどに頼るならもう人生終わりである。「あなたは何ができますか?」が入社試験で、採用もオンディマンドになるのだから「学歴」や「青田買い」など戦後の集団就職と同じぐらい死語になり、ディマンドのある教育を施せない大学は潰れて、あなたのゼミの先生も失業するのだと頭の中でシミュレーションをしておくことをお薦めする。「東大卒?あっそう、で、キミ、何ができるの?」。あのころ、できることなど何もなかった僕は今なら思うような就職はできないだろう。しかし、16年海外にいたので、日本でしか通用しない学歴のおかげでこうなったわけではないことが証明されている。東大卒でなくてもノムラに入れなくても、きっとなんとかなっただろうというぐらいの自負は持っていいと思っている。

ちょっと考えれば誰でもわかるだろう。東大にそんなに価値があるならそこで教えてる先生は企業から引っ張りだこになるはずだが、そんな話はついぞ聞いたことがない。僕がウォートンスクールで証券分析論を習ったM先生は前年までウォールストリートでもトップクラスの高給取りであるメリルリンチの役員だった。そんな雲の上の人のリアルな講義が半年も聞け、実技指導までしてもらえる。これが年2千万円の高い授業料を払ってでも行く価値のある大学というものでなくて何だろう。お断りしておくが、僕は大学が職業専門学校だと言ってるのではないし、学問と教養が人間形成において必須であると何度も主張してきたし、母校である東大を心から愛しているし、後輩たちには日本国をリードする人材になって欲しい。だからこその苦言なのだ。

しかし僕ごときの批判で東大が変わることは99.99%ない。なぜか?明治時代、富国強兵のために東大は創立され、それイコール国家であり、その知恵があるから日本国は世界最速の成長を遂げて一流国になることができた。それが今や世界大学ランク39位で毎年ずるずると下がっており、それがいつまでも1位である日本国も、GDPは今のところ世界3位だが実は39位ぐらいへの下降線をたどっている。東大はその先行指標ではないか。これは皆が思ってるが認めたくないことなのだ。だから言わない。言っても変わらないのに言わないのだから「99.99%東大は変わらない」と言ってる僕が正しい確率は99.99%以上だろう。そんなにテッパンで変わらないものを変えろと一人で声高に叫ぶなど見苦しいだけだからプライドにかけて言わない。この思考回路のどうどう巡りゆえに東大に限らず日本の保守的なるものはどんなに凋落しようと何十年たっても遺跡のように「変わらない」のである。

大人たちは自分もその価値体系のおこぼれにあずかっていい思いをしてきたし今もしている、だから自分が生きてもいない20年後はもういいやと諦めてるのだ。自民党の議員もそうだ。2028年には中・露を合算した軍事予算は米国を抜き、水爆を1500発保有して30分で本土にいる米国民を1億人殺すことができるようになる。その中露が日本に核爆弾を打ちこんだら米国が代わりに中露と核戦争をしてくれるだろうか?するわけないだろう。もう核の傘なんてものは存在しないのだが議員は誰もこれを言わない。マスコミも言わない。言わないのは噓つきだとさえ誰も言わない。防衛予算をGDP比2%にして在庫処分のトマホークを買っても中露は痛くもかゆくもないことも議員は誰も言わない。こんな腐った連中が政治をやってる。20年どころか10年もたたないうちに日本はとてつもなく見たくない景色の国になってしまうのではないか?そのころリーダーになる若い皆さんにはおこぼれすら枯渇しており、戦うエネルギーも枯渇してないだろうか。心配でならないのだ。だからこれを書いておくのは、何もおきなくても若者の心に警鐘を鳴らせればいい、それが税金で勉強させてもらって海外でいろんな経験を積ませてもらった一国民の責務と考えた次第だ。ちなみに僕が採用したいのは東大卒であってもなくてもいいが「やるべきことは雨が降っても槍が降っても最後まで責任持ってやります。やらなかったら坊主になります」という人だ。

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プレゼンはパフォーミング・アートである

2023 JAN 20 23:23:18 pm by 東 賢太郎

幸い健康でいまでも丸一日仕事して平気であり、視力は1.2だし5キロは走れるし年齢記載欄にはうっかり57と書きそうになる。今年はコロナもインフルも無視でどんどん外に出ており、出れば出るほどリズムが戻り、発想からプレゼンまで現役である。WBCの選抜メンバーを見ると野球選手は35才あたりで峠を越えるようだがビジネスマンは足腰立たなくなるまでプレーヤーでいられる。

性分というのは変え難く、新しい地平が見えてくると突進したくなる。知らない景色が好きなのだ。僕にとって投資は金儲けでなく新開地だ。それが次々とインスパイア(inspire、鼓舞)してくれるから老けこむ暇はない。同類の人と出会うと、それがまたインスパイアになるから大事にする。同類ではないが薪をくべてそれを助けてくれる人もいる。これまた大変に貴重なご縁なのである。

社内であれ社外であれ人を説得しないと進まないからビジネスというのはプレゼンで成り立っているといってよい。ところが論旨明解で弁が立ってもお客様が買ってくれる(お金が動く)とは限らないところが面白い。相手を動かすのは自分がインスパイアされてるからで、その熱量が成否を握る。プレゼンの技術など考えたこともないが、相手に伝わる熱があることはそんなものの百倍も大事だ。

以前に「行動を促す情報がインテリジェンスだ」と書いた。熱量は情報でないからそれではない。つまり陳腐な情報を並べ立てるなど論外だが、立派なインテリジェンスをもってしてさえも「売れる」わけではない。熱量は感性に訴える。それが共感を呼んで行動を促す。これは音楽の名演奏がスタンディング・オベーションを引き起こすのと同じで、人間は理屈だけで動くわけではないのである。

つまりプレゼンは弁論大会ではなくパフォーミング・アートの一種なのだ。これをわかってない人があまりに多い。かつてのこと、部下が100ページもある詳細な資料を作ってプレゼンに臨み、目の前に並ぶお客の顔も見ず延々と読み上げたことがある。ふと見ると数人が舟をこいでいた。きみ、それ3ページでいいんだよ、相手の目を見てアドリブでやりなさいと教えたがその後どうなったか。

僕は音楽演奏は暗譜が望ましいと思う。現に歌手は3時間ものオペラをそうして歌っているのであって、それこそプロだ。ビジネスのプロでありたいならプレゼンごときは暗記してその場の雰囲気を読みながらやれよと言うしかない。それができないなら仮にインスパイアされても熱量が伝わるはずないのであって、つまり、物が売れなかったり社内で予算が付かなかったりしてむしろ当然だ。

スティーブ・ジョブズのプレゼンは静かだが自分が造った製品への愛と感動(インスパイア)がある。まねてる日本の経営者がいるが熱がなくド真面目なサラリーマンがカラオケでサザンを歌ってる感じだ。ハーバードのサンデル教授の講義など内なる熱量でよほどジョブズに近い。米国はビジネスマンはもちろん、学者ですらパフォーミング・アートだと心得ており、だからサンデルは人気なのだ。

僕は野村時代に日本各地の大学、オランダの大学で証券市場論の90分講義をたくさんしたが、ネタは同じなのに一度として同じ話になってない。学生が理解してるかどうか肌で感じながらアドリブでしたからだ。あれでフルトヴェングラーやミュンシュのライブ録音が毎度違う理由がよく分かった。何度ボレロを振っても同じタイムだったトスカニーニすらライブのブラームスは違ったのである。

大変な秀才であった100ページの彼はクラシックを知らないか教養と思ってるだろうが、僕が知るビジネスでトップクラスの人はみなそれなりにアート好きだ。プレゼンをしなくて良い超富裕層は大概がアートのコレクターである。

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謎の岸田総理と黒田総裁

2023 JAN 9 0:00:41 am by 東 賢太郎

最近電車によく乗る。ホームの駅看板(線路ぞいの広告)がやけに白っぽいなと思ったら18枚のボードのうち7枚しか広告が出てない。それも医者ばかりで商売人はセイジョー石井だけ。カウント癖があるので何でもすぐ数えるが、14年使っているこの駅でこんなことはかつてなかった。

僕は国が出す景況感指数よりも、かような「巷の景気」のほうを見ている。趣味ではない、その方が株式市場がよく見えるという実益からだ。インフレに乗じて値上げできる大企業はいいが、国民のフトコロ具合に近い「ちまた」はそうはいかない。駅にいる消費者に宣伝しても元が取れないと広告主は思ってる。これが巷の景況感。そして日本のGDPの5割超は個人消費なのだ。ここが冷えたままでは経済は上向かない。

65才を超えると定職に就いて働く人は激減する。すると定期収入が途絶え、年金は雀の涙だ。人間は生きているだけで毎日の出費がある。しかし毎日の収入はないのが現実となる。だから退職金など手持ちの預金を食いつぶして生き、残高は減る一方。となると、本来喜ぶべき長寿すら不安材料だ。これで総貯蓄の8割を持っている50代以上に気前よくカネを使えと言っても無理だろう。巷の広告主が減るのは道理なのだ。

となると普通はデフレ、需給ギャップと呼ばれる現象がおこる。ところが日本も世界もインフレであって、金利を上げなくちゃと騒いでるのだ。これをおかしいと思わない人が経済や為替や株価をネットで語っているからますます訳のわからないことになっている。では矛盾の原因は何か?コロナで経済が窒息死するのを防ごうと世界の国が借金して突発的に厖大な額のカネをばらまいた。ところが想定外の戦争が勃発して突発的に各所で盛大にモノ不足になった。この「突発✖突発」が見かけのインフレを生んでいるわけだ。それなかりせば、日本が患ったデフレ病は世界にまん延して米中欧をも蝕んでいたろう。駅の広告数は日本が実はその病から回復してないことを示しているのである。

したがって、ここで景況感指数が2期連続で上向いたとか、見かけのインフレに乗じて次々と商品値上げがおきている現状(嘘のインフレ)を示して景気回復の予兆だとうそぶいて増税に走るのはとても愚かしい。前述のとおり、国民はみな不安。ますます財布のひもがきつくなって消費は停滞し、GDPは伸びない。その不安は君らのせいだと企業に賃上げを迫っても、消費が減れば売上も減って株価も下がる経営者は株主総会でモノ言う株主に首を切られかねない。だから口では上げますと言ってるが容易にそうできるとは思えない。とすると行く末はデフレの再現、増税はそれを単に加速してやがて減る税収を早めに減らす効果こそあるだろう。

経済は需給で動く。ディマンドとサプライだ。銀行系証券に転籍して驚いたのはアンダーライト(引受)した株が「売れるかどうか」という視点がまったく存在しないことだった。「こんな株が700円で売れるわけないだろ」と会議で言うと満座がシーンとなってしまう(証券マンにはイロハのイ)。つまり銀行は経済の「サプライサイド」(供給側)であり、ディマンドサイド(需要側)の読みに甚だ疎い(というか、わからないから触れたがらない)。だからゼロ金利にすれば企業は借りるのが当然と思っていて、借り手がない現実を前に思考停止してしまう。僕らは需要側(消費者、企業)が病気だと結論する(それを冒頭に書いた)。だから政治のやるべきは病気を治すこととなるのだ。

ところが、黒田日銀総裁はこの期に及んで謎の金利引き上げをした。僕は金利差要因の為替モデルを自分で作っているが、現在のところ効くのは米の利上げ幅(=金利差拡大幅)より速度である。簡単に言うなら接線の傾きだ。FRB決定が0.75上げなら大きい、0.25なら小さい。この基準で統計を取ると12月のFRB決定後は132~135円が目安。昨年9月27日のブログ時点(Invest in Kishida(岸田に投資を)で円安に)では「150円ぐらいはあるかもしれない。落ち着きが良いのは僕のモデルでは135円、というのは変わってないのですが」と書いた。まさにいまその辺にあるが、利上げなどしなくても多分ここに収まった(僕はモデルを信じている)。ところがどういう理由なのか知らないがやっちまった(総裁は利上げでないというが、相場は結果がすべてというのが掟で問答無用)。すると変動金利はもちろん国民生活に深く関わる住宅ローンなど新規の固定金利は軒並み上昇するに決まってる。

これが国民の出費を増やし不安を増幅し、需要(消費)を冷やして病気の追い打ちになることは自明。供給側が需要側を殺してしまう本末転倒。この結果、GDPを下げ、国債の利払いも増え、銀行や日銀保有の国債に含み損が発生し、株は上がらない。それなのに岸田政権は「資産所得倍増プラン」「資産運用収入そのものの倍増も見据え」である。ノーベル賞級の運用モデルでもあみだしたのだろうか。「NISAで節税」?損したら税金は元からゼロだ。米国民の株式保有率が高いのは長期に株が上がってド素人でも儲かっているからなのだ。「株をやる」「投機筋」なんて石器時代の言葉を吐く人達が不得手の需要側で何をやろうが、賭けてもいいがうまくいかない。そんな些末なことより、需要側の病気を治して消費を促進し、企業が成長し、株が順当に長期的に上がる王道の政策をとれば株式投資は勝手に増える。まあ票にならないこんな分野は政権の数ある「やってる感」作りのひとつだろうが。

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永遠に讃えるスペイン戦の勝利

2022 DEC 3 17:17:51 pm by 東 賢太郎

サッカーは何もわからないが、それでもスペインに勝つわけないだろうぐらいのことは思っていた。コスタリカ戦はいけるかもと思って期待して見ていたが、昔の弱い日本サッカーを見ているようだ。ああこりゃだめだで終わってしまい、なんだか世の中もドイツ戦で盛り上がった分だけ盛り下がってるではないか。TVではスペインの3トップの移籍金が合計で277億円だなんてやっていて全日本OBの解説者が聞かなければよかったですなんて笑ってる。コスタリカに1-0で負け、スペインはそれに7-0で勝った。じゃあ8-0かなと思った。

それでも気にはなって午前4時まで頑張ったが、前半はほとんどボールを支配されっぱなしであっけない1失点。やっぱりねとなって、3-0で負けならオッケーかなと寝床に入って熟睡してしまった。そうしたら「たいへんたいへん、逆転してるよ!」と娘に叩き起こされるのである。後半の半分ぐらいからアディショナルタイムの7分まで、わくわくどきどきしながら見守った。やった!この瞬間に立ちあえてよかった、娘に感謝だ。この勝利は一生忘れないぞ。ほんとうによくやってくれた!!

堂安、田中碧のゴールシーンは録画で見たが、何度見ても胸がすくほどすばらしい。三苫の折り返しがインプレー判定となったのは執念の証しである。ドイツ戦の浅野の2点目なんてのは、ああいうのはブラジルやスペインの肉食系のやつしかできない、農耕民には無理だなんて思いこんでいたプレーであって、何とスペイン戦でも8割の時間ボールを支配されながら間隙を縫ってそのレベルのを2つも決めてる。堂安の落ち着きはらった左足なんか世界レベルでなくて何だろう。

もう嬉しくて感動の極みだ。日本の20~30代の若い子たちが世界でここまで躍動し、何の臆面もなく堂々たる勝負をくり広げ、世界の超一流を完膚なきまでねじ伏せて「死の組」を首位通過。凄いとしか讃えようもない。こんなことは、サッカーに限らず、僕らの世代ではぜんぜん無理なことだったのである。完全に脱帽だ。日本人は劣化していると思っていたが、とんでもない、劣化していたのは我が世代であって、若者は進化している。

今年は暗いニュースばかりでなんにもパッとしたことがない、村上の三冠王ぐらいかなと思っていたら流行語大賞がそのものずばりの「村神様」である。それほど村上が凄かったわけだが、ここまでそれかよと案の定すぎてかえってその他の暗さが引き立ってしまうところに現状の日本社会の病気に近い閉塞感を覚えるのは僕だけだろうか。

現にコスタリカに負けると一部の選手を批判する書き込みが乱れ飛んだらしく、田中碧選手が「同じ国民なのになぜ一緒に戦ってくれないんだ」と嘆いていたと聞く。まあ期待の裏返しでもあろうし、どの国でもそんなものかもしれないが、いまの日本にはコップに半分の水を「まだ半分もある」でなく「もう半分しかない」と見てしまう空気が充満してる。それを思いっきり打破した選手たち、ありがとう、ここぞで勝てる日本を証明してくれた君たちが誇らしい。僕は心の中に君たちの銅像を建て、永遠に讃えるぞ。

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勝つまでやれば負けない(その2)

2022 NOV 28 23:23:27 pm by 東 賢太郎

前回の稿に勝つまでやれば負けないと書いた。これはよく考えるまでもなく当たり前であり、そこで勝っているんだからもう負けてないのだ。しかし事はそう簡単ではない。僕が何万回チャレンジしても100メートルを10秒で走れる人に勝てるはずがない。つまりそれは頑張ればなんとかなる範囲内の話だ。でも悲観することはない。普通に人生を楽しく生きていくにはそんな高望みは必要ない。頑張ればなんとかなる世界は広大で肥沃な荒野のように皆さんの眼前に広がっている。ではどうすればいいか。結論から書こう。それを見つけること。頑張ることをやめないこと、つまり、信じてしつこくやることに尽きる。

頑張れば何とかなるかどうかは生まれつき持ったもので決まっている。そう聞くと「どうせ私なんか」と委縮してしまう人が多い。それじゃだめだ。そんなことはない、親からもらった能力がない人などいるはずがないし、もしなければ生物として生きられないからあなたはこの世に生まれてない。前々回の稿に書いたが、親というのは(動物もそうだが)子に才能や能力を伝え、運用を預けて自分は死んでいく。それをうまく使って良い人生を送ってねと。だからそれをフルに活かして生きていくことこそ親孝行であり、僕はそれをきちっとやれば良い人生を生きたことになると考えている。

よく、人生は才能で決まらないという人がいる。才能は発揮されないと「なかったことに」になるからうまくいけば「あった」、いかなければ「なかった」となる。でもやる前に結果はわからないから、才能は後付けのモノであってやる前から論じても意味はなく、「人生は才能で決まらないよ」と言うことの実利は何事も自信の持てない人を励ましてあげるぐらいのものだ。しかしそうして甘やかして自信ないまま何かをやってその人が成功するとは思えないから、僕はそれを親身のアドバイスとは考えない。

では、それをやるにはどうしたら良いのだろうか。簡単である。自分に何の能力があるのか、あるいはないのか、それを冷静に客観的に第三者的な目でじっくり見極めることなのである。「ありのままの私」を見つめればいいのだが、実は「ありのまま」と思っている私が本当のワタシかどうかはわからない。自分の思いこみやカン違いで枠にはめて見ている場合が非常に多いのである。僕が住んだ海外5か国と比べてみて、日本の若者はちょっと自己評価が低い気がする。それは自分が親からもらった能力が何なのか、よく見きわめてないからではないか、だから親ガチャなどという言葉が出てくるのではないかと思うのだ。そんな親不孝な言葉を吐いているようでは何をしても成功しないだろう。

私事になるが、僕は早生まれで体が小さかった。だから、中学3年になるまで身長はクラスで前から1番目か2番目。喧嘩をしても弱いし、何をやってもクラスの男子にやられていた。もしもあのまま大人になっていたら卑屈な人間になったろう。しかし高校に入ると身長は伸び、周りを見渡して弱いとは思わなくなった。でもトラウマは残っているのだ。これを潰すのにはとても苦労した。ひとつだけ能力があった。野球で球が速い。これはいじめられっ子のチビ時代からそうで、それにすがって自信をつけ、ひとつぐらいあるもんだと気楽になった。

こんな風に、皆さん、自分発見をすればいい。必ずなにか知らないご先祖様からの授かりものがあると固く信じることだ。どんな小さなことでもいい、ご先祖様はそれがあるから世の荒波の中を無事生きてこられたのであり、だから、あなたが無事に生まれているのである。それを見つけたら、ひたすらそれを磨く(これも信じることだ)。それが親孝行であり、元より、能力がないことよりあることにチャレンジした方が楽だし成功率も高いのだからやらない理由などあるはずがないだろう。信じるというのは心の中だけではだめだ。やってナンボだ。それも、思いっきりしつこくやる。能力が多少でもあるものは、やってるうちにだんだんうまくなって、好きになれることが多い。そうなればもう間違いない。

僕自身、やることをすべてやってみて、後付けの客観的な事実として「才能」らしいものが多少あったのは球が速いことだけだった(笑)。習ったり特訓したりは全くなく、生まれつき速かった。これは明治時代に慶応で野球をやってた爺ちゃん由来のものだと信じている。何をやっても負け犬だった僕がマウンドに立つと無双の気分になる。打たれても一日寝るとまた無双になってる。その自信と記憶でぜんぜん関係ない分野でも負けるはずないと不思議な思いこみができ、トラウマなどぶっ飛んで「なかったことに」になり、強く生きてこられたのだから値千金。ご先祖様はこうやって子孫を守ってくれる。しつこく信じることだ。

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