いまでも夢に現れる東大受験のトラウマ
2021 DEC 30 1:01:04 am by 東 賢太郎
毎年この時期に思い出すのは背水の陣で迎えた昭和50年の正月だ。以前に書いたが私立はぜんぶ現役で受かったが浪人を決め、2度目は自信があって東大文Ⅰしか受けなかった。そうしたら落ちてオートマチックにまた浪人という間抜けな顛末だ。お屠蘇気分はかけらもなし。もちろん家族で新年を祝ったが、3月7,8日の東大の2次試験に向けてどう追い込むかで頭はいっぱいだった。のちに何件か家庭教師をさせてもらったが、決まって「1日何時間勉強しましたか」とご両親にきかれた。いつも「24時間です」と答えた。風呂でもトイレでも英単語を覚えてましたし、寝ていても頭は数学を解いてましたよと。それ本当なのだ。
先日、夢を見た。なぜか2年で東大を中退しており、また受験する羽目になっている。文Ⅰは自信ないので回避。六法全書は捨てるのか、なぜ辞めたんだ、おまえ馬鹿じゃないかと激しく後悔している。模試を受ける。数学がさっぱりできない。時間ないぞと焦る。試験当日、本郷の校内で迷子になってあと15分で試験が始まる。歩いてきた女性に場所を聞くと「こっちです、ついてきて」と走り出した。よかった!ところが彼女は短距離ランナーみたいに足が速く、エスカレーターを一気に駆け上っていく。ふーふーいって登りきると、そこはなんとデパートの売り場なのだ???
ここで目が覚めた。
似たようなのはウォートンの2年めの期末試験というバージョンもあり、これも何度か見て冷や汗をかいて夜中に起きてしまう。こっちも恐ろしかった。論述する量が半端でなく、下手な英語で死に物狂いで答案を書きまくるが、それでも時間切れで終わってしまうのである。ひとつでも落とせばMBAはアウトだ、まずいと思って目が覚める。仕事もきつかったがこういう夢は見たことがないから、あんなのは受験の比ではないのだろう、やっぱり東大とウォートンは入るのも出るのもめちゃくちゃ難しい学校だったということになる。
テレビでよく「何々大学は偏差値70だから難関だ」というがそれは「その大学を志望する集団の中」での話だ。東大の2次試験の倍率は2倍ぐらいだったし、昨今話題のニューヨークの司法試験も合格率63%だから簡単だという結論にはならない。「志望する集団」の平均学力があればまず受かるというだけで、そのレベル以下なら何度受けてもしっかり落ちる。卒業も同じことで、仮に何らかの推薦で入学できても同級生の水準になければ仲間うちで偏差値30の存在になってしまい、あとで思い出したくない何年かになるだろう。
多感な10代、どんな集団でどんな気分で毎日過ごすかは人生をけっこう決める。学校というのは身の丈に合うのが良くて、ちなみに野球命だった僕はたまたま試合に出られる高校に入ったのが幸運だった。それまで何事も偏差値40の子だったのが試合に出してもらえて世界が変わった。体が小さく、もし野球偏差値の高い学校を選んだらきっと40のままだったろう。野球で成功したわけではないが、抜擢されたというだけで勇気千人力であり、俺もやれると自信がついて、3年生になって遅れていた勉強もやれば絶対にできるという気になった。若い時はその気になれば怖いものはない。
夢は大事なことを教えてくれる。「おまえ勉強できないんだよ、だって試験たくさん落ちてるし最後もひやひやだったじゃないか」と言ってる。まさにそうなのだ。たまたま学歴は立派になったが、今でもアタマは良くないと思ってるから仕事の要所で手を抜かず、受験の時のように24時間考えぬいて慎重に進めてきた。それだけだ。受験生の皆さん、コロナで入試はいろいろ心配事もあろうが、結果はどうあれ学校は偏差値で決めるもんじゃない。どこであれ「そこで何をするか」さえしっかり見据えていれば、そこはあなたにとって良い学校だ。
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MMTの神話は本当か
2021 DEC 26 18:18:53 pm by 東 賢太郎
西 牟呂雄氏の
にコメントしたい。
MMTの神話は本当か
推進するしないの二択がそもそも間違い。事務次官の記事は読んでないし興味もないが簡単に書いておく。MMTは徴税権担保に日銀が信用創造すれば景気刺激でき財政破綻もせず、ハイパーインフレは回避できるとする説だ。金融資産は金融機関の負債で増やすほど景気は良くなるが胴元は日銀だ。日銀は国と一体(それが前提条件)だから円は下がらない。だからプライマリーバランス(財政健全化)は不要というものだ。
一見もっともらしいがケインジアンに国の信用保証を付けるだけの小理屈。民需が連れションして制御きかないインフレになって金融ド素人の政治家に火消しできるか?国の負債は景気対策だ、日銀が財布だ、ならば国会議員と役人は年俸1億円でいいだろうにならんか?できないから歴史の知恵で財政、金融を分離してきたのだ。いまどきウザい三権分立やめようぜの流れに近い。唯一賛同できるのは、財政健全化はデフレ下では経済の首を絞めるだけで意味がなく、インフレまでの貯金と見て積極財政やれよ、岸田君なにビビってんの?というぐらいだ。
役人も学者も税金は空から降ってくる世界の住人。自分で稼いだことないから何もわかってない。財政健全化なんかより大事なことが世の中にはあるのだよ。稼げる者はそんな連中に意味のない税金を払わされる国にいる必要はない。企業ごと逃げる。シーメンス、アムジェンの本社は法人税8%のスイスのツーク州だ。こうやって徴税権の担保価値が落ちて日銀の信用も落ちる。金利をちょろちょろいじくってなんて話でないのだ。MMTは貨幣価値の根源を納税手段として国が認めることに置く。暗号通貨で受け取る国が出てくるぜそのうち間違いなく。
GAFAの資金調達力は日本の国家予算の3~5倍はありそうだ。IT企業の本社なんてもっとどこでもいい。だからG7は焦って最低法人税率15%カルテルとかデジタル税で羊の囲い込みに必死になってるが、羊の方がIQは高いし腕力も強くなりつつある(日本にもIT企業はある?ないよ、経営者はぜんぶ文科系だからね)。魅力ない国は弱い羊だけ残って税収が枯渇、国債のGDP比が増えるから通貨の下げは止めようがなく、食品、輸入原材料、電力のコストが上がってますます羊が逃げる。残ったうるさい羊からエサが高い、足りないと文句が出てその対処に10万円バラまくのが政治の仕事になり、そういう低能の政治家ばかりになって益々弱くなる。為替レートのない暗号通貨こそキーなのだがそこはあまり教えたくない。
アメリカの核、移民、中国の覇権は、やばければ小生は家族連れて安心安全な国に逃げる。日本は大好きだが旅行で来ればいいからね、そう考える日本の金持ちは増えている。無責任なようだが税金はたくさん払って国民の義務は果たしたから食い逃げではない。
皇統は維持できるか
これについては、先の大戦で亡くなられた方々への日本人としての当然の思念が根底にある。そこで、納税者として昨今の動静にひとつだけ疑問がある。天皇陛下に学歴が必要なのか?天皇にあるべきは国と国民の安寧を祈り包み込むお心、ご品格ではなかろうか。こればかりは一般人が努力してもどうしようもない、そう国民が感じて日本人としての誇りを持ち、安心し、敬愛し、そのことによって象徴としていただかれる存在だろう。それで必要十分であるし、なければ象徴にはなりにくいだろう。皇室が憲法(基本的人権)を持ち出すのは憲法学者がどう言おうが違和感がある。ご存じかどうか東大は官僚という行政官を作る所で帝王学を教える学校ではなく、学習院こそその歴史があり教育ができる立派な学校であると思う。
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ローマ人はどこへ消えたんだろう?
2021 DEC 20 23:23:42 pm by 東 賢太郎
パルテノン神殿の廃墟に立って、こう思った人は多いだろう。
アテナイ人はどこへ消えたんだろう?
これは人類普遍の謎といっていいかもしれない。ひとパーツ10トンある石材を14メートルの高さまで持ちあげなくてはいけない。石材の総重量は2万2千トンだ。「クレーンは使うな」という条件で建てられる建設会社はたぶんないだろう。でも2,400年前には存在したのだ。では、彼らは今どこにいるんだろう。
ローマではパンテオンを見て、その倍ぐらいの衝撃を受けた。
円筒形に半球が乗った不思議な建物である。こちらも、総重量4,535トンの石材を43.3メートルの高さまで組み上げている。2,000年も前に!
驚くのは建築技術だけではない。ローマの都市建設の全般に言えることだが、幾何と物理の知識、斬新かつ合理的な着想、雄大なスケール、洗練された審美眼のどれもが現代においても一級品。その粋を結集した建造物がパンテオンだ。
球体がすっぽり収まる。高さ43メートルの鉄筋のない球形コンクリート建造物として現在でも世界最大である。
壁は円筒部の厚さが6.4メートルあり、半球上部に行くに従って組成する石材を図のように軽めに変え、厚さを1.2メートルまで漸減させ総重量をおさえつつ頂上に至って重量ゼロのオクルス(目)と呼ぶ直径9メートルの穴になる。
半球部の正方形のくぼみには重量を軽くする目的があるが、上に行くほど小さくして実際より高く見せている。数列的秩序、無駄のなさ、錯視、そして美。
イタリアはその後何度も仕事で行ったが、パンテオンを見てしまうとどの都市へ行ってもあれから2,000年たったローマだという感覚が持てない。英国の元首相チャーチルが「俺達こそローマ人の末裔だ」と言ったらしいがそうも思えない。
ローマ人の消失。人類普遍の謎は、ひょんなことで解けた。つい先日、「宇宙人は地球にいる、あなたの隣りに」という記事を読んだ時のひらめきだ。
ローマ人はどこへも消えていない。全人類が2,000年かけて、ローマ人もろとも「劣化」したのである。
現代人は誰もが「自分は古代人より進化している」と信じている。そうではない。進化したのは「道具」である。
レオナルド・ダ・ヴィンチ級の人間が2,000~6,000年前のギリシャ、ローマにはごろごろいたかもしれない。そこから人類は徐々に劣化を始め、質実剛健なオリュンピア大祭が金儲けのオリンピック祭りになってしまった。まるで「猿の惑星」のラストシーンだ。
モーツァルトのジュピターを聴いて我々は「このような作品はもう誰も書けないだろう」と感嘆する。そりゃそうだ。現代人はパンテオンを造れない、その音楽版だからである。
(参考図書)
コンコルド、アポロがなくなることは一元的に知能劣化では語れないが視点として面白い本だ。以下私見だ。「食うか食われるか」の狩猟採取民時代は強く賢い男がいないと部族が滅びる。だからハーレムができその遺伝子が拡散する(ソロモン王は妻700人側室300人。漢民族の男系男子継承は名残り)。四大文明が揃うBC5千年ごろから「食われずに食える」農耕定住型となりハーレムは終わる(狩猟採取型遺伝子が希薄化)。狩猟採取型が農耕定住型を支配する時代が19世紀(絶対王政)まで続いたが科学の進化で終焉し、20世紀には道具が人間支配を始める(便利の代償で知性喪失)。そして21世紀半ばにシンギュラリティに至る(道具の人類支配完成)。
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えっ「書き換え」?それって「改竄」でしょ
2021 DEC 16 18:18:47 pm by 東 賢太郎
三菱自工、三菱電機、日立金属、神戸製鋼所、日産自動車、SUBARU・・・
「データ改竄(かいざん)」で思い出す企業名だ。まだあった気がするが、どれも立派な企業ゆえにかえって記憶に残るのは皮肉だ。ググるとこのリストが出てきた。汚名は永遠に消えない。
http://www.directforce.org/DF2013/02_DF_katsudo/governance/pdf/DFKG-14-B-01.pdf
何が驚くって、ご覧の通り、ほとんどが「内部告発」でウソがばれていることだ。告発が意外なのではない、経営陣が「ばれないだろう」と思っていた事が驚きなのだ。いまどき社員だれでもスマホや家のパソコンで発信できる。「命令だから従うだろう、長くやってきたことだし、社員なんだから・・・」。いくら昭和世代のお爺ちゃんでもズレすぎだろう。そんな旧石器時代の経営してて大丈夫なんだろうかと心から心配するが、その程度で済むのは僕が株主でないからだ。何百億円も広告宣伝費を払ってきてこれ一発でパア?冗談よし子さんだぜ、役員全員クビ、代表訴訟で損害賠償でもやったるかって軽いタッチでなっていくよ。総会屋より怖いが誰も止められません。他人同士が自然に横で繋がるネット時代の株主はね。
僕は人種的に数字、理屈のピューリタンだ。それに反することは一切やらないし、反する人にも行為にも厳しい。お読みいただいているブログもすべてその精神が書いている。ちなみに数学は満点でないとおかしいと思ってる(∵ 解ける ”はず” だから)。「世の中理屈じゃない」はウソだ。「そういう部分もある」が正しく「それ以外は理屈」なのである。やるかやらないか判断する材料に「人」と「数字」とがあって「どっちかが間違いです」といわれれば数字を選ぶ。人はウソをつくが、数字はいったん数字になってしまえばウソはつかないからだ。その数字を「データ」と呼ぶのである。
従って、データを改竄して論文や調査レポートを書いたり、製品を売ったりするのは僕にとって「数字」の冒涜であり、数字で判断する人間の人生を危うくする犯罪である。だから2014年にSTAP細胞事件を糾弾するブログを冷徹に書いた。何万人があっという間に読んだ。今年5月ごろデルタ株感染者数の “忖度予測” を五輪を強行したい政府に売ったいい加減極まりないリサーチ会社も実名で冷徹に批判した。世のためでも売名でも商売でもない(そのどれも僕の人生の重大命題に入ってない)。自分や家族の人生や健康に害が及ぶリスクがあるから「自助」したまでだ。
「数字で判断する人間」だって?そんなのほとんどいないぞと思われるだろう。それは「世の中理屈じゃない」が憲法第1条みたいな日本だからだ。僕は海外で数字、理屈だけで仕事した。うまくいった。金も儲かった。なぜか?数字、理屈が通るからだ。99%がそう思ってない日本はもっと楽ちんに稼げる。ということはやがて、理屈の帰結として間違いなく、日本は外国の食い物になる(もうなってるが)。その流れの中で、親米やら嫌中やらエモーションだけで動く「数字で判断しない99%」はかわいそうだが間違いなく奴隷の道になる。それを救う力は僕にはない。だから家族だけはそうならないようにする。
知る人はみな僕を「理系アタマだ」という。コチコチという意味だろう。そうじゃない。「数字、理屈のピューリタン」アタマなのだ。固い、頑固だという人達には「マルティン・ルターは立派な人ですね、ところで彼は理系ですか?」ときこう。2014年にこういうブログを書いたのが懐かしい。
ここから2つ引用する。
我が国は数学ができないがそれに疑問も抱いていない男性に満ちあふれている
理系・文系のくだらん区分けでこの事態を放置してきた文科省に重大な責任がある。保証するが、世界はそんな男で満ちあふれてはいない。日本を外国の食い物にし国民を奴隷にする国賊ものの教育政策である。
小保方さんの行為は倫理観以前に「数学千本ノック」をしっかりと受けた人の思考回路が許容するものとはどうしても考えられないのである
STAP細胞のニュースが出た当初、ノックを千本でなく三本も受けてない総理、文科大臣が軽いタッチで「女性の時代だ」「ノーベル賞ものだ」と恥ずかしく騒いでいたのが記憶に新しい。初めから「何かおかしい」と気づいたのは数字、理屈のピューリタンだけだった。同じ言葉を「建設工事受注動態統計」を改竄した国交省の役人に贈りたい。読者にはお耳ぐるしいとは思うが事実だから書く。東大は文系でも「数学千本ノック」をしないと入れない。だから役人の思考回路が「数字の冒涜」を許容したとは俄かには信じ難い。とすると「倫理観以前に」ではなく「倫理観の問題そのものでしたね」になるが、そうなら大臣がクビどころか役所ごと潰さなくてはいけない。「何百億円も広告宣伝費を払って一発でパア」は企業でも許されない。二千六百年も積み重ねてきた国家の信用が「故意にウソをつく役所」のせいでパアなんていう事態を許す国民はいない。
こういうことは首相や大臣が「遺憾」に思っても、それに「大変」がついても片づかない。税金にたかってばれた議員が「返金します」「寄付します」では済まないのである(万引きした商品を返せば無罪になるか?)。「二度とこのようなことが・・」って、一度でもあったらアウトだ。なぜって、議員や役人に変な人はいないと信用して国民は税金を払っている。「昨日は変でしたが今日はまともです」なんてのが通用すると思ってるだけで変な人だ。信用に払ってるのだからそれが消えれば税金は払えないねとなっていく。
落語のパロディーで「お爺さんとお婆さんが助けた白い鳥が恩返しに来たと思ったら、機を織るのではなく、家財道具を持って逃げてしまいました。鶴だと思ったらサギだったんですね」ってのがあったが、経産省キャリア官僚が給付金詐欺で逮捕なんて事件が本当にあった。善人のお爺さんお婆さん、がっかりしただろうね、でももう白い鳥は助けないだろうね。
(こちらもどうぞ)
(こちらが「何万人があっという間に読んだブログ」だ)(原文ママ)
「ワタシ、失敗しないので」と思ってる「大きな力」が「学歴・業績でっちあげ作戦」に失敗したケーススタディである。こういうのを野放しにしておくと国が腐る。マスコミもご覧の通り国交省の「改竄」を「書き換え」なんて改竄しちゃう腰抜けであり、野放しに加担するのみである。ネットが駆逐するべきだろう。
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田園調布駅を出るとこんなものが
2021 DEC 11 15:15:51 pm by 東 賢太郎
「医者の不養生」や「紺屋の白袴」はあっても金融屋が借金だらけでカネがありませんなんてのはシャレにもならない。そこの社員だって「人生おカネじゃないですよね」なんてポリコレ発言して慎ましく見せようなんて奴は勘違いか詐欺師か負け犬のどれかであって、そういう相手にフトコロ事情を明かしてお金の相談をしてみようなんて人はまずいない。「私はそこそこいただいてます」と堂々としている方がお客さんも頼りにしてくれるのだ。
昔から金融はそもそも世間体が良くて平均年収が高いということになっているから学生に人気の業界であって、つまり面接で綺麗ごとは並べるが概ね見栄とカネが就職の主たる動機である。ガリ勉、口だけ達者という技で薄っぺらいプライドを死守し、教養はほぼなくて計算高くてズルくてチャラい。見栄だけなら霞が関へ行った方がいいが国家、公益にこだわりもない。ということは必然として「最後はカネだよね」が本音になる人間が主たる業界なのである。
そういった輩は学校のクラスで最も疎遠な部類であるが、どういうわけか小中高大ともあまりいなかった。だから社会に出て金融村に入ってしまい、とんでもない所に来たと思った。そこで仕方なく「最後はカネだよね」で生きてきたが、思えばそれはゲームだったようだ。雀卓を囲んで「人生点棒だけじゃない」なんてのはない、それだけ。参加はしてきたが、今やつきあいはおろか住人と見られたくもない。極めて少数だが、そういう僕の本質を知ってるよと言って下さる方がおり、最高の賛辞だとありがたく思う。行く末は誰も知らない田舎か外国に移住して、何をしてたのかわからない人になってしまいたい。
そうこうしていたら1,2か月前ぐらいだったか、某社から会長をやってくれという話を頂いた。「知識がない業界なのでお役に立たないだろう」とはっきり申し上げてきたが、どうしてもということである。そこで考えた。その仕事も金融だが、真逆の「人生おカネじゃない」でいってみようか。子供の頃「嫌なほう」を選んで行けと親父に言われてここまで来たし、若者と仕事する機会はそうはない。学ぶことがあるだろうし僕から学んで成功してくれてもうれしい。そうした喜びをいただく代わりに会社を儲かるようにしてお金は彼らにぜんぶあげよう。そう決心した。
そこで「条件」をひとつだけ飲んでもらって会長職の契約書にサインした。それは「無給で」ということだ。
感覚は勤労奉仕だ。しかし、事業会社だから責任はある。NPOの理事長のお話をいただいた時のことも思い出した。立派な公益法人であり勤められている方々には頭が下がるしかなかったが、それはお断りした。理由は「向いてないから」だ。そんなことはない、公益法人だってお金がいる、だから民間企業の経営者にと買っていただけたのは光栄だが、自分の性格は自分が知っている。どんないい給料が出たとしても事業とはゲームの種類が違うのでモチベーションがもたないだろうとわかっている。そうなるとご迷惑をかける。そこは本当に「おカネではない」。事業をされたことのない側の人にはわかりにくいことと思う。
つまり、「公益を掲げる仕事」と「事業」は違うのだ。たとえば雇用調整助成金を石原伸晃氏の事務所がもらっていたと話題になっているが、このお金はコロナで困窮した事業者のためものだ。もらっても合法的だというなら「政治も事業である」という初耳の事態という意味になる。それでも公益のために良い政治をしてくれれば僕は結構だ。政治家の評価は選挙しかないが、彼は比例代表ですら引っかからない程度の評価だ。それが事業でもあるというなら、我々事業家はそういう目で冷徹に評価するよということになるだろう。
するとどうか。事業をナメてもらっちゃあ困る。たかが60万円でこの騒ぎになるリスクを取るなど世界に類を見ないへっぽこ経営者であり、パンツを税金で買って失職するぐらいみっともない。もし金融なら間違いなく、すでに即死していた人と断言せざるを得ない。したがって、そんな腕前で生き残ろうとするなら「大きな力」に頼るしかない。「政治も事業」なんて言い出すのが彼だけならこれで終わりだが、もし今後の趨勢なんてことになるなら同じ二世三世の超無能な小物がますます裏口入学みたいなことに精を出してファミリーで生き残ろうともがき、やがて日本は世界基準で猛烈に馬鹿な五世、十世の支配する国になろう。
きのう初めての会長面談ということで、社員全員、二日かけてひとりひとりとお話をして東横線で帰ってきた。田園調布駅を出ると、こんなものが。
長嶋さん、おめでとうございます。ご自分の腕一本で勝ち取られた勲章、本当に素晴らしいです。あちらこちらでクソみたいな奴が跋扈して腐臭ただよう話題を撒き散らす今日このごろ、とてもすがすがしく思います。
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「航海派」の男が減れば国は衰退する
2021 NOV 23 11:11:10 am by 東 賢太郎
いま仕事の不安は何もないのに、森嶌医師の診断によると疲れている。それも体でなく頭(脳)がである。脳は疲れないと教わっていたが先生によるといま直接の害はないが過労状態を放っておくと老化が進むらしい。ということは認知症になるということで、それは恐ろしい。先生が免許を持つドイツ製の診断装置バイオレゾナンスはそこまで数値で出てしまう。ちなみに3年前は「自律神経、免疫のバランスが悪化」と出たら、ちゃんと人生初のインフルエンザにかかった。彼の指示で今回はハーバード大学の作った薬を2週間ごとに3回点滴することにあいなった。
どうして疲れてるかという問いには思いあたることがある。自分の会社を持てば社会的にはフリーランスである。法律を順守して儲かってさえいれば何も怖いものがないし、誰にも何にも気を使うことがないからサラリーマン時代のようなストレスもない。僕が儲かるということは同じものに投資していただいているお客さんもであり、宣伝や営業トークやおべっかも無用である。しかし、世の中はうまくできている。その自由の代償は疲労なのだ。何をしてもいいよという究極の自由は、会社や社員の一刻一刻の命運が自分に100%かかっているということであり、知らぬまに「重いものを背負った男」になってしまっている。週末でも休日でも風呂でぼ~っとしている時でもその重荷は頭のどこかにのしかかって、結果、疲れているのだろう。
それは頭の中で不断に起こっている現象だから死ぬまで逃れることができない。逃れるにはただ休んだり寝たりと受動的なことをいくらしても足りず、なにか自発的に行動して、たとえば無理して走るとか部屋を意味もなく歩き回るとかして意識を拡散させるしか手はない。そうこうしているうち、ある事に気がついた。「利害関係のない人」と「どうでもいい話」をするのがいいと気づいたのだ。しかし、それには高いハードルがあることも知った。利害関係のない人と話す機会というのは意外にないものなのだ。探せばできるというものでもないのである。こういうときは普通ならつべこべいわず居酒屋のカウンターで大将と隣と飲んでだべってとなろう。しかし僕は酒が弱いし盛り上がるような話題もないし、ガンモの注文の順番にうるさいおカミさんも苦手なのだ。
そこで思いおこすものがある。ロンドンは独りになりたい男の居場所がちゃんとあった。シガーバーである。顔なじみだが絶対に話しかけてこないバーテンの前に座ると、目くばせだけでいつものラフロイグのダブルとタンブラーが出てくる。干渉ゼロ。ひとりでぼ~っとできる。パイプも買った(写真)。シガーのいいものは高くて何度もというには懐が寂しかったからだが、といってバーテンがどうこう口出しすることもない。酒さえ2,3杯注文してくれれば「今日もお疲れだね」という無言の優しさみたいな空気が流れるのである。英国の個人主義の象徴だ。何も話さず、頭を空っぽにできる場。社会にここまで個人のスペース、空間を尊重する文化があるから巡り巡って名誉革命が起きたのだと僕は真剣に思っている。
かたや我が国はというと、男が独り飲む古来からのパブリック・スペースがない。「国家」がなかった以前に「個人」(individual =divideできないもの)という概念すらなかったからそのような場所は需要もなかった。ということは個人の集合である「市民」もなく、従って、百姓一揆はあったが市民革命は起きなかったのだ。大石内蔵助みたいに重たいものを背負ってしまった男が居酒屋で八つぁん熊さんと飲み明かすなんて図はない。といって宿の一人酒は暗くて気が滅入る。そこで出入りしたのが祇園だ。お茶屋は遊郭ではない。大石には討ち入りのカムフラージュ説があるが、昔から気晴らしは花街と相場が決まっているから隠せた。そういう場合、相手が男であれ女であれ胸襟を開いてくつろげない。男は信用できないし女も年をとれば世情も理解して口に戸は立てられない。だから年端もない舞妓が安全で、お好みなら「とらとら」で馬鹿になっても決してみっともなくはないよという京都的大人ルールのもとに時間を過ごして「重たいもの」からひとときの逃避ができる。この文化はそれはそれで奥が深い。
つまり「シガーバーとお茶屋は共通点がある」のだ。ちなみにそういう場所を英語ではセーフ・ヘイヴン(safe haven、安全な逃避地)という。ヘイヴンは港だ。男は時に航海を休んで停泊する必要があり、そこは嵐からも海賊からも絶対に安全でなくてはならない。なにも気取って格好をつけているわけではない、疲れた脳はそうやってクールダウンして休めるに如くはないということを言いたいのである。そんな面倒なことをするなら家でいい、それが家庭というものだろうという人も多そうだ。そうかもしれないが、そうであるならシガーバーはなかった。嫌煙で家を閉め出されたお父さんのためにできたのではない。古来から家族とも離れて独りで、あるいは気のおけない男仲間だけと時を過ごすソーシャルスペースを英国の男は大事にしたのだ。ゴルフ場という空間がまさにそれであり、「クラブ」という法律には書けないが反すると社会的地位を損ないかねないコンセプトができ、「あいつは仲間に入れてやる」という意味あいの重たい言葉である clubbable (club+able)まで生まれたのである。
ゴルフ場の女人禁制はここにルーツがある。家庭を避けるのでなく女性を差別するのでもない。男が家でくつろいでいても一銭にもならない。だから稼ぎ場としての社会ができる。するとドメスティックなものを持ちこむことを禁じるべき種々の “社会的” な理由が発生し、古来より男だけの集会場ができたということだ。投資した船が東洋から持ち帰った希少品の丁々発止の取引を行ったコーヒーハウスは起源からしてそうであり、教会、オーケストラもそうだという文化的、宗教的、商慣習的な素地があった。フリーメーソンに英国王室のメンバーはいるがエリザベス女王は入会していない。メーソンは元来が男だけの石工組合だからだが、船乗りにも女性はいない。農作に適さない国土ゆえ航海術を発達させ、ついに命懸けの海戦でスペインを追い払って七つの海を制覇した誇り高き船乗りの国民が「男だけのソーシャルスペース」を容認したのは誠にごもっともなことだと僕は思う。人間には「農耕派」と「航海派」がいる。私見では日本人の99%は農耕派だが、僕自身は完璧なる航海派であり、農耕派的なるものには資質も関心もないからあんまり交じりあえる感じがしない。だから居酒屋は落ち着けず、ドイツ人より英国人とウマが合ったと思うし、英国の政治思想、哲学には抵抗なく馴染めて大きな影響を受けている。
信長は明らかに「航海派」で商業を振興させ非農本主義的であるゆえに多大なシンパシーを覚える。宣教師に地球儀で世界の物理的成り立ちを教わって航海の重要性を理解し、貿易が巨利を生むことを見抜いて明国に接近を図った。先生格だった宣教師を配下として手なずけてもいた政治力においても秀逸な男というしかない。秀吉はそれをまねて失敗してバテレン弾圧に転じ、家康はスペイン、ポルトガルの布教侵略に怯えて禁教に完全に舵を切り、鎖国した。江戸は百万都市になり文化はオーガニックな成熟を遂げたが、科学は進展しなかったため武器、武力は中世のままだった。徳川政権は国内のガバナンス掌握と運営を確固たるものとして戦乱の世を収めた点では見事だったが、能動的な外交の断絶によって科学技術の停滞が約束され、啓蒙思想と産業革命で武器、武力を飛躍的に進化させた西洋の出現の前では “予定調和的に長期衰退する道” に嵌っていたのである。
徳川家は権力永続と子孫繁栄の視点からすれば大成功したのだが、ファミリーのネポティズム(縁故主義)を支配原理とした長期独裁政権が確定したということであり、「航海しなくなった国」としての視点からはグローバルスタンダードから大きく後退してゆくことが政権樹立の時点で約束されたのである。そのツケが19世紀に黒船の砲撃と共に一気に降りかかってくる。英国の最新兵器で武装したゲリラ集団である薩長軍によって徳川家はなすすべなく権力の座から引きずり降ろされた。世界の常識として最高権力者がそうなればまぎれもなく「国が戦争に敗けた」のであるが、格別に “啓蒙” されていた慶喜は降参してゲリラに殺されず生き延び(インテリの彼は英国の名誉革命を知っていたろう)、「藩はあっても日本国という概念はなかった」、「君主は滅びた徳川ではなく万世一系の天皇だったのだ」と議論をすり替え(大政奉還)、無血開城で御一新(維新)による建国だったのだと正統化してできたのが明治政府である。
この政府は非常に頑健な一夜城だった。それを作り得たことが日本人固有の能力だと司馬遼太郎が美化した気持ちは多くの日本人が共有している。しかしそれができた要因としては、青年であった元勲の多くが懐いた高い志と愛国心もあるにはあるが、それはどの国の革命家にも表向きはあるものだ。中核となった薩長藩が自力で欧州まで行く能力を蓄えた「航海派」であったという “即物的事実” こそがその真因だと僕はストレートに考える。開国までの日本は江戸や堺に商業の発展はあったものの全体としては農本主義、重農主義の支配する中世的国家であり、そこに啓蒙思想、産業革命による先進科学で武装した英国、オランダ、米国、フランスが入りこみ、国内の「航海派」であった薩長に武器と民主主義国家の理念を供与して「教唆犯」として徳川幕府をひっくり返した。中国がタリバンを支援してアフガニスタンのガニー政権をひっくり返し駐留米軍を追い出したという説が真相であるなら、彼らは明治維新での英国の役を演じたことになる。
富国強兵の過程での我が国の叡智、活力は世界史上でも特筆されると思う。北アフリカの肥沃な農業地帯に海洋民族フェニキア人がカルタゴを建国し海洋商業国家として出現したそれを思わせるほどだ。しかし時は産業革命期だ、鎖国で3世紀も航海をサボったことで生じていた近代科学への「知見」の遅れは一夜漬けでは回復できず、第二次大戦でついにそのギャップに決定的に屈した。これがおおまかな僕の歴史観だ。「知見」とは即物的な知識・技術だけではなく思想を含むことが極めて重要である。卓越した技術によって大和や零戦は作れたが、ベースとなる「科学的な思想」に欠けた。だから核爆弾ではなく情報インテリジェンスで負けたのである。この欠落は今も続く。算数もできない大半の大学生が社会を動かし有権者の多数を占める。その事実も震撼すべきだが、「それでいいのだ」、「世の中理屈だけじゃない」と信じこんでいる空気は徳川時代さながらだ。敗戦を認めないどころか何も学んでいない。だから、他山の石から学んで対極を行く科学重視国家の中国に予定調和的に追い越され、その原因は「人口が多いから」と非科学的に信じているのである。
政治家の無学、超小物ぶりを目にするまでもなく、この病につける薬はないというのが我が結論だ。徳川が260年も支配して手塩にかけて作り上げた99%の国民のメンタリティーは変えようにも変わるはずがないし、1%は外国に移住するか99%に同化してつまらない人生を送るしかない。信長が生きていたらという仮定はとても魅力がある。自由な航海により情報収集に長けて交易で栄え、戦争はあったろうがそれゆえにも科学は西洋に遅れなかったろうし、一向宗を弾圧し叡山を焼き討ちしたのだからキリスト教にアレルギーもなく、明国との交渉への橋頭保として利用した可能性すらある。自分がこの世にいたかどうか危ういほど日本は別な国だったろうが、そんなスケールの空想を許す男は日本史上他に一人もいない。
「航海派」の男が減れば国は衰退するのである。
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僕の職業は「ファミリーの長」
2021 NOV 17 2:02:50 am by 東 賢太郎
きのうは帝国ホテルでTくんと食事した。彼が手掛ける仕事に僕なりに興味があり、できる範囲で後見人になろうということである。
ちょっと早く着いたのでぶらぶらした。ニューオータニもそうだがこのホテルも変わっておらず、基本的に僕らが結婚式をしてもらった39年前のままに見える。店は新しく「なだ万」がやっている「讃アプローズ」で、アラカルトの品数があって好きなものを選べるのがいい。
Tくんは40才になるがつきあいは長く、僕がSBIホールディングズの取締役のときのメリルリンチの担当者で当時25,6だ。東大の後輩であり性格が良く数学オリンピックの灘校代表だが文系チックな柔らかいこともわかる。速い会話ができ気に入っていたら、今や雑誌にのる大物になった。
国内でちょろちょろやってる雑魚なんか相手にするなとロスチャイルド家のヒストリーを教えた。雑魚にはわからない話を彼は8割がた分かってリアクションがあった。何も説得したわけではない、創始者マイアーは5人の息子がいたが俺は3人しかいない、もう一人になれと言ったのだ。
彼の世界のことは門外漢の僕にはできない。だからバックファイナンスを数百億円つける。それに着火すれば更に大きいエンジンに点火できる。全部のシナリオは僕が書く。実行部隊は全体を見られなくなるから見なくていい。だから集中して必ず成功させろ、そういうことだ。
こういうのは仕事というより趣味だから苦痛も疲労もない。サラリーマン時代はゴルフと音楽が命で仕事の儀式はついでにしていたようなものだが今は逆だ。畢竟、僕の職業は何かというと「ファミリーの長」になることだった。血縁の家族だけでない、マーロン・ブランドのコルレオーネ家みたいなものだ。
5人の息子プラス5人で10人ぐらいで充分。やれと言ったらやるスナイパーしか要らない。大金持ちにするし一生面倒を見る。それをやって死ぬときに会社がどうなっているかはわからないがこの楽しみがあれば少なくともボケないだろう。Tくんもチャレンジャーだが、僕も最後の最後までチャレンジャーである。
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ロスチャイルド家のヒストリーに学ぶこと
2021 NOV 10 12:12:02 pm by 東 賢太郎
本稿を書く発端は、ロンドンに赴任した年の12月に行った20世紀最大のチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのコンサートのプログラムにある。きのうこれを書庫で見つけなければ本稿はひょっとすると永遠に存在しなかったから偶然に感謝する。左のページに広告している「NM ROTHSCHILD & SONS LIMITED」にご注目頂きたい。ROTHSCHILDは日本語でロスチャイルドと表記されるが、ドイツ語のロートシルド(赤表札)を英語読みした姓である。財閥の始祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルト(1744 – 1812)はフランクフルトのユダヤ人居住区(ゲットー)の住人で、赤表札は市が所有した貸家の通称であり、後にグリューネシルド(緑表札)に移ったが姓は変えなかった。彼が丁稚奉公人から金融帝国を築いて19世紀における世界一の資産家になった出世譚は有名だが、ビジネスの教材として大変示唆に富むので将来のある若者のために、私見ではあるが、僕がそこからどういうインテリジェンスを得て実践してきたかを書いておきたい。他人のヒストリーをどう自分の糧にするかという方法論でもあるかと思う。そしてもうひとつのもっとプライベートな動機は、このページを開いてみた時、即座にええっと思ったことだ。その驚きの一つの理由は本稿の最後に明かすが、もっとインパクトがあった理由は、この8年後にロスチャイルド家の発祥の地フランクフルトに赴任する自分の運命が透けて見えていたと思ったからだ。
話はナポレオン軍が神聖ローマ帝国の自由都市フランクフルトを占領し、支配者(ヘッセン選帝侯)を追い出して財産・債権を没収した1806年に始まる。この前後のヨーロッパを覆う空気を幾分かでも体感していただくために、その年がベートーベ
ンのエロイカ初演の翌年だったことを記すのは意味があるだろう。ナポレオンを崇拝し自筆譜に名を記したとされるその表紙の実物をウィーン楽友協会図書館のご厚意で特別に見せてもらったことがあるが、俗に言われる「怒って破りとった跡」は存在せず、献呈者名の部分に穴は開いていたが字は読めなかった。左の写真は、同曲を初演し、改めて(?)献呈されたボヘミア貴族、ロブコヴィツ侯爵の宮殿(プラハ城)にある初版スコアであり、表紙にはSINFONIA EROICAとある。エロイカは形容詞(英語ならheroic)で、「英雄」と名詞に訳す日本語はミスリーディングだ。Pastoral(田園的)同様に「交響曲」を形容している。ニールセンは3番をSinfonia Espansiva(拡張的交響曲)と命名し4番は形容詞を名詞化してThe Inextinguishable(不滅なるもの)としたが、エロイカは定冠詞がなくSinfoniaに呼応した女性形であるため、明らかに後者ではない。ナポレオン=英雄と見たなら名詞(ザ・ヒーロー)でよかったがそうでないのは、英雄的だったのは彼という人物ではなく、彼のしたこと(行為)だったのではないかと考えられる。大衆が待ち望んだことをやると日本なのに「いよ、大統領!」と掛け声が飛ぶが、ベートーベンはそれをやってくれたナポレオンに「いよ、英雄!」と、彼が英雄的と讃えるべきものをイメージした音楽で叫んだのだ。では「それ」とは何だったのだろうか?
フランクフルトのユーゲン通りにもうその面影はないが、19世紀までユダヤ人を隔離して住まわせる「ゲットー」があった。一神教の信徒にとって他に神はいない。異教徒は “必然” として迫害するのである。西洋人は横暴、凶暴、無慈悲であり、日本人は温和で優しい民族だと考えるのは表面的だ。多神教が寛容なのである。同様に一概にキリスト教徒が悪でユダヤ教徒が善でもない。少数派で定住地のない異教徒は人類の必然としてマイノリティーの扱いになる。その良し悪しは別として、それが人間の本性に巣食う一面であることは現在のアメリカ合衆国を見ればわかる。そうした “人間の原理” が200年たっても変わっていないのに、1806年ごろまで左の絵のような場所に住んでいたロスチャイルド・ファミリーが19世紀における世界一の富豪になった背景は、キリスト教徒が寛容になったからでもユダヤ人が良からぬ陰謀を計ったからでもない。ナポレオンの出現というジャイアント・インパクトがあったからである。フランクフルトのマイアー・ロートシルトとウィーンのベートーベンは、その意味で同じころに同じ匂いのする空気を吸っていたのである。
欧州大陸を制圧したナポレオンはフランツ2世を退位させ、名実ともに神聖ローマ帝国を壊した。まさにその年こそが1806年であった。野蛮な武力制圧ではあったが、フランス革命の自由・平等・博愛を反映したナポレオン法典がカトリック教会による宗教権力支配のレジームを法的に崩す端緒となった。ふたりが大きな期待を懐いたのは顔を拝むこともない支配者の交代ではなく、階級社会の崩壊という質的変化が民法典で具体化され、担保されることだろう。能力に自信のあるふたりとって願ってもない社会だ。フランツ2世は替わりにオーストリア皇帝になってガバナンスを失うことはなかったため、ウィーンにいたベートーベンにとっては『「神聖」でも「ローマ」でも「帝国」でもない』(ボルテール)と揶揄されるほどに形骸化していたレジームが終焉しただけともいえ、その逆にナポレオンは皇帝として戴冠したことで失望させられる。一方で、ユダヤ人マイアーにとって帝国の崩壊は絶大な意味があった。忽然とブルーオーシャンが現前に出現し、後の欧州を股にかけた一族の飛躍が可能になったからである。
帝国での地位を失ったフランクフルトのヘッセン=カッセル方伯(以下、選帝侯)はナポレオンに没収される資産の一部がフランス当局に見つからぬよう、御用商人マイアーに諸侯への債権回収と資産の管理をまかせることにする。ここで選ばれたことはマイアーがユダヤ系のオッペンハイマー銀行で研鑽を積み、古銭の造詣が深かったからだが、金融業(金貸し)を禁じられたキリスト教徒にはそこから派生したお金を扱う様々な技術がなくユダヤ人に頼るしかなかったからでもあった。もとより貨幣経済が浸透すれば王族といえども資金が必要で、フランクフルトにゲットーができたのは自由都市ゆえ宗教の縛りが比較的緩く、商業・金融に長けたユダヤ人に付加的な徴税ができ、緊急の時にはその徴税権を売るか担保にして融資が受けられたからだ。そうして居住権と生活の安全をかたにいわば「みかじめ料」を搾取されるだけだった彼らが自由に金融業に進出し、圧倒的な知識・ノウハウの格差でキリスト教徒からリベンジ搾取する契機をナポレオンが与えたのだ。
マイヤーがゲットーの頭領格であったことは勿論だが、選帝侯に指名させるほど絶大の信用を得ていたことが分かる。この状態を我々は「食い込んでいた」と表現するが、それが伺える人事だ。金融業とは元は銀行(融資)だけを意味したが、彼の出現以降はもはやそうではない。銀行システムは国益をかけた通貨の番人である中央銀行のもとに統合され、インベストメントバンク、プライベートバンク、ファミリーオフィスという証券、運用、銀行、信託、保険を融合した「カネを商品として扱うサービス業の総称」の原型ができ、金融技術において多様な進化を遂げて現代に至る。しかし、製造業や商業とは決定的に異なる点がある。命の次に大事なお金を扱い、任されるのだから業務執行に必要な資質は知識、学歴、経験ではない。絶対の必要条件は信用である。僕は「信用資本主義」を経営のテーゼとしているが、マイヤーの行動に学んだことである。以下に述べるが、彼が創業した複合的金融ビジネスこそ、僕が現在依って立つものだ。フィンテックの時代になっても、金を動かすのは人間であり、そこで働く原理は200年前と変わっていない。
選帝侯の抜擢に応えるべくマイヤーは5人の息子を使ってフランス当局の監視を巧みにかわしつつ、諸侯への債権を秘密裏に回収して選帝侯へ送り届けて更なる信用を得た。これだけでも十分に金持ちになったことは間違いない。しかしそれでは終わらないのである。ここからが只者でないのでよくお読みいただきたい。
彼は以下の2つの手を矢継ぎ早に打った。①「フランス当局の監視を潜り抜けて殿下のもとまで送り届けるのは難しくなった」と選帝侯に納得させて回収財産をロスチャイルド家に信託(運用委託)させ、②同時にゲットーのユダヤ人というドイツ人でもフランス人でもない第三者の立場を逆手にとってフランス側にも取り入り、息子をフランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリに置くことで全欧州に独自の通商路と通信網を築いた。実に素晴らしいとしか評価のしようがないが、これははっきりいえば自分を抜擢してくれた主君への背任にもなりかねない行為であり、ダブルエージェントである。現代でも双方代理を無断で行った場合、一方に損害を受けたと訴訟されれば負ける。選帝侯をどう説得したかは商売がら大変興味のある所だ。失業するのだから債権回収は死活問題であり、マイヤーの馬に乗るしかない。その立ち位置を利用し、今流なら「私のエクイティストーリーに投資すべし」(私も儲けるが、あなたも儲かる)と説き、納得させたのだろう。
つまり、彼のしたことは選帝侯とフランスとの「仲介」ではない。どっちも「代理」するということである。とすると両者のスパイになる危険性もある。軍事や金融という国家の命運や自分の生命にも関わる信用商売においてこの芸当ができるというのは只事ではない。二枚舌、三枚舌や八方美人のごときチャラい小手先の技で100年頑張ってもあり得ないことは肝に銘じたい。そんなものは手練れの人間たちには一発で見抜かれてしまい、昔なら殺されるだけなのだ。ひとことで言うなら、「この男なら大丈夫だ」と両側から自然と思われてしまう「人間力のようなもの」が問われるのである。では人間力とは何かといって、ひとことで言えるものではないから矛盾するが、複合的要因が混然となるジャイアント・インパクトの結果、出来上がった結末が格別に立派だった場合にのみ、あとだしジャンケン的に理由として語られるのが「彼の人間力だね」という賛辞だという定義の仕方しか思い浮かばない。だからこれを学校で教えたり、本に書いたりはできない。学校の成績はあまり関係ない。こう言っては元も子もないが残念ながらできる人はでき、できない人はできないのである。
我が国でダブルエージェントに成功して男をあげたのが坂本龍馬だ。英国人グラバーの後ろ盾で不倶戴天の敵同士だった薩長を同盟させ名誉と大金を手にした。命も金も奪われたが、歴史がそう語るからではなく実感として、僕は彼が大層の大物だったことを確信する。しかし、マイヤーはその何倍も大物だった。戦費で財政が苦しいフランスに選帝侯とは別なエクイティストーリーをアピールし、②の通商路と通信網の確保もやったからである。全欧州をほぼ独占した郵便会社であるフランクフルトの「帝国郵便」に出資していたことは有利に働いたろうし、ナポレオン法典のユダヤ人開放政策によりゲットーから出て自由に動き回れ、選帝侯の寵愛だけに依存した不安定な状態から脱却できたからそれに成功したのだ。強い追い風が吹いたのであり、こういう運の強さは事業家には大事ではある。今風には「持ってるね」ということになるのだろうが、僕はこの点については少々異論がある。風は大なり小なり誰にも平等に吹いているのであり、それに気がつくか、それに乗ろうと思うか、乗るための瞬発力があるかどうかだけが人生を決めると思うのだ。そのどれもがあって首尾よく成功した場合にのみ、あとだしジャンケン的に理由として語られるのが「持ってるね」という賛辞の定義だと思う。
さて①と②がうまくいった。カネ、通商路、情報網が手に入った。ここでマイアーがぼ~っとしている人ならばここまでは来ていないから次に打った手はある意味で必然であり、それを見すえてのことだったと思う。まず、③1798年に21才で英国に送り込んだエース格の三男ネイサン(1777-1836)に選帝侯から預かったカネで綿を大量に仕入れさせる。ナポレオンが敵国イギリスとの貿易を禁じた大陸封鎖令で綿は禁輸品になり、市場を失った英国では価格が暴落したが、逆に大陸では品不足で暴騰していた。フランスと通じて築き上げた特別のルートで大陸に持ちこみ、②のルートで大陸の4人の息子が売れば巨利が得られる。資金は流用ではなく選帝侯の了解を得た信託財産の運用だから選帝侯にも利益が出るが、マイヤーの視点からは他人の褌(カネ)でレバレッジをかけて巨利を得たわけだ。短い人生でデジタル的に資産を増やすにはそれしかない。東インド会社が成功した古典的な市場間アーブ、制度アーブであり、わが国では開港した横浜で英国人相手に生糸産地の農家の倅である僕の先祖が同じことをやって成功したが、貧農だからファイナンスに苦心している。生糸は掛け売りになったが株式なら信用取引だからハイリスクだ。選帝侯を口説いてリスクフリーにしたロスチャイルド家の知恵と営業力は半端ではないと思う。
普通のファミリーならここで大金持ちになって終っていただろう。そうでなかったから今がある。④ロンドンにいるネイサンは築いた情報伝達網を駆使して1815年のワーテルローでナポレオンが敗けた情報を市場に先駆けてつかみ、本来は上がるはずの英国国債に売りを仕掛けて市場を狼狽させ(今の株式市場で「外人売り」の声だけで株価が下がるのと同じ)、暴落した所で大量に買って更なる巨利を得た。風説を流布したわけではなく、周囲が早耳筋と認めるロスチャイルドの行動を注視して勝手に売っただけだ。カネ・情報の強者だけができるトレーディングの揺動作戦である。①~④のどれもが見事だが、どれも目新しくはない。凄いのは4つの大技を1806~1815年の9年間で連続で繰り出していることだ。まるで大横綱が格下を立ち合いで吹っ飛ばし、つっぱって土俵際に追い込んだ挙句に上手を取って最後は土俵の真ん中に豪快に投げ飛ばした相撲を観たようである。ビジネスを「戦略」で語る人はよく囲碁、将棋に例える。そういう業界もあろうが、相場を相手に生きてきた僕は違う。ビジネスは動的なものだ。チャンスの時に戦略を練っている暇はない。そういうものはむしろ条件反射で体が動くようにしておけばよく、決定的に大事なのはただひとつ、「やる」ことだ。
ロスチャイルド家の先祖の姓はバッハラッハ (Bacharach)といい、ライン川(ローレライの南)にある地名だ。英語読みするとバカラックで、「雨にぬれても」のバート・バカラックの姓だ(彼もドイツ系ユダヤ人)。ユダヤ人と聞くと陰謀論に頭がワープして思考停止する人が日本には多いが、それではナチスに騙された当時のドイツ大衆とかわらない。マイアーは13才で銀行の丁稚になった。25才年長のモーツァルトの父は大学に入ったが彼はそれもない。あったのはのは想像するに目から鼻に抜ける才と人間力、機を見るに敏な爆発的な行動力だ。それがなければ何も起きなかった、それだけのことだ。そのような能力が求められる仕事は何か?営業だ。営業にガク(学)はいらない。マーケティング理論もまったく無用だ。そもそもそんなものを教えてる学者は営業などしたこともない。僕はいろんな部署、階層で仕事をしたが、一番面白かったのは社長職でも部長職でもなく梅田支店にいた末端の営業マン時代だ。その2年半でお金に関わる仕事の酸いも甘いも恐ろしさも全部を体得した。昔も今も、そういうものは仮に言葉で教わったとしてもできるとは限らない。やった者が最強であり、それがまた自信を呼ぶのである。営業とは人に好かれ、説得し、商品を買っていただくことである。シンプルにしてとても難しいが、これができれば他の立場の仕事は何でもできる。これ本当である。
冒頭のロストロポーヴィチのコンサートのプログラムに宣伝を出したN・M・ロスチャイルド&サンズのN・Mとはいうまでもなく三男坊ネイサン・メイアー・ロスチャイルドの頭文字で、これが「ロンドンのロスチャイルド」である。日露戦争の戦費調達が難航した明治政府は日銀副総裁の高橋是清を同盟国・英国に派遣する。高橋はここを訪れ日本国債の引受を懇願したがすげなく追い返された。ロスチャイルド家はフランスからカスピ海油田に投資しておりロシアを敵に回すわけにいかなかったからだが、米国に置いた番頭格ジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会を通じて引受けを受諾した。九死に一生を得た明治政府は狂喜し、教科書では日本を助けてくれたことになっているがそんな人の良い話を信じているのは商売を知らない人たちで、ここまで読まれた方にはすでに自明だろう。どっちが勝っても損のないダブルエージェントはロスチャイルドのお家芸なのである。
同社は今もM&Aの助言を中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用(プライベート・バンキング)を行う世界有数の金融アドバイザーである。これも偶然だが僕はロンドン在任中、同社アカウントの担当者を命じられており、出入りして大きな商売をさせていただいた。ソナー・アドバイザーズを創業する時に何となくイメージしたのはそのことだった。
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ジャイアント・インパクト説で張った大勝負
2021 NOV 7 12:12:37 pm by 東 賢太郎
僕は長いこと「科学教」の信者だったが、いまは宗旨替えしている。科学は大事だが、人生を良くしてくれるわけではないからだ。
むかし、飲み屋で何かの拍子に「猫に科学はいらない」といった。一瞬の沈黙があり、「そうよそうよ、人間だってそうじゃない」「だよね、だってサイン、コサイン、見たことないもんね!」と一連の盛り上がりを見せた。何となく敬遠されていた僕の好感度が急上昇したらしい。
「そうじゃない。科学は大事だけど、人生を良くしてくれるわけじゃないのは猫も人もおんなじだといったんだよ」。またまた一瞬の沈黙があり、「え~っ、なにそれ」「ってか、わたしたち猫なみってことぉ?」「ひど~い」。君たち、それは猫に失礼ってもんだ。好感度は急降下した。
こういうのが国中で盛りあがると反知性主義というものになるが、それで人生が悪くなるわけでもないということも言っているのだから急降下はアンフェアだ。百万都市の繁栄があった江戸時代の人はそれなりに幸せだったが、たしかにサイン、コサインは知らなかった。だから彼女たちは正しいのだ。
いま自分の半生記のために色々むかしの資料を引っぱり出して読んでいる。ああなるほどそんなことがあった。もう他人事のように冷静だ。住んだ家の情景からいろんな記憶もよみがえってくる。ほんとうにうまくいったなあと思う。しかし困ったことに、そのどれもが「たまたまだけどね」と語っているのである。
僕が「科学教」の信者だったのは実証主義者だからだ。これは生まれつきの性格だから変えようがない。今あるのは意思や能力のおかげじゃなく単なる偶然の結末だとなるが、綿密な調査、検証の結果なのだからそれが正しいのである。つまるところ、それを認め、認知的不協和を乗り越えるのに僕は2年もかかった。
2年半前の野球の記事が、その萌芽が現れたことの証拠になっている。
「乗り越えるのに2年もかかった」という部分には一抹の誇りを感じないでもない。「おお、ケプラーが楕円運動を仮定するのに30年かかったことの1億分の1ぐらいは同じじゃないか」とうぬぼれたからだ(参照:http://教養のすすめ)。そう自分を慰めて認めさせたといったほうが近い。
ジャイアント・インパクト説。いま僕はそれの強固な信者になっている。月の生成。これが純然たる物理現象であることを否定する人はいない。蓋しこういうのを解明するために物理学という学問があるのだろう。しかし、月ができた理由は長らく解明できず、最近になってコンピューター・シミュレーションで再現できることからジャイアント・インパクト説が有力になってきたのである。
このことは「麻酔がなぜ効くかいまだにわかってないんですよ」と某大学の麻酔科の教授に聞いて驚いた記憶とすぐに結びついた。月の生成と麻酔のメカニズムの両方を研究する人はいないから両者が「似ている」と素人が主張しても何も起きないが、そのことから、「科学には限界がある」もしくは「科学の方法論に限界がある」と主張しても科学的な反論はたぶんないだろうと思う。今の人類が手にしている物理学、数学、化学、生物学、生理学、薬学という理論では説明できない二つの現象があり、別々の理由でそうなのかもしれないが、人類には見えない同じ理由があって、そこから二つどころか多数の「不可解な」現象が現れていて、各界でばらばらに研究されている。その統一原理を見つければ全部が一発で解決されてしまう。そういう何ものかがあるのではないかという仮説に僕は途方もない魅力を感じている。
科学が万能でないことを認めた瞬間に僕は「科学教」の信者から宗旨替えしたのだ。決定的だったのは素人用(数学の出てこない)量子力学をかじったことだ。さらに、コロナで興味を持ったのでウィルスの本を読んでいるうちに、なんでタンパク質がA,D,T,Cの組み合わせで生成されるのか(つまりアナログがデジタルからできるのか)不思議に思って調べたらドンピシャの本に出会った。非常に面白いのでお薦めする。アミノ酸という単なる物質の組み合わせがゲノムという生命の設計図になり、「命」という超物質が生成される。唯物論とメタフィジックス(形而上学)の垣根という哲学上の議論が物質界で展開されるのは痛快というしかない。
ここから先は我が空想だが、古代に知的生命体が地球にやってきてゲノム設計図を作り、アフリカの類人猿(ミトコンドリア・イブ)の遺伝子にそのプログラムを書き込んで初の人類が “生成” された。その猿の子孫がさらに進化し、先祖の記憶をたどって聖書なるものを書く。始祖はアダムとイブという名前になった。各国の神話で知的生命体(=神)は空から降りてくるし、神殿はピラミッド状の形をしており、蛇、狼、熊などヴァリエーションはあるが人類第1号誕生に関わる “他者” (神の関与を示唆)が存在するという共通項がある。通信手段のない時代に複数個所に偶然にそれが起こる確率は非常に低く、アフリカの実話が人類の拡散とともに各地に広がった結果と考えたほうが納得できる。
「ジャイアント・インパクト」は超多元連立方程式の解としても、計算力があれば解けないわけではないだろう。しかし科学の有意性は後から解いて納得することではなく、月にロケットを命中させるように未来を予知することにある。「人生を良くしてくれる」とはそういうことだ。超多元式の組成がわからないと、事後的にそれを知って解けたとしても予知は永遠に無理だ。そして、我々の見ている世の中には予知できないこと、たとえば、地震、台風、太陽フレア、気温上昇、自分の寿命、ウィルスの出現、経済成長率、株価、ウナギの進路、サンマの水揚げから女心と秋の空に至るまで、予知できないことはいくつもある。
冒頭の「宗旨替え」の理由がおわかりいただけたろうか。サイン、コサインはいま我々が享受している生活の利便性を与えてくれた大事なものなのだが、それは結果であってここから人生を良くしてくれるわけではない。知っている人と知らない人で幸せの量が変化するとは思えない。それは各人が求める幸せのキャパ(容量)により、その大小が人間の価値に関わることはまったくない。小さめの人はサイン、コサインの学習など無縁でもキャパいっぱいの幸せを得ることで素晴らしい人生が送れるだろう。であれば無理して大学など行く必要もないし、その時間を自分なりの幸せの追求に向けたほうがよほどいい。
僕自身も物欲、権力欲は大きめに生まれついていないからそういう学習に無縁な人生は充分にあり得たと思う。ところが、人間の熟成にもワインと同じで、 “テロワール” というものが存在するのだ。
僕の場合、種子はいたって慎ましいものだったが植えられた畑の土地柄、つまり、学校や友達や競争環境が影響して幸せキャパが大きくなってしまい、こういうワインになった。父が中学で公立に転校させテロワールが激変したのがきっかけであり、それが大学、MBA、海外勤務とますます想定外の方向に行ってしまい、子供時分のちいちゃくて大人しいケンちゃんからは誰も空想だに出来ぬ人間になった。一番驚いているのは自分だという処にこそ、このストーリーを書いておく意味合いを感じている具合だ。
「ジャイアント・インパクト」を信仰することで僕は広島カープが強くなったり弱くなったすることに耐性ができたし、自分にも他人にも何に対しても人間が寛容になったと思う。科学教のころは何でも自分で解けると信じていて、実は解けないのだから当然なのだが、実にたくさんの失敗をしていた。そこで個々の敗因を探るのをやめてばっさり宗旨替えすることで、どうせわからないことは考えない、頑張らない、結果を見てからやって意味のある事だけしっかりやろうという考えに転換した。実は日本人の大多数はそういう人である。いたって普通のことで何をいまさらに聞こえようが、僕は見事なほどそうでなかっただけに勇気のいることだった。
自分が得意でない分野では専門家の意見に頼るが、その分野の中だけで解決できる問題はその人が解いていてすでに過去である。彼が解けないのはクロスボーダーの複合的な問題で、それを解かないと「良い人生」はない。そこで「メタ認知」という視点が大事になる。僕は受験で数学の訓練をそこそこしたので異分野の理論や事象に相似形を見つけ、あるいは因数分解し、メタ(高次)の原理をみつけるのが比較的得意だ。ジャイアント・インパクト超多元連立方程式がそれで解けることはあり得ないが、正解ではなくても「だいたいこのへん」という直観を交えて他人より “少しだけ正解に近い数字” を見つけられるかもしれない。ビジネスではそれで全くもって充分なのである。他人より失敗確率が減ればロングランでは勝つからだ。
この考えはゴルフ、麻雀、猫に近い。常勝も圧勝もいらない。長丁場で負けなければ企業は存続できる。投資のチャンスはたまにしかない。従って、潰れずに、その時を猫みたいにじっと待って、勝てると踏んだ時にエイッと勝負をかけるのがポイントなのだ。「わたし、失敗しないので」は危険であり、「わたし、致命的な失敗はしないので」が良いスタンスだ。そしてチャンスと見たらダブル・リーチをかけて「来た、見た、勝った」で仕留める、その爪をいつも研いでおくことだ。僕はゴルフ、麻雀、猫遊びに習熟し数学/哲学アタマだからこの仕事にたまたま向いていた。しかしそれは業界に飛び込んでから偶然に知ったことだ。
ジャイアント・インパクトでひも解くと株式相場がどうなるかはもうだいたいわかっている。テーパリングは中央銀行界がやってる感を出すための議論でOPECの増産・減産の表向きとかわらない。リーマンの時に流動性が流れたデリバティブは兆の上の京に至ったが、いまは仮想通貨がそれになり総額はもっと大きくなる。これは潰せない。メタバースという三次元スペースの値段はそれでつくから京を超えるかもしれない。現状の経済運営に通貨はそんなに要らないが、要らないものに価値を感じるように人類が進化するのだからその「要らない」という概念は要らない。ざっくりしか書けないが、そういうジャイアント・インパクト説で僕は勝負をかけ、おそらく勝つだろう。
僕には生糸貿易で大儲けして横浜、熱海の水道、ガス燈を私財で作った先祖がおり、その血が流れている。科学者や大学教授や陸軍大将もいるが、体内感覚で誰より彼の血が濃いような気がしている。50才で亡くなったのでもう負けてるが、70でいいから抜いたらきっと喜んでくれると思う。「相場は騎虎の勢い」が座右の銘であったが、おんなじだ、食われるので背中から降りられない。
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フランス革命を連想する大物議員の落選
2021 NOV 3 9:09:47 am by 東 賢太郎
ちらほら聞こえてくる話だが大勝した自民党に明るい空気はあまりないらしい。甘利氏の件だろう。現職幹事長の小選挙区落選は前代未聞だが、そうした衝撃は自民だけの話ではない。立憲の枝野代表も最後まで薄氷を踏む接戦だったし、野党の顔として人気のあった辻本議員は比例復活すらなく国会を去る。どの党が勝ちであれ負けであれ、全国会議員に首筋が寒い思いが走っていよう。
今回の衆院選の投票率は史上3番目の低さだった。つまり、過去の常識では、自公にとって史上3番目に強い追い風の吹いた選挙だったのである。現に、自民は単独で過半数と、大方の予想を覆す圧勝だったことが雄弁にそれを示している。ところがだ。それにもかかわらず、過去の常識では一番落ちないはずの現職幹事長が落ちてしまった。これをどう解釈すべきだろうか?
甘利氏本人が指摘するように「落選運動をされた」からか?たしかにそうだったのだろう。最高裁判事の国民審査は辞めさせたい人に「✖」を書いて落とす。議員の選挙にその仕組みはないので落としたい候補者の対抗馬に票を集中する。甘利氏はそれが起きたといいたいのだろうが、「前回までダブルスコアで勝ったのに」という認識があまりに甘い。票田がある俺が負けるはずない、だから落選運動がけしからん。悪いが、この物言いは最悪だ。ショットが木に当たって「誰がこんな所に木を植えたんだ」と激怒した某大物ゴルファーと民度が変わらない。そもそも世の風を読めてない時点で、政治家は失格ですらある。
小選挙区制での野党共闘という「舞台設定」はかねてよりあった。新しくない。でもうまくいかなかったのである。では何が変わったのだろう?甘利事例の衝撃は、有権者が大物だろうがお構いなしに首をはねる、そのギラリと光る刃の鋭さと強い意志にある。まるでフランス革命なのだ。何か不気味なほど巨大な不平不満のマグマがあった。だから甘利氏だけでない、石原伸晃元幹事長、野田毅元自治相、若宮健嗣万博相(現職)、桜田義孝元五輪相、松本純元国家公安委員長、辻元清美立憲民主党副代表、小沢一郎元民主党代表が小選挙区で落ちている。
大物政治家の小選挙区落選は、失礼ながらそのレアさから猿が木から落ちたといわれる。ドラえもんの「比例代表ネット~~」にボヨ~ンと醜く引っかかって救命される姿も国民の眼に焼きついてしまい、政治家としては出世に関わろう。今回は、絶滅危惧種とされていた自民の「魔の3回生」ですらボヨ~ン組をいれて9割も生き残ったのだから、落ちてしまった方の豪華な顔ぶれがさらに目立ち、革命だなあと国民に感慨を持たれている。実に異様だ。兵卒、足軽が元気に生き残って大将だけが首を刎ねられることは物理的に戦場ではあり得ない。つまり、今回の総選挙は「戦場でなく刑場」の性質が包含されていたのがとても異質で、だから自民内部でも勝利の雄たけびは控えめなのだろうと思料する。
以下、シンプルに本稿の要旨をまとめる。
小選挙区制、野党共闘の「舞台設定」はかねてよりあった。新しくないから革命でも何でもない。そうではなく「舞台裏」で静かに起きている革命があった。今回はそれが表舞台に大規模に顔を見せた史上初の事例である。
革命とはSNSの浸透だ。僕は10年前からこの現象に強い興味を懐いてきた。ソナー・メンバーズ・クラブを立ち上げて、いろんな実験をしてきた。動画を百本作り映画を作る寸前まで行ってコロナになったが、実験精神は変わらない。
SNSは20年も前からある。新しくない。変わったのは、それを閲覧するユーザーの質と数なのだ。書き手も読み手も匿名の無学な層だと政治家、オールドメディアは思っているが、そうでないことを彼らは知らないか無視を決めている。
「アンチ政治とカネ」運動は甘利氏の神奈川13区の有権者だけに起きた個別事象ではない。彼らは自由にネットを閲覧し、全国の有権者の意見を知り、自由に意思決定する。4割いる「最大政党」の無党派層は日々そう進化している。
例えば僕のブログ記事は東京都世田谷区の有権者しか読めないわけではない。北海道から沖縄まで毎日2千人以上の読者がいる。そうしたメディアのプライベート化、読者の多様化、多層化が40代より若い層で進んでいる感触がある。
発信者、受信者の多様化は順列組合せの数を増やし、増加速度は乗数的である。いずれテレビ1局の視聴率増で獲得できる受信者数を上回る。それによる政治インパクトは不明だがオールドメディアが信じたいゼロということはないだろう。
鍵を握るのは30代だ。彼らは10年前に車は持たない、テレビは見ない、新聞も読まない20代の子たちだった。我が子に近いスマホ世代だが、もちろん昭和の我々とちがう極めてまっとうな社会性と正義感を持った世代と感じる。
僕のブログ読者の53.7%は44才より若く、34.1%は34才より若い。その世代なのだ。しかも高等教育を受けている(でなければ僕の文章は読めない)。次世代を託す層だと実感するので頑張って書こうというインセンティブはある。
その世代の皆さんに言いたい。今回の衆院戦で皆さんはフランス革命を起こせるようになったことを知った。票田を相続するだけの家業議員や、私腹を肥やしたり、税金を無意味にばら撒く不届き議員は公開処刑できるということだ。
革命は暴動、殺戮と紙一重だが、そこから発した思想である主権在民は貴族制を否定するヘゲモニーであり、国民は政治を委託する代表者を選択はするが罷免もする。つまり今回の事例は、まぎれもない民主主義の正統な姿なのである。
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