プーさんとシューちゃんの密談
2022 FEB 24 23:23:53 pm by 東 賢太郎
S「プーさん、おめでとう、うまくやったな」
P「おう、シューちゃん、ありがとよ」
S「オリンピック中は待ってくれて恩にきるぜ」
P「いやいや、オミクロン出たぞばかやろーの芝居で1日で帰れて助かったよ」
S「わかってるさ、キモいときだったもんな」
P「おう、そんで、見たか、売田のじじいのザマ」
P「そうよ、ありゃ尾浜のアホが決めたんだ、売田はただの引継ぎよ」
S「だよな、亜府岸からケツまくって逃げたしな」
P「だろ。隣人のルカちゃんは俺の子分さ。あそこに核ならべさせてじじいの家にぶちこんでもいいんだぜ」
S「やるねえ。でも納豆軍はだいじょうぶか?」
P「平気だ。LNGで脅してるからよ。駄犬が吼えるだけで何もしてこねえさ」
S「でもアジアや中東で調達できねえか」
P「ふん、やってみ。油が暴騰して大インフレだ。返り血は半端じゃねえ」
S「そうか、株が大暴落だ。でも経済制裁はどうだ?」
P「構わねえ。俺は軍と右翼握っとるさ、腹くくってんだぜ」
S「でも須井布戸ヤバいだろ、送金できねえから海外資産パーじゃね?」
P「シューちゃん、コトバ気いつけろや、俺は東スラブ王国つくるんだぜ」
S「これは失敬」
P「俺のパシリで儲けてるチョーチン持ち野郎なんか大損させたるわ」
S「プーさん、かくいう俺も大中華帝国の皇帝だぜ」
P「わかっとるさ、ハイテク止められるから回してくれよな、半導体とか」
S「おやすい御用だ。こっちで事おこして売田引きつけてやっからさ」
P「ありがてえ。納豆とリャンメンはできねえからな」
S「知ってるか、虎さんがプーちゃんよくやったって拍手してんの」
P「そうかい。おっさん汚ねえ手で選挙やられたからな」
S「売田はあと半年だ。虎は狙ってるよ。プーさんに感謝だね」
P「そうさね。国際社会の協調?笑っちゃうよな」
S「プーさん、ドラえもんって知ってるかい?」
P「おう。孫が大好きさ」
S「あいつら、地球にはのび太としずかちゃんしかいないと思ってんの」
P「ハハハ、だよな、俺達ジャイアンがいるのにな、馬鹿じゃねえの」
S「のび太もスネ夫もよ、俺たちに逆らえば一発なぐっておしまいさ」
P「いいこと言うな、シューちゃん。そこで馬鹿がパワハラって騒ぐんさ」
S「サイバー攻撃の停電でしずかちゃんビビッて泣きついてくるな」
P「だな。ドラえもんはミサイルでぶち壊したし、飛行機も飛べねえし」
S「でもうまかったね、世界だますの」
P「ありがとよ、撤退のフリしたのなんか名演技だろ」
S「ロシア株買いだなんて騒いでた阿保がいたぜ、あんとき」
P「ハハハ笑うわな、今日一日で4割の大暴落よ。首くくってるぜそいつら」
S「ところでキッシーはどうしたんだ」
P「駐日大使に『絶対いたしません』って嘘こかしたら信じてたみたいだぜ」
S「ウワッハハハ、『いかがなものか!』って難しい顔するだけだろ、あいつ」
P「お花畑の国なんかど~でもいいわ」
S「俺は『我が国は今回の行動に理解を示す』って世界に報道しておいたぜ」
P「そりゃうまいな、同じ手で襲えるもんな」
S「ふっふっふ、まあ楽しみにしといてくれ」
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ドーピングは問答無用で退場のイカサマ
2022 FEB 18 9:09:03 am by 東 賢太郎
ロシア国家の組織的なドーピングの制裁で、同国の選手たちは「ロシア」でなく「ROC」所属として出場している。そのROCでまたドーピングがあったとすると、次の五輪は何という団体名になるんだろう?そこでまた出たら次はなに?五輪の醍醐味がひとつ増えそうだ。開けても開けても同じ顔が出てくるあれ。いわゆるひとつの文化というべきなのか、お家芸であるか、はたまた病気か、いったいどれなんだろう。
今回のスケートのあの子は15才ぐらいだろうか、動揺があったのだろうフリーの演技は気の毒で、いかにも後味の悪い結果になってしまった(坂本さんがメダルを取れたのは良かったが)。16歳未満が「要保護者」なのは賛成だが、保護が必要な子供が自分でクスリを飲むだろうか?お爺ちゃんのコップを使ったぐらいでサンプル汚染と判明した他の選手の200倍も汚染されるだろうか?周囲の大人が下駄をはかせて勝とうと、ズル工作しなければこれはないだろう。その大人が人間のクズですねで済む話ではない。以下に書くが、そのことを裁く側の対応がこれまた問題で、世の中がそんなことで動くなら未来は誠に暗い。この事件には何ともやりきれない気持ちでいっぱいだ。
厳正な競争はフェアなルールがあってのみ成立する。したがって、特例を認めてそれを曲げるのは競争の管理者としてあるまじき自損行為であって、管理者の地位から放逐すべきだ。そして、ドーピングの実行者は試験のカンニングと同様、ひっかかった時点で問答無用で退場である。CAS(スポーツ仲裁裁判所)の「要保護者」の子供が傷つくから演技させましょうなどという甘ったれたお為ごかしはルールにはなり得ない。故意があろうとなかろうと即座に退場がルールで、子供であれば少年法の考えでそれ以上の罰は与えず、そんな事態に追い込んでしまった指導者や周囲の大人を所定の手続きで断罪すべきなのだ。さもなくばフィギュアは競技ではなく単なる娯楽のスケート・ショーになり下がる。すると血のにじむ努力を重ねた他の選手たち全員をも傷つけてしまう。つまりあるひとりのお行儀が良い悪いの問題ではなく、競技そのものを堕落させ、信用を失墜させる社会的重罪なのである。
東京大会の時点で書いたがIOCという組織はいったい何なのだろう?2036年の夏季五輪開催に手を挙げてくれるロシアは上客のようだ。フィギュアのあの子は素人目にもレベルが高く世界的な人気者であり、それを演技させないとテレビの視聴率が下がって大事なスポンサー様は逃げるし、ROCに格下げされたプーチンの機嫌をさらに損ねるという事情はあったのだろう。しかしながら、そこで「特例」をもうけて演技はさせる。厳正を装うための逃げ口上で「順位は暫定とします」ってのは完全なミスジャッジだ。ロシア様の「大きな力」の前では「イカサマ」オッケー。その犠牲になって、正々堂々と戦って勝った他の国の子が表彰台に登れなかったらなんてことは無視している。IOCは田舎紳士にすぎない移動サーカスの座長のレベルであり、世界の超一流である選手たちのほうは単なる客寄せパンダって、誰がどう考えても変じゃないのという怒りを覚える。
こうしたバッハ主義は、しかし、バッハ氏の責任だけとは言いづらい。世界にまん延している風潮である「なんでもカネでオッケー主義」を映す一個の鏡にすぎないという見方もできるからだ。カネで買えないものを換金することを「マネタイズ」という。いまや大統領選挙の票でも受賞論文でも奨学金でも愛でも買える世の中になってしまったのだから、IOCが五輪をマネタイズする団体であって何の罪があろう。「その精神でがっぽり儲けさせてもらいますよ、でもそのおかげで皆さんも4年に1度の五輪を楽しめるでしょ?」「だよね」「だよね」になってしまうと何が起きるだろう?フェアネス(公平性)というものは本来はマネタイズという腐敗から競技を守ってくれる防壁なのだが、「それをいじるといい商品になるよ?」という悪魔のささやきが聞こえてくるのだ。ゲーテのファウストのようにその誘惑に乗って禁断の木の実を食べた瞬間、あらゆる競争はショーに堕落する。それを決められるトップは自分の在任中ぐらいはまだバレないだろう、やらなければ後任者がやるだけだ、やらねば損となる。これは投資銀行の収益部門ヘッドの椅子に座った大概の人が陥る餓鬼道と似たところがある(リーマンショックはそれで起きた人災だ)。バッハ氏をいくら批判しても仕方ない所にIOCは居場所を作っているように僕には思える。
僕は東大がAO入試を始めた時点で同じことを感じた。東大教授でも東大卒でない人もいる。いつか悪魔のささやきに乗らない保証はない。ポリシーが堕落すればAO=アホでもオッケーの風穴があき、蟻の一穴から全部の公平性が瓦解すると危惧するのは僕だけではないだろう。子供のほうも、それで合格しても学内外でそういう冷ややかな目で見られるだけだ。すると、それでは気の毒だ、人生の大切な時期に人格形成でひずみが出るのでむしろ現行の入試は廃止すべきだろう、そして全員をAOで選別すればフェアではないかという一応は理にかなったあらぬ結論が見えてくるのだ。ケン玉が天才的だったり物まねの達人だったりという生徒も一芸に秀でてその道では日本一なのだから東大生でいいじゃないか。何も勉強だけが人生ではないだろう。学問の府も多様化の時代だ。時代に即して変わるべきなのだ。他校もそうすれば、大学のレベルは全国的に平準化して、学問の自由、学ぶ機会の公平という国民の基本的人権の観点から平等な素晴らしい社会が実現するだろう。岸田政権の標榜する新社会主義にもフィットした教育政策ではないだろうか。そうやって日本は国ごとゆっくりと偏差値50に収れんし、気がつくとアメリカに捨てられ、中国の最東端に位置する省になっているだろう。いいじゃないかタダで守ってもらえるなら。だよね。
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フリーランスという素敵な生き方
2022 FEB 13 11:11:41 am by 東 賢太郎
「ワタシ失敗しないので」の外科医・大門未知子のように組織から飛び出して独立して仕事するのがフリーランスだ。作曲家のはしりはモーツァルトとされるが、彼は就職したかったができずにそうなってしまったから、自分の意志でそれになったという意味で大門未知子に近いのはハイドンだ。彼は33年間も宮仕えをし、雇用主が死んだのでしがらみを切ってフリーランスになった。58才のことだ。
そういえば大門を演じた米倉涼子
も27年間所属したオスカープロモーションを辞めて独立し、本当にフリーランスになった。45才の立派な挑戦だ(女性の年齢を書くのは失礼だが公表されてるので)。そして不肖わたくしも25年はサラリーマン、49才でフリーランスになって今に至る。お二人より給金生活が短いというのもちょっと意外だがそうなのだ。ハイドンは宮仕えの総額の10倍以上をフリーランスになってから稼いだが、僕はもっとはるかにそうだ。
米倉
さんも事務所に中抜きされないぶんそうなるだろう。プロ野球選手も球団に支配権があるから自由の身ではなく、FAかポスティングが認められるとフリーランスになる。我が広島カープでいうと丸選手はそれまでの10倍以上を巨人からもらってあっぱれだが、大谷翔平は100倍できかないことになりそうだ。以上のみなさんに共通するのは高い技術で何百万人の人を喜ばせる超一流のエンターテイナーだということである。
僕はというと、エンターテインどころかそもそもサービス業に向いてない。猫がお手をしないぐらい何もできない。投資機会を見つけてきて買いたい人はこの指とまれというだけだ。信用してくれる人が10人ぐらいいることがすべてで宣伝もしないし業務拡大もしない。「信用」。これは何かというと「東ならなんとかしてくれるだろう」ということに他ならない。いってみれば「期待」だ。僕は頂いた期待に背くことが本能的に嫌いである(プライド)。だから保証はしない代わりにそれを裏切らないことが仕事であって何ら苦痛でない。そんなに難しいことではない。例えば、現金1万円を預かって適当な食材を買って何かおいしい料理を作ってさしあげて期待を裏切らないことなら多くの人ができるだろう。同じことだ。問題はそれをしていくらもらえるかである。10人にそのサービスをして僕の収入を得るなら、その10人はどんな人だろうかということだ。富裕層ビジネスの本質はそれである。僕がフリーランスで稼げているということは、そういう需要が存在し、そうそうたる看板の大手金融機関がそれを満たせていないという証拠なのだ。そんな会社で何十年の歳月を送っても僕のしていることはできるようにならない。
お客様は15人が限度だ。それ以上は手が回らないからサービスが落ちる。すると肝心の信用も落ちるのでお断りする。従業員を増やすのも難しい(できる人はほぼいない。だから大手がダメなのだ)。知識も英語も必要だが東大を出ればいいというものではぜんぜんない。現状は慶応が多数派だがべつに学歴を見ているわけではない。結果論だ。それほど人がいないということは、参入も難しいのだ。なぜだろうか?簡単だ。この仕事で僕をひっくり返せる人はまずいない。これを断言でも公言でもできるからだ。そうやって生きてきた実績と古傷があるからそれを信用されている。論理的でしょ?ビジネスの修羅場の経験もないMBA、PhDを集めてきれいごと並べて自己リスクは取らないコンサル会社は何年たってもできないね。つまりオンリーワンなので収入も高い。これアンドロメダ星雲でも成り立つ宇宙の鉄則だよ。昨今の東大生の就職人気先はコンサルとファンドらしいが、ひょっとすると僕のスタイルでやる人が出るだろうか。出たら面白いから応援するよ。まあやるならフリーランスが絶対のおすすめだね。資本家に中抜きされて馬鹿らしいし、万事が自由である。コロナに強いのも利点かな。やりたい仕事だけやればいいなんて人生最高の贅沢じゃないか。僕はそれで退屈を満たしている。
もう8年も前のようだがこう宣言したのを覚えている。
自画自賛だが2013-14年あたりのブログが一番質が高いように思える。本当だった。まったくもってその通りに生きてきただけだ。
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メタバースとウサギ狩り(猫と人の場合)
2022 FEB 9 18:18:54 pm by 東 賢太郎
2年も家にいたもので、身体じゅうがばきばきだ。凝ってるなんてもんじゃない、固まってる。毎週マッサージに通うことにした。かかりつけのHさん(女性)が「思うんですけど、東さんお肌きれいですよね」ともちあげてくれた。「そう?オレ67だよ」「えー?」なんてお決まりの会話があってふと考える。これって「50」だったんだよなぁ。
帰りに腹がへった。13時半だ。ふらっとラーメン屋に入ると、いつも混んでるのに客がひとりもいない。カウンターに座ってそうかと思い、一番高いのを注文した。親父はいつもながら愛想がない。もう今日はあきらめて閉めるんだろう、無言で暖簾をおろしに外に出て、戻りがてら「どうぞ」と水をくれた。スープの塩梅がいい職人だ。「ごちそうさま」を言って出た。
家でこれを読む。面白い。國分功一郎氏はここで「退屈」を哲学している。「ウサギ狩りに出かける人を不幸にさせる方法がある。ウサギをあげることだ」。彼はウサギが欲しいのではない、狩りに夢中になって退屈から逃れたいのだ。ショーペンハウエルいわく退屈は人間の敵で、その恐怖から人は社交にいそしむ。社交はもともとしない僕は、だから、退屈してないか、しても怖くないかだと思っていた。ところがこの本によると持って生まれた能力を使わずにいくら衣食住が足りても退屈は退治できない。とすると、もう能力全開で生きてない僕は退屈男であって、ゆでガエル状態で慣れちまってるだけかもしれない。おかげで、じゃあ何かやってみるかという気になってきた。身体は落ちてるから運動はやめとこう。でも頭は大丈夫だ。落ちてないからでない、十分に落ちてるのでたぶんそれに気がつかないからだ。
いっときパニック障害になった。大変だった。それを考えないようにしないとまたなってしまう。恐ろしいから意識をそらそうと闇雲に走ってみたり、鏡を見たり、どうでもいい電話をしたりする。でも、一番いいのは仕事をすることだったのだ。それも一番、めんどうくさくて嫌なやつを。そっちに意識をやって懸命に何事もないように時間をやりすごす。なんだ、俺は人生の時計を早回しする為に生きてるのかなんてことになった。
猫はどうなんだろう。テレビ番組で「猫って鼻がいいんですね」なんて驚いてる。人の1万倍らしい。その嗅覚で獲物をみつけて追っかける。逃げ方を予測して最適な方向に最適な速さで加速する。カーンと打球音でぱっと足が出る外野手みたいだが人間は何千回も練習しないとできない。猫はすぐできる。こんなことができるAIはまだないらしい。そんな猫なのに、つかまえても食えないと知っている玩具にじゃれる。親からもらった能力を全開にする喜びに浸りたいからだろう。家猫はエサが出て楽だなんて言ってはいけない。ウサギ狩りの猫にウサギが出ているだけ。退屈なのだ。
いまメタバース空間について考えている。もちろん事業としてだ。事業は哲学だとつくづく思う。考える葦しか成功しないからだ。GAFAのオーナーもイーロン・マスクも成功要因は創造だ。そのことがいかに重大かって、マスク氏の個人資産はトヨタの時価総額より大きい。創造はオンリーワンである。だから成功する。それを聴覚なしでしたベートーベンは記憶から音を選んだ。選んだのは心の耳だ。耳は変わらないから記憶が多い年寄りの方がいい種目もあるだろう。そう考えることにした。2年は大きい。コロナは体は固くしたが頭の中の時空は柔らかくした。仮想三次元空間。インターネットの収束先は間違いなくそこだ。これは割と性に合う世界だがまだ頭に回路がない。ちんけな創造に終わるなら時間の無駄だ。でもそれが僕の全速力なら退屈はしのげるご利益はある。無駄なのに。なんだ、ウサギ狩りに出るんだ。
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石原慎太郎氏に思う
2022 FEB 7 10:10:35 am by 東 賢太郎
石原慎太郎氏のご冥福をお祈りし、心よりお悔やみを申し上げたい。同時に、とてもインパクトのある方だったから思うこともたくさんあった、それを書きたい。まず、氏は加山雄三と共に僕らの世代の「カッコよさ」を体現する湘南ボーイのはしりであり、弟と共にスターでありアイドルだった。僕は団地族の平民で中流のまた真ん中ぐらいの家の子なのでああいう金持ちのボン風情には猛烈な反感を覚え、芸能人の弟は興味なかったがインテリであるところの兄貴はというと、あの手には絶対負けねえぞというモチベーションの対象だった。つまり、ある意味でお世話になったのである。
右左はともかくあれだけの物言いで物議は醸しても某元総理と違って失言とされない人はなかった。さすが芥川賞作家だ。何も言えないつまらない世になってしまったからもはや最後の人なのだろう。94年ごろだったか「いま、我が国の政治家は私利私欲目あての輩ばかりになり下がった」というような趣旨のことを国会で言い放った。ドイツで新聞か何かで知ってこれは痛快と思い、おお、頭領になって二・二六事件でもおっぱじめるのかと期待したら議員を辞める口上だった。はあっ?リアリストである僕には意味不明。国際社会でもそうだ。おっさん、ナルシストで外人嫌いの純ドメ右翼なんだなあ、このノリで日本は国際連盟を脱退しちゃって大変なことになったんだけどなあと人間の勉強にはなった。
政治は政策以前に思想、信念の戦いの場でしょ、本来は。まあ階級と言ってもいい。イギリスが長いのでそう思うわけだ。昨今、なにやらヒトラー発言でもめていてそんな危険人物が現れたかと思ったら、イメージ悪いからヒトラーはやめろという下衆の争いだった。テレビ映え第一のおばはんとかわらない。思想、信念は何ですか?そもそも、あるの?というのばっかりだ。だから、やめとけばいいのに「国家観はありません」と堂々と公言しちゃって、それで米中に互角に相手してもらえると思ってるような、要は総理の椅子に座るだけが目的の人が出てくる。それを聞いても馬耳東風で取材源としか思ってない、頭が空のマスコミが支えるというチャラい構図ができている。石原発言から四半世紀たって、もう熟成の域である。医学は関心ないが成績が良いので医学部を受験しました、収入もいいですしなんて医者に誰が命を預けたいかと考えてみればいい。
こういう連中と比べては誠に失礼だが、石原氏の思想、信念は明確だった。日本は短期間に大国となった有色人種による奇跡の国だ、これを忘れたらいかん、米中のポチなどあり得んということだったと思料する。有色の所に本気度がちらついて良かった。まったく同感だ。しかし、言うだけでやらない奴より千倍もましだが、米国にNOを言ったり尖閣を買ったりすれば小説なら面白いが現実はそうなれるわけでもない。国家観もない総理がNOを言ってもハンバーガーしか出ないし、尖閣を攻撃する艦長の前に立ちはだかって登記簿を見せても撃ち殺されるだけだろう。勇ましい声を挙げられたのは企業が獅子奮迅の努力をして日本が世界一、二の経済成長を誇る大国だったからなのだ。しかし、もう「だった」なのである。
これを昭和の成功者ほど認めない。石原氏は国民の平和ボケと言ったが、それはエリートの言葉ではないと僕は思う。中国に抜かれたのは人口だけのせいではない、国家的戦略ミスと超凡庸でリスクを取らない企業経営者の責任であり、申しわけないがこれを言わなかったら彼もその一員だったと思われて仕方ない。早く爺さん達を引退させ、40代あたりのエリートが「軍も経済力もない国は恐るるに足らぬ」という “ファクト” から国家再建計画を練り直して民意を問わなくては益々国は後退する。そのために俺もやめるからお前らもやめろなら最後までアイドルでカッコよかった。いい人の評判が高い岸田総理には無理っぽいが、社会主義国の役人みたいなウルトラ凡庸な経済政策で国民の顔色など伺ってる場合ではない。経済がこのまま失速すれば何主義だろうが国民全員が不幸への道に嵌る。
石原氏はブルジョアだから少なくともそういう倹(つま)しいことは考えなかったのではという気がする。いま総理をやってもらえたらよかったかもしれない。
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米国外交の急展開
2022 JAN 26 22:22:53 pm by 東 賢太郎
アメリカが北京五輪をボイコットし大使館も撤収する決定にバイデンがサインしたらしい。ウクライナ出兵で景色が変わった。超タカ派のエマニュエル氏が駐日大使だ。岸田総理、林外相の正念場である。
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日本人の9割は反知性主義である
2022 JAN 24 14:14:24 pm by 東 賢太郎
2022年1月11日の
にいただいたコメントへのコメントをそのまま載せておく。
はじめまして。示唆に富んだコメントをありがとうございます。楽しく拝読いたしました。異論は大歓迎です。それでアウフヘーベンできますし、お互いに高められるのがいいですね。以下本稿の趣旨をご指摘の点へのコメントも含めてまとめておきます。
まず、日本語が繊細な人間の情感や行間からたちのぼる奥深い文学的表現において優位にある言語である点はまったく異論がございません。そうした語彙が豊かですし、余白の美なる概念は文学にもあって和歌や俳句では切り詰めた字数でこそ表せる広大な宇宙があることも感じてきております。それを情報密度の尺度で計って希薄と断じても無意味であり、見えない価値でもあり、日本語を母国語とする我々だけが手にする大きな果実ですね。
一方、本稿での関心事は美学ではなく、インテリジェンスです(定義は「他者の行動を喚起する情報」)。投票してもらう、商品を買ってもらうにはそれが必要で、その手段としてスピーチがあります。本稿での「スピーチ」(プレゼンでも結構)はそのようなものと定義し、したがって、インテリジェンスの無いスピーチは用を成しません。そこでリヨン大学による「スピーチの情報密度」というデータを引用し、スピーチの構成要素である情報、構成、速度、好感度などがどうインテリジェンス形成に関与しているかを分析します。「情報」を要素A、「その他」(補集合)を要素Bとします。説得に成功したスピーチのA、Bの比率は国民性、TPOに依存します(ここは東仮説です)。その分析のツールとしてINSEADのデータを引用しています。
まずTPOを以下のケースが代表する3つのパターンに分類します(スピーチは文書による情報伝達を含む)。
①【戦場からの報告】
A : B = 100 : 0です。カエサルは「来た、見た、勝った」と書き、秋山は(要約すれば)「聞いた」「行く」「試みる」「有利」と書いた。どちらもインテリジェンスとしてワークした(史実)ので成功。
②【X候補の政見放送】
内容空疎だがイケメンで好感度抜群。Xの当選確率はINSEADデータから国によって分散すると考えられ、 個々の国においてもインテリジェンスを生む最適なAB比は不明。
③【長嶋茂雄の引退スピーチ】
引退発表後に行われたので情報価値はなく、A : B = 0 : 100。 好感度がインテリジェンスとしてワークして「巨人軍は不滅」を売り込み、読売新聞、巨人軍の収入を増やしたので成功(②の特殊ケースであることに留意)。
①③が両極端で、その中間でほとんどのケースが属するのが②です。よって、長嶋になる自信のある人を除けば、②であって「Aが成否を決する」と考えるのが合理的ということになります。カエサルのケースではA を表記するのが何語であれ、語数3(Veni、vidi、vici)を最小値とした「言語」でしか伝達できません。また発信者、受信者ともに言語は脳内で処理されてAを形成し、そのプロセスを執り行うプラットホーム自体が言語によって作動します(「思考回路」と呼ぶ)。
脳内処理はcoding(符号化)で速度、正確度が増します(例・「この値をkと置く」など数学のロジック展開そのもの)。原理・理屈を忌避し(「反知性主義」と呼ぶ)、階層、合意、人間関係を重視する人が多い日本(INSEAD参照)では抽象概念は福沢諭吉らによる造語として初めてお目見えし、定着しました(経済、国家、民主主義等)。しかし、元々の概念がないわけですからcodeとしての機能は高くなく、「民主主義」と聞いた時の日本人の脳の反応速度と「デモクラシー」と聞いた時のフランス人のそれは国民平均値をとれば同じではないでしょう。また数学、物理、哲学の概念定義や論理展開は英独仏語で多少の差異はあっても(ご指摘の堅牢性など)、概念が明治時代まで存在しなかった日本語より優位にある(ノーベル賞学者ではなく一般の学生がそれを学びやすい言語である)ことは否定できないでしょう。したがって、一定時間内のスピーチの情報密度が日本語において低い理由はリヨン大学がサンプルにしたスピーチが抽象概念を多く扱うためであるかもしれず、秋山の戦場報告が(実際は暗号とチャンポンの電文ですが)簡素ながら効率的であるとの内藤様のご指摘は正鵠を得ております(対象が具象のみの場合の差は縮小する可能性はそこでは検証されていません)。但し、政治、ビジネスに限れば具象の比率は低減します。
したがって日本では選挙においてAばかり訴えても有権者の心には響かず、当選確率は上がらず(だからBで勝負する③型のタレント、キャスター候補を出す)、商品の機能的情報(スペック)が優秀でもそれだけでは物は売れません。反知性主義という思考回路の人たちのエンパイアにおいてはロジックを解いて答えが有意に導かれてもその価値をアプリシエートもシェアもされないからです。それよりCMでイケメンに売りたい商品名を3回連呼させた方がいいのです。そこで、それを奇貨として、声の大きい人、大きな力が後ろにある人が説明もせずに合理的な解を捻じ曲げることができ、そもそも議論しない反知性主義者はそれに反論もしません(「空気」の醸成)。彼らは空気で動きますが、知性がない人ばかりではありません。超高学歴で博識であっても、それを応用して物事の判断に活かせない人を僕はたくさん知っています。言語はその民族の脳が千年以上もかけて造ったものですから文化と一体です。Aを多くの抽象語彙(借り物で定義も理解もアバウト。例・シュミレーション)で構築することも、それを聞いて心から納得して行動に移すことも、ともに不如意である人が日本人には識字率の高さに比して非常に多く、自身に全く自覚はなくても理屈や議論を避けるという反知性主義的な行動をしている場合が多いのです。
知性ある人でもそう行動してしまう土壌は、Bが大きくものをいう場面があることで潜在意識の内に培養されています。長嶋茂雄の「永遠です」やキャンディーズの「普通の女の子」はたった一個の情報なのですが、それで読売新聞やレコードが売れたので立派なインテリジェンスだったことになります。これが日本の特異性です。伝達効率が低いのは言葉でくどくど伝達する必要性が欧米、中国より低い(むしろ嫌う)文化だったからであり、いらないものには名前をつけないので抽象語彙は少なく、必然的にそれを駆使する思考回路もできません。その代わり一個のイメージでおおまかではあるが情報は広く流布して国民的に容易に共感される利点があります。語数は節約してコンテンツが伝わることもあります。しかしこれは諸刃の剣で、議論はされずに空気でモノが決まってしまう。反知性主義は議論も反論も嫌いますから目の粗い思考回路から出てきた情報は画素数の少ない写真と同じで情報の密度が低く、ライオンを猫と見まがうようなとんでもない結論に飛んでしまうリスクがあります(これが先の戦争です)。ですからこの節約を「効率」というのは間違いです。
非常に需要な事ですが、我々はその母国語で思考しますから、ない要素は意識にものぼらない(紫外線、赤外線のように網膜に映らない)ということです。だから聴衆が日本人か欧米人かで僕はプレゼンの仕方を変えています。表面的には日本語か英語かなのですが、それだけではなく、ロックか演歌かの違いです。伝わらないと売れませんから当然のことです。海外から16年日本を観察しましたが、日本人の9割は反知性主義です(知性主義の補集合として)。これは明治時代からそうであり、教育の方法論を根底から変えない限り百年たっても変わらないでしょう(その一例が大学の文系入試は数学不要という意味不明の伝統で、反知性主義の代表例である毛沢東の文化大革命と変わりません)。9割の国民が選ぶ政治家も9割は「長嶋茂雄よりはるかに劣る③型」になり、秋山真之中佐のような①型議員はいても1割だからバカの大群に押し切られてしまいます。大本営のエリートも、いい大学や士官学校へ行って勉強はできたが思考回路は演歌型だったと僕は考えています。それで本稿のタイトルになりました。内藤様には釈迦に説法と存じますが、人間は教育が何より大事です。一説では回路は18才までに完成し、そこから変えるのは一から学ぶより困難だそうです。そう長くない先に暇になりますから、18才未満の子に自分の経験を伝える場があれば素敵だなあと思います。
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なぜ「平成は大没落の暗黒期」になったのか
2022 JAN 18 18:18:34 pm by 東 賢太郎
昨日、我が家では犬、山、赤色、雨など片っ端から「フランス語では?」で盛り上がった。スマホで答えは即わかる。家族で鍋をつつきながら遊べてしまうのだから便利な時代だが、子供時分にそんなことをしたら父は許さなかったろう。僕はというと真逆で、子供を勉強しろと叱った覚えがなく、遊びながら学べばいいという父親だ。自分も遊びたい子供の気持ちがたくさん残っている。その方が人生の長丁場では勉強はできるようになるからだ。さて、やってみると英語に化けたフランス語が多いことに気づく。日本語に例えれば大和言葉がドイツ語で漢語がフランス語と考えて良さそうだ。文化も言葉も大陸からやってきて、島国で入り混じる。その点では日英は似た者同士だね。こういうことは子供に教える。言われなくても自分の頭で考えるようになれよということだ。
ではなぜ日本の会議がシャンシャンなのかを考えてみよう。忖度のせいだけではない。なぜならボスの顔色を見ることにかけてはアメリカも同じであり忖度など可愛いものだ。それなのにシャンシャンなんてあり得ない。全会一致ともなれば誰しもが不正を疑う。つまりトップダウン型社会のボスは生殺与奪も握るから彼イエスマンが会議で見え見えに並んだりするが、しかし議論はする。しなくてはいけない。それは言語の違いと関係がある。彼らは相手が大統領でも子供でもyouはyouだ。言いにくいコンテンツはあっても、言葉使いに引っぱられて言いにくくなってしまうことはない。日本語ではそうはいかない。まずここから本稿を始めよう。
下っ端の課長だったころ、ロンドンの御前会議で満座でNOを言ったことがある。少々の物議はかもしたが、その刹那では英語だから気兼ねがなかった。「お前よく言ったな」と驚く手合いもいたが、余談になるが、「英語人」になるとはそういう精神構造の領域までバイリンガルになることである。そうでないとアイビーリーグのレベルの学校を卒業などできない。俗にいう「英語ペラペラ」は ”I♡New York” なんてTシャツを得意げに着そうな田舎のお兄ちゃんが発するチャラい英語のようなものを、無学な女がステキ!と惚れこんだペラペラな形容詞に他ならない。そういうのと同じだと思ってる人は驚いたのだ。
しかし、あのロンドン御前会議が日本語だったらどうだったろう。課長と副社長だ、日本人の常識として最大限の敬語にならざるを得ない。これが日本語の宿命であり、すべての日本人が着せられているストレートジャケット(拘束衣)だ。あえて時代劇風に書けばこんな感じになるだろう。
『副社長様にあらせられましては、この度のお達し、ご明察と拝聴たてまつった次第でございます。しかしながら、畏れ多くも、今回ばかりにおきましてはいささか問題があるのではなかろうかと愚考せざるを得ないところでございます』
心理的にこれに近い。敬語、謙譲語は「上下関係」の存在が前提だ。「下」の者が上意にNOを突きつければ、コンテンツに反論したつもりでも「上」の人格まで否定したニュアンスになり、周りが「分をわきまえろ」「不敬だ」などと騒ぐ。ノイズが混入するならそもそも「議論」ではないから、言語の制約で日本ではまともなディベートが成り立ちにくい。会社のためには反対と思っても「下」は口をつぐみ、物を考えなくなり、付和雷同の無責任社員が増え、そういう輩のほうが出世し、とどのつまりが無責任な社長が生まれる。
はっきり覚えているが僕はこう発言した。
I don’t think it works now.
6単語で終わりだ。これが口火となって、モノ申したかった英国人、スイス人、ドイツ人、フランス人幹部が入り乱れて侃々諤々の議論になった。望ましいことだった(ビジネススクールなら有効な反対動議でクラスを盛り上げたと評価される)。前稿で「情報量は、英語を1とした場合は日本語は0.6で非効率だ」と書いたが、この例ではおよそ10倍も非効率と思われる。それがビジネス現場の体感だ。戦場で上司にお世辞など言っておれば真っ先に戦死、無能だが愛い奴を上官が取り立てれば部隊ごと憤死だ。
日本は空気で物が決まる。日本語は元来が構造的に非効率なのに、議論に使うと「どっちが偉いんだ」とマウントしたいだけの馬鹿が非効率の上塗りをする。だから落し所を忖度する者だけが役員に選ばれて会議に呼ばれ「ぐちゃぐちゃ理屈を言うなよ」(森さん流だと「女性は話が長い」)と睨みが届く。大きな力による思考停止命令である。会議だけではない、僕は新人の時、お客さんに自分で調べて選んだ株を薦めると「ばかもの、何も考えるな!支店の銘柄をやればいいんだ!」と怒鳴られた。映画で観た帝国陸軍を思い出した。この空気に反駁するのは無理であり、支店の銘柄はいつもハズレなのだ。この時に大いに悩み、以下のことを思い出した。日米開戦の最終決定者は9人おり、天皇以外は官僚だった。民意の代表者は一人もいないのに国民の空気に反論を唱える余地はなかったとする(理が通らない)。思考停止して議論しなかったなら最高権力者の不作為であり、議論しなかった(ハンコを押してない)のだから責任がないなどという日本流のふわふわした理屈が世界で通るはずがなかった(このことは東京裁判の正義とはまた別個の問題である)。いつもハズレならお客様を裏切り、不幸にするのは僕なのだ。
310万人の死者を出した戦さはポツダム宣言の受諾で敗戦をもって終了し、行政権を放棄した日本は米国の信託統治下に置かれた。要するに、日本は米国の属国ですらなく、サンフランシスコ講和条約に調印するまで6年間も「国家」でなかったのである。僕が生まれた昭和30年はまだその余韻があったのだろう。物心ついて小学校にあがる頃になると、国家の負の屈辱を皮肉と笑いでかわす正の方向へのエネルギーが社会に生まれ、「この世でいちばん無責任といわれた男」の植木等がスーダラ節を明るく歌う。半世紀後の「物を考えない付和雷同の無責任社員」の大量発生を見事に予見していたわけだが、なぜか「テキトーなオヤジだな、こんなのが許されていいのか」と思っていたから右翼的なガキだったのかもしれない。
私見では日本はそれ以前にも2度外国に占領された。1度目は白村江敗戦後に唐によって、2度目は黒船騒動から日英通商航海条約調印まで問答無用に不平等条約を押しつけた英、米、仏、独、
露、蘭、伊など14カ国によってだ。インテリジェンスに長けた英がグラバーを長崎に送りこんで薩長にクーデターを仕掛けさせ、仏が支えた幕府を倒した。中露がタリバーンを支援してアフガニスタンを乗っ取ったのと同じだ。伊藤博文らはアヘン戦争で清を蹂躙した仮想敵国が実は裏の下手人だったという真相を隠蔽し、天皇を神格化した王政復古で新政権の正統性を謳った政権乗っ取り劇を演じた。その美称が「明治維新」であるが、第2の占領こそがその地盤であった。そして3度目が米のマッカーサー元帥を司令長官とする占領だ。日本を非武装化し、原爆への復讐を恐れて仕掛けた愚民化政策は奏功し、チャラい無責任野郎が恥ずかしげもなく跋扈する国になった。そのことは太田龍の著した「天皇破壊史」(成甲書房)が予言していた。同書はザビエルら宣教師の布教が鉄砲の火薬原料として不可欠であるチリ硝石との「抱き合わせ販売」であり、その結果として篭絡された九州の大名がキリシタンとなって日本人を奴隷として売っていた。それを知って激怒した秀吉が厳罰を科して禁教し、さらに警戒した家康はついに鎖国したと説いているが、鋭い原理的考察は説明力がある。明治維新においては英のロスチャイルド家が薩長に、仏の同家が幕府に武器供与とファイナンスを行い、お家芸である「ノーリスクのマーケットニュートラル(両建て)戦略」で倒幕したと看破しているが、それは僕自身がロンドン時代に担当していたNMロスチャイルドの幹部から聞いた話と符合する。伊藤博文らによる孝明天皇、皇太子睦仁親王の暗殺、天皇すり替えは国内では事実を封殺できたが韓国までは及ばず、伊藤を暗殺した安重根が天誅を下した理由の一つに「国賊」とそれを書き残している。
我が国が壊滅的な国土から世界第2位の経済大国に一気に駆け上った速度とマグニチュードは世界史上類がないが、その奇跡が「物を考えない付和雷同の無責任社員」の集団によってオーガニックに引き起こされたなら宇宙水準の奇跡であろう。そうではない。朝鮮特需のおかげである。昭和の末期まで特需による設備投資の残り火は尽きなかったが、平成の幕開けと同時に大失速した。日本の愚民化は進めつつも反共防波堤には育てたいと慈父のようだった米国がソ連の消滅でその必要がなくなり、自動車、半導体が目障りだとジャパン・バッシング(日本を叩け)に回ったからである。僕は1987年のダボス会議に出席したが、それはジャパン・パッシング(日本は猫またぎ)になり果てていて愕然としたのは記憶に新しい。そこから橋本龍太郎、中川昭一の不審死があり、小泉純一郎というポチが新自由主義を持ちこんでスイス同様に本邦金融を米の軍門に下し、リーマンでトドメを刺され、傷が浅かった中国に一気に抜かれた。平成という時代は我々の子孫に大没落の暗黒期と記憶されるだろう。
しかしそれを米国や中国のせいにするのはお門違いである。立ち止まった者は抜き去られる。愚民化はマッカーサーすら予期しなかったと思われる完成度に達してしまい、明治の国盗り物語の真相を国民に隠し、学校で取り上げもしないから若者が興味も持つはずもなく、ガンジーやリー・クアンユーのような卓越した政治家が出現する芽は慎重に摘まれている。米国大統領がスクール・カースト(米国の学校社会の序列)のジョック(ジャイアンに相当)なら、日本の総理や大臣はメッセンジャー(のび太=パシリ)か、せいぜいプリーザー(スネ夫=ジョックのコネをちらつかせプリーズと金をせびるタカリ屋)という所だ。僕は親類が関わった二・二六事件を調べているが、日本がそこまで落ちたのは先の大戦からではないというのが結論だ。いつからか?明治維新だ。司馬遼太郎ファンが大好きな時代から我が国は既にエージェントのポチども(日本人だ)に毒されており、邪悪を排除する昭和維新が可能と陸軍青年将校らが団結決起する前例と目されたのがそれだったと考える。
2年になるコロナ騒動で日本経済の周回遅れは霧の中で見えにくくなっているが、もう勝負はついてる。IT産業は完全に波に乗り遅れ、自動車、電子部品しか金の成る木がなくなった。トヨタとてEVが主流になる中での戦略は迷いが見える。半導体の下請け仕事と馬鹿にしていたファウンドリーはカネを積んで台湾から来ていただくという先見力のない有様である。GAFAの創業者、現CEOの学歴はGoogle(スタンフォード、コンピューターサイエンス)、Amazon(プリンストン、電気工学)、Facebook(ハーバード、コンピューターサイエンス)、Apple(オーバーン、工学)と、当然とはいえみな理系であり、テスラのイーロン・マスクもペンシルベニア大学の物理学だ。対して日本のIT経営者はみな文系である。エンジニアとしてトップダウンで新機軸を打ち出し世界のディファクト化するなどまず無理だ。学歴で決まるわけではないが、理系思考訓練してない者がそれで勝つというのは草野球のエースが大谷から三振を取ろうというようなものだ。そして、そうした諸々のあまりに当然の帰結として、書くのもアホらしいが、GAFAの合計株式時価総額は約770兆円と日本の上場企業全部の合計である750兆円を抜いた。平成時代は日本株の時価総額が米国を抜いて世界一という天国からスタートし、ずるずる地獄に落ちてついにここに至った。1989年末の日本の時価総額合計は611兆円で今とほぼ変わらないが米国はその間に12倍になっている。「平成時代は大没落の暗黒期」の意味は数字が残酷に語っている。
超がつくIT音痴で国際偏差値32ぐらいの日本の役所と政治家が「IT成長戦略」なんて、そんなものが出るのを待つならアラジンのランプを3Dマシーンで製作した方がいい。物を考えない付和雷同の無責任社員が出世した産業界からも出ようがない。その証拠に、世界がそう思ってるから株が上がらないのである。そこかしこに君臨する昭和のお爺ちゃんたちが恋々と権力にしがみつき、大事なことを忖度の強要と思考停止命令でシャンシャンと決めて軽いタッチで大間違いを犯し、いるだけで若者のやる気を削いで彼らの貴重な時間をクソみたいな会議で空費させている。国家・企業は国民・社員の安全・幸福こそが第一だが、政治家・経営者はいくら御託を並べても数字で評価されることは免れないのが世の掟である。日本国の通信簿はお示しの通りで弁解の余地もない。ここまで君臨してきた昭和のお爺ちゃんは平成の敗戦の責任を取って首を差し出すのが道理で、まだ続投ともなれば、もはや「はしたない」としか書きようがない。このままだと、生まれて株が下がり続け成功体験のない世代がそのままトップになる。それも危険なのだ。ここで少々の失敗は飲んでも成功体験を積ませるかどうかが国運を左右する。運転免許は80才で返上、政治家、経営者は70才で引退。若者が忖度で偉くなる国に明日はない。
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日本は「反知性主義」によって戦争に負けた
2022 JAN 11 18:18:05 pm by 東 賢太郎
今年でブログ執筆10年になる。やってみて知ったことが幾つかあるが、その最も重要と思うものの一つが英語と日本語の違いだ。本稿は未来の日本を背負う若者に読んでいただきたい。
ウォートンスクールでの課題や論文執筆、後の証券業務でのレポート作成など僕は英文をたくさん書いたが、その経験からすると、日本語は物事を説明するのには非効率な言語だと感じざるを得ない。娘とその議論をして教えてもらった下のデータは8言語でそれを比較したフランスのリヨン大学の研究チームによる「複数の言語におけるスピーチ情報密度の違い」(原題”A cross-language perspective on speech information rate”)で、単位時間内に伝達できる情報量は、英語を1とした場合は日本語は0.68である。
この結論に至るデータマイニングの是非は日本語を母国語とする立場から検証の余地があるかもしれないし、日本語には逆に情緒的な表現に適するメリットがあるので一概に優劣を論じるものではないが、僕はブログで情感を訴える気はなく何かの「説明」をしたいので 1 : 0.68 には重みを感じる。単位時間内のスピーチ語数が同じと仮定すれば同じことを伝えるのに日本語だと47%も余計な文字を使うことになるからだ。それはブログを日本語で書く感覚とも合致するし、日本のニュース番組とCNN、BBCのそれを比べた体感としてどなたも納得できるのではないか(ちなみにニュースの時間内語数も日本はとても少ない)。
このことはエリン・メイヤーINSEAD教授の以下の研究とも関係があろう。
1.における「ハイコンテクスト」とは言外の含みを読み取らないといけない、つまり「空気を読んで」判断し、京都の「ぶぶ漬けいかがどす」は「早く帰れ」という意味だよというコミュニケーションをする国という意味だ。2.ネガティブな事は間接的にほのめかし、4.上下関係をはっきりさせ、5.みんなで物事を決め、7.なあなあで収めたい、となる日本はそのための語彙が増え、物言いが長くなりそうだということは直観的にも感じられよう(言語別の語彙数は日本、中国が多く仏が少ないようだがデータの信憑性からここでは取り上げない)。
面白いのは3.説得である。独仏が「原理優先」、日中米が「応用優先」だ。理屈で納得しスペックで物が売れる独仏に対し、日中米はそれだけではいけない。独仏と米が対極にあるのは要注目で、「接待が効く」点において米は独仏よりも中に近い(先の大統領選を思い起こされたい)。仲良くなったり、所属階層の権威をちらつかせたり、誰誰の紹介ですと関係性を強調したりする必要があり、逆にそっちだけに注力して理の通らぬことを押しつけるのも可能になってしまう。
そのことを日本について述べると、大半の日本人は理屈を嫌う。原理に適った正しいことを主張すればするほど、論旨と1ミクロンも関係ない「でも人間それだけじゃないよね」という風がどこからともなく吹き始め、全員がオセロのように「だよね」「だよね」となって「原理主義」は「反論」によってではなく、「理屈が嫌い主義」によって制圧されてしまうのである。それを広い意味で「反知性主義」という。国会には顔つきからして「歩く反知性」のような議員が政党を問わず在籍しているが悪いとは思わない。彼らは国民のマジョリティーである「理屈が嫌い主義」の代表者で、民主主義がワークしている証しということではあるからだ。
しかし個人的な事を述懐するなら、小学生のころから「原理主義」で「空気」は読まず、「評価」はストレートに口に出し、「階層」は無頓着で「自分」で決めたく、「関係者(友達)」だからといって一概に信用はせず、「対立」は構わず「スケジュール」がきっちりなのは性に合わない子供だった僕は非差別少数民族であって競争上は不利であり、逆に欧米ではそうでもなかったことになる。自分はインテリだと主張する気も利益もないが、反知性主義者と合わないことだけは間違いない。「原理主義者」が「理屈が嫌い主義」の人と気が合うなら僕はチンパンジーとだって一緒に住むことができる。
それほどに自分を特徴づけたのは「原理主義」だったと知ったのがブログを10年書いたことによる第2の発見だった。僕はまず原理を理解しようとする。義務感や功利性によるのではないと思う。それがないと記憶を拒む働きすら頭にプリセットされているので生まれついた性格だろう。ロジカルな事柄は当然だが、そうではないこと、例えば「NFT」という言葉を覚えるかどうかという時にもそれが働く。だから「それ何の略?」と必ず尋ねる。するとその単語を使ったほとんどの人はそれを知らず、疑問に思ってもいないことを知る。僕の質問は non-fungible token の定義(原理)を正確に知ることも意味しており、それなしにエヌエフティーと音韻だけ覚えたふわふわな状態でその単語を使用するなど吐き気がするほど気持ちが悪い。
ところがそうした横文字は音韻だけで思考停止という人が日本にはとても多いのが現実の僕の観察である。simulationのことを高学歴の人でもシュミレーションと10分のスピーチで5回も連呼して平気だったりする。もっともらしい顔しているが実はなんにも考えてない。シュミレートなんて動詞が英語にないことはウチのシロでも 0.1 秒でわかるだろうに、12才から英語を習っているのに脳にそういう回路が存在しないのである。ということは、この人の言葉はすべからく定義が曖昧であり、もっと大事なことも抜け落ちているだろうなと考えることになる。彼のプレゼンに乗ることは100%ないし、ストレートに評価すれば「地アタマ悪いな」と判断するしかないのである。繰り返すが、いくら高学歴であってもだ。
ここで数学が登場する。数学=計算と思っておられる人はここからは時間の無駄となるからやめられた方がいい。
僕は昔から計算がへたで遅く、暗算はほぼできない。だから計算ばかりやらされる算数は嫌いだった。しかしそれは無料の電卓アプリがする作業である。受験数学程度ならハンディでないのはクイズ王がインテリとは限らないのと同様だ。例えば「集合論」は難しいが計算は要らない。「集合」が理解できないと物事の厳密な意味での「分類」ができず、「分類」ができない人は定義(原理)を正確に知ろうという頭の働きが生まれず、シミュレーションだろうがシュミレーションだろうが気にすらならない脳が完成するわけである。その人が仮にソロバン名人で暗算が常人の百万倍速かろうとも数学ができる保証はない。そういう人に「クイズ王がインテリとは限らない」と集合概念で物を言っても概ね意味がない(正確に事の重さが伝わらない)というのが僕の経験である。
「頭の働き」「気にすらならない脳」と書いた。強調するが、「うまく働く脳」「気にする脳」は自分で作れる。簡単だ。まず自分の脳が「働いてない」「気にしてない」という嫌なことに積極的に気づくことだ。次に「働かせ」「気にして」みて「なるほどこうか」と「腑に落ちる」”感じ” を体で覚えることだ。どうなれば腑に落ちたかは人による。だから「これだ!」という自分固有のシグナルを見つける。僕の場合、理解できないものは記憶回路に入らないので「記憶した」シグナルと同じものが出ることがわかっている。それは187という数字だとすれば「ひゃくはちじゅーなな」と音でリフレーンが聞こえる。新しい物事に出会うと「働いてない」「気にしてない」かもしれない。そうでないなら「腑に落ちた」リフレーンが聞こえるはずだと常に自分を疑って客観評価している。聞こえないならわかってない。だから覚えない。既述のように、ここまで回路化しているので僕は無意識に日々それをしている。
情報量は英語を1とした場合は日本語は0.68しかないことは銘記すべきだ。それが母国語である非効率は存在する。インテリジェンスを正確に伝える(そうでないならそもそもインテリジェンスではないのだが)なら、僕は英語を使いたい(そう思うインテリが多いから英語はビジネスの世界言語になったのだ)。
これを指摘されると、認めたくない多くの日本人は否認すべく次の2つの誤りを犯すだろう。
①「日本語は美しい」「情緒表現においては優れている」と論点変換する
②「英米人より47%多い努力で補えばいい」と非効率の上塗りを主張する
これが「でも人間それだけじゃないよね」に等しいことを賢明な読者は見抜くだろう。これで日本は戦争に負けたのである。
① 美しさ、表現力のコンテストではない
② 47%余分な努力をするうちに負けてしまう
で議論は2秒で終わる。
あるべき考え方はこうだ。まず気持ち的には認めたくない欠点を素直に認める(これがすべての前進の第一歩だ)。次に、抜本的打開策を第三者的な目線で考える。つまり、こうなる。
非効率は存在する。47%努力せずに埋める方法は何か。
先の戦争であれば、日本は「鬼畜米英」でも「月月火水木金金」でも「欲しがりません」でもなく、トップに立つエリートが「情報戦」を仕掛けるしかなかったと僕は考える。対米戦の話ではない。物量で圧倒的に勝る相手に情報戦まで主導され、原理(=言語)無視の反知性主義に陥っていた国に勝つ道理は100%なかったのであって、負ける戦なら蒋介石を奸計であろうと何であろうと情報戦で篭絡して彼の計略を打ち砕き日米開戦を回避すべきであったしその余地はあったという意味だ。彼に対抗できるエリートがいなかったのか、いたが「応用優先」「合意志向」のハイコンテクスト・コミュニケーションの国ではトップダウンが効かなかったのかは不明だ(統帥権を持つ大元帥であられた昭和天皇はできたのだが)。反知性の者に知性なきことを知れと言っても「でも人間それだけじゃないよね」の風が吹くというのが実相だったのではないかと思う。
今更ではあるが、敗戦を認め客観的に事実を知り、そこから日本が賢明に生きる道を学びとらずして失われた310万の尊い御霊に何の申し開きができるものか。
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アインシュタインの水槽
2022 JAN 7 0:00:57 am by 東 賢太郎
この写真の小さな点は約60億キロの彼方にある天体だ。冥王星あたりの距離から撮影した我らが地球の姿である。
撮影者はボイジャー1号、日にちは1990年2月14日(水)だ。もう生まれていた皆さん、このちっぽけな点の中で、その日はどこで何をしておられただろうか?
ボイジャーに僕の友人の丸山が乗っているとしよう。巨大な望遠鏡で拡大し、地球の僕を探している。「あっ、いたぞ、東の野郎ランチ食ってるぞ、え~と奴の腕時計は・・・正午だな」。しかし、その言葉が吐かれた同じ時刻に、僕はもう夕方の5時半で、ローリング・ストーンズの初来日公演を見るため東京ドームの席でビールを飲んでいるのだ。60億キロは光速で5時間半ほどかかるから、丸山には5時間半前の僕が見えている。
もっともっと遠くしてみよう。白鳥座のデネブまでは1400光年だ。デネブ星人が日本を見ると、ランチを食べてるのは聖徳太子だ。
もっともっと近くしてみよう。ウチのシロだ。
このシロは少し前のシロだ。撮影時点の僕から手が届くほど近くにいるけど、光速であっても僕の目に入るまでに時間はかかるからこの姿は少し前のものだ。
ということは、僕らに見えてるもの(ビジョン)はすべてが過去であり、録画したビデオの画像みたいなものだということになる。僕らはそれが現実(「同じ時刻」に起きていること)と思いこんで生きているがそうではない。ビジョンは画像であって、現実ではない。
きのう近所のロイホでひとり、黒黒ハンバーグランチを食べながらこれを考えていた。僕が正午発のロケットでボイジャー1号へ向かう。速さは光速の9割だ。その「画像」は午後5時半に丸山に届き僕の時計は零時をさしている。僕自身は6時7分に着いて丸山に会う。ところが、丸山の時計を見ると翌日の零時36分だ。これは「光速に近い速度で動いたので時計が遅れた」(time dilation)と説明される。浦島太郎になって僕は彼より年をとっていない。
(参考1)以上の数値はこのサイトで計算 ➡ http://相対性理論(時間の遅れ) – 高精度計算サイトhttps://keisan.casio.jp/exec/system/1161228694
(参考2)8世紀に成立した『丹後国風土記逸文』にある話が浦島太郎の物語の原型と解されている。「蓬山」で3年を過ごし、郷里に戻ると300年たっていた。蓬山とは昴七星(プレアデス星団)と畢星(ヒアデス星団)のことであった ➡ 浦島太郎 – Wikipediaより
これが特殊相対性理論であり(特殊相対性理論 – Wikipedia)、テンソル、ミンコフスキー空間、ローレンツ変換で解かれる。この叙述は数学と哲学が親類であることを思わせる。しかし、変換式は僕が「光速」で進むと時計の遅れは無限大であることを示しているのは気になる。
光速で進む物体はないという意味だ(分母ゼロはなし)。どうしてかって、誰も理由など知り様がないだろう。誰がそんなことを決めたんだろう?何のために?
おかしい。相対的なのだから丸山だって僕より年をとらないし、往復したらどうなるのか、どの書物を読んでも明解でない。アインシュタインの発想力と数学技法の高さはフランツ・リスト級の超絶技巧のピアニストが書いた曲を見るが如しで凡人の及ぶ域ではないぐらいはわかるが、真の名曲なのかどうかまでは僕の理解の範疇外だ。彼なくしてこの理論はなかったという意味で世紀の天才であることは疑うべくもなし。しかし、それはそれとして、どうして宇宙の真理が数学という論理言語だけで解けるのかという点がどうしても腑に落ちない。
光速度不変の原理、光速を超えるものはない、数学万能。この3つの大前提で式がきれいに解け、そこから
E=MC²
という究極の美しい式が現れる。名人の手品のように、それが導かれる姿自体が美しいが、数学万能は量子力学で崩れてきていると理解している。そっちの理屈では、僕と丸山では時刻(持ってる時計)が違う、デネブ星人ともシロとも違う。時刻は観察者の数だけ存在していて、象とネズミとセミの時間が違うように、人間同士も誰とも違う。それは光を当てて観測して初めてわかるんだよということだろうか。
もし地球が暗闇の星で、音だけで生きてるとしよう。音は光の88万倍も遅い。花火がぴかっと見えて、しばらくしてドン!と鳴る。同じ花火を目で認識してる人と耳で認識してる人でズレが出る。ということは、花火というモノは、観測者の認識の中だけにあるということだ。88万倍速く危険を察知した方が生き残れるので、原生生物は電磁波(光)をキャッチする器官(目)を持つようになり、長い進化を経て、やがて人間が日々のサイクルから時刻を意識しだし、時計(=時刻という概念)ができたのではないか。であれば人工物だ。
つまり、僕らが見ているすべてのビジョン(電磁波)は「うたかたの画像」であり、「相対的」(人と違う)であり、「脳内現象」である可能性がある。それを宇宙普遍の法則と見做して電磁波の一部である光の観測だけから真理を導けるものなのだろうか?創造者がそう設計、製作していて、その図面は数学で書かれていて(ニュートン、アインシュタインが解明した部分)、光速はリミットをつけないとイロイロ面倒なのでCDの非可聴域周波数カットみたいに適当に秒速30万キロに設定してそれ以上はカットし、そう設定すると宇宙は直径が930億光年の球体かもしれないがもっと大きいかもしれず、これが我々が入れられて熱帯魚のように泳いでいる「水槽」であって、その大きさは、熱帯魚の目からすればそこまでは電磁波で観測可能だということで決まっているに過ぎないのではないだろうか?
僕らのうたかたの世では「認識」できないものは「なかったことに」になる。デネブはひょっとしてもう爆発して存在しないかもしれないが少なくとも1400年前まではあった、それで充分だ。ボイジャー1号はすでに太陽圏を脱出して星間飛行に入り、交信できなくなる。観測できないものは認識できないし、あってもなくても明日の晩ご飯やGDPの増加率には何の関係もないから誰も気にかけない。そういう僕らを、水槽の外から絶えず創造者が観察している。
P.S.
本稿を20才で世を去った親友・丸山鉄男に贈る
(ご参考)
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