クラシック徒然草-ラヴェルと雪女 (ボレロ)-
2013 AUG 13 0:00:20 am by 東 賢太郎
ラヴェルを聴きたい。やっとそういう気分になった。その気分がやってくるのは僕の場合年中行事だ。いつもは春だが、今年はどういうわけかおとずれが遅かった。
ラヴェルはどこが好きかといって、よくわからない。どうして好きかというと、これもわからない。とにかくいい。高校時代にピアノ協奏曲やらダフニスやらをよく聴いたから、ほぼひと目ぼれだったろう。ウマが合ったということだろうか。ただ、ラヴェルとのおつきあいは、やっぱりウマが合っているブラームスなんかのとはずいぶん違う。というのは、ブラームスは人肌のぬくもりがあるがラヴェルの音楽はひんやりと冷たい。どんなに恋焦がれてもむこうは熱くならず一向に近寄ってもこない女性みたいな感じがする。ひょっとすると雪女かもしれない。いや、雪女がどんな姿かは知らないけれど、絶世の美女なのに人間の魂が、ハートが、なんともなく希薄という不思議な存在なのだ。
ボレロという曲がある。すごく小人数でしずしずと始まってずっとおんなじリズムとメロディーのくりかえしだ。あまりにおんなじなので、だんだん耳と意識がマヒしてくる。それがそのうち音がだんだん大きくなって、楽器の数も増えてきて、ふと気がつくと舞台は全員参加で音をはりあげている。そうして最後のところでキーがハ長調からホ長調に3つあがるとボルテージは一気にはね上がって、ついに金管の雄叫びがあがって雪崩のような大団円となる。客席はブラヴォーの嵐でものすごい興奮につつまれる。
ところがだ。このときいつも思うのだが、指揮者もオケも汗ぐらいはかいているが、どうもちょっと覚めているように見える。ベートーベンやマーラーを格闘して弾き終えたのと明らかに違う感じだ。ご本人たちがそう感じているかはともかく、スポーツを終えた感じ、中距離を走ってゴールインしたランナーを見ている感じに近いといったら言い過ぎだろうか。そういう雰囲気を察するとこっちも、なにか幻術にでもかかっていたような気がしてきて、そうして、ああ、あれは雪女だったんだということになるのだ。これをご覧いただきたい。
客席と舞台の温度差をお察しいただけるだろうか?リッカルド・ムーティー指揮のフィラデルフィア管弦楽団。僕が現地で2年間聴いていたコンビが85年に来日した時のものだ(youtubeからお借りしました)。このオケがのった時のすごさを見てしまっている僕として、これはずいぶん安全運転のテンポであり、名人たちが余裕しゃくしゃくで楽器のデモでもやっている風情である。ボレロとしてはかなりクールな、申し訳ないが平凡な部類の演奏といえる。非常に珍しいことにトロンボーンがとちっているが、こんなことは2年間でもほとんどなかったから貴重な映像だ(あそこは難所で有名なところ)。しかし、客席は興奮してしまう。雪女おそるべしだ。
ボレロというと、伝説がある。トスカニー二とラヴェルのケンカである。ボレロは1928年、ロシアの舞踏家イダ・ルビンシュテインの依頼で作曲された。トスカニーニはその2年後にニューヨーク・フィルハーモニーの欧州公演でこれをパリ・オペラ座で演奏したが、それを客席できいていたラヴェルは「速すぎる」と文句をつけ、トスカニーニは「あなたは自分の音楽がわかっていない。こうやるしかないんです!」とやり返した。すごいもんだ。トスカニーニは演奏に15分ぐらいかかるこのボレロを何回振っても1秒も狂わなかったそうだ。すごい。我が国では面白い試みとして大晦日の「東急ジルベスターコンサート」のカウントダウン曲として、過去18回中に4回これが使われた。曲の終了と同時に「新年おめでとう!」のはずだったが、4回やって2回は着地失敗している。
僕は浪人中によくお茶の水駅前の音楽喫茶で油を売っていたが、そこで衝撃を受けたのがトスカニーニのボレロだ。細かいことは忘れたが、ソ、ドとひっぱたくティンパニが腹に響いて、当時自分の家の装置からは絶対に出ない迫力に圧倒されたことをまじまじと覚えている。それがこれだ。
ラヴェルが怒るだけあってテンポは速い。だから演奏し慣れていないオケはかなり危ない。まずクラリネット。そしてトロンボーンはよれよれだ。しかし、これは吹きなれたフィラデルフィアの名手でもとちる。NBC交響楽団がヘタなはずはない。1939年録音だから作曲後11年ということもあるが、ラヴェルと口論してキレてしまったトスカニーニが37年までラヴェルを指揮しなかったから仕方ない。そして、これはよく聴いて欲しいが、テンポは非常によく動いている。調節しているとも思えないが、これで毎回同じタイミングになるのは神業だ。
最後に、雪女でも燃えることがあるという希少な演奏をみつけた。僕がカーチス音楽院でお会いする12年前のチェリビダッケだ。テンポはムーティとほぼ同じである。しかし、なんと若々しい!ホ長調になる寸前のすさまじい形相。あれでにらまれたらオーケストラも音で返すしかない。これをアップしてくれた人に感謝したい。
クラシック徒然草-ベートーベン7番 聴きこみ千本ノック-
2013 AUG 12 0:00:09 am by 東 賢太郎
ベートーベンの交響曲第7番イ長調作品92。この曲のファンはたくさんいらっしゃると思います。のだめカンタービレで若い方にも広まり、ひょっとして第九と同じぐらいポピュラーになっているかもしれませんね。この曲の強靭なリズムの波状攻撃は人を興奮させる点でロックに近い何かを秘めています。こういう僕もクラシック聴き始めのころフリッツ・ライナーのLPを聴いて感激していました。そういう皆さんには大変申しわけなく思うのですが僕はこの曲が苦手です。いまや自分から聴こうということはまったくありません。11月にウィーンフィルが来るらしくてチケットをいただいたのですが、曲が7番ということでどうするか考えています。そのぐらい興味がないのです。
どういうことかというと、第1楽章は大変立派な音楽です。しかし第2楽章にはエロイカのそれのような血の出るような切実感というか、本当の悲愴感を僕は感じません。第3楽章はどうにも下品に思えて(すみません)むしろ聞きたくありません。ほかの曲では多少そういう部分はあっても何かの仕掛けでそれが最後は救済、昇華されて終わるのですが、この第4楽章はそんなことにおかまいなしで一人でイッテしまいます。良い指揮者ならともかくカン違い組の指揮者によるへたくそな演奏だと、いくらワーグナーが舞踏の聖化と持ち上げようがなんだろうが、それなら盆踊りのほうがいいなと思うばかりです。
モーツァルトと違ってベートーベンには出来不出来があります。この7番の前に「ウエリントンの勝利」という曲が書かれていますがこれは駄作の部類であって、7番はどうもこれと似た精神状態で書いたのではないかと思ってしまいます。ということで曲には関心がないのですが、第4楽章を演奏するにあたってこの曲を指揮者がどうとらえているか、明確にわかるという意味で非常に興味深い部分があります。ここは弦楽器がしっかり弾かないといけない難しい個所です。下の楽譜の赤枠の部分、それから青枠の部分です。ここのリズムの取り方で指揮者の個性がよくわかるのです。
赤い部分ですが、ベートーベンの指示はごらんのとおり「タアアタタアアタタアアタタ・・・・」です。青い部分は「タタアンタタアンタタアン・・・・」です。1小節に16分音符8個ですね。ところがこれを「タアタタアタタアタタアタ・・・・」、「タタンタタンタタンタタン・・・・」と音符6個にしていい加減にやっている指揮者がかなりいます。i-tuneでこの部分が聴き比べられるので片っぱしから聴いていみると以下のような分類になります。数名だけどっちともとれる人がいますが、近いほうに入れました。
いい加減派
カラヤン、フルトヴェングラー、ザンンデルリンク、ケンぺ、シャイー、ライナー、スイトナー、ムーティー、フリッチャイ、コンヴィチュニー、クレツキ、ノリントン、アーノンクール、バレンボイム、ショルティ(VPOと第2回目録音のCSO)、ドホナーニ、クリップス、ミュンシュ、ワインガルトナー、ボールト、クライバー(父)、ブリュッヘン、ナヌート、アシュケナージ、フェドセーエフ、ティーレマン、デ・ヴィリー、ドゥダメル、モリス
正確派
R・シュトラウス、ワルター、トスカニーニ、クレンペラー、ケンペン、リンデンバーグ、レイボヴィッツ、シューリヒト、ムラヴィンスキー、クナッパーツブッシュ、ストコフスキー、チェリビダッケ、スクロヴァチェフスキー、ベーム、サヴァリッシュ、クライバー(息子)、ショルティ(第1回録音、CSO)、クリュイタンス、フレモー、H・シュタイン、バーンスタイン、アバド、ハイティンク、サンティ、マズア、マリナー、マーク、MTトーマス、ヘレヴェッへ、エッシェンバッハ、ヴァンスカ
いい加減派もいろいろあって赤の入りは正確な8個だったのがだんだんアバウトになって6個になってしまう人も最初から我関せずで6個の人もいます。正確派のほうも、弦がきっちりとしたボウイングで刻もうとするため、赤の部分からテンポを少し落とす人がいます(もともと速い人は減速しないと弾けない)。赤は正確、青はややアバウトという人も。スタッカート気味にしていきなりここから気合が入る人もいます。逆にレガート気味にすいすいと弾き飛ばす人もいます。本当に面白いものです。ご興味ある方はご自分の耳で確かめてみてください。i-tuneで Beethoven7 と打ち込んで第4楽章をクリックすれば以上の演奏の問題個所は全部お聴きになれますよ。これは「聴きこみ千本ノック」です。確実に耳が鍛えられます。
僕の好みとして、いい加減派はだめです。この譜面からどうしてそういう弾き方になるのか?身勝手なのか性格的にアバウトなのか?ともあれ僕にはついていけません。若手のホープと目される人たちがそっちなのはやや気になります。ショルティは1回目の全集は正確、2回目のはいい加減。わからない人です。分類結果を見るとこの曲に限らず僕が好きな指揮者は見事にほぼ正確派に入っています。皆さんのお好きな指揮者はいかがですか?
クラシック徒然草-エミール・ギレリスの天上の音楽-
2013 AUG 1 18:18:13 pm by 東 賢太郎
僕の拍手が作曲家90、演奏家10という意味はもうすこし説明が要るでしょう。これは演奏家の価値について云々しているわけでもなければ、感動的な演奏会を聴かせてくれたパフォーマーの才能や努力にあえて少ない敬意しか払わないということを言っているのでもありません。作品が演奏家なしに聴かれることはないように、演奏家も作品の力なしに感動を与えることはできません。それはいかにも当たり前のことですが、作品のクオリティと演奏家の演奏能力がここで問題にするようなレベルに達しているものという前提において、いよいよ最後に、その両者の関わり具合というものが聴衆に与える感動の大小というものを決定づけているのだという僕の経験を述べさせていただく必要があります。
神童といわれる子がリストを弾くリサイタルがあったとして、それを大家の弾くシューマンのそれと同じ興味を持って僕が会場に赴くことは100%ありません。まず、僕にとっては、リストは誰がどれを弾こうと食指の動く相手ではありません。それがリヒテルだろうと。だから感動の総量はおのずと知れていて、「90部分が満点」であっても僕は満足して帰りの電車に乗らないだろうことを自分で知っています。次にそれを小学生の子が完璧に再現したからといってリヒテルに勝るはずもないでしょう。あるとすればこんな子がという意外性だけです。でもそれは、僕の中においてはサーカスで犬が数字を当てましたというのと何もかわらない。では、子供がシューマンを弾くというなら? 聴いてみるかもしれませんが、そしてそれがリヒテル並のものなら、それは評価しないはずがありません。ですがそれは「90が満点だ」ということです。鐘が十全に鳴ったということ。突き手の年齢に反比例して鳴りが良くなる、という風に聞こえるようにはあいにく僕の耳はできていないのです。眼が不自由な辻井 伸行さんのピアノ。実演に接したのは1度だけですが、それは純度の高いクリスタルのようなタッチと明敏なリズム感で非常に印象に残っている見事なラフマニノフの協奏曲2番でした。彼が身体的ハンディキャップを圧(お)して完璧なテクニックを披歴しているという観点から幾分でもその演奏を高く評価するなら、それは真の芸術家に対して大変に失礼なことです。そういう彼の音楽創造プロセスの因果関係などとは一切かかわらず、彼の生み出した音は非常に美しいと僕は思いました。
演奏会でXの感動をいただいたとして、そこに演奏家のプレゼンスがX/10ぐらいしか感じられないケースというのが、実はあまりありません。弾き手の存在が神のようにほぼ消えていて、鳴っているのはベートーベンやモーツァルトそのもの、その純粋無垢な音楽美のエッセンスだけを感じさせてくれるというケースです。僕はこれが音楽演奏というだけではなく、それを必然的に内包している音楽創造というものの理想ではないかと信じています。井上直幸さんのモーツァルトは、おそらくそういう風に聴き手に届けることを目的として弾かれています。僕にはそう聞こえるのです。彼がリストの「超絶技巧」やラフマニノフの3番を弾いたかどうかは知りません。きっと弾けたのだろうけれど、だからといってそういう曲を彼がモーツァルトと同じ姿勢で弾いたということは到底考えもできないことです。彼は、僕の想像する限り、X/10を良しとする演奏家です。だからモーツァルトのような音楽を演奏してXを最大化することができるのです。逆に見れば、彼はモーツァルトの天才の深奥まであまねく見抜いているという知性と感性のおかげで、10の力で100の感動をそこから引き出しているともいえるのです。これが名人の技でなくて何でしょう。一方で、そういう性質の音楽というのは、「彼の存在」がX/8になりX/6と大きくなるにつれて、Xは反対にどんどん値を低くする関係にあると僕は感じています。派手なアクションで汗だくになって飛び跳ねる指揮者の運命交響曲が別にだから素晴らしいわけでも何でもないように。マルタ・アルゲリッチがモーツァルトを弾くのはこわいと言ったのは、何らの技術的な問題をはらんだことであろうはずもなく、彼女の演奏家としての信条や持ち前のスタイルがひょっとするとXを逓減させてしまうのではないかということを、僕とは全く異なった角度や論理や本能から彼女が感知したからではないかと思っています。
僕がリストやパガニーニの類の音楽に関心を抱いた経験がないのは、仮に井上さんのような真の芸術家が弾いたとしても「彼」がX/10でとどまっていることがどうしたってできない、要するに、曲の方がそういう風に書かれていないからです。リスト自身が公衆の前で目立つことを目的として書かれた曲だからX/2ぐらいがいいところ(最適解)であって、がんばってX/10でやってみたらXを減らすだけ、つまり聴衆を退屈させるだけの曲なのです。そして、なんとか最適解を得たところで、僕には何の感興も引き起こしません。自分はそうではないという方がたくさんおられるはずですし、そういう方はここでこのブログを閉じていただきたいのですが、僕にとっては大半のイタリアオペラのアリアも同類であります。X/1.2ぐらいに書かれているのもあるように思う。へたすると初演した歌手でないともうだめなんじゃないかというぐらいの数値をもった曲、例えばユーミンやらカレン・カーペンターの曲がきっとそんなものだろうと推察できるレベルまで特定の演奏家の声が作曲の前提だったんじゃないかと見えるようなのもあります。実はモーツァルトもまったくもってそうやって、服を仕立てるように特定の歌手に合わせたアリアを書いたのですが、彼の声楽書法の非常に器楽的な側面が救ったのと、何よりいかように何をどう仕立てたとして結果が紋切型に終わらなかったという、彼の天才を説明するに欠くことのできない顕著な特性があいまって、時代を超えてユニバーサルな音楽となっています。今日の魔笛は良かったね、ところであのパミーナは何という歌手だったっけ?ということがありうる。X/10が成り立つのです。ヴェルディやドニゼッティのプリマでそういうことはあまり想定できないように思います。
では、その日の演奏会の感動のほぼすべてを演奏家が占めてしまう、つまりX/1に限りなく近いようなことは起こりえないのでしょうか?僕はそういう経験は2度だけしかしていませんが、あり得ます。ただしきわめて稀なことであり、いくら熱心なコンサートゴーアーであってももし人生で一度でもめぐり会えば幸運とするような、ゴルフならホールインワンぐらいの頻度のことかもしれません。ひとつは ヴラド・ペルルミュテールがウィグモア・ホールで開いたリサイタル。これはいずれどこかでご紹介します。ここで書くのはもうひとつの方、ロイヤル・フェスティバルホールでエミール・ギレリスがチャイコフスキーの協奏曲第1番を弾いたときのことです。このとき、僕は自分がいったい誰のためにapplause(拍手)を送っているのかという馬鹿馬鹿しいぐらい酔狂なことを初めて真剣に自覚したという意味でも、忘れられない重要な経験になっているのです。
1984年10月14日。それはチャイコフスキーの第1楽章が開始して間もなくの速いパッセージにさしかかって、かつて鋼鉄と評されたギレリスの指がもうほとんど回らなくなっているという悲しい現実にロンドンの聴衆が息をのんだ日でした。音楽が進むにつれ、誰よりも、巨匠自身が深く傷ついているであろうことを聴衆がとても恐れている、そういう空気がだんだんと会場そこかしこで醸成されてきているように感じられました。終楽章の最後の一音がすべてをかき消さんとばかりに堂々と鳴り終わるや万雷の拍手とブラヴォーがロイヤル・フェスティバル・ホールを包みこんだのです。老ピアニストの健闘をいたわり、目の前の演奏の是非ではなく、彼のこれまでの輝かしい栄光を満場の一致によるapplauseで一心不乱に称えたのです。その時です。立ち上がって会場に一礼したギレリスは両手で拍手を制し、もう一度ゆっくりとピアノに向かって、静かに、何かに祈るように独奏を始めました。信じられないぐらいとても静かに。そして、その時に彼が弾いた曲を、僕はどういうわけか覚えていないのです。そのときのあまりに静謐な情景、指揮者ベルグルンドもオーケストラも聴衆もすべてが凍りついた人形みたいに微動だにせず、耳をそばだてて息をひそめている中で、どこからともなく天上の調べが降りそそいでくるかのような神々しい情景に我々は飲みこまれていたのです。
僕はギレリスのチャイコフスキーの協奏曲1番のレコードを愛聴して生きてきた人間のひとりです。それは彼の十八番でもあり、最も輝かしくドラマティックな演奏として僕のレコード棚に今もひっそりとあります。ベートーベンのハンマークラヴィールソナタ、ブラームスの協奏曲やお嬢さんと弾いたあの優しいモーツァルトだって。アルトゥール・ルービンシュタインに「彼がアメリカに来るなら、私は荷物をまとめて逃げ出す」と言わしめた鋼鉄のタッチ。あの日に涙をこらえながら力の限り送った僕の拍手というものは、長年かけて彼からいただいてきたすべての音楽の喜びに対してのまぎれもない僕の精一杯の感謝、返礼でした。それを届ける機会が得られたなんて、何と幸せなことだったろう。そして、おそらく、あの最後にどこからとなくひそかにおごそかに響いてきた音楽には、もはやそれを奏でている大ピアニストの己の投影は微塵もなくて、彼自身の人生をかけた音楽への愛情と感謝が音となって流れ出ていたものにちがいないと信じているのです。あれはシューベルトやシューマンの音楽だったのだろうか?いや、そうではなく、誰の作品でもなくて、天上の音楽だったのに相違ないと。
クラシック徒然草-日本の演奏家は優れている-
2013 JUL 19 18:18:46 pm by 東 賢太郎
日本のホール事情について僕はどうしても否定的なのですが、演奏家はどうかということを一言申し上げておきます。
あるチェコの演奏家が「日本に行くといつも新世界ばっかりやらされる」と嘆いたそうです。招聘元からすればまずチケットを売るのが大事ですから仕方がないのでしょう。音楽に限らず芸術は金に糸目をつけぬ資本家かさもなくばコミュニスト国家を求めているのかもしれませんが、やはり聴衆の方がチェコ・フィル=新世界、パリ管=幻想、とステレオタイプになってしまうのが問題の根源にあります。チェコ・フィルのドビッシーやパリ管のブラームスだって時には聴いてみたいと思うのですが、日本ではなかなか稀なことです。
僕がN響の定期会員なのは、シェフが変わるごとに彼の国籍に合わせてドイツもの、フランスもの、ロシアもの、イタリアものなんでも聴けるというのが理由のひとつです。シェフが固定だと彼の国籍、趣味で偏る可能性があるからです。だからN響は指揮者の要求に敏感に対応する優れた能力があると思います。カメラのCMで美人は美人なりに、そうでない人はそうでない人なりに・・・というのがありましたが、いいシェフもそうでないシェフも「それなりに」映し出してしまうのでとても面白い。しかしこのオーケストラの十八番は何だと聞かれると、ちょっと返答に困ります。誰々が振った時の何々、と枕詞がついてしまう。いやそれでも出てくる音は世界に恥じないレベルなのでいいじゃないかといえば確かにそうなのですが・・・。
韓国はチョン・ミュンフンという国際的スター指揮者がソウル・フィルハーモニーと天下のドイツ・グラモフォンの契約をまとめあげ、一躍、「国際水準のオーケストラを持った国」になりました。マーラーやブラームスのCDは欧米でも売れているそうです。なぜ日本にこれができないんだろう?もっと国際的な小澤征爾さんがいるのに。N響の方がずっとうまいのに。どうもサムスンと日本の電子機器メーカーの戦いを見るようでなりません。天下のNECが、小惑星イトカワの微粒子を地球に持ち帰るという世界を驚かせた宇宙最先端技術を有するNECが、スマホでサムソンにコロリと負けてしまう。これはいったい何なんだろうか??
東京都交響楽団(都響)というオケは音楽を解しない都に予算を削られて大変苦労したと思います。僕はたしか2005~6年頃にこのオケがサントリーホールでバルトークの「管弦楽のための協奏曲」をやるのを聴きました。これが驚異的な名演で、強く印象に残っているのです。この難曲はうまいオケはうまいオケなりに・・・ですから都響の水準は国際的にも非常に高いといってよろしいかと思います。都響は強力なセールスマンが必要なのです。そうすれば欧米で必ず評価されると信じます。
チョン・ミュンフンは韓国大統領と同じで「トップ外交」に熱心なわけです。どうして日本の指揮者にそれができないんでしょう。日本の音楽家はみな大なり小なり西洋人の壁と戦っていると思います。いみじくもチョン・ミュンフン自身が同じことを「東洋人の音楽家」におきかえて言っています。韓国の聴衆のレベルも日本と五十歩百歩ですから、オケのため音楽家のためにも外へ出ていく、それも本丸へ乗り込んでいくしかないでしょう。人口5千万人だとそう思う、でも1億2千万人もいればまあここで食えるからいいんじゃないと思う。そういうことなんでしょうか?
閑話休題 -上原ひろみ ザ・トリオ・プロジェクト -
2013 JUL 13 0:00:05 am by 東 賢太郎
この子はすごいです。
僕はベートーベンの中にジャズを見ることがあります。
クラシック徒然草-ダボス会議とメニューイン-
2013 JUN 11 0:00:01 am by 東 賢太郎
「ザルツカンマーグートを見たことのない者にベートーヴェンの田園交響曲は解釈できない」 (ユーディ・メニューイン)
と20世紀を代表する大ヴァイオリニストは言ったそうだ。 「ラインラント地方を見たことがない者にシューマンのライン交響曲は指揮できない」 と信じる僕ごときと似たような音楽観をお持ちだったのかどうか真意はわからないが、それを先日ある人からうかがった瞬間に記憶が脳裏によみがえった。メニューインについてはある思い出があって、強い印象が残っているからだ。
1997年2月、野村スイスの社長だった僕は本社からの指示でスイスのいわゆるダボ
ス会議(World Economic Forum)に3日間参加した。この会議がどういうものかご存知の方も多いだろう(今年は安倍首相も出席してアベノミクスが話題になった)。登録者のみが参加できるのだが、たしか当時ひとり2万ドルぐらいかかったようだ。登録が受理されると名簿(辞書風のディレクトリー)に顔写真とプロフィールが載るのはSMCのメンバーリストと似ている。登録者各人に割り当てられる「鳩の巣箱(pigeon box)」という丸い穴の開いた郵便ポストがあるが、アルファベット順になっていて、Azumaのお隣さんはArafat(PLOのアラファト議長)だった。毎日の進行はというと、朝一番のブレックファスト・ミーティングから夕方6時ぐらいまで6~7コマのセッション(時限)があり、会場には大中小の様々なホールや教室があって、各々の部屋で同時進行で行われる。どの時限にどの部屋に行こうが自由だが各部屋とも人数制限があるので事前にレジスターしないと入室できない。人気のあるコマはすぐ満員になってしまうのでこのマイ・スケジュール作りが結構大変だった。言語は基本的に全部英語だ。
ダボス会議と呼ばれるが一様に会議なのではなく、一方的講義形式、パネルディスカッション型式、視聴者参加型ディスカッション型式などいろいろある。5~6人座っている複数の丸テーブルを複数のパネラーが10分ごとに回遊してアドホックに議論する型式は大変面白かった。僕のテーブルには米国連銀(FRB)の局長がいて、パネラーのひとりがチェコのハヴェル大統領だった。大統領がやってきていきなりアメリカの悪口をいいだすと、FRBがすぐに応酬する。チェコ好きの僕はなんとなく大統領に組してFRBの通貨政策を批判する。結論はない。10分でベルが鳴り、次のパネラー(ぜんぜん違う立場の人)が来る、という塩梅だ。まるでボクシングみたいだった。
当時、世界最高のCEOと尊敬されたGEのジャック・ウェルチ会長のブレックファスト・ミーティングは迫力があった。演壇上から南部なまりの英語で彼のスピーチは始まったが、だんだん自分の話に興奮してくるとマイクを手に持って熱弁をふるいながら演壇を降り、僕の丸テーブルのすぐ脇まで来てしまった。こっちは朝食を食べているのだがツバキが飛んできて困ったものだ。しかしそんな超至近距離で天下のウェルチのオーラを浴びられたのは何か感ずるものがあった。あれ以来、僕は英語でスピーチするときは無意識に、あの時のウェルチをイメージするようになっている。
ビル・ゲイツ(マイクロソフト)とアンドリュー・グローブ(インテル)の「ネットワーク社会」の対談は今日をほぼ予見していたが、いま振り返ると隔世の感があるともいえる。グローブが何やら小さい箱型の機器をポケットから取り出して「皆さん。びっくりしないでください。これは電話機なんです。今からこれでちょっといたずらしてみましょう。当社のストックホルム現法の社長を呼び出してみます。彼は私から電話が来ることなんか知りません。」といって我々の前でそれをやって見せた。ストックホルムの社長も驚いたが、見ていた1000人の観衆も驚いた。今なら小学生でもできることだ。1997年、世界のケータイ事情はまだこんなものだった。
ダボス会議の1週間というのは、こういう人たちが一堂に会し、会場内を普通の人である我々と分けへだてなく闊歩している。びっくりしたのはユーディ・メニューインのセッションがあったことだ。いや、それが彼のセッションだったのか、誰かのゲストとして呼ばれていたのか、もう記憶が定かではない。しかし、ひな壇にあった顔はまさに、レコードのジャケットで見知ったあの大ヴァイオリニストだった。楽器を弾いたわけではない。何か訥々とスピーチをした。心の中にいる神、政治の凶暴さ、戦争と平和、芸術のできること・・・などといった内容のものだったように思うが、彼について知ってることといえばフルトヴェングラーと録音したいくつかの名演奏ぐらいという体たらくだった僕はいくら彼の英語に耳をすませてもよくわからなかった。そこにいた僕の周りの聞き手が知っていて、たぶん僕だけが知らなかった彼のパーソナル・ヒストリーはこんなものだ。
7歳でサンフランシスコ交響楽団と共演した神童だったメニューインは、アメリカで経済的に困窮していたハンガリー人亡命者べラ・バルトークを助け、あの無伴奏ヴァイオリン・ソナタを献呈された人だ。また一方では、ユダヤ系ながら第2次大戦後のドイツとの和解を訴え、ナチス協力者の烙印を押されていたフルトヴェングラーと共演して彼の無実を擁護した。それが米国ユダヤ人社会の逆鱗に触れ、米国で支配的だったユダヤ人音楽家社会から事実上排斥されて欧州へ移住する運命となった。第2次大戦は欧州から米国へ移り住む多くのユダヤ人音楽家を生んだが、その逆は彼ぐらいのものだ。
このフルトヴェングラー事件は彼の父君がアンチシオニストの哲学者だったという思想的影響があったかもしれないと思う。誰とて父祖の薫陶から完全に自由であるのは難しい。ダボス会議の主役はアメリカではない。欧州だ。舞台は戦争の血なまぐささとは縁の薄いスイスだ。米国を追われ、そのスイスに居住し、英国で貴族の称号であるロードを授与された音楽家。ちょうどその1997年に欧州金融界が米国流ビジネスであるインベストメントバンク化の道を選択し、スイスの銀行が米国の圧力でナチ・ゴールドで守秘義務の解除を余儀なくされたこと、翌年5月に欧州中央銀行が発足し、統一通貨ユーロが誕生したこと。今になって、メニューインの存在が重なる。
僕は彼の実演を1度だけ聴いた。84年2月8日にフィラデルフィアのアカデミーでやったリサイタルだがほとんど記憶にない。84年の2,3月はMBAが取れるかどうかの期末試験で心ここに在らずだった。先週たまたまタワーレコードで10枚組で1,800円というメニューインのCD10枚組を見つけたので買った。
古い録音が多いので期待せずに聴きはじめるとこれが面白い。耳がくぎづけになって一気に10枚聴いてしまった。フルトヴェングラーがフィルハーモニア管を指揮したベートーベンの協奏曲。EMIの有名な録音だが改めて感動した。これだけオケが立派な演奏は少ない。全曲が泰然としたテンポで進み、第3楽章も急がない。第2楽章はロマン派ぎりぎりの夢見るような弦がソロをほのかに包みこむ。第1楽章はベートーベンの書いた中でもひときわ巨大な音楽でありいつ聴いても天才の発想に圧倒されるが、独奏がこれほど気品と風格にあふれ、古典派演奏の枠を超え人間味の限りをつくしたあたたかさが伝わるものはほかにない。ロマンスの2番。ベートーベンにモーツァルトの影響を最も顕著に感じる作品のひとつだ。この演奏も最高だ。
同じコンビでバルトークの協奏曲第2番!メニューインは自分が助けた2人の盟友を自らの新天地ロンドンで結びつけたのだ。4分音(半音の1/2)など音程はややア
バウトながら縁の深いバルトーク作品を格別の気迫で弾ききっており、フルトヴェングラーのほうも丁々発止オケを触発してそれに応えている。オケの反応も上々だ。前衛性はやや後退して古典に聞こえるものの、いい演奏なのだ。意外かもしれないが最も前衛性の強いピアノ協奏曲1番をバルトークの独奏でフランクフルトで初演したのはフルトヴェングラーである。録音は残っていないが彼は管弦楽のための協奏曲もやったらしい(聴いてみたかったなあ)。彼が同時代の音楽にも適性があったのは、自身が交響曲を3曲も書いた現代音楽作曲家でもあったのだから当然といえば当然なのだろう。
シューマン、ブルッフの協奏曲。独奏が文句なしに素晴らしい。全盛期のテクニックが冴えわたるが機械的でなく、いつも知性と人のぬくもりを感じる。前者はバルビローリとニューヨーク・フィルがこれまたいい。ナチスの妨害で初演できなかった因縁の曲だが、ヨアヒムが演奏不能とした第3楽章のめざましい表現は技巧を感じさせない。なんていい曲なんだろう。シューマンの最後のオーケストラ曲だ。いい曲に決まっているのだが、こういう水を得た魚のような演奏を聴かなくては曲の真価は見誤ってしまうのだ。
エルガーの協奏曲。これも地味だがいい音楽だ。32年録音の協奏曲はエルガー自身がロンドン
交響楽団を振って伴奏している歴史的遺産である。このツーショット、左の若きイケメンがメニューイン、右はそのエルガーだ。彼は英国に縁があったのだ。ドヴォルザークの協奏曲。師匠のエネスコの指揮するパリ音楽院管弦楽団がやや荒っぽいのが欠点だが、心に響くヴァイオリンが滔々と歌うとそれも忘れてしまう。メニューインは一時技術的に停滞があったのと、LPレコード時代の録音が薄っぺらい音に聴こえた(僕だけでないだろう)せいだろうか、日本での評価が欧米より低いと思う。この10枚組は音も意外に悪くないので彼の歌の真価がわかる。この歌、グリュミオー、ギトリス、フェラスといったエネスコ門下のヴァイオリニストにどこか共通するものがないだろうか?
ジョコンダ・デ・ヴィートとのバッハ。これも好きだ。2人の個性はそのままに、お互いぶつかり合うのではなく折り目正しく調和している。格調高いバッハになっていながら豊穣な歌心も感じる。ニールセンの協奏曲は特に印象に残った。指揮はウィーン・フィルとのハイドンでご紹介したデンマークのマエストロ、モーゲンス・ウエルディケである。デンマーク国立放送管弦楽団とのお国ものであり、オケの気迫が尋常でない。そしてメニューインがバルトークに委嘱し、献呈された無伴奏ヴァイオリン・ソナタは「直すところなんてない。これからずっと君の弾いたように演奏されていくだろう。」と作曲家に言わせた演奏だ。
10枚を聴き終えて、浮かんできたのはダボスでの彼のスピーチだ。ジョークを言うでもなく大声で主張するわけでもなく、訥々と淡々と人生を回顧するようなおだやかな語り口。当時は知識もなく意味も充分にわからなかった僕はなぜか感銘を受けていたのだ。そういうことは僕にはあまりない。彼が大ヴァイオリニストだからということは、僕に限ってはまったくない。そうではなく、どこか、彼の人格に由来する独特のたたずまいに包み込まれてしまったかのように思える。音楽やヴァイオリンの話はまったくなかったのに。
おそらく、すぐれたプレゼンテーターというのはすぐれた人格者だ。内容が金融であれ音楽であれ、それはあくまで題材であり、聴く者の心に深くこだまして納得感や感動という心の動きを作り出すのは題材にのって運ばれてくるその人の人間性のほうだと僕は思う。音楽は楽譜に書いてある通り正確に音を出せばいいというものではなく、解釈という、プレゼンテーターの心の作用のみがもたらすことのできる釉薬(うわぐすり) が加味されて初めて人の心に触れてくる。原稿を読みあげる政治家の答弁が、それがいかに文法的に正しく整った日本語であり、いかに正確に発音されていようとも、なかなか我々を説得するに至らないのと同じである。
メニューインの人道主義者、哲学者としての立派な側面は後で知ったことだから、あの時に僕を感動させたのは彼の人柄なのだろうと思う。すぐれたプレゼンをするなら、労苦を厭わずすぐれた経験を積み、人格を磨くことだ。プレゼンの小手先のテクニックなどは後回しでよい。僕は音程の甘い演奏は嫌いだ。好き嫌いだからどうしようもない。そして、メニューインの音程は僕の聴く限りやや甘い。だからあまり熱心な聴き手ではなかったのだ。しかし今回たまたま出会ったこれらのCDに1枚1枚じっくりと耳を傾けてみて、
「ザルツカンマーグートを見たことのない者にベートーヴェンの田園交響曲は解釈できない」
という彼の言葉の真意がおぼろげながら憶測できるような気がしてきた。ユーディ・メニューインが世を去ったのは、あのダボス会議の2年後のことだった。
クラシック徒然草-僕の好きなウィーン・フィルのCD-
2013 MAY 18 9:09:04 am by 東 賢太郎
「僕の好きなウィーン・フィルCD」の番外編です。
リヒャルト・シュトラウス 「ばらの騎士」 ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 (55年11月16日、ウィーン国立歌劇場こけら落とし公演)
僕が一番好きなオペラCDのひとつ。ばらの騎士はチューリヒ等で3回、そしてザルツブルグ音楽祭ではカラヤンとウィーン・フィルで聴きました。しかしこのCDのライニング、ギューデン、ユリナッチ3人の女声の蠱惑にまさるものではありません(特に僕はユリナッチが好きなので)。そしてクナです。練習嫌いで好き勝手な演奏をしていたイメージがありますが、シュトラッサーによるとすべて暗譜しており高度な指揮技術があって振り間違えたことは一度もないそうです。なぜスコアを置いて振るのかと尋ねられたら「僕は楽譜が読めるからね」と答えたのは有名です。「皆さんはこの曲をよく知っています、私も知っています。では何のために練習しますか」と言って帰ってしまった逸話も有名ですが、その時の公演がこれです。
練習場が響きの異なるアン・デア・ウィーン劇場だったので「諸君も私もここで練習することを望んでいない。ではゲネプロで会いましょう」だったという説もありますが、僕はこの説が事実で、面白おかしく尾ひれがついたのが通説と思います。R・シュトラウスを得意としたクナは56回も薔薇の騎士を振っていて、おそらく当時この曲を最も知り尽くした指揮者でした。オケと女性歌手3人は前年にエーリヒ・クライバーとこれを録音しています。だから合わせるのはゲネプロで充分で、むしろクナは本番では良い流れをつくって自発性、緊張感を重視したのだと思います。そして結果はまさにそうなっています。ライブなりのアンサンブルの甘さや声のうわずりはありますが、それこそクナが望んだものでしょう。スタジオできっちり整理された演奏よりよほど面白く、今そこでこの曲が無から生み出されているのに立ち会っているようです。録音も、とてもなまなましく、絶好調かつ貴族的なウィーン・フィルの音が聴こえます。オーケストラピットに近い特等席で聴くよう。なんという贅沢でしょう。この奇跡的な録音が残っていたことを天に感謝するのみです。
シベリウス交響曲第4番、交響詩タピオラ ロリン・マゼール指揮
ウィーン・フィルに春の祭典をやらせたのはショルティが最初かもしれませんが、録音したのはマゼールが初めてです。そのレコードが出た時は興奮しました。大学時代です。しかしワクワクしてレコードをかけてみると祭典フリークの僕としては極めてロースコアのマンガ的演奏。ねこが無理やりお手をさせられているのが面白いだけの二級品でがっくりきたのを覚えています。以来一度も聴いていません。最後の20世紀巨匠のひとりマゼールは昨年N響に来て法悦の詩(スクリャービン)をやりましたがオケが良く鳴るなあ(これは立派)というだけのものでした。しかし8歳でニューヨーク・フィルの指揮台に立ちモーツァルト以来の神童と言われたこのロシア・ユダヤ系アメリカ人指揮者は若い頃にすごい録音をいくつか残しています。1963年、彼が33歳のときに録音したこのシベリウス交響曲全集は今でもウィーン・フィルによる唯一の全集ですが、その中の4番とタピオラを初めて聴いたときの衝撃は一生忘れません。
このオケにとってシベリウスの4番は春の祭典以上に共感のない曲でしょう。しかしこの演奏は最高に素晴らしい。鳴りだした瞬間から得もいえぬ緊張感で金縛りにあい部屋は極北の雪原に様変わりします。氷が張りついたような冷厳なスコアなのですがこんなに人の息吹を感じさせない大自然に放り込まれたような寂寞感を音楽から感じた経験は一度もありません。しかし灰色一色の水墨画的風景かというとそうではなくウィーン・フィルの音彩がくっきりと浮き出た強いメリハリと自己主張のある構造的な演奏なのです。相容れないものが同居している。マゼールとウィーン・フィルという別々の個性がぶつかり合って非常に微妙な均衡のもとに一期一会で成り立った奇跡的な演奏です。交響詩であるタピオラはより明確に情景を喚起します。樹氷の森の中、突風に舞いあがった雪が粉のようにきらきらと陽光に輝きながら落ちてくる半音階フルート・パッセージ!世評の高いオーマンディーの演奏と聴き比べれば僕の言いたいことがお分かりいただけるでしょう。これは映画館かディズニーランドで見る霧氷の景色です。部屋は暖かいのです。ちなみにマゼールはピッツバーグ響とシベリウスを再録していますが、極北の風景と気温は消えています。
ブラームス交響曲第2番 フェレンツ・フリッチャイ指揮
48歳で白血病で亡くなったハンガリーの名指揮者フリッチャイは死の2年前にザルツブルグ音楽祭でイドメネオを振りましたがそれが好評でウィーン・フィルとの追加演奏会が開かれました。そのライブがこれです。第1楽章からフリッチャイの声(歌?)が聴こえ音楽に没入しているただならぬ雰囲気です。第2主題はテンポを落としてじっくり歌い抜きます。第2楽章中間部のチェロ主題の呼吸の深さ!音楽は止まりそうなほどに心がこもり、こんなにロマン的なこの楽章の味わいはめったにありません。第3楽章はオーボエソロを始めウィーン・フィルの魅惑的な木管がちりばめられ至福のひと時です。第4楽章のトゥッティの入りは全楽器が息をひそめて飛びかかる緊張感がすごく、フリッチャイの気合いを入れる声が聴こえます。
フリッチャイがウィーン・フィルを振った録音も珍しいのですが、さらにこの演奏、ほとんど練習していないぶっつけ本番という様子で、気合いが入りすぎ気味の棒にウィーン・フィルが必死に合わせているという意味でも珍しいものです。ということでこのオケとは思えないミスがあります。少々はいいのですがコーダの金管のミスだけはいただけなく、この曲をまだ覚えていない方にはおすすめできません。あくまで通のかたに第2,3楽章を聴いていただきたい。
ハイドン 交響曲第100番「軍隊」、101番「時計」、104番「ロンドン」 モーゲンス・ウエルディケ指揮
市場にはLPしかないようで恐縮ですが買う価値があると思います。ヴァンガード録音で契約上ウィーン国立歌劇場管弦楽団と書いてありますが、これがウィーン・フィルと同じものであることはもう拙稿でお分かりでしょう。ハイドンはこのオケにとってお国ものであり誇りでもあります。ハンブルグ生まれのブラームスは交響曲88番の第2楽章を聴いて自分の交響曲の緩徐楽章はこのように聴こえなくてはならないと言ったそうですが、ソナタ形式音楽の父としてだけではなくウィーン的な音楽情緒の範もそこに見出していたのではないでしょうか。そのようなチャーム、ウイット、ユーモアが堅固なソナタという宝石箱におさめられてきらきらと光り輝いているのがハイドンの音楽なのです。
ウェルディケ(1897-1988)は作曲家ニールセンに学んだデンマークの指揮者で、ハイドン学者を義理の息子に持つハイドン演奏の大家です。ウィーン流の優雅、流麗さなどどこ吹く風でティンパニを強打し、ベートーベン奇数番号につながる自己主張を見せる104番(ロンドン)が僕は好きで、こういう骨太で彫の深い演奏をウィーン・フィルにさせたウェルディケの手腕に拍手です。オケの方もバリリの頃の色合いを残したコクのある音が懐かしく、タテにそろわない合奏のバランスも古風です。アンサンブルが交通整理されてきれいではあるがどこか蒸留水のように味気ない現代オケのハイドンへのアンチテーゼです。
ベートーベン交響曲第3番「英雄」 カール・ベーム指揮
フルトヴェングラーは楽譜の背後に自分が読み取ったものを重視し、その表現のためには楽曲の構築美は従属的となる場面が多々ありました。ベームにそれはありません。あくまで音楽自体の持つ自然な美に忠実であろうとする意思を感じます。したがって、ドイツ音楽において構築美というものは美の重要な要素ですから、それを従属的に扱うという選択肢はないのです。それがもの足りない人には「ベームのスタジオ録音はつまらない」と評されましたが、それはない物ねだりというものです。先日TVで、宮大工の名匠が、弟子が一人前になるには「10年毎日鉋(かんな)の刃を研ぐことのみ」と言っていたのを見てベームを思い出しました。職人気質の頑固おやじだったベームは指揮者に肝要なのは「音楽の常識だ」と言い、
その常識に添うようオーケストラには厳しい練習を課してウィーン・フィルにも恐れられていました。しかし幸いなことにベームの持っていたドイツ系音楽演奏の常識というのは、私見ではフルトヴェングラーやカラヤンのそれよりずっと普遍的であり、また、現代の指揮者があえて構築美を前面に出そうとするような場合に感じる力こぶや作為もありません。今やろうとするとそうなってしまうものが「当たり前」という良い時代だったのであり、その時代の大らかさも感じる演奏で、練習が厳しいと言っても紡ぎだされる音楽は骨ばった北ドイツ風ではなくオーストリア風の流麗でチャーミングなものです。フルトヴェングラーには「恋人」だったウィーン・フィルはベームには「正妻」がふさわしいでしょう。これは最晩年にそのウィーン・フィルで録音したベートーベンの交響曲全集(上)のエロイカです。この全集、田園ばかりが名演とされ有名ですが、
このエロイカこそがムジークフェライン大ホールにおけるウィーン・フィルの音を見事にとらえ、その音響、残響、両者のブレンドが 「要求」 する最良のテンポとダイナミクスで演奏されている理想的な例としてぜひお聴きいただきたいものなのです。あの名ホールに聴衆を入れずに演奏するとこういう音だろうという絶妙の音です。このテンポが「遅い」のではありません、この音だとこのテンポになるというのがベームのいう「音楽の常識」なのです。ホームグラウンドでのウィーン・フィルを知り尽くした指揮者のもと、オケは盤石な演奏で応えています。百花咲き誇るあでやかな木管、コクのあるウィンナホルン、深い森のような弦、もしこれが良い音で聴こえないようなら再生装置がクラシック音楽と合わないと思われた方がいいでしょう。録音技術がベームに間に合ったのを感謝したいと思います。一つだけ、オタクレベルの話を記しておきます(一般には無視して結構です)。非常に微細な差ではありますが、右のKarl Bohm Edition(日本プレス盤)はドイツプレス盤と比べると音のバランスが良くありません。同様のことは高音質を謳ったブルーノ・ワルターのソニー・リミックス盤でもあり、かなり古い録音に許容度を持った設定になっている僕の装置でも高音のぎすぎすしたものでした。これを初めて聴いたらワルターを嫌いになる人もいるでしょう。それほどではありませんが、この日本盤もできれば避け、中古でもいいのでドイツ盤を探された方がいいでしょう。
PS
ベームは1977年6月にFM放送があったシューベルトの8番、9番のムジークフェラインでのライブが素晴らしく感動的で、天国からの響きのようで、いつまででもひたっていたい名演でした。これはカセットに録音したものをCDRにして今も愛聴しています。人為的ないやな刺激音や指揮者の体臭など一切なく、音楽はシューベルトが書いたままの自然な姿を紡ぎ出して神々しい高貴さをたたえながらコーダへ向けて高揚していきます。こういう音楽空間は何千回の演奏会に一度というものでしょう。僕はベームのこういうところに宮大工の棟梁を思い出すのです。ベルリン・フィル、ドレスデンskとのCDも良い演奏であり世評も名演との誉れ高いものですが、法隆寺、東大寺のようなこれに接してしまうともう別物です。
同じく1977年の8月、やはりNHK FMで放送したムジークフェラインでのライブでゲルト・アルブレヒト指揮のシューマン交響曲第2番。度肝を抜かれる大名演でした。これもカセットに収めたのですが、度重なる海外での引っ越しに紛れて紛失してしまいました。もし可能なら何としてでも手に入れたいです。
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勝手流ウィーン・フィル考(4)
2013 MAY 6 0:00:52 am by 東 賢太郎
とりあえず思いつく僕のウィーン・フィルCDのベスト3です。
第1位 マーラー「大地の歌」 ブルーノ・ワルター指揮、キャスリーン・フェリアー(アルト) (52年)
マーラー嫌いの僕ですが、この曲は時々聴いてます。しかしフェリアーの細かいヴィヴラートは実はあまり好みではなく、その分同じワルターの9番に気があったのですが花崎さんが挙げられたのでこれにしましょう。ウィーン・フィルの音というとこれが原点に近いからです。モノラルながら彫の深い良い音でオケの立体感もあります。それにしてもマーラーの愛弟子で当曲の初演者でもあるワルターの指揮は見事で「告別」(第6楽章)の最後は何度聴いても心を打たれます。47年にフェリアーがワルターと初めてこれを演じた時、そこに来て感動のあまり泣いてしまい、最後の”ewig”をついに歌えませんでした。謝罪されたワルターは「大丈夫ですよ。でも、もしあなたぐらいすばらしい芸術家ばっかりだったらみんな大泣きで大変だった」と慰めたそうです。
第2位 チャイコフスキー交響曲第5番 リッカルド・シャイー指揮
1980年、イタリアの俊英で弱冠27歳(!)の若造(失礼)だったシャイーのこれがデビュー盤でした。これを初めて聴いたときの電気が走ったような感動はまだ覚えています。テンポは伸縮自在、強弱は外連(けれん)を尽くし、主題はくっきり。ちまちました交通整理などどこ吹く風。欲しい音はエンジン全開で引き出す。歌う。若さの勝利です。おじさんには恥ずかしくてできません。それに興味を示したのか、最初は素っ気ないネコのウィーン・フィルがだんだん面白がって本気になって・・・そういう感じなのです。白眉は第4楽章でしょう。音を割るホルン、むき出しのトランペット、綺麗ごとでなく吠えるトロンボーン、ガツンとくるティンパニ、木管が原色の音丸出しでノッているのが分かり、弦セクションは体をゆすっている(はず)。ネコが完全に本気になって疾走するコーダのものすごさ。これをチャイコ5番ベスト3に入れるのに躊躇は全くございません。こんなウィーン・フィルをライブで聴けたらなあ!
第3位 ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲) ジェームズ・レヴァイン指揮
アメリカ人のウィーン・フィルによるフランス音楽。85年録音で、この頃から非ドイツ系レパートリーが増えていましたね。ベームのもっさりした火の鳥なんかのイメージがあり期待せずに買ったCDですが、何故か(?)とても上手い。こんなヴィルトゥオーゾ・オーケストラだったっけと驚きました。ただ、モントゥー、クリュイタンス、マルティノン、デュトワ、ブーレーズなどの色香や洗練とは味わいが異なり、ラヴェルのイディオムを弾き(吹き)慣れていないオボコい感じがあるのが好きでたまに聴いています。遠近感、合唱の扱い、メリハリは舞台を感じさせ、オペラ指揮者と歌劇場管弦楽団の相性を感じます。それでも弦の暖かい音色や木管の色彩はまぎれもなくウィーン・フィル。ぞくぞくするほど美しい。デリケートな部分ではフランスのオケにはない官能性を感じますが、どこか貴族的でもあります。たまに違った遊びをやるとネコは喜ぶのです。
以上ベスト3ですが、あれを忘れてた、こっちもいいぞというのがまだまだあります。花崎さん、ぜひ続編もやりましょう。
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勝手流ウィーン・フィル考(3)
2013 MAY 5 11:11:10 am by 東 賢太郎
最初にウィーン・フィルの実演を聴いたのがいつどこで何だったか、どうも記憶にありません。
オペラとしては83年夏にウィーン国立歌劇場でホルスト・シュタイン指揮の「パルシファル」でした。当時、曲を知らなくてあまり感動はありません。85年にロンドンでマゼールのブラームス1番と火の鳥、オケとしてはこれが最初だったかもしれません。僕は80年代以降のマゼールはあんまり好きじゃなく、これもつまらなかったですね。94年フランクフルトでのマゼールのメンデルスゾーン4番も印象が残っていません。92年にはシノーポリと来日してマーラー1番とドン・ファン。NHKホールの音もさえず、ドン・ファンのオーボエ部分の異様な遅さなどオケのいじめにでもあってるんじゃないかと思うほど生気がなく、誰がやってもブラボーであるマーラーも珍しい冷めた演奏でした。この1番、2年後にフランクフルトでマゼール指揮でも聴きましたが、これもだめ。このオケ、巨人が嫌いなんじゃないかと本気で思いました。
真価を感じたのは、ニューイヤーコンサート以外では以前書いたロンドンでのプレヴィンのハイドン。それから94年にフランクフルトでのムーティのベートーベン8番とチャイコフスキー5番。83年のザルツブルグ音楽祭でのカラヤンのばらの騎士、やはり96年ザルツブルグ音楽祭でのマゼールのダフニスとクロエとベートーベンのヴァイオリン協奏曲、というところでしょうか。確かハイドンのアンコールで、打楽器の人が嬉しそうに小太鼓を運び込んでやったJ・シュトラウスのワルツ、何だったかは忘れましたが、これが自家薬篭中という風情でノリまくり大変良かったのも印象にあります。
以上のようなものですから、どうもこのオケの実演ということでは僕は割とハズレが多く、ネコが真剣にならないイメージの方が強いのです。ただ、ハズレの時でもこのオケの音色美はいつも堪能していますから因果なものです。それだけで普通の客は満足だろうと高をくくられても仕方ないぐらい魅力的な音なのですから、ネコ型にもなろうというものです。
このオケを味わうならウィーンへ行って、ムジークフェラインで聴かないとというのが僕の今の結論です。ネコが遊びを選ぶように彼らはハコを選ぶのです。NHKホールやサントリーホールの音響で彼らが本気になるとは到底思えません。ベームの時(75年)は聴衆の安保闘争なみの異常な熱気で目覚めましたがあれは例外でしょう。ニューヨークでも、格段にひどい音のリンカーン・センター(エイブリー・フィッシャーホール)じゃあだめです。あそこでこのオケが弾いている姿を想像さえしたくありません。ワシントンDCのJFKセンター、あのホールでもチェコ・フィルは懸命にいい音を出しましたがウィーン・フィルは無理でしょう。フランクフルトのアルテ・オーパー、あそこは一見音がよさそうに見えるホールなのですが、大したことありません。ドレスデン・シュターツカペレの弦ですらしょぼい音でした。だからウィーン・フィルはやはりあまり真価は出してくれませんでした。それでいいんです。超美人ですから顔を出すだけで普通の客は喝采するのです。
ということで、他のオーケストラはともかく、ウィーン・フィルが来日しても、僕は絶対に聴きません。金の無駄です。いいオーディオ装置で、ムジーク・フェラインかゾフィエン・ザールでの録音を聴いた方がよっぽどいい音がするからです。
それでは次回、僕が好きなウィーン・フィルのレコード、CDをご紹介しましょう。
勝手流ウィーン・フィル考(2)
2013 MAY 4 21:21:23 pm by 東 賢太郎
1996年の年の瀬のことです。野村スイス勤務だった僕は両親、家族とお正月を迎えるために年末から一時帰国して東京の自宅にいました。そこへ突然、秘書室より「社長が所用でウィーンに行くからすぐ現地で待ってお供しろ」という耳を疑う電話があったのです。
当時、欧州ビジネスに力を入れていた野村證券はウィーンに駐在員を置き、ウィーン・フィルを日本に招へいするなどウィーン楽友協会(Wiener Musikverein)と近しい関係を築いていました。その関係で楽友協会長からのニューイヤーコンサートへのご招待だったのです。僕の仕事はそれと関係はありませんでしたがなぜか白羽の矢が立ってしまい、急きょ12月30日のフライトを取って現地へ飛びました。
1997年1月1日、ウィーンは零下20度という極寒の朝を迎えました。世界の40か国以上に生中継され元旦の風物詩になっているニューイヤーコンサートは黄金の間(上)と呼ばれる楽友協会(ムジークフェライン)大ホールで行われます。このホールでウィーン・フィルを聴くのは全クラシックファンの究極の憧れと言っていいでしょう。僕も初めてであり、時差ボケも吹っ飛んで五感を全開にしてコンサートに臨みました。
指揮者がフィラデルフィアで2年聴いたリッカルド・ムーティだったのもご縁でした。右はその時のCDです。この時聴いたウィーン・フィルの音は一生忘れません。まさにレコードでなじんだ「あの音」なのですが、ムジークフェラインという天下の名ホールのアコースティック、空気感の中で聴くと、他のどこでも味わったことのない馥郁たる芳醇な美味とでも表現するしかない、暖かくも細部までクリアな音が体を包むのです。夢のような時間はアッという間にすぎ、終演後はムーティーのサインをもらったりしながらあまりの幸運に頬をつねりたくなる気分でした。これがその時の楽屋の写真です。後方の左から2番目が僕です。
その後、僕らは楽友協会アルヒーフ、つまりウィーン・フィルにまつわる大作曲家たちの自筆楽譜などをしまってある収納室へ招かれました。協会長が白手袋をはめて腫れ物に触るように慎重に開いて見せてくれたのがモーツァルトのピアノ協奏曲第20番K.466、シューベルトの交響曲第9番ハ長調、ブラームスのヴァイオリンとチェロの二重協奏曲などでした。シューベルトの最初のホルンが現行譜と違うのに驚いたら協会長に驚かれ、ブラームスはバーデンバーデンで初演したのになぜここにあるのかと尋ねたら、ウチで働かないか(笑)と言われました。
出てきませんでしたがシュトラウスの青きドナウも、ベートーベンの第九も、エロイカのナポレオンへの献辞もここの書庫に眠っているのです。本当に雇ってもらいたいぐらいです。これは千利休の茶室で彼の茶碗でお点前をいただいたようなものです。指揮者マーラーのコメント入りフィガロの結婚パート譜なんかもあるのです。違う風にフィガロをやろうとすれば、マーラーに挑戦することになるわけです。ショルティは「ウィーンで一番好きな道は?」と聞かれたら「空港へ行く道だと答えるね」、と言ったそうです。このオーケストラを指揮するのがいかに大変か、でもやり遂げたらいかに名誉なことか、何となくわかりますね。
その日は楽友協会幹部とウィーン・フィルのメンバーの方たちとの盛大な夕食会でした。丸テーブルがたくさんあって、僕のテーブルはヴィオラ・セクションの方々でした。僕は昨夜時差ボケであまり寝ておらず、ワインが回ると酒に弱いので眠気もきておりました。しかもこっちはスポンサーですから楽員の方がホストして下さって、野村のことをたくさん質問されたりしました。つまらない説明をしている時間が長く、残念なことに楽員のお話もお名前もけっこう失念してしまいました。「ウィーン・フィルは団員も若くなって変わろうとしている」、「伝統は大事だが時代も変わる」というご発言は印象に残っています。はっきり覚えているのはマーラーの話です。「自分たちはマーラーの演奏の仕方をよく知らなかった(!)。ウィーン・フィルにそれをたたきこんだのはバーンスタインだ。」これは驚きました。バーンスタインは信頼されているという感じでしたね(少なくともヴィオラ・セクションでは。でも、良く考えると彼らが好きな「死んだ指揮者」だったんですが・・・・)。











