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ベートーベン 交響曲第2番ニ短調 作品36(その1)

2018 MAY 30 2:02:03 am by 東 賢太郎

先日のこと、会議室で電話をしていたら右目に「あいつ」がいるのに気づいた。いつもそうやって不意に現れる、黒っぽいぶよぶよしたものだ。視界の中をふわりふわり泳いで、目線を動かすとその方向に、まるで敏捷な魚がきびすをかえすようについてくる。

蠅ぐらいの大きさなのだが、飛蚊症というつつましい名前がついている。とんでもない、6年前に左目に初めて現れたときは巨大なゾウリムシに見えてぎょっとした。すぐ眼科に行ったが「老化ですね」でにべもなく、こういう会話になった。

「先生、治りますよね?」「いえ、残念ながらヨード剤を飲んで小さくなるかどうかです。どうしてもというなら眼球の手術が必要です」

そんなのは嫌だ。とすると一生治らない、逃げられませんと宣告されたようなもので、こう書く今もPCのスクリーン上を飛び跳ねてるし、寝ても覚めても消えることはない。ここからはその人の気の持ち方の問題になってくるのであって「一生つき合うしかないね」と笑いとばせる人もいれば、悪くするとうつ病になって自殺を考える人もいるかもしれない。

医者は「病気ではないから心配いりません」というが、悪化して失明することはないということだ。後者の人の問題は眼科的なことではない、邪魔者と終生暮らすことになる精神の鬱屈だ。病でないものを持病と呼ぶのは適当でなく、宿痾(しゅくあ)という、「痾」は治りにくい病のことでそれがべったりと宿ってしまう因縁めいた語感がその束縛には似合うと思う。嫌な奴に取り憑かれたものだが、確かにこれは老化でおよそ誰でも大なり小なりなるようだから気は楽だ。

もうひとつ暗い話で恐縮だが、パニック障害というものがある。これも私事になるが、僕は閉所で鼻づまりになると呼吸できない恐怖がおき、歩き回ったりじっとしていられなくなる。元プロ野球選手の長嶋一茂氏が経験談を出版されたが、僕も香港で危なくなった。それになったらどうしようと飛行機が怖くなり、どうしても乗る勇気がない。東京の会議に真剣に船で行こうと焦った。なんとか自己暗示をかけて飛んだが地獄の思いだった。そこから閉所が怖くなり、今もアイル席でないと乗れず床屋も歯医者も時にコンサートホールも危なくなった。

呼吸できないとなって一度もできなかったことはない。フェイクの恐怖なのだがしかし本当に恐ろしい。周囲も驚かせてしまうからそれも恐怖をそそる。長嶋氏は医師のいう事を聞いたようだが、僕の場合診療中に女医さんの質問にぶち切れて退出してしまったからアウトだった。そこまでおかしかった。以来これにいつ襲われるかわからないというのがまた別の恐怖であって、常時なんとか忘れるしかない。何かに夢中になって、宿痾から気をそらす努力が必要となった。

長嶋氏は「以前から憧れていた極真空手に傾倒した。楽しいことに夢中になって気を紛らわせる。それがパニック障害克服の鍵のひとつだと気づくのは、かなり後だった」と書かれているが、僕の場合はそれにあたるのが2010年の起業だった。楽しいどころかものすごく大変だったが、大変だから忘れられるのだから大変な方がありがたい。苦労を喜ぶという妙なことになってしまい、そんな倒錯した人生を生きてどうするんだと悩んだ。

それを解決してくれたのはずいぶん飲んだ安定剤ではなく、ベートーベンだった。3番と2番の交響曲だ。他のどれも聴く気すらしなかったのにこの2曲だけが、すぐに効いたわけではないがじんわりと心に浸透し、しまいには曲に没入し、とうとう何に悩んでいたのかわからなくなってしまった。3番と2番は作曲家が耳疾の進行におののきハイリゲンシュタットの遺書をしたためた時期の作品だが、そういう意識で触れた訳ではない。たまたま聴いて、何か作品の波長がこちらの心の波動にうまく寄り添ってくれる感じがあったのかもしれない。

ベートーベン(以下、Ludwig van Beethovenを略して ”LvB” と書く)は20代後半あたりから耳疾という宿痾と戦った。音楽家にとって致命的であり、他の事に夢中になって気を紛らわせて済むような生易しいものではなかった。しかし、冷静に考えれば、彼は聴こえなくてもあれだけの音楽を書くことができた。書けないから悩んだ形跡はない。むしろ聞こえないことでどうせみんな俺が変だと思ってるんだろうと、社交ができなくなる悩みを遺書に綴っている。しかし、ここも冷静に資料を読み込むと、周囲は難聴には理解もあり優しかったという印象がある。

LvBは難聴が進む恐怖によって重度のパニック障害に陥っていて、そのためにピアノの周りをぐるぐる歩き回ったり奇矯に見えるパニック行動をして周囲を驚かせてしまった。その周囲のリアクションが彼にショックを与え、聞こえないせいだと思い込み遺書の悩みの告白に至ったのではないかと思う。そういう理由から彼が大家に追い出され、ウィーンで20回以上も引っ越し、奇妙な行動をすると各所に書かれ、好きな女はたくさんいたが結婚はできなかった、そういう事実が仮にあったとしても、僕はそれをいとも自然に受け入れることができる。むしろ、そりゃそうでしょ、と。

難聴は周囲に既知だったがパニック障害という病気は当時は誰も知らない。だから周囲はそれを天才の天才たるゆえんの破天荒な性格として記録した。そしてそのイメージをもとに尾ひれがついてこの音楽の教科書でおなじみのLvBの肖像画が偶像化していったのではないかと想像している。

 

(つづきはこちら)

ベートーベン 交響曲第2番ニ短調 作品36(その2)

 

 

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